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2013年07月神社・仏閣6: 【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン68【御同行】 (685) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン68【御同行】


1 :2013/06/13 〜 最終レス :2013/07/03
浄土真宗(真宗)系の全宗派の話題を包括して取り上げる総合スレの第68弾です。
「どうして浄土真宗では○○をしてはいけないの?」という素朴な疑問から批判・要望、
各宗派を取り巻く諸問題、教義・教説、堂宇・荘厳、全国各地の真宗寺院・念仏道場・
説教所に至るまで、ありとあらゆる話題を取り扱います。
阿弥陀如来から見ればみな罪悪生死の凡夫。楽しく語らいましょう。
浄土真宗各派の情報交換の場としてもご活用ください。
前スレ
【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン67【御同行】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1368713688/

2 :
★おもな宗派の名称・通称・本拠地など (●=「真宗教団連合」加盟宗派 ■=分派など)
●浄土真宗本願寺派<本派・西本願寺 門主:大谷光真>……龍谷山 本願寺 http://www.hongwanji.or.jp/
●真宗大谷派<大派・東本願寺 門首:大谷暢顯> …………………真宗本廟 http://www.tomo-net.or.jp/
 ■浄土真宗東本願寺派<東本願寺 門主:大谷光見>………本山 東本願寺
 ■一般財団法人本願寺文化興隆財団<(東山上花山)本願寺 門主:大谷光輪>…東本願寺東山浄苑
 ■宗教法人本願寺<(嵯峨野)本願寺・大谷本願寺 門主:大谷光道> ……………本山 本願寺
●真宗高田派<法主:常磐井鸞猷> ……………………………高田山 専修寺 http://www.senjuji.or.jp/
 ■真宗北本願寺派
●真宗佛光寺派<門主:渋谷惠照(笑子)> ……………渋谷(汁谷)山 佛光寺 http://www.bukkoji.or.jp/
●真宗興正派<門主:華園眞暢>………………………………円頓山 興正寺 http://www.koshoji.or.jp/
●真宗木辺派<門主:木邊圓慈>………………………………遍照山 錦織寺 http://www.cable-net.ne.jp/user/kinshokuji/
●真宗出雲路派<管長:藤光永>……………………………出雲路山 毫摂寺 http://www2.ttn.ne.jp/~izumoji-ha/
●真宗誠照寺派<法主:二條秀瑞>……………………………上野山 誠照寺 http://www.jyosyoji.jp/
●真宗三門徒派<門主:平光顕>………………………………鹿苑山 専照寺 http://www.shin.gr.jp/shokai/209.html
●真宗山元派<法主:藤原光教>………………………………山元山 證誠寺 http://www.shin.gr.jp/shokai/210.html
※「真宗教団連合」公式HP http://www.shin.gr.jp/main.html

3 :
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・念仏者は身が滅んだ後は「魂神精識」が浄土へ往生する。
・真宗念仏の証得は現生正定聚であるため、現当二世の利益を得る。
・阿弥陀如来は法性法身であり、方便法身。真理でありつつ、私達に働きかけている。
・念仏者は既に信心を得たもの未だ得ないものに関わらず真化さまざまの浄土へ往生し、
 たとい化土に生まれても必ず報土に進み成仏することが定まっている。
 よって死者の冥福のために追善供養を行う必要はない、葬式は参列者が死者を偲ぶのと、
 真宗の教えを学ぶ場である。
・法事は供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖の恩徳を思慕する場であり、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も先祖の恩徳を思慕する場
・占い、迷信、オカルトなど外道(仏教と異なる道)を事とする仏教徒を親鸞聖人は哀れんだ
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるが、信心への助け、高祖の恩徳を思うよすがとなる。
・報恩講などのお布施は、教団を維持していく必要経費また授業料と考えればよろしい。

4 :
【要NGコテ】
ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU
・かまってちゃん
・長文連投
・霊障詐欺(実際に被害者あり)

ノスタルジア◇M2SKOmkR
・キチガイ

以上

5 :
4 名無しさん@京都板じゃないよ 2013/05/16(木) 23:40:19.11
<現在の浄土真宗の教えまとめ>
・念仏者は身が滅んだ後は「魂神精識」が浄土へ往生する。
・真宗念仏の証得は現生正定聚であるため、現当二世の利益を得る。
・阿弥陀如来は法性法身であり、方便法身。真理でありつつ、私達に働きかけている。
・念仏者は既に信心を得たもの未だ得ないものに関わらず真化さまざまの浄土へ往生し、
 たとい化土に生まれても必ず報土に進み成仏することが定まっている。
 よって死者の冥福のために追善供養を行う必要はない、葬式は参列者が死者を偲ぶのと、
 真宗の教えを学ぶ場である。
・法事は供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖の恩徳を思慕する場であり、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も先祖の恩徳を思慕する場
・占い、迷信、オカルトなど外道(仏教と異なる道)を事とする仏教徒を親鸞聖人は哀れんだ
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるが、信心への助け、高祖の恩徳を思うよすがとなる。
・報恩講などのお布施は、教団を維持していく必要経費また授業料と考えればよろしい。

6 :
真宗僧侶よ、傅く事は有りませんか門徒との間で。
私はお参りが終わったら、檀信徒とは家族のように会話をしています。
よく聞く話に、住職には聞きにくいとか、怖そうでこんな事聞いたら叱られるかも、
とか思わせて、檀家との距離を置いている僧侶が多いのには感心できません。
浄土真宗の場合、門徒との距離を置かないと、先祖の事等あからさまに出来ない
話題が出る事を恐れて、意識的に門徒との距離を保っていませんか。
また月参りの時に、真宗僧侶の読経は短く、5分で帰ると云う門徒の人の話を
よく聞きますが、そんな短くて阿弥陀さんとの縁を納得できるように説明できるの
でしょうか?
偉すぎるのは問題ですね、特権階級と思い込んで、こんなのも有りましたから。

岩手県議の小泉みつお議員 病院で番号で呼ばれ激怒、
「俺は客だぞふざけるな」と恫喝2ch
「俺は刑務所に来たんじゃないぞ。中央病院の責任者!」

霊障って、血圧を上げるの知っていますか?
考え方によっては、悪魔の手による所業だが、それを産んだのは供養をしない宗教だ!
無能な僧侶には抗いようの無い運命がもたらす悲劇でもある。
渡海爺は ”暫く多忙です。” と具合悪いのを誤魔化そうとしている。
ノス坊は、此れ以後書いていないのだが、くたばったのかな、大口叩いていながら。
”674 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/06/10(月) 08:41:23.77
いじけているだけだろWWW 幼稚だなWWW ”

7 :
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について19
私は宇宙の根源に向って旅をしている。”
別れの時が来た。この命、もともと宇宙の根源大日如来よりいただいたもの。
これより大日如来のもとに帰る。私に会いたくば、遍照金剛と呼ぶがいい。必ずその人
と共にある。
その人と共に生きよう。
私は旅をするのだ。
生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く死に死に死に死んで死の終わりに冥し”
この言葉が頭をよぎった時、熱い涙が止め処もなく溢れてくるのです。
何かしら込み上げてくるものを押さえる事ができないのです。
あふれ出る感情に身をゆだね、しばしの時が流れました。
やがて我に返った時、この広大無限の空間もまた大日如来と考えるようになったのです。
そう、大日如来そのものなのだと。そして、この広大無限の空間を仏様の智恵袋として
存在しているのが虚空蔵菩薩なのだと。

8 :
a

9 :
約一ヶ月の間規制されて悶々としていました
その間の雑感

渡海さんはとにかく肩の力を抜いて自力を捨てたほうがいいと思う。
シャマタとかビバシャナとか自分が体験した事のない境地を
夢見てあこがれても他人に薦めても仕方が無い。
シャマタもビバシャナも所詮ことばで作られた仮想理想世界で現実とは違う。
渡海さんが自力を捨てられないのは自分の事を凡夫であるということを認めないからだ、
まず自分を凡夫であると深く信知することからはじめよう。

それと往生について語ってもその往生がいつなのか?
即時即なのか異時即なのかこのスレで一年半前に議論されたことについても
イマイチ態度が不明確だ。
また肝心の浄土についての言及が無いw
浄土とはなにかを語らず「浄土」真宗にはならないw

10 :
 毘婆舎那がよく煩悩を破すなら、なにがゆえぞまた奢摩他を修するや。 〜 毘婆舎那煩悩を
破せば、獨りよく破すとやせん。伴にことさらに破すとや。(大般涅槃経要文)
 奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、
共に仏道に向かえしめたまうなり(信の巻)。
 かの土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、
一切衆生を教化して、共に仏道に向かえしむるなり。(証の巻)
 親鸞さんもお釈迦さんも、とにかく肩の力を抜いて自力を捨てたほうがいいと思う。シャマタ
とかビバシャナとか自分が体験した事のない境地を夢見てあこがれても他人に薦めても仕方が無
い。
 わしをだれだと思う?肩の力を抜き、自力も捨て、自分が体験した事のない境地は決して語ら
ないほんとうに信心を得た本願寺のお坊様だ。
 親鸞さんもお釈迦さんも、わしらに比べればわしらの足下に及ばんなぁ。 
 親鸞さんもお釈迦さんも自力を捨てられないのは自分の事を凡夫であるということを認めない
からだ、まず自分を凡夫であると深く信知することからはじめよう。
 わしを見てみろ、こんなに立派に自力を捨てて、自分の事を凡夫と認めている。まずわしのよ
うに自分を凡夫であると深く信知することからはじめよう。そうすれば親鸞さんもお釈迦さんも、
奢摩他・毘婆舎那・方便力など、夢のようなものを捨て、わしのような立派な人になれるぞ。
 渡海難は、親鸞聖人にしっかり寄り添っているつもりです。
 渡海難は、親鸞聖人に寄り添っていない。寄り添ってはいけないというのであれば、そのよう
にコメントして下さい。

11 :
>>10 は>>9へのレスです。
>>10の続き
>それと往生について語ってもその往生がいつなのか?即時即なのか異時即なのかこのスレで一年
半前に議論されたことについてもイマイチ態度が不明確だ。また肝心の浄土についての言及が無
いw浄土とはなにかを語らず「浄土」真宗にはならない。
過去レスを読み、まずこれに貴方がきちんとコメントをすることが先でしょう。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1365723498/742~744,798~800,806,811,824,827~829,850

 「往生について語ってもその往生がいつなのか?即時即なのか異時即なのか」、>> 9さんが明
確に語る番でしょう。

12 :
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1368713688/653の続きです
 肉体が生きている人が、肉体の死んだ人を操作できるのか。肉体が生きている人が、
祈ったり、あるいは自分の肉体をいじめると、死んだ人が喜んだり、あるいは地獄か
ら極楽にすみかを変えたりすることがあるのか、考えて見よう。
 往生要集には何が書いてあるのか?
 往生要集 口語訳 平凡社 東洋文庫の目次を紹介する
「第六章 特定の時の念仏 第二 臨終に行う念仏の作法」という表題はある。臨終
の時の浄土教ホスピスの作法について書いてある。しかし、死んだらどうすればいい
かなどは、往生要集のどこを見ても書いてない。葬式を執行しなさいという記事はな
い。読経をしなさいとも書いてない。献花しなさいとは書いてない。焼香しなさいと
も書いてない。たくさんの人が集めて歌を歌いなさいとも書いてない。声明を合唱し
なさいとも書いてない。死んだ人が喜ぶことなど、まったくどこにも書いてないのだ。
 それでは、死んだらどうすべきなのか。それについて書いてある先人の記録は無い
のか。あるのだ。一例は地蔵和讃だ。空也上人が書いたと言われている。実際に書い
たのは、空也上人ではないかも知れないが、空也上人が書いたと言われている。少な
くとも空也上人作という伝説が維持されてきている。これが重要な点だ。空也上人の
思想そのものを仮に示していなくても、空也上人が大衆に与えた思想がここから見え
てくる。
 地蔵和讃は二つ伝わっている。最初の和讃が流布後、伝承される中でいろいろ書き
足され、今の形になったと思う。現代の形が完成品と考えれば、完成は江戸時代かも
知れない。しかし、尾ひれや修飾語を排除し、最も古いと思われる部分、つまり最初
の著者の本当の精神はどこか、これを推定することは可能と思う。その本当の精神こ
そ、空也上人の思想に最も近いだろう。

13 :
 二つの内の一つについて、地蔵和讃全文を掲げる。後にその解釈をしたいと思う。
 これはこの世のことならず  死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くに
つけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが 父恋し母恋し 
恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり かのみど
りごの所作として 河原の石をとり集め これにて回向の塔を組む 一重組んでは父
のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して 昼
は独りで遊べども 日も入り相いのその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝らは何をす
る 娑婆に残りし父母は 追善供養の勤めなく (ただ明け暮れの嘆きには) (酷
や可哀や不憫やと) 親の嘆きは汝らの 苦患を受くる種となる 我を恨むる事なか
れと くろがねの棒をのべ 積みたる塔を押し崩す その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出
てさせたまいつつ 汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり 娑婆と冥土はほど遠し 
我を冥土の父母と 思うて明け暮れ頼めよと 幼き者を御衣の もすその内にかき入
れて 哀れみたまうぞ有難き いまだ歩まぬみどりごを 錫杖の柄に取り付かせ 忍
辱慈悲の御肌へに いだきかかえなでさすり 哀れみたまうぞ有難き 南無延命地蔵
大菩薩
 ランボーなどが小躍りして喜ぶようなことが書いてあるではないか(w)。親が追善供
養していなから、お前達が苦しんでいる。成仏しないで苦しんでいる。そのように書いて
ある。
 それではこの和讃の真意は何か。精密に読んでみよう。

14 :
てすと

15 :
(ヽ,,っ    
((~。~))

16 :
渡海さん難しく考えることは無いよ
普く衆生を救うための念仏じゃがな
仏道に貢献する財力も無い、学問も無い、何より
仏道で言う救いから程遠い衆生をも救うための
本願念仏だけでいいんじゃよ
渡海さんはすでに無明の闇に惑わされる事はなく
なっているようなのであとは報恩感謝の念仏が
自然に口に出るようになればよいのですがな
念仏は諸行ではない、行住坐臥いつでも
どこでも「ありがとうございます」と自然に口に出るままありのままで
よいのですよ
現在にあの人が居ますればそうおっしゃると思います
>>11
リンク先が読めない

17 :
報恩感謝の念仏を一通り説明すると
素直に理解する人と
10年20年疑いの気持ちが晴れずに
自力のすがる人もいる
これは宿縁か
凡夫であるという信知が先でその後に十八願を疑いなく信じるという
プロセスなんだが、凡夫であると信知することは難しいですか?

18 :
経論釈を現代人がどう理解するか言葉のラビリンスに迷い込んだら
難しくなるね。

19 :
正行の中に浄土三部経を読誦する事はあるが
それ以外の経典を読むことは雑業になる。
これは選択集ではっきり述べられている
選択集は浄土門のいわば憲法
憲法を逸脱したり無視した議論などうか
皆に聞いてみたい。
ただしばらく五種の正行に翻対してもつて五種の雑行を明かすべし。
一には読誦雑行、二には観察雑行、三には礼拝雑行、四には称名雑行、
五には讃歎供養雑行なり。
第一に読誦雑行といふは、上の『観経』等の往生浄土の経を除きてのほか
の大小乗顕密の諸経において受持し読誦するをことごとく読誦雑行と名づく。
第二に観察雑行といふは、上の極楽の依正を除きてのほかの大小、顕密、
事理の観行をみなことごとく観察雑行と名づく。第三に礼拝雑行といふは、
上の弥陀を礼拝するを除きてのほかの一切の諸余の仏・菩薩等およびもろ
もろの世天等において礼拝恭敬するをことごとく礼拝雑行と名づく。
第四に称名雑行といふは、上の弥陀の名号を称するを除きてのほ
かの自余の一切の仏・菩薩等およびもろもろの世天等の名号を称する
をことごとく称名雑行と名づく。
第五に讃歎供養雑行といふは、上の弥陀仏を除きてのほかの一切の諸余の仏・菩薩等およびもろもろの世天等において讃歎供養するをことごとく讃歎供養雑行と名づく。
このほかまた布施・持戒等の無量の行あり。みな雑行の言に摂尽すべし。

20 :
>>19
誤解なきように追伸
雑業×
雑行○

また勉学のためならどのような経論釈を読んでもいいよ
ただし行としてはダメという事です。間違いなきように

21 :
>>2は偽物
<現在の浄土真宗の教えまとめ>(確定版)
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの

22 :
>>16
 親鸞さん難しく考えることは無いよ 普く衆生を救うための念仏じゃがな 仏道に貢献する財
力も無い、学問も無い、何より 仏道で言う救いから程遠い衆生をも救うための 本願念仏だけ
でいいんじゃよ
 親鸞さんはすでに無明の闇に惑わされる事はなく なっているようなのであとは報恩感謝の念
仏が 自然に口に出るようになればよいのですがな 念仏は諸行ではない、行住坐臥いつでも 
どこでも「ありがとうございます」と自然に口に出るままありのままで よいのですよ
 私をみなさいな。報恩感謝の念仏が 自然に口に出ておりますわ。念仏は諸行ではない、行住
坐臥いつでも どこでも「ありがとうございます」と、私は自然に口に出ております。私のようにその
ままありのままで よいのですよ。そうすれば、私のようなこんなに立派な信心が具わりますよ。
本当に私などは、自分にほれぼれしております。
 現在にあの人が居ますればそうおっしゃると思います
  (by >>16さんの背後から聞こえた声を書いてみました)

 渡海難は、親鸞聖人にしっかり寄り添っているつもりです。渡海難は、親鸞聖人に寄り添って
いない思う点があればご指摘下さい。寄り添ってはいけないという主張であれば、そのようにコ
メントして下さい。

>リンク先が読めない
 長文であり、既に過去の議論ですから、繰り返すつもりはありません。さがして下さい。

23 :
渡海難は、>>16 さんとは信心のあり方が違うようです。
>>19
 選択集は浄土門のいわば憲法
『選択本願念仏集』源空集 に云わく、 〜 正行を修せんと欲わば、正助二業の中に、な
お助業を傍にして、選びて正定を専らすべし。正定の業とは、すなわちこれ仏の名を称するな
り。称名は必ず生まるることを得、仏の本願に依るがゆえに、と。
 大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して、念仏成仏すべし。
      (行の巻)
ここをもって『経』(観経)には「教我観於清浄業処」と言えり。・・・・行住座臥に時節の
久近を問わず、念念に捨てざるは、これを「正定の業」と名づく、かの仏願に順ずるがゆえに。
もし礼誦等に依るを、すなわち名づけて「助業」とす。・・・また云わく、散善は行を顕す縁
なり、と。また云わく、浄土の要逢いがたし、と。  (化身土巻)
 正定の業は功徳大宝海を脱しない。浄土の要逢い難し。親鸞聖人に従うのか、法然上人に
従うのか、両者の認識の違いを明確に意識することは必要だろう。
 

24 :
(ヽ,,っ    
((~。~)) のすたるじあ〜のすたるーじあ♪(中島みゆき)

25 :
今夜の呟き
渡海爺は ”暫く多忙です。” と具合悪いのを誤魔化そうとしている。
と書いたら、すかさず書いてきたね、霊障だと思わせない為に。
偉すぎるのは問題ですね、特権階級と思い込んで、こんなのも有りましたから。
”渡海難は、親鸞聖人にしっかり寄り添っているつもりです。”
渡海難は、偉いのではなく、寂しいのかな、”親鸞さん助けて” と叫んで寄り添っているのか。


”674 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/06/10(月) 08:41:23.77
いじけているだけだろWWW 幼稚だなWWW ”
さて、ノス坊は、此れ以後書いていないのだが、くたばったようだな、霊障で。。。 。。。

26 :
第十七章 法事と供養 V
また霊供養のため、お経をあげる人がいますが、これも先にお話したような訳でよくありません。在家の人が先祖霊のためと思ってお経をあげたいのなら、次ぎに述べるような考えに心を変えて、お参りしてください。
「まず、これからあげるお経は、自分の精進のために、仏様にあげます。先祖の人(個人の名で
もよい)も、私の隣に来て一緒に、仏様にお経をあげて、精進しましょう。」
と言ってからお参りをはじめます。
決して自分の前に先祖霊をおかず、横にきてもらうのです。
霊を前において供養するのは、プロの僧侶のすることで、引導をする力の無いものは決して
してはいけません。
 次ぎに僧侶にしてもらう供養についてお話します。
始めに法事的(法事的というのは、私のところでしている法事のお参りのことですが、葬式を
終わっている霊で供養が行き届かないため、事故災難や病気・素行異常などの霊的トラブル
解決のため、葬式と同じ引導のお参りをした後、3回の法事のお参りを一気にやり解決する
方法をよく行います。
3回すると、葬式から三回忌まできちんと供養したのと同じ位の供養効果が得られる。
急ぐ時やより的確な供養を目指す時は引導してから供養をします。)
お参りを、私がしているのをモデルに解説をしながらお話します。

27 :
>>19
読誦というのは具体的にどのような行為を指すのでしょうか?
ページをめくって読むことですか、お経を唱えることですか?

28 :
他に、観察・礼拝・称名雑行・讃歎供養に関して
それに伴う身口意の三業の具体的な作法が決められているのでしょうか?

29 :
久しぶりに来たけどまだ暴れてんのかアイツ
親でも殺されたんかよ

30 :
渡海難爺て四字熟語みたいだ

31 :
ランボーが真宗スレに居座り続けるのは、やっぱり各宗派の中で
ここが一番たやすい相手だ、と思われてるからだろう
教義は穴だらけだし、布教使は無学の上に覇気もないから
しょうがいないけども

32 :
お早う  今日は6月14日です。   ノス坊は先祖霊の影響を受けて2ch書込みが無理。
652 渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 2013/06/08(土) 12:09:42.42
阿闍梨を僭称し、真言宗の厳しい修行に耐えていると嘘をつく。それはどれほど悪いことか。
657 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/06/08(土) 19:38:23.44
>>ランボー法師さま
分かりました。これからは、ほとんどの日々、こっちのスレにもちゃんと
投稿しましょう。なにせ、僕は浄土真宗の寺で生まれたのだから・・・。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
ノス坊の先祖霊は首くくっているようだ、ノス坊に感応したら、読経がままならなくなるだろう。

ノス坊はの先祖を呼んだ時 ”僕の代で三代目。だから爺ちゃんしかいない。 ” と云うが、
爺ちゃんの霊だけではなかった、数百人の先祖霊が、ノス坊側と、渡海側に居た。
首が絞められているのか、呼吸の不如意の霊もいたが、首吊りか手打ちか
引導の時に一人ずつ対処しなくては今は分からない。
往々にして霊は、死ぬ間際の苦しみを、そのまま持ち続けて例会に赴くので、
その苦しみと取り除いて、戒律を与え、血脈を与えて仏様の弟子となる葬儀の
工程を満足しなければ、到底成仏は出来ないのだ。
成仏できない霊は、子孫に気が付いて供養して欲しくて自分の苦しみと同じような
苦しみを生きている人に感応させ訴えるのだ。
それに気が付かないと、訴えられた処の気が減少して亡者と同じ病気になるのだ。

33 :
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について20
以前大日如来と虚空蔵菩薩の会話を思い出します。
大日如来が虚空蔵菩薩に話した言葉に対して虚空蔵菩薩は、
あなたの(大日如来)そこをいただいて自分が生じたのだから”と。
定説では、菩薩は如来に成る為に修行途中の仏様と伝えられている様だが、この言葉を
聴いた私は、大日如来の一部が菩薩であり、それぞれの菩薩はとりもなおさず大日如来
のそれぞれの特徴のある分身ということになる。
あたかも、太陽の光線が大日如来であり、プリズムを通過した各色が菩薩と言う事が云える。
霊界では心を分割して独立させることは容易で、身近な例を示せば、生きている人間が
人を憎むエネルギーでいとも容易く自分の霊体の憎しみだけをもった分身を作る事が出来る。
さあ、現実に帰ろう。行もあと三割お参りが残っている。
この行が私に何をこれから感じさせるのか、未知数のままだが。

34 :
法然、親鸞違いについて
両者が活躍した時系列を無視した違いの強調はどうか。
末世における衆生の救いをといたのが選択集
選択集はいわば憲法であり選択集を理解するためのテキストが
教行信証である。
法然は教科書的に書き、親鸞は内面を重視し、今で言う実存的に選択集を解説している。
キルケゴールに先立つ日本の実存主義者とでも言えるのではないか。
法然親鸞の二者択一など私には思いもしないのが正直なとことです。
師匠の認識と違うなどとは夢にも思わなかったのが親鸞ですから。
違いの強調は後の両教団による差別化または外部からの政治的理由であり
不本意な事である。
とはいえ古今の碩学が違いを比較し違うと言うなら凡夫には学問の上で抵抗のしようが無いw
渡海さんの話は毎度いろいろインスピレーションを頂いているので
地蔵和讃の続き楽しみにしていますw

35 :
>>34
>法然親鸞の二者択一など私には思いもしないのが正直なとことです。
 お好きにどうぞ。
 法然上人自身は、流罪という弾圧を受けていますが、法然上人の思想はそれ以前に完成して
いました。法然上人は、京都という、非常に仏教文化が根付いた地で伝道をしていました。
 親鸞聖人の主張は、承元の法難の後に完成しています。しかも、「摧邪輪」という衝撃的な
批判書を、明恵という著名なしかも自分と同い年の高僧が書いている。
 明恵も法然を尊敬しており、明恵と親鸞とは、比叡山でおそらく互いによく知り合ったよき仲
間であり、あるいは互いに火花を散らして衝突し合ったライバルだったと思います。しかも親鸞は、
関東という仏教が未開拓の地で伝道した。つまり、親鸞聖人の主張には法然上人にはない三つ
の要素が加わっている。流罪・摧邪輪・仏教未開拓地という三つです。これだけの要素が加わ
っている親鸞の思想が、常識的に考えても法然の思想とが同じであるはずがない。
 まあそんなことを言っても意味のないことかも知れません。法然上人の思想と親鸞聖人の思
想は、確かにそっくりですよね。お好きにどうぞ。

>地蔵和讃の続き楽しみにしていますw
     これは後ほど。

36 :
親鸞と法然の違いがどうとか下世話な話より以前に
正・雑にかかわらず五つの行に具体的な作法があるのかどうか答えろよ。
ガキでもできる適当な行でもなかろうに。

37 :
なんでこんなに偉そうなんだろう

38 :
>>35
>明恵と親鸞とは、比叡山でおそらく互いによく知り合ったよき仲間であり、
華厳宗中興の祖である明恵上人が比叡山で修行したとは考えられませんが・・・
ウィキペを見ても
> 16歳で出家し、文治4年(1188年)、東大寺で具足戒を受けた
>仁和寺で真言密教を実尊や興然に、
>東大寺の尊勝院で華厳宗・倶舎宗の教学を景雅や聖詮に、悉曇を尊印に、禅を栄西に学び、
> 23歳で俗縁を絶って紀伊国有田郡白上に遁世し、こののち約3年にわたって白上山で修行をかさねた
> 26歳のころ、高雄山の文覚の勧めで山城国栂尾(とがのお)に住み、
>遁世僧となった明恵は、建永元年(1206年)、後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜されて高山寺を開山し、

明恵上人の人生には比叡山のひの字もないようですけど

39 :
>>38
> 明恵上人の人生には比叡山のひの字もないようですけど
 そのようですね。僕の勘違いでした。失礼しました。

40 :
>>37
ほんと、無学の分際で法然や親鸞の学理や思想を解明するとかね。

41 :
>>40
偉そうなのは>>36だけどね

42 :
 地蔵菩薩和讃
 死後の話を扱っている書は、二つか三つの話が混在していると考えると分かりやすい。いざな
ぎ・いざなみの話が、墓場をのぞきに行ったという話と、産屋をのぞきに行ったという話が混在
しているのと同じ原理である。二つの話を混在させるという原理を使うと、いくらでも死後の話
を作ることができる。しかも、この地蔵和讃は、切り方が二通り考えられる非常に複雑な構成に
なっている。
 一つの切り方は、子を亡くした親の話と、子供が行方不明になった親の話が混ざっていると考
えることができる。もう一つの切り方は、親を亡くした子供の話と、子供が行方不明になった親
の話とが混在していると考えることができる。少し読んでいこう。
 「これはこの世のことならず」。こう書いてあると、ランボーなどは得意になって、ほら死後
の事が書いてある。冥界の話だ。死後の世界があるということになりそうだ。しかし、否定形の
文というのは、指し示す対象が一つではない。リアリズムをもって現実を表現しているものでは
ないということであり、寓話・教訓・想像・仮説・幻想等々、様々なものが思い浮かぶ。「これ
はこの世のことならず」とは、リアリズムではないということだ。
 「死出の山路の裾野」とは何か。もともと日本は土葬の国であり、死体を山に埋めた。古事記
・日本書紀を読むと、日本人は高天原か降臨してきた民族である。従って、死体は、山に戻すと
いう習慣があった。僕はそのように想像している。死体は、高貴な人の場合、石で囲んだ石室の
中に埋める。おそらく一般大衆は棺もなく単に穴を掘って土まんじゅうにして埋めたんだろうと
思う。「山路の裾野」とは、埋葬山の上り口という意味だ。

43 :
 「さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなる」とは何か。「さいの河原」には色々な説があ
る。僕は学者ではないから、インターネットから拾った話をひとつだけ紹介する。ここで紹介す
る説が正しいと渡海難が保証していると思われたら困る。
 現在、西院の地名で呼ばれている四条通西大路付近は、その昔には現在の天神川と推察される
佐井川が流れていた。西院の地名の由来は、現在の佐井通りに該当する「道祖(さい)大路」に接
していたので「さい」と呼ぶようになったと思われる。文献によっては「佐井」「佐居」「西院」
のこの三つの漢字が登場する。
http://blog.livedoor.jp/kyotomode/archives/51574409.html
                          続く

44 :
自分を守って、他者批判をする、それが人間(僕とあなたたちすべて)の本分。
つまり、無明の闇にいるということ。 だがその二項対立を乗り越える
人がいる。智慧の信心を獲得した人がそれだ。智慧というのは言葉の力ということ。
信心とは人が言うということ。人が言うということが、あらゆる自分の行為と矛盾がない
境地が、現生往生の境地です。それは親鸞さんは極楽を追い求める思想を言ったのではない
ことを示唆しています。言葉の力つまり智慧とは空想力のこと。あなた方が
他者批判をする時の代名詞である、妄想という言葉とは無関係です。
無明の闇から抜け出る道を、白道を示したくださった、善導大師、並びに、
法然上人の信心、それが、親鸞聖人の、智慧の信心へと、情報のアップロード
がされたのです。ランボー法師、どう思われますか? あなたの世界観では
肉体を逸脱出来なかったでしょう? 徐々に肉体が朧気になっていくことは
この概念世界では可能。まあ、ランボー法師は、返事しなくなったからね僕に対してw

45 :
つれずれに思う  老人性ニート?
私の霊障説に触発されたのか? 
昼間からの渡海難爺の書込みには老人性ニートの言葉が浮かぶ。
かって私に絡んできた酉酉420と云う名前で書き込んでいた若者宗教大学卒のニートは、
私に絡むも潰され消えてしまった、、、、、、、、、、、、、、、、、、。
しばらくの後、その酉酉420は名前を変えて極楽金剛の名で
【菩提心断徳】 五大明王 【最勝三界菩薩】
に書き込んでいた、自分で建てた隠れ家で息抜きをしていたのだ。
日中から仕事も、人生を豊かに過ごす生きがいも無く、私より若い者達が2ch性ニートでの
生きがいしか見出せないとは、何と哀れな事か、お悔やみ申し上げます。  ナムナム
渡海難の先祖霊に先日会ったが、往生とは縁遠い存在だった。
幸いにして渡海難は霊感が無くて先祖の苦しみを感じ取れなくても、子供たちはどうなのか、
孫は感受性が強い年代、霊障が有るか無いか目配せをしているのか。
渡海難よ、法然がどうの、親鸞がどうのと呑気な事を言っている暇は有るのか?
ノス坊はもともと霊の影響を受けやすい体質のようで潰れ易いが、何とか出てこれた。
これからもキチンと出てきてください、自分で宣言したのだから。


浄土真宗では往生させられない証明の実験は続く。

46 :
第十七章 法事と供養 W
◎来拝
◎護身法 これは、法をかけて身を浄め、仏様の前に出るのにふさわしい 姿となるため。
◎洒水(しゃすい) 加持をして仏様の力の入った浄水で、その場所や 供物そして亡者を
浄める。
◎結道場 法をかけ、供養にふさわしい場所とする。
◎加持供物 法をかけ亡者が食べられるようにし、人数分に数をふやす。 法をかけると、
万華鏡をのぞいたように、同じ物が連なって増えてゆく。
◎亡者を呼んで、供物をさしあげる。
◎病死・変死・水死のそれぞれをすくう浄水を亡者に注ぐ。
◎破地獄 地獄の苦しみを破る法をほどこす。
◎禮文(らいもん) 仏様を讃え敬う文。唱え始めると、天井の上のほうに、仏様がこの
部屋を取り巻くように立たれる。
供養される霊には 仏様のきらびやかな御光の中で供養を受けるのだから、これ以上の幸 
せ感動はない。
◎五大願
◎普供養・三力 三力の偈は次の通り。
 以我功徳力 如来加持力 及以法界力 普供養而住
◎前讃 仏様を讃えるため唱する。
◎般若理趣経 必ず亡者の塔婆をつくり、酒水をそそぎ開眼しておく。 過去聖霊成正覚の
偈のところで、亡者の名をよんであげる。

47 :
>>41
五つの行の作法の有無に関する答えも出来ないのに
他人に対して「偉そうに」は無いだろうに。

48 :
親鸞様という方は、一貫して、自分を空想力のない、凡夫として、まるで
聖者であることを、隠した観無量寿経の登場人物のような方であったように
思います。
しかし、この時代、溢れんばかりの、空想の材料があるにもかかわらず、
その時を見計らわんばかりに出た、数々の凡夫の渦中に飲まれて、僕は
本来の自分を出せずに、弥陀の化身として凡夫と同じように機能しています。
浄土教というのは、凡夫という存在が確かにいることを証明するために
必要だった、凄まじい、教えであるように思うのです。
浄土真宗というのは、ある意味、凄まじい、矛盾を抱えた宗派であります。
その矛盾の根底に、親鸞聖人の、凄まじい、苦悶がある。自分を押し殺して
まで、仏教に帰依された、大僧侶であるように思います。
しかし、ここで転換点が必要な気がするのです。御経を作らないといけないのです。
その前に、お釈迦様のことが重要になります。仏になられた方である、お釈迦様は、
説法を説いて回りました。それが、どういうことなのか? つまりお釈迦様も
自分を押し殺して、この世界で生きられた方なのです。つまり表があれば裏がある。
表も裏も、ノートなのです。つまりノートに書き記すということが、どれだけ
重要なことか、それが御経であり、キリスト教の聖書であるのです。
僕は、仏教は表、キリスト教は裏であると思っています。この幅広い、空想の材料を
駆使して、僕は何を書くのでしょうか? それが見る者と、見せる者の違いです。

49 :
阿弥陀一仏を差し置いて、親鸞に神々しいものを求める。
それも悪くなかろうw

50 :
知識帰命

51 :
 五に大叫喚地獄といふは、叫喚の下にあり。 〜 熱鉄の利き針、口舌をともに刺して、啼哭
することあたはず。また別処あり。受無辺苦と名づく。獄卒、熱鉄の鉗をもつてその舌を抜き出
す。 〜  眼を抜くこともまたしかなり。また刀をもつてその身を削る。刀はなはだ薄く利き
こと、剃頭刀のごとし。かくのごとき等の異類のもろもろの苦を受くる。
 殺・盗・婬・飲酒・妄語の者、このなかに堕つ。獄卒、罪人を呵嘖して、偈を説きていはく、
「妄語は第一の火なり。なほよく大海をすら焼きてん。いはんや妄語の人を焼くこと、草木薪を
焼くがごとし」と。{云々}また十六の別処あり。そのなかの一処を受鋒苦と名づく。
ランボーの閻魔帳を見てきたが、お前は極楽往生とは縁遠い存在だった。
幸いにしてランボーは霊感が無くて地獄の閻魔帳を見ることができない
ようだが、それで済むのか。
 ランボーよ、他人の心配など呑気な事を言っている暇は有るのか?
 お前は死んだら、大叫喚地獄に真っ逆さまだぞ (w

52 :
>>49 空想力の極地として、弥陀一仏の他力本願が僕たちをとらえてくれる、
しかしそれは、弥陀一仏に逆らう者であろうとも、弥陀一仏は救ってくださる
とは思わない。つまり第十八番目の願いが、彼ら、逆らう者たちを絶対に
救わないということ。聖者であることを隠さざるをえなかった、凡夫の烙印を
おされた方たちがたくさんおられるように思う。親鸞聖人を筆頭として・・・。
求めているとかじゃなくて、親鸞は、神々しいのが分からないんですか?

53 :
『浄土論』にいはく、「観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海」とのたまへり。
この文のこころは、「仏の本願力を観ずるに、まうあうてむなしくすぐるひとなし、よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ」とのたまへり。「観」は願力をこころにうかべみると申す、またしるといふこころなり。
『一念多念文意 』WikiArc

54 :
浄土真宗はR差別に加担した歴史を反省すべきですね。

55 :
>>53
「見」「知」「識」とかじゃなくて「観」というところがミソ、かな?

56 :
>>52 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/06/14(金) 19:03:15.42
> 親鸞は、神々しいのが分からないんですか?

ばかノス坊よ、親鸞はただの不成仏霊。
アホな事書くから、返事しないだけだ。
お前らの経典で衆生が救われる事は皆無だ。
名無しさん@京都板じゃないよ sage New! 2013/06/14(金) 18:28:48.50
病苦にさいなまれるものには、まずカルマと転生について説かねばならぬ。
こんな古臭いカルマなんて知ったかぶりな奴もいるが、それを論じて
劣悪なウイルスに集団感染した人を救えるのか、馬鹿もいい加減にすれやノス坊よ!

57 :
(^O^)ノス棒ピンチ

58 :
>>48
親鸞「やれやれ、キリスト教を語らなければ
    仏教や真宗が理解できないややこしい時代になったのか。
    まあ、それも仕方ないかのう・・・。」

59 :
>>47
いや質問してる分際で「答えろよ」っていうのはどうみても偉そうなんだが・・・

60 :
今朝の一言    ツイッターで暴言を繰り返していた復興庁の水野靖久参事官(45)
私も、此処に書き込んで以来浄土真宗のそまつな教義、僧侶の努力無しで往生できる
と云う珍説教義に違和感と憤慨を覚え、真宗は米櫃宗派と批判し軽蔑を書き込んで
いたのだが、未だ本願寺からの苦情もRも無いのは、私の批判を認めたと言う事か。
少しでも目で見える状態で真宗教儀の往生が嘘っぱちだと言う事を証明する為に、
ノス坊と渡海難爺の先祖に訴えた。
両家の先祖霊は数百人来たが、いずれも苦しみの差はあっても、首吊りなどのトラウマで
未だ霊界でも苦しんでいる事実が分かり、ノス坊と渡海爺に解決してもらえとそれらの霊を
帰したところ、今まで元気に言葉強く長文を書き込んでいたノス坊の書込みは途絶え、
渡海爺は多忙を理由に書込みが途絶えた、、、、、、が、私が霊障で彼らは書く事が出来ない
と書き込むと、多忙を宣言した渡海爺は、忙しさは何処に行ったの?と思うほど書き込んだ。
ノス坊は、数日の休養で霊障の衝撃が癒えたのか、言語明瞭意味不明で書き込みだした。
ミッション真綿締めは、ゆっくりと、そしてじっくりと効果が出てきる。
彼らの書込みは何時まで続くのか、絶えた時が霊障でままならなくなった時なので、
長い目で見てゆこう。
霊障は、自律神経を狂わされ、注意力を奪われ、頭痛や精神不安、ヒステリー症状、
支離滅裂な行動が起きるので、注意を喚起しておく。

61 :
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について21
99座目のお参りが終了しました。
求聞持法のとんでもない秘密を感じ取りました。
求聞持の真言は脳内にma・trix を構築若しくは改造して構築しているのです。
次元を超えたma・trix を。 
私たちは仏様の子であり、弘法大師も大日如来のもとに帰る、と最後の言葉を残したの
ですが、仏様の空間(多次元)より抜け出すには、映画キューブ より抜け出す事が難
しい事を感じ取りました。
言い換えると、沢山の異次元の交差点を持った メビウスの環 と考えられるのかもしれません。
大日如来はそれを自分の体内にお持ちで、人間はその環の中に生きている。
そして、どう振舞うかを観察している と。
弘法大師は飛び級をした天才ですが、この求聞持法に接して、超人的な頭脳を身に着け
て異次元さえも深く理解し、唐に渡り密教の奥義を短時間で学び取ったのも、事前に
仏様とのパイプを太くしていたからと考えられます。
密教の偉大さを学び取る為に、虚空蔵菩薩求聞持法を利用していたとは、驚き以上のもの
があります。
ゆえに、人によっては虚空蔵菩薩求聞持法を求聞持聡明法と言う表現がされるようです。
まだまだ修行が足りませんが、老体に鞭打ち密教の神秘を感得してゆきたいと思います。
自分なりに 虚空藏菩薩能滿所願最勝心陀羅尼求聞持法(正式な呼び方)を修させて頂き、
その感じた所は妄言に思えるところも多々あるでしょうが、自分の五感を越えた全ての
感覚を駆使して感じ取ったものなのです。

62 :
真宗スレが盛り上がってる

63 :
来年に新門が門主の座に就くんだね。
世襲だからどんなアホでもなれるよね。

64 :
>>31
ランボーが真宗スレに居座り続けるのは一番たやすい相手だからではなく、
一番の商売敵だからさ。自称「ランボー寺」の周囲には真宗門徒が多いん
じゃないのかな。いかに取り込むか必死なんだろうよ。
ランボーの強みは「俺は実際見てきたから」だから、どの宗と宗論しても
強いと思うぜ。ただし誰も見れない見る事の出来ない世界だけどな。

65 :
>>13,42
 地蔵菩薩和讃
 入り組ませて複合化してある文章は、それぞれの話ごとに分解するのが原則です。産屋に覗き
に行った話と、墓を覗きに行った話とを混ぜ合わせ状態で読むことも大事ですが、分解して読むこ
とも重要です。地蔵菩薩和讃も分解しましょう。
 これはこの世のことならず  死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 〜 十にも足らぬ
おさなごが かのみどりごの所作として 河原の石をとり集め これにて回向の塔を組む 一重
組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して 昼
は独りで遊べども 日も入り相いのその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝らは何をする  〜 
 くろがねの棒をのべ 積みたる塔を押し崩す その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出てさせたまいつ
つ 汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり 娑婆と冥土はほど遠し 我を冥土の父母と 思うて
明け暮れ頼めよと 幼き者を御衣の もすその内にかき入れて 哀れみたまうぞ有難き いまだ
歩まぬみどりごを 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲の御肌へに いだきかかえなでさすり 哀
れみたまうぞ有難き 南無延命地蔵大菩薩
 西院御所のある佐井川の河原で十歳にもならない小さい子供が、石遊びをしていました。親御
さんはいらっしゃらないようです。死に別れたか、迷子になったのでしょう。小石を積んで一生
懸命祈っていました。
 坊やは、お坊さんの話を、お父さん、お母さんから聞いていたのでしょう。法華経はこう言い
ます。「今正しく是れ其の時なり 決定して大乗を説く〜童子の戯に沙を聚めて仏塔と為る。是
の如き諸人等皆已に仏道を成じき」、と。坊やが言うには、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、
弟のために石を積むんだそうです。
 一つ積んでは、どうかお父さんが幸せでいますようにと祈るそうです。二つ積むと、どうかお
母さんが幸せでいますようにと祈るそうです。三つ積むと、どうかお兄ちゃんと弟と自分が幸せ
でいますようにと祈るそうです。そんな風に一人で遊んでいました。

66 :
 友達もいないようでした。昼間は一人で遊んでいました。夕方になると、河原の管理人さんが
見回りに来ました。「こら、お前達。こんなところで何を遊んでいたんだ」と、恐い顔をします。
恐い棒を持ち、その石の塔を整理してしまいました。
 その時、見知らぬ一人の坊さんがどこらともなく現れました。
 「坊や。お父さん、お母さんもいなくなってしまったのかい?。お父さん、お母さんのいると
ころは遠い所なんだろうね。よしそれじゃ、おっちゃんを新しいお父さん、お母さんと思って、
おっちゃんのところにおいでよ。」
坊さんは、着ている服の中にその子を包むと、優しくその子をさすります。その姿は、実に感
動的でした。歩くのがやっとという足取りの子を、おもちゃの鳴り物の柄に捉まらせませると抱
え込みました。その優しさは、本当に感動的でした。南無延命地蔵大菩薩。
 地蔵菩薩和讃の中に組み込まれている話の一つは、凡そ以上のようなものでしょう。作者は、
重要なメッセージを送っていると思います。(続く)

67 :
嘘でも「俺は見てきた」と主張すれば、
他の誰も見てないから反論できないからな。
アメリカが「これが月の景色である。」と主張するのと同じでw

68 :
どうしてこのランボーさんなり難度さんなりがこの真宗の板にはりついているのか。
おそらくこれは真宗というより阿弥陀の力だろうとこの頃考えるようになった。
親鸞さんが本典に信順を因となし疑法を縁としてーーーとある。
疑法を縁として彼らとつながっておられる。普通は切り捨てる。真宗側の人間もそこを知っているから
ある時は褒め質問し貶し彼らと念仏の縁を持っている。いやはやこの宗派はすごいな。

69 :
仏を仏たらしめている働きの法こそ仏教の核心根源だと思う。
釈迦や阿弥陀を通して親鸞さんと言う人物は法に触れているはずだけど
その証拠の箇所がやはりあった。浄土和讃に
無明の大夜をあわれみて法身の光輪きわもなく無碍光仏としめしてぞ安養界に影現する
さらに久遠実成アミダブツ五濁の凡愚をあわれみて釈迦牟尼仏としめしてぞがや城には応現する
要するに法が阿弥陀となってあらわれ、さらに阿弥陀が釈迦となってあらわれていると理解している。
やはり根本は法だな。この法こそ釈迦を仏たらしめ、阿弥陀を阿弥陀仏たらしめている根源だ。

70 :
さっさと追い出せないのは真宗僧侶の能力が足りないからだよ
いろいろ言い訳しても無駄w

71 :
仏教、真宗は自殺をどう考えるのですか。殺生はどうしていけないか。
命は尊いのかどうか 

72 :
肉体の生死でしか命を捉えられない宗派に
尊い云々という概念があると思う?

73 :
>>70
アンチのお前が言うなってw
ここドコだと思ってるのってw 誰もが使える2ちゃんだぜ
真宗教団公式HPの掲示板じゃないぞここは。
無責任なレスも成りすましも有り得るのがここだろ

74 :
そうそう、それを分かった上での書き込みだよ。

75 :
>>71 72
仏教の細部までは知らないが
真宗は自殺はうやはりすべきではないと言うだろう。
だからと言って自殺した者は阿弥陀仏は救わないとはなっていないし
浄土往生から逸れるとも言っていない。ただし煩悩の凡夫を憐れまれて
成仏された阿弥陀仏を悲しませる事になるし、幾たびも重なってくれた
「命のつながり」を無駄にした事になる。
救いから漏れる訳ではないが、凡夫の側からすれば阿弥陀仏に願われたいのち
を粗末にしたというケースがほとんど(=全てではないが)だろう。
>殺生はどうしていけないか。
成仏の因を阻害するからである。逆に言えば対象が成仏できる可能性を
奪う事にもなる。他にもまだあるが簡単に言えばこう。
>命は尊いのかどうか
尊い。それはその命一つだけのものではないから。 連綿と続いてきた命の集合体ゆえに。

76 :
命を尊いと思わないから平気で肉を食べるんですよw
あ、魚もねw

77 :
>>74
もう真宗板も2・3年前あるいはそれ以前のような教義解釈で感心した頃の
掲示板ではもうない。ランボーが来始めた頃にはただの落書き帳と化して
きたから存在意義もさほどない。
ただし、ランボーの押し付けてくる世界観は信用できんがな。

78 :
>>76
どうやったら「命に感謝などしない」チミが牛豚鳥魚を食べる連中を批判出来るんだい?

79 :
>>66
どのようなメッセージだろうか?
これほど引き伸ばしてあくびが出るようなオチだと承知しないよw
飛び上がるような驚きの解釈をお願いいたします。
ちなみに西院は私が昔一時住んでいたところ。
今はにぎやかだけれど歌が出来た頃は寂しい所だったんだろうな。

80 :
>>56 なんでランボー法師はそんなに偉そうなんだ? 僕なんかしたか?

81 :
>>78
批判してないですよ。
普通のことを普通に言っただけですよ。
きみも「感謝しているごっこ」でしょ?
人に殺させておいて、自分で殺して食べるわけでもなし。
人間はそういう偽善の世界でしか生きていけないんですよ。

82 :
「感謝したから食べていい」という傲慢
「感謝」という免罪符

83 :
自分が動物を食べる時は「感謝!感謝!」。
しかし自分が腹を空かせたライオンに食べられるのは嫌です。

84 :
親鸞聖人は、極楽往生なんて言っていないぞ!wwww
浄土真宗では現生往生って言っているんだよ。
浅い知識しかない、僕が言うが、現生というのは、この現実の生ってこと。
そこで往生が叶うっていうんだよ。そしてね、無上涅槃も出来るって、
教行信証の証巻に書いてある。小難しい世界観ではないんだ。
みんなを苦しめるものではないだ。浄土ってのは神の国なんだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9B%BD
↑ここの、仏教の所を見てくれ、天国に浄土宗の極楽浄土を当てている。
法然さんの信心と、親鸞さんの智慧の信心、違いはないが、浄土真宗では
現生往生を言っている。なぜか? 言葉なんだよ。言葉によって、
無上涅槃にさえ、至れるんだよ。往生が極楽になるわけではないんだ。
往生するということは、けっして極楽の認識ではないんだ。
ってことは、親鸞さんは、自力作善の往生をしたのか?しかしそんな落ちぶれたことでもない。
難しいなーwww

85 :
親鸞のまねごとをして「俺は信仰が深いぜ!」。
まあええんちゃう?凡夫だから。

86 :
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1338362039/
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/sci/1343186548/
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1370752416/l50
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1369715823/l50
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1370042635/l50
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1368776230/l50
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1354950251/
↑僕が書いているスレッドの一部www
信仰というのは、言葉の量。しかしただぐだぐだいう人種ではない僕にとって、
それは、正しい信仰の表明なんだ。親鸞のまねごとという言葉で済まされないほど
書いているwww 誤解しないでくれwww

87 :
お話を聞けば聞くほど、寺院に長い間住めば住むほど
「聴聞を積み重ねた」感が形成され、思い上がるものです。
これは意識的に形成するものではなくて無意識的に形成されるものです。
この無意識的な業のはたらきというものが
我々が生きていくうえで大変恐ろしいのです。

88 :
>>77
>教義解釈で感心した頃
そんな頃あったか?
真宗僧侶がまともな話から逃げたのは何度も見たが

89 :
>>86 まあめんどいことになるから、ランボー法師には、俺が実は、もう凄いことを
していることを、あまり知らせたくなかったが、どうやら、これも必然の流れらしい。
>>85に86は書いたのだ。
>>81 偽善の世界から落ちないようにwww ご用心を・・・。
無明の闇にまた落ちぶれることはないと思うが、南無阿弥陀仏に裏切らない限り。
まあそれでも、偽善者はまだ、腹黒さんなんだがね・・・。言葉を書き記してこそ、
弥栄の国、言霊の国、日本は栄える。霊魂がどうのこうのの話をしているわけではない。
ダニエル書の作者にしても、ヨハネのいろいろな書にしても、親鸞にしても、
それぞれのお経の作者にしても、世親、無着にしても、最近では西田幾多郎にしても、
みんな、いくべき場所にいくために、しのぎを削ってでも、言葉を出している。
そういう人たちが、今の世という、準繁栄した言葉の、概念世界を作られたww
ただ、言葉を出しているんじゃないんだ。行くべき場所のために、命がけで
言葉を書いているんだ。それが他力本願、十八願ということ。
最終的に親鸞一人を救うものであったと言わしめた根拠は、彼の言葉たちにあると
連想してみた。

90 :
>>81
なんだチミの言う事は「みんな、偽善者ばっかりだ」→「各々、縛られず勝手に生きるべきだ」
に聞こえるが。
最初っから感謝出来るやつなんているかっての
皆最初は「感謝させられているごっこ」だよ。
幼・保・小の「感謝させられているごっこ」から恩を知り感謝となるのも
いれば礼儀作法で感謝の姿を取るのもいれば、時間の無駄と考えるのも
出てくる。
>人間はそういう偽善の世界でしか生きていけないんですよ。
ある意味怖いな、そういう"投げ出した"虚無感は。
偽善ではない正義だと押し通す者が生きる(怖い)世界もある。
偽善に溢れていると知り、少しでもそこから離れようという者が生きる世界がある。
偽善の世界でしか生きていけないと言い切る者の世界もある。
チミがそう思うのは勝手だが、押し付けないでくれよ。
俺は「人間は偽善の世界にしか生きられない」とは思わないのでな。

91 :
>>71
 真宗はどう考えるのかということだな。質問は、「親鸞は」と置き換えていいな。
 親鸞は、自殺について直接言及していない。しかし、自殺しなければならないというのは、な
にかよほど大きな困ったことがおきたときだろう。自殺しなければならないようなときはどうす
る。親鸞は教えているぞ。
 世にくせごとの起こり候らいしかば、それにつけても、念仏を深く頼みて、世の祈りに心を入
れて、申し合わせ給うべしとぞ覚え候。 〜 わが御身の料は、思し召さずとも、朝家の御ため
国民のために、念仏申し合わせ給い候らわば、目出度う候べし。往生を不定に思し召さん人は、
まず我が身の往生を思し召して、御念仏候べし。我が身の往生、一定と思し召さん人は、仏の御
恩を思し召さんに、御報恩のために、御念仏、心に入れて申して、世の中安穏なれ、仏法弘まれ
と、思し召すべしとぞ覚え候。よくよく御案候べし。
 自殺に限らないが、世の中で困ったことがあれば、自分一人で悩まず、それをきっかけとして
互いに話合い、合同して念仏を称えてみて下さい。念仏を称えるとき、自分には仮に心配の無い
人は、国のため、国民のため、人々が幸せになるようにと願いつつ、合同して称えていただけれ
ば素晴らしいことと思います。自分が心配で、不安でならない人は、どうか自分の問題が解決し
ますようと思いながら念仏を称えてみて下さい。自分は大丈夫だ。心配ないと思う人は、仏のご
恩を思いながら、感謝しつつ称えてみてください。どうか世の中に平和が来ますように、仏法が
弘まりますようにと、そんな思いで称えて下さい。十分にお考え下さい。
 念仏会は念仏三昧を行う。つまり念仏会五会念仏を称える。一念念仏と多念念仏を称える。称
えたらどうするのか。フリートーキングを行う。困っていることを自由に話し合ってみてほしい。

92 :
>>89
あなたはランボーに無茶苦茶言われてるのに決して怒らないね、
もともと温厚な性格かな?
でお寺を継いでいるの?何歳なの?

93 :
>>88
茶化すなら他を当たってくれ
真宗僧侶真宗僧侶って、アンチは常套句だが門徒は劣っていて僧侶が賢いのか?
そういう考え方しかできないんだなチミは。

94 :
>>91
 仮とい、なき事なりとも、人、申し候わば、当座に領掌すべし。当座に詞を返せば、ふたたび
いわざるなり。人のいう事をば、ただ、深く用心すべきなり。是に付きて、ある人、「相互いに、
悪しき事を申すべし」と、契約候いし処に、すなわち、一人の、悪しき様なること申しければ、
「さように存じつれども、人の申すあいだ、さように候う」と、申す。此の返答悪しき、との事
に候う。さなきことなりとも、当座は、「さぞ」と、申すべき事なり。
 どんなことでも自由に話していいようにしようと決めたら、まずそのように了解すべきである。
相手が何かを言えば、直ちに言い返してはいけない。直ちに言い返すと相手はもう口を開かなく
なる。
 相手の言うことをよく聞いて欲しい。「互いに何を言ってもいいと言うことにしよう」。そう
決めた後、悪口を言われた相手が「あなたね。そのように言ってもいいかもしれないが、ほんと
うはこういうことなんだよ」と反論した。こういう返答はいけない。まず最初はどんな場合も、
「なるほど」と、そのように受け答えをしなさい。

95 :
>>82
いや別にいいよ キミに感謝を無理強いする気も無い
恩を知らずに若しくは恩を否定しての感謝もないからね。
或いは、知恩の感謝ではなくても美徳礼儀作法としての感謝の様も嫌のようだし。

96 :
>>95
お前らさっきからなにもめてんねんw
カタツムリが牛の角の上で争うような低次元の争いだなw

97 :
>>92 怒ってもしょうがないでしょう? 怒ったら、相手は不機嫌になる。
不機嫌になったら厄介だ。それは絶対にそのような人々しかいないから。
また、ランボー法師はそのような人であることを示唆することが文章に
如実にあらわれているから。何か違和感を感じるんですよ。
僕は浄土真宗の寺にいます。ですが、真宗学院金沢別院に通っている身です。
そして、寺の檀家参りをしています。それ以外の空いた時間は、自由なので、
図書館や本屋に行ったり、古本屋(BOOKOFFなど)に行ったり、しています。
まあ、呑気に楽しんで、過ごしているので、ストレスはなく、怒るということは
相手が機嫌が悪いことであることを知っているので、別にそこにわざわざ入り込む
ほどの忍耐力はありませんし、これでいいのですwwここは忍土だが・・・。
だが、仏教をやっていると、楽になりたいと思うのかもしれない。快楽ではないですけどね。

98 :
>>97
>僕は浄土真宗の寺にいます。ですが、真宗学院金沢別院に通っている身です。
そして、寺の檀家参りをしています。
 それならもう少し、先人が書いてくれていることをもうすこし丁寧に読んだら
どうだ。
 自分の妄想の中に固まるのではなく、歴史的先人の主張に謙虚に耳を傾けても
損はないだろう。

99 :
>>96
これが揉めているように見えるのか。
カタツムリが牛の角の上で争う生存競争が低次元だと言えるのか さすが人間的。
核や大量殺り兵器で万単位の命を消し百年以上も禍根を残し、地球そのものを破壊
できる争いなら高い次元で有意義だと言ってくれそうだな。

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