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2013年07月心と宗教216: マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.11 (103)
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マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.11
- 1 :2013/06/26 〜 最終レス :2013/07/12
- 前スレ
マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.10
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1317999867/
マハシ
日本テーラワーダ仏教教会
http://www.j-theravada.net/
上座仏教修道会
http://jyouzabukkyo.jp/information/senninbiku.html
グリーンヒル瞑想研究所
http://www.satisati.jp/index.htm
ゴエンカ
日本ヴィパッサナー協会
http://www.jp.dhamma.org/index.php?L=12
パオ
http://www.geocities.jp/bodaijubunko/3paauk.htm
- 2 :
- テンプレ訂正
パオ
×http://www.geocities.jp/bodaijubunko/3paauk.htm
↓
○http://www.geocities.jp/bodaijubunko/3paauk.htm
- 3 :
- ★サングラスをかけてプライベートジェットで移動、タイの僧侶に批判 AFPBB News2013年06月19日10時47分
http://news.livedoor.com/article/detail/7779908/
- 4 :
- サードゥーサードゥー
- 5 :
- 一応、マハシ式のテキスト(テンプレ用)
気づきと智慧のヴィパッサナー瞑想 (入門者のための理論と実践)
http://www.amazon.co.jp/dp/4905425026/
ミャンマーの瞑想―ウィパッサナー観法
http://www.amazon.co.jp/dp/4877315934/
PDF
<マハーシ長老によるヴィパッサナー瞑想の実践法>
http://www.mediafire.com/view/?vduj3asz6tvts5i
Vipassanaa Q&A マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法
http://gotami.txt-nifty.com/mahasi_pa_japan.pdf
チャンミェサヤドーの瞑想指導pdf
http://www.mediafire.com/view/?4o9qtscl9uelozc
- 6 :
- 一乙
ヴィパッサナーいいよね〜
- 7 :
- これで食事をすると、一口の味が
いかにきらめいているか、実感できるようになる。
今まで自分は、何を食べていたのだろうか
特に一番はじめの一口目、わあと思う味に気づく感覚
食欲をとそれを満たされた喜びが明白に
混在していることに気づくことができる。
食べているものは何気ないものなのに
- 8 :
- たしかに
はじめて食事瞑想やったときは世界が変わったかと思ったわ
- 9 :
- この方法は究極的なダイエット方法にもなる
食欲を観ることができると、自分の本当に必要とする
食事の量と質は何かがわかってくる。
自分の過体重が修正されてくるので
実感としてわかる。
- 10 :
- >はじめて食事瞑想やったときは世界が変わったかと思ったわ
世界が変わる感覚って好きだなー。
接心を受けた後は景色が生き生きとして生まれ変わった感じがする。あれは一回死ぬ
(代謝をおとして、静まる)ので、身体が常態に戻る時に血が目を覚ますからだろうね。
インドで放浪して帰って来たときもそうだったし、長い間(というか1週間程度)山に
籠った時もそうだった。最近ではウルトラ走った後も少しだけそんな感じになる。
目覚めってのはそういう非日常への移行やそこから戻る時に起る。特に戻る時は
「終わり」だから心も体もリラックスして条件が整いやすい。
「やっぱ普通が一番いいな」って感じかな。
- 11 :
- ある記述から
>慈しみの瞑想です。
>背筋を伸ばして、心の中に慈しみを広げていきます。
>慈しみの培養液に全身を浸します。
>私には慈しみの瞑想がとても合うようで、
>近行定まではすぐです。
この近行定というのは、どういう状態なのでしょうか?
- 12 :
- >>11
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta3.html
そういう状態になったら、そういう状態だとサティ入れるだけで
囚われないようにするべきなんだとは思いますが。
- 13 :
- 色界禅定(の四つ)
第一禅 尋、伺、喜、楽、一境性がある禅定
第二禅 喜、楽、一境性がある禅定
第三禅 捨(喜を捨離し)、楽、一境性がある禅定
第四禅 不苦不楽、一境性がある禅定
近行定って、第一禅定に近い状態のことですかね。
言葉による思考はあるけど、それ以外は慈悲の念に集中できており、喜びや充実感のような楽しい気分に浸っている。
慈悲の瞑想に没頭できた時の感覚がそれかな、とは思うけど。
- 14 :
- >言葉による思考はあるけど、それ以外は慈悲の念に集中できており、
>喜びや充実感のような楽しい気分に浸っている。
>慈悲の瞑想に没頭できた時の感覚がそれかな、
わたしも、そのような感覚だと思います。
心が統一された状態で、ふらつくような思考がまったく無い、身体的には軽く楽な状態
おそらく近定行に入っているのだとおもいます。
この記述の方は、女性で第一禅定にも数度入ったことがあるようです。
ではこの第一禅定というのは、具体的にはどういう状態なのでしょうか?
慈悲の瞑想をしているわけですから(尋、伺)思考はある状態で
楽は感じているはずですし、身体は軽安状態になっている
認識対象に集中していますから、一境性はある状態でしょうし
あと何が不足しているのでしょうか?(喜悦感??でしょうか?)
- 15 :
- http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin
- 16 :
- 止」の瞑想で対象に集中すると、外的な感覚のない安定した内的なイメージ(取相)のみを意識に保持できるようになります。
この段階を「近行定(近分定)」といいます。
さらに、集中を深めると、対象はさらに明瞭で強いものになり(視覚的対象の場合は光度が増し)、
対象性をなくしていきますが、これを「似相」と言います。
これと一体化した集中が続く状態が達成され段階が、十分な「止」が達成された状態で、「安止定(根本定)」と呼ばれます。
「安止定」は、原始仏典ではさらに4段階、上座部(のアビダルマ)では5段階に分類されます。
「初禅」では「尋・伺(思考)」と「喜(精神的快感)」、「楽(身体的快感)」、「一境性(一体感)」があります。
「第二禅」になると「尋・伺(思考)」がなくなり、
「第三禅」では「喜」がなくなり、
「第四禅」では「楽」もなくなり、
「捨(対象への平等な無関心の状態)」と「一境性(一体感)」だけになります。
思考を「尋(意識的な思考)」と「伺(無意識的な思考)」に分けると5段階になります。
「第二禅」以上は「三昧(サマディ)」と呼ばれます。
- 17 :
- 普通の人の場合はそんな段階は無くて概ね第4禅じゃないの?
順番も特に意味ないだろうし。只管打坐の場合は集中はしないので最初から
第4禅的でしょ。
- 18 :
- >>17
曹洞宗?
- 19 :
- 1. 今の生活がこれ以上好きになれない。もう限界のように感じ、小さく思え、
もっと実現するものが何かあると思います。でも、まだそれが何かわかりません。
2. 今していることが好きでない。短期的な仕事やキャリア、経済状況、
人間関係、あるいは住んでいる場所など。そういうことで消耗する感じがします。
3. それまで幸せを感じられた物事に、もう楽しみがわかず、感じられない。
幸せがどんな感じなのか思い出せないほどになっているかもしれません。
4. 周りの人たちとの繋がりが感じられず、またこれ以上好きになれない
(誰であるかは問題ではなく、それは家族も含めすべての人間関係に当てはまります)。
また相手もあなたを少し敬遠したり、離れていたり、一緒にいる時の会話が息が詰まり、話をすることが辛い。
5. 行き詰まりを感じ、どっちの方向へも動こうとしても動けないように思え、
動けたとしても悪い方向に行ってしまいそうに思える。
でも、どこでもいいから進みたいという意欲がある。
あるいは、今は混乱していて何か別のことをしようと考えることすら出来ない。
- 20 :
- 6. やる気がなくクリエイティブな力が湧いてこない。
もっと素晴らしいことをやろうという気がない。単純なことやよく知っていること
でも、まるで泥の中を歩いているような感じがする。
7. ぼーっとしており、頭の中や心の中が定まらず、考えることが漠然としている。
小さなことにも集中することが難しい。物事を終わらせるのに長い時間がかかってしまうように思える。
8. この人生以外のどこかにいたい、と夢想(白昼夢)することがよくある。
9. 逃げ出したい、知らない所に行きたい、この人生を抜け出して幸せになれる
ようなことが何か知りたいという強い衝動が起こる。
10. 住んでいるところをきれいにし、もういらないと思うものをどかして
捨てたいという強い衝動に駆られる。こんなものを持っているんだと驚いて、
捨てたくなる。
- 21 :
- >20
それは16と同じようにに段階を踏んでステップアップする上昇思考の考え
かただよ。そこでもがいている。11も16も探究のなかでもがいている。
もがきを突き抜けて悟りにいたるには探究を止めることだけど、本当は
その必要はない。当たり前にもがけばいい。
- 22 :
- こういう分類もあるようです。
初禅定の前の状態を分類すると
欲界における瞑想の段階
(1)粗住または粗定
一つの物事だけに集中して、雑念と闘う段階
(2)細住または細定
一つの物事により深く集中する事です。
(3)欲界住または欲界定
意念が安定した後、身体に様々な感覚(感情と感触)が出てきます。
(4)未到定または未来禅
次の瞑想の少し手前の段階です。体のいろいろな感覚が薄らいでいくと同時に、軽くなり、良い気持ちになった状態の瞑想です。
だいたい4番目の状態までは、少し訓練すればいけるように思います。この3から4番目が書かれてある近行定の状態なのでしょう
- 23 :
- 近行定と第一禅定にこだわるのは
いかの理由にあります。
>マハーシ長老は禅定に入れればベストだが、
>達しなくとも近行定(禅定に入る手前)に達すれば五蓋などを抑えることが出来るので
>第一禅まで達しなくとも悟ることが出来るという意見です。
>ヴィパッサナー・ジャーナというのはこの近行定のことです。
>サマタ冥想を通して作るのでなくヴィパッサナー冥想、連続したサティの実践を通じて作り上げるものです。
マハシ方式がやりやすい理由がここにあります。
第一禅定を形成するのは、難しくそれが近定行で良いなら、とりつきやすいのです。
またサティを微細化して走らせる必要があるのは、この理由によります。
サティを続けていくと、サティでどんどん心を埋めていくと、集中力(定力)が上がり始めるのです。
- 24 :
- >>23
慈悲の瞑想から、そのままヴィパッサナー瞑想に入るやり方をしていますが、これだと自然とそうなっているような気がします。
テキストは「自分を変える気づきの瞑想法【増補改訂版】」とマハーシ長老のを併用しています。
- 25 :
- わたしも結局同じようになってきています。
サマタである程度あげて、上がった定力で観ている(ヴィパッサナー)
と言う流れです。
その観ると言う作業自体が定力をあげると言う構造です。
- 26 :
- 定力の正体は集中力であり、一種の虫眼鏡では無いかと
思っています。より微細化する力にみえます。
止観双翼、止観双運という言葉は、その根源的な同一性を
表している様に思います。
- 27 :
- 第一禅定(初禅定)の特色は、沙門果経によると歓喜それも
たとえない様なよろこびを伴うとスマナサーラ長老の著作にあります。
- 28 :
- 「四つの条件を揃え、五つの蓋を越えると、
正しい禅定となり、四つの心三昧が現われる。
それでは、この四つの禅とは、如何なるものか。」
「第一の禅とは、思いが有り、考えが有り、
欲を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無欲の歓喜で満たされている。」
「第二の禅とは、思いが無く、考えが無く、
想を捨てて生じる、歓喜を体験する禅である。
その時、全身は、無想の喜楽で満たされている。」
「第三の禅とは、正念が有り、正知が有る
喜を捨てて生じる、大楽を体験する禅である。
その時、全身は、無喜の大楽で満たされている。」
「第四の禅とは、大楽が無く、清浄が有る、
楽を捨てて生じる、空性を体験する禅である。
その時、全身は、無楽の空性で満たされている。」
「こうして、四つの心三昧を通過した者は、
その次に、如実知見の段階に向かうのである。
彼らは、在りのままに見て、在りのままに知る。」
- 29 :
- サティしても筋力は付かないですよね。別の種類のものだから当然です。同様に
サティで集中力は付きますか?
何故集中力がつくのですかね。そのあたりをもう少し微細化してほしい。多分sati
と「微細化した説明能力」は比較的近い能力でしょう。
つまりsatiできれば「微細化して説明」できるはずです。
「サティ=集中力がつく」
は一般には単純に誰かの誤った主張の受け売りでは無いですか? すくなくともかなり大ざっぱな
説明ですよね。そこから説明が全く深まっていかない。サティとは程遠い気がします。
釈迦はそんなこといって無いのでは?
- 30 :
- 八正道の順番は
7.正念(サンマー・サティ)
8.正定(サンマー・サマーディ)
あと有る程度気合入れてヴィパッサナーやったことある人なら
気づいている時に集中力が増す体験ぐらい普通にあるでそ
歩行瞑想の時とかさ
- 31 :
- マハシでの修行記録より
>前のヨギ(修行者)達のインタビューを、聞くともなしに聞いていると、自分と同じような質問や報告をしているのをよく耳にした。
>例えば歩く瞑想の時、「床が急な上り坂のように感じて前に進めない」とか、「体が重くて重くてものすごくゆっくりにしか動けない」とか。
>座る瞑想で、「妄想の出始める瞬間のモコモコ感をキャッチ出来るようになってきた」とか、「腕が消える」、「頭も足も消える」など。
>何を報告しても、応えは大抵「その事に気付きなさい」で、お終いだけれど。
>そうか、自分だけじゃなくて、同じように修行すると、皆似たような体験をしてゆくのだな、と納得してゆく。
- 32 :
- 勉強しても集中力は付くのだからサティが特別ってことではないでしょ。
「サティが上達する」ということ言い換えただけ?
- 33 :
- サティって頭つかうの? それとも胸つかう?
念だと頭でmindfulnessなら胸って感じだけど。 どうも日本的には頭が主で
アメリカは胸が主になってる気がする。 気付きじゃなくて気遣い的なのが
アメリカ的な感じ。最初に仏教に出会ったのがヘルマンヘッセで彼の場合も
ハートが主だね。
- 34 :
- 言ってる意味がわからない
- 35 :
- >あと有る程度気合入れてヴィパッサナーやったことある人なら
>気づいている時に集中力が増す体験ぐらい普通にあるでそ
サティで集中力が増すってのは具体的にどういうことなの?
- 36 :
- >言ってる意味がわからない
腑に落ちない? 腑を感じることないの?
- 37 :
- 俺はむしろ、ここ最近語られてる悟りについて、
全く意味が分からない。
たぶん俺と同じような奴が、他にもいるはず
- 38 :
- 心髄観
人は不安、後悔、怒りなどにより
その本来のあるべき力の半分も出ていない
それが減る、消えるようになると何が起こるか
勉強をするとすると、恐ろしくできる様になると思える
雑念の無い集中した心の生み出す力が
どれほどのものになるか、
その具体的にどうすれば良いかの方法がここにある。
- 39 :
- >>37
>全く意味不明
自分の瞑想に集中すればいいだけのこと。
別に何の問題も無い。
と思う。
- 40 :
- あと、禅定の話は、悟りの話ではないよね。
- 41 :
- そもそも、ヴィパッサナー瞑想と坐禅は違うのに、
なぜ禅定と呼ぶの?
亜羅漢とか慈悲とかみんな漢字なのに、
なぜヴィパッサナーだけ片仮名なの?
歩行禅とか立禅とか経行とかいうけれど、
それは日本版ヴィパッサナーなの?
調べても載ってなかったり、回りくどく難しい言葉ばかりで意味が分からない。
もうさっぱりなんで、
とりあえず修行(ヴィパッサナー)しよう状態だよ。
- 42 :
- 観瞑想 ヴィパサナー瞑想
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3
- 43 :
- >38
雑念が消えるというのは、歳をとって欲がなくなるのと同じ現象ではないか?
したらば、同時にエネルギーも小さくなる。不平不満はなくなるが、勉強は
興味を失うので捗らない。
多分日常的にいろんなことに興味が無くなってくる。
「雑念が無く、エネルギーが満ちている」状態でないといかんなと思う。
普通は雑念が多くて活動的な人の方が勉強が良くできるでしょ。作家とか雑念の塊だよ。
- 44 :
- マハーシ長老のヴィパッサナー瞑想法
初心者指導・日本語訳音声。
翻訳:ウ・コーサッラ西澤長老
音声:天野和公さん
http://www.mediafire.com/play/yxicz7f9mmwdjwm/mahasi%2Bvipassana%2Bdiscourse%2Bjapanese-gained.mp3
- 45 :
- 私のブログに遊びに来てください。
ヴィパッサナー瞑想法も極めています。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin
- 46 :
- この声を読んでみた
男性に聞かせると20代と判断し、女性に聞かせると30代と正しく判断した。
抑揚が無いので感情が読み取れない
ある男性はお葬式の時の声と見事に職業を言い当てた
文章を読んでいるので、そのような声だが
冷静である事は全員が認識できている。
男性は女性の声に対してフィルターがかかっているのがおもしろい
話し方に限らず、声の質というかその中に秘められた心を
人は無意識に読み取っている。
話すことがいかに大切であるか、その内容だけで無く
その声の質、抑揚までもが、最終的には声や仕草から
その人の心を知ることができるようになるから
- 47 :
- この一週間ぐらい前からヴィパッサナー瞑想を知って1日5分〜10分くらい実践してるけど
眉間に力が入ってしまってる…座ってやってるんだけど、首も何故か気づいたら上を向いてしまう…やった後は心に爽快感があるけど体には負担がかかってるのかな?
- 48 :
- >>47
あんまり気にせず続けていったらいいと思うよ
首が動くのはあるある
眉間に力入ってるなら例えば「強張り、強張り」と気づきを入れたほうがいいかも
- 49 :
- 在家の五戒って、瞑想中の精神集中を妨げる要因を、あらかじめ軽減することにもなってるんだね。
- 50 :
- >49
本来は精神集中を養うのが目的だ。
「嘘をつかない」を戒めにするなら、言葉に注意深くなる。適当にペラペラと受け売りを
喋らなくなる。
「常に机上を整理する」を戒めにするなら、徐々に心も散らからなくなる。無意識に
散らかしてる心が見えるようになる。これこそビッパサナだ。
しかしやりもちろん過ぎは良くない。「豚を食わない」という戒めはそういう戒めの
一つだったのだ。100年も200年も馬鹿の一つ憶えのごとく守るのは良くない。時代が
変わればトンカツもOKだ。
戒めは習慣化すれば良い習慣になるが、効果は無くなる。だから意味の無いことを戒め
にしない方が好い。
- 51 :
- >44
「念ずる」の言葉づかいが気色悪い。毎日のことだから気色悪いままではいかんな。
「念ずる」の意味をしっかりとするか、こんな言葉づかいは止めてしまう。些細なこと
だが重要だ。放置したりのさばらせてはいかん。
- 52 :
- 座る瞑想をしているとき、座布団を折りたたんだ場合と
座禅で使う円形のものと比較したとき
まったく状態が違うことに気がついた
雑念の出方がまったく違う
集中が取りやすく統一感がでてくる
- 53 :
- >>49 にもなってるというかそれが目的でしょ
- 54 :
- 目的化するのはよくない。
戒律の効用は2つある
一つは戒律の実際的目的、もう一つはそれを守ることによる心理的効果
戒律が目的化するのは修行者には好ましくない。目的たる中身は寧ろ実際的には意味の
薄いものの方が良い。
「イワシの頭も信心から」
宗教の効用と同じように戒律は守ること自体に意味があるのであって、中身は何でもいい
「豚は食わん」とか「輸血はしない」とか愚にも付かないことの方が後者の効用が
際立ってよいのだ。
しかしながら折角の戒律だから、実際的には「食後は歯磨きをする」とか習慣化して
しまい戒律としての効用がまったくなくなっても役に立つものを選んでおくと一石二鳥に
なる。
- 55 :
- >52
坐布などは不要だ。板の間に直接坐った方が気持ちよい。坐布などに坐るから
雑念が出る。丸でも四角でもそんなものは使わない方がよい。
柔らかいジョギングシューズなどを履くから膝を故障する。地下足袋か裸足なら
故障はしない。最近段々そういうことが分かってきてベアフットタイプが多くなって
きている。ファッションを考えないなら地下足袋で十分だ。
坐禅もベアシットが一番だ。
- 56 :
- 50
>戒めは習慣化すれば良い習慣になるが、効果は無くなる。だから意味の無いことを戒め
>にしない方が好い。
54
>戒律が目的化するのは修行者には好ましくない。目的たる中身は寧ろ実際的には意味の
>薄いものの方が良い。
>「豚は食わん」とか「輸血はしない」とか愚にも付かないことの方が後者の効用が
>際立ってよいのだ。
ID:8/hs3vhjは荒らし?頭のおかしな人?
- 57 :
- 手袋をして調理など出来まい。不味くなる。それと同じでケツで板を感じる
のと坐布では大違い。場所にもよるが人気の少ない河原でスッポンポンで坐禅を
すると気持ちいいぞ。
パンツを履いたり、袈裟を被ったりの坐禅は不味い料理と同じ。まして坐布なんて
不味くて料理にならん。
- 58 :
- 五戒を守るように努力すると
自分でははっきりと定力があがる
あがると見えてくるものが
極端に変わってくる
- 59 :
- 不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。
不邪R戒(ふじゃいんかい) - 自分の配偶者以外と交わってはいけない(不倫してはいけない)。
不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない。
おやまあ随分とハードルの低い戒律だこと。無理するな一戒で十分というつもりだったが、
こんなのは当たり前。
こういう軽いのとは別に密かに自分の戒律をもつといい。
- 60 :
- 説教したろかな いや、やめとこう
説教したろかな いや、やめとくか
説教したろかな いや、スルーだろ
スルーしようとしている スルーしようとしている
スルーする
- 61 :
- スルーするぅw
- 62 :
- スルーすべきだな、うん
- 63 :
- 気になってスルーできない。
- 64 :
- >52
座禅用座布団は高いので
他のものはないかと試してみた
パイプ枕(プラスチックのパイプの入ったもの)が
案外とよいのではないかと思う
イトーヨーカドーやイオンにあるみたいなので
パイプの大きさを変更して試してみたい
安いものは1000円で買えるから
- 65 :
- 何でもかんでも安けりゃいいってもんじゃない。坐布くらいお布施とおもって
買えよ。ケチは悟れんぞ。
- 66 :
- >>48
47です
レスありがとう
気にしないで続けてみます
- 67 :
- ケチケチと坐っても得られるものは薄い。思い切って直感に従って飛び出してみる。
金がかかるとか、休みが取れんとかそういうことを気にしない。会社なんて一ヶ月
くらい休んでもなんも問題ない。どこかの接心でもゴエンカの瞑想センターでもパッと飛び込む。
- 68 :
- >>67が良いこと言った。
ケチケチしてないで、この馬がくると思ったら有り金すべてつぎ込む。
欲しいと思ったら、借りてでも買う。
いつ買うの?
今でしょ!!
それぐらいじゃなきゃ、悟りの道は遠い。
- 69 :
- 私のブログに遊びに来てください。
ヴィパッサナー瞑想法も極めています。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin
- 70 :
- ヴィパッサナーとは、何なんだろうと思う
ことをずっと続けていた。
観瞑想、観察瞑想ともよばれるが
今では自分では
集中力を使って理解すること
自分を理解すること
自分の心を理解することでは無いかと
思うようになった。
- 71 :
- 順調すね
- 72 :
- 年がら年中自分と一緒にいて理解できんもんが集中したからって理解できるんかい?
「自分にはひょっとして隠れた能力があって、それを解放出来たら天才になるかもしれん」
というのが理解のいきつくところかな? で腹が膨らんだりへっこんだりするのを一日中
眺めていたら理解が進むんかい。そりゃ10年もやり続けたら超一流の出ベソの観察者に
なれるかもしれんな。勉強せんとそんなことやり続けて自分の理解が深まるんかい。
- 73 :
- >68
悟りとは精神的に死ぬことだからな。思い切って飛ばんことにはなかなか難しい。
死に方にも二通りあってどこまでも死んでいくのが悟りだな。死んでから生き返るのが
生悟り。どちらかというと生悟りの方がおすすめだな。
死んでから復活するときに生まれ変わる。何もかもが新鮮に見えるようになる。
1段階、2段階、3段階、、、、ドンドン死んでいく悟りは暗いわ。
1段階死んだくらいでペヨーンと生き返る。無茶苦茶新鮮になるからね。
俺は何十回も死んだことがあるが死ぬのも悪くはないが、やっぱ生まれ変わる時が最高だな。
おまえらそんなに完璧に死にたいんか? 10段階くらいになったら御影石にでもなって
平らな台の上で直立してください。
- 74 :
- 無意識に考えてる思考に気づくっていうのはわかるんだけど、思考を観察するっていうのがよくわからない
- 75 :
- 粗い思考って観察しようとすると気づきと入れ替えに消えるな
観察と思考って両立しないんじゃないか
- 76 :
- >>75
だよね!
気づき続ければいいのかな
- 77 :
- 問題なのは、「知識」ではなく、「思考」
私のブログを参考にしてください。
ヴィパッサナー瞑想法も極めています。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/e3978167d55af0132eb9b57963a06f42
- 78 :
- >>76
思考を止めるのは
気づくことです。
気づきを続けるとわかるはずです
じぶんはこれこそお釈迦様が
伝えたかった事だとおもっています
- 79 :
- 気づきで心を埋めてください。
不完全でもいいですから、できるだけ
定力があがり始めますから
その定力で心を見てください。
悪しき思考が見えるはずです
それを否定も肯定もせずに
すべてそれを受け入れ理解
してください。
それが根こそぎ消し去ることに
つながるはずです。
- 80 :
- 悟りの世界はそこに入る様々な道があれども
最も効果的で肝心なものは、止(サマタ)と観(ヴィパッサナー)の
二法に勝るものは無い
なぜかと言えば、止は迷いへのとらわれと押さえつける
第一歩であり、観はまよいそのものを断ち切る力であるから
また止は人の心を愛し養う良き助けとなり、観は
物事の正しい理解を起こすための妙術である。
止は禅定を得るためのすぐれた因となり
観は正しい智慧を発するよりどころであるから
もしこの禅定と智慧の二法を成し遂げれば
自分を利益とし、他の人々のためににもなる
生活態度がおのずからその人の身にそなわる
天台小止観より
天台智
- 81 :
- >>72 欲、怒り、怠け、プライドなどの煩悩は悩み苦しみの原因だと理解した上で、
自分の感情や思考に潜む煩悩に目を光らせる日常生活に入っていく。
隠れた才能をみつけるための修行ではなく、
隠れた煩悩をみつけるための修行ではないでしょうか。
- 82 :
- ふーん。そんなに煩悩がみつけにくいんか?
俺なんか煩悩なんて簡単に見つけられるわ。
お前ら静かにして引き籠っているから煩悩が出てこんのだろ。だから見つけ難いんじゃ。
だからといってデベソの膨らみを観察して何で煩悩発見のトレーニングなる?
さすがの俺でもそんなことしてたら煩悩出てこんわ。
- 83 :
- 他心通
「他人の心を(自分の心として)洞察する力(他心通)を獲得する」ことができる
「情欲に満ちた心であるか否かを知ることができる」
「憎しみをいだいた心であるか否かを知ることができる」
「迷いのある心であるか否かを知ることができる」
「集中した心であるか否かを知ることができる」
「寛大な心であるか否かを知ることができる」
「平凡な心であるか否かを知ることができる」
「安定した心であるか否かを知ることができる」
「解脱した心であるか否かを知ることができる」
- 84 :
- http://nikkan-spa.jp/wp-content/uploads/2012/05/spa200609192.jpg
- 85 :
- >>82 日常生活の中で素早く煩悩に気づくのは難しいよ
- 86 :
- 気づくにはある程度の集中力つまり定力がいります。
近行定程度あれば、はっきり見えるとおもいます。
- 87 :
- 歩くことを観ても、息を観ても、その気づきを
続けることで、自分の中の無駄な思考が
気づきによって出てくる時間を奪われ
減ってくるので余計に煩悩の思考がはっきりと見えるように
なってきます
- 88 :
- >歩くことを観ても、息を観ても、その気づきを
>続けることで、自分の中の無駄な思考が気づきによって出てくる時間を奪われ
>減ってくるので余計に煩悩の思考がはっきりと見えるように なってきます
息を見てる時間が一番無駄な時間という感じもしないでもないが、、、
息だけ見ているわけだから、当然別の思考は出てこないだろうな。
そいでなんではっきりみえるようになるの?
静まり返った部屋の時計がうるさいみたいな感じかな。それとも静まった時に限って
恐ろしい煩悩がよみがえってくるとかかな? 例えば前世で叩き殺した男をこの木の下に
こっそり埋めた、、、、みたいな。
でも煩悩っていろんな種類があるでしょ。それこそ無限にあるよね。部分的にはクリアに
見えるようになるけども、全体像を見失うのでは?
例えば顕微鏡で爪の垢を毎日観察すれば、ものすごく集中力は付く。そして爪の垢について
は非常に詳しくなる。爪の垢を毎日眺めて暮らすのがメインの生活ならそれで問題ない。
でも生活ってもっとダイナミックなものでしょ。ダイナミズムという煩悩を理解するには
そこにあって実際に体験しないと無理でしょ。政治は政治を体験しないと分からない。
戦争は戦争体験しないと分からない。
爪の垢を眺めていて「集中力が付いて全て解った。」なんていうのは傲慢ではないかしら?
息を眺めて付く集中力も爪の垢を眺めて付く集中力も同じで、確かに集中力は付く。
息に関する洞察力も付く。そういう限られた時間限られた環境での頭に浮かんでくる妄想に
付いての洞察もできるようになる。このくらいは言える。
しかし本を読む勉強と比べてどちらが煩悩に関する洞察力が付くと思う?
- 89 :
- >83
多少の洞察力というのは誰でもある。
それを研ぎ澄ましていけば常人では信じがたいレベルまで引き上げることは可能かもしれない。
凡人にとって「信じがたいレベル」というのは、ある程度の訓練を積んだものからすれば
どってことないレベルだったりする。
嘗ては「無理、絶対無理」と思っていたことで自分でもできるようになったことが幾つかある。
素人相手なら自慢できるが、その世界のものであればどってことない。
さて瞑想で洞察力は上がるのだろうか?
- 90 :
- いつもの人だな
- 91 :
- 40代無職独身社会不適応者自称インディゴチルドレンコンサル星人
- 92 :
- >>88 観察(ヴィパッサナー)は、四念処の実践です。
身体は浄くない、感受は苦るしみである、
心は無常である、法(頭で考えること)は無我(実体がない)である、と納得するための修行。
その納得を邪魔するのが煩悩。
- 93 :
- 怒ること、これは頭で考えていること
これが無我つまり実態でないなら
怒ること事態が馬鹿馬鹿しく
なるのではないか?
とわかれば怒れなくなる
やれやれ又出やがったかと
自分で思う
- 94 :
- >身体は浄くない、感受は苦るしみである、
>心は無常である、法(頭で考えること)は無我(実体がない)である、と納得するための修行。
身体は清く貴いものなので納得できんだろなー。
苦しみあっての楽しみだしなー。
心は無常だろ。何を納得するんだろなー。
実体があるものと実体が無いもの優劣はないものなー。
>93
怒ることも練習しだいだよ。正しく練習すると、適切に怒ることが出来るようになる。
煩悩っていうが、煩悩も磨けば玉になる。磨き方次第だな。
エネルギーの使い方には静かに使う場合と激しく使う場合爆発的に使う場合がある。
両方の使い方をマスターするのがいい。偏るのは良くない。一方に偏ると陰湿になったり
変質的になったり不浄になったりする。栄養も技術も知識も偏るのは良くない。
偏ると栄養失調になる。
- 95 :
- 瞑想はビタミンCみたいなものだよ。不足している人が取ると急激に洞察力が上がる。
でもとり過ぎたら無駄に排泄するだけ。
もし運動が不足しているなら、運動をすると健康を回復して急激に洞察力が上がる。
でもやり過ぎると健康を害して馬鹿になる。
不足しているものを補うこと。もし瞑想が不足しているなら瞑想を、運動が不足している
なら運動を、勉強が不足しているなら勉強を。
不足を知ることは足るを知ることと同じほど重要なのだよ。
- 96 :
- >>94 身体は不浄。
スマナサーラ長老の本か何かでこんな話が。
食事をするときに、食卓にならんだ食べ物をいったん口にいれ、ぐちゃぐちゃ噛んでから、再びお皿に盛る。
ごはんとおかず全品おなじようにいったんぐちゃぐちゃ噛んでから盛り付けて、
「いただきまーす」としてみる。
身体がきれいだったら、自分の口で噛んだものなんか汚くないはず。
でも、実際は気持ち悪くて食欲が失せる。
- 97 :
- >>94 見た目にだまされて「きれい」と思ってるだけで、
実際はそれほど「清らか」ではない。
それでも生活の中で「きれい」と思ってしまう煩悩に気付いていくのが修行。
- 98 :
- ただ自論を述べたい欲求にある人と議論しても仕方ないでしょう
修行者はみな自論が正しいかどうか修行を通して自分自身知るのがいいでしょう
- 99 :
- 特に忙しくなく、やるべき用事もない。
昼寝しても問題ない。眠たい。
こういう時って、まぁ寝たいという煩悩に負けるよねw
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