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2013年01月心と宗教54: 仏教議論スレッド54 (655) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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仏教議論スレッド54


1 :2013/01/12 〜 最終レス :2013/01/16
仏教の総合的な議論スレッドです。
仏教に関すること全て扱います。
仏教 質問箱スレッドで議論になったら、
または、議論に発展すると感じたら、
或いは、話題・論点を拡げたい時は、
ここに誘導し、質問箱の機能の確保に御協力ください。
前スレ
仏教議論スレッド53
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ログ保管庫
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Wikipedia ― Category:仏教
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99
論文検索
ttp://ci.nii.ac.jp/
ttp://www.jstage.jst.go.jp/AF13S010Init/-char/ja/
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パーリ三蔵
ttp://www.tipitaka.org/cell/mainlist.html
ttp://www.tipitaka.org/romn/
大正蔵経検索
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php

2 :
1さん素敵〜!

3 :
>>998
>足許の蟻を見ながら「不去不来」を連続奏上する生命は妄想患者でしょうか。
皆が知っている「去る者は去らず」ですが、よく考えますと「去る者は去らずか去るかは分からない」でしょう。
よってもし有部が「去る者は去らず」と主張すれば、龍樹は背理法で別のことを説いていたかと推察します。

4 :
>>3
去りはしません。心に残っている限り。
心に残っていなければ実質去ります。
しかし、当の本人は去ると自覚できないでしょう。
記憶に残ってないのであろうから。
つまり当の本人にとって去るはどこにもありません。

5 :
>>932 のパーピマン氏の解釈、いいね。
>その『言語による把握、論理、思考、表現の否定』であるから、・・・・・すなわち
>「戯論寂滅」であるので、しばしばその記述において論理矛盾のように思われる
>表記が散見される。それは論証の失敗というものではなく、
>寧ろ、そのような論理的整合性の破棄を示すことで、西洋的論理思考
>による不可能性、言語による把握の忌避などを訴えようとしたと思っていたのだがねw
>つまり、「空」の論理的実証を試みたのではなく、正反対に「言語による見解等による
>規定の不可能性の提示」だったのでは?

合ってると思うよ。それも、有部の言葉を借りてそれを行っているというのが、釈迦っぽいんだよなぁ。
(ご隠居さんのレスはお断りします。)
>>933
>そういう見地から中論を見るなら、
>中論で説かれる相衣性は「空」ではなく「色の本質」を示してることにならないかな
「空」は釈迦の「諸法無我」に近いと思う。つまり、「法」の本質が空、空っぽだということ。

6 :
前スレ
>>995
>誰も生命と量子の実在証明なぞには捉われていない。
敗北宣言 乙!
実在は執着の原因となるものだ。
ブッダの本懐から鑑みればありえない設定である。
ゆえに、涅槃とは一切不可得かつ戯論消滅のめでたい境地であるがゆえに、
ブッダは、いかなる教え(仏教)も、どこにおいても、誰のためにも説かれなかったのである。
                           (中論25-24)

仏教なるものは妄想である。
                       

7 :
>>6
じゃあ君が敗北宣言せーよw証明できないんだろ?w
捉われないものは勝利も敗北もないのである。

8 :
>>996
>>「煩悩即菩提」「生死即涅槃」
>それを世俗諦という。
>勝義ではない。
いや・・・さすがに、それらは勝義諦と解釈するのが妥当だろう。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/30.html を参照してね。
「無明や菩提というのは仮設された法であって、空性という法性では平等であるということです。」
つまり、世俗的に使われる「煩悩」や「菩提」と言った言葉を借(仮)りて、
煩悩と菩提の不二平等という勝義諦へ導く。
一切の見解を離れた仏からすれば、煩悩も菩提も区別ないからね。
煩悩に煩悩の自性を、菩提に菩提の自性を見出そうとする衆生に合わせて、仮に2つを分けて説く。

9 :
>>6
>ブッダは、いかなる教え(仏教)も、どこにおいても、誰のためにも説かれなかったのである。(中論25-24)
仏陀は五十年ほど各地を回って、衆生に四諦と八正道を説かれた、という話の否定でしょうか。
まあ、龍樹の「主張はしていない」というのは分かるような気もします。

10 :
いやー今日も遊んだ遊んだ
これ以上遊ぶと楽しくなくなる疲れるだけ
皆様には感謝!

11 :
>>3
>「去る者は去らず」
前スレ>>940参照。
ゼノンのパラドックス参照。
言語の論理関係性(二重性の否定)のみで、言語自体を否定することはできない。
言語論理による戯論寂滅は不可能である。

12 :
>>996
><世俗>         <勝義示唆>
>即煩悩即菩提       非煩悩非菩提
>即生死即涅槃       非生死非涅槃
生死即涅槃が世俗って、どんなハイレベルな世俗の話だよ・・・w
世俗的には生死と涅槃は別だとされるだろう、少なくとも龍樹の言い方から察するに、有部は別って考えてたでしょ。
「大智度論」にも、こうあるよ。
「声聞・辟支仏の法中には世間即涅槃と説かず。何を以ての故に。智慧深く
諸法に入らざるが故なり。菩薩の法中に世間即涅槃と説く。智慧深く諸法に入るが故なり」
非生死非涅槃と言い方は、勝義諦の1つの示し方という点では同意。
ただ、不二平等という点では、あんまり生死即涅槃と意味が変わらない気がするよ・・・うん。

13 :
>>3
>皆が知っている「去る者は去らず」ですが、よく考えますと「去る者は去らずか去るかは分からない」でしょう。
その通り!「去る者」という言葉に「去る作用」を認めると、言語活動が成り立たないということだね。
去ったり去らなかったり、移り変わり行くそれは、「去る者」と仮設するしかないってことだね。
有部などは「去る者」という言葉の中に意味や存在を求めるが、
仏教的には、変わりゆくものを見てから、言葉を仮設するという順番をとる、と自分は解釈しています。

14 :
>>11
>言語の論理関係性(二重性の否定)のみで、言語自体を否定することはできない。
有部「馬から落馬した」
龍樹「馬から落馬はせず」
凡夫「そうか、落馬はしないのか」
龍樹支持者「偉大な龍樹は落馬はないことを論証した」
有部「馬から落馬せず」
龍樹「馬から落馬せずに非ず」
凡夫「そうか、落馬はするのか」
龍樹支持者「偉大な龍樹は落馬することを論証した」
確かに貴兄のおっしゃる通りで、八不では時間と運動のないことは論証していないことになりますね。
まあ、龍樹本人が「主張はしていない」そうですので。

15 :
>>12
>生死即涅槃が世俗って、どんなハイレベルな世俗の話だよ・・・w
無分別の分別。
分別(広義の色)→無分別(空)→無分別の分別(還滅色)
それが出世間のまなざしで、世間の只中で暮らす、ということ。

16 :
 
>>9 前世は一在家さんへ
>> ブッダは、いかなる教え(仏教)も、どこにおいても、誰のためにも説かれなかったのである(中論25-24)
> 仏陀は五十年ほど各地を回って、衆生に四諦と八正道を説かれた、という話の否定でしょうか
釈迦は
“私はすでに内外の区別もなく、ことごとく法を説いた
如来の教法には、あるものを弟子に隠すということはない
教師の握りしめた秘密の奥義(師拳)はない”
と説き、すべての教えはすでに弟子たちに語られたことを示した
“身体について…感覚について…心について…諸法について…
(それらを)観察し、熱心に、明確に理解し、よく気をつけていて、世界における欲と憂いを捨て去るべきである”
“みずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として … ”
として、いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように説いた
これが「自灯明・法灯明」の教えである

17 :
>>9
>仏陀は五十年ほど各地を回って、衆生に四諦と八正道を説かれた、
>という話の否定でしょうか。
残念ながら、その通りだな。「自分(竜樹)のような教えは説かなかった」
という意味だろう。「全否定」だ。
なお、「去る者は去らず」は、「去る者」自身についての話。去っていない
他の者からみれば、去る者は去っている。当たり前の話。中論は、愚かな
ことは言わない。
さらに、中論は「無」の概念を否定している(関係性)のだから、
「無我」も「無明」も「無常」も否定される。

18 :
>>9
>>ブッダは、いかなる教え(仏教)も、どこにおいても、誰のためにも説かれなかったのである。(中論25-24)
>仏陀は五十年ほど各地を回って、衆生に四諦と八正道を説かれた、という話の否定でしょうか。
>まあ、龍樹の「主張はしていない」というのは分かるような気もします。
「仏陀に対する問いがあるとき、仏陀による答えがある」
っていう、縁起の理法に含まれてるってことじゃない?
「誰それが〜する」っていう、特定の主体を認めるような文、見方を離れるのが縁起の特徴だと思う。

19 :
同じく去っている電車から、併走している去っている電車を見れば、その電車
は動いてはいない。まさに「相対性原理」。

20 :
>>16
>“みずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として … ”
>として、いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように説いた
>これが「自灯明・法灯明」の教えである
其時弟子達は四方から寄って来て、「どうか聖人よ聖人よ、今おかくれになってしまっては光明を失ってしまって頼る処がないのです」と申し上げた。
その時お釈迦様はじゅんじゅんと言われるには「仏のみのりは智慧から生れたもので、肉や体の如く母親から生れたものではない。
遂に仏の道は遂げ終って、もう云い残す事なし、心の鏡はわしの、のりじゃ、お前等の心にちゃんと燈台が出来ている。
自分の心の帰依性を求めるじゃない、それであるからこの娑婆は苦しみの世じゃ。
けれどもわしは今なくなると、家を見ても新しい内は立派じゃが段々と腐朽してくるが大地は永久じゃ、体は家じゃ、心は大地じゃ、
わしは去ろうとも心のみのりはわしの言葉と思って………。自分の心の帰依性を求めてはならん。」
遂にあさましい人間達に終を告げられて幸に沙羅双樹の下に入滅せられて何千年。
(「浄土への道標」昭和7年 第4回)

21 :
 
>>20 前世は一在家さんへ
> … 自分の心の帰依性を求めてはならん
「 自帰依自灯明、法帰依法灯明 」 という場合の 「 帰依 」 は
「 この世で自らを島(洲)とし自らを拠り所にして … 法を島(洲)とし法を拠り所として … 」
という意味である

22 :
>>8
無理無理、遊びは単なる断見だから
『勝義空性経(=第一義空経)』は「業報有るも而かも作者無し」って説いてるのに〈「業報輪廻転生論」はない〉って、それを根拠にこじつける人だから
根拠はざっとは以下、漢文と書き下し
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
正確には以下〈「入中論評釈」引用文献の原文〉73.『勝義空性経』の梵蔵漢
http://kishin-syobo.com/index.php?%E8%B3%87%E6%96%99%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF

23 :
>>14
>確かに貴兄のおっしゃる通りで、八不では時間と運動のないことは論証していないことになりますね。
>まあ、龍樹本人が「主張はしていない」そうですので。
そう、前スレに引用した『中論』27-30
> 慈悲を持って、一切の見解を断ずるために聖なる法を教え示されたゴータマを拝する。
そして『中論』13-8
> 空性は一切の見解からの出離のために勝者たちは説かれた。
> 空性を見解とするものたち、彼らは救われないものと述べた。
と説かれる通り、空性を思想、見解ととって『中論』を論証とするなら、
それは「空性を見解とするものたち」で「彼らは救われないもの」に他ならないでしょう。
それは遊びのように断見で解釈しようが、生命教のように素朴実在論で解釈しようが、現象と実在説で解釈しようが、何らかの見解、思想を述べてると採るなら同じことです。

24 :
>>16
だから、それは前段を抜いて読んでも意味が通らない
次の梵が『中論』25-24はこんなかんじ
> 一切の知覚が鎮まった、めでたい戯論寂滅。
> [それについて]ブッダによって何処でも誰にもどんな法も説かれなかった。
だから、勝義の戯論寂滅、涅槃については何も説けない境地だということ。
ただし、ウダーナや、ウダーナ・ヴァルガでは譬喩表現はされてるが、
それは法ではない。
言い換えると、勝義、戯論寂滅、涅槃という記号で示されるものは、
アートマンや神といった実在ではないということも言えるでしょう。
そんなの龍樹菩薩にしろ、その弟子筋の中観派の諸師にしろ、
釈尊が四諦などの法輪を転じられたことを認めない方は誰もいない。
そもそも『中論』自体が、最初から最後までアーガマ・ニカーヤに依ってるし。

25 :
>>17
中論で言うところの「去る者」は、「去る」という自性を内包した「者」のことで、
今の日本語で言う去る者として解釈したらおかしくなると思うけど。

26 :
>>22
ああ、前スレの>>983を見て理解しました。
ところで、その第一義空経の「業報有るも而かも作者無し」
って、>>18の話と関連する?

27 :
>>26
関係はするけど、アナタは誤解してるから
一旦、自分の見解を捨てないと理解できないでしょう

28 :
ええ!?どこが。見解でも何でも捨てますよ。

29 :
>>28
失礼しました。遊びと間違えました。
すいません。

30 :
>>29
...とるに足らないものとはいえ、自分の努力が水の泡になったかと思いましたよ!
「また、また、壊して一から理解しなおすのかよ・・・何回、俺の"分かった"は破壊されるんだよぉぉぉ」
とはいえ、自分も偉そうなことを言いながらも、
実はぜんぜん自信が無かったりするので、ツッコミ大歓迎です。

31 :
>>30
>「また、また、壊して一から理解しなおすのかよ・・・何回、俺の"分かった"は破壊されるんだよぉぉぉ」
それが色であり空であるらしいから諦めてw

32 :
いえいえ、少なくとも私よりは功徳高いと思いますよ
分かってないのに偉そうな人ばっかりな中で輝きます

33 :
>>32
>分かってないのに偉そうな人ばっかりな中で輝きます
君はそれが分ってるという訳?w

34 :
>>31
>それが色であり空であるらしいから諦めてw
うむ、まさに、「わかった!」っていう理解も滅びゆく性質なんだね・・・。
いや、実際、わかったと思うとそれに固執して中々、空ずることができないのだけどw
特に、断言した考えとか長い間持った考えって撤回が難しいんだよね。手放したくなくなる。
ところで、その「あきらめる」って、諦って字で表すのが意味深だね。satya的な意味もあるんだろうか。
>>32
うお〜よっしゃ〜!
なにか、迷宮を1人で不安に苛まれながら歩いていたので、救われました。
いつも、御高論ありがとうございます。

35 :
中論を分っている人って、誰もいないのではないの?注釈書を見ても
それぞればらばら。「定説」などない。
いかにして自分自身で、現代にも通用する合理的な解釈が出来るか否か、
である。

36 :
>>35
だからw
それって、もとの意味はどうでもいいってことだし、
原典なくてもいいよね。元ネタ無しのオリジナルでいいじゃん。
なぜ、君達の素晴らしき独創的考察に、元ネタが必要なんだい?

37 :
>>34
軽薄な匂いがするな
>>35
ベン図を使わないと、中論は理解できないだろう

38 :
 
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama25.pdf
反論者は、こう言うであろう
空性論者は、すべての存在が空であると言うが
もし、すべてのものが空であるなら
何も生じることがなく
過ぎ去って行く事物も存在しないであろう
何も存在するものがないのであれば
自己も存在しないし
迷妄も固執も存在しないわけであるから
いったい誰が何を捨て去ることができるというのだろうか?
人間が我欲を放棄することによって
あるいは、やめることによって
どうして涅槃が生じるなどと言えるだろうか?と
(中論25-1の意訳)

39 :
>>36
そこだ。テキストがどうでもいいって人は、仏教に拘る必要ないよね〜
つまり、ここで話す意味がないと思うんだけど
まあ、逆縁も何世かの内に良縁になるんでしょうけど

40 :
>>38
その通りだと思うな。龍樹は詭弁を弄しているだけ。

41 :
>>39
テキストって、具体的に何?
 
それを示さなくては話にならないだろ。

42 :
>>39
その論法だと、解脱目指さないって人は仏教に拘る必要ないよね〜
で、熱心者以外排除でよろしいかという話になるが。

43 :
>>42
そう?
ここでいうテキストは、「師匠や先輩による継承及び助言」のことだから、
道路標識、道標みたいなもん。
或る一つのルートが、釈尊以来提示されていて、その標識があるわけだけど、
その標識を無視していいってなら、他のルートでいいでしょ、ってこと。

44 :
<有業報而無作者。此陰滅已。異陰相續>
#業(おこない)と報(むくい・異熟)はあるけれど、作用の主体はない。
#(作用・機能(はたらき)は現象としてあるよう知覚されても、その主体も対象もない。)
#ある諸要素の集積の作用が已めば、因縁にしたがい、次なる異なった諸要素の集積の作用が起り続ける。
<世俗>         <勝義示唆>    
・即心即仏          非心非仏
・即因即果(不昧因果)    非因非果(不落因果)
★即業即報(不昧業報)     非業非報(不落業報)★
あたかも大河の流れのような、無量・無辺且つ無常・無窮な連続的変化(方便)が縁起=無常の様相ですから、
そもそも有意味の“因果”概念として「特定」すること自体が不可能であって、
十二支縁起のような特因特果の硬直した観念はありえません⇒『除俗數法(十二支縁起の否定)』が当然です。
第一義空経はこの当然の様相を闡明にしました。*せいぜいヘタクソな比喩的説明でしかありません。
このことは同じく縁起=無我の様相ですから, 『除業報輪廻転生』も当然であって、第一義空経で業報輪廻転生論は廃棄されたといえます。
*不落因果(特定可能な因果はない)、不昧因果(縁起の関係性はある)⇒随縁且従容(良寛)自受容三昧(道元)

45 :
>>43
仏教を手に取る必要性とは、仏教でしか得られないものを得るためでしょう。
しかるに、仏教による果報を求めないなら仏教に拘る必要も無い。
標識以前にそもそも路上に出るまでもないって話だね。

46 :
>>43
>ここでいうテキストは、「師匠や先輩による継承及び助言」のことだから、
>道路標識、道標みたいなもん。
 
お前の好き勝手に決めるな、増長慢のボケッ

47 :
>>46

じゃ、他の定義をすればいいだろw
で、貴方はそれで話を進めればいいでしょ。

48 :
>>42
俺があなたの意図を誤解してたらごめんだけど、
2chで出来ることなんて解釈の正しさを経典や論書で確認して、
どれが仏教の中で通説となってるかを確かめる程度しか出来ないと思うよ。
で、その経典や論書自体が間違っていると思う人は、仏教スレに用は無いよねって話。
1+1=2を自明の公理として認めない人にとって、数学スレが無用なように。

49 :
>>47
お前もなー 自分のやりたいように勝手にやってろ
 
結局、テキストなど関係ないってこと

50 :
>>48
仏教による果報を求めないなら、そもそも仏教に用は無いよね。
果報というのが知識欲だと強弁するならそりゃ止めないけどさ。
なんというか、○○だからと理由をつけて仏教から遠ざけようという姿勢が不快というか認められないというか、
まぁ、そんな感じ。快も不快も俺の内心の問題だからあんまり気を悪くしないでね。

51 :
>>48
バカなことを言うもんじゃない。
 
そんなこと言ってたら、何一つ進歩しないじゃないか。
 
古い誤りを訂正することもできない。

52 :
>>50
ああ、経典や論書を好き勝手に読んだり誤解しては、修行するのも果報を求めるのも難しいんじゃない?
実際、その果報や因果応報というものを否定している人もいるんだし。
もちろん、正しく解釈するだけでは十分ではないけど、必要だとは思うよ。
>○○だからと理由をつけて仏教から遠ざけようという姿勢が不快というか認められないというか
遠ざけようとしてるって、誰が?理解おそくてすまそ・・・。面倒だったら無視してください。
>>51
え、進歩しないって何で?古い誤りって?

53 :
>>49

たとえば、源氏物語という物語があるのは知ってる?

54 :
>>52
おおう、ごめん。人を勘違いしてた。>>39の人ではないのね。
遠ざけよう云々は君のことでなし。
正しく解釈することすら解脱する気のないものにとっては必要ではないでしょ。
解脱以外の金、知識、名声、権力etcを求めるなら、仏教よりもっと適したルートあるからそっちを勧めるよ。
必要ないから他所へ行けば? という論法を原理主義の様に適応したらこうなるよなと思ったわけです。

55 :
>>52
またね、眠くなったのでオチ

56 :
>>48
それでは、「学問」ではなく単なる「信仰」。「学問」とは、従来の見解を批判した
上で、それを一歩前進させることが生命。学問と小学校の「お勉強」とは異なる。
2ちゃんには、まさか小学生はいないはず。みな、れっきとした「大人」である。

57 :
>>53
知らない。おやすみ、グッナイ。

58 :
>>56

仏教は、学問でもなければ哲学でもなければ科学でもなく、
「信仰」であり「解脱・涅槃への道標」ですよ。
今更何言ってるんですかwwwww

59 :
中論のテキストというなら、ここの住民はすでに少なくとも1、2冊は読んでいるはず。
死語であるサンスクリットを完全にマスターするのは、数十年を要し、貴重な人生の
時間の無駄だから、専門家の訳文に頼るべきである。言語の本当の意味は、それが現実
生活において話されている状況においてのみ把握できる。その意味で、死語のマスター
は不可能であるといえる。
釈迦の思想に近づけようとすると、中論は理解できない。恐らくは非信者である西洋の
学者は、「両者は全く異なる。世界の宗教史でも稀有の例」だとさえ言っている。

60 :
たぶん逃げるだろうと思ってたら、やっぱり逃げたw  >>57

61 :
>>59
相変わらず馬鹿だな・・・。

62 :
>>58
信仰なら、議論するものではないw。それを「神学論争」とよび、
「不毛さ」の代名詞。

63 :
文献学も、客観性を生命とする「人文科学」ですよ。「信仰」があったら、
科学は成立しない。

64 :
>>63

小説は学問か?
“それ”に対するアプローチの方法が、学問(この場合「文学」)なんだろ?w
アプローチの仕方で、「仏教学」か「仏道」か、或いはそのハイブリッドか、が分かれてくるんじゃないw
貴方こそ、「学問」とか「科学」とかいうものをまるっきりわかってらっしゃらないじゃないですかw

65 :
>>64
小説を「信仰する」者はいないよw。

66 :
文学は人文科学として、作品の思想内容に対する「批判」がある。
「批判」が全く不可能なのが、「宗教・信仰」w。

67 :
>>65
wwwww
比較するのはそこじゃねーよwww
或るAに対して、
信仰しようが、情報源としようが、発想の源泉としようが、批判対象としようが、
そんなことはどうでもいい。
その時の(そうしたものとして扱おうとしたときの)手法についての話じゃねーか。
『それぞれがどういうもになのか』は、
《A学》《A哲学》《A社会学》《A倫理学》《A科学》《A民俗学》・・・etc.etc.なのか、は、
そのアプローチの方法に依存しているって話。
んと、頭悪いな・・・ orz

68 :
>>66
ほらw まったく解ってない。

69 :
前スレ 939 の   > ID:pwN+ipc0
   
>「言語による把握の否定」を主眼とした見地で中論を読むなら、
>中論では「色」が自性のものではなく無自性の相衣性によってなりたつものだと語られただけで、
>「空」についてはなんら語られてない。
>って見解になるんじゃないかなと思ったわけです。
ちとレスが遅くなったがww
俺が思うに、(勿論、これは推測だよww)
竜樹は中論で、少なくとも→『これが空である』ということを、『論証』もしくは『実証』
しようという意図はなかったのでは?   と考えるのだが。
もし、そのような意図があれば、竜樹は「空というものが言語、論理により実証可能なものと
考えていたことになる」よね?
竜樹の言う「空」とは、果たしてそのようなものだったのか?
竜樹は「空」を論理的追求により、実証可能なものと捉えていたのかね?
オレにはそうは思えないんだがw
竜樹は、「空」を論理的帰結として導きうるものとは決して考えなかった。それどころか、
寧ろ正反対に論理的帰結、言語による表記等による、あらゆる規定に反発するものとして
捉えていたんじゃないのかな?
それがたとえどのように精密で優れたものであれ、「空とは・・・・である」と、やって
しまった瞬間に「空」とかけ離れる。
「あらゆる規定、規格化、定形化を忌避する。よって、言語によるアプローチである如何なる
見解も受け付けない。→ 戯論寂滅」・・・・・こんな感じなのでは?ww

70 :
これは「空」というのが、単に「言語表記を超越するすごいもの」というのではなく、
(もしそうであるならば、天才的言語表記能力を有するものが登場したら、「空」の記述も
可能だけどwwww)
『原理的に』一切の定型化を受け付けないという本質があるからではないかと勝手に想像している
んだけどww  強く言えば、「言語化を超越」しているのではなく、「言語化を決して受け入れない
本質を有する」のでは?  と「妄想」しているwww
だから、竜樹は苦労したんじゃないの?  どうやって伝えようかとw
無限性を有する「空」を言語によって解説しなければならない。 それには当然、「語らなければ
ならない。」・・・・しかし、語ればそれは「空」でなくなるw
「空とは・・・・である」とはとても規定不可能w
なら、(前にも言ったが)、外堀を順に埋めていくかのように、非常に遠まわしに語っていくしか
なかったのでは?
だから、俺は竜樹は中論で「空」について「語っている」とは思うよ。だが、空について、
「空とは・・・・・である」のような、何かしらの見解を述べたものとは考えていないんだ。
その正反対に「あらゆる見解を退けるもの」と言いたかったのでは?
以上は仏教部外者の「私見」ですwwww
オレは中論以外は、竜樹の著作と言われてるものは飛ばし読みくらいしかしてないので、
かなりずれた視点である可能性が大ですwwwwww

71 :
>>54
いや・・・>39をもう1度読んだけど、さすがに詭弁だよ〜。
>解脱以外の金、知識、名声、権力etcを求めるなら、仏教よりもっと適したルートある
「仏教の解脱、仏教の知識、仏教による名声、仏教による諸々を求めるなら仏教より適したルートがある」
って言ってるように聞こえる。そりゃ、ないだろう。
>必要ないから他所へ行けば? という論法を原理主義の様に適応したら
じゃなくて、議論が成り立つための土俵自体を否定したら、他の土俵に行くしかないでしょって話。
で、「どの土俵が最も優れているか」を知りたいなら、哲学スレで普遍的真理を追究すれば良いと思うよ。

72 :
>>69
論理的な記述を受け付けないとするのは「涅槃」じゃね?
「空性」そのものは諸行が内包する「次のものに転ずる性」として諸行無常に諸法無我でまると説かれてる。
ただ、中論では空の成り立ちを依存性で証明しようとしたというより、自性つまり永続性の否定を説いた色が強いんじゃないかなって。
今で言うなら絶対静止系の否定のようなものでしょう。
言葉の細かい表現なんだけどね。

73 :
>>71
だから、解脱以外のものを求めるなら仏教に拘る必要ないよね?
他のルートで手に入るんだし。
だから仏教の名を借りて持論を語りたいとか議論したいとか知識ひけらかしたいとかならどっかいけば? って。
土俵の優劣でもないよ。仏教である必然性とかそういうもの。

74 :
>>44 は、「遊び大王」か?ww
>#業(おこない)と報(むくい・異熟)はあるけれど、作用の主体はない。
>#(作用・機能(はたらき)は現象としてあるよう知覚されても、その主体も対象もない。)
この文意は、以前、セブンが同趣旨のこと言ったと思うが、こう言えるだけでも
大したもんだと思うんだがね、オレはwwww
ここが最大のポイントなのでは? と考えているんだがw
(一代は嫌うがwwww)

75 :
>>70
>「空とは…である」のような、何かしらの見解を述べたものとは考えていないんだ
そうそう。空が見解になると、「空見」と呼ばれ、救われない人になっちゃうからね。
>無限性を有する「空」を言語によって解説しなければならない。
>それには当然、「語らなければならない。」・・・しかし、語ればそれは「空」でなくなる
厳密に言うと、語ることができる、相手に伝えることが出来るのは、それらの言葉が「空」だからだね。
言葉が空でないということを仮定するために有部の言葉を借りて、
因果とか言語活動が成り立たないということを、背理法で明らかにした。と自分は解釈してる。
>>72
これはあくまで俺の解釈なんだけど、空も涅槃と同じで無為法なんだと思うんだわ・・・。
つまり、壊れたり滅んだり論破されない。文字通り、空という法自体が空っぽ。
空が有為法だと仮定すると、空が生じたり滅したりする性質ってことになっちゃうから。

76 :
>>73
>だから、解脱以外のものを求めるなら仏教に拘る必要ないよね?
いや、数学でも科学でもなく、仏教の考え自体が知りたいという人もいるだろう。
俺はどっちかというとそうだな。解脱もできればしたいけどw
あなたは「仏教」という言葉の中に、「解脱を目指すもの」という自性を見出してるようだけど、
「仏教」というものの現れ方は、人によると思うよ。
始めは知識欲とか名声で仏教に取り組む人がいても、その目的が途中で変わる人もいるだろう。
女にモテたくて格闘技はじめたら、いつの間にか格闘技自体が目的になる人がいるように。
で、そんな色んな現れ方をする「仏教」というものをめぐって、
2chで共通に皆が頼りに出来るツール、土俵が経典とか論書って話。

77 :
>>76
んー、人を批判するような言葉ではなく、餅は餅屋の話なんだけど。
病気苦しいなら医者へ行け、金が欲しいなら働け、人に愛されたきゃ恋人作れ、解脱したけりゃ仏教どうぞ。
仏教に触れる理由が好奇心だと強弁するなら止めはしないて。個人的には法門開きっぱなしだから。
ただ、知識欲から仏教に触れようが、持論語りたいで仏教に触れようが、さして違いが見出せないのよね。
だって仏教以外で良いじゃないそれ、と言うならどっちもどっちだもの。

78 :
>>72 涅槃と空を異なるものと捉えているようだけど、今まで見てきた資料の
なかでは、それらを等価なものとして扱っていたものが多かった記憶があるが?
そこをさらに突っ込んで、それぞれの語彙が指示するものの差異を定義し直して
論じるのは、煩雑になるので、今ここでやる気はないけどw

79 :
>>77
>知識欲から仏教に触れようが、持論語りたいで仏教に触れようが、さして違いが見出せないのよね。
そうだね、そこは、さして違いはないかもね。
>だって仏教以外で良いじゃないそれ、と言うならどっちもどっちだもの
いや、いや、ここは俺と違うなぁ。他の学問じゃ満足できないもん。
生きるのが目的なら、カレーでも寿司でも良いじゃないかって言って、
カレー好きな人からカレー取り上げて寿司を食わせるってどうよ。

80 :
>>76-77
う〜ん・・。
今の流れは、
「源氏物語現代語訳」のアレンジは、
どこまでが原作の反映でどこまでのインスパイアなら原作の諸々を保持していると言えるのか?
って話でしょ?
で、(宝珠や在家もそうだけど)隠居は特に、
オリジナル思想を陳述していながら、それがあたかも原作そのものであるかの如く言うから叩かれてるわけで・・。

81 :
>>78
俺も記憶にあるよ。
ただ、中論に限って語るなら、空の説明書というより色の仔細に渡る解説書に見えるんだよね。
「色と言うのは最終的に空に尽きるんだよ」って。そして、空とはなんであるかについては他に任せるって投げやりな。
「言語による把握の否定」を目的とした、という見地から見るとの話ね。

82 :
それから、横レスなんだがww
オレは解脱目指してないんだが、仏教に関心もっちゃいかんかね?w
オレは、認識論のひとつとして仏教的認識論に興味があって、関わって
いるんだが、いかんの?w
皆が皆、解脱めざして精進せんと、あかんかい?w

83 :
>>80
だからさ、泣くまで叩けば良いじゃない。
出てけと言わないでさ。
出て行け、仏教に触れるな、と法門を個人所有する態度が気に入らないだけ。
叩いたり蹴ったりは、いいんじゃまいかと。

84 :
>>82
いいんじゃない? 仏教がそんなに懐狭いとは俺も思ってない。
なんか俺の立ち位置が勘違いされてる気がする

仏教にかこつけて持論語るならここから出て行けという態度に、
じゃあ解脱求めない奴も一緒の扱いで良い? 駄目でしょ、だから彼も居る事は認めようよって立場よ。

85 :
>>83>>84
う〜ん、「出て行け」というのとは違うかなぁ・・w
テキスト無視を許すかどうか?って話しゃなかったけ?
たとえば、(勿論、解釈の範疇を出ないという指摘は踏まえた上で)
手塚治虫のブラックジャックは、
「自分の腕・技術を自慢しながら、貧乏人から金をまきあげる漫画」、
「その証拠はこのシーン(エピ)」と言って甚大先生の話を持ってくるとか。
それは明らかに誤読なわけで。
未読の者に、そのエピソードを紹介する時、それではよろしくないんじゃないの?って話だから。

86 :
>>84
>なんか俺の立ち位置が勘違いされてる気がする
勘違いしてたらマジでごめんよ・・・
>>85
>テキスト無視を許すかどうか?って話しゃなかったけ?
うん、俺はその話のつもりなんだけど・・・。

87 :
>>84 ああ、なるほどw
だが、一代たちが言っているのは、
「仏教と全くかけ離れていることがらを、『これこそ真の仏教だ』みたいに
語るのは止めてくれよ。」ってことだと思うがw
オレは仏教徒ではないんで、その辺の感情はないが、真摯に取り組んでいる
者には、間違った情報を流布されることが見過ごせないんだろ?

88 :
>>78
中論25章は「涅槃の考察」だよ。まず同章の解釈から始めればよい。

89 :
>>86
>>43の言う別のルートって表現は柔らかいが要は「出てけば?」ってことでしょ。
そこだけ、言い回しかもしれないが、法門の個人所有だけはどうしても許せない。
テキスト無視を許すかどうかについては、許すも許さないも個人の意思を尊重しますって日和見主義。
そこではないのよ、俺がケチ付けてるのは。

90 :
隠居、来た〜〜〜〜〜wwwww
さあ、何か面白い見解しめして笑わせてくれwwww

91 :
>>90
「面白い見解」などではなく、25:19、25:20にちゃんと書いてるではないか。
それも読めないのかw。

92 :
>>89
すまんが、>39とか>43が、俺の目には法門の個人所有をしているようには、見えないんだけど。

93 :
>>92
>ここで話す意味がない
>他のルートでいいでしょ
この辺かな。表現は柔らかくともその実、仏教から遠ざけようとしてるから。
「議論スレ」であるならそれも良かろうが、あいにく「仏教」だからそれは認められないと。
なんにせよ縁は縁だから切る方向に動くわけにはね。

94 :
テキスト、テキストと言うが、そもそもテキストの解釈に「定説」が
あるのか?wテキストの思想内容の批判はできないのか?それでは人文
科学とはいえない。単なる信仰、それも盲信。

95 :
>>89 たとえばねえ、隠居ってのを知ってるかな?
こいつは、それこそ中論を初めとするテキストを勝手に自分読みし、
「これこそが真の大乗仏教だ」みたいな言動をくりかえしているわけよw
仏教徒であるなら、それに異議を唱えるのも分かる気がするんだけどねw
「法門の個人所有」・・・・・・・かいw  これまた表現がキツいなあww
確かに、一代は自己の見解に固執するところがあるとは思うが、オレは
それも仏教というものに対する一途さから来るものとして、好意的に見てる
んだけどw
う〜〜〜〜〜〜〜〜ん、う〜〜〜〜〜〜〜ん、w
其のへんは、同じ仏教徒であるセブンにまかそうwww

96 :
>>95
ちゃんと隠居も知ってるよ。
面白いよね独自の見解が独自すぎて。
昔々のトラウマがあってね悪い表現をすると、
「我執に捉われ、頭の巡りが悪く、仏の道理を理解しない人は徒労に終わるのだから違う道探せばいいのにね」のようなことを俺が言ったら。
「お前のような仏敵こそ違う道に行けばいいのにね」と返されてヒヤッとしたわけさ。
だから、過敏になりすぎてるのかもしれない。

97 :
>>89>>93
ガンダムの作品の歴史知ってる?
或いは、(自分は読んだことないがw)○○超訳とか。
知ってたら、明日明後日にでもその方向で譬えるけど。
知らんかったらもういいやw
>仏教から遠ざけ
そういう言い回しになるまでに、いったいどれだけの遣り取りをしてきたか・・w
最後の最後の台詞だよ。それまでは「そうじゃないよそうじゃないよ」と
辛抱強く解説してきてるんだから。
少し皮肉って言えば、
オウムのポア思想(殺人肯定の志向性)も仏教の本質である、
と貴方は考えているの?それを是とするの?ってことでもあるんだが・・・。

ノシ

98 :
>>95
私は大筋は、中村元大先生に忠実に従っているのだが。中村大先生を否定する
一代氏が、「真の大乗仏教徒」なのかね?w

99 :
>>98

んとに権威主義だなw  ノシ

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