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2013年01月中国英雄222: 【みんなで】 中国猛将百選 【決めよう】 (264)
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【みんなで】 中国猛将百選 【決めよう】
- 1 :2006/12/27 〜 最終レス :2012/06/13
- 軍隊の指揮能力や、戦略性、戦術性は度外視し、
純粋な個人の武勇の優れた人物を中国史上より百名選出するスレです。
- 2 :
- 選出候補に該当する人物は、
基本的に名将、愚将スレに準拠します。
- 3 :
- 張飛に一票。
- 4 :
- やっぱり項羽は入れないとね
- 5 :
- 夏魯奇
- 6 :
- ダム建設に反対する住民たちに襲撃を行った将来の共産党員たち
- 7 :
- >>6
マジレスするのも馬鹿馬鹿しいが、
ここでの議論の対象となる人物は近代以降(清滅亡までなら容認)は含まれないし、
そもそも個人が特定されていないので論外。
- 8 :
- 猛達
- 9 :
- やりつそざい
- 10 :
- 殆ど三国志のキャラになるんじゃない
- 11 :
- >>10
さすがにそんなことは無いでしょ
名将百選と同じで三国時代からのエントリーは数人にとどまるんじゃないかな
- 12 :
- >>1
単純に怪力だったり敵を倒しまくったりしてる奴で良いのか?
とりあえず、春秋戦国時代で知ってるのだと、
南宮長万
慶忌
介子推
荊軻
子路
秦武王
公子彭生
- 13 :
- 例えば、どんなのがいいの?
関羽や張飛なんて、ゴッドクラスよ。 後世の人からは。
- 14 :
- じゃあ五胡十六国〜南北朝時代なら、
劉曜
石虎
苻洪
冉閔
劉裕
拓跋Z
楊大眼
檀道済
蕭摩訶
斛律光
でだいたい決定かな?
叩き含めて意見ヨロ。
- 15 :
- まずは順番通りに春秋戦国時代から決めていったほうがいいのでは?
- 16 :
- うん、確かに順番どおり話を進めていった方がいいね。
それと、初出の人物を語る際は、愚将で使用している↓のテンプレを使用して、
まずは簡単な人物解説を行いましょう。
流石に、名前だけじゃ、誰かよく分からん武将もいるだろうし。
実際、俺は14さんが推した武将の殆どを知りません(^^;
【名前】
【時代】
【理由】
- 17 :
- >>13
基本的には史実に沿って評価して欲しい所です。
関羽なんかは、演義や民間伝承で異様に高い評価を受けているかもしれないけど、
そういう史実から外れた人物像は評価の対象外とします。
- 18 :
- >>17 ではでは、その後世いろいろ評価のあがった関羽や張飛に匹敵する、と史書に明記された人なんかは、文句なしになるのかなぁ
- 19 :
- >>18
>>18
そういう記述も参考にしないわけではないが、
それだけを評価の対象にするのはどうかと思う。
やはり、実際にどれだけの業績を残したのかという点を中心に議論するべきであって、
関羽に比すとか、張飛の如しとか、
そういった記述があるだけで、関羽や張飛と同等の人物だと考えるのは早計であると思う。
- 20 :
- >>19 ごめん、そのまま「関・張に比す」ではなく
「万人敵」とか「辟易す」とか「驍勇冠絶」とかそういうのだった。
とくに史料が散逸した乱期の記録では、その一言で説明されている傳も多い。
- 21 :
- >>20
確かに群雄割拠の敗者側の武将ってそういう人物多いよね。
俺が好きな元末群雄割拠の時代の群雄陳友諒配下のトップクラスの猛者である筈の張必先なんか、
おそらく最も詳細に記述されているであろう『国初群雄事略』でさえも、
その武勇を評価する記述は、「驍勇善戦、人呼んで溌張と為す」ぐらいしかないからなぁ・・・
中国史全体でも、やっぱりそういう人物は多いんだろうね。
難しい問題だとは思うけど、こういう人物は候補に挙げないほうが良いと思う。
ここはあくまで史実に沿った評価をする場だから、
評価する材料が余りに少ないと、その人物やその人物が生きた時代に興味の無い人には、
候補に挙げられる根拠が少ない分だけ、百名に加え難いと感じてしまうと思う。
でも、史料が少なくてもその少ない史料を有効活用して、
何とかスレ住人を納得させられる位の論を構築できるなら、
レスしてもらっても構わないと思うよ。
やっぱり、議論の対象となる武将は多ければ多いほど
スレは盛り上がると思うから。
- 22 :
- 名将スレから、時代区分の一例として
春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間)
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜420年 200年間)
南北朝〜隋(420年〜619年 199年間)
唐(618年〜907年 289年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)
若干手直しさせてもらったが、多分これが一番公平な分け方だと思う
あっちのスレでは、ひたすら確定10名にこだわるやつが多かったけど
普通に確定+候補で10人以上出していって、あとで絞ればいいと思うんだがね
- 23 :
- よし、それじゃ、余り議論の規定を話し合ってばかりじゃ始まらないから、
そろそろ本題の武将の候補挙げと、議論を始めましょう。
取り敢えずは、
春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間) ←ここからね
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜420年 200年間)
南北朝〜隋(420年〜619年 199年間)
唐(618年〜907年 289年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)
- 24 :
- なんだかんだいって関羽と張飛は入ってそうだな
- 25 :
- 春秋戦国で候補になりそうなのが>>12で挙がってるね
あと養由基とか。
- 26 :
- 関羽と張飛か。猛将となるとどちらも入りそうだけど、
時代も行動もかぶっているので、どちらか1人にしたい気持ちもある。
- 27 :
- >>1
ちょっと待て!
関羽や張飛は陳寿も「兵一万に匹敵する剛の者」と評価するほどの
猛将だぞ。
性格的な欠点を指摘して貶めるようなスレでないのならば中国を代表する
猛将の一人に加えてもいいのでは?
個人的には楊家軍から一人と、耶律休哥も押したい。
楊家で猛将なら楊業、二郎、五郎あたりかな?
- 28 :
- 荊軻みたいなのを「猛将」としていいのか、という問題もあるな。
「武勇を戦場で発揮した人」とか括りをつけたほうがよくないか?
そうじゃないと清末が武術家で埋め尽くされる恐れもある。
- 29 :
- >>20
まずいのか?
- 30 :
- >>27 いきなり飛ばないように。
100人に絞って、あぶれる場合はどっちかっていうと張飛を落とすって意味として捉えておこう。
- 31 :
- フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトに一票。
- 32 :
- ネタは却下ですよ
- 33 :
- 【名前】李書文
【時代】清末
【理由】牽制の突きだけで相手を打ちR破壊力。
北京の槍の名人をことごとく倒し、「神槍」と謳われた槍術の腕前。
重さ100キロの石を二メートル上に投げる怪力。
清末最強の個人的武勇の持ち主。
- 34 :
- >>33
時代が違うので、今この人物を議論することは出来ないけど、
個人の武勇を評価するこのスレで、
こういう武道家の扱いをどうするか、
ちょっと話し合わなくちゃいけないかもね。
- 35 :
- 猛将って言えば、白起@秦。
でも個人の武勇と言われると???
あと悪来ってどうなの?
- 36 :
- 曹操の護衛の方はどうだろ
- 37 :
- 【名前】李広
【時代】前漢
飛将軍と呼ばれ匈奴に怖れられた猛将。狩猟のとき文帝に襲いかかった虎を刺し殺した。
またあるとき、石を虎と間違えて矢を射て、矢がその石に突き立ったほどの強弓の持ち主。
しかしその生涯は不運の連続で、最後は道に迷って戦闘に参加できなかったことを恥じて自殺した。
李陵の祖父である。
- 38 :
- >>36
それって典韋のことか?それとも許チョ?
- 39 :
- 虎をもR新奇の槍が受けられるか!
- 40 :
- >>39
典韋には凄まじい怪力が伝わってくるエピソードがあるな。
数十人かかりでも持ち上げることさえ出来なかった大旗を片手で持ち上げたとか。
- 41 :
- 春秋戦国時代は、車戦が中心だから個人武勇に優れた猛将が
排出しづらい時代背景なのだが、それでも10人選出するの?
- 42 :
- >>37
異常なまでに強いのに道に迷う
海賊狩りの三刀流剣士かよ
- 43 :
- 許チョとかもアリなの?
- 44 :
- ここまで来て何故呂布が出て来ない?
- 45 :
- 【名前】 史万歳
【時代】 北周〜隋
【理由】 ・鳥の群れの三羽めを狙って射落とすことができた
・戦で敵に攻められたとき、突っ込んでいって数十人を殺傷した
・罪を得て敦煌の守備兵に左遷されたとき勇名を馳せた。
突厥の代表と一騎打ちをして勝利
・反乱平定する時、二千の兵を率いて七百戦以上戦い、千里を転戦したので
味方と連絡が取れなくなった。朝廷は史万歳が死んだと思っていた
・のちに北方に遠征に行ったとき、史万歳が兵を率いていることを知ると
突厥の可汗は恐れて兵を退こうとした
- 46 :
- 【名前】樊噲
【時代】秦〜前漢
【理由】鴻門の会で劉邦を救ったことで有名な人物。
劉邦の昔からの仲間で妻は呂后の妹、犬殺しを生業にしていた。
自ら取った敵の首は百七十六、捕えた者二百八十八人、将として敵軍を破ること七回、
落とした城は五つ、六郡五十二県を平定し、丞相を一人、将軍を十二人捕虜にした。
- 47 :
- 薛安都
- 48 :
- 【名前】花雲
【時代】元末
【理由】朱元璋の挙兵当初から従った黒将軍
・ジョ州攻略戦にて、先鋒として数騎を率い、数千の敵を圧倒。
・数百の賊を相手に三日三晩戦い続け、尽く捕える。
・賊を討伐し、この際に千を超える首級を挙げるも、その身に一矢も受ける事は無かった。
・戦に破れ、陳友諒に捕えられるも、身を震わせて縄を裂き、敵兵から剣を奪って五、六人を斬りR。
・船の帆柱に縛り付けられ、全身に矢を受けるも、息絶えるまで陳友諒を罵り続けた。
- 49 :
- 【名前】賈復
【時代】新〜後漢
【理由】「朝飯前」の語源になった猛将
・若いころ、役人として同僚と河東に塩を受け取りに行った時、
盗賊に襲われみんな逃げ出したのに、一人だけ塩を持って帰った。
・常に軍の先頭に立ち、体には十二の傷があった。
伏兵によって重傷を負った事もあるが、敵に後ろを見せたことが無く、常に勝利した。
・常に功績第一を目指し、同僚に対しても遠慮せず、侮辱は許さなかった。
しかし、論功の席では無言であり、光武帝は「彼の功績は私がすべて見ている、
述べる必要は無い」と答えた。
・早朝から戦いが続き、昼を過ぎて敵がやっと退却したとき光武帝が「休憩して朝食にしよう」
といったが、賈復は「敵を破ってから朝食にしましょう」といって敵に突撃し、敗走させた。
- 50 :
- >>43
三戦の正史オンリーでの数値化スレの武力最強候補じゃなかったか?
(注:世界史板系の数値化スレと異なり、武力は個人武勇)
かなりイカレた武勇伝があったが
- 51 :
- う
- 52 :
- 三国志なら張遼が第一候補じゃね?
・蹋頓単于斬り
・陳蘭討伐
・合肥防衛
etc.
- 53 :
- 私の頭の中を覗くのは止めて。
それから聞いてないことは対応できないよ。こちらの事情も考えて言ってね。
私の思考と体現者は私自身です。
- 54 :
- 名将に比べると猛将はかなり多そう
呂布、関羽あたりも当確?
- 55 :
- >>52
張遼は残念ながら菅渡で文醜に完敗。
名将としてなら名高いとは思うが、猛将となると呂布、張飛、関羽の名は超えられないだろう。
- 56 :
- 張遼が猛将なら敵の包囲破って牛金を助けた曹仁なんかも猛将になるぜ。
趙雲もそうだし、三国時代だけで猛将だらけになる。
三国からは呂布だけで十分じゃね?
- 57 :
- >>55
演義?
>>56
猛「将」なのだからあくまで部隊を率いての活躍であって、個人武勇は評価外だと思うんだが……
- 58 :
- しかし1には純粋な個人の武勇と書いてある
部隊を率いている身分で、かつ個人的な武勇を発揮した人
を選ぶスレだと思ってたんだが違うのか
- 59 :
- >>58
> しかし1には純粋な個人の武勇と書いてある
がっつり見落としていた。スマン。
まあ、張遼にもそういう武勇譚はあるけどね。
それプラス部隊を率いての猛将と評すべき武功があるんで挙げてみた。
- 60 :
- >>1には「純粋な個人の武勇の優れた人物」とあるので、
武術家を推挙しても問題は無い。
- 61 :
- >>60
しかしそれは「将」ではないだろ
「将」というからには最低限人を少人数でも良いから率いて、戦場に出て貰いたい
- 62 :
- >>62
>>1を良く読め。
「軍隊の指揮能力や、戦略性、戦術性は度外視」と
書いてあるじゃないか。
- 63 :
- アンカーミス
×>>62→○>>61
- 64 :
- だったら三国志の武将で殆ど埋められそうだな
- 65 :
- 百選というのはやっぱり多いな。
百人も選ぶのって大変だ。
- 66 :
- 薛安都、楊大眼、尉遅敬徳、秦叔宝、単雄信、程知節、呼延賛、韓世忠
- 67 :
- 猛将じゃなくて豪傑に言い直した方がいいと思う。
- 68 :
- 豪傑と猛将じゃまた意味合いが変わって来るな
- 69 :
- 【名前】典韋
【時代】三国
【理由】陳留郡己吾県の生まれ。古の豪傑悪来の異名を持つ。容貌魁偉にして瞳は百錬の玉の如く。身の丈は一丈(240cm)近くあった。
山中で虎を追い掛けているところを夏候惇に見出され曹操に推挙された。
その武勇著しく兵士数十人でも支えきれなかった巨大軍旗を暴風吹き荒れる中片手で支え周囲を驚かせた。
大型の武器を好み片方80斤(18kg)もある[双鉄戟]を使いこなした。
濮陽の呂布との戦いで先鋒の突撃隊に志願し雨の如き矢攻めにあいながらも戟を振るって奮戦し、追撃してくる敵にも短戟を用いて敵軍を撃退した。
この戦で世に広く知られ「曹君、幕下の壮士に典韋あり。八十斤の双戟をひっさげて側近に侍す。」と言われた。
曹操の身辺を守って各地を転戦したが、その最後は壮烈だった。
曹操が張繍の降伏をいれて宛城に駐屯した際、張繍の参謀カクの企みで曹操は寝込みを襲われ典韋も泥酔させられてしまった。
典韋は戟を故車児に盗まれ門内に残り素手で数十人を打ち果たし両脇で敵を締めRなどして獅子奮迅するも遠巻きに矢で射たれ針鼠のようになり仁王立ちで目を見開いたまま絶命した。
この時典韋は大量の矢を全身に浴びながらも最後まで敵を罵り続けた。そのため敵兵は絶命してからも恐れをなしてしばらく近寄れなかったという。
- 70 :
- フィクションが混ざってね?
小説の描写ありなら三国志の人物は有利だな
- 71 :
- 董襲に一票
- 72 :
- 三国志にかぎらず、演義ものでは腕っ節自慢がわんさといるって。
- 73 :
- >基本的に名将、愚将スレに準拠します。
この規定を忘れないでね。
候補を挙げるだけなら別にどれだけ挙げようが構わないけど、
最終的には各時代で、十名ずつ選抜していくからね。
百傑の殆どが三国時代の人物なんて現象は有り得ない。
- 74 :
- >>73
その前におまえは猛将の定義を決めろ
- 75 :
- 【名前】阿済格(アジゲ)
【時代】清初
【理由】太祖努爾哈斉の12男。はやくから戦場に出て数々の武勲を立てるが
典型的猪武者であり、しばしば兄の皇太極に苦言を呈される。
清の入関後は同母弟多爾袞の指示により中国各地で明朝軍を撃破するが、
その粗暴な振る舞いは多爾袞ですら制止することはできなかった。
恃みの多爾袞の死後、反対派に監禁され、自ら牢獄に火を放って
自害。最後までイケイケな性格であった。
- 76 :
- >>74
分かりました、じゃ、定義します。
まず、以前も言ったけど、ココは史実にのっとった武勇を論じる場であって、
そこにフィクションの介在する余地は無い。
あと、「猛将」の定義だけど、
個人的には「武人」とかにするべきだったと今更公開している。
個人の武勇と将としての器量は全く別物だからね。
でも、「猛将」としてしまったんだから、これで話を進めなきゃいけない。
ただ、救済措置として、大漢和によると「将」ってのは要するに「引率者」の事だから、
何らかの形で人を率いた事がある人間なら(それを史料などで証明できる人)
だれでもOKってのはどうかな?
例えばどっかの寺で弟子たちを率いていた武道の師とかでもokみたいな感じで。
- 77 :
- 尉遅敬徳は有力な候補になるんじゃなかろうか
- 78 :
- 史実でも董襲は強すぎ
- 79 :
- 水死体で発見される人?
- 80 :
- 楊再興はどうだろうか?
- 81 :
- 【名前】王彦章
【時代】五代十国
【理由】朱全忠に仕えた将軍。
約60kgの鉄槍を振るい(一説には2本も)王鉄槍の異名で恐れられた。
李存キョクから妻子を人質に取られ、寝返りを求められたが、使者を斬って拒否した。
後唐に敗れ捕えられたとき、降服を勧められたが「豹は死して皮を留め、
人は死して名を留む」と言って拒否し斬られた。
- 82 :
- 【名前】許猪
【時代】三国
【理由】字は仲康。身長8尺余(約184cm)、腰まわり10囲(約115cm)もあり、
武勇は人並みはずれていた。
一族郎党を率いて塞を築き、汝南の賊と戦っていたが、矢が尽きたので
許猪が石を投げつけると、あたった者は皆打ち砕かれたので、恐れて退却したという。
また、牛の尻尾をつかみ、100歩も引きずったのを見て、敵が逃げ出してしまったという。
曹操に帰順とき、曹操から「わがハン噲」と呼び、都尉に任じた。軍中では、虎のように強いが、
普段は愚鈍に見えるので「虎痴」とあだ名されていた。
曹操のボディガードであり、馬超との戦いでは、左手に鞍を持って矢を防ぎ、右手で櫂を操って、
曹操を守って渡河した。
また、休暇中胸騒ぎがして曹操の元に戻ると、刺客が今まさに刃を振るわんとするところだった
という。
曹操が死ぬと、号泣して血を吐いたほど悲しんだ。
明帝の時代まで生き、壮候と諡された
- 83 :
- >>80
楊再興は入れていいだろう。
説岳で、世間的にも英雄として浸透して人気があるし、
そういった面も考慮するべき。
- 84 :
- 中国のサイトにあった「中国歴史十大猛将」は以下の通り
1位 項羽 (勇猛指数10 智謀指数7 総評8.5)
2位 冉閔 (勇猛指数10 智謀指数8 総評9)
3位 楊再興 (勇猛指数9.5 智謀指数6 総評7.5)
4位 霍去病 (勇猛指数9 智謀指数9 総評9)
5位 斛律光 (勇猛指数8.5 智謀指数8 総評8)
6位 呂布 (勇猛指数8 智謀指数5 総評6.5)
7位 史万歳 (勇猛指数7.5 智謀指数7 総評7)
8位 英布 (勇猛指数7 智謀指数6 総評6.5)
9位 馬超 (勇猛指数6.5 智謀指数5 総評5.5)
10位 李文忠 (勇猛指数6 智謀指数7 総評6.5)
- 85 :
- 楊再興なかなか人気だな。
やっぱり最期があれだからか。
- 86 :
- 楊再興ってどのような人物なんですか?
- 87 :
- 岳飛の部下。
はじめは敵で岳飛の弟を殺したが、
岳飛はその武勇を惜しみ部下とした。
その恩に報いるため力戦し、矢の雨でハリネズミのようになるという
壮絶な最後を迎えた。
(注・うろ覚えだから間違ってるかも)
- 88 :
- 薛仁貴
- 89 :
- 楊再興は最期がハリネズミだからね。
猛将の最期として最高だよ。
- 90 :
- 最強候補に楊大眼を。
関羽と張飛より強いと称えられてる猛将の中の猛将です。
- 91 :
- 【名前】延岑
【時代】新末
【理由】字は叔牙、新末の群雄の一人で、
大勢力になれなかったため史書に伝はないが印象に残る男。
赤眉軍の逢安や光武二十八将のケ禹の大軍を寡兵で破り、
奇襲で二十八将呉漢を水中に落とし溺死させかけた事もある。
勇猛な人物だったが、光武帝配下の名将たちと連続して戦うことになり、
敗走してまた復活するを繰り返し、最後は蜀帝公孫述の元に身を寄せ、
外征を進言するも受け入れられなかった。
成都に漢軍が迫ったとき、公孫述の問いに「男子たるもの死中に活を求めるべし」
と答え、財宝を散じて決死の兵を集めさせ、徹底抗戦の指揮をとった。
公孫述が負傷が元で死ぬとその兵を引き継いで戦うが、衆寡敵せずついに呉漢に降る。
呉漢は延岑とその一族、公孫述の一族を皆殺しにした。
彼は群雄としては小さな勢力しか築けなかったが、
倒されても倒されても立ってくる、
決してあきらめない根性の持ち主であり、
おそらくこの時代最強の猛将の一人だろう。
- 92 :
- 猛将と言うのは名将とかぶってもいいのかい?
- 93 :
- ブルース・リー
- 94 :
- >>91
新朝末期の戦乱がもっと有名になっていれば、
メジャーになれた人物だろうね。
- 95 :
- ブルース・リー
- 96 :
- ジャッキー・チェン
- 97 :
- サモ・ハン・キンポー
- 98 :
- 猛将と言えば猪突猛進なイメージが強い。
- 99 :
- いくら個人の武勇、戦術共に優れていても、
華々しく手際のいい勝利を収めちゃうと、
猛将という言葉からは離れちゃうんだよね。
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