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邪馬台国は九州にあった33


1 :2013/10/03 〜 最終レス :2013/10/22
前スレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1379777817

2 :
>>1

僅差でこっちの方が先か

3 :
>>1
乙、素早いなあ

4 :
前スレより:
>もしかしたら 千餘里+四千餘里=周旋可五千餘里 なのかもしれない。
ダブルブッキングはしなかったであろう。
>対海国と一大国は含まれぬ。既に両国の大きさは方四百里、方三百里と示されている。
そのとおり、ダブルブッキングは避けたと思うね。

5 :
>>1
金印やるよ

6 :
>参問倭地、、、周旋可五千余里
おそらく以下の意味
× 倭種の棲む土地
○ 倭人の住む土地(倭地、すなわち女王共立国+狗奴国)は、周旋五千里ばかり

7 :
前スレ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
996 :大和 田 直木:2013/10/03(木) 19:07:46.04
>>991
一周して巡るなら「周匝」だ。
片道行で巡るなっら「周旋」だ。
以前に議論決着済。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こいつは進歩というものを知らない。漢典ぐらい見て調べろ。
周旋の用例として
5.环绕;盘曲。《列子·汤问》:“其山高下周旋三万里,其顶平处九千里。”《三国志·吴志·诸葛恪传》:“众议咸以 丹阳 地势险阻,
与 吴郡 、 会稽 、 新都 、 鄱阳 四郡邻接,周旋数千里,山谷万重。
とある。环绕とは
◎ 环绕 huánrào
(1) [encircle]∶沿由路程、行进和旅行所形成的圆圈运动
环绕世界一周
(2) [surround]∶在四周构成圆环;构成弯曲或圆形边界
ということだ。

8 :
>>7
これは痛いよ。

>こいつは進歩というものを知らない。漢典ぐらい見て調べろ。
周旋の用例として
5.sッ~ユ;vリ曲。《列子・ld俸》:“其山高下周旋三万里,其 平Y九千里。”《三国志・T4志・串葛恪O 》:“O彊咸以 丹3 地Rソ吠阻,
与 T4郡 、 会稽 、 新都 、 13 四郡製接,周旋数千里,山谷万重。
とある。

★これは「周旋〇〇里」の用例であって、「A周旋“可”〇〇里」の用例じゃない。肝心要の「可」の読みができていない。
★「可」=範囲を把握する
五千餘里という数値によって周旋する地(一番最後の北海道)の範囲を把握した。
ここはそう読むんだよ。

9 :
周旋の用例
5.环绕;盘曲。《三国志·吴志·诸葛恪传》:众议咸以 丹阳 地势险阻、与 吴郡、会稽、新都、鄱阳 四郡邻接,周旋数千里,山谷万重。
盘曲[pánqū]repeat
形容詞
[]くねくね曲がっている。

10 :
……或絶或連“周旋”可五千餘里。
周旋はAとBの仲立ち。
日本列島を一周する折り返し地点の北海道の規模が“可五千餘里”
ここでは、後漢時代までに把握できなかった(津軽海峡まで)新な北海道を追記したもの

11 :
周旋の用例
1.环绕:取り巻く、周りを回る
2.盘曲:くねくね曲がっている
周旋には、一周の意味もあり、またAからBまでくねくね曲がっているの意味もある

12 :
>>8 アホカッパ
>★「可」=範囲を把握する
そんな意味などね〜よ。ヴア〜カ。
おまえは害虫並みだ。

13 :
>>9, <<11
丹阳 地势险阻、与 吴郡、会稽、新都、鄱阳 四郡邻接,周旋数千里,山谷万重
この文は丹陽の地勢と地理的状況を述べたもので、周旋数千里は丹陽の広さを示すものである。
「くねくね曲がっている」のは山の多い地方の道や川など何処でもそうだ。そんなことを書いても無意味だ。
>またAからBまでくねくね曲がっているの意味もある
丹陽の何処から何処までがくねくね曲がっていると書いてあるのだ?

14 :
>>7
倭人伝の「周旋」は、>>9>>11が正しい。
>周旋の用例
>5.环绕;盘曲。《三国志&middot;吴志&middot;诸葛恪传》:众议咸以 丹阳 地势险阻、与 吴郡、会稽、新都、鄱阳 四郡邻接,周旋数千里,山谷万重。
> 盘曲[p&aacute;nqū]repeat
>形容詞
>[]くねくね曲がっている。
>周旋の用例
>1.环绕:取り巻く、周りを回る
>2.盘曲:くねくね曲がっている
>周旋には、一周の意味もあり、またAからBまでくねくね曲がっているの意味もある
「环绕」には一周することの意味は含まれない。
「环绕」は、取り巻く、周りを回るの意味であるが、A点からB点までであって、
A点を出発してA点に戻ってくる意味(用例)はない。
A点からA点の近傍のB点に戻ることは「一周」ではない。
始点がA点で終点もA点の場合は「周匝」である。
なお、三国志が書かれた時代では、熟語「周匝」は未だなかったようだ。

15 :
>>14
悪あがきはよせ。みっともない。

16 :
また結論の無いパズルスレか、
残り少ない時間を無駄に費やすなよw

17 :
>>15
「漢典」を未消化のまま鵜呑みするはもう辞めた方が良いよ。

18 :
>参問倭国、、周旋可五千余里・・・←周旋するのは「倭国」ではない
>参問倭地、、周旋可五千余里・・・←あくまで「倭地」を巡れば五千余里、ここを区別して読むべし。では倭地とはどの範囲か?

19 :
>>18
>>参問倭地、、周旋可五千余里・・・←あくまで「倭地」を巡れば五千余里、ここを区別して読むべし。
>では倭地とはどの範囲か?
倭地は、對海國から狗奴國まで。
帯方郡から狗邪韓國までは韓地。
韓地=帯方郡+方可4000里の韓三種(馬韓辰韓弁韓)居住地域+韓に南接する倭人居住地域

20 :
>>12
まだそんな幼稚なことしてるのか? 情けない。

>>17
禿同

>>18
倭地の範囲は、後漢時代までに把握された津軽海峡に、魏時になってから新に把握した北海道を加えた範囲。

21 :
@7000余里=帯方郡から狗邪韓國までの「循海岸水行」行程
A1000余里=「始度一海」の対馬西水道渡海行程
B4000余里=對海國(対馬)から女王國(不彌國)までの行程
C12000余里=帯方郡から女王國(不彌國)までの行程(@+A+B)
D5000余里=周旋可五千餘里(倭地北端から南端まで)
B4000余里=對海國(対馬)から女王國(不彌國)までの行程
E1000余里=女王國(不彌國)から倭地南端(狗奴國)までの行程(D−B)
不彌國を吉野ヶ里とすると、
その南E1000余里(80km)は、熊本平野(狗奴國)南端緑川北岸となる。

22 :
>>21
結論書き忘れた。
故に、周旋可五千餘里(倭地北端から南端まで)は、
対馬北端(對海國)から熊本平野南端(狗奴國)までとなる。

23 :
>>17
おまえは「倭人伝の「周旋」は、>>9>>11が正しい。」と言った。
「2.盘曲:くねくね曲がっている」を正しいとした。
こんな状態だから漢文を読めないと言われるのだ。おまえは未消化どころか口にも入れてない。
盘曲とは曲折盘绕 のことだ。くねくね曲がっている(蛇行)ではない。円あるいは螺旋状になることだ。

24 :
>>21, >>22
周旋の意味を取り違えているのだからタワゴトにすぎない。

25 :
>>23
>盘曲とは曲折盘绕 のことだ。円あるいは螺旋状になることだ。
円状螺旋状は始点には戻らない。A点からB点への片道進行だ。
だから、一周ではなく、出発点にに戻らないで進んでいることになる。

26 :
「周旋」の(旋)は、部分表現。
“折り返”すなどの動作の変化を表す言葉。だから意味に“あちこち”などの表現が使われる。

…河童のちょっといい漢字…

27 :
>>21
>B4000余里=對海國(対馬)から女王國(不彌國)までの行程
倭人伝によれば、ここは 1000+1000+500+100+100=2700里 じゃないのか、
なぜ4000里になるのか、積算根拠を示してくれい。

28 :
大和 田 直木氏の間違い
盘曲の盘は盤(tray, dish, plate)である。平たく丸い盆や皿である。
盘曲は盤のように曲がっていることを表す。
>「环绕」には一周することの意味は含まれない。
>「环绕」は、取り巻く、周りを回るの意味であるが、A点からB点までであって、
>A点を出発してA点に戻ってくる意味(用例)はない。
◎ 环绕 huánrào
(1) [encircle]∶沿由路程、行进和旅行所形成的圆圈运动
环绕世界一周
(2) [surround]∶在四周构成圆环;构成弯曲或圆形边界
林地环绕着村庄
円圏を形成する、四周に円杯を構成する、湾曲あるいは円形の边界(辺界 boundary)を構成するには
一周することが必要。

29 :
>>25, >>26
二人とも漢文を読めぬアホだ。自己流解釈で理屈をこね回すだけ。

30 :
>>27
>>B4000余里=對海國(対馬)から女王國(不彌國)までの行程
>倭人伝によれば、ここは 1000+1000+500+100+100=2700里 じゃないのか、
>なぜ4000里になるのか、積算根拠を示してくれい。
㋐ 800余里=對海國(対馬)半周の循海岸水行
㋑1000余里=対馬東水道の渡海
㋒ 600里=一大國(壱岐)半周の循海岸水行
㋓1000余里=壱岐水道の渡海
㋔ 500里=末蘆國(松浦川河岸中原遺跡)から伊都國(佐賀市大和町惣座遺跡)までの東南陸行
㋕ 100里=伊都國から不彌國(吉野ヶ里遺跡)までの東行
㋖4000余里=對海國(対馬)から不彌國(吉野ヶ里)までの移動([行]と[渡])㋐+㋑+㋒+㋓+㋔+㋕
追補解説
伊都國から奴國の100里は、「東南至奴國百里」と移動の動詞「行」が無いので行程に含まれない。

31 :
>>28
君は、廻り巡ることを一周にしたいだけである。

32 :
>>29
もうそんなレスは見飽きたよ。
もう少しまともなレスは出来ないのかね。
だいたいそんなレスしか書けない人に古代漢文の何がわかりそれを判断出来るのかね?
と、逆に問いたいよ。

33 :
>>30
>伊都國から奴國の100里は、「東南至奴國百里」と移動の動詞「行」が無いので行程に含まれない。
奴国への100里には動詞の行が無いので行程に含まれないとまおすか。
ならば下記の㋐㋒について糺したい。
倭人伝の原文に当たってみると、それぞれ方可四百余里、方可三百里、とあるのみで、これらにも動詞の行はないではないか。
なのに、なぜこれは行程に含まれるとまおすのじゃ??
㋐ 800余里=對海國(対馬)半周の循海岸水行
㋒ 600里=一大國(壱岐)半周の循海岸水行

34 :
>>32 :河童虫
>>29
>もうそんなレスは見飽きたよ。
>もう少しまともなレスは出来ないのかね。
君が見飽きるほど多くの人が感じていることだ。
周旋可五千餘里の可を「「可」=範囲を把握する 」と解釈する漢人はいないぞ。
可はapprove (良しとする)、may, can, -able; possiblyなどの意味があるが、上記文の可は
possiblyの意味で使われているのだ。
また周旋を「周旋する、巡り廻る」と動詞に解釈するのも誤りだ。周囲を意味する名詞的用法だ。

35 :
>>31:大和 田 直木
馬鹿につける薬は無い。勝手読みで満足していろ。

36 :
>>34
>possibly
歴史にpossiblyはないよ。
副詞として用いたいのだろうが、これは魏の歴史書だよ。
そんな曖昧な歴史なんて存在しない。

読み方が甘過ぎるよ

37 :
【可】
可=口と「 を組合せた典型的な記号文字。
口=範囲(規模や面積)
「=把握
方形面積は、二辺を知る事で把握する。

範囲を把握する=物事を把握(知る・確認)



…河童のちょっといい漢字…

38 :
>>33
Ⓐ「始度一海千餘里、至對海國」
Ⓑ「又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國」
Ⓒ「又渡一海千餘里、至末盧國」
上記はいずれも海を千餘里渡ったのである。
海の部分の距離が千餘里でその大きさの海を渡ったのである。
二国間の距離が千餘里であると書いていないのである。
A国とB国の二国間の距離を表す場合は、
「A渡海至B千餘里」となる。
例:「東南至奴國百里」「東行至不彌國百里」
ⒶⒷⒸには、對海國と一大國を占める部分の距離が含まれていないのである。
倭人在帶方東南大海之中が占める部分の大きさは、それぞれ「方可四百餘里」と「方可三百里」記載されている。
「倭人在帶方東南大海之中」であるから、狗邪韓國から末蘆國に進む方向は全体として東南方向である。
3回の渡海はいずれも南方向であるから、對海國と一大國が占める部分で東方向に進まなければならない。
魏使や郡使は船で航行しているから、對海國と一大國の外周海岸を水行(循海岸水行)することになる。
通過する外周海岸は、それぞれの島の外周の半分である「800余里」と「600里」である。
對海國の北西端から末盧國までの距離を積算する場合には、渡海距離合計2000余里と外周通過部分合計1400余里の3400里となる。

39 :
>>33
>A国とB国の二国間の距離を表す場合は、
> 「A渡海至B千餘里」となる。
> 例:「東南至奴國百里」「東行至不彌國百里」
例の追加
「循海岸水行・・・到其北岸狗邪韓國七千餘里」

40 :
>>36 アホガッパ
周旋可五千餘里
可は大約という意味だ。およそ五千餘里。五千餘里ほどになるだろうという推定の気持ちも入った可だ。
>>37 腐れガッパ
そんなものはここでは関係ない。

41 :
>>36:河童虫
>歴史にpossiblyはないよ。
>副詞として用いたいのだろうが、これは魏の歴史書だよ。
>そんな曖昧な歴史なんて存在しない。
周旋可五千餘里 は魏使が辿った末盧国から邪馬台国までの実見情報と倭人(邪馬台国の役人など)
から聴取した情報とから推定したものである。五千餘里は推定であるから「およそ」の意味で
可五千餘里としたのである。大約の数字を書く事が曖昧な歴史になるか?数百人や数百里などと
いう表現が中国の史書には多く見られるが、可五千餘里も似たようなものだろ。違うか?

42 :
東征も東遷もあり得ない。
これは考古学的に否定された。
可能性はまず無い。
つまり、記紀は神武東征という捏造をやったことが明らかになってしまった。
容易に分かることだが、記紀がなぜ神武東征という捏造をやったかに近畿説で
答えることは、事実上不可能。
近畿説は、すでに頓死している。
近畿説に可能性は無い。

43 :
>>33
例の追加
A国からB国へ行程の距離を表す場合は、
「A渡海千餘里至B」となる。
「東南陸行五百里、到伊都國」
末蘆國と伊都國間の距離が500里なのではなく、
末蘆國から伊都國への行程距離が500里の意味。
末蘆國の出口から伊都國の入口までの距離が500里。

44 :
>>41
>周旋可五千餘里 は魏使が辿った末盧国から邪馬台国までの実見情報と倭人(邪馬台国の役人など)
から聴取した情報とから推定したものである。五千餘里は推定であるから「およそ」の意味で

それは貴殿の推察で、魏の歴史じゃないよ
だいいち、確認の取れていない情報をとりあげ、それを魏の歴史だなんてする必要性なんてどこにもないし
聴取の事実なんて何処にも書いていない。

今から稽古があるのでレスは途切れます。

45 :
東征も東遷もあり得ない。
これらはすでに考古学的に否定されてしまっており、覆る可能性は
ほぼ無い。
つまり言い換えると、記紀は神武東征という捏造をやったことが
明らかになってしまったと言うことだ。
そして容易に分かることだが、記紀がなぜ東征という捏造をわざわざ
やったかと言う疑問に、近畿説で答えることは事実上不可能だ。
無論、不自然な理屈ならなんとでもつけられる。しかし、多くが
納得する自然な説明は絶望的だ。
△=卑弥呼の鏡、箸墓=卑弥呼の墓、どちらもネタだった。
纒向も調査がすでに十分入っており、魏志倭人伝の記述と全く合わ
ないことが確認されている。
つまり、近畿説は現時点ですでに頓死している。
纒向は恐らくはニギハヤヒの祖先が作った都市であり、神武が九州を
捨てて憧れて向かった都市なのだから、壮麗な都市であるのは当た
り前でなのであって、そんなことは邪馬台国であることの証拠に
などなりはしない。
近畿説に可能性はほぼ無い。
近畿説はもう既に死んでいる。

46 :
君たち、米軍の許可を得て、沖縄の基地内を徹底的に掘り起こす部すべし!

47 :
>>44 :河童虫
>だいいち、確認の取れていない情報をとりあげ、それを魏の歴史だなんてする必要性なんてどこにもないし
倭の地理情報が魏の歴史であるわけないだろ。どんな構造になっているんだ君の頭は?

48 :
>>44 :河童虫
>だいいち、確認の取れていない情報をとりあげ、それを魏の歴史だなんてする必要性なんてどこにもないし
>聴取の事実なんて何処にも書いていない。
河童虫は常識を知らないようだ。使節などの外交官の重要な役目として情報収集がある。特に乱世の時代にあった
魏では(蜀でも呉でも同様だが)情報の重要性は高かった。
倭については、卑弥呼が派遣した難升米らからの聴取である程度の情報を得て卑弥呼を親魏倭王とすることに決めた
が、梯儁らに詔書を持たせて卑弥呼のもとへ赴かせた折に倭の国情を調べて来るという任務も持たせたと見るのが当
然である。
梯儁らは倭人伝に記された行程上の国々を経て卑弥呼の都がある邪馬台国に至っている。この行程上の国々と邪馬台
国については実見して情報を得たが、その他の国々には行っていない。親魏倭王に任じたからには女王支配下の全て
の国の情報が望まれるので、実見していない国々については倭人から聴取した筈である。女王が支配している国々で
あるから邪馬台国の役人は各国の位置や距離(里数ではないだろうが)を把握している筈である。情報を得ることは
出来たと思える。
倭人伝に聴取の事実は書かれていないから聴取していないなどとは「論語読みの論語知らず」の言い分である。
故事や常識など記述を省略されていることは多い。それらを知らずに「書かれていない」では読めていないのである。

そうして得た女王支配下の
国々の総体としての大きさを示すものとして周旋可五千餘里としたのである。ただし、對海国と一大国については既


49 :
「難升米」とはもとのが
「那司馬」と書いて
「なしま」と読む
「那」とは「那珂川」の「那」なり
「奴」表記するのも良し。
「那司馬」と書いちゃ「司馬懿」さんのが迷惑
「邪馬懿」と書いても「司馬懿」さんのが迷惑

50 :
正解の無い世界だから気持ちよ〜く自説を披露出来る
おそらく自説が間違っていたと証明される日は永遠に訪れないからな

51 :
>>48
別に貴殿の私的な講釈が聞きたいわけじゃないよ
しかも、相手を非常識とし自分はさも常識人であるが如く組み立てる
その手法、相変わらずのワンパターン。
まだそんなことしているの?   いい加減パターンかえたら。

>倭人から聴取した筈である
「筈である」なんて、やめてよ恥ずかしいから。
私がお休みしている間ぜんぜん進歩してないじゃん。

52 :
>>48
極めてまとな意見だ。
國皆倭種、侏儒國、裸國、K齒國からも聴取したことが判るが
參問からも聴取したことが判る。
「見聞きすれば、見聞きしたところによれば」と言う意味だろう。
>梯儁らは倭人伝に記された行程上の国々を経て卑弥呼の都がある邪馬台国に至っている。
この行程上の国々と邪馬台国については実見して情報を得たが、
その他の国々には行っていない。
全くその通りだ。
しかし
それだけ判っているのなら邪馬台国の場所も判るはずだが。
水行二十日水行十日陸行一月は場所を比定するのには無関係だ。
不弥国の次にあるのが投馬國で
投馬國の次にあるのが邪馬台国なのだから。

53 :
>51
>別に貴殿の私的な講釈が聞きたいわけじゃないよ
河童の私的な講釈を聞きたい者は皆無だろう。

54 :
妄想垂れ流しスレ

55 :
河童 vs 自演

56 :
>不弥国の次にあるのが投馬國で投馬國の次にあるのが邪馬台国
放射式で書かれているのだから、そんなことは言えないな。

57 :
>>53
私の読者は君だけだよ。
私は君だけの為に書いてるのさ。

58 :
>>57
おお河童さんではないですか
お久しぶりです

59 :
>>55
げすのかんぐり

60 :
初心者です。
邪馬台国≠天皇制度でいいでしょうか?
畿内説でいくと邪馬台国=天皇制????
もしくは、畿内の邪馬台国を滅ぼした異国人が天皇????
よくわかりません・・・・・・・・
さすれば、邪馬台国は畿内以外では無いでしょうか?

61 :
>>52 白髪三千里の中国です。
   水行二十日水行十日陸行一月・・・・・は鵜呑みにすべきではないと思います

62 :
>>60>>61
「私見ですが」が抜けてるよ

63 :
河童虫 = ローガン虫 = 出かけてきます虫 = 自作自演虫

64 :
>>61
それは母をたずねて三千里です。

イタリアから南米アルゼンチンへ、出稼ぎに行った母親に会いに
少年マルコとアメディオが

65 :
>>61
白髪三千丈 里じゃなくて丈なw
>>60
畿内説は邪馬台国=大和朝廷のほぼ一種類
九州説は福岡から鹿児島まで多様でしかも東遷説と滅亡説が有る
ただし博多東遷説はフルボッコ状態

66 :
倭人伝はまちがっていると言うのは、自分の思い込みでかってなところに邪馬台国を比定する
話へとつながっていく。倭人伝には何の間違いもないと考えて読んでみな。すっきりと比定で
きる。

67 :
<文系脳>
・三千丈+三千里+三千日 = 9000日
・万二千里+20日+10日+1月 = 1万2千60日
文系脳は単位に無頓着。ま、理数ができたら文系にはいかなかったんだろうな。

68 :
畿内説は邪馬台国がヤマト王権になったとする考えがほとんどだが
現天皇家の起源についてはまちまちだろう
おそらく継体以降と考える人が多いのではないか

69 :
邪馬台国は太伯伝説、大和朝廷は天孫降臨伝説、邪馬台国=大和朝廷ではないってことだね。

70 :
河童が復帰したとなると、アンチも含めてまた賑やかになるな。

71 :
>>51
君の「奇を衒った漢字解釈」の間違いを倭人伝によって正しているのだ。君だけでなく君の妄説に惑わされる閲覧者へ
宛てたレスなのだ。おとなしく聞け。
自女王國以北,其戸數道里可得略載,其餘旁國遠絶,不可得詳 についてふざけたことを言っていたな。
これは「女王国以北(の国)については(実見して)その戸数や道里を得て略載できるが、その他の旁國は遠く離れて
いるので詳しいことを得ることができない」ということだ。
「其餘旁國遠絶,不可得詳」は言い訳なのである。魏使梯儁らは親魏倭王たる女王卑弥呼の支配領域についてできるだ
け詳しい国情情報を収集するという任務を課せられていた。或はその任務を自覚していた。
この記事から行程関連の記事は初めて来倭した魏使梯儁らの記録によるものであると考えることが出来る。

72 :
>>61
邪馬台国があったのは山門郡。
大和朝廷の出身地は九州北岸。
(※宮崎、大分、四国も関係している)
だから
神功皇后は九州北岸で出産したり、兵を集めたりしている。
この勢力が筑紫平野の邪馬台国の勢力と倭国大乱で戦った。
四世紀以降、この勢力は
九州北岸勢力、大和朝廷に従っていなかった九州各地を支配下に収めていく。
四世紀、山門郡の邪馬台国も田油津姫の時に神功皇后に滅ぼされた。
これにより
九州北岸勢力は本拠地を筑紫平野へ移し、
外国との対外交渉権は九州北岸勢力のものとなる。
倭の五王が活躍したりした。
しかし
磐井の乱を境に大和朝廷が次第に主導権を得ていく。
磐井の乱は同じ勢力内での権力争いだ。
大和朝廷とすれば
自分たちが邪馬台国を滅ぼしたことと
最初は九州北岸勢力が主導権を握っていた事は
なんとしても秘密にしておかねばならない。
全て本当の事だ。

73 :
この前吉野ヶ里に行ってきたよ

74 :
不弥国だ。

75 :
>>71
>この記事から行程関連の記事は初めて来倭した魏使梯儁らの記録によるものであると考えることが出来る。

何を考えようが何を言おうが、貴殿の自由だから
大いに考え語り(騙りwww)たまえ。

>梯儁らの記録
皇帝が自らの手足を使い得た情報で、梯儁なんて関係ない。そんなことも理解できないようじゃ、何時まで経っても「マンガ魏志倭人伝物語」のまま
史書として扱うのは百年早い。

76 :
>>75
ほう、
梯儁の件はともかく、記事とその解釈自体は認めると言うわけか、そりゃ有り難い

77 :
何度言ったら理解できるのかな〜
「遠絶」の“遠”は時間的概念で
「今」と 対関係。

つまり「今、昔(遠)」

78 :
遠の朝廷、太宰府

79 :
>>76
認めるも認めないも、それ自体を取り上げること自体がムダという意味。
ここで認めないと言っても、ただ不毛なレスが続くだけだし
敢えて触れない優しさかな。

80 :
近距離の「遠」という事例をあげないと、説得力はないな。

81 :
>>80
近距離の遠とわかってしまっては、
「可得詳だろ、すぐ書き直せ」といわれて従うしかない、あるいは調査のやり直しになりかねない

82 :
79=80=81=カッパ

83 :
>>75
>皇帝が自らの手足を使い得た情報で、梯儁なんて関係ない。そんなことも理解できないようじゃ、
皇帝が自らの手足を使い得た情報とはどうして判るの?
梯儁はどうして関係ないの?

84 :
>>82
およよ
>76、>81はカッパではない、オレだ。 ま、どちらかといえばカッパの天敵。

85 :
>>83
皇帝は禅譲によって受け継がれるもの。
皇帝以外は皇帝の道具にしか過ぎないから、皇帝が全てのものを得、分け与えている。

>>82
見えない敵と戦ってるようだけど、疲れないかい?
無理しないで身体を労りなさい。

86 :
プラムよ、近距離の地を「遠」と表記した例を、他の漢籍でいいから挙げろよ。

87 :
>>75 :河童虫
>>71
>>梯儁らの記録
>皇帝が自らの手足を使い得た情報で、梯儁なんて関係ない。そんなことも理解できないようじゃ、何時まで経っても「マンガ魏志倭人伝物語」のまま
アホか。皇帝が自らの手足を使い得た情報だと?ヴア〜カ。
梯儁らは皇帝(と言っても齊王であった芳で元服前の少年)の臣下であるから手足の一部であったと言えるが実際には大將軍の曹爽と太尉の司馬懿が政務
を司っていたから、帯方郡大守や梯儁らには公孫氏を滅ぼした司馬懿の息がかかっていたであろう。
ともあれ、倭の女王卑弥呼のもとを最初に訪れたの魏の使者は梯儁らであるから、彼らが倭の国情に関する情報の収集に努めたと考えられるのだ。それ以
外に魏から派遣された使者は張政等しかいない。張政等の齎した情報は正始八年以降の事件だけであろう。狗奴国との争い、卑弥呼の死、男王が立った際
の混乱、壹與の擁立と懸案に追われて各国を廻り調査する暇はなかったであろう。或は梯儁らの報告で十分とされ調査の任務は負わされていなかったとも
考えられる。

88 :
>>87
考えなくていいよ。
考えるとロクな事ないから。

考えた結果が「バーカ」じゃ、よっぽどお山の大将を気取りたいんだろうから、もう少し酔いをさましてから出直しなよ。
時間が許せる範囲で書き込むから。

89 :
>>86
だから、見えない敵と戦うのは止せっていってるだろう。

プラムなんて滅多に拝めないよ。

90 :
見えないはずなのに、本人が反応してるなw

91 :
75以降スレチ。終止符スレへ行きなはれ。

92 :
なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s

みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
http://blog.with2.net/vote/?m=va&id=103374&bm=
2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html

生放送の配信者がFME切り忘れプライベートを晒す羽目に 放送後に取った行動とは?
http://getnews.jp/archives/227112
FME切り忘れた生主が放送終了後、驚愕の行動
http://niconama.doorblog.jp/archives/9369466.html
台湾誌
http://www.ettoday.net/news/20120625/64810.htm

93 :
>至末盧国、、到伊都国、、至奴国、、至不弥国、、至投馬国、、至邪馬壹国女王之所都。
>自女王國以北其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶不可得詳。
うえに書いた国々のほかは、(遠絶にして)見渡しても目に入らなかった、というような感じの書き方。
つまり、女王国までの道筋の国々だけ取り上げて書いた印象だ。
そう解釈すると、あとの話は簡単になり、迷いは消える。

94 :
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶不可得詳
次有 斯馬國
次有 已百支國
次有 伊邪國
次有 都支國 (郡支國)
次有 彌奴國
次有 好古都國
次有 不呼國
次有 姐奴國
次有 對蘇國
次有 蘇奴國
次有 呼邑國
次有 華奴蘇奴國
次有 鬼國
次有 爲吾國
次有 鬼奴國
次有 邪馬國
次有 躬臣國
次有 巴利國
次有 支惟國
次有 烏奴國
次有 奴國
此女王境界所盡
「戸數道里」の詳細は書けないといって國國の名称を列挙
これは、現地には行っていない
しかしながら、「今使譯所通三十國」ということは、
わざわざ行かなくても酋長さんとか出張ってきてミーティングするんだ

95 :
85 :知ったかぶりの河童虫
>皇帝は禅譲によって受け継がれるもの。
そうとは限らない。漢帝国を興した劉邦は秦の皇帝から帝位を禅譲されたものではない。宋にしても元にしても
そうだ。奪い取ったものである。
>皇帝以外は皇帝の道具にしか過ぎないから、皇帝が全てのものを得、分け与えている。
それは建前のことだ。力のある皇帝でなければそのようなことは出来ない。
多くは有力な家臣の操り人形だ。

96 :
>「今使譯所通三十國」ということは、
>わざわざ行かなくても酋長さんとか出張ってきてミーティングするんだ
たぶんミーテイング会場はここだったんだろな → 到伊都国、郡使往来常所駐

97 :
>漢時有朝見者、旧百余国、今使訳所通三十国。
漢時以来、百年二百年の付き合いをしてきたわけだ。お互いけっこう事情は分かっていたであろう。
(漢から禅譲された魏朝の)使いの一度目は伊都国どまりで、二度目はやっと卑弥呼の所・・・
なんて、そんな及び腰であるはずもない。

98 :
確かに長いつきあいだが、中国側から使者が来たのは初めてだろうな。使者はもちろん
卑弥呼に会っている。伊都国どまりなんて中途半端なことはしない。

99 :
>>95
>奪い取ったものである。
それが譲り受けたものでも、奪い取ったものであっても、禅譲にかわりはない。その形や内容なんてどうでもいいんだよ。

大人なんだから駄々をこねないの
それともなにかい!
記録には奪い取ったから認めないとでも?

>操り人形
だから考えなくてもいいって言っただろ
ロクなこと考えないんだから。

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