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2013年07月日本近代史38: ★★★インパール作戦は、史上最良の作戦2 (174) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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★★★インパール作戦は、史上最良の作戦2


1 :2013/02/06 〜 最終レス :2013/06/30
インパール作戦は牟田口中将が 皆の反対を押し切って
強引に強行した 補給を無視した無謀な作戦で
勝機も意義も全く無い作戦だったと言われてきた。
しかしこれらの話しはその全てが、利権と政治的意図を持つ
商売作家(例:半藤一利 他)らによる
悪意と捏造と曲解による大嘘ばかり。
これらは東京裁判史観と陸軍悪玉論を定着させ宣伝したいと考える
戦後の権力者に迎合した政治的な勢力によるプロパガンダといってよい。
バカ作家、エセ保守評論家らがいい加減に流布してきた
デタラメの昭和の近代史と戦史は、
全てを再検証し直す必要がある。
日本を大敗させた戦犯は、
ハワイをテロ攻撃しアメリカを本気で参戦させた
愚将・山本五十六である。

2 :
牟田口の指揮は正しく佐藤がアホで、あと一歩で日本軍は勝利していたと
イギリスでは牟田口の作戦指導は評価されている。
■アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
■スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
■アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
■マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」
■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

3 :
>>1 >>2
また馬鹿者どもがヨタ話を延々と繰り返しているか・・・
世も末だな・・・こんなクズばかりの

4 :
>>1
>>2
もういい加減にせんか!
インパールは事実上、破綻が最初からわかってたクソ作戦だろ。
何度、論破されたら気が済むんだ?
しつこい男は女にチョコもらえんぞ…バカ。

5 :
>>4
インパール作戦が、破綻が最初からわかってたクソ作戦
ならば
海軍が主導した太平洋戦線の作戦は、なんになるんだ?
そっちはどういう評価なんだ?
どっちがクソ作戦か、白黒の決着を付けるまで
このスレは、終われないんだが?

6 :
1943年11月中旬末における東南アジア戦域司令部の立案した作戦計画は、
次のとおりである。
(1)第33軍団をもってアンダマン諸島を占領する。
(2)スチルウェル中将指揮の米支軍をもってレド公路獲得のため、フーコン河谷を
 南下しミートキーナ、モウガン地域を攻略する。
(3)雲南遠征軍をもって、レド公路中国側末端獲得のため、保山(中国雲南省)から
 パーモ(ミートキーナ南120キロ)、ラシオ(バーモ南150キロ)に向かい
 攻勢をとる。
(4)ウィンゲート少将の指揮する長距離挺兵団をもって。(2)(3)項作戦のため
 支援作戦を実施する。
(5)インド第50落下傘旅団およびインド第26師団をもって、インドウ駅付近に
 空挺作戦を実施し、スチルウェル中将指揮下部隊のモウガン到着まで同地付近を
 確保する。
(6)英第4軍団をもってチンドウィン河を渡河して橋頭堡を確保し、(2)ないし(4)項
 作戦のため日本軍兵力を同河方面に牽制する。
つまり牟田口は英軍の都合のいいように動いたのである。

7 :
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後
   重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に
   向け攻勢を執り成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り爾後
 国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
(2) 右作戦準備に先立ち英軍の真面目の反攻に際会したる場合は各正面
   極力その攻撃を阻止しつつ速やかに反撃の態勢を整え爾後努めて統制ある指導に
   基づき我に近き地帯に於いて英軍の捕捉撃滅を図りたる後「インパール」付近に
   向い追撃す
(3) 前2項の反撃作戦に於ける軍主力を以ってする攻勢開始の時機は予め方面軍の
   命令するところに依るものとす
(4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃
   拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠
たらしむ
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す   
方面軍は限定攻勢を命じていたのに牟田口がぶち壊したのだ。

8 :
>>5
ここはインパールを語るすれ。
関係の無いお話は余所でやりましょうね。
イイ子だね〜坊や。

9 :
で そのディマプール占領したところで何になるのか
補給線は伸び切り、兵士も減少し、 まず反撃に耐えられない

10 :
もともと ☆=土足 は牟田口なんかどうでもいい。
山本を誹謗するためのダシに過ぎないw

11 :
>>6
>つまり牟田口は英軍の都合のいいように動いたのである。

米支軍総大将スチルウェル中将の息子(作戦主任)が
こう言ってるんだが?
■スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

12 :
>>11
お前の資料はすべて根拠がない。
バカ丸出し!

13 :
>>11
行動方針列挙の一つに過ぎないが?
実際、連合軍は退却していない。
>驚きであったのだ
なんせ驚いたに過ぎないのだからw

14 :
>>2
>>2
>>牟田口の指揮は正しく佐藤が馬鹿で、インパール作戦はあと一歩で成功していたと
>>イギリスでは評価されている。
>>★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
>>牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
>>これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
>>佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

>スウィンソンの原文
>"Mutaguchi was right, there could be no doubt whatsoever;this was what Napoleon called 'the favorable moment',
>and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the brink of disaster.
>But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. "

土足逃走w

15 :
土足
「佐藤がディマプールを攻略しさえしていれば〜」

スウィンソン原文
「佐藤がディマプールまで指呼の距離に迫った際に牟田口が河辺に
『ディマプール攻略の支援を依頼した』が、河辺は『ディマプールは15軍の
(担当)戦域ではない」と却下した

土足
「牟田口は悪くない〜」

全員
「河辺に戦理を以って説得できない時点で牟田口の命令違反w」

土足逃亡w

16 :
土足
昭和18年6月、大本営、南方総軍以下の参謀が参加したラングーンへ兵棋研研究会において
ビルマ防衛のため、内戦軍はインパールを攻略する事は不可欠だと
全会一致で確認され、それに全く異論は出ていない。
さらに状況によっては一部は、ディマプール攻略(アッサム鉄道寸断)に転ずる
なんて話は当然のことで、牟田口の指揮は全く常道で
反戦平和主義者はどうか知らんが、当時の状況と軍事的な見地から
批判されるいわれなど全く無い。
スレ住人
52 名前:名無し三等兵 投稿日:2012/12/01(土) 21:36:21.06 ID:???
>>51
横だけど反論を
>おまえの評価なんか、だれも聞いて無いか?w
といって逃げ出しちゃってる君のいってること全部が負け犬の言い訳なんだがw
53 名前:名無し三等兵 投稿日:2012/12/01(土) 21:38:21.41 ID:???
つか、ラングーンでの結論がこうだったというなら、
その結論を”どんな理由で”支持するのか述べもしないのに
論戦もなにも始まらないのがわからないものかね?
なにせ君、論じるべき”論”が皆無でいきなり結論だけ言ってる状態なんだもの。

土足言い訳も思いつかず逃走w

17 :
土足
49 名前:☆ 投稿日:2012/12/01(土) 21:21:01.58 ID:0g3Y5h3M
IDを出して継続して論戦する自信と勇気のある相手は
ここには一人もいない。
牟田口を批判してる人間はアホしかいないと
おまえらが証明してくれてるw

【独裁者】山本五十六【暴走】8
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1355065212/
63 名前:☆ 投稿日:2012/12/11(火) 00:08:26.32 ID:6++ORBoe
>>60
こっちはコテハンなんだが?
バカにはできまいw
バカだからしょうがないな。
83 名前:uaa ◆jFOwbcqkaU 投稿日:2012/12/11(火) 00:50:35.83 ID:6++ORBoe
>>82
どうでもいいこと書くな

18 :
49 名前:☆ 投稿日:2012/12/01(土) 21:21:01.58 ID:0g3Y5h3M
IDを出して継続して論戦する自信と勇気のある相手は
ここには一人もいない。
牟田口を批判してる人間はアホしかいないと
おまえらが証明してくれてるw

428 名前:ゆうか(リハビリ中) ◆rVSVPJKDOk 投稿日:2012/12/11(火) 22:36:44.12 ID:bi/F3dYN
>>426
はやく不破の証言の証拠出せや
429 名前:名無し三等兵 投稿日:2012/12/11(火) 22:39:16.92 ID:???
>>427
>>428
おまえuaaだろ
430 名前:ゆうか(リハビリ中) ◆rVSVPJKDOk 投稿日:2012/12/11(火) 22:46:11.18 ID:/GpiYS6Q
>>429
違いますがなにか?
因みに本物のゆうか殿
名前:ゆうか(リハビリ中) ◆8CgZw1O5dc 投稿日:2012/12/11(火) 22:27:45.09 ID:f/QllwA0
>>91
>正当な理由も無く主権国家を攻撃をすることは
アメリカがやった禁油措置等、経済制裁は武力行使同じだと
専門家も言ってますよ

19 :
牟田口の指揮は正しく佐藤がアホで、あと一歩で日本軍は勝利していたと
イギリスでは牟田口の作戦指導は評価されている。
■アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
■スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
■アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
■マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」
■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

20 :
★インパール作戦が失敗したのは、佐藤がアホだったから
連合軍を利する無能の佐藤は、Rなと
連合軍が特命www

全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、
爆撃しないように特命した事について話してくれました。
それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ)
とストップフォードは言ったそうです。
第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐

私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。
第14軍司令官スリム中将

21 :
>>19
>>20
バカ。

22 :
>>19
>>牟田口の指揮は正しく佐藤が馬鹿で、インパール作戦はあと一歩で成功していたと
>>イギリスでは評価されている。
>>★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
>>牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
>>これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
>>佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

>スウィンソンの原文
>"Mutaguchi was right, there could be no doubt whatsoever;this was what Napoleon called 'the favorable moment',
>and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the brink of disaster.
>But Mutaguchi dared not disobey Kawabe; and the moment passed. "

土足逃走w

23 :
どのみち、たった1個大隊が守備しているイヌ高地さえ落とせないのに
ディマプールになんていけるはずがないのだ。
しかも病院高地やネコ高地も英軍が占領しているというのに・・・

24 :
>>★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
>>牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
>>これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
>>佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
スウィンソンはこれを誰に向けてかいているのだろうか?
英国ではコヒマから161旅団を後退させニチュガード峠を守備させたことが
批難されているようなのだ。

25 :
スウィンソンの「コヒマ」によると、161旅団のコヒマ放棄には
反対者が結構いた。まずスリム大将自体が反対で
161旅団指揮官ワーレン准将、リチャーズ大佐、
パウジイ副弁務官らが反対しランキング少将に意見を具申した。
しかし33軍団のストップフォードはコヒマ撤退を決めてしまう。
これによりコヒマの戦闘は激化してしまう。
しかも31師団はディマプールになんて行く気がなかったにだ。
しかしその当時、英軍の視点ではその蓋然性はあったと
いうのが「佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえ
していたら」という記述につながったのだろう。

26 :
インパール作戦の評価をする時
単独での評価と、大陸打通作戦との関連で評価するかでは
その評価と意義は180度違ってくると思う。
インパール作戦が敵を引き付ける陽動作戦となり、この善戦の結果が
大陸打通作戦を成功に導いたという側面があるからだ。
で、その成功した大陸打通作戦だが、ごく一部の専門家を除き
陸軍悪玉史観の日本では殆ど評価されていない。
(おそらく意図的に)
(インパール作戦との関連も意図的に黙殺されている)
しかし連合国では、非常に高い評価がされている。
米英中の連合国の共同戦略計画を、完全に粉砕したのだと。
ビルマは堕ちたが、援蒋ルート遮断という大きな目的を
日本軍は政略的には成功させている。
インパール作戦を評価は、過去の感情論によるいい加減な評価ではなく
こういった大きな戦略的視点で見れば
評価は全く違うものとなる。

27 :
☆って打通さんなの?

28 :
>>27
だつおよりも能力が無いただの無能の法螺吹きw

29 :
>インパール作戦が敵を引き付ける陽動作戦となり、この善戦の結果が
>大陸打通作戦を成功に導いたという側面があるからだ。
こんなアフォなこと誰が言っているんだ?
大田嘉弘でもこんなバカなことは書いていなかったハズだが・・・

30 :
戦時中の中国軍は膨大な兵力があり
叩いても叩いても屈服しないだろうというイメージが強いが
その武器、燃料の補給ルートは、インドのアッサムを基点とした
ヒマラヤ山脈を越える危険なハンプ越えの航空ルートしかないという
驚くほど脆弱な体制だったわけだ。
この状態では日本軍が本気で攻勢を仕掛ければ
蒋介石政権の崩壊は案外簡単だった可能性が強い。
中国政府がが蒋介石政権から親日の汪兆銘政権に代わっていたら
歴史はかなり違った方向へ行ったであろう。
アメリカに戦争など仕掛けず、極東の英軍撃滅と蒋介石政権打倒に専念し
日本が一致して行動していれば、歴史は違っていた。

31 :
ハンプ越えの航空ルートだが
後期の最新鋭のB29を持ってしてもヒマラヤ越えは厳しく
悪天候による被害続出だったらしい。
おまけに途中のミトキーナからは日本の戦闘機が上がってきて
追われることになる。
しかし残念ながらビルマに配置された戦闘機は型落ちの旧型機しかなく
高高度で速度が出ないため
敵には脅威とはなっても、なかなか追いついて撃墜までは出来なかったようだな。

32 :
>佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、
>英軍は懸崖に立たされていたであろう。
>Sato had only to hold Dimapur for a month
>to bring the British to the brink of disaster
この大田の「コヒマ」からの引用は佐藤中将にディマプール進撃の決定権があるかのように
書かれているが、そんな決定権は無いのだ。
またスウィンソンも決定権があったかのような文章は書いていない。
これは大田が師団の運用を知らないため、 佐藤中将に決定権があると
勘違いしている可能性が高い。

33 :
1943年11月中旬末における東南アジア連合軍司令部の立案した作戦計画は次のとおりである。
1 海軍及び海軍航空隊支援のもとに、第33軍団をもってアンダマン諸島を占領する。
2 北部戦線では北方航空部隊支援のもとにスチルウェル中将指揮下の米支連合軍を
  もって、中国に至るレド公路を啓開するため、フーコン谷地を南下し、モウガン、
  ミイトキーナ地区を攻略する。
3 米第14空軍支援の雲南遠征軍をもって、レド公路中国側端末獲得のため、保山から
  パーモ、ラシオに向かい攻勢を採る。
4 第3戦術航空軍支援のもとにウィンゲート少将の指揮する長距離挺進団をもって
  2、3項作戦のための支援作戦を行う。
5 第50落下傘旅団及び第26インド師団をもって、インドウ駅付近に空挺作戦を実施し、
  スチルウェル中将指揮下部隊のモウガン進出まで同地を確保する。
6 中央戦線では、第221航空群支援のもとに。第4軍団をもってチンドウィン河を
  渡河し同岸東岸に広く橋頭堡を確立し、2、3、4項作戦のため、なるべく多くの
  日本軍を同方面に牽制する。
7 アキャブ方面では、第224航空群支援のもとに、第15軍団をもってマユ半島及び
  ベンガル湾沿岸に沿ってなるべく南方に地歩を獲得する。
これをみれば分かる通り連合国の主攻は北ビルマの打通であり、
英第4軍団は敵を引きつける助攻なのだ。
牟田口は見事に引っかかったのである。

34 :
所謂、インパール作戦はインパールを占領する必要も無かった、
限定攻勢だった。

ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後
   重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に
   向け攻勢を執り成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り爾後
 国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
(2) 右作戦準備に先立ち英軍の真面目の反攻に際会したる場合は各正面
   極力その攻撃を阻止しつつ速やかに反撃の態勢を整え爾後努めて統制ある指導に
   基づき我に近き地帯に於いて英軍の捕捉撃滅を図りたる後「インパール」付近に
   向い追撃す
(3) 前2項の反撃作戦に於ける軍主力を以ってする攻勢開始の時機は予め方面軍の
   命令するところに依るものとす
(4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃
   拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠
たらしむ
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す

35 :
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す
を見れば分かると思うが、柳田中将のマニプール河での防御転換は消極的ではあるが
要綱には沿っていることが分かると思う。

36 :
>>33
>これをみれば分かる通り連合国の主攻は北ビルマの打通であり、
英第4軍団は敵を引きつける助攻なのだ。
牟田口は見事に引っかかったのである。

引っかかったのは連合軍だろ。
日本の主攻は大陸打通作戦の方で
インパール作戦はそれを支援する助攻。

37 :
>>36
相変わらず主攻と助功の区別がついてないようだなw
それにインパール作戦には助功としての任務が付与されていない。

38 :
少しでも軍事作戦に理解がある人なら
ウ号作戦がビルマ防衛のための限定攻勢であることが理解できるはずだ、
もし大陸打通作戦の助功だというならそれは雲南方向への攻撃であるべきであって、
インド方向というのはありえない選択なのだ。

39 :
>>38
バカかおめーは?
中国軍はその補給の全てがインド・アッサム経由なわけで
そこに不安が生じればガタガタになる。
事実、米支軍はガタガタになりスチルウェル司令官は
中国を去ってしまった。

40 :
>>39
>インド・アッサム経由なわけで
補給の主力は空輸なわけだが?

41 :
>インパール作戦はそれを支援する助攻。
インパール作戦には助攻としての任務が付与されていない。

42 :
インパール作戦、大陸打通作戦を
総合的に見れば、連合軍との戦いでは
ビルマは奪還されたが、米英支の協力関係は崩壊し
中国への連合軍の補給は、事実上絶たれるに近い形となった。
ようするにこの地域の戦いは日本軍が戦略的には
勝ったと言っても過言ではない。
これはおそらく参謀本部の当初からの戦略で
だから陸軍中央はインパール作戦への兵力増強を
最小限にとどめて、作戦を長く続行させたと考えられるな。

43 :
>>40
てめーはアホか?
アッサムの飛行場から空輸してるんだが?

44 :
>>43
飛行場なんて幾らでも作れるが?

45 :
>だから陸軍中央はインパール作戦への兵力増強を
>最小限にとどめて、作戦を長く続行
そんな命令も計画も無い。
またビルマにはそうとうな戦力が増強されている。

46 :
連合軍からすれば、結果的にインパール作戦は大陸打通の支援になっていた。
が、日本軍はそういう意図ではなかった。ビルマ防衛のための限定攻勢。

47 :
>連合軍からすれば、結果的にインパール作戦は大陸打通の支援になっていた。
インパール作戦のため投入された英軍戦力はインドやアラカン方面からで、
北ビルマや雲南方面ではないからなんの支援にもなっていない。

48 :
>>47
ハンプ越えの空中輸送力が、インパールで包囲された円筒陣地補給に使われてる。

49 :
4月以降に激戦が始まる北部ビルマは戦線は、18師団に56師団が追加され
新たに編成された33軍が展開する事となった。
ビルマ方面軍から片倉が、中央から辻が参謀として派遣された。
東条が参謀総長になってからの体制で
中央では服部が指揮していたと思われる。18師団長の田中新一を含め
おなじみのメンバーがそろったわけだ。
辻は左遷されたのだと言われているが、そんなわけはない。
重要な戦線だから派遣されたと思われる
蒋介石は中国軍をビルマへ投入することを嫌っていたようだが
(中国国内が手薄になる)が、スチルウエルに押し切られて
米支軍は一気にビルマ侵攻してきた。
(しかしやはり大陸打通作戦によって、蒋介石の憂慮したとおりの裏目に出る)
この時、西では15軍がインパール作戦で奮闘していたわけだが
ここは英印軍を北部ビルマの米支軍支援にまわさせないで
インド東部に釘付けにさせる効果があった。
全体の作戦は中央の服部が主に指揮していたと思われるが
インパール作戦を簡単には中止出来ないのは
やはり全体の戦略があったからだとしか考えられない。
中国軍をビルマに侵攻させた事を、蒋介石はやはり大失敗だったと考え、スチルウエルを解任し、
以降、米中の協力関係は崩壊した。
その結果米軍は中国から撤退したが、しかしそのことが戦後に国共線で国民党が
敗北する結果を招いており、米軍を中国から引き上げさせたことを
蒋介石は後悔することとなる。

50 :
インパール作戦が無謀な死闘だと言っても
北部ビルマ戦線はそれ以上の激戦だし
太平洋戦線なんか、初めから玉砕必至の作戦ばかり。
にもかかわらず、なんでインパール作戦だけが
無謀で補給を無視した作戦だと批判されなくてはならないんだ?
インパール作戦がやる必要の無かった作戦だ、なんていうなら
太平洋戦線の作戦全部が、やる必要の無い、やる意味の無い作戦。
インパール作戦を偉そうに批判している人物は木を見て森を見ない
頭の狂った人間なんだろうか?

51 :
昭和17年の初頭に、空母六隻の支援を受けてやってれば最良の作戦と
呼ばれただろうね。ガダルカナルで戦って豪州が戦争から脱落する可能
性よりも、インドが中立化する可能性の方が大きかった。政治的効果は
インパール作戦の方が大きいし、インドの安定化に英軍は兵力を裂いて
シナ支援どころじゃなくなる。

52 :
>>50
その通り。
アッツ島、ガダルカナル島こそ戦略的価値ゼロ。
ガダルカナルで陸軍は餓死。
ガダルカナルに歴戦のパイロットを投入して、ミッドウェーの何倍も殺している。
インパールはガダルカナルの100倍ぐらいの戦略的価値がある。

53 :
>インパール作戦を偉そうに批判している人物は木を見て森を見ない
>頭の狂った人間なんだろうか?
雑草の集まりを見て「森だ」と言ったらキチガイ扱いは当然だろうw

54 :
>インパール作戦が無謀な死闘だと言っても
>北部ビルマ戦線はそれ以上の激戦だし
インパール作戦をやらず北ビルマか雲南を増援すべきだった。

>太平洋戦線なんか、初めから玉砕必至の作戦ばかり。
対米開戦を決めた陸軍が悪い。
>にもかかわらず、なんでインパール作戦だけが
>無謀で補給を無視した作戦だと批判されなくてはならないんだ?
陸続きなのに補給切れの戦闘を強要させるのは利敵行為ではないか。

>インパール作戦がやる必要の無かった作戦だ、なんていうなら
>太平洋戦線の作戦全部が、やる必要の無い、やる意味の無い作戦。
対米開戦を決めた陸軍が悪い。としかいいようがないな。

55 :
>>54
対米開戦を、陸軍が決めた、だ?
どこからそんな妄想が言えるんだ?
寝言を言うのもいい加減にしろタコ
対米戦はすべて、それをやる海軍が自分で決めたこと。
陸軍は対米戦争を想定して無いし、まったく関知もしていない。

56 :
このように過去インパール作戦を偉そうに批判してきた連中は
いざ論争を仕掛けようとすると、このようなトンチンカンな反論しか言えない
無能ぞろいで、まったく論争する能力が無いw
こいつらバカが賛美する海軍に関しては
無責任な海軍の無意味な愚かな作戦は
「対米戦争は陸軍が決めたのだから陸軍の責任だと」
意味不明な言い訳をわめく狂った人間だなw

57 :
>>54
>陸続きなのに補給切れの戦闘を強要させるのは利敵行為ではないか。
では、海の上では補給切れの戦闘を
いくらでもやっても、かまわないと
こう言いたいんだろうか?
感情論しか頭に無いバカの考える事は
何が言いたいのかまったく理解が出来ないw

58 :
インパールの戦略的な価値とガダルカナル島やアッツ島の価値を比較して欲しい。
なんで海軍は太平洋正面での作戦にこだわったのかな。
日本海海戦のような艦隊決戦を夢見たのだろうが、太平洋海戦に勝ってもハワイを占領するぐらい。
ハワイには、戦略的にはインド程の価値は無い。
山本五十六はそのあたりを勘違いしていたと思うが、本当は東條英機が悪いと思う。
それは日露戦争の時と比較するとよくわかります。
日本海海戦もそれほど大きな意味はなくて、心理的な意味が大きい。
日本海海戦にロシアが勝った場合は決定的だが、日本がどれほど大勝しても戦略的には大したことはない。
そんなことは上層部はわかっていて、心理的効果に乗じて講和を急いだ。
東郷平八郎が全体の戦略に口を出したりしなかったのは、日露戦争の時は戦争指導があったからです。
ヒトラーもスターリンも戦争全体を指導していたが、東條英機はそれが出来なかった。

59 :
ベンガル湾に上陸したほうが良かったんじゃないか?

60 :
>>58
統帥権の独立した陸海軍を東条がどうやって
指導できるんだ?

61 :
ビルマルートを遮断された中国の膨大な米支軍の補給ルートは
ベンガル湾からアッサム鉄道を経由して
爆撃隊以上に被害が出たといわれる危険なハンプ越えの空輸しか
無かったわけで、これじゃ中国の膨大な米支軍は首の皮一枚じゃないか。
どんなに航空機で空輸に当てても、燃料なんか送れる量は知れている。
アメリカを戦争に直接参戦さえさせなければ
英中に勝って大東亜戦争に勝利することはは間違いなかったわ。

62 :
インパール作戦が遅れた原因は稲田による妨害だが
もしかすると参謀本部が大陸打通作戦にタイミングを合わせるために
調整した可能性もある。
ちょうど良いタイミングで米支軍を引き付けたている。
もう少しビルマに兵力があれば
英印軍と米支軍を完全撤退に陥れるチャンスだったわけで
そうなれば援蒋ルートは完全遮断できていた。

63 :
ソロモン方面に大投入されたあの陸海軍の航空兵力を含めた兵力を
ビルマ方面に配置して陸海軍がこの方面で共同作戦を実施いいていたら・・・
こう考えずにはいられない。

64 :
今だと、グーグルアースでインパール作戦の場所を確認できるなあ。
やはりビルマの人より、インドの人の方が肌が黒いな。
よくこんなトコを歩いたよホント。
インパール西部の要衝を押さえたって話になっているけど、どこを押さえたんだっけ?
山又山でどこを押さえても一緒のような気が…w

65 :
>>63
屑の朝鮮野郎のバカ妄想なんぞどこにも入る余地なぞないなw
屑の能無し法螺吹き朝鮮土足くんw
毎日法螺吹いてないと死ぬんだよなw
手を動かせば捏造、口を開けば改竄、思いつきはすべてトリミング
歩く法螺吹き捏造野郎とは間抜けの法螺吹き屑土足の事だもんなwww
東條が船舶問題で海軍の提案を一蹴している以上バカの法螺吹きが
ほざく朝鮮駄法螺なんぞ一顧だにする価値もないwwwww

66 :
>>63
イギリスとドイツが講和して日本フルボッコになるだけだなw

67 :
確かにインパールは重要だったが、マダガスカルはより重要だった。
マダガスカルにはディエゴ・スアレスという天然の良港があり、そこが真の天王山。
あそこに日本の潜水艦を送り込めば、エジプトとソ連への補給を断てる。
そうすれば、ヒトラーもスターリングラードにこだわることはなかっただろう。
ロンメルのアフリカ軍団がスエズ運河を占領すれば、中東の石油も手に入る。
独ソ戦の結果も変わった可能性がある。
1942年5月5日のアイアンクラッド作戦で、5月7日にディエゴ・スアレスが陥落したのが痛かった。
その前に日本が支援するべきだったと思う。
マダガスカルの戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

68 :
>>67
ウォーゲームとしてなら面白いなw

69 :
>>67
マダガスカルへ行くなら、なおのこと、セイロンとアッヅ、モルジブの制圧が必要になるんだが。

70 :
>>69
なお、日本側は当時アッヅ環礁の基地の存在を掌握してなかったりする。

71 :
第二次世界大戦全体を考えるとマダガスカル。
日本が英国、中国と講和したいならインパール作戦かな。
インパールを取ると援蒋ルートが遮断できる。
その時点で対中国とは講和を目指す、同時に大英帝国は崩壊寸前。
チャーチルはインドを失いたくはないから講和に応じると思う。
ドイツにあんまり勝たせるよりも、こっちの方が良いかな。

72 :
日本が珊瑚海海戦やミッドウェー海戦をやっている間に、イギリスはアイアンクラッド作戦。
オーストラリアとハワイを足したよりディエゴ・スアレスの方が戦略的価値は上。
日本は英国より強かったのに、戦略に差がありすぎ。

73 :
>チャーチルはインドを失いたくはないから講和に応じると思う。
ドイツとの間でw

74 :
>>72
だって、陸軍がインド洋方面への兵力展開嫌がったし、東条英機が輸送船を回さなかったからだろ。

75 :
>>74
何度も言ってるが、そんな根拠は無いわ、五十六信者のボケが。
陸軍は5月まではビルマ攻略作戦の真っ最中であり
それ以降は海軍が東部ニューギニアを戦場にしてそちらへ
兵力を送るハメになってしまった。
だからセイロン攻略なんか支援する輸送船があるわけがない。
何もかも連合艦隊・山本五十六のバカによって
そのような展開になってしまったわけでな。

76 :
先の補給のことなど、考えた形跡など微塵も無い
ポートモレスビーを攻略し米豪を分断するという
妄想馬鹿な作戦に比べると、インパール作戦は
全ての点において、遥かに真面目に現実的に立案されている。
こんなところへ貴重な兵力を大量に全く無駄に送って
何もかも消滅させた責任が
だれの責任なのかハッキリさせる必用がある。

77 :
ポートモレスビーやガダルカナルに兵力をつぎ込むのは馬鹿。
米豪を分断してオーストラリアを占領したとして、戦略的な価値はあるのか。
羊毛を仕入れてシベリアを攻撃するのかな。
独ソ戦は天王山だから、それならわからないでもないが。

78 :
>>76 >>77こんなこと云ってる「ドア方」がいるのかよ・・・
敵情や世界情勢を判断するのは連合艦隊ではない。
専門の部門があるのだ。
その資料をもとに昭和17年3月に日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議は次の決議、
「世界情勢判断」と「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」を採択した。

「米英の大規模反抗は翌年の18年以降であり、今や攻勢的戦略態勢に転じうる気運になった」との判断を示した。 
これが 海軍省、軍令部へと通達され、以後の連合艦隊の行動へと繋がって行くことになる。

79 :
ブルマ全域攻略が完了した1942年5月
次にやるべき事は
陸軍がハンプ越え空輸ルートの拠点アッサムを目指し
ベンガル湾のチッタゴン〜アッサムへ至るアッサム鉄道を
空挺部隊によって寸断。
北部ビルマのミトキーナ飛行場に高高度追撃可能な3式戦闘機を配備し
ハンプ越えの敵輸送飛行部隊を徹底して叩く。
海軍はベンガル湾に機動部隊を展開して敵輸送船団、チッタゴンの港、
カルカッタの敵航空兵力を叩く。
こういった戦略が望まれた。
しかし現実は海軍が進言する、東部ニューギニア戦線に兵力を全部
持って行かれて、それは不可能となった。

80 :
ブルマw→ビルマ

81 :
どう考えても中国遮断の方が重要なのに
なんでオーストラリアを遮断する必要があるのか?
オーストラリアを孤立させて、それでどうなる?
どう考えても
海軍はひたすら大東亜戦争と陸軍の妨害をしていただけだろが。

82 :
インパール作戦は失敗したが
アッサムに脅威を与える事で連合軍がいかに
ガタガタに崩壊するかを証明してくれたわけだ。
あの時期に、たったあれだけのことで(ディマプールの危機)
連合軍はあれだけテンヤワンヤになったのだから。

83 :
それにしてもドーリットル空襲の効果は大きい。
日本が第二段作戦をどの方面に展開するか
決定する時期に合わせてやってきている。
まるで米国は日本の重要な会議に出席して
成り行きを聞いていたかのように。

84 :
>>81
大本営政府連絡会議が次のような指示を出したからだろう。
昭和17年3月に日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議は次の決議、
「世界情勢判断」と「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」を採択した。
「米英の大規模反抗は翌年の18年以降であり、今や攻勢的戦略態勢に転じうる気運になった」との判断を示した。 
これが 海軍省、軍令部へと通達され、以後の連合艦隊の行動へと繋がって行くことになる。

85 :
>>83
ドーリットル空襲は、敵が打つ手がないよと自白しているのと同じなのに。
反応するのは馬鹿なのだが、山本五十六の日露戦争の記憶が大きい。
ドーリットル空襲が山本五十六の記憶を蘇らせたのだと思う。
日露戦争当時、ロシアのウラジオ艦隊は通商破壊を行なっていたが、日本海軍はそれをなかなか補足できず、国民の非難は第二艦隊司令官、上村彦之丞に集中し、自宅に投石までされた。
山本五十六のこの記憶がミッドウェー海戦を決断させたのだと思う。
後は、太平洋海戦のような艦隊決戦を夢見たのだろうが、それは日本海海戦の効果を見誤ったせいです。
日本海海戦はロシアが勝った場合は決定的ですが、日本が勝った場合は心理的価値しかない。
当時の上層部はそれを知って、講和を急いだのです。
太平洋海戦で勝った場合も同様です。
アメリカが太平洋海戦で勝つと、日本にとっては致命的ですが、日本が勝ってもアメリカ本土上陸するほどの力はなく、アメリカを封鎖することも出来ない。
日本が勝った場合は心理的な効果にとどまるのです。

86 :
>>84
そんなトンチンカンな話しにだれがだまされるんだ?
当時の海軍幹部は全部、山本五十六の言いなり人間。
軍令部総長:永野 次官:伊藤整一
海軍大臣:嶋田 次官:沢本
これらは山本五十六のイエスマン。
だから第一委員会だとか中堅幹部らが、いくら連合艦隊の暴走を
止めようにも止めようが無い。
石川信吾とか第一委員会が暴走して、山本五十六はそれに引きずられたのだとか
全く逆のそんな大嘘を、よくもしゃーしゃーと恥も知らず
大嘘が言えたもんだ。

87 :
>>86
ソレのソースをどうぞ。

88 :
>>1 >>85
陸軍の子孫なんだろうが・・
自分は悪くない、あいつが悪いなどと
責任逃れの為の対立と憎悪の種を振りまいてる図式だな。
何が日米対立の原因なんだ?仏印進駐のずっと前からある。
自分たちのこと考えてみよ。言うまでもないが・・・。

いつまでも女子供のようなこと言ってると
日本など消えてなくなってしまうぞ。

89 :
>>86
おいおい、普段、東京にいない人間がなんでそんなことができるんだ?
山本は普段は瀬戸内海の泊地にいる戦艦の司令部に常駐しているんだが・・。

90 :
>>86
トンチンカンは>>1 >>86だが・・

陸軍もアメリカ領土を奇襲攻撃してるんだが・・・あの12月8日に・・。
比島、瓦無島だ。
陸軍も英領も奇襲攻撃してるんだが・・・海軍より早く通告前に・・・。
日本政府も知らなかった。
あんたら知らないのじゃないか?
遅くとも10月始めには陸軍が奇襲攻撃することは決まっていたことだよ。

91 :
野草を食べる研究が成功してれば兵站の問題も解決してたし、
うまくいってた可能性もちょっとはあるのかな。
だけどジンギスカン作戦はアホすぎる。

92 :
>>91
なかなかいいこと言うね。
それだよ。それ。
みんなで野草を食べる研究を成功させて
日本を繁栄に向かうようにアイデアを出すことが大事。
こんなとこであいつが悪いだの、おいらは良いだの
くっだらんこと言うとるヒマはないでえ。

93 :
だけど牟田口とか辻とか頭が良すぎるから人のいうこと聞くことはないな。
だからいずれは大失敗してたでしょ。

94 :
なかなかいいこと言うね。
それだよ。それ。
学校秀才とか頭が良すぎるタイプの人物だけを指導者にしたのが日本の間違いだった。

95 :
せっかく制海権を取ったんだから、カルカッタ・チッタゴン上陸作戦をして
山越え組と合流すればよかったのに。
またベンガルは存在自体が食料庫。インパールに次々送れば悲劇は無かっただろう。

96 :
>>95
だから陸軍が、兵力の出し惜しみしたんだよ。

97 :
当時の陸軍のエリートって、今の東大生より遥かに格上だよな。
下っ端の話など聞いてくれるわけがない。

98 :
山本五十六が横車を挟む前の当初の国家の方針だった
米英可分論によって、アメリカに攻撃を仕掛けず
陸海軍が全力で極東の英印軍を叩いていたら
あっという間に大東亜戦争は勝利していたわな。
アメリカを参戦させなければ、スチルウエルの米支軍も存在しないのだから
インド、ビルマを征圧するのは、とんでもなく簡単じゃないか。
植民地解放を大儀に打ち立てれば
当時の米国世論情勢からいって、絶対に米国は直接参戦出来ない。
これじゃ日本は、負けようが無い。

99 :
勝ちに不思議の勝ちあり
負けに不思議の負けなし

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