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■■50代が語るコトリバコ【ことりばこ】■■


1 :2007/02/20 〜 最終レス :2013/01/01

   ■ あ ら ま し ■
事の発端は「洒落怖99 >>912」に書き込まれた小箱 ◆/7qG64DDfc氏の体験談から始まる。
その体験談とは…http://61.115.120.230/2ch/kotori1.htmを参照。
そして、その事件を通して”箱”を祓う使命を強く自覚したM氏とともに、真相を聞き出すべく
当事者たちのもとへ…http://61.115.120.230/2ch/kotori2.htmを参照。
関連の箱壷一覧→http://blog.livedoor.jp/hako888/archives/50326099.html

■ 情報収集スレ・まとめサイト ■
新ことりばこまとめサイトhttp://blog.livedoor.jp/hako888/
【ことりばこ】子取り箱【コトリバコ】(民神板)ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1118432098/
ことりばこ(コトリバコ)議論(人権板)http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/rights/1164108086/
■■■畜生箱■■■http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1161952244/
物部箱http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1164185477/
ことりばこ避難所http://jbbs.livedoor.jp/study/8238/
携帯用避難所http://jbbs.livedoor.jp/bbs/i.cgi/study/8238/
ことりばこ本館  【8箱+6箱】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1171961177/

2 :
 

3 :
 

4 :
talk: 人の脳を読む能力を悪用する奴を潰せ。

5 :
 

6 :
talk: 人の脳を読む能力を悪用する奴を潰せ。

7 :
ぴったん

8 :
talk: 人の脳を読む能力を悪用する奴を潰せ。

9 :
 

10 :
ここは五十代だけですか?俺は六十代前半なのですが、幼少の頃に、1のサイトにある箱と似た箱を見たことがありまして、父からその由来についても聞かされました。幸い、俺は次男だったため、お役目からは免れたのですが、箱は今も兄が保管しております。

11 :
話に入る前の前置きとして、先ず、俺と2チャンネルとのRはといいますと、俺は嫁と暇つぶしにミクシィなるものをやっておりまして、そこで、2チャンネルのニュース式の掲示板を知ったのが始まりでございました。

12 :
http://imasugu.kakiko.com/uma/kur/kuroi.html

13 :
派生スレというらしいですが、いきなり前からの板からの続き書き出させていただきますね
じじーの知る箱の話です
いえ信玄と信長の話を出したのは、当時の飾り箱が上質なもの程、何重にも塗り重ねてつくるということを想像していただきたかったからでして
つまりその塗り重ねてある箱の内に、先のお話にありました血を塗り込めたり、何やら呪い事を書いた札を貼りましても、その箱を壊してみない限りはまったくわからないわけでして。

14 :
じっさい、贈られた箱の中に、別に塗り込められていたわけではなくても、蓋をあけたら髪の毛が一筋、なんて、気味が悪いじゃぁありませんか
その後果たして使う気になりますでしょうか、そのハコを

15 :
10さん、私なんかぎりぎり70代ですから、ハコつながりの話を少しづつでも、当時の様子を少しでも正確に伝えていければいいんじゃぁないでしょうか。

16 :
じじーさんこちらにいらしたんですね。
50代以下なので書き込みはできませんが、楽しみに読ませていただきます。

17 :
もはや、私ぁ自分がどこにいるのかワカランです
ここ、オカルトではないですよね、はて、この広大な地図の中、いったいドコにとばされたのやら
まぁ、いいですろぅ、ハコの事、ゆっくりと語れますならば
誤字、脱字も少しは減り、多少は読みやすくなりますでしょう

18 :
ここで話は少し変わりまして
一番はじめの小箱の話、また私が先に話しました、縁の下にある法則を持ちまして置いていく話ですが
実は私が追ってきましたハコの話とは、少し趣が違うものでございます
最初に、私が申し述べました箱といいますのは、貴人の方の子孫を絶やす事だと書きましたが
いったい、そんな方々の住まうところに、そう易々と入りこめるものでしょうか
小藩の主、庄屋階級の者でしたら縁の下に猫が子を産むことができましたろうが
ここで申し上げときますが、私は絶対に、小箱氏の話を疑うものではありません
ただ、その時代より先にその(あるいは後に)それが存在し、使われていたのなら実際どうなのか、という事を考えているのでございます。

19 :
箱にはいろいろな役目がございますが、飾り箱とゆうものは、多くその主の奥方、御婦人に贈られるものが多いわけです(今でいいます御歳暮なども、食用油や洗剤など御婦人に喜ばれるものが圧倒的に多いわけですな、単に値段が安価であるからというだけではございません)
ちっとは知れた所の御家になりますれば、そういった贅沢な箱は、ときなは贈られたものでしょう
それは文を入れる箱であったりとか、鏡や櫛をいれるように作られたものもあるましょう
いずれ共通するものは、すべてその方の部屋に、その方の起居とともにありましたものでしょう。

20 :
私が小箱氏の話を読みまして思いましたのは、小箱氏がのいう箱と、私が追ってきました箱は、そのルーツは同じではあったとしても、入り方はまったく逆なのではないでしょうか
方や古くからなにやら云われない差別を受けてきた人々の行き場のない怒り、悲しみ、怨み
私の追ってきたものは、なにやら、もっと政治的な臭いがします

なぜ箱が、こうも多く、歴史の曲がり角で脇役を演じるのか、それはまた次の機会にでも
では。

21 :
オカルト板からじじーさんを追いかけてきましたー。
まだ50代には程遠いですが、じじーさんのお話
楽しみにしております!
ちなみにここは「生活」カテゴリーの「50代以上」という掲示板ですよ。

22 :
じじーさん、オカ板では語り尽くされていない箱の不思議なお話が、まだたくさんあるように思います。
今後も、お話をぜひ伺いたく楽しみに待っています。

23 :
ところで、じじーさんはまとめサイトをご覧になったでしょうか?
新ことりばこまとめサイトhttp://blog.livedoor.jp/hako888/
この中に
『殺された妻子の血をひょうたんにいれて、色々と呪法をして
それを神木で作った箱に漆塗りを作るようにかけて
漆塗りによく似た箱を作り、仇の侍の屋敷に届けて
その呪力で敵の侍の一家を皆殺しにした。』
というお話がありました。
飾り箱になりすまして身分の高い人の家に贈るという形で
復讐を果たすという方法があったのかもしれないですね。
>>10さんのお話も気になりますね。

24 :
ハハハ                             イキデキネーヨ
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ハライテ-       ゲラゲラ
   ( ´∀`) < わははは         ∧_∧       〃´⌒ヽ       モウ カンベン
.  ( つ ⊂ )  \_______   (´∀` ,,)、      ( _ ;)        シテクダサイ
   .)  ) )   ○   ∧_∧      ,, へ,, へ⊂),     _(∨ ∨ )_     ∧_∧ ○,
  (__)_)  ⊂ ´⌒つ´∀`)つ    (_(__)_丿      し ̄ ̄し     ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ

25 :
うちの爺ちゃんは90歳,爺ちゃんと10歳程度しか違わないのに
2ちゃんを読んでる上に書き込みまでできるハイからじじーさん,応援してます。
ゆっくりでいいので,お話聴かせて下さいね。 

26 :
少しだけ箱の話です
皆さん小説家、横溝正史氏の代表作のひとつである「八つ墓村」という作品を御存知でしょうを御存知でしょう
あの小説のモデルとなったのは、昭和13年、岡山県津山において一晩に30人が猟銃で撃ち殺された事件を下地にしておりますのはかなりの人の知るところでありますが
あまり知られてませんのは、実はもうひとつモデルがありまして
明治の時代、東京八王子と神奈川の県境、鑓水とゆうところで起きました事件です。
何でも、当時横浜から輸出します生糸を生産してましたその土地のある豪商が
夜中突如として発狂いたしまして、六人だか八人だったか、家族全員を鉈でで叩き殺してしまった凄惨な事件がありましたそうです。
やがて生糸で大いに栄えたその辺りも、絹の減産とともに次第と寂れていくのですが
この辺りは作家辺見じゅん氏が「呪われたシルクロード」という著作のなかで書いております、なぜ呪われた〜なのかという事だけではなく、当時のその辺りの歴史や風俗が非常に詳しくかかれておりますのでので、興味のある方はぜひ。

27 :
ことりの、まとめサイトは全部ではありませんが、少しずつ読ませて頂いてます
ひょうたんの話はしりませんが、侍になりすました大蛇を瓢箪に針を詰め込んで池に流して退治するという民話を子供の頃聞いた記憶があります。

28 :
私、その鑓水近辺に一時友人と住んでいたことがございましてね。
先の事件がありました辺りに、道了堂、と村の人々が呼んでます小さな御堂があったのでごさいますね。
先の絹の道を通って横浜に生糸を運ぶ為に当時は随分と通りが多かったそうで、そんな人々の道中安全を祈るために出来ましたそうで。
絹の道とは言いましても荷車一台通りますればほぼ一杯でございましょう、丘陵地の中ににあります如何にも淋しげな林道でごさいました
私が行きました当時でさえ、村の人が山鳥でも撃つのでしょう散弾銃の空薬夾が落ちていたり、カスミ網が仕掛けられていたこともあり、人のめったに入らない、そんな山の中にポツンとその御堂は朽ちてあったのでございます。
そんな寂しいところにも、お婆さんが堂守として、たった一人で住んでおりましたそうです。
私がそこに移りましたのが、昭和44年頃、すでにそれは4、5年前の事件として語られていましたから、昭和30年代の後半の事でしょう
その堂守のお婆さんが僅かなお賽銭のために強盗に殺されてしまいましたそうです、犯人は捕まらなかったと聞いています。

29 :
余談になりますが、それ以来その老婆の幽霊が出るとか、出ないとかの話がこのオカルト板のとごかで見たと思いますし、東京でわりと有名な心霊スポットですから、どこぞで見かけた人も多いと思います
で、私共が住み始めてまもなくの事ですが、友人と二人で夜更けまで酒など飲みます内に、当時でも噂のあった、その道了堂にこれから肝試しにいこうじゃないか、という事になったんですね、四十を過ぎた大人が肝試しもないものですが。
妻子を東京の下町に残してほんとにいい気なものでした、今から考えますれば。

30 :
おお、お仲間が増えましたな。俺はじじーさんの居ない時間帯に、暇を見つけて、書き込みを続けさせていただきます。若輩者ですが、どうかひとつ、宜しくお願いします。

31 :
10爺様、お心遣いありがとうございます
お言葉に甘えまして、ではさっそく
もう夜中の1時はとうに回っていたんじゃないでしょうか。
懐中電灯をぶら下げて、およそ40分くらいかけて0私共は入り口に立ちました
正面には長い石段が続いておりまして、上の方は漆黒の闇というやつです、月は出てなかったように記憶しております
脇に比較的大きな石碑がございまして、たしか絹の道、あと道了堂、と彫ってあったと思われます。
ここで懐中電灯を消しましたならば、まさに鼻を摘まれてもわからないんじゃないかと思います
だいいち懐中電灯も石段の四、五段ほどを照らすだけですから。先程の威勢はどこへやら、大きく生唾を飲み込んで私共はゆっくりと石段を登っていったのです。
石段を中程まで上りますと途中少し開けた所に出るのですが、そこが見えてきた辺りで隣の友人が、ビクリと足を止めました
視線を追ってみますと、そこに子供くらいの人が座っているじゃありませんか
二人とも、心臓が口からはじき出されるじゃないかという程に驚きまして、なんとも間の抜けた声と共に、危うく石段の中腹から、後ろに倒れそうになったものでございます。

32 :
なんとか踏みとどまり、おそるおそる電灯を近づけていきますと、五、六体でしたろうか、苔むしたお地蔵さんが立っていたわけです
私達はほっと胸をなで下ろし、よくよく見てみますと、中程に立っております地蔵様の首が無い、足元を見ますとその足元にコロリと転がされておりました。
なんで首が落ちたものか、私達は益々気味が悪くなってきましたし、自分達の呼吸がすこぅし荒くなってきたような気がしました
現に友人はゼイゼイと荒い息をしてその場にうずくまってしまいましたから
改めて辺りを照らしてみるとお地蔵様の反対がはには石塔が建っており、真ん中の台座にはまたお地蔵様が座っておったのです
この話は子供の頃の思い出ではございません
私はすでに家庭を持ち、いい加減、物事の分別もつきました不惑と言われる歳のことでございます

33 :
道了堂←これなんと読むんですか?
どうりょうどう?

34 :
あっドウリョウドウで良いみたいですね
少し言い難い…

35 :
30分程も経ちましたでしょうか
ずっと友人はその場にうずくまっていました、私は隣で息の彼の整うのを待っていましたが、実はその間中、背後に控える闇が恐ろしくてなりませんでした
闇の中から何かが私達を見下ろしている
そんなところでしたろう
私共は引き返そうかとも考えたのですが、いえ、私達はその頃登山を趣味としていましたから、この場合山ならば絶対に撤退でしょう、二人とも鳩尾の辺りに不快な何かを抱えていましたから
けれども、それ以上に上に続く闇に背を向けるのが怖ろしく、この場所を面白半分に踏み散らかした代償を払うのは尚怖ろしく、その先にあるものを終いまで見届けようとさらに上に進む事にしたのでございます。

36 :
懐中電灯のわずかな灯りで、そこの全てを照らし出すことは、できませんでしたが、それは確かにありました
どうりょうどう、それ程大きな御堂ではありませんでしたが、老婆が独り住まうには充分な広さでしたでしょう
明治のいつほどか、それは建てられ、それから五十年程の時を経て、今は住まう人もなくなりましたが、それは、まだ、ありました

37 :
屋根はまだありました
けれども、戸板は全て内側に倒れ、土壁、だったと記憶しております、もだいぶん朽ちてはおりましたが
いまだ、それは、原型は留めておりましたろう
これまでも、ここから先も、二人ともほとんど無言です
その沈黙の内に過ぎた出来事でございます

38 :
私達は、墓石を二つほど並べた踏み石の上に、堂の軒下に立ち中を眺め回しました
屋根こそまだ残っておりましたが、床板は所々破れており、歩く場所をうまく選ばなくては、床板を踏み抜き、私達は渇いた喉で、再び悲鳴をあげなくてはならなかったでしょう

39 :
懐中電灯を、何度か堂内を上下、左右に走らせました
いろいろと、細々としたものがあったと記憶しておりましたが、私達の目を殊更に引きましたのは、私達から向かって右の奥、やや小振りな、おそらくは桐でできたものしょうが、一つ置かれた和箪笥でした
私達はそれまでの恐ろしさも忘れ、半ば引かれるようにソレに近付いていったのです

40 :
手はすでにその引き出しの金具に掛けられておりました
友人のかざす灯りの下、私は金具に掛ける手に力を込めましたところ、湿気を吸っていたのでしょう、引き出しは思いの外固く、私の手は金具を外れ、私は思わず床に手を着きました
私はその時、どの程度の自覚があったのか、ふと顔を上げたその目の先に、その箱はありました

41 :
箪笥の置かれたさらにその奥、堂のほぼ真北にあたるその隅の床に、それは比較的キチンと置かれておりました
ずいぶんと埃をかぶり、粗末な色褪せた白木の箱でありました
私はしばらくの間、それをじっと眺めておりました
何か私の様子をおかしく思ったのでしょう、友人の声がなにやら聞こえました時には、私は箱を手にとり立っておりました

42 :
も少し続けさせていいですか
幅にして30センチに少し足りなく、奥は20センチに少し足りなく、高さはちょうど10センチくらいでしたと思います
小さな御札が幾枚か、ぺたぺたと貼られておりました
蓋と本体をつなぐ部分にも、印をするように、同じように、縦にも横にも貼られておりました
けれどもそれは既に破られてありましたんです
だれがその蓋を開けたのか、確かにはわかりませんが、老婆が殺された時から、その箱はそこにあり、あの事件、その犯人こそがそれを開けたのではないかという気がします
なにやら草書のような流れの文字で、漢字のような、梵字のような、今のように印刷とは少しちがうような、そんな文字であったと思います

43 :
おおお鑓水!
近所の大学に通っていましたが、異様に怪談の多い土地でした。
そもそも鑓水という土地の名前の由来から怪談めいているとか。

44 :
私が蓋に手を掛けたときーわ友人は私の手首をつかみ、しきりにブルブルと首をふります
あなた方ならどうしましょうか

少し疲れましたがあと少し書かせて下さい

45 :
その絹の道をそのまま進めば、やがて国道16号に出、左に進めば横浜、そのまま直進、あるいは少し左に進めば城山城跡、滝田城跡、あるいは女子大学生の埋められていました雑木林、槍を洗った川はいまは無いとききますが。

46 :
箱はとても軽かったです、中で音もしませんでした
おそらく女性のものでしょう、髪毛が、箱いっぱいに、みっしりと詰まっておりました
パサパサに乾いており、私が短い間にも見たところ、ほとんどは、白髪混じり、手にとって長さを調べる余裕などなく、私は急いで蓋を閉め箪笥の上にそのまま箱を置きました
そしてほとんど反射的に、箪笥の引き出しを、グイと力を込めて引きましたのです
そこにありましたのは、やはり同じように、白髪まじりの干からびた髪毛でした
続けて二段目の引出のも開けてみましたが、そこに入っているものは、やはり同じものでした
こうなると、もはや気味の悪い段ではありません、すでに友人は外に出てゲェゲェやってます
あの長い石段をどうやって降りたのか
あの山道をどうやって麓まで降りたのか
私達の間にまったく言葉は交わされませんでした
ただ、その晩、というよりも明け方てまあったでしょう、床に就いた私共お互いが、ひどく魘されていたのを確認しあっております

47 :
翌日、昼近くに起き出した私達は、改めて昨夜の事を話し合いました
あの髪のことです
いろいろと意見を取り交わす内に、戦時中あの土地からも多く出征者を出し、息子、或いは夫の帰還を願って、母親、あるいは夫人が髪を奉納し、祈願したんだろう
そう、考え、また是非ともそうであって欲しいと願いっつつ、お互い言葉少なに時を過ごしておりました

48 :
そうこうしている内に、夕刻、大家である近隣のの農家から、私に呼び出しがありました、ゆっくり歩いても五分もかからないところですが、私は走って行きました、なんとなく、わかっていましたから、良くない知らせだろうと。
今日はこれで失礼させていただきます
では。

49 :
>じじーさん
ひっぱるね!
でもおつかれー。
次回も楽しみに待ってます。

50 :
無粋な話、これは嘘でも面白いな

51 :
 爺様それで飯食えますよ^^

52 :
ぁきの部屋
http://61.xmbs.jp/kmdpgtwmj2340gadpg9974321/

53 :
昨夜の続きです。
電話口に出ますと、はたして実家に残してきた家族からで、三つになる娘がたいへんな熱を出し、まさかとは思うがとにかく一度帰ってきてほしい、との事。
私は電話に出ていながらも、すでに口の中はカラカラに渇いておりました。
大家に礼を言い、外に出ました私は直ぐに下宿に戻りますと、友人に事の次第を話しますと、友人の顔色は目に見えて変わっていきましたが、私は、すぐに実家に帰る事を告げました。
殆ど手ぶらで、あるだけの現金だけを持ち、私はバス停へと急ぎましたが、部屋を出るときに、見送ってくれた友人の姿が、いやに頼りなげであったことに、少し後ろ髪を引かれるような気もしていたのですが。

54 :
夏の事でしたが、そろそろ木立の影も長くなってくる時刻でした
バス停まで急いで歩いて20分、当時その辺りのバスは20、30分間隔でした、うまい具合にバスに乗れたとして、一番近くの私鉄の駅までやはり30分近く掛かりました、そこから都心に出ますから、私が実家に辿り着いたのときには、人通りもほとんどありませんでした。
娘の寝かせられた部屋に行きますと、なるほど娘の頬はリンゴのようでして、顔を寄せた私に熱い息がかかります。
明け方からだそうで、その日は二度ほどひきつけたそうです。
往診に来た医者は一時、破傷風を疑ったそうですが、特に傷もありませんから、とにかく入院してよく調べることを勧めましたそうです。
しかし、何故か妻は、私が帰ってくるのに拘りまして、今晩だけは家で様子をみるという事になったそうです。

55 :
ともかくも、娘の顔を見まして、少しは落ち着きました私は、妻と、私と、それから父と(まだ存命してました、今の私と同じくらいの歳だったでしょう。)茶の間に顔を合わせ、一息つける時間を得たのでございます
けれども私は、やはり、今すぐにでも入院させることを主張しました、むしろこんな時に躊躇している妻を責める口調にもなっていましたろう
妻は言いました
いま、娘を他の所に移したならば、本当に、あの子は、二度と戻ってこないような気がして
そんなような意味の事を言いまして。
昨夜のことが頭から離れませんでしたから、私は、知らずの内にあの時のこと事を話しておりました

56 :
私の父は非常のにプライドの高い人で(生業は偉い方の鋏箱持ちをしておりました)、自分を床屋と呼ばれると、非常にイヤな顔をしましたが、私の話を一通り聞き終えましたその時は
床屋の倅が、一々髪の毛なんぞでオタオタしててどうするえ、まったくフてぇ髪の毛だ
そんな感じで一喝されまして
私は、こんな場合にも関わらず、一瞬、吹き出しそうになりましが、それは、ほんとに一瞬のことで、妻の目も、父の顔もみれずに、娘の寝かされている隣の襖に再び釘づけとなりました

57 :
それから、父は外出用の上着を羽織ると、どこやら外に出ていきました
妻はといえば、時折襖の隙間から覗く息子、娘より五つ上の兄、を寝かしつけにいきました
一人茶の間にポツンと残された私は、昨夜、どこで引き返せば良かったのか、一人想像していました

58 :
20分程して父は帰ってまいりました
玄関で迎えた父の隣には、縮んだ父よりは、さらに一回り小さな婆様が立っておりました
婆様が抱えている朱色の風呂敷包みがやけに目についたのを、今でもよくおぼえています
婆様は父とともに、娘の部屋に入りますと、娘の顔を一瞥し、さらに隣の部屋に入っていきました
婆様が、その部屋から再び出てきましたときは、何やら神社の巫女のような服に着替えておりました
ただ、私が知る巫女様とちがうのは、上は確かに白でしたが、下の袴が赤ではなく、紫色で、なるほど歳により袴もそれに合わせるか、などと勝手なことを思っておりました

59 :
父が刃物を扱う商売でしたから、鋏供養などそれにまつわる神事などには多少は慣れておりましたが、その後私が見ましたものは、それらとは違う
まことに不思議な晩でした

60 :
興味深く面白いお話で楽しみにしてます。
じじー様も10のお爺様も体に気をつけて頑張って!

61 :
こんなじじーの愚にもつかない長話に付き合っていただき、ありがとうございます

62 :
昨夜の続きです
婆様は玄関脇の小部屋に入りまして、再び私達の前に現れましたときは白い袷にに袴をつけまして、いわゆる巫女の装束です
ただ普通神社で見かける巫女様と少し違いますのは、袴が赤ではなく紫でした
そして胸の前には、やはり元は紫だったのでしょう、色の褪せた巾着を抱いておりました。
それから娘の寝ている部屋に入りますと、娘の枕元、真上にちょこんと座ったのでございます。
私と妻も続いて中に入ろうとしますと、父は無言で手で遮り、ここに座っていろと示しもので、私と妻は仕方なく敷居の手前で並んで座り、これから何が始まるのか見守ることにしたのでございます。

63 :
つづきが気になります!

64 :
すいません、昨夜も寝てしまいました
続きです
こんな場合に、なにを馬鹿げたことをと私も思いはしましたが、どうせ私達には朝まで何もできることがありませんから。
いよいよの時は、私が担いで病院まで走るまでと。
婆様はそして何やらぶつぶつと祝詞のようなものを唱え始めました、が、それは神社の神主さんのように、朗々ととなえるのではなく、なにや誰に聞かせているのかもわからない、低く、畳の上を這うようなものでした
五分ほどでしたろうか、その呟きともつかないお唱えはやがて糸をひくように消えていきますと、少しの間をおいて
次に娘の口元に自分の口を寄せて、コショコショと二言ほど何かを囁くと、そのままの姿勢で、スッスッとやはり二度ほど息を吸い込みました
そして、体を起こすと先程から持っていた巾着の中にに自分の息を吐き出していく
それが終わるとまた、さきほどのお唱えを始める
あとはもうその一連の繰り返しでした。

65 :
そんな事を二時間近くも繰り返したでしょうか
気が付くともう0時をまわっておりました
それから婆様は私の顔を覗きこむようにして、私の耳の辺りに手を伸ばしたかと思うとこんどはそれを私の顔に近付けてみせました。
彼女の指先に摘まれていたのは、昨夜、あの箱や引き出しに詰め込まれていた、一筋の白髪混じりの髪の毛でした
お腹の底からゾッとしました、背中が寒くなり肌が泡立ちました
ソレは、あそこから私の実家までツいてきたのですから。
婆様はその髪の毛も手に持った巾着にいれると、また来たときに着ていた着物に着替え、父と一緒に夜中の街に出て行きました。
それから、私と妻はその晩ずっと娘の枕元に座っておりましたが、時間が経つごとに顔色が良くなってくるのがわかりました。
翌朝、往診にきた医者も、入院の必要なしと言ってくれましたし、昼には兄に本を読んでもらっていましたから、もう安心です。

66 :
あのおがみ屋の老婆のことですが、父によりますと、なんでも東北の出だそうで、いったいあの辺りには、土地の者以外は絶対に見ることはならない
しかも女性だけしか入れない宗教でしょうか、団体がいくつかあるのだそうで、後年なにかで読みましたが、それは平成の今でもあるそうです。
彼女はそこで13の歳からずっと修行をしてまして、五十を過ぎてから、何かの折りに東京に出てきたんだそうでございます。
私の家を出るとき、彼女は御札を二枚くれました、とげぬき地蔵にあるような、小さな紙の御札です、私と友人に飲むようにと。
私の話はざっとこんなところです。
長いこと付き合っていただき、ありがとうございました。
ではまた。

67 :
>じじー

その巫女さん、夏なのに袷を着てたのには何か意味があるの?

68 :
多分東北の宗教だそうですから、それが正式な服装だったんじゃないでしょうか祈祷をするときの
青森のイタコなんかでもあんな感じですよね、まぁあそこは高地ですけとど
一見、白かったですけど着古したかんじで、寒暖で着ていた訳じゃないと思いますよ

69 :
>>68
あ、そっか、北国から来た巫女だからかね。
くだらない質問してごめん。

70 :
じじーさん、博識だなぁ。
たまにはオカ板のスレにも出てきてくれよ。

71 :
オカルト板はいつも見てますよ
ゼズさま〜、には笑いました
私も諸星大二郎氏は大好きなんですよね
正直、私は呪いとか、幽霊とかが、あるのか、また無いのかはわからないのですね、本当な
ですが、さすがにこの歳になりますと、いつお迎えが来てもおかしくないですから
そろそろ、この辺でハッキリさせておいたほうがスッキリするんじゃないかと…
私が、見聞きしたことがなんなのか。
その方が逝きやすいでしょ
どこかの噺家の辞世の句です
あの世にも粋な年増がいるかしらん

72 :
また早く起きてしまって眠れません
私はあの、明治の神仏統合が一番いけなかったんじゃないかと思いますよ
それ以前は、日本各地、その土地々で本当にいろんな神様を祀っておりましたから
それをにわかに、まとめられたり、わけられたりしても、はっきり申しまして、納め方がわからないですよね。

73 :
今日は東京は風が強いです

74 :
じじーさん
箱の方にも来て下さい
荒らしヒドいですが

75 :
こんどいきますね
あと爪の話、って聞きたいです

76 :
試し書き生意気な口きいてごめんなさい
長崎の箱の者です
全然関係なく、箱だけについて伺いたくて
アタシは箱の話を語る人が、いつも二度と現れなくなるのが不思議です
アタシの話した箱は、爺ちゃんが死んで後妻さんだった人と連絡とらなくなり、今どうなってるのかわかりません
お祓いなんてされたこともなく、でも体は弱いながら、病みながらでも生きてます
箱はあなたが生まれたころからあるなら、結局ナンなのでしょうか?
Rでない場所しかしないアタシには、あの箱の意味がわかりません
2チャンだから、結局お遊びなんでしょうか?

77 :
76さんへ
昭和30年代、R問題の最前線におりました
また、長いハナシになります

78 :
発端になった話も、実際本当かどうかの証明は出来ない
こういうと嫌な感じがすると思うが、それは長崎の箱の話も同じ
ただ、そう言った呪詛の道具があってもおかしくない、って事
まぁ呪いの類いもどこまで本当かは知らないが
あと、俺は洒落怖のまとめでコトリバコの話を見た
クネクネじゃないが、もしかしたら創作の可能性もあるってのは悪しからず

79 :
私、先に八王子に赴任したと申しましたが、まったく、その頃は高度成長期、ほら、あの宮崎駿監督の映画に、平成狸がポコポン、あの時代のハナシです

80 :
じっさいあの頃は、いたるところで建設ブームでありまして、私はその中の電気配線工としてその端に名を連ねておりました

81 :
当時、そういった、肉体労働の場には、大抵はR出身のものがおったわけですね

82 :
そういった、グループと会社の間を調整するのが私どもの役目でした
ここまで、私の説明でどの程度、ご理解いただけたでしょうか

83 :
長崎
暖かくなったし、行きましょうか
そこ

84 :
すいません、横路それました
当時、そういった肉体労働の場には必ずR出身の者がおったわけですね

85 :
見た目は殆ど同じなんですけど、やっぱり少し違うんですよね
そして、あの人達は大抵、自分たちの村を作りますから
その現場、現場でね
そんな中でハコみたことありますよ
最後にはコイツを出すぞっ、て
そんなことがまかり通ってしまう時代でもありましたよ
少しはアナタの答えになりましたでしょうか

86 :
うちの爺ちゃんはずる賢く生きた人で、見た目で明らかなくせに、死んでも色んなこと認めなくて
アタシは聞く対象さえ、何人か迷ったりもしました
戦争は散々知ってます
アタシの血縁は被爆者もたくさんいます
やのに箱は綺麗で。じじーさんくらいお年を召した方なら、教えて頂けるのでわと、勝手に考えました

アタシの箱は思い出したくないものです

87 :
何か八つ当たりみたいだ
じいちゃん勝手に死んでもうたから
じじーさん、ごめんなさい

88 :
87さん、も少し話していただけませんか

89 :
何を話せばいいんでしょうか?
結果は書いた通りです
アタシは子宮が小学生なみに縮んでるらしく、薬でなんとかで



90 :
怪しい箱見つけた、とか年寄りの話で、とか
いわゆる釣りネタ(スレを賑わす嘘ね)を投下する者も少なからずいると思う。
どれが本物で、何が嘘かなんてオカルトという範疇では常に曖昧だよ
はっきり解明できないからオカルトなわけで。
私なんかは野次馬根性で読むだけ楽しむ側だけど…
ただ、必ずしも因果だ、呪いだと決めつけるのは
ますます良くない方へいくという危険性もあるんじゃないかと。
>>89さんの子宮の病気もお気の毒だけど、箱や呪いではなく
ただ運悪く発病しただけかも知れないし。子宮を病んでる女性は案外多い
ネガティブな気持ちでいるとますます体に悪いよ。
なんと言ったらいいのか…前向きに治療して、良くなりますように。

91 :
90さんの言うう通りですね、興味本位で何か余計な事を聞いてしまったようで、失礼しました
さて気を変えまして
これは箱の話ではありません
丹沢だったか、大菩薩連稜だったか、記憶が定かではないのですが
私が友人5人と山へ行った時のことです
土、日を使った一泊の山行でした
夕方4時頃に駅に集まりそこから麓の河原付近に泊まり、翌早朝に登る、とゆう行程ででした
ただ、私は仕事が残っておりまして(当時はまだ半ドンと言葉がありました)て皆より遅れて現地に向かうこととなったのです
バスの終点に降りましたのは、もう6時を回っていました、確か11月だったと記憶しています
辺りはもう暗く、街灯なんてない田舎の砂利道、懐中電灯で足元を照らしながら野営地まで、2、30分の道のりでしょう、一人歩いておりました

92 :
知りたい
あたしにはじいちゃんとかもういないし

93 :
もう半分は歩いたと思われる頃、ふと足元から目を前に向けると、向こうの方から白い物が近付いてきます
一瞬ドキッとしましたが、仲間の一人が迎えにでも来てくれたのだろうか、とも思いましたが、それにしては何だか小さい
やがてその白い影がとの距離が10メートル程になりますと、それが、年の頃はおそらく10くらいでしょう、おかっぱ頭の女の子なのがわかりました
白いブラウスをきていました膝が出るくらいのスカートをはいて、11月の山中を一人で歩いてくるのです
初めは山の中腹の売店の子かとも思いましたが、この季節はもう店を閉めて下界で生活しているはずです
またこの辺りには脇道もなく、皆が野営している側の道を通る道を経て、山中にはいるしかありません
もちろん民家などありません

94 :
その子ともう少しですれ違うという所で、だんだんと気味が悪くなってまいりました
どことなく荒れた感じのする子でした
すれ違った後ほっと息をつくくらいの間でしょうか、私は恐る恐る振り返って見ました
驚きました、ほんの5秒か10秒の間でしたのに、その子はもうずっと向こうを歩いており、前から歩いてきたのと同じように白いブラウスと細い足がチラチラ動いているだけでした、下は砂利道でしたから走ればすぐにわかります
その日は月は出てなかったと思いましたし、また出ても冬のその時間なら月はまだ高い山の陰でしょう
その時の体験はそれで終わりでして、それが何だったのかは今もわかりません
ただ後年、この話を友人にしましたところ、自分も似たような経験をしたという事を話してくれました

95 :
アナタの話はちゃんと落としてよ

96 :
八王子在住の者だが、
道了堂の首無し地蔵が云々の噂って、お堂がなくなった後の発生じゃなかったっけ?
「中大の学生が壊して祟られて〜」ってのを2chやオカルト系のサイトで見たことあるけど。
それはともかく、八王子って心霊スポット多いよね。
高校・大学のころはオカルトへの興味もまったくなかったし霊感もまったくないので
道了堂や八王子城址などにしばしば夜出かけて山歩きをしていた俺ガイル(w
結構眺めがよくて夜景が綺麗な場所があるんだよ、あの辺。
そんな俺でもヤバイと思ったところがただ一つ、
青梅の旧々吹上トンネル、あそこの手前の廃屋はマジ背筋が凍ったね。
明治の頃に峠の茶屋をやっていた一家3人全員女性が惨殺されたという曰くつきの場所なんだが、
俺は山歩きをよくやっていた関係上山の空気の動きや気温の変化には敏感なんだけど
峠道を曲がってその廃屋が見えた瞬間風もないのにいきなり周囲の空気がザッと変化したのがわかった。
普通ではありえない温度の変化の感覚に、
一目散でそこから引き返したよ。
他の心霊スポットならどこでも喜んでいくけど、あそこだけはもう二度と勘弁。

97 :
いや、確かに堂了堂の地蔵の首、その頃取れてた、タンスの中に髪の毛もあった、箱は見なかったけど
多分、年代的にじじさんの前後だけどオレも偶然だけどそこ行った
小学生の頃
その晩オレも熱だした
子供には良くないのかも、あそこ

98 :
あ、そうだっけ?んじゃ俺の記憶違いだ、スマソ。
たんすの中に髪の毛もあったのかよ・・・ある意味爆弾を放置していたようなもんだな、それ。

99 :
うん、その頃はまだ西部台の団地ができる前で、ほんとに山の中、スゲー怖かったん
ほかにも女子大生が殺されて埋められたのも、あの辺りだし、密かにRが栽培されてた事件もあったよね
田舎だけど何かとイワクの多い所だよね
ってか、今日もじじさんいない

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