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2013年01月日本史8: それでも邪馬台国は九州にあった20 (661)
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それでも邪馬台国は九州にあった20
- 1 :2012/12/05 〜 最終レス :2013/01/06
- かつて宗教裁判に敗れたガリレオ・ガリレイは言った。
「それでも地球は回っている…」
学界の権威がこぞって畿内説を支持しようとも、「それでも」真実は九州にあると考える熱い人々のためのスレ第20弾!
前ヌレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1348612534/
- 2 :
- 弥生時代終末期の北部九州、筑紫・博多。
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)の邪馬台国
銅鏡祭祀に国を譲る。これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と交戦状態になり、「和」国は分裂。卑弥呼はその最中に急死する。
-分裂した「和」国
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)筑紫/宇佐┃→安芸→吉備→「大和」
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向↑┃ 【神武東征ルート】
...................隅国(鹿児島)
卑弥呼の跡を継いだ筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隅国(隼人)との三つ巴で肥後狗奴国
(後の熊襲)を滅ぼし、「和」国を再統一する。その男系祖先の出自を後世に伝えるため、神武は日向(投馬国)から出航し、倭(和)国の
首都を筑紫・博多から(先遣隊長ニギハヤヒが拓いた)奈良・三輪山麓(纏向)へ東遷。大王に即位し、大和朝廷を樹立した。
※古事記・日本書紀が、日向投馬国の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)を
その姉としたのは、大和朝廷・天皇家(♂日向投馬国王♀筑紫邪馬台国女王「台与」夫妻の末裔)による系図操作。
漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は、倭(和)国建国の功績を消され出雲に祀られる。
- 3 :
- -大和朝廷における、♂日向(投馬国)系大王と♀筑紫(邪馬台国)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代
〔前期古墳〕三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=♂日向(投馬国)系大王
〔中期古墳〕河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=♀筑紫(邪馬台国)系大王
→(高句麗の南侵に脅かされた)百済・新羅・伽耶への軍事援助で王権強大化
〔後期古墳〕近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=♂日向(投馬国)系大王
-継体・安閑・宣化=日向系大王〔樟葉宮→筒城宮→弟国宮→余磐玉穂宮(大和)〕
…継体の「大和」入りが筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君・磐井の乱」を誘発
-欽明〜♀皇極(斉明)=筑紫系大王〔飛鳥板葺宮〕
…筑紫系大臣、蘇我氏(娘達を続々皇后に)による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」(大化の改新)へ
-天智・弘文=日向系大王〔近江大津宮〕
…「白村江の戦い」惨敗→百済滅亡で半島権益を完全喪失。国費大消耗&大増税→「壬申の乱」へ
-天武〜♀考謙(称徳)=筑紫系「天皇」〔飛鳥浄御原宮→藤原京→平城京/恭仁京〕
…両系和解の古事記・日本書紀・各国風土記編纂(日向系大王の活躍=筑紫系大王の活躍)→「長屋王の変」「道鏡事件」へ
-光仁・桓武〜現在=日向系天皇
…筑紫系天皇の奈良〔平城京〕から、本拠地・近江(琵琶湖)近くの〔長岡京/平安京〕に遷都
- 4 :
- 夫余に牛馬はあったしなあ、満州さん。
- 5 :
- つ「倭地に牛馬なし」
- 6 :
- >>2-3は読む気がしない。
- 7 :
- 倭とは、朝鮮でも満州でも沖縄でも台湾でもなく、日本列島だということが判ったかな?
- 8 :
- 埼玉の大宮あたりが邪馬台国説もあるけど、どうなんだろう。
アラハバキの娘が卑弥呼とも言われる。
- 9 :
- 184年頃の「倭国大乱」の痕跡があるのは、北部九州だけ!
- 10 :
- >>9
痕跡程度のものでしょう。
他でも同じものが上がれば別。
武蔵大乱ともとれるよね、倭国大乱は。
- 11 :
- >>9
なるほどね。
確かに纏向や、それに先立つ唐古・鍵は平和遺跡だもんな…
ヒミコの宮殿のイカメシさ(濠、城柵、高楼)の記述と整合しないし、
考古学を振り回す畿内説論者に「倭国大乱」の考古学についてどう考えているのか聞きたい揉んだ。
- 12 :
- 古墳時代の倭国の大王や、奈良時代の日本書紀の編纂者が朝鮮半島のことを「海北」と言ってるのだから、大和朝廷のルーツは北部九州で確定じゃん。
奈良時代まで朝鮮半島のことを「海北」言っていた。
これは、北部九州高天原=邪馬台国から見て、朝鮮半島が海の北にあったから「海北」と言っていたころの名残なのだ。
宋書倭国伝に引用された478年(神武東征からしばらく後)の「倭王武の上表文」には、「東は毛人、西は衆夷、渡りて海北」を征服平定したと述べている。
日本書紀には、宗像の女神(沖ノ島)は「今、海北の道中に在す」と書いてある。
- 13 :
- 海北と言えば、戦国〜江戸初期の近江出身の画家・海北友松(かいほう・ゆうしょう)は、朝鮮からの帰化人の末裔かもね。
- 14 :
- 何言っても無駄
ここでは主観と持論が全てを征す
他人の影響を受けない、持論でカチコチに固めた頭の人が多いので
- 15 :
- というわけで、邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。卑弥呼の墓は小城公園内桜ヶ岡(サクラオカ)です。
- 16 :
- 邪馬台国は、
●2世紀後半の「倭国大乱」の痕跡
●3世紀の「環濠・城柵・高楼」の3点セット
が両方揃っている場所にあったはず。
纏向(唐古・鍵)遺跡にはそのどちらもない。
ゆえに、纏向(唐古・鍵)遺跡は邪馬台国ではない。
- 17 :
- 近江だな
- 18 :
- いや淡海だよ
- 19 :
- 小城公園内桜ヶ岡のは サバ
- 20 :
- 小城甘木の前は吉野ケ里に都がありました。240年ころに遷都したのです。
倭国大乱の痕跡、3世紀の3点セットいずれも吉野ケ里でそろっています。
邪馬台国は佐賀県で「決まり」ですね。
- 21 :
- 吉野ケ里は砦みたいなもの
あそこの本部はブリヂストンの工場の建っているあたりでし
- 22 :
- 618 :卑弥呼は満州にいた:2012/12/05(水) 19:57:57.96
おまけに私は倭人伝に書かれているのは日本のことだと前々から言っている。
そこに書かれているのは日本の地理であり日本の風俗なのである、少々南方の資料も混在しているとはいえ。
邪馬台国も大和のことなのである。
ところが後漢時代に倭と呼ばれたのは日本のことではない、と私は言っているのである。
卑弥呼の倭も五王の倭も日本のことではないと主張しているのである。
だから倭人伝の地理や風俗記事をどんなに研究しても無駄ですよ、と言っているのである。
なぜなら卑弥呼や五王の倭は日本ではないのだから。
畿内論者も九州論者も、どんなに記紀その他の文献や考古学を勉強しても無駄である。
百年研究しても無駄である。なぜなら卑弥呼や五王の倭は日本ではないのだから。
- 23 :
- 危恥害のマン臭は、完全にスレ違い。
以降、出入り禁止とします!
- 24 :
- 伊都国は佐賀県多久市中小路庄集落です。
奴国は、行路上の奴国は、佐賀県肥前山口土元で、旁国の奴国は福岡県山門郡です。
なお奴はトと発音するのが正しいのです。ちなみに邪馬台国の都は、当初は佐賀県吉野ケ里でした。
240年代に佐賀県小城市甘木に遷都しました。
243年の貢献はその報告のためでした。
- 25 :
- 宮崎はどけんかせんとどですかでん
- 26 :
- >>24
水行陸行の日数を無視しているので誤り。
- 27 :
- 水行十日陸行一月は総日数です。
投馬国への二十日は、フミの港(小城市大江)から宮崎への日数です。
陸行の一月のほとんどは韓国内陸行です。
水行十日の内、四日は海峡横断です。残りの六日は、郡山から仁川への沿岸航行の日数です。
- 28 :
- >>27
投馬国への出発点が不弥国で、邪馬台国への出発点が帯方郡というのは
ちょっとおかしい。
- 29 :
- そう、そう、断りもなくいきなり帯方郡からの日数など書くわけがない。
女王国までの距離については、郡より女王国に至る、万2000里とあるもんね。
- 30 :
- 伊都國は、唐津松浦川河口にあった末盧國から東南五百里の
佐賀市大和町大字久池井小字惣座にありました。
伊都國は、倭國乱の頃に邪馬壹國の圧迫を受け、
倭國王帥升の都であった吉野ヶ里から、この惣座に遷都したものです。
伊都國の名前は、倭(ゐ)の都であったことに由来しているのです。
また、伊都國にいた「世有王」は、帥升王統の歴代の王を指します。
伊都國の東南百里の奴國は、佐賀市城内になります。
不彌國は、惣座の伊都國から東行百里にある吉野ヶ里になります。
帯方郡から万二千餘里丁度の奴國と不彌國から女王國が始まります。
不彌國の南に隣接している投馬國と邪馬壹國も女王國に属します。
水行二十日は、帯方郡から投馬國の狗奴國との戦場まで船で直行する場合の距離です。
水行一日は一日行程の約千里なので、水行二十日は十日行程の約二万里になります。
水行十日陸行一月は、帯方郡から邪馬壹國の狗奴國との戦場までの距離です。
水行十日は、帯方郡から末盧國までの距離で約一万里です。
陸行一月は、末盧國から邪馬壹國の狗奴國との戦場までの陸路距離です。
陸行一月は、陸路約千里です。
- 31 :
- >>28いえいえ、この方が自然ですよ。
- 32 :
- 伊都國は行橋、というか京都郡みやこ町
- 33 :
- 高屋宮もこの地
名残として上高屋小学校というのが残ってる
その上流にあるのが高屋。
地図で確認してみればいい
- 34 :
- ×上流
○下流
- 35 :
- 韓伝と倭人伝は稀有な國國列挙とかあることからも一体のぶつ
帯方郡とゆうは倭地の取次ぎをもその業務とするような広域を管轄する支配拠点
華人の読者には広域を管轄する支配拠点の場所が何処にあるのかの理解がある
よって
異常なでかい数値がへんに登場したら
読者周知のその広域を管轄する支配拠点からだよ
とはなりがちなのだろうさ
- 36 :
- >>31
あんた本当に元小学校教諭?
小学校の教諭なら生徒のいう事を聞くことも大事な仕事だろ?
しかしあんたは人の意見を全く聞かねーは、資料もろくすっぽ読まねーは、
反論されたらいちゃもんかましすわ、掲示板を荒らすは、
おまけに地震だ津波だで、大騒ぎの時間帯に書き込むは、
とてもまともな思考を持った人間とは思えんわ。
- 37 :
- 水行二十日、水行十日陸行1月は伊都国からの所要日数。こんな単純なことが
分からないのが大勢いるのが2チャンネルなんだな。
- 38 :
- 帯方郡から邪馬台国まで1万2000里
帯方郡7000狗邪韓国1000対馬国1000一大国1000末盧国500伊都国100奴国100不弥国
つまり帯方郡から不弥国まで、計1万700里
不弥国〜邪馬台国間は、1300里しかない
1300里は、対馬〜壱岐間に毛が生えた程度の距離
で、水行20日+陸行10日+水行1ヶ月などかかるはずがない
1300里はせいぜい1週間で航行できる。邪馬台国の日数は出鱈目。
南方ということは筑紫平野か熊本方面でありましょう
- 39 :
- >帯方郡から邪馬台国まで1万2000里
邪馬台国まで1万2000里などとは書いてない。万二千里は、女王国までだ。
>1300里は、対馬〜壱岐間に毛が生えた程度の距離で、水行20日+陸行10日+水
>行1ヶ月などかかるはずがない
だったら、女王国と邪馬台国とはちがうと気づくべきだろう。
奴国、これ女王の境界がつきる所とあることを知らないのか?
- 40 :
- 邪馬台国は女王の都する所なりで、女王国は邪馬台国でしょ
- 41 :
- 女王国の中の女王が都する所が邪馬台国なんだよ。女王国の方が大きな概念だ。
- 42 :
- 倭国は女王国
邪馬台国は女王国の中の女王国
1万2千里先の邪馬台国は女王国でいいし
- 43 :
- 倭国は対馬国から始まる。これは帯方郡から八千里だ。
女王国は万二千里から始まる。邪馬台国、投馬国、旁国21国からなる。
邪馬台国までの里数ははっきりしないから日数で示してある。
- 44 :
- >帯方郡から不弥国まで、計1万700里
帯方郡から不彌國までは、計1万2千里である。
帯方郡
↓7000
狗邪韓国
↓1000
対馬国400+400
↓1000
一大国300+300
↓1000
末盧国
↓500
伊都国→100→奴国
↓100
不弥国(女王國)→0→投馬國
↓0
邪馬台国
- 45 :
- 対馬国と一大国の島の周りを足したつもりだろうが、方の意味を分かってないね。
方四百里というのは、面積の表示にすぎず、四百里×四百里とは限らない。
対馬の形からすれば、その島の周りは二百里×八百里、すなわち千里になるんだよ。
- 46 :
- 対馬の面積は二百里×八百里、島の周りは二百里+八百里ということね。
- 47 :
- 邪馬台国は 九州にあった。
これは確定でしょ。
- 48 :
- だね
- 49 :
- わびぬれば今はた同じ九州説 嘘をつくしても説かむとぞ思ふ
- 50 :
- 倭人伝のとおりに進めば伊都国は佐賀市付近。そこから南へ水行するのだから、
投馬国や邪馬台国は南九州に確定だよ。
- 51 :
- >>50
それくらいのことは初心者でも言えるよ。
そこから先にちっとも進歩しないのが九州論者だ。
倭人伝の方向記事だけを根拠にしてそんな初歩的な意見を述べているのだ。
そんな比定は、地名記事と全然符合しないのである。
- 52 :
- ちゃんと符合しているよ。君は考えたことがないだけだろう。
- 53 :
- 邪馬台国は、奄美か沖縄
どちらも深い森にハブが生息しているので
これまでロクな考古学調査がなされてなかったけれど
近々、歴史を覆すような発見がある予定
- 54 :
- >>52
ではどう符合しているのか、説明してくれたまえ。
伊都国、奴国、不弥国だけでいい。
それが現実のどの地名と符合しているのか。
こんなの学問でも何でもない、ただの妄想だ。
と言われないような説明を頼む。
- 55 :
- Rやなりすましを使い成人式を荒らしているのは広告代理店やテレビ局の自作自演です。
反原発デモでhンや太鼓を鳴らし、ソントを行っている在日
街宣車に乗り、騒音を撒く朝鮮人
構図は全て同じだということを覚えておきましょう。
http://mamorenihon.files.wordpress.com/2011/10/zainichi_seijinshiki_1.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-1_jEcAWVs1s/Tm4X2mLBhhI/AAAAAAAABok/MObw2nzMyoI/s1600/IMG_9062-714071.jpg
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/timg/middle_1228711905.jpg
ソント(声闘)・・朝鮮人は、声が大きければ音が大きければ、主張が通る、どんな凶悪犯罪でも無罪になると思い込む。
だから、朝鮮人は大音量で街宣車を走らせる。
原発サウンドデモ=ソント
在日(もちろんテレビや新聞は通名で報道)が凶悪犯罪を起こしたとき、人権派()弁護士が異様に沢山付くのも
弁護士が多ければ=声が大きければ、無罪になると思い込んでいるから。
- 56 :
- >>54
ふーん、予想もつかないってとこみたいだな。問題は国の広さをどう考えるかだ。
女王国は万二千里からだ。それより北の国々といえば、不彌國までの国々だな。
万二千里は熊本あたりだろう。となれば、福岡、佐賀にあった国は、末盧国、伊
都国、奴国、不彌國だけだってことよ。
君らは佐賀平野付近に伊都国や奴国に似た地名がないからいかんというのだろうが
そんなことは問題ではない。磐井の乱だ。磐井の乱の後に肥の君が肥前や筑前西部
に進出していったと考えられている。そのときに、佐賀市付近の勢力は博多湾近くへ
追っ払われたということさ。だから、博多湾あたりにやたらと関係地名が集中して
いるにすぎない。三世紀は違うんだよ。
- 57 :
- 斯馬國………下関、斯馬の関
己百支國……厚狭
伊邪國………ぃやマグチ
郡支國……… 櫛ヶ浜
彌奴國………
好古都國……岩国、厳島のイツク
不呼國………
姐奴國………
対蘇國………
蘇奴國………
呼邑國………呉、コオ→訓読み化
華奴蘇奴國…
鬼國…………岡山、鬼ヶ島
為吾國………相生
鬼奴國………
邪馬國………
躬臣國………姫路
巴利國………播磨
支惟國………紀伊
烏奴國………津、穴津=安濃津
奴國…………東海・美濃
- 58 :
- 57………低脳
- 59 :
- 57………付け加えると、蘇がついてるのは蘇州由来の家船の民のいた地域だろう
- 60 :
- >>56
人が移動したら地名もぞろぞろ付いていくとは初耳だw
- 61 :
- 勉強してないな。南九州、甘木周辺、そして奈良と同じような地名が並んでいるって
さんざん指摘されているだろうが。それは人の移動に伴うものだよ。
- 62 :
- >>61
筑紫平野と奈良の地名類似は、7世紀の人の移動に伴うものだよ。
- 63 :
- 移動するなら西から東だよ
神武天皇を実在とするなら、
九州にあった地名を奈良に移植したのは、神武しかありえないのだからね
- 64 :
- ニギハヤヒもね。
- 65 :
- >>63
地名の移動は筑紫平野から奈良盆地へ。
地名移動を促したのは天武。
672年唐軍の博多駐留がきっかけ。
地名移動は、主に寺社の移転移設に伴う職人等の関係者の移動と思われる。
- 66 :
- 西から昇ったお日様が♪東に沈〜む♪(元祖天才バカボン)
まさに神武東征(邪馬台国東遷)を暗示しており、実に感慨深いものがある
- 67 :
- 大宰府から飛鳥への遷都は684年(朱雀元年)
- 68 :
- そりゃヨーロッパ人がアメリカに渡ったときに故郷の地名を付けるということはある。
まったく未開拓の土地に渡った場合はそういうこともある。
しかしそれと日本の場合は別だよ。
大和には神武東遷前から人は住んでいた。地名もあった。
いちいち故郷の地名を付けたりはしない。
こんなことを書くと、ではそれを証明してみろ、と言う奴が必ず出てくるが、
地名がいつ頃どのようにして生まれたかなんて分かるわけがないのである。
九州の地名が大和に移動したなどというのも証明のしようがない。それはただの仮説である。
- 69 :
- >>60
アメリカの地名にはイギリスから持っていったものが多いらしい。
ヨーク→ニューヨークなど。まあ、イギリス的な地名が多いことは確か。
というわけで、仮に地名の移動があったとすれば、かなり大規模な移動だった
可能性が高い。移動した人数が少なければ、現地色に染まるだろうし。
- 70 :
- >>60 >>68-69
>大和には神武東遷前から人は住んでいた。地名もあった。
>いちいち故郷の地名を付けたりはしない。
江戸時代
大阪の佃の漁民が江戸に移り住んだ。
その漁民が住んだところも佃(島)となった。
その江戸で評判になった食べ物が大阪の魚の煮物である佃煮。
明治時代
奈良の十津川村の住民が北海道に移住した。
その北海道の地名は新十津川。
その他いろいろあり。
満州は不勉強
- 71 :
- 不勉強というか、合理的な思考ができないんだろうね。
- 72 :
- そんなのはまったく未開拓の土地に住んだからだよ。
人が誰も住んでいない島に移ったからだ。
そんなことは反論にも何にもならないよ。
そんなことが反論になり得ると思っていること自体が○○の証拠なのだよ。
- 73 :
- >>60 :卑弥呼は満州にいた
>人が移動したら地名もぞろぞろ付いていくとは初耳だw
阿曇族が笑ってる。
http://www2.odn.ne.jp/~nov.hechima/yukarinoti%202.html
不勉強というより、頭が悪いんだろうね。
- 74 :
- まあ、とにかく、これで朝鮮満州は少し静かになるだろう。彼は地名は移動することは
ないという説に固執するわけだ。遼東半島に朝鮮があって、それが後に朝鮮半島に移った
などとはけして言わないだろう。
- 75 :
- >>74
君は何か勘違いをしていないか?
私は常々古朝鮮とは遼東であって、今の朝鮮半島ではない、と言ってきたのだが。
朝鮮半島の民族が国家名として朝鮮を自称するようになったのはいつかは知らないが、
それ以前の中国史書で朝鮮と書かれているのは遼東のことなのである。
三国志で朝鮮と書かれているのも遼東のことで、朝鮮の東は皆穢である、とは、
遼東の東は皆穢であるということであって、北朝鮮が穢だという意味ではない。
それを学者は単純に誤解して北朝鮮東側のことだと解釈しているのである。
- 76 :
- 地名の移動がないということは、今の朝鮮以外に朝鮮などと呼ばれた地はない
ということになるんだよ。分からんかなあ。
- 77 :
- 地名の移動はないとは言っていない。
そう簡単にぞろぞろ動くものじゃないと言っているのだ。
日本でも、朝鮮から移り住んだと思われる人が住んでいる所は、それらしき名前が付いている。
日本人が、たとえば北海道に移植したような場合も故郷の名を付けるということがあるだろう。
また国家名などは民族の移動につれて移動する。
北夫余、東夫余、西夫余、南夫余。それぞれ移動している。
朝鮮も檀君の時代は満州全域の称であった。三韓も満州のことだったのである。
それが結局は今の朝鮮半島だけを指す言葉になってしまったのである。
それから君は三世紀には佐賀には伊都という地名は無く、
後から出来たのだなどと苦しい言い訳をしているが、
三世紀になかったのなら佐賀が伊都国と書かれるはずがないのである。
論理的に矛盾している。
- 78 :
- 満州を応援するのではないが。
>三世紀になかったのなら佐賀が伊都国と書かれるはずがないのである。
三世紀に地名がなかっても佐賀が伊都国と呼ばれる場合がある。
倭の都があった場所は倭都(ヰト)、即ち伊都(イト)と呼ばれても良い。
佐賀には倭国王帥升王統の都即ち倭都があったのである。
その倭都の跡が伊都國なのである。
- 79 :
- 「伊」とは神の意志を伝える聖職者の意
その意義からしても行程からしても、伊都は宇佐だな
- 80 :
- すべて、意見の羅列ではなく、立証を行え。研究ならば。
- 81 :
- 大隅の志布志湾、肝付川河口に神武東征碑がある。ここの地名が柏原(かしわばら)。
この肝付川河口大隅は元々大住。神武天皇はこの肝付で生まれ46歳の時に東征し難波に
都を置いた(大隅宮)。
http://fm-kimotsuki.net/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=41
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-15-1tousen2.html
- 82 :
- 「倭人字磚」ってのが中国の安徽省なんてところから出土しているけれど、
中国の沿岸からずいぶん離れたところに倭人が集団でいたと記されている事から、
邪馬台国の前身勢力は、中国沿岸部や朝鮮沿岸部までも含めて考えてもいいんじゃないかな?
- 83 :
- >>77
>君は三世紀には佐賀には伊都という地名は無く、
>後から出来たのだなどと苦しい言い訳をしているが
誰がどこでそんな主張をしたのかな?
- 84 :
- http://seiji.yahoo.co.jp/vote/result/201212090001/
- 85 :
- >>83
よく読めば、三世紀には伊都、奴、不弥という地名は佐賀方面にあったのだが、
磐井の乱後にそれが福岡方面に移動した、と言ってるのか?
しかしそれなら伊都、奴、不弥という地名が佐賀方面にも残っていなければならないぞ。
地名移動説は九州にも大和にも同じ地名が存在するから唱えられるのである。
佐賀方面に伊都、奴、不弥という地名は存在しないのに、
なぜそれが三世紀には存在したなどと言えるのかな。
- 86 :
- >伊都、奴、不弥という地名が佐賀方面にも残っていなければならないぞ。
少しは考えてからものを言うくせをつけた方がいい。
- 87 :
- 考えてみれば、日本中だいたい似たような地名になっているな。
一部、その地域独特のものがあるが。倶知安とか北海道にはそういうのが多い。
南九州の場合は、読み方と漢字が微妙に異なる。
たとえば、都城は、地元付近の人は「みやこんじょ」と呼ぶらしい。
- 88 :
- そういえば、佐賀神崎の櫛田宮
福岡市の櫛田神社の本社
櫛田三柱大神
・櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)正面御座、櫛田大明神
・須佐之男命(スサノオノミコト) 東 御座、 高志大明神
・日本武命 (ヤマトタケルノミコト)西 御座、 白角折大明神
吉野ヶ里から割と近いところにある。
- 89 :
- >>86
お前の>>56の投稿を読めば誰だって>>85のように解釈するだろうが。
違うというならちゃんと説明してみろ。
いちいち人をカチンとさせるようなレスを書くな。
もっと紳士的に人と接する癖をつけろ。
- 90 :
- まったく>>86の男は自分を何様だと思ってやがるのだ。
>>56のようなアホ説が通用すると思っているのか、ド低能が。
- 91 :
- 2ch邪馬台国スレ三大名コピー
ジョーカー作
ゴミクズレベル九州説
19才作
こんなことも分らんのか
名無し作
こんなの学問でも何でもない、ただの妄想だ。
- 92 :
- >>89
>>>56の投稿を読めば誰だって>>85のように解釈するだろうが。
>違うというならちゃんと説明してみろ。
私の投稿についての解釈はそれでいいよ。問題は、「しかしそれなら伊都、奴、
不弥という地名が佐賀方面にも残っていなければならないぞ。」という点だ。
そんな理屈が成立するならば、いったんあった地名、国名は全て残ってなければ
ならんということになる。しかし、地名は残る場合もある、残らない場合もある。
そんなこと常識だろうが。
どうだ、少しは自分の意見の浅はかさに気づいたかな?
>>90
くだらん言いがかりをつけておいて何のざまだ。もっと紳士的に人と
接する癖をつけろ。
- 93 :
- 都合よく 消へてなくなる 地名かな
- 94 :
- 公平に見れば
伊都、奴、不弥という地名が佐賀方面に残っておらず
北部九州に残っている(不弥は微妙だが)ことは
いくら強弁しても説としては弱点であるだろう
- 95 :
- ただまあそんなことを言えば
邪馬台国が満州にあったということは説以前の問題としてありえんし
それを自分でわかっていながらコテ名にしているやつは何だ
ということになるが
- 96 :
- 邪馬台国か…。
これは大和だろうと思ってはいるが、
伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮
などという官名を見ると、大和とは全然関係ないような気もするな…。
卑弥呼の倭は馬韓だろうということはかなりあり得ることである。
伊聲耆、掖邪狗らが率善中郎將を拜していて、
馬韓の官に率善とか中郎將がちゃんとあるからな。
まあ、ここの連中もうすうす気づいているが、
私に味方すると村八分にされるから黙っているのだろうなw
- 97 :
- 朝鮮くんたらまた誤読しちゃってるねえ
馬韓の辰王なるものは多産系のメスの女王様だからして
馬韓の官なるものは
多産系のメスの女王様に種付けできる血筋のパトロン酋長様たちで御座るよ
- 98 :
- >>94
地名がないよりはあった方がすっきりするだろうが、ないからと言って説として
弱いなどという問題ではない。
伊都国の比定で何よりも問題なのは、従来の通説怡土では、末盧国から陸行する
理由がない、それに方角も合わない、南への水行もできないということだよ。
倭人伝どおりに進み佐賀市付近だと考えれば、それらの疑問の全てが解決する。
しかも、南へ倭人伝どおりに進み、記紀がいう我が国の発祥地高千穂に到達する
てことだ。困るのは別の所に比定したいと考える輩のみね。
- 99 :
- >伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮
などという官名を見ると、大和とは全然関係ないような気もするな…。
そうだろう。卑弥呼の女王国が畿内にないからだ。九州だ。
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