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2013年07月日本史7: 【阿曇氏】海人族【宗像氏】 (150) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【阿曇氏】海人族【宗像氏】


1 :2011/09/29 〜 最終レス :2013/07/03
謎多き海人族について語るスレ
海人族とは何者だったのか?

2 :
天孫族のことだろ? 
違うの?

3 :
海人族?
海の海人ゾネス集団か?

4 :
エロい集団だな

5 :
古代海洋豪族

6 :
大陸系の他にも南方系とかもいたんだろうなあ

7 :
阿曇磯良

8 :
阿曇浜子

9 :
安曇比羅夫

10 :
宗像氏

11 :
和珥氏

12 :
息長氏

13 :
高橋氏

14 :
阿倍氏

15 :
吉備氏

16 :
久米氏

17 :
尾張氏

18 :
海部氏

19 :
賀茂氏

20 :
佐伯氏

21 :
三津氏

22 :
物部氏

23 :
フェニキア人

24 :
足利尊氏

25 :
宗像氏、素戔嗚尊の末裔。
宗像氏の配下に入った安倍宗任の末裔とは、姻戚関係持ったの?

26 :
【家船】水上生活民【モーケン族】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1327100191/l50

27 :
【山岳民族】山・高地の習俗・伝説【山の民】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1329653515/l50

28 :
南方系…南方…ミナカタ…ムナカタ?

29 :
>>9
阿曇連氏は、大和政権内での高橋氏との勢力争いに敗れて、朝廷では没落
したのでしたっけ?

30 :
>>17>>18
海部と言う地名はこの尾張国の他に筑前国宗像郡・伊都郡・那珂郡、阿波国海部郡・
那賀郡、土佐国高岡郡、讃岐国山田郡・三野郡、伊予国伊予郡・宇和郡、安芸国
安芸郡・佐伯郡、紀伊国海部郡・那賀郡、豊後国海部郡、丹後国加佐郡などに
みられますが、天火明を始祖と伝える丹後一宮社家海部氏と尾張氏の系図名が
一致することからみて、丹後を経由して尾張に東遷してきたのでしょうね。

31 :
>>29
神武東遷の水先案内人を務めた椎根津彦を祖とする青海首氏は、阿曇連氏の
庶流だったのかな?

32 :
阿雲(アズミ)、綿津見(ワタツミ)、穂高見(ホダカミ)
神武天皇ー彦火火出見、手研耳命、岐須美々命、神八井耳命、
     研耳命 、彦八井耳命、綏靖天皇(神渟名川耳)
 安曇族は、ミ・ミミ族である。

33 :
>>32
チチダス・ミミ思い出したおっ!w

34 :
>>33
わたしゃ、日吉ミミだねpp

35 :
>>32
景行天皇が九州熊襲征討途中に討伐したとかいう豊地方駅館川・山国川の上流域の
ツチグモと蔑視表現されている縄文系原住民?残賊鼻垂族・耳垂族というのも
紀に記録されておるよ。
『残賊あり。一を鼻垂と曰ふ・・・・菟狭の川上に屯結めり。二を耳垂と曰ふ・・・・是れ、
御木の川上に居る。・・・』(日本書紀、景行天皇紀)
つまり『ミミ』は尊称美称とは限らないよ。

36 :
>>32
>神武天皇ー彦火火出見・・・・・・
神武天皇と後世に名づけられた伊波禮毘古は、紀の一書では
『神日本磐余彦火火出見尊』とあり、祖父の山幸彦も彦火火出見。
つまり天孫瓊瓊杵の家系もミ・ミミ族なんだね。

37 :
陶津耳もミミなんだが

38 :
>>32
阿雲氏が新羅の王族の出というのは、根拠がある説なの?
395 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/05/07(月) 21:20:57.69
どちらも新羅の王族を祖とする。
出雲大社 その11
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1328787203/394-395

39 :
>>11
鰐即ちサメを氏名とする和邇氏も、海人族の一派だったの?
34 :日本@名無史さん:2011/09/11(日) 18:45:04.60
>>27
和邇氏は原始的な水軍とか、河川交易をやっていたのではなかったか?
豪族について
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1301977167/27-34

40 :
>>38
海人族安曇氏の祖神志賀大明神こと安曇磯良が、鹿島・春日社の御祭神と
同一神なの?
413 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/05/10(木) 16:01:32.05
安曇磯良は、筑前国では志賀大明神。常陸国では鹿島大明神。大和国では
春日大明神とも称され、志賀島(シカノシマ)を鹿島と考える伝承が・・・・・・
出雲大社 その11
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1328787203/394-413

41 :
辰韓人と弁辰人
魏志韓伝にみえる、辰韓と弁辰の人種的違いに関して考えてみたい。
現在半島南部の古代人骨に関して、勒島、煙台、礼安里などの資料が知られているが、
いまだに全体像と言えるものはわかっていないように思われる。
調査結果を見ると、日本の古墳並行期の礼安里は日本の渡来系とされる人骨にちかく、
弥生中期並行期の勒島は在来系とされる人骨と渡来系の中間、
縄文並行期の煙台は縄文人を思わせるものがあるという。
http://kaken.nii.ac.jp/d/p/16570197
半島南部の種族的性格に関して、最も古い東夷の記録である魏志の韓伝はどのように記録しているか見てみよう。
まず前提として、韓伝の辰韓条と弁辰条について、イリヒコ氏の説をとる。
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/zatu/zatu02.html#tetsu
辰韓弁辰に関する人種的記述を見てみる。
辰韓:男女近倭、亦文身。
弁辰:其人形皆大。(衣服潔清)長髮。
弁辰については
弁辰與辰韓雜居、亦有城郭。衣服居處與辰韓同。言語法俗相似、
のように、辰韓との対比によって表現している。
このことからするに、弁辰の人種的記述も辰韓に対する比較で書かれている可能性が高いのではないか。
そう考えると、辰韓人は弁辰人に比較して、長髮とは言えず人形も大きくないと言うことになる。
辰韓人が倭人に近いとすれば、倭人もまた弁辰人に比較して、長髮とは言えず人形も大きくないと言うことになろう。

42 :
長髮とは言えないと言うことはどのように捕らえればよいだろう。
ここで文身に注目する。
倭人もまた中国人にとって文身を特徴とする人々であり、倭人伝において
男子無大小皆黥面文身。(中略)夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害。今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。
と記述され、倭人の文身は倭水人(海人族)の潜水漁法と関連付けられ、また中国南方の斷髮文身と結び付けられている。
おそらく中国人にとって、文身は斷髮を連想させるものではなかったか。
それゆえに弁辰の長髮という記述が出てくるのでは無いだろうか。
実は韓伝に引かれた魏略に下記のような記述がある。
「我等漢人、名戸來、我等輩千五百人伐材木、爲韓所撃得、皆斷髮爲奴、積三年矣。」
これは辰韓廉斯[金齒]がその邑を出たところで出合った、漢人戸來の言葉とされている。
戸來らは韓に捕まり、斷髮してその奴となったのである。
状況からしてこの韓は辰韓であろう。
この伝説がどの程度信憑性があるかは分からないが、中国人の想念の中で辰韓人と斷髮が結び付けられていたことを物語るものであろう。

43 :
では人形が大きくないとはどのような実態を示すのだろうか。
弥生人の人骨研究から、弥生人には在来系(縄文系)と渡来系の二種類があると言われている。
韓伝で倭と呼ばれている人はどちらに属するのだろうか。
文身に対する倭人伝の記述からするに、ここで倭人を代表しているのは、倭水人と呼ぶべき人々であろう。
日本では北西九州型弥生人が在来系と呼ばれる人々で、壱岐の人骨もこれに属する。
倭水人として倭人の特徴を代表したのは、在来系(縄文系)の人々ではなかったろうか。
これに対して弁辰狗邪国と思われる金海には、礼安里に代表される人々がいて、これは渡来系弥生人に似ているとされる。
これらのことから、三世紀の半島南部には、日本の在来系と渡来系に相当する二種類の人々がいたことが想像される。
縄文期の結合式釣針の分布は、北西九州から半島日本海側に広がっている。
半島日本海側といえば辰韓の中心「斯盧」=「新羅」=「慶州」を思い起こす。
縄文期からこの地域は縄文人と交流があったとすれば、辰韓人が縄文形質に似た人々であっても不思議はないだろう。
またおそらく弁辰人は、それとは見た目の異なる、渡来系弥生人の形質に似た人々であったのかもしれない。

44 :
>>32
安曇族は、越後姫川沿いを山越え南下し、安曇野へ到達したらしいね。
その目的は、信濃の黒曜石入手だったと推測されているらしいね。

45 :
>>44
能登に志賀町安津見があり、この勢力でしょうね。でも、穂高神社の「祭神」
「御船祭り」から、そんなに古くなないと思います。能登で取れる「えごのり」
が、安曇野の一部「エゴ・イゴ」、博多の「おきゅうと」として食べられているので、
同じ安曇でしょうけどね。

46 :
>>44
千国街道を南下し、安曇野に入植したのですね。
”安曇野は本来小谷から始って佐野坂峠、仁科三湖を経て、大町、池田松川までを北安曇郡といい、
有明、穂高、豊科(現安曇野市)を南安曇郡として行政区分されているが佐野坂峠を越えて白馬、
小谷(おたり)までを安曇野という訳である。このルートを日本海の糸魚川まで千国街道が縦断して
いて塩尻に至る。この街道は塩の道として有名・・・・持ち込んだ殖産は生糸と水銀や製鉄の技術・・・”
奴国 2011/1/23(日) http://blogs.yahoo.co.jp/silverhair1950/61978424.html

47 :
>>45
推古天皇三十二年四月
「壬戌以観勒僧為僧正以鞍部徳積為僧都即日以阿曇連闕名為法頭 」
(阿曇連を以って法頭とす。)
孝徳天皇白雉四年
「或本於五年七月云僧旻法師臥病於阿曇寺於是天皇幸而問之仍執其手曰若法師今日亡者朕従明日亡 」
 (或る本に、僧旻法師、阿曇寺に臥病す。)
蘇我馬子が、推古天皇に葛城県を賜らんことを願い出た時に、阿曇連が使者となっている。
蘇我氏の仏教が百済であり、阿曇の新羅仏教を吸収して飛鳥仏教が花開いたのだろう。

48 :
>>39
和邇氏ばかりか、葛城氏も海人族だったの?
”葛城氏は黒潮海人族で紀氏や和邇氏等の海人族と関係が深く、難波、紀伊を結ぶ
海難要路を確立し、西日本や海外との積極的な交渉・・・・・・”
2011.05.26 安曇氏・資料(南方神話と古代日本)
http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/blog-entry-70.html

49 :
>>47
阿曇寺というのは、浪速上町台地上の安堂寺橋付近にあったのですね?
東横堀の前身となる入江が安曇江とすると、そこに往古に阿曇族が幡踞していた?
阿曇氏の奉じたのが新羅仏教というのは、阿曇族が辰韓地方出身ということなの?
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000025714.html

50 :
>>49
阿雲は呉音の「アドン」ですから、呉系でしょう。
@ 新羅には、七世紀に「無量寿経」が理解されたようですが、
  倭国では、阿曇が法頭となる以前にはなく、法頭以後に使用される様になった。
A 豊前国には「阿曇部」が多くみられること。 また、豊前国は秦氏、辛嶋氏などの
  新羅仏教集団であること。
 これらから、海上交通を掌握し、新羅仏教に強い絆を持っていた阿曇族に
 蘇我馬子が目を付けて、タッグを組んだのではないだろうか?
 専門家の間では、海部から集まる諸物資を収納する屯家が安曇江にあり、
「安曇江荘」は、天平勝宝四年に始まる東大寺領の荘園で、倉庫としての機能を
 発揮したと考えられています。

51 :
何んで高橋氏に負けたんだろうね?
良くわからん?

52 :
>>49
阿曇族は、古代の列島沿岸を東上したのですね。
”鳥取県の日野川の支流小松谷川畔に安曇郷、
大阪市の大阪城付近に安曇江、阿曇寺(現在安堂寺町)、
琵琶湖北部東岸に安曇郷、対岸に安曇川(町)、
岐阜県岐阜市付近に厚見郡厚見郷、
愛知県に渥美郡渥美郷、
石川県能登半島西岸に安津見等がみられる・・・・”
安曇野の歴史 8
http://www2a.biglobe.ne.jp/~onkel/ningyo/allazumirekisi8.htm

53 :
>>52
その他にも、北は山形県から南は福岡県と広汎に安曇族の
足跡が、残されていますね。
安曇族ゆかりの地
http://www2.odn.ne.jp/~nov.hechima/yukarinoti.html

54 :
【 第六回 金印シンポジウム 】
http://shikanoshima.blog.fc2.com/

 今回から、志賀島でなく福岡市天神の市役所講堂で開催されました。
都心とあって、沢山の阿曇族ファンの方々が来られてました。
福岡市長も挨拶に来られて、立ち見席がでるほどの大盛況でした。

理事長「坂本氏」の金印発掘場所の新情報が、私的には一番興味が有りました。
伊都国歴史博物館館長の「岡部氏」の発表も、魅力的でした。

穂高神社宮司「小平氏」、米子の古代を考える会「黒田氏」、宗像大社神宝館「松本氏」、
も地元ならではの発表でした。 五島列島資料館「塚原氏」の阿曇荒尾、五島列島経由
対馬行きのコースの発言は、熱がこもって説得力十分でした。
年に一回は少ない事を訴えて帰って来ました。

福岡市早良区「吉武高木遺跡」も築造が始まる様で、古代史に注目する市長の誕生で
歴史ファンは、嬉しい限りです。  
地域観光産業として、これからも活発な活動を期待したいです。



55 :
>>54
先月10月20日(土)に催行された(NPO法人)志賀島歴史研究会主催シンポですね。
>穂高神社宮司「小平氏」・・・・・・
長野県安曇野市穂高神社宮司の小平弘起氏のことですね。
本家志賀海神社阿曇磯和宮司と違い、宮司は阿曇氏ではないのですね。

56 :
R星人こと宗像(胸型)は、R型の山をこよなく愛し、航海の目印として
朝鮮半島沿岸から日本海沿岸にかけて、海商として勢力を維持していた。

57 :
>>55
福岡県大川市の「風波宮」も阿曇氏ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%B5%AA%E5%AE%AE
対馬は途中で改姓(長岡?)されてる様ですが、阿曇氏のようです。
小平弘起氏の講演では、7112年好字令で、「阿」から「安」に
変わったという説明でした。

58 :
海人族と邪馬台国との繋がりは如何に?

59 :
>>57
失礼!  7112 → 712年
分かってるだろうけど

60 :
>>58
>海人族と邪馬台国との繋がりは如何に?
だから阿曇氏と天皇家は密接に婚姻関係を結んでるでしょ。
彦火火出見尊の妻が豊玉媛。子が武鸕鶿草葺不合尊。
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の妻が玉依媛で、子が神武天皇。
天火明尊の妻の天道媛(または天造媛)も海神の娘。

61 :
>>60
>阿曇氏と天皇家は密接に婚姻関係を結んでる・・・・・・・・
なのに後代の蘇我氏や藤原氏と違って、姻戚外戚として政治的地位が有力化
しなかったのは、何故なの?配膳係というのは、下級部族の仕事だろうに。

62 :
和邇氏も婚姻関係を何度も結んでるけど、
パッとしないねえ

63 :
阿曇氏の祖名としては、「大栲成吹」(オホタクノナリフキ)が一般的な解釈である。
「新撰姓氏録」の佐伯氏は、「大栲」が人名であって、「成吹」は「吹き成し」と読み、火を吹いて
「御食を炊く」ことを意味し、延喜式「安曇宿禰吹、火」と安曇氏の職掌であると推察されている。
安曇氏は、神今食の祭事にも同様の職務に従事している。

「新撰姓氏録」によれば、安曇宿禰と同祖関係にある「凡海氏」は、「綿積命六世孫小栲梨命之後也」と
あるが、「栲」とは、海人が海に潜る時の命綱を「栲縄」(タクナワ)と言い、これに因む言葉である。

しかし、「本朝月令」によれば、「乙等遠祖大栲成吹始奉、御膳」とあり、安曇氏の祖名は「大栲成」と
思われ「乙等が遠祖大栲成、火を吹き、始めて御膳を奉る」と訳すべきではないだろうか。

万葉集巻十六には、「梨」の訓仮名に「成」の字を当てている。
「大栲成」は、「大栲梨」と同じ意にとることができ、凡海氏の祖名「小栲梨」と完全に対をなすことになる。 
応神記に「海人の宰」に任ぜられた「大浜宿禰」に対し、凡海氏の「小浜」も相対していたのかもしれない。

「栲縄」に由来する名が、海人を管掌した安曇氏や凡海部などの祖名に、まことに相応しいと思う。
「大栲成」の話は、持統天皇五年八月の十八氏に「墓記」を上進させた中に記されていた伝承であった
可能性が非常に高いと思われる。

64 :
>>29
履中天皇紀の伝える阿雲連浜子が住吉仲皇子に唆され時の太子を拉致しようとし
黥面刑を受けた事件で失脚したのかな?

65 :
>>64
紀の履中天皇条のこの段ですね。
”阿曇連浜子(あずみのむらじはまこ)を召していわれた。
お前は仲皇子と共に反逆を謀って、国家を傾けようとした。死罪に当 たる。しかし大恩
を垂れて、「死を免し墨(ひたひきざむつみ)に科すとのたまいて、即日に黥(めさきき
ざ)む」とある。
 死を免じて顔に入墨の刑とする、として、その日に目の縁に入墨をした。 時の人はそ
れを阿曇目(あずみめ)といった。”
http://www.cac-net.ne.jp/~inohanda/fuuzoku02.html

66 :
>>64
紀斉明天皇段の阿曇連頬垂は、韓半島との外交官だったようだね。

67 :
>>60
この系図とは合致しませんね。
神々の系譜と海神族の初期分岐過程 2012.7.23
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/shintoufu/shintoufu1.htm

68 :
宗像とは、遠く地中海からやってきたフェニキア人の一派だろう。
しかし、ユダヤ系の海商である安曇にとって代わられるわけです。

69 :
>>67
神武東遷一行の海路を案内したとされる椎根津彦は北部九州在の海人族の
酋長の一人なのだろうが、阿曇氏でも宗像氏でも海部氏でなく倭氏・青梅
首氏の祖とされるのは如何なる事由によるのだろ?

70 :
>>12
近江国坂田郡の息長氏も、海洋民だったのだね?
919 :日本@名無史さん:2013/02/15(金) 23:44:35.59
息長帯媛の伝承自体が、元々は筑紫地方に伝わる母子神信仰
オホタラシ媛伝承が畿内神話に採用されただけだからな。
海洋民である息長氏が伝承していたオホタラシ媛神話が、
記紀に採用されて神武と応神東征伝承として記述された・・・・・・・・・・
継体天皇について執拗に語ろう 皇太子3人目
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1329220903/919-

71 :
>>56
漁民宗像氏こと胸形氏は、胸に文身を入れておったから胸形氏とも
記されるのか?

72 :
家族に乾杯で宗像大社が出てた
駐車場が入口なんだなw
流石に交通安全の神だ

73 :
>>60
この不可解な親密さですね。
114 :天之御名無主:2006/04/16(日) 21:50:38
>>23
>瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の嫁さん・・・
本名は鹿葦津姫、亦名神吾田津姫亦名木花之開耶姫だな。
父の大山祗神は海人集団の祀る神だから、鹿葦津姫も海人族。
子孫も豊玉姫、玉依姫を娶るから、天皇家の先祖は三代続けて
海人族と交婚したわけだ。
この天皇家と海人族の親密さは、何を投影してるのかな。
コノハナサクヤヒメ?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1019113502/23-114

74 :
あまり言う人がいないが
そもそもイザナミイザナギが海人の神っぽさ極まりない。
天の沼矛でコ海をかき混ぜ塩が固まって島を作る作業は製塩そのものだし
そもそも名前が「波」と「凪ぎ」だ。
イザナギに縁が深い淡路島は海人の大拠点だし
日本神話のポリネシア創造神話類似からして匂う。
アマテラスになると太陽神でいかにも農耕生活に軸が移ってからの神って感じだが
伊勢神宮すら海部氏勢力圏巡って尾張氏勢力圏に鎮座している。
あれもこれも海人つながりで、権力は大王家。
何をもって海人族はその位置に付く事になるんだろうな。
金印とかも志賀島で出てるし。
縄文の末頃とかは海人族がトップにいそうに思うけど。

75 :
>>61
古代においては、神に贄を供する事そのものが神祀り
神祀りそのものにかなり近い地位
後世の政治権力図からそれた配膳係と地位は全く違うと思われる

76 :
>>69
>阿曇氏でも宗像氏でも海部氏でなく倭氏・青梅首氏の祖とされるのは如何なる事由によるのだろ?
大和氏の発祥地は明石の可能性が高い。明石国造は大和氏で、旧領に分家が封じられたと思われる。
九州は君姓が多いのに佐賀関の領主は直姓だから、後から九州に来た可能性が高い。
椎根津彦の母親は海神の娘という話があるから、阿曇氏と婚姻関係があって、
その縁で明石から東征軍に参加したと考えられる。
明石出身なら近畿地方沿岸の道案内が出来るが、豊予海峡出身では近畿の地理はわからない。
様々な点から古事記の説の通り明石出身とする方が合理的。

77 :
>>64
>履中天皇紀の伝える阿雲連浜子が住吉仲皇子に唆され時の太子を拉致しようとし黥面刑を受けた事件で失脚したのかな?
大鷦鷯天皇(諡仁徳)没後の権力闘争に勝ってたら、阿雲氏が大連だったんだけどねえ。
それともう1つ。神日本磐余彦天皇(諡神武)没後の権力闘争でも負け組だった可能性が高いだろうね。

78 :
>>64
TEST

79 :
>>74
>イザナミイザナギが海人の神っぽさ極まりない・・・・・・・・・・・
伊邪那岐・伊邪那美の国生み神話は、製塩行為との類似を持出すまでもなく
言われるように南方系神話だから、海洋民が故地から携えてきた海洋民の
神話だろうね。
稲作民天皇家と海人族の親密さ>>73は、これら天皇家の祖先神話に披歴
されているが、この親和さは伽耶地方からの天皇家渡海協力記憶なのか?

80 :
イザナギ Isa-ng-laqi
イザナミ Isa-ng-mina
それぞれAN語で一の男、一の女

81 :
>>39
和邇氏は、金官伽耶系の海洋民?
”海洋系の和邇氏はベンガラが不可欠だったのでしょうね。私は、和邇氏は
金官伽耶系だと思って・・・・・”
40.ほあかり  2010/12/21
http://e-asia2.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=12

82 :
加羅は、史料がないからこそ妄想のズリネタにちょうどいいな

83 :
>>57
筑紫国志賀島を根拠地に活動した海人集団安曇族は、元来は中国春秋時代の
呉からの移民だったのか?
http://kouinequal.arrow.jp/001yougoteigi.html

84 :
>>83
名古屋市北区綿神社の「綿」は、ワタツミ即ち「海」のことで、筑前国志賀の
海神社を奉祭する阿曇族が、現在の名古屋市北区辺に植民したということだね。
綿神社近くの西志賀遺跡から、弥生時代の集落跡が発掘されておるらしい。
627 海人族と綿神社  2008/7/21 
http://white.ap.teacup.com/syumoku/927.html

85 :
>>54
敢臣の子孫も参加していいの?敢臣の子孫は安曇族とは何の関係も無いの?
敢臣は大彦命系なのそれとも奥州阿部氏の安日彦云々な安倍貞任系なの?
それとも和邇吉士末裔とかいう難波吉士なの、或いは三宅吉氏なのか、呉の姫氏末裔とかいう紀氏系とか?
敢臣の末裔が集まる会とかないの?美濃の敢臣は神社は何処に行けばいいの?
教えてちゃんでスマソ。

86 :
>>60,>>73,>>79
「ミ」「ミミ」がつく名前は貝の耳飾りがキーアイテムの海神族だよね
(魏志倭人伝の各国の長官名にもたびたび登場する)。
そこに注目すると、ニニギとサクヤヒメの子がヒコホホデミだし、
その孫はカムヤマトイワレヒコホデミミ(神武)だし、その神武も三島の
ミゾクイミミの孫娘と結婚して生まれた子どもはカムヌナカワミミ(綏靖)だし…
てな具合で、天孫族の男が海神族の娘と結婚するたびに「ミ」のつく
海神族の子が生まれているそうな(谷川健一「青銅の神の足跡」)。
つまり海神族は母系社会で、生まれた子どもは母方の爺ちゃん婆ちゃんの
昔話を聞いて育つ。だから海神族の神話が記紀に色濃く反映されていると。
そんなわけで、天孫族の神話での主宰神であるタカミムスビがあっさり
海神族のアマテラスに交代しちゃったらしい。
>>79
>稲作民天皇家
ちなみに、岡正雄「日本民族文化の形成」によると、稲作&漁労は天孫族と海神族に
共通の文化らしい。ただし海神族はより南方的な習俗(たとえば産屋など)を
持っていて、天孫族はユーラシアステップの騎馬民族の影響を受けていると。

87 :
>>85
自分で少し調べられました。
難波吉士←(草香部氏、木羅氏)←倭の五王紀氏←斤資(「こにし」「こにしき」朝鮮王族)or姫氏(呉太伯←イスラエル)。
難波吉士←和邇吉士←漢皇帝劉邦←客家←ルベン族。
吉士←百済王子阿知吉師。
紀氏・・・南朝派、坂本龍馬、西郷隆盛、伊藤博文、秋篠宮。

88 :
>>86
>そんなわけで、天孫族の神話での主宰神であるタカミムスビがあっさり
>海神族のアマテラスに交代しちゃったらしい。
天孫族の神統は、元々天照大神が高皇産霊神の御子神だったんだろう。
海人族の神話は、綿津見三神が伊弉諾、伊弉弥の子だったと思われる。
天孫族は海人族の影響で、天照の親神が交替した可能性が高い。
天照大神は実在の人間(卑弥呼)の神格化だから変えるわけにはいかない。
高皇産霊神や伊弉諾、伊弉弥は、人間が神格化されたものではなく抽象的な神だから、
婚姻関係とかで割と気楽に取り替えても構わなかったようだ。
戦国大名が自分の先祖を気楽に源氏や平氏や藤原氏につなげてたのと同じようなものだが、
徳川家だって実在の始祖の松平親氏はそのままで、その先祖を適当に源氏にした。
ただ天孫族の祖先神がいつ交代したのかは何とも言えない。
神日本磐余彦天皇(諡神武)が東征後に天神を祀ったというのは高皇産霊神らしい。
この時点ではまだ父方の信仰に従っていたという事になる。

89 :
志賀島に行くと対岸に能古島が見える。
磤馭慮島は能古島だという説がある。
現地に行ってみるとすごくリアリティが感じられるんだな。
日本神話の創世神話というのは、博多あたり(つまり奴国)の海人族の
ローカルな神話が国全体の神話に発展したように思えてならない。

90 :
>>89
記紀神話はあちこちからやってきた人たちの神話のごった煮だから、
そう単純ではない気がする。実際、河内王朝のあった大阪湾岸からは
淡路島が見えるしね。
ただ、「ローカルな神話が国全体の神話に発展した」というのは全面同意。
たとえば(厳密には神話じゃないけど)ホメロスのオデュッセイアは
10年に渡る壮大な放浪のサーガだけど、その舞台は日本海の1/5程度の
エーゲ海だったわけで。

91 :
>>89
「阿曇磯良」 折口信夫『日本芸能史』

古代の海の精霊とされている。石清水八幡宮の霊験記『八幡愚童訓』
(鎌倉成立)に「安曇磯良と申す志賀島大明神」とある。 
「志賀島大明神」とは九州志賀島の志賀海神社の祭神である。 
この神社は古代に海人族を率いた豪族安曇氏が祭っていた。

イソラの出現の様は『太平記』巻39に「阿度部の磯良」の名で語られている。
それによれば,神功皇后が新羅を攻めたとき諸神を招いたが,イソラだけは
醜い容貌を恥じて応じなかったため,諸神が歌舞を奏して誘い出した。
やがて海底の竜宮城から潮の干満の霊力を持つ秘宝(干珠,満珠)を借り請けて
献上し,皇后は新羅を討つことに成功したという。

宮廷神楽に「阿知女作法」とあるアチメは「安曇」あるいは「阿度部」を指し
古代芸能の偶像であった。

92 :
海人族の本拠は阿波周辺です。志賀島周辺ではないですね。
半島への拠点なんだから重要ではあるが。

93 :
うんにゃ。阿波の阿曇氏は博多から来たんだよ。
阿波阿曇氏の拠点は名方郡だが、
名方は那珂県(ナカアガタ)の短縮形という説が有力だ。
奴国の奴の漢代の発音はnakだから、奴国というのは那珂の国という意味だ。
今でも那珂川や博多区那珂という地名は残っている。
奴国の阿曇氏が移って作ったのが阿波の名方郡なのだよ。
神日本磐余彦天皇(諡神武)の東征の時に、
忌部氏の祖の天富命や伊勢国造の祖の天日別命が活躍しているが、
これらの氏族は阿波発祥らしい。
忌部氏や渡会氏が東征に参加したのは、この地の阿曇氏の手引きだろう。
あと明石の対岸の淡路島の野島のあたりも阿曇氏の拠点。
珍彦が東征に参加したのもやはり阿曇氏の手引きだろう。
大和氏の先祖が婚姻関係を結んでいたのは、
博多ではなく野島の阿曇氏の可能性が高い。

94 :
それと淡路島に伊弉諾、伊弉弥の信仰があるのは、阿曇氏が持ち込んだと思うのだけどね。

95 :
>>94
淡路島(というかその周辺)のはイザナキのみだよね。
さておき、延喜式によると、イザナキ信仰は淡路島を中心に
阿波・摂津・伊勢、若狭まあたりまで分布しているそうで(1)、
たしかに阿曇氏かも知れん気はする。
だけど、そうだとすれば、瀬戸内西部にも痕跡があるはずだし、
阿曇氏自体の足跡も近畿では薄く、一気に東国に行っちゃってる
気もするんだよな。やっぱりもともと淡路の海人たちの神だという
気がする。
1)中村啓信, 1999: この世のはじまりの男と女−日本神話から−.
国学院大学日本文化研究所編「日本文化を知る口座」, 第一集, p240-246.

96 :
自己レス
>>95では阿曇氏と淡路の海人とは無関係と書いたけど、そうでもなかった。
書紀の履中記には、阿曇連浜子が淡路の野嶋の海人といっしょに
住吉仲皇子の反乱に加担したという話が出てくる。
問題は、いつ頃に進出したのかって話だよなあ…。

97 :
海人族とか天孫族とかいう分類に正当性あるん?
なんか胡散臭い

98 :
宮本常一氏の研究によれば、三種類の海民が、瀬戸内海にみられるという。(「瀬戸内海文化の系譜」)
第一は、男女共漁をする海民で、北九州から瀬戸内海に移動してきた海民である。
かれらは宗像三神を信仰し、あわびや魚、海草を採取しながら移動する定着性の低い海民であった。
尼崎、海部などの地名が残っているのは、かれらの居住地と推定できる。
第二は、男漁女耕をする海民で、南九州から瀬戸内海に移動してきた海民である。
かれらは大山祇を信仰し、四国側を中心に定着し、後に村上水軍などの海上の武装勢力を形成した。
第三は、半農半漁をする定着民で、瀬戸内海に定着していた在来海民である。
かれらは、住吉の神を祀り、遠浅で磯漁の条件の良いところに居住した。
貝の採集に優れた技能をもっていたかれらは、あわびの採取、交易、製塩などに従事し、供御人などに任ぜられて朝廷との関係を結んだ。

99 :
>>98
(泉ら,1978)によると、瀬戸内で産小屋があるのは愛媛の高縄半島だけだそうで、
日向のトヨタマビメの子孫たちが四国に行ったことを裏付けてるよね。
一方、同じ文献によると、常設の若者宿の分布は九州北部から山陽-紀伊半島で四国にはない。
こっちは宗像の民の領域なんだなと。
(以上の出典は大林太良「東と西 海と山−日本の文化領域−」)
んでもって、個人的には残る住吉の神を祀る民が興味深いんだよな。
博多には年末に「なまこ餅」を搗く人々がいるんだが、
http://www.asahi.com/national/update/1231/SEB201212310015.html
今に伝わる由来は「餅の代わりにナマコを献上した」ということになってるけど、
神事になっているあたり、実態は逆だと思う。つまり、半農半漁の人々が
軸足を漁から農に移す時点で成立した儀礼じゃないかと。
問題は彼らが住吉神社ではなく、同じ筑前一ノ宮の箱崎宮の氏子だという点だが、
宗像でもなく海神でもない海の民ということで、なんか繋がってそうな気がするの。

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