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2013年07月50代以上563: 50代が語るプロ野球・黒い霧事件 (175) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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昭和38年4月2日〜昭和39年4月1日生まれVol.1 (156)

50代が語るプロ野球・黒い霧事件


1 :2007/07/23 〜 最終レス :2013/01/18
黒い霧事件の年表
 永易の敗退行為発覚。1969年10月
 永易永久追放1969年11月
 国会で巨人柴田・藤田コーチの野球賭博行為者の暴力団組長との交際疑惑
発覚。読売国会の承認喚問で返答。処分なし。1970年3月
 永易が公式に敗退行為参加者の実名をR。
それにより、5月西鉄、与田、益田、池永が永久追放。村上、船田がシーズン出場停止。
基厳重注意の処分が下る。1970年4月
 近鉄 小玉、吉沢、木原、高木、監督・選手の敗退行為疑惑発覚。結局処分なし。1970年5月
 東映 森安、田中に敗退行為疑惑。7月に田中は厳重注意。森安は、金銭授与の事実があったとして永久追放。1970年5月
 近鉄 鈴木啓示野球賭博行為者からマネージャーを通じて高級時計をもらったことが発覚。
敗退行為の依頼がなかったとして厳重注意。マネージャーは永久追放。1970年6月
 中日小川、大洋平松敗退行為参加疑惑。小川はオートレース関連の罪を認め、永久追放。
平松は処分なし。1970年6月
 阪神江夏、暴力団から高級時計をもらったことが発覚。さらに、野球賭博行為者とマ
ージャンをしていたことも報じられる。敗退行為参加なしとして江夏は1月の謹慎。
1970年6月 ロッテ 濃人、小山野球賭博で逮捕済みの胴元との交際疑惑。両人とも
交際を認めたが敗退行為なしとして厳重戒告処分。
1970年7月 南海 三浦、当時の同僚佐藤公博から敗退行為の依頼を受けていたことが発覚。
断ったが球団に報告していなかったため、厳重戒告処分。1971年1月
元南海−中日−近鉄 長谷川、南海の選手に敗退行為の依頼。依頼した全員に断られた。依頼された
選手たちは球団に報告せず。 その後まもなく事故死。1966年4月
 元阪急−中日−南海 佐藤公博 逮捕された上記永易から当番日漏洩を指摘。本人は否定。
 1970年4月 元西鉄−中日 田中勉 野球賭博の胴元の依頼で池永に敗退行為を依頼し、金を手渡す。
ほかにも敗退行為の疑惑あり。1970年4月
番外の選手は限りなく黒に近かったが、すでに野球界から引退しているのでコミッショナー委員会は
深く追求しなかった。 
敗退行為関係に絞って書けばこんなものだろう(暴力団との交際のみは除く。)

2 :
田中勉は1939年生、1961年西鉄入団、1966年完全試合達成、23勝マーク。1968年中日
移籍1969年8勝をマークするも謎の引退。西鉄や中日でヤオウィルスを撒き散らす。
嵯峨、永易、田中の三人が主流と言われており、直接暴から依頼を受け、自らヤオ、
誰かにヤオを仕組んだりしてた。
中日も小川健、田中勉、小野正一、と三本柱がヤオで追放。西鉄も池永、与田、益田
と三本柱が追放。その後の低落具合の差はなんだろな?中日は数年後優勝。西鉄は解散。

3 :
田中の中日トレードは
確か25%減俸を拒否した懲罰だったな。
明らかに格下に広野功が交換相手だった。
67年の高倉、68年の田中の放出で
投打の主力を出してしまい
チームとしてはガタガタになった。
黒い霧が発覚する以前から西鉄球団はボロボロだったのだ。
けど、田中も23勝した頃はヤオ無しでも勝てたんだろうな。
当時の西鉄は球団を維持しちゃいけなかった。貧乏球団の為、一流選手を次々
と放出。チームは弱体化。三原退団後チーム崩壊にゆっくり向っていった。豊田
が退団した時にこのチームの行く末は決まってたのだ。チームの功労者を簡単に
お払い箱。今でいう横浜か…
また川崎徳治の影響でチーム内では高額なギャンブルが横行し、選手控え室には
暴力団が頻繁に出入り、それを咎めるものは皆無。このチームでは野球賭博も低
年棒から小遣い稼ぎの八百長は珍しい事ではなく実際は1967年から八百長は行わ
れていた。起こるべくして起こったのだ。
さらに言うと67年に八百長を確信した当時の投手コーチは球団に報告をした。
すると球団はこの報告を握り潰したばかりか二軍に降格。そして暴力団から脅迫され
退団に追い込まれた。当時のライオンズはそれ程腐り切っていたのだ。西鉄ばかりで
はなく、本当に西鉄は特にひどかったのだ。
西鉄ばかりが…と言う意味は黒い霧事件は西鉄だけがスケープコードに…とよく言われ
るが西鉄は特に本当にひどかったから止むを得ないと言う意味だよ。
良くも悪くも西鉄ライオンズは荒くれ者の集まりでそれが良い方に向いたのが3連覇。
悪い方に向いたのが黒い霧ということ。以上

4 :
野村が最初に兼任監督就任を渋ったのも「八百長の片づけをするのが嫌だったから」。
結局はその一年後に監督就任することになるんだが、本人は
「黒い霧については一切語ることはないし、死ぬまで語ることはない」
……まあ南海の監督を解任されたときの鶴岡糾弾手記でも、この問題だけは一言も触れずじまいだったしな。
柴田勲・藤田元司はやっていたらしい…のか?
いちおう、疑われたけどシロになった大物の名前を書いとくよ。
 西鉄:基
 近鉄:鈴木啓・土井
 ロッテ:濃人・小山正明・成田
 巨人:藤田・柴田
 中日:小野正一
 阪神:江夏
 大洋:鈴木隆・坂井勝二・平松

5 :
江夏は73年に優勝のかかった中日戦で年棒を抑え
たいフロントの依頼をうけて八百長をしたとの事
他にクロなのは、東尾やクラウンの土井
江本、小林繁、阪急の山田 青木一三が東尾と山田
小林の八百長をにおわせる事を著書でかいていた
俺は江夏がRを現役時代に入手していたか気になる
ひょっとしたら試合の前に使っていたのではないだろうか
プロ野球もそろそろドーピング対策を考えねばいかんね
60年代後半はセ、パ共に八百長選手だらけ
特にパのエース級はほとんど八百長投手
大阪の試合なんかすごかったらしい
田中勉は西鉄以外で70人の八百長選手を知ってるなら、
そいつらの名前を全部暴露しろ。八百長選手は今からでも
遅くない全員永久追放だ。池永が金をうけとっただけで
追放で、八百長をした大物が平然と監督やコーチ評論家
をやってる、これはおかしい。

6 :
八百長をやっていたorやっているとみなされた選手は以下の通り。
西鉄:与田順次・益田昭雄・永易将之・池永正明・船田和英・村上公康
近鉄:小玉明利・木原義隆・吉沢岳男・高木喬
東映:森安敏明・田中調
中日:小川健太郎・田中勉
阪神:葛城隆雄
大洋:高山勲
ヤクルト:桑田武
南海:佐藤公博?
ベストナインの組めそうな大物ぞろいですね…

7 :
江夏も処分を受けたんだよね。
読売がとりわけ執拗にキャンペーン張って・・・
そのフレームアップという側面が大きい。
いまでも江夏は怨み節を言ってる。
俗にいう名選手で追放されたのは
田中勉(ノーヒッター/西鉄→中日)
小川健太郎(沢村賞・背面投げ/西鉄→中日)
森安敏明(史上最速にいつも名前があがる/東映)
そして、池永正明(新人王・最多勝/西鉄)
処分を受けたのが
葛城隆雄(打点王/大毎→阪神)
基満男(西鉄の主軸打者)
江夏豊(言わずもがな/阪神)ってとこ。
西鉄の船田、村上、益田、永易、与田近鉄土井、阪神高山
南海佐藤もね。
そっか、名選手が追放されたんだね。
基って大洋のころは知ってるけど、彼もそうだったのね。
でも東尾はずるいよなー。
同じ麻雀でも柴田なんかは既に解説干されてるのに東尾は現場まで戻ってるし。
やつは運がいいんだな。
それと昔からコミッショナーってバカだったのか?。
見つかる、見つからないってのが問題で真実は関係ないのがよくわかった。
疑わしきは罰せずが法であるからしょうがないか。

8 :
「黒い霧事件」について私が記憶している顛末は以下のとおりです。
a.「黒い霧事件」は、当時西鉄に在籍していた永易が、藤縄なる人物(暴力団関係者だったと記憶している。)から金銭を受け取り、八百長を行ってことが発覚したのが、コトの始まりだった。
b.藤縄は永易を通じて、西鉄の投手に八百長を持ちかけ、益田、与田、田中勉が藤縄から金銭を受け取り、八百長を行い、また、これらの選手と交遊のあった、東映の森安も、同様に金銭を受け取り、八百長を行ったということである。
c.池永については、田中勉から百万円を渡され、八百長を行うよう依頼を受けたことは認めているが、「田中からの依頼は断ったが、日頃から世話になっている先輩の顔を潰すことはできないので、金はいずれ返すつもりで預かった。
自分は八百長は行っていない。」と主張、八百長を行った事実はないことを一貫して主張したということである。
d.その後、八百長の依頼は投手だけではなく、西鉄の野手にも及んだといわれているが、そこで名前の出た、基、村上、船田という選手は、池永と同様に、八百長を行ったことを否定した。
e.その後、コミッショナー事務局が、前記名前の出た選手について事情聴取を行い、処分がくだされるのだが、その結果は、永易、益田、与田、田中勉、森安、池永が永久追放で、基、村上、船田が出場停止というものだった。

9 :
 (>>8のつづきです)
f.a,bで名前の出た選手達については、八百長への関与はクロと断定できたようだが、池永に関しては、八百長を行ったことについて本人は否定し、
クロと断定できるだけの証拠もなく、「灰色」の状態で、dで名前の出た野手達と同じ状態にあった。 それでもクロの選手と同様に「永久追放」の処分が
くだされたのは、コミッショナー事務局が行った事情聴取の際の池永の言動が事務局の心証を悪くしたのが原因ではないか、と言われている。
(男気のある池永が田中勉をはじめとする先輩達をかばう発言をし、それが事情聴取を行った事務局の人間の心証を悪くしたのではないかと、私は推測しているが。)
g.コミッショナー事務局の中で、「八百長をやっただろう」と一番厳しく池永を追求したのが、金子鋭氏であったと言われている。
お気づきの方も多いと思うが、その数年後にコミッショナーとなり、「灰色」どころか明らかに「クロ」の野球協約違反をした「江川事件」
について大甘の処分をくだした御仁である。
h.a〜gの一連の流れでプロ野球界全体に不信感は広まり、「セリーグは大丈夫なのか? パからセに移籍した選手を通じて八百長が持ち
かけられていても不思議はない。」とセリーグにも疑惑の目は向けられ始めた。 実際に、八百長に関与した選手として、セの選手の名前も
取りざたされていたようである。
i.そこで発覚したのが「オ−トレ−ス八百長事件」である。 内容について詳細に記憶してないが、40氏がおっしゃるように
「客側として八百長レースに乗っかってた」ということであったと思う。
この事件で名前が出てきたのが、当時中日の小川健太郎と中日から阪神に移籍した葛城の二人で、これも40氏
がおっしゃるように、小川は、取り調べの中で、野球の八百長にも関与していたことを認めたということである。
これによって、小川健太郎にも「永久追放」の処分がくだされた。

10 :
読みにくくなると思い、「黒い霧」事件の顛末では割愛した話を
以下にまとめます。
その1
 日本プロ野球機構がまとめた野球協約には「敗退行為」(八百長のこと
を協約の中ではこう呼んでいます。「わざと負ける」という意味ですね。)
について、他の選手(同一チーム内の他の選手だったかも?)が「敗退行為」
を行っていることを知った場合、その事実をプロ野球機構に連絡しなければな
らない旨の規定があります。
(西鉄の野手に対する出場停止処分は、この連絡を怠ったことに対する処分だ
ったかもしれません。)
 八百長の依頼は投手だけではなく、西鉄の野手にも及んだのですが、その時
に、当時西鉄に在籍していたボレスという外国人選手にも八百長が依頼され、
ボレスは、依頼を断り、前記の野球協約の「敗退行為」の規定を遵守し、八百
長依頼の事実をプロ野球機構に連絡したということです。 「黒い霧事件」は、
このボレスの連絡が発端となって発覚したようです。
 日本人は日常生活での自分の行動を決める際に、「法律」よりも「しがらみ・
コネ」や「義理・人情」を拠り所としてしまいがちですが(池永が、八百長はや
らずとも、世話になった先輩の田中勉の顔をたてて、金を突き返す事ができなか
ったのが、その典型例。)、多民族国家の米国では、何かにつけて「訴訟」で
解決しようとする「訴訟社会」であることからもお解りのとおり、「日常生活で
の自己の行動の正当性を主張する根拠は「法律」である。」との考えが根付いて
いる訳で、チーム内の八百長行為の存在に対して、野球協約の「敗退行為」の
規定も知らず、見て見ぬ振りをした日本人選手と、野球協約どおりの対応をした
(そうしないと自分も罰則を受ける虞があるから。)外国人選手のボレスとの、
カルチャーギャップが鮮明に反映された出来事であったと思います。
その2
 藤縄は、永易を使って八百長工作をしたようですが、野球における八百長は、
現実問題としてかなり難しく、依頼を受けた投手が、点を取られるように投げ
ているのに、好投して勝利投手になってしまったということもあったようです。
 藤縄は、「黒い霧事件」の顛末をまとめた「ファンに詫びる」なる本を出し
ていて、前記のような話が、この本にまとめられているようです。
 この本、読んだことはなく、読みたくても、今では入手不可能だと思うので
すが、誰か、お読みになった方がいらっしゃいましたら、どんな事が書いてあ
ったのか教えてください。
その3
 江夏(当時阪神)と土井正博(当時近鉄)の二人は、野球やオートレースの
八百長ではなくて、暴力団関係者との交遊が問題になって処分を受けたと記憶
しています。

11 :
当時の球界関係者の多くは、池永にくだされる処分は「出場停止」程度の処分で、
「永久追放」という一番厳しい処分がくだされるとは予想していなかったと思うし、
池永が永久追放にされたことで、自チームに疑惑解明の調査が及ぶことを恐れた
選手、監督・コーチ、球団フロントは多かったと思う。
藤縄ルートとは結びつかなくても、危ないスジのファンから金品を受け取ったこ
とがある選手は結構いた筈で、もし、池永のケースと同様の判断をされたら、実
際に八百長をやっていなくても、金品を受け取っただけで永久追放される危険性
が出てきた訳だからね。(金品を受け取った日と自分が先発して大量点を取られた
試合の日とが近接していれば、八百長と判断されかねない。)
だから、パリーグの混乱ぶりを見て、セリーグでは事前に、情報リークの防止、証拠
隠滅、疑惑追及回避といった策を講じた思うし、藤縄とは無関係の、「野球賭博」を
資金源にしていた組織も、当然に情報が外に漏れないように手は打っていたでしょう。
セリーグがそういった事前準備を行った後で、「オートレース八百長事件」が突然明
るみになったフシがあるので、「オートレース八百長事件」はすり替えだと考えてい
るのですが。
(記憶に間違いがなければ、この「オートレース八百長事件」を取り上げ始めたのは、
週刊ポストじゃなかったかな?)
だから、毎日や朝日が追求し始めた頃は「時すでに遅し」だったんじゃないのかな。
新しい情報が出てこなかったのも当然だという気がしますね。
それにしても、江川問題での当時の金子コミッショナーの大甘処分とか、逮捕されたN
選手の球界復帰とか、脱税問題を起こしたK選手他数名の処分とか、その後起きた球界
での不祥事における処分と比べて、池永氏の処分は重すぎますね。
「永久追放」は外してもいいと思うけどなぁ。

12 :
大橋巨泉は自分の番組、連載コラムで池永復権を訴えているが、
その中にコミッショナ−が復権に消極的な原因は一部のOBが
強硬に反対してる為でその理由は黒い霧事件が再検証される事
により自分達の表沙汰になってない敗退行為への関与がが暴かれ
るのを恐れての事と指摘していた。確かに敗退行為が西鉄だけに
限った事とは想像に難くガイシュツのオ−トレ−ス八百長への
スリ替え説に説得力がある。
30年代の南海で5番を打ってた長谷川という外野手は
引退の3年後、深夜の自動車運転中に転落死したが、
野球賭博に絡んだ謀殺ともいわれたそうだ。
(直前に南海時代の同僚たちから1000万近い大金を借りていたと言う。
結局警察の調査では事故死ということになったが。)
>益田、永易(そして与田もか?)は、前年巨人からタダでトレードされてきた中継ぎ投手だったという記憶がある。
68年に益田が巨人から、永易が東映から、それぞれ西鉄にトレードされていますね。
与田は、62年に西鉄に入団した生え抜き選手のようです。
ちなみに、永易が東映に入団した2年後に森安が入団、二人は2年間同一チームに所属しています。
確かに、60年代後半は、巨人と西鉄の間でトレードは活発に行われていて、
益田の他に、宮寺(捕手)、船田、高橋明(投手)、田中章(投手)といった選手が巨人から西鉄に出され、
高倉、田中久寿男(外野手)、井上善夫(投手)、広野功(内野手,田中勉との交換で中日から西鉄に移籍)
、柳田俊郎(第1期長嶋監督時代の最強の五番打者)が西鉄から巨人に出されています。
中日はどうしても投手が欲しくて4番候補の広野を放出。
その途端、獲得した田中勉が黒い霧で追放。
しかも泣く泣く放出した広野が回り回って巨人の5番候補として入団。
中日ファンは激怒しましたとさ。

13 :
そういえば、1980年に、ジャイアンツの打撃コーチに就任したばかりの青田昇氏が、野球賭博の組織と関係があったとかの理由で、シーズン開始前に退団したことがありませんでしたっけ?
あれは、どういういきさつで、青田氏が辞めることになったのでしょうか?

青田氏の自伝「ジャジャ馬一代」に詳しく書かれています。
もちろん本人の話なので、どこまで真実かはわかりませんが。
手許に本がないので、おおまかですが、
酒を飲んで帰ってきた後、知っている記者が家の前にいたので、家にあげて
話を聞くと、幼馴染みの組長の名前(イニシャルでかかれてました。ここでは仮にAにします。)
「Aさんごぞんじですか?」と聞いてきたので、「何、Aがどうした。」と答えたと。
その後、野球賭博関連で聞いてきたが、実体をわかっていなかっから、酔ったいきおいで
「不勉強」とか、いろいろ文句を言った。そうすると、会話を録音していて、
「組長のことを、Aとよびすてにしていて、かなり親し気な様子だった」とか
「ばかやろう、とか罵倒された」などが記事になった。(サンデー毎日)
そのことで、黒い交際といわれ、辞任においこまれた、と書かれています。
(記憶を頼りにかいているので、細かい所がまちがってるかもしれません)
アンチ巨人のかたは、青田氏について、いい印象をもってないでしょうが、
自分の一生を通して、いろんな球界のできごとが書かれておりプロ野球ファン
なら、結構おもしろいと思います。

青田氏も伊東キャンプの成果を感じており、監督、選手に申し訳ない事をした、
ということと、翌年の長嶋解任についても、おれがいればちょっとでも守ってやる
ことができただろう、というようなことを書かれています。
本には書いて無いですが、そのようなことも含んでいたのかもしれません。
彼は、ヘッドコーチとして、優勝請負人とよばれたこともあって、自分がいれば、
ということもあったのでしょうが。

14 :
>>64
江夏が交際を疑われた暴力団関係者は、超大物暴力団員の実弟の上
そいつの主なシノギが野球賭博で常習賭博罪で有罪判決を受けて服役経験あり
もっとも、ミナミのクラブで偶然顔を会わせた時に、『奪三振新記録のお祝いや!』って
はめていたパテックの時計をポ〜ンとよこした程度だったらしい
脇の甘い江夏は、その時計の値段を知り得意顔ではめていたところ
ある日顔見知りの報知の記者に『ユタカ、おまえTちゅう人から時計を貰ったんか?』って
尋ねられ「これがそうや!」って得意になってはめていた時計を見せびらかしたところ
翌日【江夏に黒い交際疑惑】って記事になったとか・・・・・
で球団、リーグの調査を受ける羽目になりシロとは確定したものの
江夏=暴力団ってイメージは後々まで残る事になり、南海移籍後の
最初のシーズン、いつまでたってもイメージ通りのボールがこない江夏に監督の野村が
『江夏、言い難い事を聞くがな、おまえ、まさか八百長やってるのと違うやろな?』って
聞いたとか
今の名球界や評論家などに沢山この件にかかわった人達がいるらしい。
以前何かの雑誌に追放された誰かが、言ってた。でも死ぬまで話さないとも。
自分が、話したら今の球会がめちゃくちゃになってしまうと書いてあった。
誰もが知ってる名選手の身代わりに、池永がされたのなら本当に悔しい。
あの時、西鉄じゃなく南海に入っていれば・・・こんな事にならなかったのに・・・
>誰もが知ってる名選手の身代わりに、池永がされたのなら本当に悔しい。
他の選手のことはともかく、池永自身金を受け取った(預かった?)わけなんだから
身代わりもクソもないでしょう。被害者扱いはナンセンス。
柴田と江夏は確定か?
その後の事件に、成績見ると黒い霧の疑惑のかかった
時期に急激に成績を落としている。
心労か?

15 :

 池永氏は、当初八百長の依頼を否定していたが、藤縄と田中が逮捕され、依頼した永易
の証言と警察での供述が一致足したため、コミッショナー委員会で再調査。
結果、押入れから受け取った現金が発見された。
西鉄が組織ぐるみで敗退行為を知りながら隠ぺい工作をしていた事実も濃厚になり、
池永氏の心証は最悪になった。
その結果が永久追放につながったらしい。

>真実を語るのはいまだ池永さんを永久追放処分にしているプロ野球機構にあると思う。
 書いている意味がよくわからんが。プロ野球機構は、池永氏の処分理由について、公式に発表している。
池永氏の処分内容は、八百長の胴元藤縄洋考の使者で西鉄時代の先輩投手田中勉から八百長の依頼を受け、
現金を受け取り理由もなく返還していない。というものでその行為が敗退行為と見なされた。
八百長の実行とは関係ない。
 普通に考えれば八百長の依頼を受け金を返していなければ「八百長をしていない。」と言っても信用し
ないだろう。選挙の買収罪が金を受け取っただけで成立するのと同じ理由だ。
 池永氏を弁護する香具師は、田中勉から「金を受け取ってくれないと困る。」と泣きつかれ預かっただけ
だから無罪だ。と主張しているが、田中は、池永氏の主張を認めていない。
 そのため、当時のコミッショナー委員会は、池永氏の主張を取り上げることができず、
世論に負けて永久追放にせざるをえなかった。
 ろくな調査もせずに処分したとコミッショナー委員会を非難する声があるが、当時、
八百長の依頼者は、全員警察に逮捕され収監中だったので直接調査ができなかった。
 仕方なく、警察の供述発表と容疑者の選手の供述を照合し、一致した部分について
認め、処分を実行した。
 田中は、池永氏に料理屋でふたりで会い八百長の依頼をし、現金を渡した。金は返して
もらっていない。としか供述していない。
これは当時の新聞に載った警察の発表だから間違いないだろう。
 ちなみに八百長の依頼を受け、現金又は物品を受け取り返還していないのは、
池永氏のほかに船田・村上(西鉄)、森安(東映)、クサ(近鉄)がいる。
 船田、村上、クサは八百長の依頼者が受け取った現金又は物品を返していない理由
をはっきり認めている。だから永久追放を免れた。
森安は依頼者が認めていないので、調査を継続した結果他の疑惑も明らかになり永久
追放になった。
だから、池永氏の処分自体は不公平ではない。
 どうも、岡邦行、蕪木和夫の著作から田中から無理やり金を押し付けられて先輩の面子を考えて
返せなかった。という話が一人歩きしているが、あくまで本人の証言であって客観的な事実とはい
いがいたい。
 だからコミッショナー事務局では、池永氏の処分解除を門前払いにしている。
当たり前だが、新しい証拠や証言もないのに「当時の判断が間違っていたから処分を解除しろ。」
と言われて了解するわけがない。
 その上で容疑内容が明らかに差があるのに処分結果の差を力の強い球団に甘い処分をしている。
と因縁をつけられてはコミッショナー事務局がそっぽを向くのは当然だ。
 ちなみにやたらと比較されているが、Rされた3年前に野球賭博容疑で逮捕歴がある人物と旅行を
した容疑の巨人、柴田・藤田と八百長依頼を受け現金を受けとった香具師と取調のきつさや処分が違う
のは当然だろう。
 それをいえば農人・小山(ロッテ)は、藤縄と交際していたことを認めているが処分されていない。
藤田と柴田を比較で持ち出すのは巨人に対するいやがらせとしか言いようがない。
巨人に甘いのではなく、プロ野球全体に甘い処分だったと思う
 池永氏の無罪を主張するならまず田中を見つけて池永氏の証言が本当だった。と告白させる必要があるだろう。
現在どこにいるかは不明らしいが。

16 :
近鉄の小玉明利
弱小時代を支えた実績(土井正博の前の4番)
の割に、現在殆ど存在感が無くなっているのも
やはり黒い霧に大きく関わったからかな。
兼任監督を一年で解かれたのも
三原を呼びたい球団の意向もあったが
「芳しくない内情」が発覚したからかもしれない。
ちなみに小玉監督時は最下位だったが
春先に首位争いをやった時期もあり、外部では続投論も強かった。
が、黒い霧事件に西鉄戦での八百長試合がばれる事になる。
現役引退の直後だったが、風当たりは強かった。
その後、コーチなどの口もなく、事実上
球界から永久追放されたようなものだ。

17 :

 球団ぐるみの隠蔽は、永易、藤縄、その相方の3人が西鉄球団社長から逃亡資金をもらったと証言。
金額が一致したことから当の社長は警察に出頭している。
金を払ったことは認めたから疑いではすまなかったはずだ。
 追求の手が広がった場合問題なのはパリーグの各球団のほうだ。朝日新聞の調査によると当時、
大阪、西宮、日生の各球場で明らかに暴力団風の集団がしばしば認められている。こと。
八百長の胴元藤縄が「セリーグ。特に巨人戦はリスクが高いのでやらなかった。」と証言してい
ることからパリーグの球団の方が八百長に参加していた可能性が高い。
 
ちなみに、敗退行為にかかわった選手は全部厳罰にせよ。と主張したのは、阪急と南海で巨人ではない。
また、池永の処分の後、クサ、江夏、森安、田中調らが処分されている。池永を追放した効果はない
といってもよい。
 そして、池永が心象が悪かったのは、普段の素行が悪かったため、世間で同情してくれなかった。
 この話をするのは今一種のタブーになっているが、とても、エース級の投手ならよくある話ですむとも
思えない。
 なにせ、酒酔い運転で、民家に車をぶつけ、そのまま放置して帰宅したということで、警察から厳重注意と
罰金を食らっている。今なら、確実に刑務所行きだろう。

>西鉄という弱小球団であり巨人や阪神だったら追放までにはいたらなかった筈
 よく言われているが、処分のポイントは、八百長行為の依頼を受け、金をもらっているというところにある。
 巨人・阪神の選手でその行為に至ったのはいなので、比較はできない。
 よく江夏の例が引き合いに出されるが、江夏は、時計を渡した暴力団組長が野球賭博を
直接やっていたことを証明できなかったこと。時計を渡したときに八百長行為の依頼がな
かったことを一緒にいた遠井、田淵、西村が証言したため永久追放を免れている。
記事を見る限り阪神の選手だったからとは思えないが。

 それは、池永本人の証言で、金を渡した田中は、押し付けて逃げたとは言っていない。
田中の証言は警察の取調べによるものなので、池永より信憑性ありと世間は判断した。
そこが処分の重さにつながった。
 コミッショナー委員会は当初池永を1シーズンの出場停止処分にする予定だったが、それが新聞に載った
とたんに世間から「結局実績のある選手には処分が甘いのか。」と轟々と非難を浴びたため、永久追放にせ
ざる得なかったようだ。
 処分が決まって発表するときに委員会の3人は徹夜明けで目が真っ赤だったと記事にあった。
追放するのに強気だったわけではないと思うが。
 田中に金を押し付けられたという証言は処分の発表直後に池永本人初めて語っており、それまで
世間には発表されていなかった。
 だから、大橋巨泉のように「金を押し付けられたのがわかっているから、世間は処分など望んでい
ないのに、読売新聞だけが永久追放を強硬に出張して世間をあおったため、処分が重くなった。」という
のは妄想だと思う。
 少なくとも週刊ベースボールと朝日新聞は1シーズンの出場停止処分は軽すぎると書いているのは
確かだ。
 時代というよりマスコミの犠牲者だと思うが。

18 :

その通り、一目瞭然なのだ。
八百長の仕掛け人、藤縄容疑者の供述によると、
八百長を依頼したのに、その試合で勝ってしまった池永に対して、渡した100万円の
返還を求めたところ、
『翌年(昭和45年)の開幕戦で負けるから』と言って、池永は結局返さなかった、とのこと。
で、実際にその試合(昭和45年の開幕戦)は池永が先発して、西鉄が負けているんだな。
図書館へ行って、新聞の縮刷版を読まれるとよろしいでしょう。

19 :
池永は不起訴処分だったのですよ。
池永の容疑は賭博幇助で、起訴するには敗退行為をおこなったという明白な証拠が
必要だったわけだが、検察はそれを証明できなかったのですな。
状況証拠的にはクロという心証が強いんだけど、イカサマと同じでやった現場をとっつかまえるか
グゥの音も出ない証拠を挙げない限り立件できないの。
池永は100%真っ黒けとは言い切れないというだけで、シロだったわけではない。
ここからは何の根拠もない憶測だが、
池永は八百長をするつもりはなかったのだと思う。
だが、ごっつぁん体質に漬かってしまった彼は、もらった100万円を返すつもりもなかったのだろう。
そしてどこかで試合に負ける時がくるから、その時に
「ほい、負けてあげたよ」
というつもりだったのではないだろうか。

20 :
池永正明成績

            登 勝 負 防率 回  振 
19才 1965 西鉄 47 20 10 2.27 253.2 156 新人王
20才 1966 西鉄 47 15 14 2.18 267.2 139
21才 1967 西鉄 54 23 14 2.31 335.1 203 最多勝
22才 1968 西鉄 47 23 13 2.45 305.0 161
23才 1969 西鉄 34 18 11 2.57 263.1 105
24才 1970 西鉄 09 04 03 2.60 052.1 029 5月永久失格処分
通算 238登板 103勝65敗 493奪三振 防御率2.36 

21 :
黒い霧の永久追放組は
池永以外は消息不明が多いな。
田中は九州某所で何かの事業してるそうだが
事件の真相はいくらカネ積まれても喋らない、
ましてマスコミはどんな件でも全面的に面会謝絶、らしい。
ステレオタイプの悪役扱い。
実は田中勉は親分肌で後輩の面倒見がよく、
池永が断り切れなかったのもそのせいと言われている。
さっぱりした性格で投手コーチにも信頼されていた。
逆に池永はある場面を目撃した武末コーチに
「八百長以上の堕落を感じた」とコメントされている。

22 :
確かに「言うに憚ること」で言わない方がベターだろうが、
きれいごとだけで変に美化しているのもどうかと思うので、
一応「あのこと」を記しておく。
ある西鉄本に載っていた武末氏の記述・取材は福岡の地元紙の記者
「八百長を否定した選手を信じようにも、その選手が父親に向かって“俺の靴を磨いてない”と怒鳴る姿に“八百長以上の堕落を感じた”」というもの。
しかも池永氏は実の父親を下の名前で呼び捨てにしていた。
これは当時の他の資料にもよく出てくる記述だ。
驚く以前にこんな親子関係を奇異に感じないだろうか?
最近高山とかいう作家が池永氏を擁護するルポを書いていたが、
こういうことには全く触れていない。池永氏の出自などにも言及さえしていない。
いかにも冤罪事件を書きたがる左翼系の作家にありがちな一方的擁護のスタンスしか
感じられない。もちろん本人にとって語りたくないことはあるだろう。
しかしそれでは池永氏が黒い霧に関わった「心の闇」に迫るという視点が
欠如しているとしか言いようがない。
また当時の処分を下した関係者や他の黒い霧の選手を単純に悪玉にし、
池永氏のみを善玉扱いにするのは浅薄で愚かな行為としか思えない。
マスコミ関係者ならご存知だろうが、個人情報保護法案に伴い、
元選手等のプライバシーにも慎重な扱いになってきている。
隔年で出されていた「プロ野球人名事典」が消えたのもそのせいだ。
そんな中で黒い霧関係の元選手の実名を軽々に出す掲示板というのもちょっと信じられない。
人権に関わるデリケートな問題を興味本位で取り上げるのはどうかと思う。

23 :
そういう意味じゃないだろう。
それだともっと無責任な興味本位になってしまう。
武末氏は人間性を疑うような言動を目撃したので、
本人の無実の主張が信じられない、ということなのでは。
前も出ていたけど「返すつもり」だったかどうかは本人しかわからないことだし。
ただし、下関という場所柄在日が多いのは事実。
大昔巨人にいた藤本という投手はカミングアウトしていた。
「池」というのも半島にある姓で通名は「池○」というふうになるが、
日本人の方が多数派だろうし。

プロ入り前は南海も獲得に動いていて鶴岡監督が直々会いに行った。
ところが親に対するひどい態度を目の当たりにして、
「こんな男なら欲しゅうは無いわ」と獲得からすっぱり降りた。
それくらい眉を顰めさせる異常さだったってこと。


ばかばかしい。
一コーチの証言だけをあげつらっているんじゃないだろうが。
近年のマスコミが「悲劇のヒーロー」という陳腐な虚像を作り上げて
逆に甘っちょろい奴らがお涙頂戴のイメージに騙されているだけ。
そもそも、池永が間違いなく武末の言うようなDQNだったとしても、それをあげつらってる
武末自身が女性問題が高じて相手の女性に刺されて選手生命を縮めるようなDQNなの
でどっちもどっちと言うより他にない。
ちなみに、武末DQN説のソースは鶴岡の自伝。

武末氏DQN説なんか存在しません。
その女性問題というのは一方的に女に惚れられた「女難」。
鶴岡氏の本にも武末氏を非難する記述などありません。
武末氏は幼い頃親戚に引き取られ、その家で苦労して育った。
それでも勉強でも運動でも負けないように必死で努力し、
過酷な運命を克服していった。その体験談は涙なしでは読めない。
曲がったことが大嫌いで、西鉄時代三原監督が麻雀でインチキをしたときは、
テーブルをひっくり返した程だった。
武末氏に女性スキャンダルがあったことは事実だが、あくまでも被害者。
女がストーカーだっただけ。「DQN説」というような妄説はありません。
阪神の中西投手がストーカーに悩まされたのと同じケース。

24 :
 「八百長を依頼され、100万円を受け取った。」という部分は
本人も認めており、事実だと思われる。
 問題は、池永が八百長を断ったかどうか。当時の処分者で
は、八百長そのものを認めた2選手は永久追放、金を受け取っ
たが八百長を断った選手は、戒告や出場停止だった。池永の
場合、八百長を持ちかけた選手の供述などから、八百長を断っ
ていたとはいえない、と当時は判断されたようだ。実際に八百長
をやっていたかどうかは、不明のまま。
八百長は大阪のやくざが仕組んだ。永易が東映時代に森安と田中調に西鉄に行き田中勉と与田、益田に田中勉
が中日に行き小川に広がって行った。金に困っていた選手や安い年棒の選手、そして実際先輩に頼まれると
断りにくいのが当時の風習だったようだ。

25 :

>>あのねー、池永を永久追放に追い込んだのが他ならぬナベツネなの。
>>でも寿命を目前にしてそのままにしておくのがさすがに気がとがめたのか、
>>突然池永の復権を言い出したのが真相なの。自分がすっきりしてから
>>死にたかったんだろ。そんなことしたってお前の悪行は永久に消えねえよ。 
 漏れは当時リアルタイムで見ていたが、池永を永久追放に追い込んだのはどうみても
金儲け主義のマスコミの記事だと思うが。
 読売系列だけでなく、なんと週刊ベースボールまで、池永に厳罰をと書いていた。
一番ひどかったのは週刊ポストらしい。漏れが見たのは文春、新潮だがひどかったぞ。
 永久追放は、巨人の陰謀だったとよく言われているが、オーナー会議で、池永と森安
の永久追放を将来的に解除しようと案が出たとき、巨人の正力亨オーナーは、ヤクルト
松園オーナーとともに賛成しているのだが。
 これについての説明をキボンヌ。
 
 なぜ通らなかったかというと南海川勝と阪急小林米三が「八百長行為をやった選手を
復活させるとプロ野球の信用にかかわる。」と強引に主張。正力と松園に「処分者が少
なかったからといって無責任なことをいうな。」と怒鳴りつけ、提案した東映大川オー
ナーに「自分のところの選手を復帰させたいからそんなことを言っているのだろう。
八百長をやった選手のおかげで、われわれがどれだけ迷惑をこうむっていると思って
いるのだ。」と罵倒して案をつぶした。
 これは、金子コミッショナー委員に読売が圧力をかけたとか、巨人の選手が八百長
行為で逮捕寸前だったので、警察と司法取引をして、西鉄選手の八百長をスクープし
てごまかした。などという都市伝説と違って、新聞に載った記事によるものだ。
 ナベツネに文句を言うなら川勝と小林は死刑ものだと思うが。
 それにしても、池永弁護の香具師は、口をそろえて田中勉から金を押し付けられたから
預かっただけと主張しているが、本人が言っているだけだ。誰か田中に確認したのか。復権運動をやっている
連中も田中に確認したやつはいないようだが。
 コミッショナーに文句を言う前に田中に真相を聞けば結論が出たはずなのに。
無駄なことをしていたような気がする。
 
 ちなみに田中は行方知れずということはない。福岡で会社を経営しているらしい。ただし、
いくら金をつまれてもマスコミ関係者には絶対会わないと言っているということだ。
誰か田中に聞くやつはいないのかな。

26 :
池永氏に次ぐ実力のあった森安は追放後は悲惨の一言だったみたい
チンピラまがいの事をやっていたけれど、事件の影響か、ちゃんとした(?)ヤクザにもなれず
あちこちを転々としていて住所不定の生活を送ってたらしい
追放後唯一マスコミに出たのが、例の桑田事件の際の、「俺が永久追放なら桑田だって同罪だ!
野球賭博で先発投手が予め分かってるのは何より有利なんだ!」って某週刊誌に載ったコメント
ぐらいかな、この時は何でも知人を頼って北海道をうろうろしていたとか

http://that3.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1090653565/
ここに詳しく書かれてます。

27 :
うわさがあったのは、野球賭博で逮捕歴のある香具師との交際疑惑で
八百長行為ではない。
 巨人の話ばかり強調しているが、ロッテの小山と濃人は野球賭博で逮捕
された胴元との交際を警察の調べで認めているのだが。
ついでに小山は自分を批判したき字を書いた新米記者をロッカールーム
に連れ込み「つまらないことを書くと暴力団に消してもらうぞ。」と
脅迫していたという話もある。
 当時のオリオンズ出身者は小山、濃人のほか鈴木隆、小野正一、葛城隆雄、
成田文夫、坂井勝二、木樽正明と暴力団との交際疑惑のある選手がそろっていた。
 巨人の選手があやしいならこいつらはどうだというんだ。
読売陰謀説を唱える香具師で解説できるやつはいなのか。

28 :
「黒い霧から一年」て題名の匿名座談会、1971年の朝日ジャーナルに載っている記事を読んだんだけど
色々書いてあったね。
朝日だけに当然巨人の選手のことは話題に出してるね。長嶋が賭博場に出入りして
いるという噂が出たため、取材陣が田園調布の長嶋邸に殺到して長嶋が真っ青になって
応対したが裏がとれなかったから翌日どの新聞にも載らなかった話。その噂は小川健太郎
が流したという話、金田正一が「何で小川は中日球団に揉み消してもらわなかったんだろう?」
と同情していたと話。戦前・戦後まもなくは巨人以外の全チームが八百長にかかわっていたという話。
その巨人でも巨人のキャッチャーが“甲子園で投げる時の別所だけは要注意”と言っていたという話。
>>27でも出てるけど小山正明が試合中にもかかわらず新聞記者に向かって知り合いのヤクザの名前を
出し“殺してもらうぞ”といって脅していた話。確かにロッテの選手の名前はたくさん出てきていたね。
他にもヤクルトの球界進出は相当やばかったという話。与田が本籍を隠していて韓国ロビーとのつながって
いたという話。今の朝日じゃあこんなことは書けないなw どこまで本当なのかな。

29 :
元来西鉄は嫉妬をパワーにしてきたチーム。その反動が常勝に繋がる。が池永
在籍時は腐り切ってた。永易や田中勉は嫉妬心から池永の名前を出した。まさか
こんな顛末になるとは思わなかったのだろう。池は可哀相だよやってないんだから
と与田が証言した時はもう遅かった。
数年後田中勉が涙を流して詫びたそうだ。…池永はもうすんだこと…仕方ない。と。決して恨み言の一つも言わなかったそうだ。
また自身も当時俺は舞い上がって周りが見えてなかったかもしれん。と発言している。
時代背景、チーム状態、運、仲間、全てが最悪だった。
当時は八百長は普通だったらしい。70人が関与していると田中勉は言っている。秘密を墓場まで持ってく代わりに田中は永久追放を免れている。
池永を見せしめにすることでプロ野球界を引き締めたのだろう。
数奇な運命を辿った池永氏これからの人生幸せになってほしい。

江夏が週べで書いてたね。
当時の実績から見て通算300勝できるはずの稀有な名投手を
ああいう形で無理やり葬り去っておいて、今きちんとした復権の
儀式が何で出来ないのかって。
やっぱり内部にいる人間には「もっと汚いことをやっている人間が
大きな顔をしているのに、まともな人間が業界の力関係で犠牲に
されてそのままにされていていいはずがない」と思えるのが当然って
ことなんだろう。

30 :

ナンバーの記事では、テレビで試合がほとんど放送されないので、知られていないが、
堀内など問題にならないくらいの守備力があったと書かれていた。
しかし、漏れは全盛期の堀内の守備を実際見たが、ほとんど神だった。
それなど問題にならないくらいの守備力とはどんなものかと考えてしまった。
(漏れは池永の守備は見たことがない。)
池永本人の話しによると堀内の守備については、「あいつも足だけは、自分より速かった。」
と語っていたから守備には相当自身があったのだろうと思った。
ちなみに江夏や平松が同じことを言ったら「知っている者から見たら
負け惜しみだよ。」と突っ込みを入れたくなる。
全盛期の池永の守備を見てみたかった。 
>>当時は八百長は普通だったらしい。70人が関与していると田中勉は言っている。秘密を墓場まで持ってく代わりに田中は永久追放を免れている。
既出だがそれは、あきらかにちがう。田中がうそをついているかだまされているだけだ。
田中が処分を受けなかったのは、協約が処分は選手・監督等または、球団職員となっているので、
八百長行為の発覚時に退団していた田中は処分されなかっただけ。
葛本浅治郎、佐藤公博、長谷川繁雄が処分されていないことからもよくわかる。
>池永を見せしめにすることでプロ野球界を引き締めたのだろう。
永久追放になった大物が池永ひとりだからそうみえるだけ。
江夏やクサ、平松が追放されたらそうは言わなかったろう。
特に江夏とクサが追放を免れたのは、時計をもらったときに八百長の依頼がなかったことを
証言する証人がいたからにすぎない。池永の方が処分が先立ったから見せしめ
というのは違うと思う。

31 :
当時、野球賭博は関西が盛んで特にパリーグは半分がヤクザだったと言われている。
鈴木啓や江夏は間違いなく黒。特に近鉄は三原が来る前はチームぐるみでヤオした前科
がある訳だから、皆麻痺してた。鈴木啓も軽い気持ちでやってたと思うよ。
野球賭博はホームランの回数とか何回に何点入るとかも賭けの対象になる。
江夏程の神ならここでホームランとか何点入れるとか普通に成立させられる。
勝ち負け関係ないし小遣い稼ぎにしてるだろ。

32 :
>池永も八百長をしていないと言う証言はいっぱいあったよ。
>だけど信用性がないとか確たる証拠がないとか言われ処分された。
 肝心の八百長を仕掛けた関係者から八百長をしていないという証言はない。
賭博の胴元藤縄は、昭和45年の開幕日に八百長を実行する約束になっている。と言っているし、
田中はひたすら沈黙。
 池永の八百長の直接の関係者は、このふたりだけ。八百長行為の依頼を受けも
らった金が手元にあり、関係者から八百長はやっていない。という証言がなかったので、
コミッショナー委員会は池永を助けることができなかった。
そして、他の選手と違って処分が出るまでの謹慎期間中に遊び歩いていたため、
世間から非難をかったのも大きな要因。要は反省していないから復帰させれば
八百長をやると世間で思ったのだろう。
 池永を非難したのは、読売系列の新聞・雑誌だけでなく、朝日新聞やポストを
筆頭に週刊誌も相当たたいている。
 クサは、時計を持ってきた近鉄のマネージャーが「ファンからのプレゼントと言って
手渡した。そのときに八百長の依頼はなかった。」と証言した。
 江夏は、時計を暴力団組長から渡されたときに八百長の依頼がなかったことを
いっしょにいた遠井、西村、田淵が証言したのでそれぞれ追放を免れた。
実際どうだかは知らんが。
>後、永易は自由契約後に永久追放を食らっている。解雇した後西鉄は永易は私生活に問題があるため解雇したから再契約は控えてほしいと発表した
 解雇したからではなく、シーズン終了後に解雇すると発表した。それでコミッショナー委員会が永易を呼び出し、
事情聴取をしようとしたが、永易は、呼び出しに応じなかった。
委員会では、とりあえず西鉄に永易の解雇をとめているはず。当時の新聞を見ても
解雇の公示はこのときにはされていない。
 解雇すると呼びだせなくなるので、こうした処置をしたのだろう。
永久追放は11月28日。おそらく、契約期間がきれる直前だったので切れる前に
発表したと思われる。
 田中しか見ていないからおかしく見えるだけ。佐藤公博や元近鉄球団部長の葛本に
事情聴取を行わなかったことは誰も問題にしていない。

33 :

>読売新聞の福岡進出キャンペーンの一環としての地元球団つぶしか。
>もし西鉄がセの球団だったら・・・。
読売新聞は、八百長撲滅キャンペーンを利用して、九州進出をもくろんだ
が別に西鉄をつぶそうとしたというより、どうでもよいと思っていたらしい。
 当時の巨人の実質オーナー務台は球団が減るとプロ野球全体の利益が落ちて、自分の収入も減ると考えていた
から球団を減らそうとは思っていなかった。それで、昭和48年のシーズンオフの
日拓とロッテの合併をつぶした。
 池永の復帰を強引につぶしたのは南海川勝と阪急小林の両オーナー。
巨人は、正力亨が復帰に賛成していたにもかかわらずだ。
 そして、投手の足りない西鉄にパリーグの5球団は投手だけは出せないといって
トレードを拒否した。
 投手を出したのは、巨人と阪神。稲尾がこのときのことを一生忘れないと自伝神様、仏様、
稲尾様で書いている。
何回カキコしてもこのときのパリーグの行動についての見解は帰ってこない。
 巨人の陰謀と主張する香具師は、このことに答えてね。

34 :
黒い霧で池永は伝説になったね、シューレスジョーみたいなもんだ。
八百長やったかやんないかはもう関係ねーべ。復権したんだからさ。
他の奴らも復権させたら?森安、永易、益田、与田、小川健太郎、だっけ?なぜか田中勉や小野や佐藤公博はセーフなんだよな。
池永以外の一流選手の追放は完全試合の田中、背面投法の小川、速球派サイドスロー
の森安か。何かこうしてみると田中は故障で小川は歳で先がない、池永と森安は私生活で
節操がない、他の与田、益田は負けが先行する二流投手。狙われるべくして狙われた感があるな。
あ!田中は追放されてないか…失礼。でもこいつが追放されないのはどう見ても不自然だよな。
永易みたいに追放する前に解雇すべきでなかったよな。既出でこの解雇選手は私生活に問題アルから
獲得しないで、っつあったけど、永易じゃなくて田中勉のことじゃなかったっけ?
他に限りなく黒の選手は、小野正一、佐藤公博、桑田、葛城、児玉、
灰色は、成田、鈴木啓示、江夏、柴田、船田、村上、基、か。
黒の選手は完全に消されたな。それにしても江夏と柴田以外は、殆どがパリーグか
もしくはパ出身だな!

>殆どがパリーグかもしくはパ出身だな!
そりゃ主犯(?)の藤縄が「目立つ試合でやるとヤバイと思った!」って供述していたんだから
セを避けて人気のないパの選手に集中したのは当然だろ?

35 :

 金を押しつけられたというのは、あくまで本人だけの証言で、渡した田中勉は
認めてない。また、当時の調査で機構に押し付けられたとも言っていない。
 金を押し付けられたというなら客観的な証言が必要なはずだ。池永の証言が
正しいという理由は。
 金を押し付けられたというなら田中勉に確認するしかないだろう。
誰か確認した香具師がいるのか。
 ちなみに、船田は金を永易から「親が死にそうで金がいるから受けてくれ。」と無理やり八百長の依頼を押し付けらたと機構に証言した。機構が
村上・基、他の西鉄選手に確認したところ、永易は泣き落としはしじゅうやっているという証言が相次いだ。
永易が賭博の胴元に「金を渡したが八百長工作には失敗した。」と伝え、胴元が納得し、
別の選手の買収を指示したことが明らかだったため、船田は1年の出場停止ですんだ。
 池永は機構の調査に金をもらった理由をいわなかった。
それで、機構は、船田と異なり、それ以上調査をしなかった。田中をかばったのが
裏目に出た。
 だから、池永が金を押し付けられただけなのに。というのは論議にならない。
ちなみに、今でも、真相は藪の中。機構に文句を言うなら大野城市に行って田中
に真相を聞くべきだな。

36 :
皆さんは野球賭博(スポーツブック?)特有のハンデについてご存知??
例えば「ダイエー 対 楽天」なんてカードでは、0−4なんてことになる。
最初から楽天が4点のハンデを貰っているので、ダイエーは5点差以上で勝って初めて勝利となるわけ。
それゆえ、先発投手が重要になってくるので、桑田みたく先発予定を漏洩することが問題視されるのだ。
「負けていない」場合でもハンデの範囲内で得点を許すことにより、八百長が成立する可能性があるので、
野球賭博(スポーツブック?)の場合、「負けてないから」八百長してしないとは言い切れない。
ただし、野球賭博は通常は1日に最低3試合以上に賭けなければならないなどの制約があるはずで、
特定の1試合にだけ賭けることはまず無い(胴元も八百長が怖いし、当てられる可能性が高くなるため)。
それゆえ、仮に池永が八百長をして負けたとしても、他の試合の結果如何ではそれは意味を成さなくなる。

八百長をしていたかとか、それが成立していたかどうかは、当日の各試合のハンデや他の試合の結果にもよるので、
今となっては誰にもわからないだろう。
個人的には、個人戦の格闘技ならともかくとして、野球の場合には八百長が成立する可能性は極めて低いと思う。
まぁ、それでも金を受け取ったのは問題なので、その時点で永久追放でも仕方が無いんじゃない?
しかし、八百長なんて実際には成功より失敗の方が多かったはずで、資金提供した藤縄が一番マヌケだったと思うよ。
胴元の藤縄がテラ銭以上の利益を狙って仕組んだんだろうけど。。。

37 :
そもそもの遠因は、60年代半ばから慢性化した
パリーグの人気低下→観客動員の落ち込み
による球団経営の悪化だろう。これが選手にとっても大きく影響し
年俸が抑制されるは、ガラガラのグランドで士気が下がるは
また設備面で恵まれなくなるは(ナイター照明がケチられたりした)で、
ヤオに走る者・タニマチとしての893と交際する者・博打に狂う者etcが
出てきたのはある意味無理の無い流れであった。
まあ不人気なのはセリーグも一緒で、
讀賣戦以外のほぼ全カードが日頃はパ同様閑古鳥だった。
阪神中日といったあたりでさえ、観客数が年間100万以上をキープ
するようになるのは70年代半ばで、当時はまだ赤字体質だった。
不人気パリーグの中でも特に観客数の落ち込みが激しかったのが
西鉄だった。

38 :
とりあえず名前が挙がった人物を羅列してみようか
巨人 藤田元司C 柴田勲 嵯峨健四郎 小林繁
阪神 ◆葛城隆雄 (◆江夏豊)
大洋 青田昇C 鈴木隆C 坂井勝二 平松政次 ★高山勲
中日 小川健太郎 田中勉 小野正一
産経 ◆桑田武 (◆加藤俊夫)
広島
阪急 山田久志
近鉄 小玉明利M 吉沢岳男 木原義隆 高木喬 ◆土井正博 ◆鈴木啓示 葛本浅治郎 ★山崎晃
ロッテ  ◆濃人渉M ◆小山正明 成田文男 木樽正明
東映 ★森安敏明 ◆田中調
西鉄 川崎徳次 ★永易将之 ★益田昭雄 ★与田順欣 ★池永正明 ◆村上公康 ◆船田和英 基満男
南海 ◆佐藤公博 ◆三浦清弘 長谷川繁雄 江本孟紀
M監督 Cコーチ ★失格 ◆処分者(戒告・注意含む)
田中勉「八百長は合わせて70人はいる」なのでもっといるだろう

39 :
といえば、大記録を達成した金田正一もこの年引退。
某名歌手、力道山との深い関係は有名だった。
このラインの末端には日本で一番有名な893の名前が自然と浮かび挙がる。
黒い霧の喧騒と余りにも大きな記録の蔭に隠れてはいるが、怪しいといえば怪しい。
ま、こんなことは疑い出せばキリが無いが………

40 :
何かの本に出ていたけど、「黒い霧」の展末を藤縄が後に本にしたらしい。
その中で永易について「女さえあてがえば何でもホイホイと引き受けてくれた」と書いていたらしい。
何か、情けないよね。
西鉄の嘗てのチームリーダーにして、伝説の名選手・大下弘は、西鉄に入って来る新人選手の筆下ろしを
一手に引き受けていたらしいけど、その際に
1 結婚する気が無ければ素人娘さんには手を出さない事
2 ちゃんとお金を払って性欲処理をする事
3 女から小遣いを貰ってはいけない。
という3ヶ条をきつく女郎さんの口から言わせたとか
(稲尾和久談。赤瀬川隼「獅子たちの洩航」より)
そして
「それを守れた奴がスターになって、守れなかった奴は何時の間にか消えていました」
(稲尾談前出・敬称略)
それらを守れた選手をドンドン放出して(稲尾さえ放出する話すらあったという)、残っていたのは
情けない選手達……
西鉄は亡ぶべくして亡んだ……ということか……

41 :
「黒い霧事件」が終わったからと言って、野球賭博が無くなったわけでもないし、プロ野球と893との
繋がりが無くなったわけでも無い。とは誰でもわかっている事だけどね……
「漫才ブーム」の直前に自殺したWヤングの中田治雄氏の自殺の原因は、野球賭博による莫大な借金だったと
言われているし、今じゃ「マラソンの出来るコメディアン」として全国的な人気を持っている
(当時は浪速の大スター)間寛平ちゃんも、野球賭博の現行犯として逮捕され、芸能活動の
休止を余儀なくされている。
それらの事件は八百長事件より10年後の話……
また>>38で出てきた名前の中には、後々記録を作ったり、記憶に残る
選手になったり、政治家に転身した人もいる。
まあ、中にはRや麻雀賭博で捕まっちゃった人達もいるけれど……

42 :
川崎徳次って人は、三原脩が監督を辞めた後で西鉄の監督を引き受けたのだが、
無類のギャンブル好きで、シーズン中だろうが福岡競艇場に通っていたらしい。
で、資金が底を突くと、監督の身で有りながら選手から金を借りてまで、競艇場通いをしていたた程だったとか……
これらは豊田泰光氏の著書からのソースだけど、小川健太郎なんかも、物凄いギャンブル好きで
奥さんは内職暮らしだったとか……
八百長に絡んだ選手達のほとんどは、「狂」の字が付く程のギャンブル好きが多かったのでは……
そんな選手程、893との繋りが出来やすいと思うし………

43 :
田中が知ってるだけでも(自称だが)70人はいたんだろ。
これだけでも当時の全NPB選手の一割ぐらいは染まってたんだな。
以下はあくまで想像で当時の選手を冒涜する気はないが、
@ONや金田稲尾野村といった超大物(ヤオに乗る必然性なし)
A村山や榎本・山内のような徹底的な「野球バカ」
B三原や根本のような「冷静」な人
C外国人選手(コミュニケーションの問題がある)
以外のほとんどの選手には、密かにヤオという誘惑が
持ちかけられてたのではないだろうか。無論、全ての選手が
応じたわけではないが、転んだ選手も相応の数だったはずだ。
3桁に乗った可能性も高い。
委員会やマスコミの追求が次第に尻つぼみになったのも
要するに「全てを公表・処分すると、興行として成立できなくなる」
からだろう。不幸にも池永は調査打ち切りのスケープゴート
としては十分の実績・知名度を持つ選手だったわけだ。
この年(70年)の優勝チームが「灰色」選手の目立つ
オリオンズだったのは皮肉としか言いようが無い。

44 :
近鉄、ヤクルト、ハムが三原呼んだのも黒い霧体質の浄化。
ロッテの監督に上り詰めた大沢もヤオ排除に動いたが、病巣は根深く更迭。
その後どうなったかは敢えて書くまでもない。
阪急が黒い霧の影響をあまり受けずに済んだのは西本が
怪しい奴を片っ端から掃除したから。近鉄時代もそうだった。
野村もローテの一角だった三浦をタダ同然で太平洋に押しつけたり
猛烈に浄化を進めた。
が、西本や野村、三原といったところの影響力が途絶えた途端
元の木阿弥になってしまった。
南海、阪急の身売りは野球賭博など敗退行為と決して無関係ではない。

45 :
http://www.geocities.jp/shimajirouproject/kuroikiri.html
>西鉄球団の八百長疑惑に最初に気づいたのは、球団一軍投手コーチであった。
>永易投手の八百長が発覚する2年も前のことであるが、
>大阪のゲームに限り、おかしな投球を続ける投手たちに不審を擁き、
>迷った末八百長の疑いを擁いた数人の投手たちを内偵し、
>その結果八百長の疑いが確信となり、直ちに監督・コーチに報告した。
>しかし、返ってきた答は選手を疑ったことへの叱責だけであり、
>失意のうちにそのコーチは2軍へ降格となっていた・・・・。
>西鉄球団は八百長の解明に努力することもなく、
>臭いものには蓋の論理で事実を握りつぶしてしまったのだ。
この時の投手コーチ誰なんだろ?
永易敗退行為発覚は1969年だから1967年ということになる
ちなみに1967年西鉄は以下の通り(参考「プロ野球データ事典」(坂本邦夫著、PHP研究所発行))
1967年(2位)
監督・・・中西 太
池永正明:54試合23勝14敗 335・1/3回 防御率2.31
与田順欣:48試合13勝11敗 210・1/3回 防御率2.44
田中 勉:40試合12勝10敗 216回 防御率2.17
稲尾和久:46試合8勝9敗 129回 防御率2.65
若生忠男:41試合5勝9敗 134回 防御率2.82
清 俊彦:51試合4勝5敗 108・1/3回 防御率2.83
・・・ちなみに永易将之は東映に在籍、
   3試合0勝0敗 4・1/3回 防御率6.75(前々年、前年、次年の成績からするとこの年は怪我?)

46 :
>ところで現場の責任者で近鉄との試合では「加担」までした中西が
>黒い霧で調査委から殆ど責任追及されなかった
>(自主的な監督辞任・引退したのみ)
>のは謎なのだが。
警察の取調べでこの試合で八百長に加担したいう近鉄の選手・監督に金銭の授与が
あったと証明できなかったから。
 それで、近鉄の選手・監督は厳重注意ですんだ。当然中西も八百長依頼と金銭授与の事実
は確認されずそれで事情聴取のみになった。
ちなみに永易は、中西は八百長に加担していないといっている。
ちなみに八百長行為できびしい処分を受けたのは、八百長行為の依頼を受けて金銭をもらったもの
に限られている。
 該当するのは西鉄6選手と森安だけ。金を返した基だけが厳重注意ですんだ。
クサと江夏は時計をもらったときに八百長の依頼がなかったことを本人以外が証明したから
追放されずにすんだ。
 巨人や阪神を守るために弱小球団を犠牲にしたというのはアンチ巨人と西鉄ファンの
たんなる妄想。八百長の胴元と交際のあったロッテ濃人と小山が警告処分ですんだことを
問題にするやつはいない。親会社が身売り寸前の大映にコミッショナーに圧力をかける
力があるわけない。
 特に池永はかわいそうだ。巨人や阪神のように選手を救うため親会社かかりで
事件を調べて本人が事件に巻き込まれたことを証明すれば永久追放にはならなかったろう。
コミッショナー委員会の裁定の日西鉄球団からは「永久追放選手の中にお前の名前も入っていた」という電話での
ひとことだけだったと池永が回想している。
球団を手放したかった西鉄の本社に選手を守る気がなかったというエピソードだ。
西鉄ファンは、巨人の陰謀だと文句を言う前になにもしなかった西鉄本社に文句を言うべきではないか。

47 :
あげ

48 :
保守

49 :
保全

50 :
保全経済会

51 :
http://www.geocities.jp/shimajirouproject/kuroikiri.html
>西鉄球団の八百長疑惑に最初に気づいたのは、球団一軍投手コーチであった。
>永易投手の八百長が発覚する2年も前のことであるが、
>大阪のゲームに限り、おかしな投球を続ける投手たちに不審を擁き、
>迷った末八百長の疑いを擁いた数人の投手たちを内偵し、
>その結果八百長の疑いが確信となり、直ちに監督・コーチに報告した。
>しかし、返ってきた答は選手を疑ったことへの叱責だけであり、
>失意のうちにそのコーチは2軍へ降格となっていた・・・・。
>西鉄球団は八百長の解明に努力することもなく、
>臭いものには蓋の論理で事実を握りつぶしてしまったのだ。
この時の投手コーチ誰なんだろ?
永易敗退行為発覚は1969年だから1967年ということになる
ちなみに1967年西鉄は以下の通り(参考「プロ野球データ事典」(坂本邦夫著、PHP研究所発行))
1967年(2位)
監督・・・中西 太
池永正明:54試合23勝14敗 335・1/3回 防御率2.31
与田順欣:48試合13勝11敗 210・1/3回 防御率2.44
田中 勉:40試合12勝10敗 216回 防御率2.17
稲尾和久:46試合8勝9敗 129回 防御率2.65
若生忠男:41試合5勝9敗 134回 防御率2.82
清 俊彦:51試合4勝5敗 108・1/3回 防御率2.83
・・・ちなみに永易将之は東映に在籍、
   3試合0勝0敗 4・1/3回 防御率6.75(前々年、前年、次年の成績からするとこの年は怪我?)
67年当時の投手担当コーチ
武末悉昌:71年オフ退団
重松通雄:69年オフ退団
大津守:67年オフ退団
大津コーチが気付いたのかな? 
67年といえば永易も益田もいないな。田中、与田、池永か。 
八百長しながら二桁勝利に防御率2点台、チームの順位も二位とはね。
ある意味凄いよね。
武末コーチは「池永が八百長をやっていないと言っても信用できない」と言ってた。
その一方で田中勉を「親分肌で面倒見のいい男」と評価していた。

52 :
(^-^)y━~~休憩中

53 :
良スレ
黒い霧に関わった人達のその後の人生に興味があります。
何か良い本でもあったら教えてください。

54 :
>>38
仰木の名前が挙がってないのは、なぜ?
彼は灰色だったはず。

55 :
稲尾が死んだ・・・
ある意味、当事者だったわけだが、どういう見方だったんだろ。

56 :
稲尾が死んだ・・・

誰だって いつかわ死ぬんだよ!

57 :
稲尾る
稲尾れば
稲尾った

58 :
黒い霧の本ではないが西鉄監督だった三原脩の人生を追ったノンフィクション本の魔術師って本を読む事を薦める。

59 :
西鉄の八百長に関わってたヤクザっていうのは
いま九州でドンパチやってる組織の前身かね

60 :
森安・小川・田中勉・永易はもう死んでいる。田中勉も稲尾も黒い霧の全真相を墓場まで持っていったな。

61 :
池永さん、中洲のお店閉店したそうな。

62 :
[通算投手成績]
  右上投  実働 9シーズン
  266試合登板 110完投   5交代完了 142試合当初  27完封勝利
  135勝  72敗   1引分   3セーブ   4セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.652 打者7509  投球回数1857.1  1628被安打 253被本塁打
   443与四球   23与死球  1366奪三振   624自責点  防御率3.02
  平均投球回数6.98 救援率5.3% 奪三振率6.62
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1979   巨人   27  2   9- 10-  0 .474  161     50    0  138   50   2.80   7.71
  1980   巨人   34  5  16- 12-  0 .571  261.1   60    2  219   72   2.48   7.52
  1981   巨人   31  7  20-  6-  0 .769  240.1   38    4  221   61   2.29   8.25
  1982   巨人   31  6  19- 12-  0 .613  263.1   24    3  196   69   2.36   6.68
  1983   巨人   33  2  16-  9-  3 .640  217.2   59    2  131   79   3.27   5.41
  1984   巨人   28  3  15-  5-  0 .750  186     58    3  112   72   3.48   5.42
  1985   巨人   30  1  11-  7-  0 .611  167     56    3  117   98   5.28   6.31
  1986   巨人   26  1  16-  6-  0 .727  194     49    4  119   58   2.69   5.52
  1987   巨人   26  0  13-  5-  0 .722  166.2   49    2  113   65   3.51   6.09
[チーム]
  1979-1979:阪神,1979-1987:巨人
[背番号]
  1979:[3],1979-1987:[30]
[タイトル]
  最高勝率(1981:セ:.769/1984:セ:.750),最優秀防御率(1981:セ:2.29),最多勝利(1980:
  セ:16/1981:セ:20),最多奪三振(1980:セ:219/1981:セ:221/1982:セ:196),
  MVP(1981:セ),ベストナイン(1980:セ:投/1981:セ:投)

63 :
[通算投手成績]
  左上投  実働18シーズン
  829試合登板 154完投 473交代完了 145試合当初  45完封勝利
  206勝 158敗  76引分 193セーブ 210セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.566 打者12618 投球回数3196    2340被安打 299被本塁打
   936与四球   46与死球  2987奪三振   884自責点  防御率2.49
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1967   阪神   42  2  12- 13     .480  230.1   88    3  225   70   2.74   8.77
  1968   阪神   49  8  25- 12     .676  329     97    4  401   78   2.13  10.97
  1969   阪神   44  7  15- 10     .600  258.1   78    3  262   52   1.81   9.10
  1970   阪神   52  8  21- 17     .553  337.2   73    3  340   80   2.13   9.05
  1971   阪神   45  6  15- 14     .517  263.2   66    2  267   70   2.39   9.10
  1972   阪神   49  3  23-  8     .742  269.2   60    4  233   76   2.53   7.77
  1973   阪神   53  7  24- 13     .649  307     82    4  215   88   2.58   6.30
  1974   阪神   41  2  12- 14-  8 .462  197.2   50    2  149   60   2.73   6.77
  1975   阪神   49  1  12- 12-  6 .500  208.1   72    2  132   71   3.07   5.68
  1976   南海   36  1   6- 12-  9 .333  148.1   61    4  109   49   2.98   6.58
  1977   南海   41  0   4-  2- 19 .667   84     21    5   60   26   2.79   6.43
  1978   広島   49  0   5-  4- 12 .556   95.1   38    2   99   32   3.03   9.28
  1979   広島   55  0   9-  5- 22 .643  104.2   36    1  117   31   2.66  10.03
  1980   広島   53  0   9-  6- 21 .600   86     20    1   86   25   2.62   9.00
  1981   日ハ   45  0   3-  6- 25 .333   83     24    1   75   26   2.82   8.13
  1982   日ハ   55  0   8-  4- 29 .667   91     31    2  107   20   1.98  10.58
  1983   日ハ   51  0   2-  4- 34 .333   77.1   27    3   82   20   2.33   9.46
  1984   西武   20  0   1-  2-  8 .333   24.2   12    0   28   10   3.65  10.08

64 :
[通算投手成績]
  右上投  実働11シーズン
  395試合登板  78完投  92交代完了 189試合当初  17完封勝利
  113勝 126敗  13引分  19セーブ  31セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.473 打者8439  投球回数1978.2  1794被安打 197被本塁打
   822与四球   97与死球  1130奪三振   774自責点  防御率3.52
  平均投球回数5.01 救援率32.4% 奪三振率5.14
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1971   東映   26  0   0-  4     .000   60.2   35    0   29   34   5.02   4.28
  1972   南海   38  1  16- 13     .552  237.1  118    9  115   80   3.04   4.35
  1973   南海   34  5  12- 14     .462  217.1   85   11   95   66   2.74   3.92
  1974   南海   34  0  13- 12-  0 .520  216.2  111   14  116   76   3.15   4.81
  1975   南海   31  3  11- 14-  0 .440  207     78    5  109   68   2.96   4.74
  1976   阪神   38  2  15-  9-  0 .625  239.2   66    9  115  100   3.75   4.31
  1977   阪神   36  3  11- 14-  1 .440  223.2   92   11  129   92   3.70   5.18
  1978   阪神   56  0  11- 13- 11 .458  150.2   70    9  103   52   3.10   6.14
  1979   阪神   47  3  12- 12-  6 .500  178.2   67   16  141   87   4.37   7.09
  1980   阪神   31  0   8- 15-  0 .348  160     64    9  108   85   4.78   6.08
  1981   阪神   24  0   4-  6-  1 .400   87     36    4   70   34   3.52   7.24
[チーム]
  1971-1971:東映,1972-1976:南海,1976-1981:阪神
[背番号]
  1971:[45],1972-1976:[16],1976-1981:[29]

65 :
[通算投手成績]
  右上投  実働13シーズン
  272試合登板  92完投  33交代完了 144試合当初  24完封勝利
  117勝  68敗   8引分  18セーブ  23セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.632 打者6847  投球回数1682.1  1469被安打 167被本塁打
   450与四球   34与死球  1069奪三振   591自責点  防御率3.16
  平均投球回数6.19 救援率13.2% 奪三振率5.72
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1985   西武   15  3   9-  5-  0 .643  117.2   48    4   75   33   2.52   5.72
  1986   西武   39  1   5-  7- 16 .417  108.1   38    0  105   35   2.91   8.67
  1987   西武   22  2  13-  4-  0 .765  158     40    4   81   53   3.02   4.61
  1988   西武   19  1  13-  3-  1 .813  149.1   23    2   76   40   2.41   4.56
  1989   西武   26  4  10- 10-  0 .500  198.1   49    3  117   72   3.27   5.29
  1990   西武   18  1   9-  4-  0 .692  119.1   44    2   84   47   3.54   6.30
  1991   西武   24  4  15-  6-  1 .714  184.1   30    1  108   53   2.59   5.25
  1992   西武   23  3  14-  4-  0 .778  168     44    4  108   45   2.41   5.79
  1993   西武   22  1   8-  8-  0 .500  133.1   26    4   88   52   3.51   5.91
  1994   西武   27  2  13-  5-  0 .722  130     52    3   86   72   4.98   5.95
  1995   西武   22  2   8-  6-  0 .571  163     34    6  115   46   2.54   6.35
  1996   西武   14  0   0-  6-  0 .000   52.1   22    1   26   43   7.39   4.42
  1997   西武    1  0   0-  0-  0 .000    0.1    0    0    0    0   0.00   0.00
[チーム]
  1985-1997:西武
[背番号]
  1985-1986:[12],1987-1997:[18]
[タイトル]
  最高勝率(1988:パ:.813/1994:パ:.722),MVP(1991:パ),ベストナイン(1991:パ:投),
  ゴールデングラブ(1991:パ:投/1992:パ:投),ノーヒットノーラン(1985. 6. 4)

66 :
[通算投手成績]
  右上投  実働16シーズン
  496試合登板  72完投 219交代完了 158試合当初  17完封勝利
  106勝 106敗  17引分 116セーブ 141セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.500 打者8153  投球回数1971    1802被安打 219被本塁打
   608与四球   49与死球  1415奪三振   706自責点  防御率3.22
  平均投球回数3.97 救援率53.6% 奪三振率6.46
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1981   中日    6  0   1-  2-  0 .333   21.1   15    1   17   15   6.43   6.95
  1982   中日   34  1   9-  7-  0 .563  176     69    7  132   68   3.48   6.75
  1983   中日   32  3  10- 10-  0 .500  213.1   64    4  159   89   3.75   6.69
  1984   中日   34  2  13- 11-  0 .542  216     76    2  177   78   3.25   7.38
  1985   中日   34  1  11- 11-  3 .500  230.1   57    5  157   89   3.48   6.12
  1986   中日   30  2  11- 10-  0 .524  177.1   53    2  127   72   3.65   6.42
  1987   中日   59  0   4-  3- 26 .571   98     27    1   70   17   1.56   6.43
  1988   中日   61  0   7-  6- 37 .538  111     31    3   94   24   1.95   7.62
  1989   中日   42  0   5-  3- 25 .625   74     18    1   69   19   2.31   8.39
  1990   中日   22  0   2-  6-  0 .250   67.1   30    3   57   39   5.21   7.54
  1991   中日   33  4  13-  9-  2 .591  163     48    6   95   49   2.71   5.25
  1992   中日   18  0   4-  3-  0 .571   90     25    1   54   30   3.00   5.40
  1993   中日   39  2   3-  9- 17 .250  107.2   34    4   78   41   3.43   6.50
  1994   中日   21  2   8-  7-  2 .533  139.1   32    4   85   38   2.45   5.46
  1995   中日   26  0   5-  8-  4 .385   80.2   24    5   40   36   4.02   4.44
  1996   中日    5  0   0-  1-  0 .000    5.2    5    0    4    2   3.18   6.00
[チーム]
  1981-1996:中日
[背番号]
  1981-1985:[30],1986-1996:[33]
[タイトル]
  最優秀防御率(1994:セ:2.45),最優秀救援(1987:セ:30/1988:セ:44),MVP(1988:セ)

67 :
[通算投手成績]
  右下投  実働11シーズン
  374試合登板  96完投  52交代完了 172試合当初  19完封勝利
  139勝  95敗   7引分  17セーブ  22セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.594 打者8375  投球回数2029.1  1824被安打 218被本塁打
   540与四球  111与死球  1273奪三振   718自責点  防御率3.18
  平均投球回数5.43 救援率28.3% 奪三振率5.64
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1973   巨人    6  0   0-  0     .000   11.1    2    0    6    0   0.00   4.50
  1974   巨人   44  1   8-  5-  2 .615  130.1   29    4   72   35   2.42   4.95
  1975   巨人   28  1   5-  6-  0 .455  106.1   32   14   42   39   3.31   3.53
  1976   巨人   43  1  18-  8-  2 .692  217.1   47    9  129   72   2.99   5.33
  1977   巨人   42  3  18-  8-  7 .692  216.1   65    4  155   70   2.92   6.43
  1978   巨人   43  0  13- 12-  2 .520  191.1   73   12  130   87   4.10   6.09
  1979   阪神   37  5  22-  9-  1 .710  273.2   75   15  200   88   2.89   6.57
  1980   阪神   37  1  15- 14-  0 .517  280.1   57   20  179   94   3.02   5.73
  1981   阪神   32  2  16- 10-  2 .615  230     53   14  156   77   3.01   6.10
  1982   阪神   27  2  11-  9-  0 .550  163.1   47    8   95   62   3.42   5.21
  1983   阪神   35  3  13- 14-  1 .481  209     60   11  109   94   4.05   4.69
[チーム]
  1973-1978:巨人,1979-1983:阪神
[背番号]
  1973:[40],1974-1983:[19]
[タイトル]
  最多勝利(1979:セ:22),沢村賞(1977:セ/1979:セ),ベストナイン(1977:セ:投/1979:セ:
  投)

68 :
[通算投手成績]
  左上投  実働19シーズン
  592試合登板  68完投 158交代完了 210試合当初  20完封勝利
  116勝 123敗  19引分  39セーブ  57セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.485 打者9071  投球回数2158.2  1931被安打 232被本塁打
   859与四球   49与死球  1706奪三振   827自責点  防御率3.45
  平均投球回数3.65 救援率53.0% 奪三振率7.1
 [チーム]
  1969-1983:巨人,1987-1991:大洋,1992-1992:ダイエー,1992-1992:ヤクルト
[背番号]
  1969-1972:[40],1973-1983:[28],1987-1991:[28],1992:[49]
[タイトル]
  最高勝率(1977:セ:.786),最優秀防御率(1977:セ:2.32/1978:セ:2.81),
  最多セーブ(1977:セ:9),最優秀救援(1978:セ:25),最多奪三振(1979:セ:223),
  ベストナイン(1978:セ:投)

69 :
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1969   --- Did not play (in top league) ---
  1970   --- Did not play (in top league) ---
  1971   巨人   19  1   4-  3     .571   58.1   26    2   43   13   2.02   6.56
  1972   巨人    5  0   0-  0     .000    3.2    3    0    1    6  15.75   2.25
  1973   巨人   21  1   3-  3     .500   83.2   53    0   78   32   3.43   8.36
  1974   巨人   26  1   7-  6-  1 .538  119.2   52    2  102   35   2.63   7.65
  1975   巨人   37  1   2- 11-  0 .154  108     46    1   82   40   3.33   6.83
  1976   巨人   50  3  11- 11-  5 .500  197.1   81    2  162   68   3.11   7.36
  1977   巨人   44  1  11-  3-  9 .786  136     60    1   96   35   2.32   6.35
  1978   巨人   63  0  15-  7- 15 .682  189     75    5  152   59   2.81   7.24
  1979   巨人   45  3  15- 11-  5 .577  236.1   68    6  223   90   3.43   8.47
  1980   巨人   18  1   3-  4-  1 .429   69     24    2   58   29   3.78   7.57
  1981   巨人   14  0   0-  5-  0 .000   58.1   19    1   44   22   3.41   6.71
  1982   巨人   27  1   6-  6-  0 .500  117     38    3   89   53   4.08   6.85
  1983   巨人   31  0   3-  2-  0 .600   67.1   25    3   52   24   3.21   6.88

70 :
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1987   横浜   25  4  11- 12-  0 .478  152     47    2  107   72   4.26   6.34
  1988   横浜   29  1  10- 11-  0 .476  160.1   66    3  110   77   4.32   6.15
  1989   横浜   28  2   8- 13-  0 .381  175     75    5  130   66   3.39   6.69
  1990   横浜   42  0   6- 10-  2 .375  140     68    7  107   59   3.79   6.88
  1991   横浜   47  0   0-  1-  1 .000   53.1   19    3   42   19   3.21   7.00
  1992   ダイ    7  0   0-  1-  0 .000    9      5    0    4    6   6.00   4.00
  1992   ヤク   14  0   1-  3-  0 .250   25.1    9    1   24   21   7.46  8.31

71 :
[通算投手成績]
  右上投  実働14シーズン
  500試合登板  66完投 206交代完了 177試合当初  15完封勝利
  146勝 121敗  18引分  34セーブ  25セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.547 打者8862  投球回数2128.2  2022被安打 266被本塁打
   606与四球   82与死球  1225奪三振   851自責点  防御率3.60
  平均投球回数4.26 救援率51.4% 奪三振率5.18
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1969   中日   49  1   8-  9     .471  187.2   45    9   99   65   3.11   4.74
  1970   中日   41  1  10- 14     .417  205     63    4  146   83   3.64   6.41
  1971   中日   35  0   9-  5     .643  103.2   20    1   72   40   3.46   6.23
  1972   中日   48  0   9-  8     .529   98.2   39    5   70   22   2.00   6.36
  1973   中日   44  1  16- 11     .593  166     55    3   96   56   3.04   5.20
  1974   中日   49  1  15-  9- 10 .625  188     50    7  137   60   2.87   6.56
  1975   中日   40  3  17-  5-  4 .773  217.2   48   11  112   67   2.77   4.62
  1976   中日   20  3  10-  6-  0 .625  132.2   26    8   60   58   3.92   4.06
  1977   中日   42  3  18- 13-  5 .581  245.1   71   12  125   96   3.53   4.57
  1978   中日   34  0   5-  8- 14 .385   92     36    2   47   50   4.89   4.60
  1979   中日   28  1  10-  7-  0 .588  154.1   51    7   85   80   4.68   4.94
  1980   中日   29  1   6- 12-  1 .333  129.2   44    6   70   73   5.05   4.85
  1981   中日   23  0  10-  9-  0 .526  142     37    4   69   62   3.93   4.37
  1982   中日   18  0   3-  5-  0 .375   66     21    3   37   39   5.32   5.05
[チーム]
  1969-1982:中日
[背番号]
  1969-1970:[22],1971-1982:[20]
[タイトル]
  最高勝率(1975:セ:.773),最多セーブ(1974:セ:10),沢村賞(1974:セ)

72 :
  左上投  実働18シーズン
  427試合登板 129完投  15交代完了 255試合当初  29完封勝利
  176勝 140敗   5引分   2セーブ   8セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.557 打者11223 投球回数2669.1  2475被安打 282被本塁打
   927与四球   36与死球  2041奪三振  1079自責点  防御率3.64
  平均投球回数6.25 救援率10.1% 奪三振率6.88
[チーム]
  1984-1999:阪急=オリックス,2000-2002:阪神
[背番号]
  1984-2002:[34]
[タイトル]
  最高勝率(1989:パ:.714/1996:パ:.722)

73 :
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1984   --- Did not play (in top league) ---
  1985   阪急   17  0   2-  2-  1 .500   46.1   39    1   43   23   4.47   8.23
  1986   阪急   35  0   9-  8-  0 .529  153     68    3  129   66   3.88   7.59
  1987   阪急   29  6  11- 12-  0 .478  179     67    3  170   77   3.87   8.55
  1988   阪急   27  1  13-  9-  0 .591  209     79    1  163   71   3.06   7.02
  1989   オリ   28  4  15-  6-  0 .714  194     78    2  160   75   3.48   7.42
  1990   オリ   27  1  14-  9-  0 .609  190.1   60    1  163   85   4.02   7.68
  1991   オリ   28  1  16- 10-  1 .615  193.2   75    0  138   76   3.53   6.40
  1992   オリ   27  5  13-  9-  0 .591  196.2   66    3  175   79   3.62   7.99
  1993   オリ   25  2  10- 12-  0 .455  185.1   52    3  153   69   3.35   7.40
  1994   オリ   22  0  10- 10-  0 .500  143.1   49    3  119   57   3.58   7.44
  1995   オリ   24  0  11-  8-  0 .579  156.2   51    1  112   59   3.39   6.42
  1996   オリ   22  3  13-  5-  0 .722  144.2   38    1   85   49   3.05   5.28
  1997   オリ   29  2  14- 10-  0 .583  202.2   54    2  121   73   3.24   5.36
  1998   オリ   22  2   6- 10-  0 .375  128.1   47    2   76   73   5.12   5.30
  1999   オリ   26  1  11-  7-  0 .611  156.2   62    1   96   67   3.85   5.50
  2000   阪神   21  1   5- 10-  0 .333  122.2   30    5   85   55   4.04   6.22
  2001   阪神   10  0   1-  2-  0 .333   29.1    5    2   28   15   4.60   8.40
  2002   阪神    8  0   2-  1-  0 .667   37.2    7    2   25   10   2.39   5.92

74 :
[通算投手成績]
  左上投  実働20シーズン
  944試合登板 365完投 332交代完了 204試合当初  82完封勝利
  400勝 298敗  26引分 ---セーブ ---セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.573 打者22078 投球回数5526.2  4120被安打 379被本塁打
  1808与四球   72与死球  4490奪三振  1434自責点  防御率2.34
  平均投球回数5.85 救援率39.7% 奪三振率7.31
[チーム]
  1950-1964:国鉄,1965-1969:巨人
[背番号]
  1950-1969:[34]
[タイトル]
  最優秀防御率(1957:セ:1.63/1958:セ:1.30/1965:セ:1.84),最多勝利(1957:セ:28/
  1958:セ:31/1963:セ:30),最多奪三振(1951:セ:233/1952:セ:269/1953:セ:229/1955:
  セ:350/1956:セ:316/1958:セ:311/1959:セ:313/1960:セ:284/1963:セ:287/1964:セ:
  231),沢村賞(1956:セ/1957:セ/1958:セ),ベストナイン(1957:セ:投/1958:セ:投/1963:
  セ:投),完全試合(1957. 8.21),ノーヒットノーラン(1951. 9. 5)

75 :
 [年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1950   国鉄   30  1   8- 12     .400  164.2  127    1  143   72   3.93   7.80
  1951   国鉄   56  4  22- 21     .512  350    190    8  233  110   2.83   5.99
  1952   国鉄   64  7  24- 25     .490  358    197   10  269  126   3.17   6.76
  1953   国鉄   47  6  23- 13     .639  303.2  135    8  229   80   2.37   6.78
  1954   国鉄   53  2  23- 23     .500  345.2  114    6  269  101   2.63   7.00
  1955   国鉄   62  9  29- 20     .592  400    101    8  350   79   1.78   7.88
  1956   国鉄   68  5  25- 20     .556  367.1   81    2  316   71   1.74   7.73
  1957   国鉄   61  5  28- 16     .636  353     93    2  306   64   1.63   7.80
  1958   国鉄   56 11  31- 14     .689  332.1   60    3  311   48   1.30   8.41
  1959   国鉄   58  4  21- 19     .525  304.1   79    3  313   86   2.54   9.24
  1960   国鉄   57  4  20- 22     .476  320.1   94    1  284   92   2.58   7.96
  1961   国鉄   57  6  20- 16     .556  330.1   81    2  262   78   2.12   7.12
  1962   国鉄   48  1  22- 17     .564  343.1   80    8  262   66   1.73   6.85
  1963   国鉄   53  9  30- 17     .638  337     83    1  287   74   1.98   7.66
  1964   国鉄   44  4  27- 12     .692  310     69    3  231   96   2.79   6.71
  1965   巨人   28  3  11-  6     .647  141.2   36    0  100   29   1.84   6.34
  1966   巨人   19  0   4-  6     .400   84.1   25    3   58   32   3.43   6.14
  1967   巨人   33  1  16-  5     .762  170     57    3  132   43   2.28   6.99
  1968   巨人   32  0  11- 10     .524  138.1   71    0   87   53   3.46   5.63
  1969   巨人   18  0   5-  4     .556   72.1   35    0   48   34   4.25   5.92

76 :
[通算投手成績]
  右上投  実働22シーズン
  949試合登板 262完投 261交代完了 364試合当初  64完封勝利
  350勝 285敗  19引分   2セーブ   1セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.551 打者21023 投球回数5130    4561被安打 370被本塁打
  1480与四球  143与死球  3388奪三振  1659自責点  防御率2.91
  平均投球回数5.41 救援率34.0% 奪三振率5.94
[チーム]
  1956-1975:阪急,1975-1976:阪神,1977-1977:近鉄
[背番号]
  1956-1975:[18],1975:[38],1976:[21],1977:[11]
[タイトル]
  最優秀防御率(1973:パ:2.47),最多勝利(1966:パ:25),最多奪三振(1962:パ:231),
  MVP(1968:パ)

77 :
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1956   阪急   51  4   9- 15     .375  204     68    3  167   54   2.38   7.37
  1957   阪急   50  4  21- 16     .568  299.2   84    7  268   62   1.86   8.04
  1958   阪急   45 11  23- 13     .639  305.2   68    1  268   72   2.12   7.88
  1959   阪急   52  5  18- 24     .429  331.1   90    8  247   78   2.11   6.70
  1960   阪急   51  4  22- 16     .579  306.2   71    8  213   93   2.73   6.24
  1961   阪急   56  1  16- 22     .421  275.2   70    8  188  109   3.55   6.13
  1962   阪急   52  1  20- 17     .541  261.2   80    8  231   94   3.23   7.94
  1963   阪急   53  1  14- 23     .378  262.1   91    5  177  117   4.00   6.06
  1964   阪急   60  4  21- 16     .568  319.2   81    9  180   90   2.53   5.06
  1965   阪急   50  5  20- 17     .541  276     68    6  139   92   3.00   4.53
  1966   阪急   55  2  25- 17     .595  310     81    9  184  110   3.19   5.34
  1967   阪急   46  4  18- 15     .545  280.2   80   12  189   86   2.75   6.05
  1968   阪急   63  6  29- 13     .690  348.2  105    5  237  108   2.79   6.11
  1969   阪急   46  3  14- 16     .467  253.1   68    4  135   83   2.95   4.78
  1970   阪急   41  2  16- 13     .552  236.2   75    9  127   94   3.57   4.82
  1971   阪急   31  2  14-  4     .778  181     62    8   79   75   3.73   3.93
  1972   阪急   29  0  10-  7     .588  155.2   56   11   81   56   3.23   4.67
  1973   阪急   32  3  15-  3     .833  175.1   52    9  103   48   2.47   5.27
  1974   阪急   31  0  11-  8-  1 .579  130.2   46    8   68   62   4.26   4.67

78 :
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1975   阪急    8  1   2-  3-  0 .400   39.2   19    0   13   14   3.15   2.92
  1975   阪神   22  1   8-  3-  1 .727  106.2   37    4   55   27   2.27   4.63
  1976   阪神   13  0   2-  2-  0 .500   30     13    0   17   15   4.50   5.10
  1977   近鉄   12  0   2-  2-  0 .500   39     15    1   22   20   4.62   5.08

79 :
[通算投手成績]
  右上投  実働11シーズン
  403試合登板 139完投 124交代完了 103試合当初  18完封勝利
  132勝 142敗   9引分 ---セーブ ---セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.482 打者9324  投球回数2274.1  2077被安打 103被本塁打
   536与四球   39与死球  1346奪三振   711自責点  防御率2.81
  平均投球回数5.64 救援率40.0% 奪三振率5.32
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1949   東急   15  0   3-  2     .600   62.1   27    1   27   24   3.43   3.86
  1950   東急   58  2  23- 23     .500  363.2   96    6  207  131   3.24   5.12
  1951   東急   40  1  19- 12     .613  294.2   67    6  135   77   2.35   4.12
  1952   東急    5  0   1-  2     .333   23.2    6    2    7    6   2.25   2.62
  1953   東急   45  6  16- 21     .432  274     60    0  180   84   2.76   5.91
  1954   東映   56  1  23- 14     .622  299.1   86    5  204   81   2.43   6.12
  1955   東映   55  4  22- 21     .512  353.1   83    5  185   89   2.26   4.70
  1956   東映   44  3  10- 21     .323  265     49    4  182   92   3.12   6.18
  1957   東映   26  0   9- 11     .450  148.1   20    3   86   45   2.72   5.19
  1958   東映   31  1   5- 10     .333  126.1   27    4   89   45   3.19   6.31
  1959   西鉄   28  0   1-  5     .167   63.2   15    3   44   37   5.20   6.19
[チーム]
  1949-1958:東急=東映,1959-1959:西鉄
[背番号]
  1949:[1],1950-1959:[19]
[タイトル]
  最多奪三振(1950:パ:207/1953:パ:180)

80 :
[通算投手成績]
  右上投  実働 9シーズン
  445試合登板   3完投 347交代完了  10試合当初   0完封勝利
   36勝  34敗  16引分 227セーブ 161セーブポイント  13ホールドポイント
  勝率.514 打者2358  投球回数580.1    507被安打  40被本塁打
   170与四球   14与死球   463奪三振   180自責点  防御率2.79
  平均投球回数1.30 救援率97.1% 奪三振率7.17
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1999   ロテ   46  0   5-  5-  0 .500  124.1   55    4  107   37   2.68   7.70
  2000   ロテ   65  0  11-  6- 14 .647  109.2   37    1   72   26   2.13   5.89
  2001   ロテ   48  0   0-  4- 33 .000   52     13    1   47   25   4.33   8.13
  2002   ロテ   43  0   2-  1- 37 .667   43.1    6    0   41    4   0.83   8.39
  2003   ロテ   44  0   0-  2- 33 .000   47     11    1   30   15   2.87   5.74
  2004   ロテ   51  0   8-  5- 20 .615   57.2   19    2   50   25   3.90   7.76
  2005   ロテ   46  0   2-  2- 29 .500   45.1    9    1   33   13   2.58   6.46
  2006   ロテ   53  0   6-  2- 34 .750   53.2    8    2   48   16   2.68   8.00
  2007   ロテ   49  0   2-  7- 27 .222   47.1   12    2   35   19   3.61   6.56
[チーム]
  1999-2007:ロッテ
[背番号]
  1999-2007:[30]
[タイトル]
  最優秀救援(2005:パ:29),最多セーブ(2005:パ:29)

81 :
[通算投手成績]
  右上投  実働 8シーズン
  204試合登板  72完投   6交代完了 118試合当初  18完封勝利
  108勝  60敗   0引分   1セーブ   4セーブポイント   0ホールドポイント
  勝率.643 打者5084  投球回数1402.2  1102被安打 112被本塁打
   502与四球   55与死球  1355奪三振   459自責点  防御率2.95
  平均投球回数6.88 救援率6.9% 奪三振率8.69
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1999   西武   25  2  16-  5-  0 .762  180     87    8  151   52   2.60   7.55
  2000   西武   27  2  14-  7-  1 .667  167.2   95    4  144   74   3.97   7.71
  2001   西武   33  2  15- 15-  0 .500  240.1  117    8  214   96   3.60   7.99
  2002   西武   14  0   6-  2-  0 .750   73.1   15    7   78   30   3.68   9.49
  2003   西武   29  2  16-  7-  0 .696  194     63    9  215   61   2.83   9.97
  2004   西武   23  5  10-  6-  0 .625  146     42    6  127   47   2.90   7.83
  2005   西武   28  3  14- 13-  0 .519  215     49   10  226   55   2.30   9.46
  2006   西武   25  2  17-  5-  0 .773  186.1   34    3  200   44   2.13   9.63
[チーム]
  1999-2006:西武
[背番号]
  1999-2006:[18]
[タイトル]
  最優秀防御率(2003:パ:2.83/2004:パ:2.90),最多勝利(1999:パ:16/2000:パ:14/2001:
  パ:15),最多奪三振(2000:パ:144/2001:パ:214/2003:パ:215/2005:パ:226),
  新人王(1999:パ),沢村賞(2001:パ),ベストナイン(1999:パ:投/2000:パ:投/2001:パ:
  投),ゴールデングラブ(1999:パ:投/2000:パ:投/2001:パ:投/2003:パ:投/2004:パ:投/
  2005:パ:投/2006:パ:投)

82 :
[通算投手成績]
  右上投  実働15シーズン
  330試合登板 117完投  42交代完了 149試合当初  22完封勝利
  127勝 102敗   3引分  22セーブ  31セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.555 打者8340  投球回数2004    1723被安打 200被本塁打
   809与四球   30与死球  1573奪三振   723自責点  防御率3.25
  平均投球回数6.07 救援率19.4% 奪三振率7.06
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1987   日ハ   30  4  15-  7-  0 .682  221.1   62    5  176   71   2.89   7.14
  1988   日ハ   29  4  15- 11-  0 .577  241.2   73    0  181   67   2.50   6.73
  1989   日ハ   27  2  16-  9-  0 .640  208     76    1  164   82   3.55   7.10
  1990   日ハ   28  2  12- 13-  0 .480  192.2   88    3  154   83   3.88   7.18
  1991   日ハ   19  1  10-  6-  1 .625  116.2   53    3   70   41   3.16   5.38
  1992   日ハ   21  2   6- 10-  0 .375  136.2   54    2  107   62   4.08   7.03
  1993   日ハ   23  3  11-  9-  1 .550  175.2   61    3  143   43   2.20   7.31
  1994   日ハ   25  2   8- 14-  0 .364  181     64    2  151   82   4.08   7.51
  1995   日ハ   27  1   7-  8-  0 .467  177    102    5  146   71   3.61   7.42
  1996   日ハ   26  1  14-  7-  0 .667  181.2   89    4  139   58   2.87   6.87
  1997   日ハ    8  0   3-  3-  0 .500   40.1   23    1   23   14   3.12   5.05
  1998   西武    4  0   1-  0-  0 1.00    7      2    0    8    0   0.00  10.29
  1999   西武   33  0   2-  1- 20 .667   34.1   14    1   36   13   3.41   9.26
  2000   西武   22  0   6-  1-  0 .857   59     36    0   49   25   3.81   7.47
  2001   西武    8  0   1-  3-  0 .250   31     12    0   26   11   3.19   7.55
[チーム]
  1987-1997:日本ハム,1998-2001:西武
[背番号]
  1987-2001:[21]
[タイトル]
  最多勝利(1988:パ:15),ベストナイン(1988:パ:投),ゴールデングラブ(1988:パ:投/
  1996:パ:投),ノーヒットノーラン(1995. 7. 5)

83 :
[通算投手成績]
  右上投  実働16シーズン
  350試合登板  15完投  72交代完了 118試合当初   5完封勝利
   67勝  54敗   2引分  11セーブ  28セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.554 打者4690  投球回数1110.2  1118被安打 114被本塁打
   320与四球   26与死球   738奪三振   471自責点  防御率3.82
  平均投球回数3.17 救援率62.0% 奪三振率5.98
[チーム]
  1984-1994:巨人,1995-2001:近鉄
[背番号]
  1984-1994:[48],1995-2001:[12]

84 :
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1984   --- Did not play (in top league) ---
  1985   巨人    1  0   0-  0-  0 .000    1      0    0    1    0   0.00   9.00
  1986   巨人   13  0   1-  0-  0 1.00   22      9    1   25   10   4.09  10.23
  1987   --- Did not play (in top league) ---
  1988   巨人   27  1   4-  3-  1 .571   93.2   24    0   76   27   2.59   7.28
  1989   巨人   19  2   7-  3-  0 .700   88     21    0   71   23   2.35   7.26
  1990   巨人   23  1  11-  5-  0 .688  130.1   37    1  106   42   2.90   7.28
  1991   巨人   27  0   6-  5-  0 .545  113.2   35    2   78   58   4.59   6.16
  1992   巨人   13  0   0-  2-  0 .000   26.1   15    0   27   26   8.89   9.00
  1993   巨人   22  0   8-  7-  0 .533  100     30    5   59   39   3.51   5.31
  1994   巨人   21  1   2-  3-  1 .400   70.2   32    3   40   35   4.46   5.07
  1995   近鉄   20  0   2-  5-  0 .286   69.2   25    3   39   38   4.91   5.01
  1996   近鉄    4  0   0-  3-  0 .000   14      4    0    6   15   9.64   3.86
  1997   近鉄   18  0   9-  4-  0 .692  107.1   26    3   58   44   3.69   4.83
  1998   近鉄   23  0   4-  5-  0 .444   89     28    3   40   49   4.96   4.04
  1999   近鉄   55  0   5-  4-  8 .556   99.2   18    3   67   27   2.44   6.03
  2000   近鉄   28  0   6-  2-  0 .750   37.2    9    1   21   17   4.06   4.97
  2001   近鉄   36  0   2-  3-  1 .400   47.2    7    1   24   21   3.97   4.50

85 :
[通算投手成績]
  右上投  実働12シーズン
  304試合登板  83完投  10交代完了 206試合当初  17完封勝利
  107勝 132敗   0引分   2セーブ   4セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.448 打者8522  投球回数2027.1  2065被安打 193被本塁打
   537与四球   56与死球  1400奪三振   798自責点  防御率3.54
  平均投球回数6.67 救援率4.9% 奪三振率6.21
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1990   ロテ   30  2   6- 10-  2 .375  170.2   63    4  126   62   3.27   6.63
  1991   ロテ   29  1  10- 16-  0 .385  212     80    5  130   93   3.95   5.52
  1992   ロテ   29  1   8- 15-  0 .348  172.2   64    6  124   76   3.96   6.45
  1993   ロテ   27  0  12- 14-  0 .462  204.1   71   12  160   78   3.44   7.02
  1994   ロテ   14  2   3-  9-  0 .250   85     28    3   67   40   4.24   7.09
  1995   ロテ   25  1  11-  4-  0 .733  187     53    5  169   54   2.60   8.13
  1996   ロテ   25  0   8- 13-  0 .381  154.2   39    5   90   78   4.54   5.23
  1997   ロテ   27  2  11-  9-  0 .550  187.2   30    2  130   52   2.49   6.22
  1998   ロテ   27  2  11- 12-  0 .478  201.2   27    5  126   80   3.57   5.61
  1999   ロテ   21  0   7- 10-  0 .412  141.2   15    1   96   64   4.07   6.08
  2000   横浜   26  3   8- 11-  0 .421  161.1   37    0  108   71   3.96   6.00
  2001   横浜   24  3  12-  9-  0 .571  148.2   30    8   74   50   3.03   4.47
[チーム]
  1990-1999:ロッテ,2000-2001:横浜
[背番号]
  1990-1999:[14],2000-2001:[27]
[タイトル]
  最優秀防御率(1997:パ:2.49)

86 :
[通算投手成績]
  右上投  実働21シーズン
  856試合登板 290完投 210交代完了 293試合当初  74完封勝利
  320勝 232敗  14引分 ---セーブ ---セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.580 打者19423 投球回数4899    4068被安打 365被本塁打
   978与四球  109与死球  3159奪三振  1336自責点  防御率2.45
  平均投球回数5.72 救援率31.9% 奪三振率5.80
[チーム]
  1953-1963:阪神,1964-1972:東京=ロッテ,1973-1973:大洋
[背番号]
  1953:[49],1954-1956:[6],1957:[14],1958-1973:[47]
[タイトル]
  最高勝率(1962:セ:.711),最多勝利(1964:パ:30),最多奪三振(1962:セ:270),
  沢村賞(1962:セ)

87 :
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1953   大阪   16  1   5-  1     .833   60.2   17    0   22   23   3.39   3.25
  1954   大阪   40  1  11-  7     .611  166     44    1   75   56   3.04   4.07
  1955   大阪   27  1   7-  4     .636  131     34    0   75   33   2.27   5.15
  1956   大阪   59  4  17- 13     .567  232.1   40    4  220   43   1.66   8.50
  1957   大阪   52  5  15- 17     .469  250     37    7  201   66   2.38   7.24
  1958   大阪   53  4  24- 12     .667  313.1   49    2  252   59   1.69   7.22
  1959   大阪   52  8  20- 16     .556  344     62    5  254   71   1.86   6.65
  1960   大阪   60  7  25- 19     .568  362     63   11  273   95   2.36   6.79
  1961   阪神   46  4  11- 22     .333  291.1   65    4  204   78   2.40   6.29
  1962   阪神   47 13  27- 11     .711  352.2   59    7  270   65   1.66   6.88
  1963   阪神   34  0  14- 14     .500  233     66    4   98   93   3.59   3.79
  1964

88 :
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1964   東京   53  3  30- 12     .714  361.1   87    6  193   99   2.47   4.80
  1965   東京   50  4  20- 20     .500  322.1   81    9  171   84   2.35   4.76
  1966   東京   49  7  20- 13     .606  304     38    8  187   70   2.07   5.54
  1967   東京   44  1  13- 11     .542  225.1   55    7  126   81   3.24   5.02
  1968   東京   25  0   4-  4     .500   87     27    4   53   32   3.31   5.48
  1969   ロテ   33  2  11-  7     .611  182.1   31    5  136   60   2.97   6.69
  1970   ロテ   38  4  16- 11     .593  242.2   40    8  141   62   2.30   5.22
  1971   ロテ   35  1  17-  8     .680  211     42    5  111   76   3.24   4.73
  1972   ロテ   28  2   9-  6     .600  152.1   26    8   57   69   4.09   3.35
  1973   大洋   15  2   4-  4     .500   74.1   15    4   40   21   2.55   4.80  

89 :
[通算投手成績]
  右上投  実働22シーズン
  586試合登板 350完投 122交代完了  99試合当初  83完封勝利
  303勝 176敗  17引分 ---セーブ ---セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.633 打者16754 投球回数4175.1  3230被安打 122被本塁打
  1221与四球   55与死球  1960奪三振   969自責点  防御率2.09
  平均投球回数7.13 救援率23.4% 奪三振率4.22
[チーム]
  1936-1944:巨人,1946-1947:パシフィック=太陽,1948-1953:金星=大映,1954-1955:
  高橋=トンボ
[背番号]
  1936-1947:[17],1948:[18],1949-1955:[17]
[タイトル]
  最高勝率(1938秋:.905/1940:.760),最優秀防御率(1938a:1.05),最多勝利(1937a:15/
  1938s:14/1938a:19/1939:42/1940:38/1949:27),最多奪三振(1938a:146/1939:282),
  MVP(1939/1940),ベストナイン(1940:投),ノーヒットノーラン(1937. 7. 3

90 :
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1936春 巨人    1  0   0-  0     .000    3      1    0    4    0   0.00  12.00
  1936秋 巨人    3  0   1-  2     .333   21      7    0   19    7   3.00   8.14
  1937春 巨人   25  3  13-  4     .765  147.1   58    1   92   25   1.53   5.59
  1937秋 巨人   26  4  15-  7     .682  164.2   51    2   95   34   1.85   5.18
  1938春 巨人   24  5  14-  3     .824  158.2   57    2   76   36   2.04   4.30
  1938秋 巨人   24  7  19-  2     .905  197.2   59    1  146   23   1.05   6.64
  1939   巨人   68 10  42- 15     .737  458.1  156   11  282   88   1.73   5.53
  1940   巨人   55 16  38- 12     .760  436    145    4  245   47   0.97   5.06
  1941   巨人   20  4  15-  3     .833  150.0   45    1   58   20   1.20   3.48
  1942   巨人   40  8  26-  8     .765  306.1  119    2  110   38   1.11   3.22
  1943   巨人   18  3  10-  5     .667  136     57    3   71   18   1.19   4.70
  1944   巨人    7  2   6-  0     1.00   66     23    0   27    5   0.68   3.68

91 :
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1946   パシ    5  0   1-  1     .500   31.2   16    0   11    7   1.97   3.09
  1947   太陽   20  1   8- 10     .444  162.1   48    2   77   37   2.04   4.25
  1948   金星   37  3  17- 13     .567  298.1   80    3  138   72   2.17   4.15
  1949   大映   52  9  27- 17     .614  376     69    4  163  109   2.61   3.90
  1950   大映   35  2  11- 15     .423  234.1   48    4   86  103   3.94   3.29
  1951   大映   14  0   6-  6     .500  100.2   22    2   47   30   2.67   4.19
  1952   大映   24  1   8- 10     .444  150.1   43    2   44   51   3.04   2.62
  1953   大映   26  3  11-  9     .550  201.2   42    4   61   60   2.67   2.72
  1954   高橋   29  1   8- 13     .381  178.1   45    3   52   74   3.72   2.61
  1955   トン   33  1   7- 21     .250  196.2   30    4   56   85   3.88   2.56

92 :
[通算投手成績]
  右上投  実働 7シーズン
  264試合登板  55完投  22交代完了 177試合当初  18完封勝利
  100勝  72敗   2引分 ---セーブ ---セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.581 打者6003  投球回数1459    1280被安打 114被本塁打
   482与四球   43与死球   887奪三振   491自責点  防御率3.03
  平均投球回数5.53 救援率12.1% 奪三振率5.47
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1960   南海   38  4  17- 12     .586  240     95    8  174   66   2.48   6.53
  1961   南海   41  2  15- 11     .577  231.1   74    7  176   85   3.30   6.83
  1962   南海   38  0   8- 10     .444  206.1   72    8  131   83   3.61   5.70
  1963   南海   34  4  14-  7     .667  186.1   60    7   89   53   2.55   4.28
  1964   南海   47  6  26-  7     .788  277.2   80    3  172   74   2.40   5.57
  1965   南海   34  2  14- 12     .538  172.2   57    4   76   63   3.28   3.95
  1966   大洋   32  0   6- 13     .316  144.2   44    6   69   67   4.18   4.28
[チーム]
  1960-1965:南海,1966-1966:大洋
[背番号]
  1960-1966:[6]
[タイトル]
  最高勝率(1964:パ:.788),MVP(1964:パ),ベストナイン(1964:パ:投)


93 :
[通算投手成績]
  右下投  実働13シーズン
  577試合登板  95完投 266交代完了 122試合当初  18完封勝利
  187勝 106敗  21引分 ---セーブ ---セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.638 打者9459  投球回数2413.1  1988被安打 195被本塁打
   409与四球   67与死球  1756奪三振   642自責点  防御率2.39
  平均投球回数4.18 救援率62.4% 奪三振率6.55
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1958   南海   53  1  27- 12     .692  299     72   13  215   68   2.05   6.47
  1959   南海   69  9  38-  4     .905  371.1   35   11  336   58   1.40   8.13
  1960   南海   57  4  31- 11     .738  332.2   44    5  317   76   2.05   8.57
  1961   南海   53  1  20-  9     .690  241.2   31   10  190   75   2.79   7.07
  1962   南海   43  1  14- 15     .483  172.2   36    5   96   59   3.07   4.99
  1963   南海   51  1  14- 16     .467  252.2   46    1  156   74   2.63   5.55
  1964   南海   56  1  20- 15     .571  270.2   52    9  162   91   3.02   5.38
  1965   南海   36  0   8-  1     .889  111.1   16    2   82   27   2.19   6.59
  1966   南海   27  0   2-  4     .333   51      3    0   39   14   2.47   6.88
  1967   南海   45  0   5-  5     .500   98.1   16    2   68   26   2.39   6.18
  1968   南海   41  0   5-  6     .455  111     32    4   53   33   2.68   4.30
  1969   南海   30  0   2-  7     .222   65.1   16    3   33   30   4.15   4.50
  1970   南海   16  0   1-  1     .500   35.2   10    2    9   11   2.75   2.25
[チーム]
  1958-1970:南海
[背番号]
  1958-1970:[21]
[タイトル]
  最高勝率(1959:パ:.905),最優秀防御率(1959:パ:1.40),最多勝利(1959:パ:38),
  最多奪三振(1959:パ:336/1960:パ:317),MVP(1959:パ),新人王(1958:パ),
  ベストナイン(1959:パ:投)

94 :
[通算投手成績]
  右上投  実働11シーズン
  525試合登板 170完投 231交代完了  75試合当初  31完封勝利
  215勝 123敗   9引分 ---セーブ ---セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.636 打者11437 投球回数2841.2  2266被安打 154被本塁打
   792与四球   44与死球  1761奪三振   705自責点  防御率2.23
  平均投球回数5.41 救援率53.3% 奪三振率5.58
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1949   中日   29  0   8- 12     .400  159.2   66    3   66   65   3.66   3.71
  1950   中日   55  2  27- 15     .643  325.2  134    7  209  116   3.20   5.77
  1951   名古   58  4  28- 13     .683  290.1   90    5  147   76   2.35   4.55
  1952   名古   61  6  32- 14     .696  355.2   96    3  160   92   2.33   4.04
  1953   名古   45  1  23-  9     .719  266.2   91    9  156   84   2.83   5.26
  1954   中日   63  7  32- 12     .727  395.1  103    7  273   61   1.39   6.20
  1955   中日   53  5  26- 12     .684  328     57    5  247   57   1.56   6.78
  1956   中日   42  4  14- 14     .500  248     48    0  167   55   2.00   6.06
  1957   中日   41  1  10-  7     .588  169.1   32    1  122   33   1.75   6.46
  1958   中日   46  1  11-  9     .550  218     46    3  161   43   1.78   6.65
  1959   --- Did not play (in top league) ---
  1960   --- Did not play (in top league) ---
  1961   大毎   32  0   4-  6     .400   85     29    1   53   23   2.44   5.61
[チーム]
  1949-1960:中日=名古屋=中日,1961-1961:大毎
[背番号]
  1949-1961:[20]
[タイトル]
  最高勝率(1954:セ:.727),最優秀防御率(1954:セ:1.39),最多勝利(1951:セ:28/1954:
  セ:32),最多奪三振(1950:セ:209/1954:セ:273),MVP(1954:セ),沢村賞(1951:セ/
  1952:セ/1954:セ),ベストナイン(1954:セ:投),ノーヒットノーラン(1955. 5.10)

95 :
[通算投手成績]
  左上投  実働20シーズン
  703試合登板 340完投  86交代完了 237試合当初  71完封勝利
  317勝 238敗  17引分   2セーブ   4セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.571 打者18648 投球回数4600.1  4029被安打 560被本塁打
  1126与四球   90与死球  3061奪三振  1588自責点  防御率3.11
  平均投球回数6.54 救援率17.9% 奪三振率5.99
[チーム]
  1966-1985:近鉄
[背番号]
  1966-1985:[1]
[タイトル]
  最高勝率(1975:パ:.786),最優秀防御率(1978:パ:2.02),最多勝利(1969:パ:24/1977:
  パ:20/1978:パ:25),最多奪三振(1967:パ:222/1968:パ:305/1969:パ:286/1970:パ:247/
  1971:パ:269/1972:パ:180/1974:パ:141/1978:パ:178),ベストナイン(1969:パ:投/
  1975:パ:投/1978:パ:投),ノーヒットノーラン(1968. 8. 8/1971. 9. 9)

96 :
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1966   近鉄   46  3  10- 12     .455  189     51    3  160   67   3.19   7.62
  1967   近鉄   44  4  21- 13     .618  276     42    5  222   85   2.77   7.24
  1968   近鉄   57  7  23- 21     .523  359     88    9  305   99   2.48   7.65
  1969   近鉄   46  7  24- 13     .649  330.2   73   10  286   92   2.50   7.78
  1970   近鉄   45  3  21- 14     .600  313.2   77    3  247   96   2.75   7.08
  1971   近鉄   43  7  21- 15     .583  291.1  107    8  269  104   3.22   8.29
  1972   近鉄   43  5  14- 15     .483  242    101   10  180   92   3.42   6.69
  1973   近鉄   30  4  11- 13     .458  171.2   91    6  119   65   3.40   6.23
  1974   近鉄   36  3  12- 15-  1 .444  229     68    2  141   82   3.22   5.54
  1975   近鉄   33  3  22-  6-  0 .786  239.1   48    3  107   60   2.26   4.01
  1976   近鉄   37  4  18- 15-  0 .545  265.2   43    4  129   79   2.67   4.36
  1977   近鉄   39  7  20- 12-  1 .625  267.2   41    2  144   70   2.35   4.84
  1978   近鉄   37  8  25- 10-  0 .714  294.1   42    7  178   66   2.02   5.43
  1979   近鉄   24  1  10-  8-  0 .556  134.2   37    4   91   66   4.40   6.07
  1980   近鉄   26  2  14-  8-  0 .636  179     52    3  100   77   3.87   5.03
  1981   近鉄   22  0   5- 11-  0 .313  123     27    2   42   70   5.12   3.07
  1982   近鉄   24  0  11- 10-  0 .524  190.1   35    1  100   79   3.74   4.71
  1983   近鉄   28  3  14- 11-  0 .560  226     30    2  101   93   3.70   4.02
  1984   近鉄   28  0  16- 10-  0 .615  213     45    5  102   89   3.76   4.31
  1985   近鉄   15  0   5-  6-  0 .455   65     28    1   38   57   7.89   5.26

97 :
[通算投手成績]
  左上投  実働11シーズン
  519試合登板  34完投 111交代完了 174試合当初  12完封勝利
   81勝 102敗   3引分 ---セーブ ---セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.443 打者6818  投球回数1625.2  1507被安打 149被本塁打
   555与四球   60与死球  1049奪三振   579自責点  防御率3.20
  平均投球回数3.13 救援率59.9% 奪三振率5.81
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1958   大洋   58  3  15- 18     .455  260.1   81    8  197   79   2.72   6.79
  1959   大洋   49  3  12- 16     .429  260.1   90    6  157   93   3.21   5.41
  1960   大洋   46  1   5- 11     .313  160.1   53    2  112   52   2.91   6.26
  1961   大洋   51  0   8- 13     .381  190     73    6  112   71   3.36   5.31
  1962   大洋   56  5  14-  8     .636  191.1   45    9  157   54   2.53   7.36
  1963   大洋   59  0   8- 17     .320  213.1   80    8  116   80   3.36   4.88
  1964   大洋   70  0   9-  8     .529  151     47    2   61   54   3.22   3.64
  1965   大洋   38  0   4-  2     .667   48     20    2   32   13   2.44   6.00
  1966   東京   35  0   2-  6     .250   83.2   39    9   61   42   4.50   6.54
  1967   東京   41  0   4-  2     .667   52.2   20    5   34   28   4.75   5.77
  1968   大洋   16  0   0-  1     .000   14.2    7    3   10   13   7.80   6.00
[チーム]
  1958-1965:大洋,1966-1967:東京,1968-1968:大洋
[背番号]
  1958-1968:[16]

98 :
[通算投手成績]
  右上投  実働17シーズン
  586試合登板  29完投 271交代完了 141試合当初   4完封勝利
  124勝  94敗  30引分  96セーブ 121セーブポイント ---ホールドポイント
  勝率.569 打者7356  投球回数1788.1  1768被安打 240被本塁打
   364与四球   25与死球  1006奪三振   693自責点  防御率3.49
  平均投球回数3.05 救援率71.0% 奪三振率5.06
[チーム]
  1973-1989:中日
[背番号]
  1973-1989:[29]
[タイトル]
  最優秀防御率(1976:セ:2.98),最多セーブ(1975:セ:21),最優秀救援(1976:セ:32/1977:
  セ:23)

99 :
[年度別投手成績]
  年度   所属 登板 封  勝- 敗- S 勝率 投球回 四球 死球 三振 自責 防御率 奪振率
  1973   中日    1  0   0-  0     .000    1      0    0    0    0   0.00   0.00
  1974   中日   35  0   4-  2-  2 .667   64     14    0   53   25   3.52   7.45
  1975   中日   67  0   9-  8- 21 .529  148.1   25    6  117   49   2.98   7.07
  1976   中日   60  0   7-  8- 26 .467  148.1   27    2  118   49   2.98   7.13
  1977   中日   57  0  18-  9-  9 .667  170     35    4  131   71   3.76   6.94
  1978   中日   32  0  10-  3-  9 .769   82     21    0   46   19   2.09   5.05
  1979   中日   24  0   1-  0-  9 1.00   44.2   14    1   33   15   3.00   6.60
  1980   中日   35  0   4-  3- 12 .571   55.2    9    0   36   17   2.73   5.79
  1981   中日   48  0   6-  8-  8 .429   76     18    2   43   27   3.20   5.09
  1982   中日   40  1   9-  7-  0 .563  133     24    1   56   46   3.11   3.79
  1983   中日   24  0   7-  4-  0 .636  130.2   15    0   48   53   3.65   3.30
  1984   中日   28  2  16-  8-  0 .667  168     33    0   60   76   4.07   3.21
  1985   中日   28  0   8- 12-  0 .400  158.1   40    1   66   73   4.15   3.74
  1986   中日   26  0   9-  9-  0 .500  162.2   33    3   78   57   3.15   4.31
  1987   中日   30  1   9-  6-  0 .600  130     29    1   60   65   4.50   4.15
  1988   中日   27  0   4-  3-  0 .571   54.2   13    2   34   19   3.13   5.56
  1989   中日   24  0   3-  4-  0 .429   61     14    2   27   32   4.72   3.98

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