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2013年01月日本史9: 第17弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は? (610)
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第17弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?
- 1 :2012/07/15 〜 最終レス :2013/01/06
- 前スレが落ちていたので復活しました。
旧皇族方の近況調査も交えてご意見を!
前スレ
第17弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?
http://logsoku.com/thread/academy4.2ch.net/history2/1139818624/
第16弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1133174012/
第15弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?
http://logsoku.com/thread/academy3.2ch.net/history/1120561482/
第14弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1106819107/
第13弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1100608444/
第12弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1090205139/
- 2 :
- 第11弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?
http://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/history/1060832767/
第10弾! 臣籍中最上位の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1053840825/
第9弾! 臣籍中最上位の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1050070523/
第8弾! 臣籍中最上位の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1049281983/
第7弾! 臣籍中最上位の皇位継承者は?
http://logsoku.com/thread/academy.2ch.net/history/1046173359/
第6弾! 臣籍中最上位の皇位継承者は?
http://logsoku.com/thread/academy.2ch.net/history/1042336837/
第5弾! 臣籍中最上位の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1040482119/
第4弾! 臣籍中最上位の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1037697959/
第3弾! 臣籍中最上位の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1011029606/
第2弾! 皇族外で最高の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/1007779727/
臣籍中最上位の皇位継承者は?
http://mimizun.com/log/2ch/history/998895369/
- 3 :
- このスレは以降
「第18弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?」
となります。
引き続き第18弾としてご使用下さい。
次スレを立てられる際には
「第19弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?」
として立てて頂く様よろしくお願い致します
- 4 :
- 保守
- 5 :
- http://uni.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1341580424/299-300
- 6 :
- 最後は日本近代史板に立っていて2010年9月にKamome鯖のログがとんで終わったスレです。
2008年12月には2chに皇室板が新設されていますし、日本史板にはもう要らないでしょう。
君主・皇室・王室・貴族(仮)@2ch掲示板
http://anago.2ch.net/emperor/
- 7 :
- ここを18弾として片づけたほうがいいと思うが。
- 8 :
- 次にスレ立てる人は
君主・皇室・王室・貴族(仮)@2ch掲示板にお願いします
次スレは「第19弾! 皇族外で最優先の皇位継承者は?」
- 9 :
- 現在の皇位継承順位外で
男系で近いのは
1.閑院宮直仁親王の王子,鷹司輔平の子孫(徳大寺家)
東山天皇―閑院宮直仁親王―鷹司輔平―政熙―政通―徳大寺公純―→
2.後陽成帝の皇子,近衛信尋の子孫(近衛分家。本家は細川に乗っ取られ中)
後陽成天皇―近衛信尋―→
3.後陽成帝の皇子,一条昭良の子孫(醍醐家)
後陽成天皇―一条昭良―醍醐冬基―→
- 10 :
- 伏見宮系統の次はどこ?
- 11 :
- 宮家の創設は鎌倉時代以降、それ以前は第52代嵯峨天皇を祖先とする
嵯峨源氏が宮家の役割を果たしていた。
私は源融から数えて72代目、残念なことに直系ではないが男系は維持している。
- 12 :
- 下級貴族の娘を母に持ち親王宣下すら受けず
十二番目の皇子だった源融など話にならんのだが
- 13 :
- 源氏の君のモデル、教養無さ過ぎ
- 14 :
- いくら男系でも天皇から6世の孫に当たる人(と、その子孫)は
皇位継承権って無いんでしょ?
- 15 :
- 前スレより
1皇太子徳仁親王 2秋篠宮文仁親王
3秋篠宮悠仁親王 4常陸宮正仁親王
5三笠宮崇仁親王 6三笠宮寛仁親王
7桂宮宜仁親王 8賀陽宮治憲王
9賀陽宮正憲王 10賀陽宮正憲王第一王子
11賀陽宮正憲王第二王子 12賀陽宮文憲王
13賀陽宮宗憲王 14賀陽宮建憲王
15久邇宮邦昭王 16久邇宮朝尊王
17久邇宮邦晴王 18久邇宮朝健王
19久邇宮朝俊王 20久邇宮朝宏王
21朝香宮誠彦王 22朝香宮明彦王
23東久邇宮信彦王 24東久邇宮征彦王
25東久邇宮征彦王第一王子 26東久邇宮真彦王
27東久邇宮照彦王 28東久邇宮照彦王第一王子
29東久邇宮睦彦王 30東久邇宮厚彦王
31東久邇宮盛彦王 32北白川宮道久王
33竹田宮恒正王 34竹田宮恒貴王
35竹田宮恒治王 36竹田宮恒昭王
37竹田宮恒智王 38竹田宮恒和王
39竹田宮恒泰王 40竹田宮恒俊王
41伏見宮博明王
- 16 :
- >>14
5世孫以上離れると皇族じゃないだろうが
天皇家から男系で一番近い皇胤となると皇位継承はあり得る。
継体天皇の例もある。
- 17 :
- >>15
寛仁親王(´・ω・`)
- 18 :
- >>14
これまで「まさか」と思うことで
皇位が回ってきたことがあるから、
>>15の範囲はご覚悟だと思うよ。
- 19 :
- >>13
本来は皇族でいられるところを構ってられないから追い出された訳なのだが
どっちが教養がないのやらw
- 20 :
- >>11の皇位継承順位は第何位?
- 21 :
- >>15
すでに亡くなっている人が相当数含まれてるじゃねーかw
- 22 :
- 源融(光源氏のモデル)・・・(子)源綱=渡邊綱(大姓、渡辺氏の始祖)
- 23 :
- >>22
なんだ、やっぱり松浦厨か
で、嵯峨源氏が宮家的な存在だったという根拠は?
- 24 :
- そもそも、>>9は順位に含めるべきなのかね?
完全に別の家状態だが。
- 25 :
- >源融(光源氏のモデル)
光源氏のモデルは菅原道真を陥れ後に変死(沼で溺死?)
した右大臣源光だと思ってました。
- 26 :
- 源融は、六条に屋敷を持っていたし、
モデルとされた人物の筆頭だよ。
- 27 :
- で、第7位皇位継承順位は誰なのよ。
- 28 :
- 右大臣源光は光源氏に名前が似てるだけ
因みにローラースケートは関係ない
- 29 :
- 日本が天皇を中心にしたのが難波京(大阪市)(仁徳天皇などの皇居)で行われた大化の改新 それは大化元年〜平成24年の今も続いている
- 30 :
- >>27
最も男系で近い徳大寺ということで結論が出ている。
- 31 :
- 左翼の徳大寺さんじゃ皇位継承拒否するだろな。
- 32 :
- 戦後間もない頃の皇族男子の多さは驚異的。
それがわずかな時間で根絶寸前になるとは分からんもんだ。
光格天皇以降4代は、あれだけ側室がいても、一人しか子孫を残すほどには
ならなかった。逆に言えば、よくまあたった一人ずつの男子が残ったものよ。
- 33 :
- >>32
多かったほうが臣籍降下したからな。
- 34 :
- 戦後は天皇すら民間人にして共和制移行も模索されてたからな
まさか2ちゃんねるが総右翼化して「天皇万歳!」になるとは思ってなかった
- 35 :
- 大正〜昭和前期の男子皇族数は、だいたい30人前後で推移しているのだが、
かりに昭和22年の伏見宮系一斉皇籍離脱が無く、臣籍降下についても従来どおりの法・内規の適用、
家族関係その他などは史実と変わらず、とした場合、
実は昭和中〜後期も、おおむね「男子皇族数」30人前後をキープしていた。
数が減ってくるのは昭和末期の1980年代。
昭和天皇同年輩の人物が世を去っていくのに対し、この頃は各家とも子供(男子)が生まれなかった。
この時点では、皇孫の2親王や三笠宮系の3親王がまだ若く、男子誕生が期待できただろうから、
臣籍降下対象(邦家親王の来孫)である久邇宮家の長男は、規定どおり皇籍離脱をしていたと思われる。
ところが、90年代半ばに至っても、直宮・三笠宮系とも生まれてくる子供は女子ばかり。
また三笠宮系には、親王の年齢その他の面から、男子誕生の望みが薄くなってくる。
一方、ちょうどこの頃、成人〜大学卒業期に当たっていたのが、朝香・東久邇・竹田の各家の長男(3人とも男兄弟無し)。
規定では邦家親王の来孫ということで皇籍離脱のはずだが、ここに至って次世代の男子皇族数の減少が強く懸念されたとすれば、
偶然にも3人が明治天皇皇女の血筋であることも手伝って、内規が改定されるなりして皇族にとどまった可能性も考えられる。
しかし、90年代半ばは村山政権の時期であり、皇太子・秋篠宮及び両妃がまだ30代であったことや、ネット未成熟社会で、
男系論議もさほど高まらなかったであろうことから、華麗にスルー(3人とも臣籍降下)されていた可能性も大きい。
- 36 :
- >>35
伏見宮系も戦後生まれの男子っていうと結構少なくて、
宮家の長子だと久邇宮、朝香宮、東久邇宮、竹田宮しかいないから
直宮系の秋篠宮、三笠宮、桂宮、高円宮と合わせても8宮家しか残らない。
これくらいなら皇族数増加を理由とした臣籍降下は行われないだろう。
村山政権といっても1年半くらいしか続いてないから大勢に影響は無いね。
- 37 :
- >>35
そもそも、GHQ指令で臣籍降下条件が緩和されている可能性もある。
- 38 :
- 疑問だが。
もし次男が臣籍降下した後に本家(宮家)が途絶えた場合、
二男の家系が次ぐ予定だったの?
- 39 :
- 戦前の場合、他の宮家を継いでた華頂宮が伏見宮を継いだ例はあるが、
華頂宮はそのまま廃絶して、弟が華頂侯爵になった。
- 40 :
- 臣籍降下した時期は問わず、男系の近さのみでカウントしてみた。(伏見宮系統まで)
参考:http://www.eonet.ne.jp/~yanaken/miyasama/index.htm
【内廷】
1位 皇太子徳仁親王(1960)
【秋篠宮家】
2位 秋篠宮文仁親王(1965)
3位 悠仁親王(2006)
【常陸宮家】
4位 常陸宮正仁親王(1935)
【三笠宮家】
5位 三笠宮崇仁親王(1915)
【桂宮家】
6位 桂宮宜仁親王(1948)
【徳大寺旧公爵家】
7位 徳大寺公英(1919)
8位 徳大寺実啓
9位 徳大寺公信
【高千穂旧男爵家】1865
10位 高千穂有孚(1915)
11位 高千穂宣比古(1950)
- 41 :
- 【徳大寺旧男爵家】
12位 徳大寺公忠(1945)
13位 徳大寺公仁(1977)
【中院旧伯爵家】
14位 中院泉(1948)
【住友旧男爵家】
15位 住友芳夫(1943)
16位 住友隆道(1976)
【室町旧伯爵家】
17位 室町公範(1926)
18位 室町公庸 (1962)
【山本子爵家】
19位 山本公慶(1921)
20位 山本実裕(1952)
21位 山本実裕長男(1987)
22位 山本実裕次男(1990)
【北河原旧男爵家】
23位 北河原公敬(1943年)
24位 北河原公敬長男(1988年)
- 42 :
- 【千秋旧男爵家】
25位 千秋李頼(1950)
26位 千秋李嗣(1982)
【常磐井旧男爵家】
27位 常磐井理(1948)
28位 常磐井亘(1979)
29位 常磐井隆(1963)
30位 常磐井鸞猷(1932)
31位 常磐井慈裕(1959)
【近衛旧男爵家】
32位 近衛一(1962)
33位 近衛大(1967)
35位 近衛雅楽(1958)
【水谷川旧男爵家】
34位 水谷川忠俊(1935)
【醍醐旧侯爵家】
36位 醍醐忠久(1928)
37位 醍醐忠紀(1958)
38位 醍醐忠紀長男(1993)
- 43 :
- 【佐野旧伯爵家】
39位 佐野常行(1935)
40位 佐野常武(1942)
41位 佐野常具(1946)
【南部旧伯爵家】
42位 南部利文(1970)
43位 南部利忠(1971)
44位 南部利博(1934)
45位 南部利昭(1935)
【旧伏見宮家】
46位 伏見博明(1932)
【華頂旧侯爵家】
47位 華頂博道(1930)
48位 華頂尚隆(1957)
49位 華頂博俊(1961)
50位 華頂博行(1962)
【筑波旧侯爵家】
51位 筑波常遍(1935)
52位 筑波俊和(1949)
- 44 :
- 【葛城旧伯爵家】
53位 葛城茂久(1935)
54位 葛城茂敬(1937)
55位 葛城宏彦(1971)
【旧賀陽宮家】
56位 賀陽正憲(1959)
57位 賀陽正憲長男
58位 賀陽正憲次男
59位 賀陽文憲(1931)
60位 賀陽宗憲(1935)
61位 賀陽健憲(1942)
【旧久邇宮家】
62位 久邇邦昭(1929)
63位 久邇朝尊(1959)
64位 久邇邦晴(1961)
65位 久邇朝健(1940)
66位 久邇朝俊(1971)
67位 久邇朝宏(1944)
- 45 :
- 【東伏見旧伯爵家】
68位 東伏見慈洽(1910)
69位 東伏見韶俶(1940)
70位 東伏見守俶(1942)
71位 東伏見憲和(1977)
72位 東伏見睿俶(1945)
73位 東伏見禎容(1981)
【宇治旧伯爵家】
74位 宇治嘉彦(1946)
75位 宇治家寛(1968)
【龍田旧伯爵家】
76位 龍田徳久(1946)
77位 龍田吉光(1980)
【旧朝香宮家】
78位 朝香誠彦(1947)
79位 朝香明彦(1972)
【旧東久邇宮家】
80位 東久邇信彦(1945)
81位 東久邇征彦(1973)
82位 東久邇征彦長男
86位 東久邇眞彦(1953)
87位 東久邇照彦(1979)
88位 東久邇照彦長男(2004)
89位 東久邇睦彦(1980)
91位 東久邇盛彦(1967)
【壬生旧男爵家】
83位 壬生基博(1949)
84位 壬生基成(1979)
85位 壬生基敦(1982)
- 46 :
- 【寺尾家】
90位 寺尾厚彦(1966)
【粟田旧侯爵家】
91位 粟田常一(1953)
92位 粟田彰彦(1955)
【多羅間家】
93位 多羅間俊彦(1929)
94位 多羅間アルフレッド稔彦
【旧北白川宮家】
95位 北白川道久(1937)
【旧竹田宮家】
96位 竹田恆正(1940)
97位 竹田恒貴(1974)
98位 竹田恆治(1944)
99位 竹田恒昭(1979)
100位 竹田恒智(1980)
101位 竹田恆和(1947)
102位 竹田恒泰(1975)
103位 竹田恒俊(1978)
【小松旧侯爵家】
104位 小松彰久(1919)
105位 小松揮世久(1949)
106位 小松豐久(1921)
【上野旧伯爵家】
107位 上野正泰(1918)
108位 上野久雄(1927)
- 47 :
- >>38
臣籍降下した家系が本家を継ぐ可能性は無かったが、
伏見宮みたいに歴史ある宮家が絶えそうになったら流石に分家筋の復帰もありえたかもしれない
- 48 :
- >>40-46
の時点から現在に至るまでで何らかの入れ代わり等があったか否か、どうやって判断するんだ?
- 49 :
- 600年前の血縁を根拠に天皇を継ぐなんて望まないよ。
読んでる分にはおもしろいけどさ。
- 50 :
- >>1
>皇族外で最優先の皇位継承者は?
晴明桔梗の所有者まで
- 51 :
- >>49
徳大寺とか高千穂とかは300年も経ってないよ
いつも疑問に思うのは600年前の血縁とか言うけど
それじゃあ100歳近い三笠宮は100年前の血縁を根拠に皇位継承権を持ってるってことになるのか?
- 52 :
- 東山天皇―閑院宮直仁親王―鷹司輔平―政熙―政通―徳大寺公純
直仁親王は1704年生まれの人物だから、600年前ではなく300年程度。
同世代で有名な人物は、アメリカ独立宣言に署名したスティーブン・ホプキンス(1707)とか。
- 53 :
- まあだけど男系主義で皇籍復帰とか皇籍移行とかいうなら
やっぱ皇別摂家系ではなく旧宮家系だな
- 54 :
- >>52
直仁親王は今上天皇の直系の先祖なので分かれたのは鷹司輔平からだよ
- 55 :
- >>40-46
さすがに100位だと多すぎるな。
安定した皇位継承には30-50位くらいは必要か。
どっちにしろ江戸時代まで遡れば充分だな。
- 56 :
- つーか7位は華園真準(1925)だろ
- 57 :
- 久子妃の親族でもある、華園男爵のターン。
東山天皇―閑院宮直仁親王―鷹司輔平―政熙―政通
鷹司政通ー華園攝信ー華園晟子ー曽我祐邦ー友田盛子ー鳥取二三子ー 高円宮久子妃
- 58 :
- >華園晟子ー曽我祐邦ー友田盛子ー鳥取二三子ー 高円宮久子妃
女系が何代も続いてるから、もはや皇胤とは言い難いな。
- 59 :
- >>58
皇胤ってそもそも天皇の男系子孫のことを指す単語でしょ
女系が一代でも混じったら皇胤とはいえなくなる
- 60 :
- >>59
伏見系押しのやつは明治天皇の内親王の血が女系で入っていることを根拠にしてるだろ
男系だけ見たら伏見系より今の天皇家に近い家はほかにあるから(徳大寺とか)
- 61 :
- >>60
だとしても伏見宮系が継承権を主張し得る根本的な根拠は崇光天皇の男系子孫であるということだと思うよ。
あくまでも男系での血の遠さをカバーするために女系を補強に使っているだけ。
内親王の血が入っていない久邇宮や賀陽宮だけを排除する言説はあまり聞いたことが無い。
いわゆる皇別摂家が伏見宮よりも軽視されるのは、
伏見宮よりも前に臣籍降下したこと、皇別氏族ではない藤原氏への降下であること
が理由だと思う。
もし皇女が徳大寺に嫁いでいたとしてもあまり状況は変わらないだろう。
ただ、伏見宮系ですらいなくなったら徳大寺とかに継承権を持たせることを主張する意見も出てくるかもね。
- 62 :
- 以前、モズレーというアメリカ人の書いた「天皇ヒロヒト」という本を読んだが、
その中に西園寺公望が自らも皇位を要求できる立場にあったとかいう一説があった。
当時は、外国人が知ったかでいい加減なこと書きやがってと一笑に付していたが、
東山天皇の男系子孫である徳大寺家と現天皇家との男系での近さを知るにおよんで、
アメリカ人のくせによく調べたなと感心した。
西園寺公望自身には男子がいなくて、長州毛利家から迎えた婿養子が相続したから、
西園寺家は、もはや皇胤とは言えなくなったけど。
- 63 :
- >>62
皇胤ではないけど天皇と男系で繋がるという意味のわからない系統だよね
毛利家は大江氏で天穂日命の子孫だから
- 64 :
- >>16
>5世孫離れると皇族じゃないなら
継体天皇はぎりぎり皇族だったんじゃないの? 俺は六世とその子孫と書いたが
六世以上離れた人は皇族じゃないなら、皇位継承権も存在しないよね
今、旧宮家復活と言っている連中がいるが
復帰させる人(旧宮家)って携帯天皇みたいにぎりぎりセーフなの?
- 65 :
- 継体天皇の時代に律令的な皇族(王族)制度が存在したかは疑問。
近代の皇室典範では皇位継承の順番がはじめて明文化され、
天皇から何世離れていようが皇族男子に皇位継承権があった。
旧宮家の現当主にあたる人々は、昭和22年の皇籍離脱時は幼・少年だった人たちだが、
数か月の間で、皇籍離脱は既定路線だったとはいえとはいえ、
その人たちは現在の皇室典範のもとでも皇族だったことがあり、
皇位継承権もあった人たちであるというところが大きい。
- 66 :
- >>64
お前は一ヶ月も前のレスに答えてどうしたいんだw
- 67 :
- >>66
自分の書き込みに対する反応だったから
- 68 :
- >>67
>>16と>>64に関しては>>65が基本的に正しいと思う。
継体天皇の時には皇族の範囲は明文化された規定は全く無かったから
継体天皇がギリギリセーフなどという事実は存在しない。
後世から見て一番傍系の継承がたまたま五世王の継体天皇だったというだけで、
五世王までが皇位継承権を持つという決まりは無い。
- 69 :
- 乱暴ながら、125代を数える皇位継承の親等数を論じるのに26代継体天皇まで遡る必要はないと思う。
もちろん五世王だの玄孫だのにこだわる必要もなく、皇籍復帰も前例ありで問題ない。
- 70 :
- 前例となる継体天皇と光格天皇の皇位継承が
男系で最も近い皇胤だという理由で選ばれたわけだから
男系で近い順のみで皇位の継承が行われるよう典範を改正すべき。
- 71 :
- >>70
> 前例となる継体天皇と光格天皇の皇位継承が
> 男系で最も近い皇胤だという理由で選ばれたわけだから
そうだっけ?
継体天皇って応神天皇の男系子孫だけど、仁徳天皇の男系子孫が一人も残って無かったとは思えない。
王族内での内紛やらで数を減らしたのは確かだろうけど、
一夫多妻でしかも出家制度も臣籍降下制度も無い当時に於いて
子孫を大量に残しやすい王族は意図的に皆殺しでもしない限り全滅は考えづらいね。
光格天皇の時でも後桃園天皇の大叔父とか生きてたし(ただし坊主でしかもオッサンだけど)
第一、光格天皇の実父が存命だったのだから男系で光格天皇が最も近くなりようがない。
皇室典範の規定に照らし合わせたら後桃園天皇崩御時の光格天皇の皇位継承順位は5位とか6位とかになってしまうはず。
- 72 :
- >>71
父・典仁親王の即位は実現せず
兄・美仁親王は閑院宮を継承するから
結果的に師仁王(光格天皇)が男系で最も近くなったということ。
- 73 :
- >>72
男系で最も近い順番で継承するような規定が当時存在したとしたら光格天皇の即位が実現しない訳よ。
なのに光格天皇を前例に男系で近い順に継承するような改正をするとかおかしいんじゃないの?ってこと。
それに中年だった典仁親王はともかく、美仁親王はまだ若く即位させるのはおかしくもなんともない。
宮家当主の即位例は後西院天皇の時に前例がある。
美仁親王が即位して師仁王が閑院宮継承しても何の問題もないじゃん。
でもそうならなかったでしょ?それは男系の近さ(+長幼の序)以外にも基準が存在した証拠になる。
- 74 :
- >>73
父は天皇になれずにその子が即位したり
兄は天皇になれずにその弟が即位したような例はある。
兄を飛び越したとかそんなことは重要じゃない。
重要なのは、有栖川宮や伏見宮の皇位継承が否定され
閑院宮から師仁王(光格天皇)が即位したという歴史的事実。
この事実は天皇は血筋の近さで選ばれ
遠い血筋が近い血筋を飛び越えることはできないという
絶対的な皇位継承のルールを示したもの。
これは、世襲親王は何百年離れていても皇位継承権があった
という主張を完全に否定する例となる。
- 75 :
- >>68
>五世王までが皇位継承権を持つという決まりは無い。
じゃあ、なんで頼朝は天皇にならなかったの?
頼朝にしろ、尊氏にしろ男系なんでしょ
男系でも成れないルールってあったんじゃないの?
男系だから宮家復帰って言っている人は
朝幕併存って日本史の特徴を無視しているんじゃ・・・
- 76 :
- >>74
光格天皇(=師仁王)は、即位時点で皇曾孫。
それに対し、皇子で当時存命だったのは公遵法親王と忠與法親王。
皇孫で存命だったのは有栖川宮織仁親王と閑院宮典仁親王と鷹司輔平。
皇曾孫だと閑院宮美仁親王・師仁王を含めた閑院宮の諸子と鷹司政煕を含めた鷹司の諸子。
光格天皇は血縁の近さでは公遵法親王と忠與法親王と典仁親王と鷹司輔平を飛び越し
長幼の序から言えば公遵法親王と忠與法親王と典仁親王と美仁親王と深仁入道親王と公延入道親王と真仁法親王を飛び越し
天皇から離れた世数で言えば公遵法親王と忠與法親王と有栖川宮織仁親王と閑院宮典仁親王と鷹司輔平を飛び越している。
これだけあってそれを全部無視して男系での近さだけが絶対であると主張するのは弱いなあ。
男系での近さが絶対ならば法親王や入道親王を還俗させるべきじゃないか?
また、あなたが間違っているのは、当時有栖川宮は何百年も離れていないこと。
織仁親王は師仁王よりも近い皇孫で、天皇から離れること数十年に過ぎない。
ちなみにこれ実は閑院宮よりも近いんだよね。
何故かと言うと、有栖川宮職仁親王(霊元天皇皇子)が甥である閑院宮初代の直仁親王(東山天皇皇子)よりも年下だったからw
だから天皇家と分かれてからの年数と代数で言うと有栖川宮に軍配が上がる。
とは言え、後桃園天皇との男系での近さで言うならば確かに閑院宮の方が近いだろう。
しかし、あなたが言う様にそんなことは重要じゃない。
当時もしも閑院宮が存在しなければ皇孫である織仁親王が即位したかというと微妙で、
後桃園天皇の一人娘である欣子内親王の年齢的に織仁親王を婿にするのは難しかっただろうから
年齢的に釣り合う伏見宮貞敬親王が選ばれていた可能性が高いと考えられる。
- 77 :
- >>75
頼朝は源氏の中でも血筋がそんなに良くない。河内源氏の中では随一だがね。
それに当時の幕府は朝廷を完全に無視して潰すほどの力は持ってない。
その力を持ったのは承久の乱以後。
頼朝が頑張ったおかげで足利の家格は上がっていたが、
それでも尊氏が朝廷の最上位の官職を得るのにすら少し足りない。
そして当時は南朝が併存してるから血縁的に正統性が薄い尊氏が武力に頼って即位しようとしたら
南朝方に付く勢力も出てきて負けてしまう恐れがある。
それ程のリスクを冒して皇位を簒奪するメリットが尊氏にとって存在しない。どうせ北朝の天皇は自分の言うこと聞くしな。
南朝をほぼ駆逐し終わった義満の代になって、ようやくにして皇位を狙う動きは出てきている。
この頃になると朝廷はほとんど力を失い、その反面幕府は全盛期。
しかし義満の死によってご破算に。
以後、義持ならば皇位は狙えただろうが本人にその気無し、
義教も辛うじて可能性はあったが有力守護の粛清に忙しくて皇位なんて狙ってる暇は無かっただろう。
それ以後の将軍には皇位を狙う力無し。やろうとしても地方の守護のとこに逃げられてお終いとかね。
まあ結局、将軍が皇位を狙わなかったのは
@当時は天皇と近縁の皇族が多く、遠縁である将軍が皇位を主張するには血統的正統性が足りないこと
A将軍家の家格自体が天皇家や摂家に比べれば劣ること(当時の人々の感覚では貴種性こそが人の上に立つ上で重要であった)
Bそのような薄い正統性で皇位を取ってみたところで得られるものが少ないこと(名誉欲くらいしか満たされないだろう。朝廷は公家が従わないと動かない)
Cそれに反して皇位を取った場合のリスクが大きすぎること(全国の武士から離反者が出る可能性あり)
D将軍の支配権の大義名分が天皇に由来すること(征夷大将軍自体が天皇による任命)
こんなもんかね。それらを全て乗り越えられそうだったのが義満くらい。
- 78 :
- >>77
なるほど。
軍事力を制して、男系ならば天皇に強引に「即位」するのも
男系だからって理由で強行できるとばかり(´・ω・`)
- 79 :
- 講和条約で独立したとき、東久邇系の孫だけでも皇籍に復帰させとけばよかったのにな。
ついでに予備で竹田の直系だけ。
- 80 :
- 後桃園院がもしも順調に生きて、皇子が生まれた場合、一宮が皇太子、二宮が桂宮、三宮が伏見宮を継ぐ予定だったらしいから、伏見宮の位置付けがわかるってものだ。
ていうか、こっちももしもの話だが、後桃園院の弟宮である貞行親王が長生きして、順調なら、伏見宮は、この系統になって、近くはなったんだろうな。
- 81 :
- 女系で繋ぐのは、温仁親王といい、竹御所が死産したといい、なかなかうまくいかないものだ。
- 82 :
- >>80
そりゃあ桂宮は世襲親王家中最大の所領を持ってますからね
他とは別格ですよ
何しろ他の三宮家は1000石程度なのに桂宮だけ3000石もあります
まあ初代が太閤の猶子だったのが理由でしょうね
二宮が生まれたらまずどっちを継がせるかと言ったら所領が多い方でしょう
- 83 :
- 桂宮も、公仁親王が亡くなった後、光格天皇皇子盛仁親王、仁孝天皇皇子節仁親王と入れたが、ともに早死にしたのが、痛かったよなぁ。
- 84 :
- 後水尾院、後西院院、霊元院と子供がやたらと多かった割には、後に残っているのが意外といないんだよなぁ。
霊元院は、桂宮、有栖川宮と2つの始まりなんだけどな。
東山院の閑院宮も絶えたのが痛い。
この中のどれかが伏見宮を継いでいれば、綱渡り的なのも無かったんだろうな。
たった二人しかいない桃園院の二宮を伏見宮と言うのも、綱渡り的だよな。
実際そうなったしな。
- 85 :
- でも伏見宮とその分家が今なお大勢の男子を抱えているのは
邦家親王が山ほど子供作ったからであって、
もしも貞行親王が長生きしてその子孫が数代の間は続いていたとしても
邦家親王ほどたくさんの王子に恵まれる親王は出てこなかっただろうから
今の天皇家のように先細りしていく可能性の方が大きい
後水尾天皇、後西院天皇、霊元天皇、東山天皇の子孫がほとんど残らなかったのは残念だけど
結局のところ光格天皇から今上天皇まででも6世も離れているので
桂宮や有栖川宮、閑院宮が続いていたとしても6世王や7世王、もしくはそれ以下しかいないだろうから
現代の伏見宮より少しマシな程度の扱いしか受ける事は出来なかっただろう
- 86 :
- なまじ明治天皇に男子がいたり、大正天皇が4人の皇子に恵まれたのが拙かった。
明治天皇に男子がいなければ、有栖川宮が無条件に皇位継承してただろうし、
史実どおりに有栖川宮が廃絶しても、伏見宮系から次の天皇を出すのに抵抗はなかったろう。
他に選択の余地がないのだから。
- 87 :
- 貞行親王が長生きしていたら、後桃園院の後継者は、貞行親王だったんじゃないの?
後桃園院の同母弟だし。
ちなみに、正室から生まれた江戸時代の天皇は、後水尾院、明正院、桜町院、後桜町院、後桃園院ぐらいか。
- 88 :
- >>87
それだとなおさらやばいよね
桂宮(京極宮)と閑院宮と有栖川宮が絶えることは誰が天皇になろうと確定で、
その上邦家親王の大勢の息子たちも存在せず、しかも光格天皇の子孫も存在しなくなるということになるから
貞行親王の子孫だけが続くんだけど、途中で断絶してる可能性の方が高そう
- 89 :
- 桜町院の弟二人が法親王で長生きした、結果論だろうし、出家したから長生きしたと言うのもあるんだろうが、この辺、何とかならんかったんだろうかねぇ。
確かに、貞行親王が長生きしても、その系統だけなら、先細りするだろうね。
後西院院の子供も、幸仁親王だけがそれなりに生きて、後は早く亡くなった方が多いからね。
幸仁親王も、子供の正仁親王は若死にだったしね。
案外、幸仁親王が将軍になって、江戸で子孫増やした方が良かったのかもしれんし、なんとも言えん。
- 90 :
- 温仁親王、盛仁親王、安仁親王、節仁親王、このうちの誰か一人でも長生きして、子孫が残れば、違ったんだろうな。
- 91 :
- ◆有栖川宮音仁親王薨去(1755)のとき息子の円遵は還俗出来ず
◇伏見宮貞行親王薨去(1774)のとき先々代邦忠親王の弟である
邦頼親王は還俗出来た
◆後桃園天皇崩御(1779)のとき大伯父の公遵法親王等や
父のはとこで次代光格天皇の兄である深仁法親王等は還俗出来ず
◆閑院宮愛仁親王薨去(1842)のとき弟の教仁法親王は還俗出来ず
*伏見宮系の還俗が始まるのは1860年代以降のこと
- 92 :
- 竹田氏以外の旧皇族も積極的に申し出てほしいよな。
国民の間には、旧皇族の存在自体を知らない人が結構いるだろうから。
- 93 :
- さて、天皇家とは天照大神から続く「天津神」の子孫の嫡流である
では「天津神」の対極の存在である「国津神」の嫡流の子孫はどこか?
答は素戔嗚尊―大国主命―健御名方命と続く「諏訪家」である
諏訪家の男系は維持されているのかというと、諏訪大社の大祝家は断然、大名家も女系になってしまっている
天皇家の男系の議論が一段落した所で対極の存在たる諏訪家の男系について語りませんか?
- 94 :
- ちなみに高島藩主家は江戸末期に婿入りで男系断然しているが、旗本として何家か分家している筈です
- 95 :
- >>94
第五代藩主諏訪忠林は旗本諏訪氏の出身。諏訪氏は江戸時代以前の支流も多いから中世まで遡るだけで万単位でいるよ。
皇別氏族、神別氏族、諸蕃氏族というのは父系出自によって日本人が人種ではなく民族だと示しているという事だよね。
- 96 :
- >>95
じゃあ男系で現代まで存続している諏訪さんを教えて下さい
- 97 :
- >>91
音仁親王って有栖川宮の嗣子だったはずなのに
なんで息子出家させちゃったのかな?
もし長生きしたけど男子が生まれなかったらどうするつもりだったのだろう。
史実では若死にしたから弟がまだ幼児で後継げたけど
それと京極宮公仁親王薨去のとき弟二人が還俗出来なかったことも追加しといたほうがいいよ
- 98 :
- なぜ男系血筋が枯れてしまったのか?
諸悪の根源は出家制度と世襲宮家だ。皇太子や世襲宮家継嗣以外の
皇族男子をほとんど出家させていることは異常である。幕府との力関係で
こうなったのかも知れないが、世襲宮家で皇統を補完するのではなく、
天皇の孫かひ孫の代までで補完するべきであった。
皇族が多くなったら適宜、姓を与えて臣籍降下させれば良かったのだ。
- 99 :
- >>98
光格天皇の男系子孫は悠仁親王までの8代で一人たりとも出家も臣籍降下もしてないんですがそこんとこは大丈夫なんですか?
今の皇室から見て男系で一番近い出家皇族って光格天皇の兄弟だから
その子孫が続いてても若年者なら東山天皇11世孫、慶光天皇9世孫くらいになりそう。
男系での血縁の遠さが旧宮家復帰の最大の障害とするならば
こんなに離れてしまっていては結局皇籍復帰のハードルはあまり低くならないのではないだろうか。
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