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2013年01月日本近代史39: 【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】2 (263)
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【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】2
- 1 :2012/12/23 〜 最終レス :2013/01/04
- 国が決めた大東亜戦争の基本方針、開戦前に政府と陸海軍が取り決めた
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」では、
まずアジアで英軍を屈服させることとなっている。
日独で英国を追い込み、ビルマ、インドの独立を誘発し、
その事によって政治的に米国の戦意を殺ぎ、
対米和平へと持ち込む事を目標としていた。
(太平洋の対米艦隊への攻撃は適時とし、補助的な扱いとなっている)
しかし海軍・山本五十六はこの国の基本方針を無視して独断でハワイを攻撃し
(東条首相は海軍がハワイを攻撃することを知らされていなかった)、
ミッドウエーやソロモン方面で大規模作戦を展開した。
山本五十六の暴走によって、大東亜戦争が対米・太平洋戦争になってしまう。
海軍は戦果を改竄して大勝利の嘘の報告ばかりを大宣伝したため、
世論も対米太平洋決戦に歓喜し、陸軍も太平洋での海軍の作戦に協力するよう
引きずり込まれた。
- 2 :
- 団塊の無能世代のヒーロー(笑)
山本五十六の神話は地に落ちた。
このバカこそが、日本を大敗させた戦犯であり
こいつのせいで、世界中が戦争に巻き込まれたわけだ。
もうこのバカを賛美してる間抜けは、痴呆認定されるであろう
- 3 :
- ★日中戦争を泥沼化させたのも、山本五十六である
■山本五十六が日中戦争を勃発、泥沼化 (海軍の権益と航空兵力、予算拡大が目的)
海軍次官・山本五十六は、陸軍と対等の立場と予算獲得のため大量の航空兵力配備をもくろみ
盧溝橋事件以降、華北での混乱が収束へ向かい
日中和平実現が目前となった時(船津和平工作による)
山本五十六海軍次官はそれに危機感を持ち、それを妨害するために
中国都市空爆を強行したと推察できる。
その海軍が強行した南京爆撃(渡洋爆撃)は、盧溝橋事件以前から周到に準備訓練、計画していた、
中国に対する計画的な侵略戦争に該当る疑いがある。(共同謀議)
当初は敵飛行場を標的にしたが、山本が開発した96陸攻は防弾装備が皆無で旧式の敵戦闘機に撃墜されまくり、
直ぐに夜間の都市無差別爆撃に切り替える。
第二次上海事変を機に、4ヶ月にもわたって南京への猛爆は敢行された。
航空派の親玉である山本五十六が中心となって強行したと思われる
南京無差別爆撃こそが日本の暴走の始まりである。(日中戦争の泥沼化)
そしてこれはソ連共産党の謀略通りに、
全中国人を反日で一致団結させ、世界を敵にまわす結果を招いてしまった。
戦略的な意味と効果は殆ど無く、日本の航空機被害は莫大であった。
ルーズベルト大統領はこの海軍の南京無差別爆撃を世界に向けて非難。
アメリカ大統領が歴史上初めて、日本を強烈に非難した。(隔離演説)
(満州事変でさえもアメリカ大統領が日本を直接批判したことは過去一度も無かった。)
- 4 :
- >>1
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
- 5 :
- >>1 >>3
さっさと答えろ!!
- 6 :
- >>1
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
- 7 :
- 真珠湾を攻撃したから、日米戦争になったのではない。
なぜなら、ルーズベルトは11月28日の会議で、日本が英領や蘭領を
攻撃したら直ちに参戦することを明らかにし、
ハイファックス駐米英国大使を通して、
日本の南方武力進出に備えて対米武力援助を最終的に保障している。
- 8 :
- >>1
東条首相は「ハワイ作戦は参謀総長より承知していた」と供述書に述べている。
- 9 :
- >>1
>基本方針を無視して独断でハワイを攻撃し
(東条首相は海軍がハワイを攻撃することを知らされていなかった
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦を連絡している。
以後陸海軍共同して作戦の研究を行い10月末には完成し、
11月3日に参謀総長と軍令部総長はこの作戦(ハワイ作戦を含む)を
天皇陛下に説明している。陸軍大臣の東条首相が3ヶ月もの間、知らないなどと
云うことがあるのか?もし知らなかったとしたら、それは陸軍内部の問題・・・
すなわち、陸軍側で情報を止めたということである。
- 10 :
- >>1 >>3は過去スレで
全て否定されているのである。
- 11 :
- 山本批判者の種類・特徴・原因 @
・東京裁判で陸軍側だけが有罪とされたことに対する陸軍係累者(戦犯遺族や陸軍々人の)の反感 。
陸軍軍人たち自身や親の名誉挽回に必死に海軍のアラ探しをして 国民の目をそちらに向けさせる狙い、
・多くの人が山本が海軍全体の総大将だったと勘違いしていることから、「海軍の誤り」、即、山本の責任とされている。
事実は多くの海軍組織の中にある戦闘部隊の一軍司令官にすぎない。
・天皇や皇族が戦争に無関係ではなかったことを国民からそらし隠蔽したい勢力(右翼を僭称する1派)の存在
・戦争決定当事者たちの一部が自己の責任を隠蔽する為に責任を戦死した山本になすり付けて偽りの風聞を流した。
(死人に口なしでウソ偽りを言ってもばれることはない)
・末端将兵の一部が自己への不当な命令が連合艦隊司令部から出されたと勘違いしている。
実際は所属の艦隊司令部などの部門からであり、組織をよく知らないことから不満を持った者がいる。
・現代人が当時の日米関係を理解や想像すらできない為
(当時は互いに仮想敵国であり人種差別や経済封鎖などのからんだ憎悪を抱いていた。)
・毎年、12月8日になると真珠湾攻撃の映像を見せられる為、
真珠湾攻撃が戦争の原因だと刷り込まれてしまった人たちが存在。
・戦争を「愚か」とだけでしか捕らえない教育が戦争当時者たちを全て犯罪者扱いしている為。
その結果、国家の命令で戦争の先陣を承っただけの山本が戦争の犯人、犯罪者だとされている。
山本批判者の種類・特徴・原因 A
・山本が強力な権力・指導力を発揮したと思われている人物であることへの反感 。
事実は単なる戦闘部隊の1軍司令官でしかなく、現場監督の親方といった存在。
・日本人特有のイジメ心理。負けた軍隊の指揮者を罵ることで自己の不満を晴らす。
特攻隊の人びとを愚かだ馬鹿だと愚弄する風潮にまでなっている現在の状況。
指揮者たちも特攻隊員と同様に、逃げることなど出来なかったのだ。
そんな社会システムは今もあまり変わってない。
・統帥と政府は互いに関与しないのが当時の制度であったのをご存知ない無知な人びとが山本が独断で勝手に
戦争を引き起こしたと思っている。また、東京裁判の尋問で東条首相が真珠湾攻撃を12月になって知ったかの
印象を与える証言を行った。しかし、事実はもっと前からである。理由は天皇を守る為の証言であった。
この事情を知っている人間がそれを悪用して攻撃の理由にしている。
・統帥部と連合艦隊との違いが分らないほどの政治・軍事知識欠如。
・山本が度々、映画その他で格好よく描かれていることへの妬み、嫉妬。
・戦略や指揮官が悪かったから日本が負けたのだとしたい人びとが多数存在する。
最初から日本は勝つことが目的ではなく、ドイツの勝利を当てにした早期講和を目指していた。
・多くの言論人が充分な史料に接しないで、個人的推測・憶測・曲解から来る書物を元にしている為、
山本批判者はこれらの人々が作った著作に情緒的に追随しているだけなので、まったく史料を出すことができない。
- 12 :
- ■山本五十六が日中戦争を勃発、泥沼化 (海軍の権益と航空兵力、予算拡大が目的)
海軍次官・山本五十六は、陸軍と対等の立場と予算獲得のため大量の航空兵力配備をもくろみ
盧溝橋事件以降、華北での混乱が収束へ向かい
日中和平実現が目前となった時(船津和平工作による)
山本五十六海軍次官はそれに危機感を持ち、それを妨害するために
中国都市空爆を強行したと推察できる。
その海軍が強行した南京爆撃(渡洋爆撃)は、盧溝橋事件以前から周到に準備訓練、計画していた、
中国に対する計画的な侵略戦争に該当る疑いがある。(共同謀議)
当初は敵飛行場を標的にしたが、山本が開発した96陸攻は防弾装備が皆無で旧式の敵戦闘機に撃墜されまくり、
直ぐに夜間の都市無差別爆撃に切り替える。
第二次上海事変を機に、4ヶ月にもわたって南京への猛爆は敢行された。
航空派の親玉である山本五十六が中心となって強行したと思われる
南京無差別爆撃こそが日本の暴走の始まりである。(日中戦争の泥沼化)
そしてこれはソ連共産党の謀略通りに、
全中国人を反日で一致団結させ、世界を敵にまわす結果を招いてしまった。
戦略的な意味と効果は殆ど無く、日本の航空機被害は莫大であった。
ルーズベルト大統領はこの海軍の南京無差別爆撃を世界に向けて非難。
アメリカ大統領が歴史上初めて、日本を強烈に非難した。(隔離演説)
(満州事変でさえもアメリカ大統領が日本を直接批判したことは過去一度も無かった。)
- 13 :
- >>12
その根拠出典を出せ
- 14 :
- >>12
その根拠出典を出せ! 早く出せ!
- 15 :
- 海軍と連合艦隊とを混同している者が多い。
連合艦隊は海軍とよばれる多くの組織の中の戦闘部隊としてのひとつの組織である。
山本はその1軍の司令官であったにすぎない。
また、
-- 軍部 -- とは
実際に軍を動かし、戦略を決定していた組織を指す。
太平洋戦争下で天皇を頂点とした統帥権の縦軸に隷属していた陸軍参謀本部と海軍軍令部の
作戦に係わる連中をいう。陸海ともトップエリートとされ、陸大,海大の上位5人という暗黙のルールがあった。
ただし、いずれも蛸壺組織であり、社会性、国際性などの広い視野や、人を束ね、ある目的を達成するなどの
能力が備わった人物であったわけではない。また、その成績順は相対評価だったから、前期成績優秀者
と今期成績優秀者が同列ではありえなかった。
- 16 :
- >>1 >>12
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
- 17 :
- >>1 >>12
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
- 18 :
- >>1
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦の計画が海軍側から伝えられてから
同作戦は南方作戦の一環として陸海軍作戦当局間相互交流の上で研究立案の上、10月末までに完成した。
東条内閣の組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を上奏した。
允裁を仰ぐためではなく、11月5日御前会議におけるご決意の資とする為であった。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定された。
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦を連絡している。
以後陸海軍共同して作戦の研究を行い10月末には完成し、
11月3日に参謀総長と軍令部総長はこの作戦(ハワイ作戦を含む)を
天皇陛下に説明している。陸軍大臣の東条首相が3ヶ月もの間、知らないなどと
云うことがあるのか?もし知らなかったとしたら、それは陸軍内部の問題・・・
すなわち、
陸軍側で情報を止めたということである。
- 19 :
- >>1
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦の計画が海軍側から伝えられてから
同作戦は南方作戦の一環として陸海軍作戦当局間相互交流の上で研究立案の上、10月末までに完成した。
東条内閣の組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を上奏した。
允裁を仰ぐためではなく、11月5日御前会議におけるご決意の資とする為であった。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定された。
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦を連絡している。
以後陸海軍共同して作戦の研究を行い10月末には完成し、
11月3日に参謀総長と軍令部総長はこの作戦(ハワイ作戦を含む)を
天皇陛下に説明している。陸軍大臣の東条首相が3ヶ月もの間、知らないなどと
云うことがあるのか?もし知らなかったとしたら、それは陸軍内部の問題・・・
すなわち、
陸軍側で情報を止めたということである。
- 20 :
- >>1に表される、このスレッドは
事実ではないことをタイトルに掲げ、
個人を誹謗中傷し、けなし、貶めることだけを
目的に作られたものである。
何度も事実を説明し、それに対する返答を求めてきたが全く返事はない。
- 21 :
- >>1に表される、このスレッドは
事実ではないことをタイトルに掲げ、
個人を誹謗中傷し、けなし、貶めることだけを
目的に作られたものである。
何度も事実を説明し、それに対する返答を求めてきたが全く返事はない。
- 22 :
- >>1
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
>>1
東条首相は「ハワイ作戦は参謀総長より承知していた」と供述書に述べている。
>>1
>基本方針を無視して独断でハワイを攻撃し
(東条首相は海軍がハワイを攻撃することを知らされていなかった
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦を連絡している。
以後陸海軍共同して作戦の研究を行い10月末には完成し、
11月3日に参謀総長と軍令部総長はこの作戦(ハワイ作戦を含む)を
天皇陛下に説明している。陸軍大臣の東条首相が3ヶ月もの間、知らないなどと
云うことがあるのか?もし知らなかったとしたら、それは陸軍内部の問題・・・
すなわち、陸軍側で情報を止めたということである。
- 23 :
- 海軍と連合艦隊とを混同している者が多い。
連合艦隊は海軍とよばれる多くの組織の中の戦闘部隊としてのひとつの組織である。
山本はその1軍の司令官であったにすぎない。
また、
-- 軍部 -- とは
実際に軍を動かし、戦略を決定していた組織を指す。
太平洋戦争下で天皇を頂点とした統帥権の縦軸に隷属していた陸軍参謀本部と海軍軍令部の
作戦に係わる連中をいう。
- 24 :
- >>1
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
- 25 :
- >>1に表される、このスレッドは
事実ではないことをタイトルに掲げ、
個人を誹謗中傷し、けなし、貶めることだけを
目的に作られたものである。
何度も事実を説明し、それに対する返答を求めてきたが全く返事はない。
- 26 :
- 真珠湾を攻撃したから、日米戦争になったのではない。
なぜなら、ルーズベルトは11月28日の会議で、日本が英領や蘭領を
攻撃したら直ちに参戦することを明らかにし、
ハイファックス駐米英国大使を通して、
日本の南方武力進出に備えて対米武力援助を最終的に保障している。
- 27 :
- 共産主義者のスパイ「ゾルゲ」は、ドイツの対ソ連奇襲のバルバロッサ作戦を
事前にスターリンに知らせていた。その情報は日にちまでほぼ正確だった。
そのゾルゲが、日本の対米戦が真珠湾奇襲で始まることを知らないはずが
ない。ゾルゲのスパイ仲間の尾崎は近衛の側近だったので、真珠湾奇襲は、
近衛→尾崎→ゾルゲ→スターリンを通じてルーズベルトにも知らされていた。
ルーズベルトの側近にも共産主義者がいたので当然だ。
- 28 :
- >>1に表される、このスレッドは
事実ではないことをタイトルに掲げ、
個人を誹謗中傷し、けなし、貶めることだけを
目的に作られたものである。
何度も事実を説明し、それに対する返答を求めてきたが全く返事はない。
- 29 :
- >>1
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
- 30 :
- >>1
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦の計画が海軍側から伝えられてから
同作戦は南方作戦の一環として陸海軍作戦当局間相互交流の上で研究立案の上、10月末までに完成した。
東条内閣の組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を上奏した。
允裁を仰ぐためではなく、11月5日御前会議におけるご決意の資とする為であった。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定された。
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦を連絡している。
以後陸海軍共同して作戦の研究を行い10月末には完成し、
11月3日に参謀総長と軍令部総長はこの作戦(ハワイ作戦を含む)を
天皇陛下に説明している。陸軍大臣の東条首相が3ヶ月もの間、知らないなどと
云うことがあるのか?もし知らなかったとしたら、それは陸軍内部の問題・・・
すなわち、
陸軍側で情報を止めたということである。
- 31 :
- >>12
その根拠出典を出せ! 早く出せ!
- 32 :
- 真珠湾攻撃はな、
@天皇陛下も予め承認
A政府代表の東条首相も予め知っていた。
B陸軍も知っていた。
C作戦は陸海軍合意の上
だったんじゃ。
みんな上に書いてあるぞなもし。
「真珠湾」が悪いと言いたいんじゃろうが、
ほんじゃ、どこを攻撃すりゃよかったんかいね?
他を攻撃しても「リメンバー!」になっておったよ。
米英蘭豪はすでに対日参戦を決めたとゆう情報を
日本政府はつかんどったんや。
ハル・ノート受諾しても相手がそれで勘弁してくれる思うたら大まちがいや。
石油や鉄其の他資源の輸出停止を解除するちゅう保障は何んもない。
こっちの油がどんどんのーなってくんだわ。なあんもせんでも。
時間たつだけでな。
なんだかんだと難クセ付けられて結局コテンパンにやっつけられたろうよ。
インディアンをそうやってやっつけて来たんやで。
調べてみいや。
それを当時の人は知っとったんやな。
- 33 :
- おまんら 人の悪口ばっか言っとるんやないか。
ええかげんにせなあかんぜよ。
自分のうっぷん晴らしやっとるだけやないか。
自分がしっかりしとる人間は人の批判なんぞやっちょらんぞなもし。
見てみい、おまんの周りで人の悪口いうとる奴らがぎょうさんおるやろ。
そんたら奴らは幸せな人かね。
有能な人かね。
おまんはそげんな人になってみたいんかね。
当時のこつばどれほど知っとるんかいね。
おまんらが読んどる本はな、考えてみい。
何んか別のこつば隠そうとしとるんじゃ。
例えば、陸軍の出身者が自分らが悪いと言われてたもんで
海軍のもんに責任をかぶせたいとかな。
軍や政府の当事者が自分らの責任をば隠しとうて
他の誰か、山本どん なんぞを引きずり出してるだけやないか。
山本どんより偉いもんはいくらでもおるで。
山本どんは戦死しとるんで何ゆうても、うそゆうても誰もわからん。
ひどいもんじゃなかと?
未だに日本が戦争に入った理由は議論が尽きんのや。
国民自身が原因がよく分からなんもんだで、
「真珠湾」が悪い→山本どんが悪い、
というふうに頭ん中で理由つけをしたいというだけや。
こいつが悪いちゅうもんがおったら、
それで国民はもう考えんでええ。
こげんな楽なこつばなかとよ。
せやから山本どんに責任ば押し付けとる。
そこらの本屋に積んであるような興味本意の本は
得体の知れん本を丸写ししとるだけや。
それを丸写して、又、別の得体の知れん本が作られていっとる。
その繰り返しや。
おまんら元の正しい資料で検証してみたことあるんかね、
おいどんはやってみたぞなもし。
ほうしたらたまげたぞ。
デタラメこいとるもんばっかじゃ。
こいとるんは「へ」じゃなかとよ。
デタラメこいとるんじゃ。
- 34 :
- 「東条英機宣誓供述書」より
○11月4日の陸海軍合同軍事参事官会議で軍令部総長の説明の描写で
「真珠湾攻撃の件については何等触るる処ありませんでした」と書いている。
東条さんがここで何故に、わざわざ、そのように記述したのか。
軍令部総長が「第一段作戦という言い方でハワイ作戦を表現し、他者から秘匿していた」
ということを言っているのである。 東条さん自身も作戦を知っていたからそう言えるのだ。
○11月29日の重臣会議において東条さんは天皇陛下の前での自らの説明の際、
「ハワイ攻撃の事は勿論其他攻撃に関する純統帥事項は告げず」と記入している。
また、同日午前中、政府と重臣たちとの間の懇談で日米交渉のことについて問われた際、
「純作戦事項のことについては説明をさけたのであります」とも述べている。
意味は東条さんは知っていたが他の重臣たちに秘密が漏れないように、公表しなかったという意味だ。
○12月1日の御前会議の席上、東条さんは政府及び統帥部が原枢密院議長の質問に対して答えた際、
「この時の説明に際してハワイ攻撃其の他の統帥事項に関する具体的の事については少しも口外せず」と。
また、この席上で「私と海軍大臣を除く他の閣僚は事前に之を承知しておりません」と。
○「12月4日の連絡会議で「真珠湾其の他の攻撃作戦計画及作戦行動わけても攻撃開始の時間は
大本営においては極秘として一切之を開示しません。
従って連絡会議出席者でも陸海軍大臣以外の閣僚等は全然之を知りません。
私は陸軍大臣として参謀総長より極秘に之を知らされて居りましたが他の閣僚は知らないのであります。」
○12月8日未明、東郷外相よりルーズベルトからの親電を天皇陛下へ上奏可否を問われ、
「私は直ちに上奏には異存なしと告げるとともにもはや海軍の機 動部隊の飛行機は母艦より
飛行の開始を為しているであろうと答えたのでありました」と。
○「帝国は1941年12月1日より開戦準備に入り大本営陸海軍統帥部の
企画に基き敵の大包囲圏を「ハワイ」、「比島」、「香港」、及び「マレー」
の4箇所において突破するの作戦に移りました。
12月8日(日本時間)早暁其の攻撃を実施しました。
而してこの攻撃は何れも軍事目標に指向せられたのであります。
此の攻撃作戦は統帥部において極秘裡に進められたのであります。
私は陸軍大臣としてその概要を参謀総長より承知して居りました。」
- 35 :
- 東条英機首相と陸軍はハワイ攻撃を知っていたことを示す典拠
○昭和16年8月に海軍より開戦劈頭に戦力差を埋めるための
真珠湾攻撃を研究中と内密に伝達されている。
「海軍が開戦劈頭真珠湾奇襲を研究中であることを、
陸軍側が知ったのは昭和十六年八月であった。
開戦当時における海軍の劣勢を補うためには最良の方法であること及び
絶対に秘密を保持されたいと伝えられた。 陸軍側は海軍の苦心のあるところを十分諒解し、
何等意見を述べなかった。そして陸軍側でこの作戦を知っていたものは、
参謀総長及び次長以下作戦関係主要幕僚の極めて少数と、陸軍省首脳のみであった。」
出典: 明治百年史叢書杉山メモ 下巻 資料解説 P6
○昭和16年8月22日参謀本部は対米英戦争を決意した。
「軍令部作戦当局はハワイ空襲作戦と共に対米英蘭作戦構想の骨格を概成し、
8月22日、参謀本部作戦部に対し次のような要旨の検討案を連絡した。略、
軍令部が何ゆえ反対していたハワイ作戦について陸軍側に通告したか、おそらく陸軍側が
マレー作戦に対し過度に空母や飛行機の協力を胸算するのを封ずる為であったろう。」
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P416
○「海軍は 略 8月下旬にはハワイ空襲をも陸軍に通告するに至り」
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P383
○「開戦にあたり、日本海軍真珠湾を攻撃する企図を以って研究中であることを、
陸軍側が知ったのは昭和十六年八月であった。これは軍令部作戦課から
参謀本部作戦課に極秘裡に通報せられたもので、
開戦当時における海軍の劣勢を補うためには最良の方法なること及び絶対に
秘密を保持せられたき旨が伝えられた。
陸軍統帥部は海軍側の苦心の存するところを十分諒解し、何等の意見を述べなかった。
陸軍側でこの作戦を知っていた者は、参謀総長及び次長以下作戦関係の
主要幕僚の極めて少数と、陸軍省首脳のみであった。」
出典: 「大東亜戦争全史」 著 服部 卓四郎(元参謀本部作戦課長) P.183
- 36 :
- ○9月11〜20日に海軍大学校において行われた海大図演に
参謀本部からも作戦関係部員が臨席した。
9月16日にはハワイ空襲作戦に関する特別図演が行われた。
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P481
○参謀本部第一作戦部の「田中第一部長は9月22日の海軍研究会に臨み、
その状況を概要次のように記している。
略 6. ハワイ空襲をX日とすれば、マレーの航空第一撃はX日ないしX−1日とする。
但し上陸はX−1日夜に謀略を併用して行う。」
出典:戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P481
○「昭和16年10月9日ないし10月13日、山口県室積沖在泊中の旗艦「長門」において
連合艦隊のハワイ空襲作戦を含む最終図演が行われた。
これには参謀本部作戦課の久門有文中佐および竹田宮恒徳王少佐が加わった。」
「昭和16年10月19日、永野軍令部総長はハワイ作戦実施に同意の決裁を下した。
参謀本部首脳及び作戦当局はその計画を知らされていたので、
意見があれば表明し得る筋合いであるが、もとより、そのようなことはなかった。」
出典: 戦史叢書 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯(5) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P406
○海軍軍令部が10月20日ハワイ攻撃を決定したのを受け、
陸軍側は南方作戦計画の時刻規制等を検討した。
「参謀本部は10月23日、次ぎのような研究案を得た。 略
ハワイ空襲は日本時間のX日零時、すなわちハワイの黎明であるが
シンガポールにおいてはX−1日22時の真夜中前である。 略
かくて大本営陸軍部としてはハワイ空襲とマレー作戦の時刻の規制に関しては
陸海軍中央協定所定でなんら差し支えないものと考えた。」
出典:戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P541〜543
- 37 :
- ○11月3日には永野海軍軍令部総長と杉山陸軍参謀総長が昭和天皇に陸海両軍の
作戦内容を上奏するため列立して読み上げた。ハワイ空襲作戦も詳細な説明を行っている。
ご下問奏答あり。
出典: 戦史叢書(76) 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P336
○「ハワイ奇襲実施についてもこのときに遅くとも正式な作戦として陸軍側に伝わっており、
東條首相自身、参謀本部作戦課に知らされている。」
出典: 『海軍大学教育』「第三章 真珠湾作戦と海大」実松譲 光人社
出典: 『明治百年史叢書 杉山メモ -大本営・政府連絡会議等筆記- 上下巻』参謀本部編 原書房
○11月3日に杉山元参謀総長と永野軍令部総長は列立して作戦計画について昭和天皇に報告した。
真珠湾攻撃の決行日についてのご下問奏答の一部。永野は開戦予定日を日本時間で答えている。
御上:海軍ノ日次ハ何日カ
永野:8日ト予定シテ居リマス
御上:8日ハ月曜日デハナイカ
永野:休ミノ翌日ノ疲レタ日ガ良イト思イマス
出典:『明治百年史叢書 杉山メモ -大本営・政府連絡会議等筆記- 上下巻』参謀本部編 原書房
○11月4日、陸海軍合同軍事参事官会議での軍令部総長の説明についての描写で
「真珠湾攻撃の件については何等触るる処ありませんでした」と書いている。
東条さんがここで何故に、わざわざ、そのように記述したのか。
軍令部総長が「第一段作戦という言葉を使ってハワイ作戦を表現し、他者から秘匿していた」
ということを言っているのである。 東条さん自身も作戦を知っていたからそう言えるのだ。
出典:「大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書」 WAC出版
出典:「東条英機宣誓供述書」 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
○11月8日から3日間、陸軍大学校において連合艦隊司令長官と南方軍総司令官、
南方部隊指揮官である第2艦隊司令長官と南方軍総司令官との間で作戦協定が行われ
10日に調印された。開戦劈頭に機動部隊によるハワイ奇襲の計画があることや
その重要性をひそかに説明しハワイ作戦優先の了解を得た。東京協定と称せられた。
出典: 戦史叢書 「海軍航空概史」 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P162
出典: 戦史叢書 「ハワイ作戦」 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P229
○11月29日の重臣会議において東条さんは天皇の陛下の前にて 自らの説明の時に
「ハワイ攻撃の事は勿論其他攻撃に関する純統帥事項は告げず」と記入している。
また午前中、政府と重臣たちとの間の懇談で日米交渉のことについて問われた際、
「純作戦事項のことについては説明をさけたのであります」とも述べている。
出典:「大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書」 WAC出版
出典:「東条英機宣誓供述書」 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
○11月30日 東条首相拝謁時 『(前略)海軍ノ一部ニ作戦ニ就キ不安ヲ懐キ居ル者アルヤニ
拝謁セラルル御話アリシトノコト(布哇作戦ノ予想ニテ犠牲ノ多カルヘキ御話ナリシカト思ハル)
ニテ、首相ガ拝謁ノ時首相ニ御下問アリシ (首相)少シモ聞及無之旨奉答』
出典: 昭和天皇発言記録集成 下巻(芙蓉書房出版) P.96
- 38 :
- ○・12月1日の御前会議の席上、東条さんは政府及び統帥部が
原枢密院議長の質問に対して答えた際、
「この時の説明に際してハワイ攻撃其の他の統帥事項に関する具体的の事については
少しも口外せず」と述べている。
・「帝国は1941年12月1日より開戦準備に入り大本営陸海軍統帥部の
企画に基き敵の大包囲圏を「ハワイ」、「比島」、「香港」、及び「マレー」
の4箇所において突破するの作戦に移りました。
12月8日(日本時間)早暁其の攻撃を実施しました。
而してこの攻撃は何れも軍事目標に指向せられたのであります。
此の攻撃作戦は統帥部において極秘裡に進められたのであります。
私は陸軍大臣としてその概要を参謀総長より承知して居りました。」と述べている。
・「12月4日の連絡会議で「真珠湾其の他の攻撃作戦計画及作戦行動わけても
攻撃開始の時間は大本営においては極秘として一切之を開示しません。
従って連絡会議出席者でも陸海軍大臣以外の閣僚等は全然之を知りません。
私は陸軍大臣として参謀総長より極秘に之を知らされて居りましたが他の閣僚は知らないのであります。」
・12月8日未明、東郷外相より、ルーズベルトからの親電を天皇に上奏してよいかと問われた際に、
「私は直ちに上奏には異存なしと告げるとともにもはや海軍の機動部隊の飛行機は
母艦より飛行の開始を為しているであろうと答えたのでありました」と述べている。
出典:「大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書」 WAC出版
出典:「東条英機宣誓供述書」 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
○少なくとも11月はじめには「真珠湾作戦」は陸海軍協同で合意の上で立案されている。
1941年11月8日に「海軍作戦計画ノ大要」を海軍軍令部総長永野修身と
陸軍の参謀総長杉山元が侍従武官長宛てに発信している。
これには海軍軍令部次長伊藤整一と陸軍参謀本部次長塚田功ら総務部長、
主任部長、主任課長など作戦の中枢部の軍人が名を連ねている。
この上奏文は,陸海軍高官が認めた最終攻撃計画であり,
開戦予定日(12月8日)の1ヶ月前に真珠湾攻撃計画も含め,
大元帥昭和天皇に報告された。
「海軍作戦計画ノ大要」
「兵棋ニ依ル作戦計画御説明ニ関スル件」(1941年11月8日)
謹ミテ海軍作戦計画ノ大要ニ付奏上致シマス
第一段作戦ニ於ケル陸軍ト協同シテ行フ南方要域ノ攻略作戦ニ関シマシテハ只今参謀総長ヨリ奏上
致シマシタ通で御座イマ スノデ此処ニハ海軍単独ノ作戦ニ関シ申述ベルコトト致シマス
開戦劈頭比島及馬来ニ対スル先制空襲ト成ルベク時ヲ同ジク致シマシテ第一航空艦隊司令長官ノ率ヰル
航空母艦六隻ヲ基幹トスル機動部隊ヲ以チマシテ布哇在泊中ノ敵主力艦隊ヲ空襲致シマス
右機動部隊ハ千島ニテ補給ノ上開戦十数日前内地ヲ進発致シマシテ布哇北方ヨリ近接シ
日出一、二時間前「オアフ」島ノ北 方約二百浬附近ニテ全搭載機約四〇〇機ヲ発進セシメ
碇泊中ノ航空母艦、戦艦竝ニ所在航空機ヲ目標トシテ奇襲攻撃ヲ加フ ル計画デ御座イマス・・・・・・・以下略。
出典:参謀本部作戦課『昭和十六年上奏関係文書綴』〔防衛庁防衛研究所図書館所蔵〕巻一所収
出典:大本営陸軍部上奏関係資料 / 現代史料出版 東出版
- 39 :
- これまでに判明したところでは陸軍がハワイ作戦の計画を知ったのは8月22日である。
この日は参謀本部が対米英戦争を決意した日でもある。
以降、9月〜10月中には参謀本部作戦課の部員と海軍側部員とが相互の図上演習や研究会で
計画への理解を深め、9月17日第一案が海軍側に提示され、9月19日これへの海軍側対案が出された。
以後、両者の作戦部員間で調整が行われ、陸軍の南方作戦計画立案へ反映された。
10月末までには作戦は完成し、11月3日には杉山陸軍参謀総長と永野海軍軍令部総長が
昭和天皇に陸海両軍の作戦内容を上奏するため列立して読み上げた。
ハワイ空襲作戦も詳細な説明を行っている。ご下問奏答あり。
この時に杉山参謀総長は必ずそれを目にし耳で聞いたはずである。
参謀総長は当然それまでに部下からも連絡は受けていたろう。
そして陸軍大臣を兼務していた東条首相は参謀総長から
11月3日か4日には確実にその詳細を知らされたはずであるし、
首相就任前の陸相時代に既に概要を知っていたのは当然だ。
「東条英機宣誓供述書」に真珠湾攻撃に関する記述が最初に出てくるのは11月4日である。
この日の陸海軍合同軍事参事官会議での軍令部総長の説明についての描写に
「真珠湾攻撃の件については何等触るる処ありませんでした」と書いている。
東条さんがここで何故に、わざわざ、そのように記述したのか。
軍令部総長が「第一段作戦という言葉を使ってハワイ作戦を表現し、他者から秘匿していた」
ということを言っているのである。 東条さん自身も作戦を知っていたからそう言えるのだ。
これは前日に上奏した参謀総長よりハワイ作戦詳細の報告を受けたということと符合している。
また、御裁可を得た作戦計画は統帥部より陸海軍大臣に通報が行くこととなっていると供述書で述べられてある。
- 40 :
- 「山本五十六批判について@ 前線で指揮しない」
1つの海戦で勝敗が決した、ネルソンや東郷らの時代とは戦争の性質は全く異なる。
アメリカの太平洋艦隊司令長官ニミッツは「楽園ハワイの陸上司令部」から戦争の全期間、
膨大な人員設備をもって、ここから全作戦の指揮をしていたのを知る日本人は少ない。
明治時代の連合艦隊司令長官は原則として純粋な戦闘部隊のみを指揮下に置いていたが
その後、補給部隊や基地航空隊、鎮守府なども指揮下に持つようになり、
「海上作戦全般の総指揮官」という役目を担っていった。
12月8日の1日だけを見ても真珠湾だけを攻撃したのではなく、
フィリピン、マレー、香港、シンガポール、タイ、グアム島、ウェーク島・・・等々が同時に戦場となった。
山本がどこか1箇所に行っていたら現場は指揮命令系統が混乱するだろうし、
誰が全体の指揮を取るというのか?
広大な戦場、多くの国家との戦闘、果てしなく続く軍事技術の革新。
その作戦を組み立てるには多くの人員設備を要する筈だ。
当時も「東郷さんのように前線指揮を取れ」という批判をする者は多くいた。
やむなく、戦艦に司令部を設けて戦場に近接した海域で指揮を取るしかなかった。
しかし、戦艦に備えられる程度の人員設備などたかが知れている。
結局、これが敗因の一つであることを誰も理解していない。
それどころか、臆病者と罵る始末である。
「山本五十六批判についてA 真珠湾攻撃が悪い」
真珠湾攻撃以外の選択肢がいくつもあったと思っている者が多い。
石油が止められており、何もせずとも時間が経つだけで日本は無力化して行く。
図上演習では普通の攻撃手段では全て敗北。
米英蘭豪は何度もの会合で対日参戦と協力を決めた情報を日本は掴んでいた。
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を言うものがあるがこれは腹案でしかない。
何の強制力も持たぬ「仮りの案」でしかない。
「独伊との調整を経たものでもなく、腹案の域を脱しないものであった。」
(出典:戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂)
これと矛盾しないからこそ陸軍が同意し陸海軍が合意の上で作戦が立てられ
9月、11月の「帝国国策遂行要領」の決定が実施に至ったのだ。
「腹案」には「速やかに極東における米英蘭の根拠を覆滅」
「迅速なる武力戦を遂行し東亜及南太平洋における米英蘭の根拠を覆滅」とあるが、
どうやったら、劣勢な日本がそれらを覆滅できるのだろうか。
石油がなく、残された時間はわずか。時がない結局、奇襲しかないのだ。
そしてどこに向かっても「リメンバー」というスローガンが作られたろう。
米側条件を受諾しても、更なる強硬な要求が突きつけられたはずだ。
それは過去のインディアン討伐などのアメリカ史を見れば分かる。
アメリカは中立をうたいながら中国大陸で蒋政権へ膨大な軍事援助(ヒト、モノ、カネ)を行い、
日本軍への攻撃にも加勢し、日本本土への爆撃まで計画していたことを知る人は少ない。
- 41 :
- 真珠湾攻撃の費用はロックRーが出し、ゾルゲが皇室に渡して
戦争が開始された。日米で示し足合わせた戦争です。
ソースはジョン・コールマン博士「タヴィストック洗脳研究所」のp59より
- 42 :
- 陸軍参謀本部作戦当局に海軍のハワイ作戦の計画が連絡されたのが
8月22日である。それから真珠湾攻撃まで3ヶ月以上もの間、
陸軍大臣が知らないなどということがあろうか?
- 43 :
- 天皇陛下が遅くとも11月3日にハワイ作戦詳細を知っていて、
陸軍参謀総長も遅くとも11月3日にハワイ作戦詳細を知っていて
東郷外務大臣は11月29日には開戦日12月8日を知った。
陸軍参謀本部作戦当局が8月22日にハワイ作戦を知らされ、
以後、海軍側作戦当局と相互に同作戦を含む南方作戦の研究立案を行い10月末までには完成した。
陸軍大臣兼務の東条首相自身は次のごとく供述書に述べている。
・「陸軍大臣としてハワイ作戦の概要を参謀総長より承知していた」
・「陸海軍大臣は作戦計画に関しては陛下に上奏して御裁可を受けた後にその通報を受けるのであります」
・「陸軍大臣は統帥部の決定には参画できず、その最後的決定後通報を受けるのであります」
東条内閣組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を
御前会議におけるご決断の為の事前資料として天皇に上奏した。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定された。
東条首相はハワイ作戦の作成には一切関与しておらず責任はないが、
天皇に忠実で気に入られ、日に何度も参内し胡麻スリと揶揄されていた東条首相、
憲兵隊司令長官として実績をあげ、諜報網活用に卓越していた東条首相が
この頃に参謀総長より非公式に概要は知らされていたと思わぬ理由はない。
知らないとか知らさないなどの理由が見つからない。
○知らないのが事実であったとすれば、それは「陸軍側が情報を止めた」ということである。
- 44 :
- 真珠湾攻撃そのものが東京裁判で裁かれたのではない。
以下が東条大将が有罪とされた訴因である。
1 .昭和三年一月一日〜昭和二十年九月二日までの共同謀議(東亜、太平洋、インド洋地域の支配を確保しようとしたこと)
27.昭和六年九月十八日〜昭和二十年九月二日までの中華民国に対する戦争(満洲事変)
29.昭和十六年十二月七日〜昭和二十年九月二日までのアメリカ合衆国に対する戦争
31.同上期間の全英連邦に対する戦争
32.オランダ王国に対する大東亜戦争遂行
33.昭和十五年九月二十二日、フランス共和国に対する戦争
54.昭和十六年十二月七日から〜昭和二十年九月二日までの戦争法規違反
- 45 :
- >>1 >>2 >>3 >>41
欲求不満を持つ者にとっては完全な論理で結合された正確な言葉よりも、
辻褄の合わない興奮した話しや調子の高い繰り返しの文句の中に、
自分で想像したことを発見し、自分で塾考したことのこだまを聞くほうが
容易なのである。・・・エリック・ホッファー
- 46 :
- 日本の破滅は陸軍が大きく関与しているのではないか?
○大本営陸軍部戦争指導班「機密戦争日誌」にいわく、
日米交渉が不調に終わって対米戦争が起きることを願っていた陸軍の姿がある。
「11月5日、略、茲ニ外交、作戦二本建ナガラ帝国ノ対米英蘭戦争決意確定ス。
9月6日以来ヲ回想シ波瀾重畳ノ曲折ヲ懐ヒ真ニ感慨無量ナルモノアリ。
過去ハ過去トシ不満ハ之ヲ水ニ流シ去ッテ将来ニ努力セン。
希ハクバ外交不調ニ終リ対米開戦ノ「サイ」投ゼラレンコトヲ。」
○ヤルタ会談でドイツ降伏後30日以内にソ連が対日戦に加わる密約が結ばれていたが、
このソ連対日参戦情報を中立国スェーデンから日本に送った陸軍武官がいた。
しかし、この情報は参謀本部に届いていたが、作戦課の思惑で握り潰されていたことがほぼ明らかになった。
無視した理由は、政府が進めていたソ連を仲介者とする和平工作が頓挫し、ソ連不戦を前提として計画された
陸軍の本土決戦計画が崩れてしまうからだった。
もし、こういう作為がなく、早期講和が成立しておれば原爆、空襲、満州避難民の悲劇、北方領土問題もなく、
多くの命が失われることもなかったのかも知れない。
「消えたヤルタ密約緊急電」 岡部伸 著
- 47 :
- いまさら、あいつが悪い、こいつが悪いなどと、
自分はその人間たちの足元にも及ばぬこわっぱどもがぶつくさ云うか・・・・。
子供でさえ図書館で調べられるようなこともやらずに
ウソだらけの娯楽作品を読んで知った気になって
ぬくぬくとこの平和な世にあって人を批判して楽しんでいるだけじゃないか。
当時のことをどれほど知ろうと努力したのか?
・インド洋作戦の功罪
・西村真悟 論文紹介A
・大東亜戦争に勝つチャンスは無かったか
・太平洋に消えた勝機
そこに書いてある論文は全部、あとづけの文字どおりの願望論だ。
特に西村論文はデタラメだらけでモノ笑いの種になってる。
そもそも、日本は米国の経済制裁の結果、殆ど貿易の道を閉ざされ
石油他の物資輸出入ができなくなり、戦争に入らなくとも国家運営も崩壊し
国土防衛もできなくなりつつあり、敵の先制攻撃も懸念される状況にあった。
開戦直前の時期は米英蘭の軍事増強が南方植民地に急速度で行われていた。
このことは東条首相の宣誓供述書にある。
そのような瀬戸際状態の日本が何もせずにじっと敵が来るのを待ってたり、
要塞を南洋諸島に作ってたりして、邀撃などできはしないのだ。要塞など敵に迂回されるのが当然。
敵がどこに来るか、いつ来るか、わからん。 敵は1国ではない。
敵はあっちへ行くと見せてこっちへ向かう。それに対応しているうちに石油がなくなる。
欲しい南方植民地も敵の要塞化が完了してしまう。 こうなったら完全に日本は終わり。
ましてや、米国は様々な挑発活動をしていた。
例えば、中国大陸で多くの米国軍人が日本攻撃に加勢していたし、
JB355と言う日本本土無差別爆撃計画もその1例。
ドイツもまだ元気の時であり英の屈服も考えられていた。
だから、敵の準備が整わないうちの開戦に万に1つの勝機を賭けたのだ。
そして開戦を決定したのは10月末までに開かれた何回かの「政府統帥部連絡会議」である。
このようなことを全く考えていない、これらの論文は現代の平和ボケのおぼっちゃま論文だ。
- 48 :
- >>47
>万に1つの勝機を賭けたのだ。
やはり確率論通りに九千九百九十九の目が出てしまったな。
- 49 :
- >>1
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
- 50 :
- >>48
対米開戦を決めたのは、
日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議、御前会議などの多くの
決定過程に参加されたエライ方がたである。
これすら、理解していない無知な者どもがあまりにも多すぎる!
- 51 :
- >>1 >>3 に表される、このスレッドは
事実ではないことをタイトルに掲げ、
個人を誹謗中傷し、けなし、貶めることだけを
目的に作られたものである。
何度も事実を説明し、それに対する返答を求めてきたが全く返事はない。
全く同一のスレッドをあちこちに作り、個人を誹謗中傷することを
生きがいとする者たちである。
彼らは陸軍係累者であり、陸軍が戦犯とされたことに対し、
親の名誉を挽回しようと、海軍へ戦争責任を転嫁しようと画策
しているのである。
山本が海軍全体の総大将であったと思い込んでいるのであろう。
- 52 :
- -- 軍部 -- とは
実際に軍を動かし、戦略を決定していた組織を指す。
太平洋戦争下で天皇を頂点とした統帥権の縦軸に隷属していた陸軍参謀本部と海軍軍令部の
作戦に係わる連中をいう。陸海ともトップエリートとされ、陸大,海大の上位5人という暗黙のルールがあった。
ただし、いずれも蛸壺組織であり、社会性、国際性などの広い視野や、人を束ね、ある目的を達成するなどの
能力が備わった人物であったわけではない。また、その成績順は相対評価だったから、前期成績優秀者
と今期成績優秀者が同列ではありえなかった。
軍令部 役職 氏名 職務
総長 統括
次長 統括補佐
第一部(作戦) 第1課(作戦計画)
第2課(艦隊行動・編成)・1課長兼務
第二部(軍備) 第3課(軍備)
第三部(情報,防諜) 第5課(調査)
この連中が海軍全体の作戦計画を練っていた。いわゆる軍部である。
○連合艦隊は上記とは別の実戦部隊であり、現場の部隊であり、
山本はこの現場の部隊の長であったに過ぎない。
- 53 :
- 天皇陛下が遅くとも11月3日にハワイ作戦詳細を知っていて、
陸軍参謀総長も遅くとも11月3日にハワイ作戦詳細を知っていて
東郷外務大臣は11月29日には開戦日12月8日を知った。
陸軍参謀本部作戦当局が8月22日にハワイ作戦を知らされ、
以後、海軍側作戦当局と相互に同作戦を含む南方作戦の研究立案を行い10月末までには完成した。
陸軍大臣兼務の東条首相自身は次のごとく供述書に述べている。
・「陸軍大臣としてハワイ作戦の概要を参謀総長より承知していた」
・「陸海軍大臣は作戦計画に関しては陛下に上奏して御裁可を受けた後にその通報を受けるのであります」
・「陸軍大臣は統帥部の決定には参画できず、その最後的決定後通報を受けるのであります」
東条内閣組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を
御前会議におけるご決断の為の事前資料として天皇に上奏した。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定された。
東条首相はハワイ作戦の作成には一切関与しておらず責任はないが、
天皇に忠実で気に入られ、日に何度も参内し胡麻スリと揶揄されていた東条首相、
憲兵隊司令長官として実績をあげ、諜報網活用に卓越していた東条首相が
この頃に参謀総長より非公式に概要は知らされていたと思わぬ理由はない。
知らないとか知らさないなどの理由が見つからない。
○知らないのが事実であったとすれば、それは「陸軍側が情報を止めた」ということである。
- 54 :
- 8月22日に陸軍参謀本部作戦当局へ海軍側からハワイ作戦が伝えられてから、
真珠湾攻撃実施の12月8日まで3ヶ月以上もの間、陸軍大臣が知らなかったなどということが
有り得ようか?
誰が何と言おうが、
参謀総長は自分の目と耳で11月3日にハワイ作戦詳細に接しているのである。
(天皇に作戦を軍令部総長と共に説明した際に)
- 55 :
- >>1 >>3 >>12に表される、このスレッドは
事実ではないことをタイトルに掲げ、
個人を誹謗中傷し、けなし、貶めることだけを
目的に作られたものである。
何度も事実を説明し、それに対する返答を求めてきたが全く返事はない!
全く同一のスレッドをあちこちに作り、個人を誹謗中傷することを
生きがいとする者たちである。
彼らは陸軍係累者であり、陸軍が戦犯とされたことに対し、
親の名誉を挽回しようと、海軍へ戦争責任を転嫁しようと画策
しているのである。
山本が海軍全体の総大将であったと思い込んでいるのであろう。
- 56 :
- 8月22日に陸軍参謀本部作戦当局へ海軍側からハワイ作戦が伝えられてから、
真珠湾攻撃実施の12月8日まで3ヶ月以上もの間、陸軍大臣が知らなかったなどということが
有り得ようか?
誰が何と言おうが、
参謀総長は自分の目と耳で11月3日にハワイ作戦詳細に接しているのである。
(天皇に作戦を軍令部総長と共に説明した際に)
○知らないのが事実であったとすれば、
「陸軍側が情報を止めた」ということである。
- 57 :
- もし、アホの山本五十六が存在しなければ
(世界を敵にまわす南京無差別という無意味な愚行をやらなければ)
@日中戦争は起っていない。
Aよって、日米戦争も起りえない。(死者300万)
Bアメリカの参戦は無いので、ドイツは勝利していた。
Cソ連・共産主義が巨大化することは無かった。
D戦後冷戦構造も発生しない。
Eよってベトナム戦争(死者200万)、朝鮮戦争(死者300万)、中国内戦(死者1000万越)
これらも起りえない。
Fユダヤ人大虐殺?なんて話も存在しない
アホの山本五十六が存在しなければ
これだけ世界史が変わっていたことになる。
- 58 :
- >>1 >>2 >>3 >>41 >>57
欲求不満を持つ者にとっては完全な論理で結合された正確な言葉よりも、
辻褄の合わない興奮した話しや調子の高い繰り返しの文句の中に、
自分で想像したことを発見し、自分で塾考したことのこだまを聞くほうが
容易なのである。・・・エリック・ホッファー
- 59 :
- 真珠湾攻撃そのものが東京裁判で裁かれたのではない。
以下が東条大将が有罪とされた訴因である。
1 .昭和三年一月一日〜昭和二十年九月二日までの共同謀議(東亜、太平洋、インド洋地域の支配を確保しようとしたこと)
27.昭和六年九月十八日〜昭和二十年九月二日までの中華民国に対する戦争(満洲事変)
29.昭和十六年十二月七日〜昭和二十年九月二日までのアメリカ合衆国に対する戦争
31.同上期間の全英連邦に対する戦争
32.オランダ王国に対する大東亜戦争遂行
33.昭和十五年九月二十二日、フランス共和国に対する戦争
54.昭和十六年十二月七日から〜昭和二十年九月二日までの戦争法規違反
- 60 :
- 米国は
何故、対日経済圧迫、必要物資入手の妨害を行ったのか?
(在米日本資産凍結、石油輸出の全面禁止、在英日本資産凍結、日英通商航海条約等の廃棄、
在蘭資産の凍結と日蘭民間石油協定の停止、屑鉄と鋼鉄の対日輸出禁止、日米通商航海条約廃棄、
蘭印ほかブラジルやアフガニスタンなどとの石油などの資源買い付け交渉に介入妨害など)
何故、前年、太平洋艦隊とその司令部をハワイに進出させ航空勢力をも強化したのか?
何故、米国内において戦争準備行動、対日軍事増強に狂奔していたのか?
何故、米首脳者たちの対日圧迫言動が数多く行われたのか?
何故、米英蘭豪比等の南方地域における戦備拡大、対日包囲網結成が行われたのか?
何故、米国は仏印、泰に対する対日離反の策動を行ったのか?
など々、
これらのことは「東条英機宣誓供述書」に詳細に述べられている。
また、ルーズベルトは真珠湾の何ヶ月も前に中国大陸からの日本本土無差別爆撃計画(JB355)も承認し、
義勇軍と称する多数の米軍人と膨大な航空機兵器・軍事物資を中国で日本軍攻撃の為に送り込んでいたことも判明している。
それでありながら、中立国と称していた米国。
これは何を意味しているかは明らかであろう、「日本への攻撃、戦争」である。
日本政府と統帥部は当時の対米情勢をこのように見ていたということだ。
対米交渉の決裂が確認され、武力発動が最終決定されたのが12月1日 御前会議である。
これにより武力発動の命令が陸海軍部に発せられ、少なくとも1ヶ月以上前の11月3日に
統帥部大元帥である天皇陛下に予め説明・承認いただいていた作戦が行われたものである。
- 61 :
- ミエミエの見えすいたスレだね。
陸軍係累者が親の名誉挽回に必死に海軍のアラ探しをして、
国民の目をそちらに向けさせたいということだろうが、
そんなことしてるのは自分たちだけだということに気がつくべきだ。
誰も陸軍のアラ探しなんぞやって投稿してないよね。
それやったら、歯止めが効かんほどガンガン出てくるんだろ?
国内に対立と憎しみの種を播こうという、
中朝韓謀略組織と同じことやるんじゃないよ。!
海軍側も誰も陸軍のアラ探しなんぞやって投稿してないよね
- 62 :
- 対米戦争を決めた組織や人物と,
その命令に従って攻撃を行った者とは,全く異なるのだが。
そんなことも理解できていないんじゃないかな?
山本批判者の根拠というのは「小説」だとか雑誌や週間紙の無責任な記事や対談ばかりじゃないですか。
陸軍が8月はじめ頃には対米戦を待望む姿勢になっていたことも全く理解していないのではないか?
それをはっきりと明示しているのが大本営陸軍部戦争指導班の参謀たちが記した業務日誌の「機密戦争日誌」であろう。
日米交渉が不調に終わって対米戦争が起きることを願っていた陸軍の姿がある。
大本営陸軍部戦争指導班「機密戦争日誌」の11月5日には、
「11月5日、略、茲ニ外交、作戦二本建ナガラ帝国ノ対米英蘭戦争決意確定ス。
9月6日以来ヲ回想シ波瀾重畳ノ曲折ヲ懐ヒ真ニ感慨無量ナルモノアリ。
過去ハ過去トシ不満ハ之ヲ水ニ流シ去ッテ将来ニ努力セン。
希ハクバ外交不調ニ終リ対米開戦ノ「サイ」投ゼラレンコトヲ。」
- 63 :
- 対米戦争を決めた組織や人物と,
その命令に従って攻撃を行った者とは,全く異なるのだが。
そんなことも理解できていないんじゃないかな?
山本批判者の根拠というのは「小説」だとか雑誌や週間紙の無責任な記事や対談ばかりじゃないですか。
陸軍が8月はじめ頃には対米戦を待望む姿勢になっていたことも全く理解していないのではないか?
それをはっきりと明示しているのが大本営陸軍部戦争指導班の参謀たちが記した業務日誌の「機密戦争日誌」であろう。
日米交渉が不調に終わって対米戦争が起きることを願っていた陸軍の姿がある。
大本営陸軍部戦争指導班「機密戦争日誌」の11月5日には、
「11月5日、略、茲ニ外交、作戦二本建ナガラ帝国ノ対米英蘭戦争決意確定ス。
9月6日以来ヲ回想シ波瀾重畳ノ曲折ヲ懐ヒ真ニ感慨無量ナルモノアリ。
過去ハ過去トシ不満ハ之ヲ水ニ流シ去ッテ将来ニ努力セン。
希ハクバ外交不調ニ終リ対米開戦ノ「サイ」投ゼラレンコトヲ。」
- 64 :
- >>57
その根拠を示してみなさい。
その根拠は上記にも書かれているように全て否定されているのだが。
さっさとお出しください。
それををいうのなら、他の人びとにもそれが云えるんだろう?
例えば、貴女がいなければそれは起こらなかった、と。
- 65 :
- >>1
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
>>1
東条首相は「ハワイ作戦は参謀総長より承知していた」と供述書に述べている。
>>1
>基本方針を無視して独断でハワイを攻撃し
(東条首相は海軍がハワイを攻撃することを知らされていなかった
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦を連絡している。
以後陸海軍共同して作戦の研究を行い10月末には完成し、
11月3日に参謀総長と軍令部総長はこの作戦(ハワイ作戦を含む)を
天皇陛下に説明している。陸軍大臣の東条首相が3ヶ月もの間、知らないなどと
云うことがあるのか?もし知らなかったとしたら、それは陸軍内部の問題・・・
すなわち、陸軍側で情報を止めたということである。
- 66 :
- >>1 に表されるように、このスレッドは
事実ではないことをタイトルに掲げ、
個人を誹謗中傷し、けなし、貶めることだけを
目的に作られたものである。
>>1に何度も事実を説明し、それに対する返答を求めてきたが全く返事はない。
この人物たちは、全く同一のスレッドをあちこちに作り、個人を誹謗中傷することを
生きがいとする者たちである。
彼らは陸軍係累者であり、陸軍が戦犯とされたことに対し、
親の名誉を挽回しようと、海軍へ戦争責任を転嫁しているのである。
当時の政府や陸海軍の組織も全く理解しておらず、
山本が海軍全体の総大将であったと思い込んでいるのでる。
- 67 :
- 東条英機首相と陸軍はハワイ攻撃を知っていたことを示す典拠
○昭和16年8月に海軍より開戦劈頭に戦力差を埋めるための
真珠湾攻撃を研究中と内密に伝達されている。
「海軍が開戦劈頭真珠湾奇襲を研究中であることを、
陸軍側が知ったのは昭和十六年八月であった。
開戦当時における海軍の劣勢を補うためには最良の方法であること及び
絶対に秘密を保持されたいと伝えられた。 陸軍側は海軍の苦心のあるところを十分諒解し、
何等意見を述べなかった。そして陸軍側でこの作戦を知っていたものは、
参謀総長及び次長以下作戦関係主要幕僚の極めて少数と、陸軍省首脳のみであった。」
出典: 明治百年史叢書杉山メモ 下巻 資料解説 P6
○「海軍は昭和16年8月22日、参謀本部作戦課に対し次のような要旨の検討案を連絡した。
略 軍令部が何ゆえ反対していたハワイ作戦について陸軍側に通告したか、おそらく陸軍側が
マレー作戦に対し過度に空母や飛行機の協力を胸算するのを封ずる為であったろう。」
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P416
○「海軍は 略 8月下旬にはハワイ空襲をも陸軍に通告するに至り」
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P383
○「開戦にあたり、日本海軍真珠湾を攻撃する企図を以って研究中であることを、
陸軍側が知ったのは昭和十六年八月であった。これは軍令部作戦課から
参謀本部作戦課に極秘裡に通報せられたもので、
開戦当時における海軍の劣勢を補うためには最良の方法なること及び絶対に
秘密を保持せられたき旨が伝えられた。
陸軍統帥部は海軍側の苦心の存するところを十分諒解し、何等の意見を述べなかった。
陸軍側でこの作戦を知っていた者は、参謀総長及び次長以下作戦関係の
主要幕僚の極めて少数と、陸軍省首脳のみであった。」
出典: 「大東亜戦争全史」 服部 卓四郎 著(元参謀本部作戦課長) P.183
○9月11〜20日に海軍大学校において行われた海大図演に
参謀本部からも作戦関係部員が臨席した。
9月16日にはハワイ空襲作戦に関する特別図演が行われた。
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P481
- 68 :
- ○参謀本部第一作戦部の「田中第一部長は9月22日の海軍研究会に臨み、
その状況を概要次のように記している。
略 6. ハワイ空襲をX日とすれば、マレーの航空第一撃はX日ないしX−1日とする。
但し上陸はX−1日夜に謀略を併用して行う。」
出典:戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P481
○「昭和16年10月9日ないし10月13日、山口県室積沖在泊中の旗艦「長門」において
連合艦隊のハワイ空襲作戦を含む最終図演が行われた。
これには参謀本部作戦課の久門有文中佐および竹田宮恒徳王少佐が加わった。」
「昭和16年10月19日、永野軍令部総長はハワイ作戦実施に同意の決裁を下した。
参謀本部首脳及び作戦当局はその計画を知らされていたので、
意見があれば表明し得る筋合いであるが、もとより、そのようなことはなかった。」
出典: 戦史叢書 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯(5) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P406
○海軍軍令部が10月20日ハワイ攻撃を決定したのを受け、
陸軍側は南方作戦計画の時刻規制等を検討した。
「参謀本部は10月23日、次ぎのような研究案を得た。 略
ハワイ空襲は日本時間のX日零時、すなわちハワイの黎明であるが
シンガポールにおいてはX−1日22時の真夜中前である。 略
かくて大本営陸軍部としてはハワイ空襲トマレー作戦の時刻の規制に関しては
陸海軍中央協定所定でなんら差し支えないものと考えた。」
出典:戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P541〜543
○11月3日には永野海軍軍令部総長と杉山陸軍参謀総長が昭和天皇に陸海両軍の
作戦内容を上奏するため列立して読み上げた。ハワイ空襲作戦も詳細な説明を行っている。
ご下問奏答あり。
出典: 戦史叢書(76) 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P336
○「ハワイ奇襲実施についてもこのときに遅くとも正式な作戦として陸軍側に伝わっており、
東條首相自身、参謀本部作戦課に知らされている。」
出典: 『海軍大学教育』「第三章 真珠湾作戦と海大」実松譲 光人社
出典: 『明治百年史叢書 杉山メモ -大本営・政府連絡会議等筆記- 上下巻』参謀本部編 原書房
○11月8日から3日間、陸軍大学校において連合艦隊司令長官と南方軍総司令官、
南方部隊指揮官である第2艦隊司令長官と南方軍総司令官との間で作戦協定が行われ
10日に調印された。開戦劈頭に機動部隊によるハワイ奇襲の計画があることや
その重要性をひそかに説明しハワイ作戦優先の了解を得た。東京協定と称せられた。
出典: 戦史叢書 「海軍航空概史」 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P162
出典: 戦史叢書 「ハワイ作戦」 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P229
- 69 :
- ○11月30日 東条首相拝謁時 『(前略)海軍ノ一部ニ作戦ニ就キ不安ヲ懐キ居ル者アルヤニ
拝謁セラルル御話アリシトノコト(布哇作戦ノ予想ニテ犠牲ノ多カルヘキ御話ナリシカト思ハル)
ニテ、首相ガ拝謁ノ時首相ニ御下問アリシ (首相)少シモ聞及無之旨奉答』
出典: 昭和天皇発言記録集成 下巻(芙蓉書房出版) P.96
○・「帝国は1941年12月1日より開戦準備に入り大本営陸海軍統帥部の
企画に基き敵の大包囲圏を「ハワイ」、「比島」、「香港」、及び「マレー」
の4箇所において突破するの作戦に移りました。
12月8日(日本時間)早暁其の攻撃を実施しました。
而してこの攻撃は何れも軍事目標に指向せられたのであります。
此の攻撃作戦は統帥部において極秘裡に進められたのであります。
私は陸軍大臣としてその概要を参謀総長より承知して居りました。」
・11月29日の重臣会議(重臣懇談会とも称す)において東条さんは天皇の陛下の前にて
自らの説明の時に「ハワイ攻撃の事は勿論其他攻撃に関する純統帥事項は告げず」と記入している。
また午前中、政府と重臣たちとの間の懇談で日米交渉のことについて問われた際、
「純作戦事項のことについては説明をさけたのであります」とも述べている。
・12月1日の御前会議の席上、東条さんは政府及び統帥部が
原枢密院議長の質問に対して答えた際、
「この時の説明に際してハワイ攻撃其の他の統帥事項に関する具体的の事については
少しも口外せず」と述べている。
・12月8日東郷外相よりルーズベルト親電上奏可否を問われた際に、
「私は直ちに上奏には異存なしと告げるとともにもはや海軍の機動部隊の飛行機は
母艦より飛行の開始を為しているであろうと答えたのでありました」と述べている。
出典:「大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書」 WAC出版
出典:「東条英機宣誓供述書」 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- 70 :
- ○少なくとも11月はじめには「真珠湾作戦」は陸海軍協同で合意の上で立案されている。
1941年11月8日に「海軍作戦計画ノ大要」を海軍軍令部総長永野修身と
陸軍の参謀総長杉山元が侍従武官長宛てに発信している。
これには海軍軍令部次長伊藤整一と陸軍参謀本部次長塚田功ら総務部長、
主任部長、主任課長など作戦の中枢部の軍人が名を連ねている。
この上奏文は,陸海軍高官が認めた最終攻撃計画であり,
開戦予定日(12月8日)の1ヶ月前に真珠湾攻撃計画も含め,
大元帥昭和天皇に報告された。
「海軍作戦計画ノ大要」
「兵棋ニ依ル作戦計画御説明ニ関スル件」(1941年11月8日)
謹ミテ海軍作戦計画ノ大要ニ付奏上致シマス
第一段作戦ニ於ケル陸軍ト協同シテ行フ南方要域ノ攻略作戦ニ関シマシテハ只今参謀総長ヨリ奏上
致シマシタ通で御座イマ スノデ此処ニハ海軍単独ノ作戦ニ関シ申述ベルコトト致シマス
開戦劈頭比島及馬来ニ対スル先制空襲ト成ルベク時ヲ同ジク致シマシテ第一航空艦隊司令長官ノ率ヰル
航空母艦六隻ヲ基幹トスル機動部隊ヲ以チマシテ布哇在泊中ノ敵主力艦隊ヲ空襲致シマス
右機動部隊ハ千島ニテ補給ノ上開戦十数日前内地ヲ進発致シマシテ布哇北方ヨリ近接シ
日出一、二時間前「オアフ」島ノ北 方約二百浬附近ニテ全搭載機約四〇〇機ヲ発進セシメ
碇泊中ノ航空母艦、戦艦竝ニ所在航空機ヲ目標トシテ奇襲攻撃ヲ加フ ル計画デ御座イマス・・・・・・・以下略。
出典:参謀本部作戦課『昭和十六年上奏関係文書綴』〔防衛庁防衛研究所図書館所蔵〕巻一所収
出典:大本営陸軍部上奏関係資料 / 現代史料出版 東出版
- 71 :
- @東条英機首相と陸軍はハワイ攻撃を知っていたことを示す典拠
○昭和16年8月に海軍より開戦劈頭に戦力差を埋めるための
真珠湾攻撃を研究中と内密に伝達されている。
「海軍が開戦劈頭真珠湾奇襲を研究中であることを、
陸軍側が知ったのは昭和十六年八月であった。
開戦当時における海軍の劣勢を補うためには最良の方法であること及び
絶対に秘密を保持されたいと伝えられた。 陸軍側は海軍の苦心のあるところを十分諒解し、
何等意見を述べなかった。そして陸軍側でこの作戦を知っていたものは、
参謀総長及び次長以下作戦関係主要幕僚の極めて少数と、陸軍省首脳のみであった。」
出典: 明治百年史叢書杉山メモ 下巻 資料解説 P6
○「軍令部作戦当局はハワイ空襲作戦と共に対米英蘭作戦構想の骨格を概成し、
8月22日、参謀本部作戦部に対し次のような要旨の検討案を連絡した。略、
軍令部が何ゆえ反対していたハワイ作戦について陸軍側に通告したか、おそらく陸軍側が
マレー作戦に対し過度に空母や飛行機の協力を胸算するのを封ずる為であったろう。」
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P416
○「8月22日海軍作戦課はハワイ奇襲作戦の腹案を極秘事項として陸軍作戦課に提示してきていた」
出典: 「情報なき戦争指導」 杉田一次 著
○「海軍は 略 8月下旬にはハワイ空襲をも陸軍に通告するに至り」
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P383
○「開戦にあたり、日本海軍が真珠湾を攻撃する企図を以って研究中であることを、
陸軍側が知ったのは昭和十六年八月であった。これは軍令部作戦課から
参謀本部作戦課に極秘裡に通報せられたもので、
開戦当時における海軍の劣勢を補うためには最良の方法なること及び絶対に
秘密を保持せられたき旨が伝えられた。
陸軍統帥部は海軍側の苦心の存するところを十分諒解し、何等の意見を述べなかった。
陸軍側でこの作戦を知っていた者は、参謀総長及び次長以下作戦関係の
主要幕僚の極めて少数と、陸軍省首脳のみであった。」
出典: 「大東亜戦争全史」 著 服部 卓四郎(元参謀本部作戦課長) P.183
○9月11〜20日に海軍大学校において行われた海大図演に
参謀本部からも作戦関係部員が臨席した。
9月16日にはハワイ空襲作戦に関する特別図演が行われた。
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P481
- 72 :
- A東条英機首相と陸軍はハワイ攻撃を知っていたことを示す典拠
○参謀本部第一作戦部の「田中第一部長は9月22日の海軍研究会に臨み、
その状況を概要次のように記している。
略 6. ハワイ空襲をX日とすれば、マレーの航空第一撃はX日ないしX−1日とする。
但し上陸はX−1日夜に謀略を併用して行う。」
出典:戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P481
○「昭和16年10月9日ないし10月13日、山口県室積沖在泊中の旗艦「長門」において
連合艦隊のハワイ空襲作戦を含む最終図演が行われた。
これには参謀本部作戦課の久門有文中佐および竹田宮恒徳王少佐が加わった。」
「昭和16年10月19日、永野軍令部総長はハワイ作戦実施に同意の決裁を下した。
参謀本部首脳及び作戦当局はその計画を知らされていたので、
意見があれば表明し得る筋合いであるが、もとより、そのようなことはなかった。」
出典: 戦史叢書 大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯(5) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂
出典: 戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P406
○海軍軍令部が10月20日ハワイ攻撃を決定したのを受け、
陸軍側は南方作戦計画の時刻規制等を検討した。
「参謀本部は10月23日、次ぎのような研究案を得た。 略
ハワイ空襲は日本時間のX日零時、すなわちハワイの黎明であるが
シンガポールにおいてはX−1日22時の真夜中前である。 略
かくて大本営陸軍部としてはハワイ空襲とマレー作戦の時刻の規制に関しては
陸海軍中央協定所定でなんら差し支えないものと考えた。」
出典:戦史叢書 「大本営陸軍部」(2) 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P541〜543
- 73 :
- B東条英機首相と陸軍はハワイ攻撃を知っていたことを示す典拠
○11月3日には永野海軍軍令部総長と杉山陸軍参謀総長が昭和天皇に陸海両軍の
作戦内容を上奏するため列立して読み上げた。ハワイ空襲作戦も詳細な説明を行っている。
ご下問奏答あり。
出典: 戦史叢書(76) 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5> 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P336
○「ハワイ奇襲実施についてもこのときに遅くとも正式な作戦として陸軍側に伝わっており、
東條首相自身、参謀本部作戦課に知らされている。」
出典: 『海軍大学教育』「第三章 真珠湾作戦と海大」実松譲 光人社
出典: 『明治百年史叢書 杉山メモ -大本営・政府連絡会議等筆記- 上下巻』参謀本部編 原書房
○11月3日に杉山元参謀総長と永野軍令部総長は列立して作戦計画について昭和天皇に報告した。
真珠湾攻撃の決行日についてのご下問奏答の一部。永野は開戦予定日を日本時間で答えている。
御上:海軍ノ日次ハ何日カ
永野:8日ト予定シテ居リマス
御上:8日ハ月曜日デハナイカ
永野:休ミノ翌日ノ疲レタ日ガ良イト思イマス
出典:『明治百年史叢書 杉山メモ -大本営・政府連絡会議等筆記- 上下巻』参謀本部編 原書房
○11月4日、陸海軍合同軍事参事官会議での軍令部総長の説明についての描写で
「真珠湾攻撃の件については何等触るる処ありませんでした」と書いている。
東条さんがここで何故に、わざわざ、そのように記述したのか。
軍令部総長が「第一段作戦という言葉を使ってハワイ作戦を表現し、他者から秘匿していた」
ということを言っているのである。 東条さん自身も作戦を知っていたからそう言えるのだ。
出典:「大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書」 WAC出版
出典:「東条英機宣誓供述書」 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- 74 :
- C東条英機首相と陸軍はハワイ攻撃を知っていたことを示す典拠
○11月8日から3日間、陸軍大学校において連合艦隊司令長官と南方軍総司令官、
南方部隊指揮官である第2艦隊司令長官と南方軍総司令官との間で作戦協定が行われ
10日に調印された。開戦劈頭に機動部隊によるハワイ奇襲の計画があることや
その重要性をひそかに説明しハワイ作戦優先の了解を得た。東京協定と称せられた。
出典: 戦史叢書 「海軍航空概史」 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P162
出典: 戦史叢書 「ハワイ作戦」 防衛庁防衛研修所戦史室編纂 P229
○11月29日の重臣会議において東条さんは天皇の陛下の前にて 自らの説明の時に
「ハワイ攻撃の事は勿論其他攻撃に関する純統帥事項は告げず」と記入している。
また午前中、政府と重臣たちとの間の懇談で日米交渉のことについて問われた際、
「純作戦事項のことについては説明をさけたのであります」とも述べている。
出典:「大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書」 WAC出版
出典:「東条英機宣誓供述書」 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
○11月30日 東条首相拝謁時 『(前略)海軍ノ一部ニ作戦ニ就キ不安ヲ懐キ居ル者アルヤニ
拝謁セラルル御話アリシトノコト(布哇作戦ノ予想ニテ犠牲ノ多カルヘキ御話ナリシカト思ハル)
ニテ、首相ガ拝謁ノ時首相ニ御下問アリシ (首相)少シモ聞及無之旨奉答』
出典: 昭和天皇発言記録集成 下巻(芙蓉書房出版) P.96
○・12月1日の御前会議の席上、東条さんは政府及び統帥部が
原枢密院議長の質問に対して答えた際、
「この時の説明に際してハワイ攻撃其の他の統帥事項に関する具体的の事については
少しも口外せず」と述べている。
・「帝国は1941年12月1日より開戦準備に入り大本営陸海軍統帥部の
企画に基き敵の大包囲圏を「ハワイ」、「比島」、「香港」、及び「マレー」
の4箇所において突破するの作戦に移りました。
12月8日(日本時間)早暁其の攻撃を実施しました。
而してこの攻撃は何れも軍事目標に指向せられたのであります。
此の攻撃作戦は統帥部において極秘裡に進められたのであります。
私は陸軍大臣としてその概要を参謀総長より承知して居りました。」と述べている。
- 75 :
- D東条英機首相と陸軍はハワイ攻撃を知っていたことを示す典拠
・「12月4日の連絡会議で「真珠湾其の他の攻撃作戦計画及作戦行動わけても
攻撃開始の時間は大本営においては極秘として一切之を開示しません。
従って連絡会議出席者でも陸海軍大臣以外の閣僚等は全然之を知りません。
私は陸軍大臣として参謀総長より極秘に之を知らされて居りましたが他の閣僚は知らないのであります。」
・12月8日未明、東郷外相より、ルーズベルトからの親電を天皇に上奏してよいかと問われた際に、
「私は直ちに上奏には異存なしと告げるとともにもはや海軍の機動部隊の飛行機は
母艦より飛行の開始を為しているであろうと答えたのでありました」と述べている。
出典:「大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書」 WAC出版
出典:「東条英機宣誓供述書」 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
○少なくとも11月はじめには「真珠湾作戦」は陸海軍協同で合意の上で立案されている。
1941年11月8日に「海軍作戦計画ノ大要」を海軍軍令部総長永野修身と
陸軍の参謀総長杉山元が侍従武官長宛てに発信している。
これには海軍軍令部次長伊藤整一と陸軍参謀本部次長塚田功ら総務部長、
主任部長、主任課長など作戦の中枢部の軍人が名を連ねている。
この上奏文は,陸海軍高官が認めた最終攻撃計画であり,
開戦予定日(12月8日)の1ヶ月前に真珠湾攻撃計画も含め,
大元帥昭和天皇に報告された。
「海軍作戦計画ノ大要」
「兵棋ニ依ル作戦計画御説明ニ関スル件」(1941年11月8日)
謹ミテ海軍作戦計画ノ大要ニ付奏上致シマス
第一段作戦ニ於ケル陸軍ト協同シテ行フ南方要域ノ攻略作戦ニ関シマシテハ只今参謀総長ヨリ奏上
致シマシタ通で御座イマ スノデ此処ニハ海軍単独ノ作戦ニ関シ申述ベルコトト致シマス
開戦劈頭比島及馬来ニ対スル先制空襲ト成ルベク時ヲ同ジク致シマシテ第一航空艦隊司令長官ノ率ヰル
航空母艦六隻ヲ基幹トスル機動部隊ヲ以チマシテ布哇在泊中ノ敵主力艦隊ヲ空襲致シマス
右機動部隊ハ千島ニテ補給ノ上開戦十数日前内地ヲ進発致シマシテ布哇北方ヨリ近接シ
日出一、二時間前「オアフ」島ノ北 方約二百浬附近ニテ全搭載機約四〇〇機ヲ発進セシメ
碇泊中ノ航空母艦、戦艦竝ニ所在航空機ヲ目標トシテ奇襲攻撃ヲ加フ ル計画デ御座イマス・・・・・・・以下略。
出典:参謀本部作戦課『昭和十六年上奏関係文書綴』〔防衛庁防衛研究所図書館所蔵〕巻一所収
出典:大本営陸軍部上奏関係資料 / 現代史料出版 東出版
- 76 :
- >>1
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
>>1
東条首相は「ハワイ作戦は参謀総長より承知していた」と供述書に述べている。
>>1
>基本方針を無視して独断でハワイを攻撃し
(東条首相は海軍がハワイを攻撃することを知らされていなかった
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦を連絡している。
以後陸海軍共同して作戦の研究を行い10月末には完成し、
11月3日に参謀総長と軍令部総長はこの作戦(ハワイ作戦を含む)を
天皇陛下に説明している。陸軍大臣の東条首相が3ヶ月もの間、知らないなどと
云うことがあるのか?もし知らなかったとしたら、それは陸軍内部の問題・・・
すなわち、
陸軍側自身で陸軍大臣へ行くべき情報を止めたということである。
- 77 :
- >>1
陸軍係累者が親の名誉挽回に必死に海軍のアラ探しをして、
国民の目をそちらに向けさせたいということだろうが、
そんなことしてるのは自分たちだけだということに気がつくべきだ。
誰も陸軍のアラ探しなんぞやって投稿してないよね。
それやったら、歯止めが効かんほどガンガン出てくるんだろ?
国内に対立と憎しみの種を播こうという、
中朝韓謀略組織と同じことやるんじゃないよ。!
- 78 :
- 前スレ:
【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1324228460/
http://unkar.org/r/history2/1324228460
501KBオーバーで書き込めなくされてしまいました。
- 79 :
- >>78
サイト管理者殿へ
このスレッドは一個人を
誹謗中傷することだけを目的として立ち上げられたものです。
事実ではないことをタイトルに掲げ、個人を貶める目的のものです。
削除要件に合致していますので全部削除していただきたい。
- 80 :
- サイト管理者殿へ
このスレッドは一個人を
誹謗中傷することだけを目的として立ち上げられたものです。
事実ではないことをタイトルに掲げ、個人を貶める目的のものです。
削除要件に合致していますので全部削除していただきたい。
- 81 :
- サイト管理者殿へ
このスレッドは一個人を
誹謗中傷することだけを目的として立ち上げられたものです。
事実ではないことをタイトルに掲げ、個人を貶める目的のものです。
削除要件に合致していますので全部削除していただきたい。
- 82 :
- >>78
>>サイト管理者殿へ
タイトルの誤りを指摘し、それへの回答を求める書き込みが
数多く投稿されていたはずであるが、スレッド作成者の>>1からは
全く何の答えもないのである。
したがって目的は、
この誤ったタイトルを人びとに記憶させ、
戦争の真の原因を隠蔽することである。
また、地域対立をあおり、憎しみの種を播き、
日本に混乱をもたらすことを願う謀略組織といっても良いであろう。
- 83 :
- >>サイト管理者殿へ
タイトルの誤りを指摘し、それへの回答を求める書き込みが
数多く投稿されていたはずであるが、スレッド作成者の>>1からは
全く何の答えもないのである。
したがって、このスレッドの目的は、
この誤ったタイトルを人びとに記憶させ、
戦争の真の原因を隠蔽することである。
当時の陸海軍の関与、統帥権の問題、天皇制、政治制度の不備など
多くの問題があったはずである。全く、これらを無視し、
唯々、一個人のみを誹謗中傷しているだけではなかったのか?
また、地域対立をあおり、憎しみの種を播き、
日本に混乱をもたらすことを願う謀略組織といっても良いであろう。
したがって、本スレッド全部の削除をお願いしたい。
- 84 :
- >>サイト管理者殿へ
タイトルの誤りを指摘し、それへの回答を求める書き込みが
数多く投稿されていたはずであるが、スレッド作成者の>>1からは
全く何の答えもないのである。
したがって、このスレッドの目的は、
この誤ったタイトルを人びとに記憶させ、
戦争の真の原因を隠蔽することである。
当時の陸海軍の関与、統帥権の問題、天皇制、政治制度の不備など
多くの問題があったはずである。全く、これらを無視し、
唯々、一個人のみを誹謗中傷しているだけではなかったのか?
また、地域対立をあおり、憎しみの種を播き、
日本に混乱をもたらすことを願う謀略組織といっても良いであろう。
したがって、本スレッド全部の削除をお願いしたい。
- 85 :
- このサイトの管理者様へ
このスレは単なる、誹謗中傷を目的として作られたものである。
根拠のないタイトルを掲げ、根拠出典を一切示すこともできず
【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1324228460/l50
【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1356201011/l50
このスレッドは個人の誹謗中傷を目的として作られたものである。
根拠のないタイトルを掲げ、根拠出典を一切示すこともできず、
これまでにも何度も何度も同じ内容のコピーを投稿し、個人への誹謗中傷を
繰返しています。前スレ【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】
削除要請する理由は、次のとおりです。
○誹謗中傷の個人特定が目的である・文意により攻撃目的である等の場合は全て削除対象になります。
○個人を完全に特定する情報を伴っているものは削除対象です。
○誹謗中傷の根拠が全く一方的であり、全く事実に反する内容です。
スレッド全部を削除していただきたい。
- 86 :
- >>1
>独断でハワイを攻撃
昭和16年9月から陸海軍統帥部は協議を重ね、図上演習を行い細部の詰めを行った。
10月20日には真珠湾攻撃が決定され、これとおおむね同時刻にマレーの空襲と上陸を
開始することになり、10月下旬の「陸海軍中央協定」で合意した。
11月7日は、東京で南方作戦全般に関する「陸海軍最高司令官協定」が結ばれた。
この内容は、作戦日程を練り上げて開戦80日後にジャワ上陸を行うように修正が加えられた。
したがって、「独断で勝手にやった」などは事実に反する。
1はこれに答えてほしい。
- 87 :
- >>サイト運営者様へ
タイトルの誤りを指摘し、それへの回答を求める書き込みが
数多く投稿されていたはずであるが、スレッド作成者の>>1からは
全く何の答えもないのである。
したがって、このスレッドの目的は、
この誤ったタイトルを人びとに記憶させ、
戦争の真の原因を隠蔽することである。
当時の陸海軍の関与、統帥権の問題、天皇制、政治制度の不備など
多くの問題があったはずである。全く、これらを無視し、
唯々、一個人のみを誹謗中傷しているだけではなかったのか?
また、地域対立をあおり、憎しみの種を播き、
日本に混乱をもたらすことを願う、愚かで卑怯な行為である。
したがって、本スレッド:
【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】2と
【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】←過去スレ
これら全部の削除をお願いしたい!
- 88 :
- >>サイト運営者様へ
タイトルの誤りを指摘し、それへの回答を求める書き込みが
数多く投稿されていたはずであるが、スレッド作成者の>>1からは
全く何の答えもないのである。
したがって、このスレッドの目的は、
この誤ったタイトルを人びとに記憶させ、
戦争の真の原因を隠蔽することである。
当時の陸海軍の関与、統帥権の問題、天皇制、政治制度の不備など
多くの問題があったはずである。
それが戦争の原因へとつながったのだ。
全く、これらを無視し、
唯々、一個人のみを誹謗中傷しているだけなのである。
また、地域対立をあおり、憎しみの種を播き、
日本に混乱をもたらすことを願う、愚かで卑怯な行為である。
したがって、本スレッド:
【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】2と
【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】←過去スレ
これら全部の削除をお願いしたい!
- 89 :
- >>1
>国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)
よくそれを言う馬鹿者が一杯!いるのだが
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の意味は南方要域を占領した後に
戦争をどうやって終結させるかを言ってるのだ。
書いてある文字のとおりの「終末促進に関する」意味である。
(作家の保坂正康氏が起案者へ直接聞いて確認している)
@対米戦武力発動への作戦準備命令(ハワイ作戦も含む)が
御前会議で認可、発令されたのが11月5日。
A「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が採択されたのは11月15日。
B日本の最高意思決定機関である大本営政府連絡会議が
米国が日本側提案を拒否した場合に、
11月5日の決議に従うことを採択したのが11月22日。
Cハル・ノートが提示され、
これを米側の全面拒否と判断したのが11月26日。
結局、11月5日の御前会議決議の状態で12月8日に至ったのである。
(Aの時に@が否定されたのではない)
>>3
>山本五十六が中心となって強行した南京無差別爆撃
当時の山本は海軍省の次官であった。
海軍省は軍政機関であり、政府に属し軍政・人事を担当する。
実戦部隊に対する関与は出来ない。
当時のさまざまな文献を見ても山本が直接関与したなどというものはない。
有るというなら示して説明してほしい。
- 90 :
- 真珠湾を攻撃したから、日米戦争になったのではない。
なぜなら、ルーズベルトは11月28日の会議で、日本が英領や蘭領を
攻撃したら直ちに参戦することを明らかにし、
ハリファックス駐米英国大使を通して、
日本の南方武力進出に備えて対米武力援助を最終的に保障している。
したがって、真珠湾攻撃がなくとも、戦争になっていたのだ。
- 91 :
- >>1
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦の計画が海軍側から伝えられてから
同作戦は南方作戦の一環として陸海軍作戦当局間相互交流の上で研究立案の上、10月末までに完成した。
東条内閣の組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を上奏した。
允裁を仰ぐためではなく、11月5日御前会議におけるご決意の資とする為であった。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定された。
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦を連絡している。
以後陸海軍共同して作戦の研究を行い10月末には完成し、
11月3日に参謀総長と軍令部総長はこの作戦(ハワイ作戦を含む)を
天皇陛下に説明している。陸軍大臣の東条首相が3ヶ月もの間、知らないなどと
云うことがあるのか?もし知らなかったとしたら、それは陸軍内部の問題・・・
すなわち、
陸軍側で情報を止めたということである。
- 92 :
- 真珠湾攻撃はな、
@天皇陛下も予め承認
A政府代表の東条首相も予め知っていた。
B陸軍も知っていた。
C作戦は陸海軍合意の上
だったんじゃ。
みんな上に書いてあるぞなもし。
「真珠湾」が悪いと言いたいんじゃろうが、
ほんじゃ、どこを攻撃すりゃよかったんかいね?
他を攻撃しても「リメンバー!」になっておったよ。
米英蘭豪はすでに対日参戦を決めたとゆう情報を
日本政府はつかんどったんや。
ハル・ノート受諾しても相手がそれで勘弁してくれる思うたら大まちがいや。
石油や鉄其の他資源の輸出停止を解除するちゅう保障は何んもない。
こっちの油がどんどんのーなってくんだわ。なあんもせんでも。
時間たつだけでな。
なんだかんだと難クセ付けられて結局コテンパンにやっつけられたろうよ。
インディアンをそうやってやっつけて来たんやで。
調べてみいや。
それを当時の人は知っとったんやな。
- 93 :
- おまんら 人の悪口ばっか言っとるんやないか。
ええかげんにせなあかんぜよ。
自分のうっぷん晴らしやっとるだけやないか。
自分がしっかりしとる人間は人の批判なんぞやっちょらんぞなもし。
見てみい、おまんの周りで人の悪口いうとる奴らがぎょうさんおるやろ。
そんたら奴らは幸せな人かね。
有能な人かね。
おまんはそげんな人になってみたいんかね。
当時のこつばどれほど知っとるんかいね。
おまんらが読んどる本はな、考えてみい。
何んか別のこつば隠そうとしとるんじゃ。
例えば、陸軍の出身者が自分らが悪いと言われてたもんで
海軍のもんに責任をかぶせたいとかな。
軍や政府の当事者が自分らの責任をば隠しとうて
他の誰か、山本どん なんぞを引きずり出してるだけやないか。
山本どんより偉いもんはいくらでもおるで。
山本どんは戦死しとるんで何ゆうても、うそゆうても誰もわからん。
ひどいもんじゃなかと?
未だに日本が戦争に入った理由は議論が尽きんのや。
国民自身が原因がよく分からなんもんだで、
「真珠湾」が悪い→山本どんが悪い、
というふうに頭ん中で理由つけをしたいというだけや。
こいつが悪いちゅうもんがおったら、
それで国民はもう考えんでええ。
こげんな楽なこつばなかとよ。
せやから山本どんに責任ば押し付けとる。
そこらの本屋に積んであるような興味本意の本は
得体の知れん本を丸写ししとるだけや。
それを丸写して、又、別の得体の知れん本が作られていっとる。
その繰り返しや。
おまんら元の正しい資料で検証してみたことあるんかね、
おいどんはやってみたぞなもし。
ほうしたらたまげたぞ。
デタラメこいとるもんばっかじゃ。
こいとるんは「屁」じゃなかとよ。
デタラメこいとるんじゃ。
- 94 :
- >>92
東条は真珠湾を知らなかったぞ。
ミッドウェーの航空部隊全滅も知らされなかった。
知っていたら早急に和平工作に全力を傾けただろう。
航空部隊が壊滅して太平洋で戦えるわけない。
- 95 :
- >>94
副官やってた西浦大佐の証言で、ミッドウエー作戦の翌日に東条英機が、
海軍が空母を4隻沈められたらしい、ただ陸軍はこのことでかさにかかって
海軍を追い詰めてはいけないと語ったと、証言していますけど。
あと海軍も陸軍参謀本部作戦部部長と作戦課課長にミッドウエー作戦の
損害についてきちんと連絡していますけど。
- 96 :
- >>95
ソースは?
- 97 :
- >>94
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦の計画が海軍側から伝えられてから
同作戦は南方作戦の一環として陸海軍作戦当局間相互交流の上で研究立案の上、10月末までに完成した。
東条内閣の組閣後、白紙還元の御諚で9月の国策を再検討し10月23日から10月末まで
前後8回の連絡会議を開いて再検討が続けられたが 結局、国策を変える結論は得られず、
11月2日午前2時に対米英戦決意を定め、交渉不成立の場合に武力発動を12月初頭とした。
11月2日午後5時、東条首相はこの旨を天皇に参謀総長と軍令部総長と共に上奏した。
11月3日 参謀総長と軍令部総長はハワイ作戦を含む対米英戦の作戦内容を上奏した。
允裁を仰ぐためではなく、11月5日御前会議におけるご決意の資とする為であった。
11月5日の御前会議でこの国策が正式決定された。
8月22日に陸軍参謀本部作戦当局にハワイ作戦を連絡している。
以後陸海軍共同して作戦の研究を行い10月末には完成し、
11月3日に参謀総長と軍令部総長はこの作戦(ハワイ作戦を含む)を
天皇陛下に説明している。陸軍大臣の東条首相が3ヶ月もの間、知らないなどと
云うことがあるのか?もし知らなかったとしたら、それは陸軍内部の問題・・・
すなわち、
陸軍側で情報を止めたということである。
- 98 :
- >>94「陸海軍中央協定」,「陸海軍最高司令官協定」もある。
97にあるように参謀総長も知っていた。
昭和16年9月から陸海軍統帥部は協議を重ね、図上演習を行い細部の詰めを行った。
10月20日には真珠湾攻撃が決定され、これとおおむね同時刻にマレーの空襲と上陸を
開始することになり、10月下旬の「陸海軍中央協定」で合意した。
11月7日は、東京で南方作戦全般に関する「陸海軍最高司令官協定」が結ばれた。
この内容は、作戦日程を練り上げて開戦80日後にジャワ上陸を行うように修正が加えられた。
御裁可の後には陸海軍大臣に統帥部から通報が行くことが決まりになっているのだ。
したがって、御裁可を得た11月5日御前会議後に、陸軍側統帥部から連絡が行ったはずだ。
- 99 :
- 御裁可の後には陸海軍大臣に統帥部から通報が行くことが決まりになっているのだ。
したがって、御裁可を得た11月5日御前会議後に、陸軍側統帥部から
東条陸軍大臣に連絡が行ったはずだ。
もし、知らなかったのが事実であれば、
陸軍側自身が「知らさなかった」 ということだ。
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