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2013年06月中国英雄6: 【王莽】新〜後漢初【光武帝】3 (126)
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【王莽】新〜後漢初【光武帝】3
- 1 :2012/12/16 〜 最終レス :2013/06/13
- 前漢簒奪から漢委奴國王まで語ってください。
明帝〜和帝ぐらいまでならいいかも
前スレ
【王莽】新〜後漢初【光武帝】2
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1248277079/
【王莽】新〜後漢初【光武帝】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1162029599/
- 2 :
- 【中国史】やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 23膳目
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1351525192/
やる実が、後宮の女史になったようでス。【18禁】6夜
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1350215455/
やる夫が王莽になるようです その二
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1339333581/
やる夫が光武帝になるようです
http://yaruokansatu.blog44.fc2.com/blog-entry-383.html
- 3 :
- http://i.imgur.com/zf5n5.png
ある書評で「共産主義歴史観なし!」と不思議な絶賛をされてる臧嵘氏の『漢光武帝劉秀大伝』
http://i.imgur.com/oLhWg.png
新末の農民反乱を指していう「起義」は、最近では階級闘争の意味合いは薄れてるとしても
典型的な唯物史観のタームであることに変わりはない
http://i.imgur.com/tGF2z.png
『読通鑑論』で光武帝が高く評価されていることに言及したついでに王夫之を「唯物的思想家」と呼んでる
王夫之が讖緯に批判的だったことを「唯物的」と評価してる訳だけど
こういう語句が頻出してるのに何で「共産主義歴史観がない」といえるのか全く分からない
しかも『読通鑑論』の該当個所の巻数が間違ってる。巻6が正しい
光武帝が歴史上高く評価されてきたことを主張したいがためにわざわざ『読通鑑論』を引いてるのに
その巻数を間違えるのは、たかが1文字とはいえいかにもずさんで相当に重いキズというべき
さらにその下では「始皇帝や漢高祖や唐太宗は臣下を使って天下を取ったが光武帝は親征したのが凄い」といい、
http://i.imgur.com/MNxjS.png
「昆陽で智勇を示したり単騎で銅馬数十万を屈服させたのは『飛将軍』李広や『単騎赴宴』の名将関羽に比すべき武勇」という
ネットの名将ランキングの類と変わらないし歴史学者の仕事としてはハッキリ言って稚拙
http://i.imgur.com/Qeink.png
著者以外の人が書いた序文でも「光武帝は始皇帝・漢武帝・唐太宗・宋太祖と比べて遜色ない」とある
これも比較しようのないものを比べるネットの皇帝ランキングなみの物言い
http://i.imgur.com/Ir0RM.png
http://i.imgur.com/X7STI.png
光武帝が儒教の普及に尽力して後世の儒教道徳の基礎づくりに貢献したことが述べられる
唯物史観を維持しながらも文革の頃とは違って儒教を再評価してる訳だけど
この本の論調はひたすら光武帝を称賛するものなので
書評の主が得意とする、儒教と唯物史観とを常に不可分のものとして批判する謎の論法は封印するしかなくなってる
そもそも唯物史観を悪と決めつける書評の理屈がおかしい上に
この本は唯物史観と絶縁してる訳でもないし光武帝の評伝として特にすぐれてるともいえない
- 4 :
- 『東漢光武帝劉秀大伝』だった
たかが1文字とはいえなかなかのブーメランではある
- 5 :
- http://i.imgur.com/s67Hr.png
黄留珠氏の『劉秀伝』
http://i.imgur.com/jnWaZ.png
http://i.imgur.com/zGqmV.png
かつては光武帝が大地主・大商人の出身だったという前提に立って、
かれが赤眉などの農民反乱集団を討ったり吸収したりしたことは
ブルジョアが階級闘争を鎮圧したものと認定され、光武帝は反動主義者として批判されてきた
この見解は今では唯物史観の側からも「極左」的とされて賛同されない
唯物史観に拠りつつ光武帝が反動主義者でないというために、
皇族といっても10数万人以上いるうちの1人に過ぎず
ブルジョアの大地主ではなく中小の地主だったことを強調するとか
http://i.imgur.com/6MLyy.png
光武帝による農民反乱の鎮圧は、毛沢東の提唱した
「中国古代における農民戦争は、無産階級や共産党の正しい指導を得られないために失敗して
地主や貴族に王朝交代の道具として利用されるものだった」という法則にのっとったもので
何の不思議もないとするとか
http://i.imgur.com/8aiRY.png
緑林や赤眉は皇帝を立てて農民革命集団としての性質を失っていったから
光武帝がこれを討っても競争相手を倒しただけで階級闘争を妨げてはいないとするとか
いろいろな理由づけがされるようになった
『東漢光武帝劉秀大伝』が光武帝の出身を大地主でないとするのもこの流れに乗ってる訳だし
唯物史観と関係ないつもりで光武帝が血筋や地盤に頼らず実力で天下を取ったといいたいがために
平凡な皇族の小地主だと主張するのは、実は今の唯物史観が描く光武帝像に接近してるということでもある
- 6 :
- 前スレで長文書いたものだが、唯物史観ってなんだ? どこかのコピペか?
前スレでの返答が全然ないのだが、『三史捏造少ない』論説は、要は捏造もしくは知識不足の勢いに任せた煽りで、
結局、ただの荒らしということでよいのかな?
新唐書や隋書、晋書より捏造が少ないのは確実というレスがあったが、
劉知幾が後漢書を絶賛している反面、劉玄の件で政治性で厳しい批判をしている点を見ても、
正史の評価が、@文章のまとまり、A矛盾の少ない整合性、B政治的偏向の少なさという総合的な評価であることが推測される。
光武帝ファンでもマンセーでもないという長文君は、こういう両面性のある評価とすると、
統合失合症とでも劉知幾を罵るかもしれないが、そんな人物が千年以上経っても高い評価を得ているわけがない。
ということで、新唐書や隋書、晋書の評価が後漢書よりも低くても、@、Aが優先され、Bが低く見られただけとも考えられる。
ここの議論ではBが重要なのだから、そういう結論は出るのはおかしい。
- 7 :
- あの劉知幾が史通で、曲筆とまで後漢書批判に劉玄キョどるエピソードを引き合いに出すのは捏造の論拠には弱いという意見も多いが、
事の本質はそうではないだろう。
最大の問題点は、あの批判が強い東観漢記ですら、劉玄伝において記載していない、
『素懦弱,羞愧流汗,舉手不能言』をわざわざ探し出し、記載している点。
わざわざ後漢の史官がおもねって記載した可能性の高い描写を、抜き出して付け足していることだ。
確かに劉玄が上がり症だった可能性も否定はできないが、真実は范ヨウには確認できないのだから、
信憑性が低いとして通常は採用しないところだろう。
だが、後漢書は三国志との比較において、魏に不都合で信憑性が低い記述が採用されていることが批判されているように、
後漢を持ち上げようと、劉玄を貶めた可能性も高いと推測できる。
また、史通で「後漢の史官が筆を曲げ、後漢王朝におもねり、独り光武の美を成した」とまで評したのは、
劉知幾の生きている段階ではその余りにも露骨な歴史書が残っていた可能性もあるとも思える。
- 8 :
- さらに、五銖銭の復活は劉玄の所行と『貨幣の中国古代史』で信憑性が高い研究がなされ、
捏造が少ないはずの漢書や後漢書でこれを黙殺し、光武帝を復活していることになっている事実が、
光武帝に関する部分の全体的な捏造あるいは印象操作の可能性を大いに示唆するものだろう。
『自搏戰』もやはり問題がある。
光武帝が本当にやっていたとしても、大局に影響がなく、光武帝の徳には何の加算もされず、
ただ単に光武帝が英雄という印象のためだけの記述であり、大きく信憑性を損ねている。
(一歩間違えれば、光武帝がアホの子って印象を与えることになりかねんw)
『搏戰』であれば、親衛隊を率いて戦った程度と解釈できるが、
一武将が行うことと、有利な状況で皇帝が行うことでは意味が違いすぎる。
そんなことがあり得るか以前に、昆陽の戦いの兵力と合わせて、范ヨウの歴史記述の姿勢が問われるところだろう。
基本的に范ヨウの歴史記述姿勢は、現代ならものすごく叩かれてただろう
- 9 :
- 結局、光武帝が、劉邦や李世民に比べ地味な印象があるというのは、真実がどこにあるかは置いて、
『欠点がちゃんと記載されている方が、正史としての評価はともかく、皇帝の実績評価としては信用できる』
ってのがあるんじゃないねーの。
後漢って、やっぱり統一王朝としては微妙だし。
- 10 :
- ここは後漢スレだが、隋書はすぐに作ったこともあり
文帝や煬帝を必要以上に叩いている。
李淵と煬帝が親戚で、裏切り行為の正当性のためもあるだろう。
晋書にいたっては、すでに評判の良い晋書があるにもかかわらず
李世民の命令で作られ、成立がその晩年かつ、司馬イ、司馬炎のところを一部太宗本人が
書いたということもある。おまけに成立年代も後漢書以上に離れている。
さらに、李世民の後継のこともあり、劉玄以上に司馬炎や息子の恵帝を悪く書いている。
それに比べればB政治的偏向の少なさとみても、後漢書はましだとはいえるだろう。あくまでマシであって、偏向が無いわけではないのはもちろんだと思う。
- 11 :
- >>10
「政治的偏向の少なさとみても、後漢書がマシ」だという論拠の
「隋書が文帝や煬帝を必要以上に叩いている」という根拠は?
李淵は隋に仕え、唐は隋から禅譲を受けているのだから、晋の魏に対する立場と同じ
後漢が新や劉玄に対するものとは違う。ある程度は持ち上げる必要もある
誉め言葉と悪口を全て載せただけではないか? 煬帝ですら、美点も書いてある。
記憶に間違いがなければ、隋書に煬帝の文帝殺しは採用されていない。これも一つの反論になるのでは?
晋書については初耳なことが多いが、編集姿勢が問題であり、
成立年代が離れていることが、政治的偏向の度合いに関係するのがよく分からない。
李世民が一部書いたことは聞いたことがあるが、司馬炎や恵帝を悪く書いたという根拠は?
中文の論文や、正史・歴史論などから類推した自説でもよいので、ソースを教えてもらいたい。
- 12 :
- >>11
晋書については、六朝政治史の研究 安田二郎 西晋朝初期政治史試論 西晋武帝好色
有名なガマガエルの件とかな。
文帝殺しについては、そもそも後の小説によるところなので反論になっていない。
- 13 :
- >文帝殺しについては、そもそも後の小説によるところなので反論になっていない。
おかしなことを言う。
宮崎市定先生が、「依った原典を明らかにすることはできないが」という注意付で資治通鑑が引いた文帝殺しが記載された二書をあげて、
隋書の列伝で散見される文帝殺しをほのめかす記事の出典があるだろうことを述べているのだぞ。
基本的に隋書の文帝や煬帝の本記ではそのことを採用してはいないが、「後の」小説とはどういうことか。
それに、自分の質問の本義は、
唐は隋をある程度持ち上げる必要があり、後漢に新や劉玄を持ち上げる必要はなく、
その状況で、傅玄、劉知幾、山田勝芳先生から粉飾や偏向を批判される状況で、
なぜ、「政治的偏向の少なさをみても、後漢書がマシ」だと言えるのか?
ということと、「隋書が文帝や煬帝を必要以上に叩いている」という根拠を聞いている。
小説に毛が生えたものであれ出典が存在し、煬帝が文帝を殺したことにすれば双方を相当に貶められるのに、
しなかったのはそうではない可能性の高さを示唆しているのだが。
- 14 :
- それなら、後漢書はなぜ、『素懦弱,羞愧流汗,舉手不能言』を採用したのだ。
『素懦弱』の一文がなければよかったのだが、劉玄は乱暴や暴虐ではあっても、そんな描写はない。
ただ、劉玄を貶めたいとしか思えない記述だ。
西晋武帝好色や蛙の件は信憑性はともかく、正史の論調としては「武帝は怠惰で奢侈」、
「恵帝はある意味実直だが、暗愚」って面を強調したいのだから、矛盾はない。
その掲載を完全否定したら、正史の人物描写の意味はなくなる。
その上で、煬帝は文帝殺しの噂があったことを否定しないが、基本的に採用しないと隋書は言っている。
後漢書より隋書の方が政治的偏向に関していえば、はるかに良心的に思える。
六朝政治史の研究や西晋朝初期政治史試論については、読んではおらず、
現時点では晋書との比較議論は論じることはできないので、とりあえず保留。
- 15 :
- 偏向云々だったら、作られた当時から評判悪かった魏書はどうなるんだろうか?
島夷 劉裕伝とかタイトルから偏向が滲み出ているわけだが・・・
- 16 :
- まーた長文か、うんざりだ
- 17 :
- 【中国史】やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 24膳目
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1357052011/
やる夫が王莽になるようです その三
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1356871028/
最高おすすめ
- 18 :
- やる実が、後宮の女史になったようでス。【18禁】6夜
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1350215455/
- 19 :
- やる夫の話は別のとこでしてほしいわ
「中国史系のやる夫」を語るみたいなスレを立てたらいいんじゃない?
- 20 :
- 黒歴史でオワコンの宣伝乙
ウザいからいい加減にしろ
- 21 :
- やる夫嫌いだから貼り付けんな
歴史を侮辱していて反吐が出る
- 22 :
- そいつは前スレから定期的に出没してはステマしてくるからスルーが吉
超過疎で誰も話題にしてくれないからって必死すぎ
- 23 :
- >>3の『東漢光武帝劉秀大伝』が李広や関羽の話に続けて引用した葉適『習学記言』
http://i.imgur.com/cmeqh.png
「光武の主従は統率が取れており、ただ彭寵・ホウ萌・ケ奉が叛いたが(ケ奉の乱は)賈復が収拾した、
臣下が功名を誇らず、爵位は高望みせず、献身し家では倹約に勤めるというのは高祖の時にはないことだった、
光武の材は諸将に過ぎて気を以ってこれを柔らげ、高祖の才は諸将に及ばずして気を以ってこれを圧した、
高祖は韓信・彭越・英布に軽んじられていたが光武は必ずしも臣下には軽んじられなかった」と
軍事の話に限らず君臣の秩序を論じてる
確かに「材」とか「才」には軍事の才能も含まれてるんだろうけど
『劉秀大伝』が「光武の材、諸将に過ぐ」の部分だけ切り取って単に光武帝の将才が諸将に優越してたことの根拠にするのは
光武帝を称賛しようとしてかえって葉適の意見を矮小化してるようにもみえる
また『習学記言』の「石勒ごときが不用意なことを言ったとしても光武の偉大さは損なわれない、
いわんや石勒の言はもともと的外れであって後人が往々にしてこの誤りを受け入れているのは疎略である」と
石勒の例の「高祖には臣従して功を競おう、光武となら勝負しよう」云々に言及した箇所は
むしろ高祖が光武帝に優越してたという議論が後世においてそれなりに受け入れられてたことをうかがわせるものでもある
さらには例えば鶴間和幸氏は、范曄が後漢を四夷を従える中華王朝として描いたのは南朝の民族意識を映したものと指摘してる
そうすると『後漢書』の光武帝像は漢民族が民族的危機に瀕した時に戴くアイコンになりえたのであって
梁の元帝・南宋の葉適・清初の王夫之らが光武帝を称揚したのはその例として説明できるし
『劉秀大伝』が葉適や王夫之の議論の背景を考慮せず「『習学記言』や『読通鑑論』にある通り光武帝は凄い」と主張するのは
歴史学者の仕事としては脇が甘いと思う
その他『劉秀大伝』が、光武帝が馬援に策を授ける時に米で作った地形のジオラマが
今の「軍用沙盤」(http://i.imgur.com/v3hNy.pngこういうやつ)に相当するということとか
呉漢の様子を探らせて「呉公は一敵国の如し」と嘆じたこととか
(呉漢の逸話なのに呉漢が出撃の準備を整えてたことがなぜか省略されてる)を根拠に
光武帝の将才が諸将に優越してるというのは、およそ学者の主張にみえない上に光武帝が好きな読者でも白けてしまうんじゃないか
- 24 :
- 賈復がケ奉の乱を収めたというのも何か違う気がするな
- 25 :
- 遅レスだが
>>12
結局のところ、反論も根拠もなしか。
大した論拠もなく、後漢書が隋書より(新唐書はどうなった?)マシなのは「確か」と断言したり、
宮崎市定先生の論文のことを知らずに隋書を語るのはまだしもとして、
ろくに確認もせずに他人の論説を「反論になっていない」と決めつけたり、
その宣言だけで自分の断言した論説の根拠説明がなかったり、本当におかしな御仁だな。
一点が間違えた(と思った)ら、論説全てを否定するやり方は、光武帝ファンでもマンセーでもないという長文君と全く同じだ。
ついでに、>>16のようなのは、光武帝ファンでもマンセーでもないという長文君がどれだけ長文書いてもでてこなかったのな。
どれが同一人物か別にして、やはり、ただの荒らしか。
>>15
なんか、評判最悪らしいな。
でも、「北史』があるから、北斉と唐で立場が違うから、政治的偏向に関しては、多少は補正できるんじゃないか?
はじめから分かっているなら、ある程度は排除できる。
後漢書は文章と矛盾の解消で評判がいいだけで、政治的偏向がひどいと評判の東観漢記をさらに助長しているからな。
范ヨウとしては単に面白いと思ったか、とりあえず記載しておこうという感覚だったかもしれないが、
取捨選択ができていない時点で、現代感覚では、むしろまずいわな。
曹魏に関しては、後漢書を批判する人が多いのに、光武帝に関しては無条件に信じ込む人が多いのが理解できない。
- 26 :
- 遅レスの上に長文かよ
いつまで粘着してんだか
- 27 :
- 何でそんなに必死なんだろうね
哀れに思えてくる
- 28 :
- ほんとにな
こんな死んだスレで
- 29 :
- いくつかある諸葛亮の文集のうち張溥編、諸葛羲編、厳可均編、『続集四庫全書』所収の張燮編と闕名編との2種、張ジュ編の
6つを見たけど、『金楼子』立言篇の文章を「論光武」と呼んで諸葛亮の文章として収めてるのは張ジュのものだけだった
これらの文集は偽作説が唱えられてる後出師表も収録する一方で、『金楼子』を載せるのは張ジュだけ
張ジュ以外の編者は『金楼子』が諸葛亮に偽託された可能性は後出師表より高いと判断したということだろうし
諸葛亮の子孫だという諸葛羲は、偽作であることがほぼ確定してる便宜十六策などの兵法書も載せる一方で『金楼子』は載せてない
諸葛羲にとって『金楼子』の文章はご先祖様のものとはどうしても認め難かったということだろう
『隋書』経籍志や『新唐書』芸文志で諸葛亮の著作とされてる『論前漢事』について、張ジュ『諸葛忠武侯文集』目録は
「『論前漢事』は陳寿『諸葛氏集』の雑言篇に入るべきもの」といい、「『論前漢事』のうち「論光武」一篇が現存している」ともいう
これは張ジュが『金楼子』の文章を諸葛亮のものとして採録した(現在知る限り)唯一の根拠らしきもの
実在を確認できないし張ジュも参照してないはずの『論前漢事』に「論光武」が入ってたと言われても信じようがない
ちなみに張ジュの編集方針は、諸葛亮の子に諸葛懐や諸葛果がいたとかの俗説も採り上げたりしてて
諸葛亮に関連するものは真偽不明であってもとりあえず載せておくというものにみえる
『金楼子』と『芸文類聚』や『太平御覧』とで文面に甚だしい齟齬がある上に、同じ『金楼子』の中でも文面がズレてて
さらに『金楼子』の元ネタを諸葛亮の文章と認めた例が歴史上ほとんどないし張ジュの論拠も薄弱なことからすれば
いわゆる「論光武」を諸葛亮の文章とするのはもう無理じゃないかと思う
- 30 :
- 『論前漢事』との関連で張ジュのいう「論光武」に間接的に言及した姚振宗『三国芸文志』
http://i.imgur.com/ZMgkN9j.png
姚振宗は張ジュの見解を引いた上で、「出師表の『先帝は臣と後漢の衰微を論じるたび
桓帝・霊帝の頃のことを嘆いておられました』というくだりが『論前漢事』の主旨に近いらしい」という
張ジュも姚振宗も散佚した『論前漢事』を参照し得ず、その内容については推測する他なかったはずなのに
なぜか張ジュは断定的に論じてる
それに「論光武」が『論前漢事』中の一篇だというためには、『論前漢事』の「前漢」が今でいう「後漢」を含むことが前提として必要になる
楊戲が『季漢輔臣贊』で「中漢の末」という言葉を使ってることからすれば、
諸葛亮ら蜀漢の人々が自分たちの属する「季漢」の「前」の「漢」として、今でいう「前漢」「後漢」をまとめて認識してたとはいえるだろうけど
仮に『論前漢事』が今日「後漢」とよばれる王朝に言及していたとしても、それは姚振宗の推測が正しかったというだけのことで
「論光武」が『論前漢事』中の一篇であることの根拠としては全然足りてない
- 31 :
- 見れないよ 403 - Forbidden だってさ
- 32 :
- >いわゆる「論光武」を諸葛亮の文章とするのはもう無理じゃないかと思う
これについては、俺もそう思う。
諸葛亮の文で一番信憑性がある「出師の表」ではこう論じられている。
>親賢臣遠小人、此先漢所以興隆也。
>親小人遠賢臣、此後漢所以傾頽也。
前漢は興隆し、後漢は傾頽したと見なしている。
諸葛亮の見解は後漢に余りにも厳しい。
前漢は劉邦の時に滅びかけたが、「親賢臣遠小人」ので武帝の時のように興隆したとするか?
後漢は光武帝の時に隆盛したが、「親小人遠賢臣」のでその後衰退続けたとするか?
それにしても、光武帝を劉邦よりあれほど評価したとしたら、普通に後漢に否定的なその表現はないだろう。
>親賢臣遠小人、此両漢所以興隆也。
>親小人遠賢臣、此両漢所以傾頽也。
こうすればよいだけ。
光武帝の知性をあれほど讃えておいて、光武帝の徳に関わる子孫の統治が悪かったとしたら、
余りにも同一人物の見解として矛盾感が激しすぎる。
あなたの確認が間違いないのなら、やはり内容や文体などに問題があると見るのが妥当だと思う。
現在の情報からは、「論光武」は諸葛亮ではなく、
南朝梁時代における光武帝観の一つと見るべきと思う。
- 33 :
- おっと、
>>32は、>>29-30へのレスな
- 34 :
- >>31
i.imgur.com/ZMgkN9j.png
をブラウザのアドレスバーに貼ってどうぞ
- 35 :
- まーだ無駄な努力続けてんのか長文粘着
懲りない野郎だw
- 36 :
- 勉強になって面白いな
- 37 :
- >>35
不快なレスは、根拠をねつ造して、あおりまくり
論理で勝てない時は、単文で荒らしか
光武帝信者ってほんとにカルト宗教みてえ
かまって欲しいんならageた方がいいぞ
暇が腐るほどあっても、動画もやる夫も読書もできない脳無しにできることはそれぐらいだろうしな
- 38 :
- 【中国史】やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 25膳目
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1359804498/
やる実が、後宮の女史になったようでス。【18禁】6夜
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1350215455/
きちんと見ろよ
- 39 :
- ニコ動でやる夫の光武帝の紙芝居ageている人って死んだの?
1年位止まってるんだけど
- 40 :
- 単に面倒で飽きて終わっただけだろ
- 41 :
- 光武帝カルトは、こんなところでレスしていないで、続きつくればいいだけなんだがな
まあ、動画は捏造とカラカラの脳みそじゃ作るのは、さすがに無理かw
- 42 :
- 何言ってんだお前
こんなスレいらんだろ
- 43 :
- >>前スレの964氏
君が論争していた相手とは別人で、正直違う時代の史書同士の信憑性論争なんていう七面倒くさいことには関わりたくないと思ったし、
「隋唐との比較に限れば」大手をふって信憑性があるとは言い難いのは事実だと思っていたので口を挟まなかったけど。
君が『東観漢記』やこの時代全般の記述といった余計な部分の信憑性にまで余計な攻撃を向け始めたようだから少々突っ込むわ。
>あの批判が強い東観漢記ですら
>政治的偏向がひどいと評判の東観漢記
ここの根拠が『史通』覈才だとすると、あれの『東観漢記』に関する文章の締めが、
「時代的制約はこんなに昔「から」あったんだ!」という意味合いの文章だから、
そこを政治的偏向の酷さとして強調しちゃうとナチュラルに劉知幾の生きた唐も巻き込まれるような気がするんだが。
あと、傅玄の発言そのものについては、傅玄が生きた時代が讖緯が時代遅れとして攻撃された西晋だから、新漢代の時代的特質から考えて割り引いて見るべきだと思うよ。
現代の一時期、『東観漢記』の史料的価値が『後漢書』より高かったのは、実際この発言はそこまで重く見られなかったからじゃないかな。
>わざわざ後漢の史官がおもねって記載した可能性の高い描写
>史通で「後漢の史官が筆を曲げ、後漢王朝におもねり、独り光武の美を成した」とまで評したのは、
史通のこれは『後漢書』劉玄伝についての、『東観漢記』にはない記述の話だよね?
後漢の史官は全く関係ないと思うんだけど。
>さらに、五銖銭の復活は劉玄の所行と『貨幣の中国古代史』で信憑性が高い研究がなされ、
>捏造が少ないはずの漢書や後漢書でこれを黙殺し、光武帝を復活していることになっている事実が、
これについては政権の現状と絡んだ特筆性がなければ記されないのも仕方ないんじゃない?
劉玄が敗死した事件を乗り越えて継続性のある改鋳であったならまだわかるけど。
記さなかったことの一事をもって全体的な捏造の可能性にまで言及するのは些か行きすぎだと思うよ。
>ただ単に光武帝が英雄という印象のためだけの記述であり、大きく信憑性を損ねている。
大局に関連のない英雄性の上積みはどの史書も行っているように思うけど。
そういったこと消えてるのは『三国志』の記述くらいしか思い当たらない。
例えば劉邦の竜殺し逸話は必要かとか、玄武門の変の物語的部分であるとかを見ても、
殊更『後漢書』の信憑性に疑いを向ける理由にはならないように思うよ。
こういう些末な部分まで持ち出して、後漢絡みの記述全般に徹底的に叩こうとするのは流石にどうなのか。
やり込めようとしすぎることで信用を損ねているんじゃないかと思うんだけど。
- 44 :
- ツイッターで「光武帝」を検索したら、志賀島金印の「漢委奴国王」は匈奴王のことだと解釈して
九州に匈奴がいたと前田敦子に力説してるアカウントがいた
- 45 :
- 光武帝なんて所詮敵が雑魚ばっかりだったから天下を統一できたにすぎないと言ってみる
- 46 :
- じゃあまずこのスレの雑魚を倒してみろ。
- 47 :
- アンチ必死だよな
無理やり難点を見つけようとしているw
- 48 :
- >>45程度の論理で無理矢理な難点を見つけられているつもりになれるのか、光武帝カルトはw
どれほど脳みそが空なら、ここまで狂信できるのか
後漢書マシは確実くんの敗北と逃亡については、コメントないのはなぜかね?
そんなことも理解できないぐらい、頭が悪くて、人生負け続けだから光武帝マンセーを叫ぶんだろうね
笑えるw
- 49 :
- もはや言ってることが支離滅裂だな
一人で何顔真っ赤にしてんだ?
- 50 :
- >>45
確かに、後漢書を信じれば何もしていないのに内政に失敗したり、勝手に内紛したり、略奪して飢える連中ばかりだからな
しかも、前王朝の名を借り、漢中興の流れにのって、領土は統一帝国にしては狭く基盤は弱いし、
こんな連中に勝って、若くして天下統一とか、史上最高の名君とか叫ばれてもなあ
なんか、寒いだけ
天下統一に失敗した他の時代の君主(曹操とかフ堅とか)は、
敵がこんなのばかりだったら、俺にも統一できたのにと思ったと思うよ
マジで
- 51 :
- 久しぶり来たら、アンチのキチガイが粘着してるんだな。
家臣団の話とかしたかったんだが。
- 52 :
- 光武帝と曹操に関しては気の毒に思うくらいよくわからん粘着居るからな
2chではもう語れない領域
- 53 :
- 語らなきゃいいじゃん
他でやればいい
- 54 :
- おまえらいいかげん水かけ論はやめろ
『後漢書』は曲筆されている?
いやいやマシなほう?
論ずるなら具体例をあげて論じろよ
- 55 :
- で、これだけ言ったのでは煽り認定確実なので
具体例をあげて論じてゆくわ
例にあげるのは『東観漢記』と『後漢書』だ
『東観漢記』は光武帝について書かれた歴史書のうち
現存する最古のものだ
これと『後漢書』とを比較して、
もし後者が前者よりも光武帝よりの書きかたをしていたら
すくなくとも
「范曄は『東観漢記』以上に後漢朝にへつらい曲筆している」
と言えるわけだ
- 56 :
- ではまず光武帝がオヤジの赴任地の済陽でうまれたところ
『東観漢記』世祖光武皇帝
皇考初為濟陽令,濟陽有武帝行過宮,常封閉。上將生,皇考以令舍下濕,開宮後殿居之。
建平元年十二月甲子夜上生時,有赤光,室中盡明。
皇考異之,使卜者王長卜之。長曰:「此善事不可言。」
是歲嘉禾生,一莖九穗,大於凡禾,縣界大豐熟,因名上曰秀。
是歲鳳皇來集濟陽,故宮皆畫鳳凰。聖瑞萌兆,始形於此。
『後漢書』光武帝紀
論曰:皇考南頓君初為濟陽令,以建平元年十二月甲子夜生光武於縣舍,有赤光照室中。
欽異焉,使卜者王長占之。長辟左右曰:「此兆吉不可言。」
是歲縣界有嘉禾生,一莖九穗,因名光武曰秀。
- 57 :
- 『東観漢記』も『後漢書』も、
光武帝がうまれたとき、へやが赤光にみちあふれたとか、
うらない師のゴマすりとか、
嘉禾がみのったのにちなんで秀と名づけられたとか、
おもしろうさんくさい話がいろいろ書かれている
というか、うまれたときにへやが赤光にみちあふれたといっても、
大陸では今でもバカの代名詞の阿斗がうまれたときだってそうだったんだから、
たいしてありがたみがあるとも思えんのだが
とりあえず、光武帝がうまれたところの書きぶりは、
『東観漢記』も『後漢書』も
光武帝に対しておべんちゃらを言っているわけだが、
県舎ではなく武帝の行在所でうまれたとか鳳凰がやってきたとか、
『東観漢記』のほうが『後漢書』よりも
へつらいぐあいがはげしいと言える
- 58 :
- つぎに光武帝のオヤジが済陽から南頓に異動になってからのこと
『東観漢記』張況伝
張況
況遷涿郡太守,時年八十,不任兵馬,上疏乞身,詔許之。
後詔問起居何如,子歆對曰:「如故」詔曰:「家人居不足贍,且以一縣自養」
復以況為常山關長。會赤眉攻關城,況出戰死,上甚哀之。
『後漢書』張禹伝
張禹字伯達,趙國襄國人也。
祖父況族姊為皇祖考夫人,數往來南頓,見光武。
光武為大司馬,過邯鄲,況為郡吏,謁見光武。光武大喜,曰:「乃今得我大舅乎!」
因與俱北,到高邑,以為元氏令。遷涿郡太守。
後為常山關長。會赤眉攻關城,況戰歿。
- 59 :
- 張況ってのは光武帝の父方の祖母の親戚だ
光武帝の父が南頓の県令をしていたとき、
しばしばやってきたんだな
たぶん光武帝が子どものころ、かわいがってもらったんだろ
で、光武帝が
更始帝のパシリで河北を撫順しにいったとき、
張況のところへ立ちよって仲間にひきいれた
張況は県令太守を歴任し、
老いて辞任したのだが
「家人居不足贍,且以一縣自養」
(意訳:キミの家族ビンボーだから、もういっぺん県長になって稼ぎなよ)
と光武帝に言われて関県の県長になり、
そこで赤眉軍とぶつかって戦死したわけだ
- 60 :
- 県長といえば秩三百石から五百石までの卑官だ
諫大夫とか光禄大夫とか、
もっと給料のいいポストはいくらでもある
ではなぜそんな官に任命したかというと、
そりゃいうまでもなく「ワイロをとってお金持になりなよ」と
言外ににおわしているわけだ
支那の地方官の実入りのいいのは常識で、
県令を三年つとめれば
一家が生涯食うに困らぬだけのたくわえができる
それはみんながやっていることであり、
いちいち目くじらを立てることではないし
光武帝ひとりを弾劾するのも当を失している
しかしまあ不法行為にはちがいない
- 61 :
- で、『東観漢記』で
「家人居不足贍,且以一縣自養」
とあるのを、
『後漢書』では黙殺している
張況伝の比較においては
『後漢書』は『東観漢記』よりもずっと
光武帝につごうのいい書きかたをしているわけだ
- 62 :
- 光武帝のオヤジが死んでオジサンにひきとられた前後のこと
『東観漢記』世祖光武皇帝
上為人隆準,日角,大口,美鬚眉,長七尺三寸。
在舂陵時,望氣者蘇伯阿望舂陵城曰:「美哉!王氣鬱鬱蔥蔥。」
仁智明遠,多權略,樂施愛人。
在家重慎畏事,勤於稼穡。兄伯升好俠,非笑上事田作,比之高祖兄。
年九歲而南頓君卒,隨其叔父在蕭,入小學。
『後漢書』光武帝紀
光武年九歲而孤,養於叔父良。
身長七尺三寸,美須眉,大口,隆準,日角。
性勤於稼穡,而兄伯升好俠養士,常非笑光武事田業,比之高祖兄仲。
- 63 :
- だいたいにたようなことが書かれているけれど、
『東観漢記』のほうが『後漢書』よりもくわしくて、
美化のぐあいもはなはだしい
ここらへんは『東観漢記』のほうが光武帝よりの書きかたをしている
- 64 :
- 中々楽しそうなこと始めてるじゃないの。
でもちょっと、本題から離れた解釈部分に某三国志サイトみたいに変な飛躍をしている場所があるのである程度突っ込み入れるわ。
>>60
>第一段落〜第二段落
がちょっと飛躍が大きい。
>復以況為常山關長。會赤眉攻關城,況出戰死,上甚哀之。
にあるように、記述の時制はおよそ常山近隣に赤眉(ないし河北農民叛乱軍)存在時であることがわかるが、
「光禄大夫などの官に付ける事も出来るのに」という類推はまず光武政権にそういった恩義結合している相手に俸禄を与えて回る余剰が
光武政権の安定前にあることが前提に成り立っており、しかもその証明がなされていない。
更に、赤眉(ないし河北農民叛乱軍)が存在し敗死の危険のある場所から搾取出来ることを前提に論理を立てるのは支離滅裂。
第三にそもそも詔を出して半ば横紙破りになることを顧みず禄を与えたいだけなら、報恩を大義名分に食邑でも与えればいいこと。
もし「賄賂を得よ」と暗に言っているという推測が正しかったとして、王丹のように反新であったとはいえ王莽の親族に実際に食邑与えている例もあるのに何故張況には与えないのか。
何故張況には積極的に横紙破りを許すのに、劉良の要求を許すことには消極的だったのか。
劉秀は儒者の端くれであるし、劉良の死を理由に赦された李子春の例を見れば分かるように
大義名分をおろそかにした例は少ないが、この例だけはおろそかにしていたという根拠は一体何か。
単純に赤眉(などの農民叛乱)の活動が収まってない時期の光武政権では、与える食邑や余剰の俸禄もなかったから働いて得ろと言ったと解釈する方が合理的だろうし。
『後漢書』の記述態度も、台詞の削除で字数を削ったか(渡邊義浩先生の全訳後漢書の冒頭にもあるように、後漢書がかかれた時代は字数が少ない方が優れているとされた)
或いは曲筆であったとして、政権の余裕の無さを描きたくなかったと見る方が合理的だろう。
無闇に個別に卑しい方向に勘ぐると、色んなところと矛盾きたすよ。
>>56-57
>>62-63
には取り立てて異論がないが、強いてまとめるなら
・『東観漢記』は主に瑞祥マシマシ
・『後漢書』はその点はバッサリカット
ってなことになりそうだね。
- 65 :
- すまない、王丹絡みは記憶違いしてたんで撤回
- 66 :
- 恩義結合自体が流し読みで読み間違いしてるね。
すまん。
ただ、遠縁だから恩義結合よりも余計食邑与えないことの理由が意味不明になるけど。
- 67 :
- >>64
>単純に赤眉(などの農民叛乱)の活動が収まってない時期の光武政権では、与える食邑や余剰の俸禄もなかったから働いて得ろと言ったと解釈する方が合理的だろうし。
この点についてはまったくの同感。
張況を列侯に封じなかったのは、血縁がはなれすぎているから&「功なくんば侯たりえず」だからか?
『漢書』外戚恩沢侯表を見るに、外戚だからといって無制限に侯になれるわけではなさそう。
『後漢書』で瑞祥を無視しがちなのは范曄が無神論者だったからか。
- 68 :
- 常安(漢の長安)でのあれこれ
『東観漢記』世祖光武皇帝
後之長安,受尚書於中大夫廬江許子威。
資用乏,與同舍生韓子合錢買驢,令從者僦,以給諸公費。
大義略舉,因學世事。
『後漢書』光武帝紀
王莽天鳳中,乃之長安,受尚書,略通大義。
- 69 :
- こっちも『東観漢記』のほうがくわしい
おなじ宿舎の韓子と金を出しあってロバを買い、
運送業をやったことが
『後漢書』に書かれていないのは、
光武帝サマが商人のまねごとをしたのを黙殺したからだろう
- 70 :
- ・今文尚書や緯書『尚書中侯』を根拠とする武王白魚の応は東観漢記にはない(少なくとも現行の輯本にはない)
・東観は古文派が強かった上に讖緯に批判的な尹敏らがいた
・緯学が下火になった(むしろ弾圧の対象ともなった)南朝にあって范曄はあえて瑞兆を書き留めた
・范曄を「無神論者」と評価するのはおそらく新中国の唯物史観独自の見解
- 71 :
- >>70
ご意見感謝
歴史も文化もちがう昔の外国人を
現代的な意味での「無神論者」のひとことで解釈したのは軽率だった
常安(漢の長安)でのあれこれ、つづき
『東観漢記』世祖光武皇帝
朝政毎日下,必先聞知,具為同舍解說。
高才好學,然亦喜遊俠,鬥鶏走馬,具知閭里姦邪,吏治得失。
時會朝請,舍長安尚冠里,南陽大人往來長安,為之邸,闇稽疑議。
『後漢書』光武帝紀
なし
- 72 :
- 『東観漢記』を読むかぎり、
光武帝もわかいころはヤクザみたいな生活をおくり、
闘鶏や競馬が好きだったと書かれている
この部分を『後漢書』が完全に黙殺しているのは、
これまた光武帝聖天子伝説にとって
えらくつごうの悪い部分だったからだろう
- 73 :
- ところでこれはあまり関係ないのだが
『東観漢記』世祖光武皇帝
朝政毎日下,必先聞知,具為同舍解説。
高才好學,然亦喜遊侠,鬥鶏走馬,具知閭里姦邪,吏治得失。
時會朝請,舍長安尚冠里,南陽大人往來長安,為之邸,闇稽疑議。
『漢書』宣帝本紀
高材好學,然亦喜游俠,鬥雞走馬,具知閭里奸邪,吏治得失。
數上下諸陵,周遍三輔,常困於蓮勺鹵中。尤樂杜、鄠之間,率常在下杜。
時會朝請,舍長安尚冠里,身足下有毛,臥居數有光燿。
"高材好學,然亦喜游俠,鬥雞走馬,具知閭里奸邪,吏治得失。"の部分と、
"時會朝請,舍長安尚冠里,"とが丸かぶりである
宣帝も光武帝も漢王朝にとっては中興の英主だから、
ふたりを重ねあわせようという心理がはたらいたのだろう
『漢書』宣帝本紀が『東観漢記』世祖光武皇帝のあとに班固によって書かれたのか、
それ以前にすでに班固に書かれていたのか、
それとも班固の父の班彪がすでに書いていたのか、
そのへんの事情がわかるともうすこし精密に考証できるんだが
- 74 :
- 常安(漢の長安)でのあれこれ、つづき(というか朱祐とのエピソード)
『東観漢記』朱祐伝
光武嘗與朱福共車而出,過候司隸陳崇。崇,南陽人也,與上通家。
福持車在外,以為上當自達道,今崇請之,上不說,辭出就車,崇大笑,曰:「獨我當相見,念卿不復,故不道也」
常戲狎之如是,福愈恭慎自附。
上在長安時,嘗與祜共買蜜合藥。上追念之,賜祜白蜜一石,問:「何如在長安時共買蜜乎?」其親厚如此。
初,光武學長安時,過朱祜,祜嘗留上,須講竟,乃談話。
及帝登位,車駕幸祜第,上謂祜曰:「主人得無去我講乎?」祜曰:「不敢」
『後漢書』朱祐伝
祐初學長安,帝往候之,祐不時相勞苦,而先升講舍。
後車駕幸其第,帝因笑曰;「主人得無捨我講乎?」以有舊恩,數蒙賞賚。
- 75 :
- 朱祐は光武帝のとおい親戚でおさななじみだから、
いっしょに常安に留学したときのエピソードがたくさんある
『後漢書』にあるエピソードは
『東観漢記』の最後のやつとおなじ話
ふたりでカネを出しあって蜜を買ったという
『東観漢記』のエピソードも、
ほほえましく罪のない話である
問題は『東観漢記』のほうの最初のエピソード
- 76 :
- この時代は日本だと人気ないね
- 77 :
- 司隸(ただしくは五威司命)の陳崇は王莽の懐刀で、
王莽の政敵を弾劾し失脚させていった人物である
そんな人物と光武帝とが通家(代々つきあいのある家どうし)の関係にあるなんて、
無視できるものなら無視したい話である
で、『後漢書』は無視した
言うまでもなく曲筆だね
- 78 :
- これは『東観漢記』でなくて『漢書』の話になるのだが、
王莽のおじで不行跡のはなはだしかった紅陽侯王立という人物が、
南陽の領国について諸劉氏と結恩し、
その末子の王丹が後漢初の動乱で戦死すると
光武帝はその子の王泓をわざわざ列侯に封じてやったという
『漢書』外戚恩沢侯表には
「武桓侯泓,建武元年以父丹為將軍戰死,往與上有舊,侯」
とあるから王泓は光武帝の古いなじみだったわけだ
そしてやっぱり『後漢書』ではそんなことは無視されている
光武帝について書かれた本で、
紅陽侯家についてふれていないものは
眉にツバつけて読むことにしているのだが、
それは『後漢書』も例外ではない
- 79 :
- >>51-52
まーた、カルトか
どれもこれも土曜日も暇でお気楽な身分で結構だなw
そんなにカルトって土曜日も暇な奴らが多いのか
光武帝と曹操って特定しているってなんなの? 李世民と劉備は言及しない時点でバレバレ
どっちも同じマンセーして、他をディスって批判を呼び込んでいるだけなんだけどw
頭、悪すぎてもうおぼえてないのかな、被害妄想だけを原動力に生きているだろうからw
>>53の言うとおり、どうせ光武帝と二十八将のマンセーしかできない奴に用事なんかねえからよ
捏造信者サイトあたりで、マンセーマンセー語り合ってろ
- 80 :
- >>78
後漢書の方は明帝が、関与してたんだっけ?
王朝の開祖を神聖視するのは、どこも同じだしな。
建前上、高祖から続く王朝だから、余計そのような傾向に正史自体を持ってこうとするだろうな。
- 81 :
- >>78
王丹については『漢書』元后伝第六十八にも書いてある。
初,紅陽侯立就國南陽,與諸劉結恩,立少子丹為中山太守。
世祖初起,丹降為將軍,戰死。上閔之,封丹子泓為武桓侯,
至今。
王立の末子である王丹は中山太守となり、光武帝が兵を起
こした時に、降って将軍となり戦い死す。光武帝はこれを
哀れんで、丹の子の泓を武桓侯に封じた。
ということは時期的には、王郎との戦いの時に、王丹は
光武帝側についたと見るべきでしょう。中山太守が光武帝
に降って将軍になる状況は他に考えられない。光武帝は
王郎戦に勝利しますから、王丹は功臣となり、故に王泓
に封地が与えられたのではないでしょうか。
- 82 :
- >>43
そうは思えない。
まず、前提がよく分からないことがある。
そこからはっきりさせたい。
>傅玄の発言そのものについては、傅玄が生きた時代が讖緯が時代遅れとして攻撃された西晋だから
>現代の一時期、『東観漢記』の史料的価値が『後漢書』より高かった
これのソースを頼む。
ついでに、傅玄は「讖緯」に言及していない上に、讖緯とは別に劉知幾も同意している。
その上で、なぜそう思えるのか、その詳しい説明も頼む。
結論は古今にわたる曲筆の例示でも、漢書で評判の班固ですら、政治的偏向による曲筆をよぎなくされたとわざわざ特筆されていることが問題なのだが。
唐はここでは別の問題だ。
東観漢記の評判は良くない、様々な制約を免れなかったと、傅玄の言葉を肯定して、及古書院の後漢書の解題にはっきり記されている。
渡邉先生よりあなたが詳しいはずはあるまい。
- 83 :
- >史通のこれは『後漢書』劉玄伝についての、『東観漢記』にはない記述の話だよね?
>後漢の史官は全く関係ないと思うんだけど。
『史通』覈才は確認したのに、『史通』曲筆は確認していないのか?
將作者曲筆阿時,獨成光武之美;諛言媚主,用雪伯升之怨也。
且中興之史,出自東觀,或明皇所定,或馬後攸刊,而炎祚靈長,簡書莫改,遂使他姓追選,空傳偽錄者矣。
まさか、ここの文章の「時」に阿り、「諛言媚」する作者が范ヨウであるはずがない。
そんなことをする必要もなく、仮にも歴史家として高い評価を受ける范ヨウが捏造しているわけがなく、必ず典拠があったろう。
この「時」に阿り、「諛言媚」する作者は後漢の歴史家に違いない。
その後の文章の明帝だの馬皇后だのが、裏付けている。
ただし、「簡書莫改,遂使他姓追選,空傳偽錄者矣」という結果になったのが、ここでの論点だ。
俺もそう書いているように、劉知幾の時代はその露骨な歴史書が残っていたかもしれないしな。
これはどう考えても勘違いするはずもない場所と思うのだが。
なぜ、そういう質問をしたのかを説明してもらわないと分からない。
- 84 :
- >これについては政権の現状と絡んだ特筆性がなければ記されないのも仕方ないんじゃない?
これもよく分からない。なぜ、そう思うか、詳しい説明を頼む。
『貨幣の中国古代史』でも、この件について、「後漢王朝にとっては、更始政権は否定すべき存在」だの
「後漢では、王朝を正統化しようとした強い力が働いていた」とまで記されている。
山田先生は東洋史の中国古代に特に強いようであるが。
これだけの研究をされてある山田先生よりも、あなたの方が正しい、あるいは先生が間違っているというのなら、証明すべきだな。
>ただ単に光武帝が英雄という印象のためだけの記述であり、大きく信憑性を損ねている。
ただ単に他の史書と比べてどうではなく、范ヨウの採用した後漢書の信憑性が間違いなく損なわれているという事実を指摘しているだけだろ。
『違う時代の史書同士の信憑性論争なんていう七面倒くさい』ことはいやなんだろ? 俺も、ここではしていない。
- 85 :
- >君が『東観漢記』やこの時代全般の記述といった余計な部分の信憑性にまで余計な攻撃を向け始めたよう
別にそんなことを考えていないが、そういった発想自体がな。
全体的にソースの提示もなく、反論する材料も用意できず、
自分が勝手に思いついたそれらしい理屈をのべて、自分が論拠として弱いと思うから、弱いと言い立てているとしか現時点では思えないな。
>君が論争していた相手とは別人で、正直違う時代の史書同士の信憑性論争なんていう七面倒くさいことには関わりたくないと思ったし、
>「隋唐との比較に限れば」大手をふって信憑性があるとは言い難いのは事実だと思っていたので口を挟まなかったけど。
事実を黙っていたところを開き直るところが言い訳くさい。
とりあえず、自分のいったソースの提示と詳しい説明を頼む。
- 86 :
- >>54
>おまえらいいかげん水かけ論はやめろ
非常にあなたの調査は興味深いし、面白いが、俺はそんなことをしているつもりはない。
史通と後漢書解題と山田先生の史料と、他の人が翻訳・調査してくれていたコン陽の兵力の話で充分だと思っていた。
でも、あなたの調査で、東観漢記と後漢書が比較がなされ、さらに補足できたことはありがたい。
范ヨウが文章を削っているのは文章の整理か、別の意図があるのか。それはよく分からないが。
- 87 :
- そもそも范ヨウが最も参考にしたのは東観漢記かもしれんが
他の例えば、皇甫ヒツの帝王世紀や司馬ヒョウの続漢書、謝承 後漢書などの八家後漢書や後漢紀
から持ってきたらどうなるんだ?
散逸してるから確かめようがないしな・・・
- 88 :
- >>87
東観漢記だけではなく、そういうところや漢書や他の史書から持ってきたから、
東観漢記にはない後漢書の記述があるんだろ。
さすがに完全な創作はないと思う。
その中で、東観漢記以上に光武帝が美化されている記述が多数採用されてあり、
後漢の史家が阿った記述の意図的な採用や、都合の悪い記述の不採用といった曲筆の疑いが濃いのが問題。
- 89 :
- >>82
43だが、概ね了解した。
多くは私の認識の方が間違っていたと思うので、改めようと思う。
ただ、少し気になったことや、改めて主張したいことは一応主張しておく。
最初に取り上げていただいた二つの引用についてのソースだが、
前者は『晋書』武帝紀、泰始三年の十二月の末尾、「禁星氣讖緯之學」から。
泰始律令の完成が泰始四年正月のことだから、恐らくその立案の議論の中で出て来たことだろう。
官から離れていたとはいえ、泰始四年に御史中丞に起用された傅玄は当然同様の思想的背景を持っているのではないかと考えた。
また『史通』に「世言漢中興史者,惟袁、范二家。」ともあるわけで、『東観漢記』と『後漢書』『後漢紀』の間に明確な相違点を探すなら、
やはり桓譚など讖緯絡みで光武に排除された人間などをしっかり(人によっては重点的に)取り上げたり、瑞祥を減らしている点だろうと考えた。
ただ直接言及してないから確実でないと言われれば、確かにそれは認めざるを得ない。
後者については『東観漢記』がよく批判もなく『後漢書』の問題点の洗い出しに用いられることから、
曖昧に肯定的に用いられていると捉えてしまっていた、これについては謝罪したい。
二レス目に関しては返す言葉もない。
更始絡みの事ばかり考えていたので確認を怠ってしまった。
ただ、改めて確認しておきたいんだけど、『史通』で『後漢書』が『東観漢記』以上に批判されている部分ってどこだっけ?
自分も以前軽く読んだ印象のまま長らく自明のこととしていて見落としていたんだけど、
よく読むと『史通』曲筆の劉玄絡みの記述は『後漢書』を『東観漢記』以上には批判してないし
見落としているかも知れないから心当たりがあれば教えて欲しい。
三レス目前段、何故そう思ったかについては、現代でも継続性のない事実については記されないこともあるため。
例えば「ガウスの消去法」については、実際は劉徽が先に発見しているが、現代の数学との間に数学史上の連続性がないため命名上は未だ無視されている。
また、中国の歴史上も、貨幣発行については当時の「正統な政権」の発行でない限り、公孫述の鉄銭のように特異でもないと記されていない事が多い。
例えば三国時代の蜀漢の貨幣は、特殊な額面の大きい貨幣(劉巴伝にある直百銭)についての発行は正史に記録されているが、
通常の五銖銭も発行されていたと見られているのにこちらは正史に記録がない。
食貨志のない『東観漢記』では意図せずして記録から漏れることもありうると判断した。
ただ確かに、曲筆の可能性が全くないとまでは断言し得ない。
あと三レス目前段後半や、一レス目末尾などの権威論証的な論法については流石に感心しない。
後段については、前スレは見ていないので経緯は分からないんだが、あなたは
>新唐書や隋書、晋書より捏造が少ないのは確実というレスがあったが、
とこのスレの最初の方にあるとおり、これらに対する反論として論だてていたのでは?
>『違う時代の史書同士の信憑性論争なんていう七面倒くさい』ことはいやなんだろ?
と言うが、その通り、私は違う時代の史書同士の信憑性論争だと思って介入した。
違ったなら謝罪したい。
ただ、この主張そのものについては取り下げない。
大勢に影響しない、また多くの史書で修辞的に取り上げられるような例を曲筆として取り上げるのはどうかと。
他史書との信憑性の「比較」で言っているのではなく、信憑性を特に失わしめる例として『後漢書』の他の例と並べて数え上げるには不適切だと考えたまで。
更に言えば、何しろあなたも言う通り、愚かに見られる可能性のある逸話でもあるし。
四レス目、
>事実を黙っていたところを開き直るところが言い訳くさい。
そう言われても困るとしか。
上記のように前スレをほとんど見て居ないために、これまでのやりとりを前提に話されても反応しかねる故、
余計なやりとりを挟む必要がないように、まず最初にこちらの事情の説明は必要だと感じたから書いたまで。
- 90 :
- 光武帝を主人公にしたコーエーのゲームが発売されれば日本でも少しは光武帝が認知されるだろうか
- 91 :
- >>87
「素懦弱」については先行史書である『後漢紀』にも、少なくとも現在の版本では存在するみたいだね。
『後漢紀』では「聖公素懦弱,流汗不敢言。」だ。
- 92 :
- >>89
すなわち、
>君が『東観漢記』やこの時代全般の記述といった余計な部分の信憑性にまで余計な攻撃を向け始めたようだから少々突っ込むわ。
ここまで「余計な」を強調して、議論を振ってきて、
>現代の一時期、『東観漢記』の史料的価値が『後漢書』より高かった
>後漢の史官は全く関係ないと思うんだけど。
こんな重要な2点を確認もせずに間違えたまま、俺がレスするまで正さずにいたわけか。
後者などは「史通」の該当部分まであげているのにな。該当部分がどの箇所か分からないなら、問うことが先だというのに。
結果は同じかもしれんが、前スレも読まずにここまで書くことに誠意も感じられない。
前スレは検索すれば、特別なことをしなくても見つかるのに。
結局、重要なソースも片方が勘違いで、片方は断片的な史料からの憶測を重ねた自説か。
自説もよいが、漢書、後漢書と東観漢記を比べて、光武帝や劉玄に関する描写で曲筆を検証するのとはわけが違う。
傅玄は西晋時代の人だから、当然、讖緯批判の思想背景を持っていただろう(自説の推測)
だから、東観漢記を批判したのもそのせいに違いない(自説の推測)
劉知幾が、その話を歴史への政治圧力の例としたのはその背景を考えずに、鵜呑みにしたからに違いない(自説の推測)
『傅子』はほとんど残っていないはずなので、傅玄の細かい思想は確認できない。
学説の根拠もなく、これだけの情報から判断できるのは、最終的には「その可能性はなくもない」程度だ。
- 93 :
- 『自搏戰』の議論は、他の史書の皇帝も『搏戰』という描写がある上、他の時代の武将でも『自搏戰』した記録もあるので、
この事実を疑う人間は精神病であるというレスを光武帝ファンでもマンセーでもないという長文君という荒らしが延々とレス続けていたのを受けたものだ。
俺は後漢書で採用すること自体が問題だとした。
で、あなたは今度はこれはあくまで「修辞的に取り上げられるような例」だとした。
都合のいい話だ。論者が違うという言い訳で、話の流れも考えずに割り込んで、全く両立しない前提を用いて抗論するのだから。
光武帝ファンでもマンセーでもないという長文君がこれを完全に信じ込んでいたという事実は無視している。
ここに書き込むのだから、前スレは読んでいないという言い訳は通用しない。通用すると思うのなら、ただの常識知らずだ。
俺は『前スレの964』だから、前の流れがあるのは分かるだろ。
もっとも、俺は「修辞的に取り上げられるような例」なのか事実ありえるのか微妙なところを突いてくるのが、
後漢書の光武帝美化に関する質の悪いところだと思うのが、これはただの憶測による自説だから、とりたてては言わない。
以上から判断できることは、あなたは知識は相当にあるかもしれないが、自分を客観視するほどの深い思考力や相手に対する誠意がないということだ。
今後も自分が思いこんだ自説に都合にいい事実だけを並べて持ってくるだろう。
あなたはウェブで散見できる光武帝に特別な思い入れのある一人で、反射的・感情的にレスしたとしか思えない。
- 94 :
- >『史通』で『後漢書』が『東観漢記』以上に批判されている部分ってどこだっけ?
こんな質問も俺のレスを真面目に読んでいない証拠だ。俺の文章が悪いという言い訳は聞かない。
あなたは前科であまりにもひどい読み間違いを犯し、俺に説明の手間をかけさせたのだから。
>上記のように前スレをほとんど見て居ないために、これまでのやりとりを前提に話されても反応しかねる故、
>余計なやりとりを挟む必要がないように、まず最初にこちらの事情の説明は必要だと感じたから書いたまで。
それなら、なぜ、このタイミングで入ってきたのか。どのタイミングなら入れるのか。自分が誠意がないことへの言い訳に必死としか思えない。
- 95 :
- >権威論証的な論法については流石に感心しない。
感心しないとは、随分と高いところから来たな。
様々な後漢時代の研究を行い、多くの実績を重ねている渡邉先生や山田先生の言葉を借りることを『権威論証的』と切り捨ててきたか。
肝心な部分すら間違えるどこの誰とも分からないあなたと、
過去の多くの研究を背景に、長年の研究の成果から述べてある先生方の説を比べること自体がおかしい。
確かに、権威のある先生でも間違える、もしくは学会で目立つためにかなり奇をてらったおかしい学説を述べることもある。それは認めよう。
しかし、これまでの多くの研究を調べた上で学説を述べることは多くの批判にさらされるし、認められることは相当なことだ。
また、光武帝に否定的になることに格別のメリットも受けるわけでもない。
光武帝特集が雑誌で組まれた時や、光武帝ブームが来た時に仕事が舞い込んでくる可能性が下がるというデメリットは考えられるがw
先生方は正史と簡単な解説本をだらりと読んで、得意げに歴史を語る輩と同じわけではないのだよ。
とにかく、俺は先生たちが間違う可能性も考えて、機会を与えて、あなたの方が正しい、
あるいは先生が間違っているというのなら、証明すべきだと言ったのだ。
山田先生だけではなく、渡邉先生も含めていい。完璧に正しいという証明はできないが、間違いの証明なら不可能ではない。
前スレで、煽り君というコテがやっていたように。それができないのに「権威論証的な論法」と言って、
>ただ直接言及してないから確実でないと言われれば、確かにそれは認めざるを得ない
>ただ確かに、曲筆の可能性が全くないとまでは断言し得ない。
と、自分のあやふやな説を上位にあげるなど、理解できない言葉だ。
- 96 :
- ただ、
>概ね了解した。
>多くは私の認識の方が間違っていたと思うので、改めようと思う。
という前置きはあり、人格として、光武帝ファンでもマンセーでもないという長文荒らし君や、
後漢書は隋書等に比べ政治的偏向少ないは確か君たちとは、あなたは一線を画すとは思う。
もっとも、俺には誰が別人か本当は分からず、滑稽なことを書いているかも知れないということを前提にしながらだがw
また、
>また『史通』に「世言漢中興史者,惟袁、范二家。」ともあるわけで、『東観漢記』と『後漢書』『後漢紀』の間に明確な相違点を探すなら、
>やはり桓譚など讖緯絡みで光武に排除された人間などをしっかり(人によっては重点的に)取り上げたり、瑞祥を減らしている点だろうと考えた。
これはとりあえず、否定する材料を自分は持っていないことも付け加えておく。
だから、俺はあなたをこれ以上追いつめ、説明責任を問いはしない。
とにかく、しばらくよく整理して考えて欲しい。
あなた(と思われる人物)が似たような議論で蒸し返しても、もうレスはしない。
- 97 :
- このスレはレベルが高いな
こういうスレは貴重だ
- 98 :
- >>90
今のコーエーがそういうことするわけない、水滸伝すら出ないのに
無意味な仮定だと思う
また、即位後が後漢書基準では余りにも光武帝側の能力が高すぎて、ゲームバランスがとれない
他勢力の人気が無さ過ぎる
色々と文句を言ってきたのがいたが、別に項羽と劉邦や三国志のネット漫画のように、
自分でネットに漫画を書くか、動画を作るか、別の同時代の主人公でやる夫をやればいいわけで、
自作の小説すらもほとんど書かれない状況でメディアに要求しても仕方ないだろう
面白い題材と思われれば、いつかはとってもらえる可能性はある
それより、学術的な趣味の人はともかく、このスレの流れのせいで、
信者と呼ばれる人々やファンが息しているかが気にかかるところなのだが
多分、詳しく調べた人たちは薄々この事実に気づいて、明らかになっている時系列の不整合などは指摘したが、
ここまで言及している学者はいなかったので、ファンの夢を壊さないように気づかないふりをしていたんだろうなあ
無知な厨が勝手な思いこみを根拠に煽るものだから、こんなことに
あのままなら、ここまでたどりついたはずはない
- 99 :
- 343 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 13:28:13.96 ID:bsDENMJ5P [1/2]
長平はあの時代だとやられても仕方ないというか
自軍より捕虜となった敵兵の方が多ければ兵糧の問題もあるし、
裏切られた時に対応しきれないってのがあるからな
項羽ですらも降伏した秦軍に対して同じことをやっている
これをやらなかったのが劉秀
自軍2万に対して敵兵10万以上だが、逆に捕虜の人心を掌握する
つまり白起や項羽は劉秀よりしょぼい
344 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 13:37:16.88 ID:ecbzfB+40 [2/3]
そもそも劉秀より優れた名将が歴史上存在したかどうかすら怪しいだろw
346 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 14:13:34.01 ID:AKXbIadc0 [1/2]
光武帝はパーフェクト超人みたいなものだから
戦の上手さの定義にもよるけど人使いの上手さも戦の上手さの一つとかとすると対等の人なんて中華史上にはいないんじゃねえかな
キングダムスレより信者さんは凄いねw
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