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2012年3月戦国時代204: 【戦の神は】生涯負け戦無しの豊臣秀長 (846)
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【戦の神は】生涯負け戦無しの豊臣秀長
- 1 :
- 豊臣秀長の武功はもっと評価されていいだろう。
全て引き分け以上の結果だからよ。
仮に朝鮮で指揮を執ったら、歴史も変わったかもしれんし、秀吉
の後釜になってれば、容易に家康の外交戦術で沈むはずもなかった
だろうに。
- 2 :
- 2
- 3 :
- 秀長は男色家だから能将だったのぢや!
- 4 :
- ↑それは無い
兄と共に男色は無い
- 5 :
- 秀長「兄に意を覚えたことは何度もあります」
- 6 :
- .
- 7 :
- 兵力
- 8 :
- 兵力だけではねえ。
秀次は大軍でも惨敗したし
- 9 :
- 播磨淡河城攻めで淡河定範相手に敗走させられたことがあるだろ>秀長
なかなかの戦上手だったけど生涯不敗は嘘
- 10 :
- >>8
秀次がミスっただけでは。
- 11 :
- >>10
それ聞いたことあるけど
信憑性あるの??
何か他で聞いたこと無いし
一旦退くことはあるけど
- 12 :
- >>9 いや、結局城を自分で焼いて逃げたじゃん?痛み分けだろ。
- 13 :
- いえ、秀長公の御敗北でございます。
- 14 :
- >>11 は >>9 の
間違い
だから根拠は
- 15 :
- 小人数の局地戦から十万規模の戦略までそつなくこなせるのが秀長クオリティだな
秀長ほどの戦歴を持つ人はまずいない
- 16 :
- >>11
火牛の計はかなり胡散臭いけど淡河城を攻めあぐねてたのは事実だろう
自分も一次資料が何かは知らないけど、
とりあえず「神戸市淡河町の歴史」「三木史談」なんかを読んでみたら?
- 17 :
- 3〜4千の兵で但馬攻略は評価するべき。
- 18 :
- >「神戸市淡河町の歴史」
えええ!淡河町って神戸市にあるの!?
なぜか、もっと西の姫路の近所かどこかだと思い込んでたよ・・・
市民なのに今まで知らなかった・・・ちょっとショック。
- 19 :
- まあたしかにこの人の軍才はもっと評価されても良いと思う
- 20 :
- 秀長は勝利の神様でもあったのかも?
秀長の死後、秀吉は諫める者が居なくなったせいか、狂人ぶりを発揮していきますよね?
その面でも、秀長の存在は大きかったのかも?
秀吉・秀長の姉とものたてた瑞竜寺の「木下家過去帳」によると、弥右衛門は、秀長や旭が生まれた後に去したそうな
- 21 :
- 敗北を知らぬとは生涯半人前であったことだろう。
- 22 :
- 秀長=亀田兄
亀田クンも無敗だよ。
- 23 :
- 淡河城で淡河定範に逆撃くらったのは事実ではあるが
ああいう小規模戦の敗北なんて信長家康とかだってざらにあるわけだから
評価は下がらんよ。
- 24 :
- 内政では敗北はあるかも、後でフォローしとるのでは
- 25 :
- 大軍優勢以外で勝利経験はあるかな
- 26 :
- 少数逆転の勝利がないのがマイナスには成らんと思うけど
戦争なんて優勢な状況を作って行うのが常道なんだし。
- 27 :
- 小早川隆景といい勝負だな
- 28 :
- 内政も外交も戦争も調整役もできるし、まあ便利な男だよな。
生きていたら家康と対立してたのかねえ。
- 29 :
- >>28
(寿命が秀長の方が長いと仮定して)生きてたら家康は猫かぶったまま死ぬんじゃないかなぁ。
- 30 :
- >>26
そいつぁ、秀吉さんの兵力じゃ。
まあ総大将に任命されて着実にこなすなら中の上や。
- 31 :
- 秀長が死んで豊臣が内部分裂してくれない状況では、できるだけ
良い状況で次代に繋げるために領国経営にせいを出しそうだな。
- 32 :
- 秀長が長生きしてれば、朝鮮出兵を諫めることができただろうし、秀頼の後見人になって家康を抑えることができたかもな。
なぜだか知らんが秀長は結構過小評価だよな。
- 33 :
- ID:22uwBhnGの論法だと相当数の将がたいしたことがないことになるな。
部将クラスは特に。
- 34 :
- 秀長が梁田広正だったら、
加賀平定できたかねえ。
- 35 :
- 秀長晩年は秀吉との関係も微妙だったみたいじゃん
大和の領国経営で秀吉と揉めて謹慎処分喰らってる
秀長に朝鮮出兵は止めれないだろうし、別に止める理由も無い
秀吉死後の家康を牽制するには十分だろうが
- 36 :
- 秀長在世時から、朝鮮出兵は持ちだされていたんですか?
秀長が生きている頃から、すでに秀吉の暴走は始まってたんですかな。
- 37 :
- 歯止めが利かなくなったって言ってるジャン
- 38 :
- 別に始まって無いだろう。
謹慎は規律を守るためだろ
- 39 :
- 三戦の秀長スレ見て来なされ。
- 40 :
- 朝鮮の役が無くならなくても
朝鮮の役の時に秀長が存命なら、十中八九総大将は秀長になると思われ
そうなれば日本軍は一元化した動きを取れるので、その後の展開が変わってくる
- 41 :
- 朝鮮征討は規定路線だったらしいから秀長生存でも文禄の役は実施されただろうな。
でも慶長の役のような再度出兵はどうなったかな。
それと>>35に書いてある謹慎というのはおおげさで正月の拝礼を停止された程度みたいよ。
そのへんは日本史板の秀長スレでも話題になってた。
- 42 :
- 三戦の方でもそりゃあもう・・・
- 43 :
- ..
- 44 :
- 内政では、どうだろうな
悲しみや苦しみはあったとおもうけど
- 45 :
- 金策は上手かったんだろ。
てか、外様まで秀長を信頼してきたんだから、家康にとっては怖い存在
だよね。
- 46 :
- .
- 47 :
- 秀長は豊臣家での地位の割りに、当時の資料が少なくて実態がわからないんだよね。その存在を評価されるようになったのは
戦後になって研究が進んでからで、逆に言えば生存している間は、さほどの存在感を発揮していなかったと思われる。
良くも悪くも補佐役だったんだろうね。
あと、その領地の奈良では、興福寺の僧が死んだのを聞いて大喜びしている日記を残していて、司馬遼太郎はそれを
あたかも利権を奪われた旧守派の醜さのように書いていたが、実際当時の豊臣圏は相当の重税を課せられてて、領民は
大変だったから、住民の立場としては、死んだと聞いたらみんなが喜ぶくらいのかなりの悪領主と言う感覚だったと思う。
まあ、そういう秀吉政権の「負の側面」を背負っていた、と言う評価も出来るんだけどね。ただ、あくまで秀吉あっての人物で、
ひとり立ちして表舞台で活躍する、と言うタイプでもないように感じるよ。
- 48 :
- 存在感がなかったから当時の資料がすくないというのはどんなもんかね。
それと僧、しかも高位の僧と住民というのを一緒の立場と考えるのもどうだろうね。
なんか見方が全般的にいびつにみえるなあ。
- 49 :
- 存在感が無かったら、毛利や他の大名に簡単にやられてる。
正月なんか秀吉が主力連れて信長参りだから
相当大変だったはず
敵が侮ってないのが実力
- 50 :
- それと忘れていけないのが、
半兵衛も小六も羽柴の内政には関与できない現実
たった一人で零細から大企業まで支えた実力者と言うこと。
- 51 :
- >>48
まあ、あくまでオレの見解だってことで。無論、水準以上の能力の持ち主だった事は認めているよ。
ただ、秀吉死後の豊臣家の救世主的な人間だったかどうかについては疑問がある、ってだけで。
そういう見方もあるくらいに考えてください。
- 52 :
- 別に秀長を過小にみているということにたいしていってるんじゃなくて
歴史的な事象への見方がおかしいということをいってるんだけど。
- 53 :
- 秀長に関する一次資料が少ないのは当時あまり評価されてなかったからだろ
それ以外に理由が見当たらない
- 54 :
- まぁ当時の一般的な価値観で評価されてなかった事が
現代人から見ると評価できる事は往々にしてあるしな。
- 55 :
- 秀吉の弟ってことでおもしろい話ができないかなーと。
- 56 :
- >>52
事象?秀長を過小評価していると思われるかもしれないが、羽柴〜豊臣初期にかけて
秀吉軍の実質的な中心は蜂須賀小六でしょ。秀吉騎下の最大兵力が、彼が統率していた
蜂須賀衆だったわけで。秀吉がある程度自由に動けたのは、秀長と言うより歴戦の勇者である
小六の押さえの力のほうが大きかったと思うよ。
個人的には、小六こそ過小評価されすぎているようにも思う。
- 57 :
- 小六は太閤記で変な補正受けちゃったせいでまともに評価されなくなった感はあるね
スレ違いだけど
- 58 :
- 蜂須賀小六が秀吉が長浜城主になったときに領したのが2000石いかないぐらいで
中国攻略にいってからは1万石強ぐらいだったかな。
これは秀長はもちろん浅野よりも少なかったんじゃないかな。
それと小六の秀吉配下での功績は軍事よりも政の分野のほうが大きいといわれてるよね。
- 59 :
- >>53
>>秀長に関する一次資料が少ないのは当時あまり評価されてなかったからだろ
>>それ以外に理由が見当たらない
秀長自身が残さなかったからだろう。
補佐役の資料が無いのは保科正之がいるな
柳生宗矩の資料も無いらしい
- 60 :
- 織田政権の当時の配置からしても、
秀長の地位は前田利家や佐々成政と同等なのである
- 61 :
- 残念ながら信長が小六や半兵衛を内政に使うことを許さないよ。
与力にそこまではさせない。
やれるのは秀長のみ
- 62 :
- 近くで見ていた利家が、秀長の事を信長に報告してたかもしれないね。
てか、秀吉と違うのは、秀吉は若い頃から転々と職を変え、時には松下の
部下として働いていて、全くの戦国素人ではなかった。
しかし秀長は農作業一筋。突然武将として力を発揮できたのは他にはいないだろ。
- 63 :
- 信長の秀長評とかってないの?
- 64 :
- 来週のその時でやるってよ
- 65 :
- 来週?
- 66 :
- きたー!来週のNHKのその時歴史は動いたで、秀長特集やるぞ!
- 67 :
- 第263回
シリーズ 秀吉の家族@
もう一人の秀吉
〜豊臣秀長 太閤記 (たいこうき) を演出した弟〜
放送日 平成18年9月13日 (水) 22:00〜22:43 総合
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html
戦国を統一した豊臣秀吉の成功のかげには、家族たちの献身的な働きがあった。その家族の群像を描くシリーズ『秀吉の家族』。
1回目は秀吉の弟・豊臣秀長。身命を賭して兄の天下取りを支えた秀長の生き方に注目する。
4年前、大分県日田市で秀長が着用したといわれる甲冑が発見された。この鎧からは秀長が秀吉と背格好まで同じだったことがわかるという。まさに秀長は秀吉の影武者のごとき存在であった。
さらに信長の一家臣から天下人へと出世していく秀吉の動きを綿密に追うと、その活躍に秀長の存在が不可欠であったことが浮かび上がる。
秀吉の最も忠実な分身に徹した秀長は、秀吉のために命を賭けて敵と交渉し、合戦では危険な最前線に身をさらした。さらに秀長は情けにあふれた行動で、味方だけでなく敵の信頼をもかちとり、秀吉の功績へとつなげていく。その葬儀には20万人の民衆が参列したという。
秀吉の栄光に隠された弟・秀長の献身の生涯を通して“もう一つの”太閤記の真実に迫る。
- 68 :
- sage進行でしない?
- 69 :
- .
- 70 :
- 別所攻めの時淡河定範に大敗してるはず
- 71 :
- >>9で既出だけどスレタイには突っ込みたくなるよな
- 72 :
- 大敗というのは戦場を放棄するぐらいの敗北じゃないと。
この淡河の場合は突出したところを逆撃をくらって後退するも攻城軍全体は崩れたわけではなく
それで淡河定範は自ら城を焼いて三木城に移動しているという流れだから。
- 73 :
- >>72
負けは負け
何で言い訳してるんだ?そんなに秀長の経歴に傷がつくのが嫌なのか?
- 74 :
- >>73
俺も負けだと思ってるよ。
ただ大敗というほどじゃないといってるだけで・・・。
なんか君のほうが必死にみえるんだけど・・・。
- 75 :
- 対局に影響無いから負けにはあたらず
- 76 :
- 戦闘で負けたが戦争には勝った
- 77 :
- よくぞ言うた、作左!
- 78 :
- 負けの定義にもよるよな。
攻城戦で奇襲くらって、一時的に引いたのが負けになるわけ?
それなら城落とせずに引いた武将も負け扱いになり、生涯不敗の武将なんかいなくなる。
- 79 :
- 別に生涯不敗の武将がいなくても何も困らないじゃん
- 80 :
- まあ、コーエーで戦闘力100を与えられた上杉謙信ですら下野のへっぽこ城
落とし損なっているし
- 81 :
- この人も側室とか沢山居たんだろうか。
- 82 :
- あんまり記録には無いらしい
- 83 :
- つーか、秀長のこと自体、ビックリするほど記録がない。とても政権の重要人物だったとは思えないほど。
そのために、秀長については有能だったという説とともに、「秀吉の秘書官程度でしかなかった」って説も同時にあるわけで。
- 84 :
- 資料無いから無能とは、
愚の骨頂
- 85 :
- >>84
資料無いから有能とは、
愚の骨頂
でもあるぞ。
- 86 :
- 有能だった資料はあるじゃん
- 87 :
- 秀長が今評価されてるのも資料からそれが読み取れるからだろ。
別に無から有をひねりだすような真似をしてるわけじゃないの。
- 88 :
- 秀長の部下には、良いのが多い。
藤堂高虎、小堀遠州など
- 89 :
- 藤堂高虎か城造り有名みたいだがどうせ朝鮮人の技術者頼み!性格は奇人変人
- 90 :
- 築城にいるのか?あんなの??
- 91 :
- 幸村のファンになるような人種の今のトレンドが秀長か
島津義弘も流行ってるみたいだけど
- 92 :
- 「地味だが以外に活躍している」
というところに擽られるのでしょうな。
- 93 :
- 太閤記の補填みたいな人だからな
竹中半兵衛の弟子としても、
それぞれの評価をあげるのを文句は無い
- 94 :
- >>89
藤堂高虎の城作りは技術的な面もさることながら
その立地選択に対する戦略眼の確かさが高い評価の源泉。
ただなんとなく要害つくってみました、レベルで築城名人とは呼ばれないよ。
- 95 :
- まあ、城はいくら造りが堅固でも戦略的価値がなければ何の意味もないからな
- 96 :
- >仮に朝鮮で指揮を執ったら、歴史も変わったかもしれんし
生きてたら朝鮮出兵ないだろうそもそも
- 97 :
- 秀長生前から朝鮮出兵の準備してただろ>秀吉
- 98 :
- 朝鮮出兵自体は浪人対策の要素もあるから
今でいうところの失業者対策事業
- 99 :
- 秀長は歴史好きからは十分に高い評価をされてると思うが。
能力や事績の割に知名度はないが。
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