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【吉田ドクトリン】日本をこんな国にしたのは吉田茂


1 :10/09/28 〜 最終レス :12/06/03
竹島占領された時の日本の首相は吉田茂だ
この時に主権と領土を守るため毅然とした対応とらなかったことが、
いろんな方面に波及して、今の尖閣問題になってるんだよ
日中国交正常化の時に、領土問題の決着ができないなら交渉は打ち切るべきだったし
最悪でも尖閣に軍隊を常駐させ主権を明確化してなきゃおかしい
吉田茂は軍部への憎悪という幼稚な意識から
当時は最左翼の共産党・徳田球一ですら「軍隊を持てないなんて国家とは言えない」として
憲法改正に賛成してたのに、改正を怠ってしまった
占領下での立法は国際法違反だから、占領憲法は独立時に失効させなきゃいけない
そして将来の日本国のあり方を主体的に構想した上での自主憲法を制定する責任があったはず
やれる時にそれをしなかった吉田茂は無能政治家とみなされて仕方ない
軽武装経済復興路線という選択がそもそも間違いで、
たとえ経済復興がより早まったところで、その成功体験と安易さのせいで強固に根をはってしまった
人権尊重・人命至上主義の国民精神のあり方が定着してしまっている
後になってそれを覆す精神革命を起こすのは至難の業だ
これが今日の日本の情けない姿に至ってしまっている
三国人暴動・竹島侵略から、ダッカハイジャック事件、北朝鮮拉致事件と、
ことごとく無法集団の無法行為に屈してしまうはめになった
そもそも明治維新もそうだった
伊藤博文らは幕府の復活を恐れ、ひたすら内閣を弱体な存在にしようと努めた
そして神格天皇制の導入
それが結果として統帥権の独立と軍部の独裁に発展し、
満州事変の軍部独走は不問に付され
制御不可能な陸軍による暴走になっていった
最初の国家像の提案が間違えてるから国家の方向性と終着駅も間違えてしまうのである
吉田茂というのはある意味、東條英機の対極にいる馬鹿である
伊藤博文の論理的帰結が東條英機なら、吉田茂の論理的帰結は田中角栄だろう
国の中央地方、国の内外にただひたすら金をばらまくしかないだけの日本、
そしてたただひたすらアメリカにすがりつくしかない日本
そういう国にしてしてしまったのは吉田茂である

2 :
  マキアヴェッリ 『君主論』
>  一国の国力を計る方法の一つは、その国と近隣諸国との間に、どのような関係
> が成り立っているかを見ることである。 もしも近隣の諸国が、友好関係を保ちたい
> がために貢納してくるようならば、 その国は強国と言えよう。
>
>  反対に、弱体であるはずの近隣諸国であるのに、それらの国々に対して金銭を
> もって援助する関係である場合、その国家の国力は弱いと思うしかない。
>
>  この原因は、一に、自国の武装を怠り、他国民の傭兵に頼ったことにある。
> このように近視眼的な国策は、ひとまずの現状打開には役立っても、終局的に
> は国家の命取りにつながらざるを得ないのである。
>  「弱体な国家は常に優柔不断である。決断に手間取ることは有害である。
> この種の国家の打ち出す政策は、何かの圧力に屈したあげく、やむを得ずなされたものになる」
>  「国家にとって厳に警戒しなければならぬことは、軽蔑されたり、見くびられたりすることである」

3 :
えっ!?中曽根康弘のせいじゃねぇーの
中華に言われるまま、靖国参拝を胡耀邦を守るため取り止めたらしいが
やめた事で中華が日本を見下し始めたきっかけとなった。
胡耀邦を守ることが日本の将来的に価値があったことなのだろうか

4 :
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまふ
のではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代わりに、無機的な、からつぽな、
ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。
それでもいいと思つてゐる人たちと私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」
「果たしえていない約束 私の中の二十五年」三島由紀夫 (産経新聞 昭和45年7月7日)
ttp://mishima.xii.jp/37th/index3.html

5 :

盾の会隊長 三島由紀夫
 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、
本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の体計は外国に委ね、
敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、
歯噛みをしながら見ていなければならなかった。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、
真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲
であるのは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、
軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頒廃の根本原因をなして来ているにを見た。
もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、
建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、
その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。
自衛隊が目覚める時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、
この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、
真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

6 :
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は
魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、
どこへ行こうとするのか。繊維交渉に当たっては自民党を売国奴呼ばわりした繊維業者もあったのに、
国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが
明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が
日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、
左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。
 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
(抜粋)
ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/isyo/mishima.html

7 :
「ハイデッガーの『存在と時間』の発想は、道元禅師の『正法眼蔵』のなかの「有時の巻」から得たことを、
ハイデルベルク大学のヤスペルス教授が弟子丸泰仙和尚に耳打ちして、
「日本人は『正法眼蔵』をあまり読んでいないようですな」とつけ加えた」
(『日本人の正しい食事―現代に生きる石塚左玄の食養・食育論』沼田勇、農山漁村文化協会、2005年、79頁)。
ttp://yagiyagimehe.blog68.fc2.com/blog-category-1.html
ハイデッガーは1920年代から仏教などの東洋哲学と、
学び始めたと言われます。
そして
「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり」など、
仏教では存在と時間は分けられないことが説かれいることを知り
ハイデッガーは大変驚いたそうです。
つまり主著の『存在と時間』 (Sein und Zeit) は直訳すると
「有」と「時」ですが、『存在と時間』の哲学がすでに
2600年前、仏教に明らかになっていたわけです。
そして、英訳をとおして、かの歎異抄を知り、
もっと早く知っていたなら、日本語を勉強して
親鸞聖人の教えを全世界の人に伝えることを
生きがいにしたであろうと語っています。
ttp://blog.goo.ne.jp/pandagananda16/e/53faea137ea09cb964c078a18b61bafc

8 :
20世紀最大の哲学者とも言われているドイツの哲学者、マルティン・ハイデッガー(1989−1976)は、
1920年代から仏教などの東洋哲学を学び、「存在と時間(Sein und Zeit)」に書いたようなことが、
道元の「正法眼蔵」を読み、有時の巻に書かれている「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり」
として、既に仏教で説かれていることに驚いたと言われています。
さらに晩年には、英訳の「歎異抄」を読んでこんなことを日記に書き残しています。
「もし、10年前に、こんな素晴しい教えが東洋にあったのを知っていたならば、
私はギリシャ語やラテン語の勉強もしなかっただろう。
日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう」と。
歎異抄には、人生の目的は、死さえもさわりとならない「無碍の一道」に出ることだと記されていました。
仏教の教えでは、「今、死ななければならない」となっても微動だにしない境地があるぞと教えています。
これを歎異抄には「無碍の一道(むげのいちどう)」といいます。
「碍」とは「さわり―害」のことで、一切がさわりにならない、死さえも「さわり」にならないたった一つの境地
があるぞ、言っているのです。
現代人にとっては、こういう一転語とも言えるような悟りが散りばめられているのが歎異抄なのです。
『歎異抄』に衝撃を受けたというハイデガーは、未完に終わった主著『存在と時間』に、 このように記しています。
「Nur das Freisein fur den tod gibt dem Dasein das Ziel schlechthin.」
(ただ死に関してさわりにならない自由が、人間に目的そのものを与える。)
ttp://elhappy.blog51.fc2.com/blog-entry-2609.html
  ※あくまでハイデガー関連の引用目的でリンク先に他意はなし

9 :
そして、二十世紀最大の哲学者、ハイデガーも、
「死に対して無碍の身になることこそが、人間にとっての唯一の目的」
と言っているのです
20世紀最大の哲学者の一人、ハイデガーは、晩年に歎異抄に、
大変な感銘を受け、その日の日記にこう記しました。
今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異鈔を読んだ。
弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり
とは、何んと透徹した態度だろう。
もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、
自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び聖者の話しを聞いて、世界中にひろめることを
生きがいにしたであろう。
遅かった。

10 :
自分の側には日本の哲学者、思想家だという人が
三十名近くも留学して弟子になった。
ほかのことではない。
思想・哲学の問題を随分話し合ってきたが
それらの接触を通じて、日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという
匂いすらなかった。
日本の人達は何をしているのだろう。
日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、
世界文化に貢献するといっているが
私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。
なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。
商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら
何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。
そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、
フランス人はフランス語を、
デンマーク人はデンマーク語を通じてそれぞれこの聖者のみ教えを
わがものとするであろう。
そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。
二十一世紀文明の基礎が置かれる。
(中外日報 昭和38年8月6日号1面)
ttp://lifemeaning.blog126.fc2.com/blog-category-12.html

11 :
長崎事件
1886年8月1日
李鴻章は、「我が清国海軍は以て日本に観して之を懾伏(恐れひれ伏すこと)せしむべし」として
北洋艦隊の定遠、鎮遠、済遠、威遠※の四隻の軍艦を長崎港に日本政府の許可なく入港したさせた上に
水兵が上陸した事件。
許可無く上陸した水兵達は長崎の遊郭で騒ぎを起こし日本の警官がそれを取り締まった。
翌日、わざと交番の前で小便をした水兵に日本人警官が注意したのを切っ掛けに
日本人一般市民を巻込んで大乱闘に発展し双方に死傷者が出た。
日本政府は日清修好条規13条に基づき、騒ぎを起こして中国領事館内に逃げ込んだ水兵
を逮捕して処罰しようとした。
しかし清政府は「清国水兵をための日本の計画的な犯行」として日本人巡査の処罰と
死傷した水兵への賠償を要求。
最終的に李鴻章の「戦争も辞さす」という強硬な圧力に屈し、
日本側関係者の処罰と3万7千円の賠償金を支払った。
何故このような理不尽な要求に従ったかというと、
当時の清国の兵力108万人に対して日本は7万8千人であり、
もし、この事件がきっかけで戦争になったら簡単に東京を制圧され、九州を取られると予測されていた為。
そしてこの事件の後、日本人はプッツン切れた。
あのクリスチャンの内村鑑三でさえ
「文明国として不実のシナに対しては鉄血を以って正義を求めるしかない
永久平和の為に戦え」と言った。
そして日本は富国強兵を行い8年後、清国を打ち破るのであった。

12 :
李鴻章は日本を恐れさせようと、当時世界最大艦のドイツ製戦艦、定遠、鎮遠、他2艦を
日本に送り込んだのだが、逆に水兵側の死傷者が多く出たことから激怒し、
長崎事件後、清軍ドイツ人軍事顧問に「今度こそ日本に一撃せん」と語ったが、それが日本人一般市民に
知れ渡った。
日清戦争は朝鮮の独立を求める日本と、属国扱いする清国との間で争いが
生じて起こった戦争と言われているが
あくまでもそれは一面であり、この(長崎)事件が切っ掛けとなり、
中国人のキチガイぶりを見せつけられ、
当時の日本人が「戦争はやむを得ず」と考えたのが主因である。
ちなみにこの4隻の艦名の「遠」とは日本を指す。
日本を「威」圧するということで威遠
日本を鎮定するということで鎮遠、定遠
日本は「威圧済み」「鎮定済み」ということで「まる済マーク」の済遠
以上の事実を見て日本が決断すべきは
「そして日本は富国強兵を行い8年後、清国を打ち破るのであった」
現在は日本単独で中国の軍事力増強には対応できない。
アメリカ・インド・ASEAN諸国と連帯し「文明国として不実のシナ」に
対していかなければならない。

13 :
大津事件(1891)
http://www.ffortune.net/social/history/nihon-mei/otu-ziken.htm
明治24年(1891年)5月11日、日本を訪問中のロシア皇太子ニコライが、滋賀県
大津市で警備の巡査・津田三蔵に突然斬りかかられました

政府は更にロシアに対して謝罪の意を明らかにするため、津田巡査を死刑にす
べく裁判所に圧力を掛けます。
しかし、法的に見ると被害者が日本の皇族であれば死刑を宣告することが可能
でしたが、相手は外国の皇族であり、法律上は一般人と同じ扱いになります。
従って怪我を負わせただけなのに死刑を宣告することは法的には無理がありま
した。このため裁判を担当した大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙は
法治主義遵守の立場から政府の圧力をはねつけ、法定刑内で「無期懲役」の判
決を下します。この事件はこのことにより、児島が司法の独立を守った事件と
して語り継がれることになりました。

14 :
                  怪鳥の教訓
  
 アフリカの南東マダガスカルの東方のインド洋上にあるモーリシャス島に、ドードーと名づ
けられた伝説の鳥が生息していた。全長約一米八〇糎、身の丈約八〇糎の頭と嘴の大き
い怪鳥で、翼が退化して空を飛ぶことができなかった。ルイス・キャロルの『不思議の国の
アリス』に登場してくる。
 この鳥は、17世紀初頭にオランダ人がモーリシャス島にやってきてから約百年で絶滅し
た。発掘され、再生された骨格が二体残るのみで、他にロンドンに壊れた剥製の頭部と
脚部がわずかに残存し、これら以外に、怪鳥の実在を証明するものはなく、ヨーロッパ
で物語や絵に描かれたおかげで、今日に伝説として伝えられている。
 ドードーはなぜ絶滅したのだろうか。オランダ人入植者の遺跡の発掘で、彼らが食糧に
したのではないことが今までに分かっている。ロンドンの剥製のDNA鑑定で、この鳥の
正体は鳩であると分った。鳩の中でも、原産地が東南アジアの種目であることも分った。
約一千万年前、インド洋上の島づたいに渡来し、モーリシャス島で特異な進化をとげた
ものらしい。人類発祥よりも前の話である。

15 :
 モーリシャス島は深い森林につつまれ、木の実が豊富で、外敵もなく、ドードーの生存に
はこのうえもない安楽な環境であった。樹木の下にいれば食べ物は自然に上から落ちて
くる。空を飛ぶ必要がない。翼は次第に退化した。オランダ人が来たときにこの鳥は人間
に襲いかかり、それなりに攻撃的であった。けれども次第に森林の内部を追われ、百年
の後には、海岸の一角に追いつめれて生存し、やがて絶滅した。人間が直接手をかけた
からではないらしい。人間が持ちこんだ豚や羊が彼らの天敵になったためらしい。それも
直かに天敵が彼らを襲撃したためではないらしい。
 ドードーは空を飛べない鳥になっていたので、排卵と孵化は安全な樹木の上でおこなわ
れずに、地上の草の上に露出されていた。外敵のない環境に、完全に無防備な生存形態
にまで退化していたのである。卵も雛も外から来た豚には恰好の餌食だった。
 こうして、生態系の一角が崩れただけで、数百万年以上も安全かつ平和に暮らしていた
島の一生物があっという間に滅びてしまった。
 日本もまた島国である。縄文以来、深い森林につつまれ、木の実が多く、水は豊富で、
争いも少なく、大動乱の時期はわずかに弥生期と戦国時代の二度しかない。個々人には
防衛意識もあり、外からの圧力にはそれなりに攻撃的なのだが、民族全体としては、組織
的警戒心に乏しい、完全に無防備な生存形態にまで退化してしまっていないか。空を飛
べなくなった鳥が迂闊に草の上に排卵し、雛を孵化するのと同じような、生態系を一変さ
せる陥し穴に、日本民族はすでに、誰も気づかぬうちに、思いもかけず填まってしまって
いるのではないか。
 この広い地球上に民族の興亡の歴史は繰り返され、一民族の消滅ということも、決して
珍しくない。島国から人間が消えるのではない。住民は存続する。しかし人種混淆し、大陸
に呑みこまれ、日本という民族と民族文化がすっかり姿を消してしまうということは、歴史
の経験則から十分に起こり得ることなのである。
西尾幹二のインターネット日録(過去ログ 2002年11月18日)
ttp://book.geocities.jp/nishio_nitiroku/tui11.html
ttp://www.nishiokanji.jp/blog/

16 :
マキャベリ
「君主は、自らの権威を傷つける恐れのある妥協は、絶対にすべきでない。
たとえそれに耐え抜く自信があったとしても、この種の妥協は絶対にしてはいけない。
なぜなら、譲歩に譲歩を重ねるよりも、思い切って立ち向かって行ったほうが、
たとえ失敗に終わったとしても、はるかによい結果を生むことになるのが、ほとんどの常だからである。
もしも、正面衝突を回避したい一心で譲歩策を取ったとしても、結局は回避などできないものだ。
なにしろ、譲歩に譲歩を重ねたところで相手は満足するわけでもなく、それどころか相手の敵意は、
あなたへの敬意を失ったことによって、より露骨になり、より多くを奪ってやろうと思うようになるのがオチなのだ。
また、思慮もない単なる譲歩策によって示されたあなたの弱みは、味方になりえた人々をも失望させ、
彼らを冷淡にさせてしまうだろう。
反対に、もしもあなたが、相手の真意が明らかになるやただちに準備をし、たとえ力が相手に劣ろうとも
反撃に出ていたら、敵といえどもあなたに敬意を払わざるを得なくなるのである。
そして、他の国々も敬意を払うようになり、結果としてあなたは味方を獲得することになる」

17 :
日本国歴代内閣
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E5%86%85%E9%96%A3
50 第4次吉田内閣 1952年10月30日 - 1953年5月21日 自由党
51 第5次吉田内閣 1953年5月21日 - 1954年12月10日 自由党 閣外協力:改進党
52 第1次鳩山一郎内閣 1954年12月10日 - 1955年3月19日 鳩山一郎 日本民主党
53 第2次鳩山一郎内閣 1955年3月19日 - 1955年11月22日 日本民主党
54 第3次鳩山一郎内閣 1955年11月22日 - 1956年12月23日 自由民主党
55 石橋内閣 1956年12月23日 - 1957年2月25日 石橋湛山[11] 自由民主党
独島義勇守備隊
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E5%B3%B6%E7%BE%A9%E5%8B%87%E5%AE%88%E5%82%99%E9%9A%8A
独島義勇守備隊は1953年4月20日、初めて竹島に駐在した。常駐ではなく、定期的な駐在である。同年6月27日、
日本の巡視船2隻が来島して6人いた守備隊員を島から追い出し、日本領の標識を立てている。
しかし、巡視船はそのまま引き上げたので、義勇守備隊が再び島に戻った。
このことを聞いた李承晩大統領は慶尚北道警察に指示して迫撃砲1門と弾100発を義勇隊に支給させた。
義勇隊はこのほか、M1小銃とカービン銃で全員武装していた。さらに直射砲1門も配備されていたとする説がある。
1956年4月、韓国国家警察鬱陵警察署の武装警察官8人が常駐するようになり、独島義勇守備隊は同年12月25日
を以って解散した。
なお現在、島には武装した韓国警察官41名が駐屯し、周辺海域は海洋警察庁が警備を行っている。
韓国軍が駐屯しないのは、韓国による「占領」と見なされるのを避けるためであるが、
どのような軍備を持ち警備しているのかは定かではない。
【尖閣問題】 「中国、釣魚島問題で'韓国の独島戦略'見習おう」〜中国メディア報道と聯合ニュース[09/19]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1284942905/
尖閣問題とは竹島問題のことである
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1285671403/

18 :
日本人は外交下手
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1285299962/

19 :
ラスク書簡-アメリカが「竹島は日本領」と韓国に回答した文章
ttp://nextxp.net/archives/2006/05/post_171.html
「 米国の力を借りて『竹島』を自国の領土としたい韓国の昔も今も変わらないその手法 」
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2005/04/09/post_331/
【竹島問題】米国、朝鮮戦争直後に『竹島は日本の領土』と一方的に結論[3/27]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1143428095/
何故、竹島問題が生じたのか(1)
ttp://blog.goo.ne.jp/charotm/e/132db4b15159e77377e9ed20d7e0f84d
 米国は、ハワイにいた反日運動家老人李承晩を連れ戻し、1948年2月(大韓民国成立)に初代韓国大統領とした。
竹島の日本復帰に不満な李承晩(当時73才)は、1952年1月18日に海洋主権宣言を行い、
マッカーサー・ラインの日本海側に変更を加え、竹島を含む形で自国に都合の良い「平和線」(日本名:李承晩ライン)
を設置した。日本には未だ占領軍がおり、朝鮮戦争(1950.6−1953.7)の戦闘が38度線で膠着していた頃である。
 時の首相は吉田茂、彼は3ヵ月後に発効するサンフランシスコ講和条約においては竹島が韓国の帰属になって
いないと言う訳で、安心していただろう。

20 :
朝鮮
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/7712/antij_kore.html
1951年4月27日、南朝鮮が対馬について「歴史的にこの島は韓国の領土であり、日本によって強制的、不法に
占領された。」とし、対馬の「返還」を要求する文書を米国務省に送付。
→米国務省は「対馬は日本が長期間にわたり完全に統治しており、平和条約は対馬の現在の地位に影響を
及ぼさない。」として南朝鮮の要求を一蹴。
1952〜1965年、南朝鮮統領李承晩が「一国の領海は干潮時の海岸線より三海里を限度とする」という当時の
国際法上の慣行を無視して朝鮮半島周辺200マイルを領海とすることを一方的に宣言し、公海上に引いた
「李承晩ライン」を根拠として日本漁船の拿捕を実施し、乗組員を最長13年間に亘って抑留。
 南朝鮮が「李承晩ライン」廃止までに日本に与えた損害
  抑留者:3,929人
  拿捕された船:328隻
  死傷者:44人
1953年1月12日、南朝鮮統領李承晩が公海上に根拠もなく引いた「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の
徹底拿捕を指示。
同2月4日、漁船に偽装した南朝鮮船第一・第二昌運号(乗組員12人に加え、憲兵1、特務隊員1、情報隊員1、
警邏5人乗組)が公海上で操業中の第一大邦丸を銃撃し、漁労長瀬戸重次郎(34)を射殺(第一大邦丸事件)。
→南朝鮮は漁船員を脅迫して「領海侵犯した」という嘘の調書に捺印させ、これを根拠として「済州島から脱出
するのを追跡し銃撃した」と虚偽の説明を行い、「日本漁船の李承晩ライン侵犯に対する警告」と正当化を
図るも、公海上で操業中の銃撃と判明。朝鮮沿岸封鎖護衛艦隊司令官グリッチ少将が公海上で一般人を
射殺した南朝鮮軍を非難。
同2月7日、南朝鮮が竹島の「領有」を宣言し、翌年これを占拠。
→日本政府が竹島領有問題を国際司法裁判所に付託することを南朝鮮に提案するも、南朝鮮政府は現在に
至るまでこれを拒否。
1957年、南朝鮮政府が、1956年に日本に密入国した南朝鮮人の強制送還を拒否するとともに、「李承晩ライン」内
で不法拘束した日本人漁師解放の交換条件として密航南朝鮮人を「日本国内で釈放せよ」と要求。

21 :
【コラム】日本のエリート、その作られ方 [10/09/02]
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1283619885/
西欧のような明らかな階級社会であれば、たとえ形式的には競争という形をとっていても、
選抜方法自体の不平等さが目に見えている。だから競争に勝ち残った人々は、勝ち残ったと
いう事実だけでは自分の地位を正当化できない。自分がその地位にふさわしい人間であるこ
とを目に見える形で積極的に示さなければならない。そのため、「高貴な義務」(ノブレス・オブリージュ)
という観念がうまれる。
つまり、西欧の“勝ち組”は、自分が勝っているのは自分の実力ではない、と理解している。
もちろんそれは周りの人にもバレている。だから(後ろめたいから?)貧乏人に優しくした
り、進んで社会のために身を投じたりして、「ほら、ボクも頑張ってるでしょ」と証明しようとする、ってことですね。
ところが日本の選抜システムは形式的には高度に平等で、全員を同じ年齢で一律に選抜に
のせる。その上、選抜の方法も主観的な偏りが入りにくいペーパーテストが主で、選抜機会は強く一元化されている。
日本では選抜競争が平等な競争であると信じられてきた。だからその「高貴な義務」という
概念すらもたないエリート集団がつくりだされた。
一方の日本では、試験を勝ち抜いた人達があたかも「この結果は自分の実力で手に入れたもの
だ」と思い込み易い方式になっている。そのためノブレス・オブリージュもエリートとして
の責務感もない、単なる既得権益層としてのエリート(オレが実力で得たのだから分け与える
必要はない的な)を生んでいる、ということらしい。
不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書) [新書]
佐藤 俊樹 (著)  出版社: 中央公論新社 (2000/06)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4121015371

22 :
教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書) [新書]
竹内 洋 (著)  出版社: 中央公論新社 (2003/07)
ttp://www.amazon.co.jpdp/4121017048
教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化
竹内 洋  中央公論新社 2003-07-25
ttp://www.kei-g-star.net/2010/01/book-review-256.html
日本の教育ドイツの教育 (新潮選書) [単行本]
西尾 幹二 (著)  出版社: 新潮社 (1982/03)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4106002264

23 :
> 泰平無事が続くと、われわれはすぐ戦乱の思ひ出を忘れてしまひ、非常の事態のときに
> 男がどうあるべきかといふことを忘れてしまふ。金嬉老事件は小さな地方的な事件であるが、
> 日本もいつかあのやうな事件の非常に拡大された形で、われわれ全部が金嬉老の人質と
> 同じ身の上になるかもしれないのである。
三島由紀夫「若きサムラヒのための精神講話」より
金嬉老(キン・キロウ)事件
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage68.htm
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kimuhiro.htm
【韓国】1968年に静岡で暴力団員2人を射殺の金嬉老氏、日本に入国許可要請へ 韓国在住の元受刑者[02/27]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1267263804/

24 :
考えてみれば、
日ソ国交正常化交渉時はシベリア抑留数万人、
日韓国交正常化の時は李ライン内で拿捕された漁民数千人、
日中国交正常化の時は未釈放「戦犯」や満州残留孤児数千人、
対北朝鮮交渉では拉致被害日本人数百〜数十人
日本の戦後外交は全て無法に人質をとられた状態でやった身代金交渉になっている
そして相手の言うがままを受け入れる下手外交
戦後の様々な紛争や事件では
人命至上主義だから法や道理を曲げて屈服を強いられてばかりだった
戦後日本が育んだ価値観は欠陥品だったということだ

25 :
西ドイツ再軍備までの動き
ttp://nagoya.cool.ne.jp/lazyman/saigunnbi.html
再軍備への動き
再軍備を推し進めたのは、憲法制定会議議長から首相となったアデナウアーであった。彼は朝鮮戦争をきっかけに
防衛力整備(再軍備)の覚書をだした。しかし、国民の間に厭戦ムードがあり、すんなりとはいかなかった。
時期尚早とする人、大国アメリカ主導の軍備に反対する人、アデナウアーが主張した周辺諸国との集団的安全保障
を前提とした再軍備反対などさまざまな意見が交わされたが、 4年近い政争を経て、1954年3月基本法改正法案が
議会で成立した。
当初、アデナウアーは基本法改正に必要な3分の2以上の議員を確保できず、解釈変更で再軍備しようとした。
しかし、1953年9月の総選挙で与党連合が3分の2以上の議員を獲得したのを機会に、「基本法上疑念のない防衛力
を保有する」ことにした。また野党の指導者が、「防衛力の必要性は認める。ただし基本法を改正しないまま再軍備
するのは容認しない」との姿勢をとったことも大きかった。

26 :
敗戦国ドイツと日本の相違(2)
ttp://blogs.yahoo.co.jp/sanko24bun/archive/2010/8/15
 B 西ドイツはアデナウアー首相指導の下に、冷戦における西側陣営に積極的に参加することを通じて、
主権の完全回復と国際的地位の回復・向上を目指し、その中で長年のライバルだったフランスとの和解に努めた。
 このように西ドイツ国家は49年に成立したが、その時点ではまだ完全な主権の回復を遂げてはいなかった。
ところが、50年6月における朝鮮戦争(注)の勃発により、ヨーロッパでは西ドイツが次の東西の“熱い戦争”の
標的にされるのではないかと西側諸国間で危惧されるようになった。アデナウアー首相はそこに西ドイツの
主権回復と国際的同権化への「大きなチャンス」を見いだした(Manfred Mai;「Deutsche Geschicte」、ドイツ史。
2003、Beltz & Gelberg)。 
 以上のような情勢の下で、西ドイツは51年4月にフランスとともに西欧6ヵ国(仏独伊とベネルックス3国)による
「欧州石炭鉄鋼共同体」(今日のEU=欧州連合の原初形態)設立条約に調印、52年5月には同じ6ヵ国による
「欧州防衛共同体」条約に調印。そして54年10月には米英仏を含む西側9ヵ国会議の「パリ条約」で西ドイツの
占領の終結と主権回復およびNATO(北大西洋条約機構)への加盟が承認された。
 そして、55年5月にパリ条約が発効したことを見届けて、同6月に西ドイツは国防省を設置し、
56年7月には徴兵制を導入。こうしてドイツは西半分ながら敗戦後10年で通常の独立国家に戻った。  

27 :
徴兵制の意味
ttp://blogs.yahoo.co.jp/shigekisatojp/16765086.html
ところで、私が今回の廃止論争で特に興味を深く思ったのは、徴兵制廃止に反対する人々の論調である。
意外にも、国防上・安全保障上の理由から反対論を展開している人が見当たらないのである。
反対論の一つ。これはCDUやCSUといった保守派(国防大臣のグーテンベルクはCSUの所属である)からの議論で、
「徴兵制は保守政党のアイデンティティである」というもの。徴兵制は、1956年、CDUのアデナウアー首相により、
国民からの強い反対論や平和運動に抗して導入された。保守派の政治家から見れば、「自分たちが導入した」
という意識が強いのだろうか。
もう一つ、これが興味深いのだが、徴兵制はドイツの民主主義にとって肝要なものであるという議論である。
これはおそらく、戦後ドイツ特有の考え方かもしれない。軍隊を軍国主義に結びつけ、それを民主主義と対立させて
考えがちな、私のような日本人的な考え方とは全く異なっている。
なぜ、徴兵制は民主主義にとって肝要なのか。曰く、もし徴兵制がなかったら、軍隊は市民社会と民主主義から
遊離した専門家集団になってしまう。「制服を着た市民」が存在することで、軍隊は市民社会一般との繋がりを
維持できる、というのである。
「徴兵制は民主主義の正統な子供である」と、徴兵制廃止に反対する人々は主張する。
それは、保守政党だけでなく、徴兵制が導入された頃にはそれに反対していたSPDの政治家のあいだにも共有
された意見のようである。

28 :
西洋の歴史をさかのぼれば、確かに徴兵制による国民軍は、フランス革命の時にはじめてつくられた。
お金によって雇われた傭兵ではなく、自分の祖国のために進んで無償で戦う兵士。これが徴兵制である。
これが、フランス革命による民主主義と深い関係にあることは疑いを得ない。
しかし、ドイツにはこのような民主主義と徴兵制との歴史的な繋がりは見出しにくい。ドイツにおける徴兵制は、
プロイセンがナポレオン戦争に際して、住民を徴兵したのが最初である。
その後、帝政ドイツの時代にも、ワイマール共和国の時代には、軍隊はむしろ民主主義の敵であった。
いったいどこから、「徴兵制は民主主義の正統な子」なる概念が根付いてきたのか。
それは戦後のドイツ連邦共和国において、軍隊の「シヴィリアン・コントロール(市民によるコントロール)」を
模索するなかでつくられた、新しい思想であろう。

29 :
人命は地球よりも重い―。
人質とられたら何もできない。
人命至上主義の限界だな
戦後日本の思想が完全敗北したということだよ
人命は大事だが、人命より大切な価値がないというのもむなしく悲しいことだねえ
人はパンのみにて生くる者に非ずという言葉があるが、
パンのみに生きてきたのが日本人だ
【尖閣問題】 「船長は悪質。起訴すべき!」と検察→「フジタの4人の人命はどうなるんですか」の一言で釈放へ★5
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1285598903/
 24日午前10時すぎ。法務・検察合同庁舎19階の最高検会議室。中国漁船衝突事件で
 逮捕、送検された中国人船長に対し、起訴を主張する幹部の声が響いた。那覇地検が
 中国人船長の釈放決定を発表する、わずか4時間前の出来事だった。
 集まったのは、大林宏検事総長、最高検の伊藤鉄男次長検事、勝丸充啓・
 公安部長と担当検事に加え、那覇地検の上野友慈検事正と福岡高検の
 岩橋義明次席検事。国会議員の逮捕など重要案件を最終決定する際に開かれた
 「検察首脳会議」ともいえる顔ぶれだ。
 この時点では、方針が釈放で一致していたわけではない。1時間に及んだ会議。
 出席者の一人の発言を契機に全員一致での釈放決定への流れが強まった。
 「4人の人命はどうなるんですか。(起訴したら)危ないんじゃないですか」
 準大手ゼネコン「フジタ」の邦人社員4人が軍事管理区域で撮影した疑いで中国当局に
 拘束されたことが前夜に発覚していた。ある幹部は「人命をてんびんにかければ、
 起訴という判断はできなかった」と悔しさをにじませた。
 船長の10日間の勾留延長が決定した19日の時点で、検察当局は「起訴」に向け
 意気軒高だった。「異論を唱える人は誰もいなかった」(幹部)という。
 潮目が変わったのは21日だった。中国の温家宝首相が「釈放しなければ、中国は
 さらなる対抗措置を取る用意がある」と揺さぶりをかけた。間もなく、邦人4人が中国で
 行方不明との情報がもたらされる。「すぐに身柄拘束を想像した」とある検察幹部。

30 :
>>7-9
ハイデガーwナチズムの馬鹿じゃん(笑)

31 :
今の中国の強烈な反日意識は、江沢民が生き残りのために宣伝強化した反日教育の結果だが、
その江沢民が日本を訪問した時に真っ先に訪問したのが目白の田中角栄宅だ
脳梗塞の結果会話のできなくなった角栄を訪れ「井戸を掘った人の恩は忘れない」と言っていた
日中国交正常化交渉は田中のアプローチに始まり、以来、対中援助は田中派の金城湯池となっていた
どこそこの国はどこの派閥、どの政治家が仕切ると決まっているわけだ
対ソ外交なら漁業利権でかつて河野一郎、中川一郎で、最近は鈴木宗男だった
記憶に新しい北朝鮮外交は、女房が在日北朝鮮人だった旧田中派・経世会のドン金丸信と、
その朋友で同じく女房が在日北朝鮮人だった社会党・田辺誠が動き、
子分の小沢一郎も当時から動いていた
北朝鮮の良質な川砂利権があるといわれている
戦前の日本統治時代、東洋一と言われた水豊ダムを建設した西松建設は
再び半島利権にありつこうと小沢一郎と深い関係が続いてる
これが先日の東北小沢ゼネコン疑惑だ
拉致やミサイルや核開発の問われた北朝鮮との外交で、日本の政治家が目指したのは
あくまで利権の獲得である
対外援助は日系企業の商売の種になり、それを仕切る政治家の懐にキックバックとなって返ってくる
だから援助が増えれば増えるほど日本の政治家が儲かるというわけで、
橋やらダムやら現地の要望とは無関係に建設され、同時に汚職と腐敗を持ち込まれた
それゆえ現地庶民には大して歓迎もされず恨みすら買う
田中がインドネシアを訪問した時はインドネシア版田中角栄、スハルト体制打倒を訴える反体制派の暴動・
マラリ事件が起きたが、日本のODAが日本企業と現地政商、政権と結びついて恨みを買っていたためである

32 :
今なお田中を失脚させたロッキード事件は、資源自立外交を目指した田中を危険視したアメリカが仕組んだ
謀略だとの馬鹿げた妄想を語る愚か者がいるが、
憲法で軍事力に制約があり、米国の核の傘とシーレーン防衛に依存する日本に
そもそも自主独立外交を歩むことなど出来るわけもない
いかな自主開発資源比率が増えたところで、アメリカからすれば鼻で笑うほどのものでしかない
独立した軍事力のない国に独立した外交などはないのである
日本の在外公館では、他の主要国のそれと違って、諜報活動をしてるわけでもなく、
外交官僚らが現地の日本人社会で築き上げた醜悪なヒエラルキーの頂点に立って、
税金を使って高価なワインや絵画を購入し、社交界でパーティーをやり、夫人と優雅にオペラ鑑賞し
定期的に地元紙のスクラップを本国に送ってる程度の仕事をするばかりだ
テロリストに襲撃されたペルーの青木大使などはその典型だろう
しようがないではないか、やることが何もないんだから
目的のない、国益を定義することのできない外務省に多くを期待しても無駄だ
要するに戦後日本外交というのは、地方に公共事業をばらまき、企業から賄賂を受け取るという、
日本の利権汚職政治を、地方を途上国に変えて国際的に展開した、土建政治の世界版にすぎない
軍事力を放棄し、安全保障政策を放棄して、国家であることを停止した戦後日本に
そもそも外交など存在するはずがないのである
国内司法を歪める中国の外交圧力に屈したことで国民的憤怒を生み出し、
日本の国家主権、日本外交のあり方が根本から問われている今、
従来そうした土建政治、土建ODA外交を取り仕切っていた自民党が既に野党に転落しており、
その中枢だった旧田中派・経世会は事実上解体し、
中国に140人もの大朝貢団を送り込み、次世代トップ候補・習近平の訪日時に天皇接見をごり押しして
激しい国民的反発を受けた、
田中角栄・金丸信の継承者、経世会政治文化の申し子である小沢一郎が、
与党内野党に転落してしまっていることは実に皮肉なことだと言うより他ない
もはや日本には土建政治・土建外交は求められてはいないのである

33 :
戦前俺は吉田茂は国賊(米国寄り)と教えられた。それで敗戦後に総理大臣に
なれた。また、吉田学校と言われて自民の政治は売国奴ばかり、「日本人蔑視
・人種差別」で非人道大量殺戮の原爆を広島・長崎に投下の米国は日本監視で
居座る。また日本は中国・ロシア・北朝鮮・韓国になめられる国にされた。

34 :
【国際】 「日本は、世界のATMになる」…日本政府の4500億円アフガン支援で、米識者
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1258515350/
【コラム】経済「誤」運営で損失 なんと100兆円ナリ(野口悠紀雄) [10/05/10]
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1273498763/
ttp://www.toyokeizai.net/business/column/detail/AC/aa03bb760eaa82298fa12da4025afa8b/page/1/

35 :
>>1
そうそう良くぞ言ってくれた。
この馬鹿が徴兵制をしかなかったせいで今のふがいない日本があるっての。
他の問題は置いておいても徴兵制さえ施行しておけば何とかなったのにな。
ここまで日本が落ちぶれることは無かったよ。

36 :
>>22 一番上、url訂正
教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書) [新書]
竹内 洋 (著)  出版社: 中央公論新社 (2003/07)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4121017048

37 :
領土、ロシアも対日圧力
大統領選へ世論意識
日本政府、自制求める
(日経 2010.09.30 朝刊)
(本文略)
外交と社交は違う
 アジアを舞台にした米中ロなどによる外交戦が新しい幕を開けた。尖閣諸島沖の衝突事件
もそうした攻防と決して無縁ではない。日本が取り残されないためには、どんな手を打つべき
なのか。
「鳩山(由紀夫)前首相が2回もロシアに来るというので何か、重要な提案があると思ったら、
ただの社交だった。何の戦略もない日本とつき合っても仕方がない」
 ロシア政府関係者は最近、周辺にこう語った。中国の大国化に伴い、国境を接する中ロの
関係はほのかな緊張が漂っている。首脳会談で対日戦勝という歴史を持ち出すのも、
そんな空気を覆い隠すためだ。
 そうしたなか、ロシアは「日本と戦略的に組めれば、中国との均衡を保てると考えた
こともあった」(日ロ関係筋)。だが、注目していた鳩山前首相の訪ロは、期待外れに終わった。
戦略がない日本とは組みようがない。ロシアはこんな印象を強めているという。
 アジアでは中国の台頭を受け、外交、経済、軍事のあらゆる分野で、国益をかけた攻防が
加速している。日本が北朝鮮に圧力を強め、核や日本人拉致問題を進展させるためにも米中韓ロ
の協力が必要だ。だが、民主党政権にはそんな問題意識や、ちみつな戦略があるようには見えない。
(後略)
(編集委員 秋田浩之)

38 :
【コラム】自力で兵器をつくれない国になる日本:予算縮減の中で瀕死の状態の防衛産業 [10/09/30]
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1285774408/
ttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4513
また、いわゆる「防衛産業」と言っても、大手メーカーだけではなく、
2次、3次のベンダー企業が数千社連なっているのだ。
戦車に限らず、戦闘機が約1200社、護衛艦が約2500社と言われている。
その関連企業のほとんどが、今、危機に瀕しているのである。
国を守るための防衛装備品、それを製造する企業が機能できなくなれば、
日本の防衛はままならない。
「専守防衛」を掲げているわが国にとって、この窮状を放置することは、
すなわち「国家を最後まで守る意思がない」ということでもある。
これは、先人たちが守ってきた国土を簡単に諦めてしまおうという「忘恩行為」
と言われても仕方がないのではないか。
また、兵器を輸入に依存すれば、相手国が「輸出を止める」と言えばなす術もなく、
また、こちらに技術がないと知れば、相手はいくらでも高くふっかけてくるのが商売の常識だ。
防衛予算をケチったつもりが、結果的に「高くつく」こともよく理解する必要がある。

39 :
147 名前:名刺は切らしておりまして[] 投稿日:2010/10/01(金) 02:26:57 ID:Q/ZOX3kl
同じ敗戦国でも、ドイツは西ドイツ時代から世界的な武器輸出大国だったからな
そりゃ武器輸出しなけりゃ生産コスト下げられず、輸入に頼るしかなって
安全保障で輸入元に依存するしかない
自国生産できなければ技術と技術者の継承と生産設備を保てない
しかも防衛費1%枠があるから、政府調達分も限られる
武器禁輸政策とは佐藤栄作首相が打ち出した武器輸出三原則のことだ
佐藤はこの他に非核三原則まで打ち出している
非核ということは、核の傘で未来永劫米国に従属するしかないということだ
ノーベル平和賞が欲しいという個人的な功名心のために日本の国益を捨て去ったようなものだ
政治家が一番やっちゃあいけないことだよ
その上、非核三原則のうちの「持ち込ませず」は沖縄返還時の密約で嘘だったということまでばれている
こんな人物が7年にも及ぶ戦後内閣の最長不倒記録を打ち立てているのだから困ったものだ
ちなみに防衛費のGNP1%枠というのは三木武夫が導入したものだ
日米安保だけでも米国依存なのに、その上、非核で武器禁輸なら
全ての面でアメリカに服従するしかなくなる
どうして日本の政治家は将来を見通して「自立した日本」模索し
そのための政策を考えようとしないのか?

40 :
>>8
東西の相互作用っておもしろいですね。
3000年以上前(http://en.wikipedia.org/wiki/The_Exodus#Date)に、モーセが燃え尽きない柴の近くで
神の名を「エフィエー アシェル エフィエー」と啓示を受けた出来事(出エジプト記3:14)における
動的実践的存在であるところのヘブライ的存在(ハーヤー)をギリシア的存在論(オントロギア)との対比から
ハヤトロギアという造語によりとらえ表現した日本人・有賀鉄太郎がいたのが面白い。
モーセに啓示されたところのハーヤーは未完了形のまさに動的な、存在と時間の根源のよう。
有賀博士はキリスト教思想をギリシア・ヘレニズム的存在論とヘブライ的ハヤトロギアの止揚と考え、
「ハヤ・オントロギア」と特徴づけたそうです。
●参照
愛の言語の誕生(宮本久雄)
存在の季節(宮本久雄)
キリスト教思想における存在論の問題(有賀鉄太郎)

41 :
>>35
日本が平和にここまで発展できたのは
米国を日本の防衛に巻き込むことにも成功したことの影響が大きいのでは。
米国のアジア政策にとっても、日本の戦後復興にとっても双方に益があった。
敗戦後の日本のかじとりに先人の知恵が発揮され私たちは、そして世界もその恩恵を受けてきたのでは?
時が経ち、人とそれをとりまく状況が変化した以上、今、あらたな仕組みを構築するのは
この時代の人々の役割であって、先人たちを弾劾することではなく、そこから学ぶことでは。

42 :
【社会】1960年代後半、政府は極秘裏に核兵器保有の検討をしていた
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286103846/
核政策 ひそかに報告書作成
10月4日 4時38分
ttp://www.nhk.or.jp/news/html/20101004/t10014360351000.html
政府 核兵器保有の検討していた
10月3日 19時53分
ttp://www.nhk.or.jp/news/html/20101003/t10014356841000.html
政府、60年代に核保有検討か NHK報道に外相「調べる」
2010/10/4 0:18
ttp://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E2E1E2E39B8DE2E1E3E2E0E2E3E28297EAE2E2E2;at=ALL
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286103846/896-897
核保有、西独と極秘協議?外相、調査へ
ttp://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101003-OYT1T00710.htm
【政治】 "前原外相、動く" 核兵器保有を検討する秘密協議について、調査を指示…昭和40年代に西独と
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286181367/
外相、調査を指示 核保有検討の秘密協議 佐藤内閣時に西独と
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101004/plc1010041729009-n1.htm

43 :
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286103846/880,903
722 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/10/04(月) 01:44:47 ID:xeoQJCRo0
NHKスペシャルの衝撃内容。
中国の核実験成功で政府が動揺する。
中国の核は脅威なので佐藤栄作がアメリカ大統領リンドン・ジョンソンに原爆を持ちたいと相談。
リンドン・ジョンソンは核兵器で報復する「核の傘」を確約し核保有を思いとどまらせる。
確約を得た佐藤栄作は非核三原則を出し、ノーベル平和賞を受ける。
つまり非核三原則は核があって成立していた。
指摘されていた佐藤栄作は平和主義者でなかったことの裏付け。
時期が時期だけに核兵器の重要性を印象づける番組だった。
880 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/10/04(月) 11:45:50 ID:iXWmwK8w0
佐藤栄作は本気で日本の核保有を考えていたのか?
どうよ?
903 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/10/04(月) 12:34:04 ID:/LLF9f7j0
>>880
間違いなく本気じゃないでしょう。でもアメリカが日本に核の傘を提供していなければ間違いなく
核保有をしたか、少なくともNPTにはサインしなかった。
NPTの批准をインドやパキスタンと伴に渋っていた日本は、アメリカからにサインするように強く
求められていました。
その交渉のため日本は核開発能力が有る事を示し、この権利を放棄する変わりに、アメリカに核の
傘を担保させると同時に沖縄返還を約束させた。
核の傘は、当時は今より大きな意味を持っていました。相手がソ連だったし、アメリカに核をちら
つかせながら、日本を通常兵力で軍事的に制圧する能力を持っていた。通常兵力でも日本は2週間
しか持たなかった。と言うよりアメリカ軍が到着する間の2週間は頑張れる能力を持つように
自衛隊をしていった。

44 :
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286181367/519
519 名前:名無しさん@十一周年[sage] 投稿日:2010/10/05(火) 01:55:59 ID:Kb8aHe6I0
佐藤栄作は表では非核三原則とか武器禁輸政策を訴え、
裏では核武装研究を支持してアメリカをびびらせ、
ノーベル財団に必死で事前活動しながら、
恫喝と買収でノーベル平和賞を受賞した最低の卑劣野郎だ
核武装研究やらせるのは当然だが、こいつはそれを自分がノーベル賞受賞する目的でやりやがった
こいつが非核三原則なんて打ち出しやがったから日本におかしな思想が植えつけられた
吉田茂が経済復興のために便宜的に、方便で憲法9条維持する態度とったために
気づいたら憲法9条が神聖視されるようになってしまった
言ってる本人が心にも信じてないうわべだけのスローガンが、その後一人歩きして
日本の国策を縛り上げて、周辺国に対して日本が劣勢になってしまう
政治家の思想と言葉が軽いと、どれだけ国益を毀損するのかという典型だ

45 :
1.非核三原則を破棄し、「持ち込ませる」を可能にする
2.武器禁輸政策を破棄する
3.インドと軍事技術協定を結び、弾頭ミサイル・弾頭小型化技術・原潜・を共同開発する(日本が技術・資金を支援する)
4.インド国内で日本の資金提供により、日本が設計開発製造した核兵器を、インドの実験場で起爆実験する
5.日本で大部分製造した原潜をインドに輸出し、インド国内でSLBM搭載原潜に改造し、インド所有とする
6.インドと軍事同盟を締結し、日本製造inインドの「インド海軍の源潜」を日本に配備させ、名目“インドの核の傘”にする
こうすれば、日本が技術と資金を提供し、プルトニウムと実験場はインドが提供した上で、
「インドの核」という形で、IAEAから脱退することも、国際社会から制裁を受けることもなしに
日本の核武装が可能になる
しかも、対中国の戦略パートナーとしてインドの軍事力を向上させることにもなるから一石二鳥である。
最近インドは、パキスタン・アフガニスタンで跋扈しているタリバーンがスンニ派であることから、
シーア派のイランと連携を模索し始めているが、
この連携に合流することで、イラン-北朝鮮の関係を断ち切らせることも可能だ
こうすれば、
「日本・インド・イラン」 vs  「北朝鮮・中国・パキスタン」
の状態に持ち込める

46 :
【国際】 インド、核ミサイル配備…「中国に照準あわせ開発」と専門家★2
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1285187103/
【尖閣衝突】インドのマスコミが中国を批判 「狂乱に近い」★3
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1285433298/
中国が強硬な姿勢を強めていることについて、ジャワハルラル・ネール大のG・V・
ナイドゥ教授は、「インドの国益も脅かされかねない」との認識が改めて明確になったと
指摘。その上で、「日本やその周辺国と連携して、中国を除いて、個々の地域的な政策を
全体の政策に発展させることが、インドにとっても長期的な利益につながる」と主張する。
>  その中国が最大の試練をもたらすのは日本だ。もし中国が軍事的に日本に挑んできて
> も、日本は対応するすべをもっていない。日本は核武装を余儀なくさせられることにな
> るだろう。日本の自衛隊は強力で、特に海上(の防衛力)では中国に劣っていない。だ
> が、中国の核兵器に対しては、日本は(米国に依存し独自核を保有しておらず)丸裸同
> 然の状態にある。その状態をどうするかは日本人自身が考えなければならないことだ。 (談)
□元インド海軍中将 K・K・ナイヤール氏
 インド海軍の西部艦隊、東部艦隊の各司令官などを歴任。インド海軍の近代化計画に
も携わった。退官後、政府の国家安全保障諮問委員会のメンバーなどを経て、現在は、
国内外の安全保障問題を専門とするシンクタンク「ヴィヴェカナンダ・インターナショ
ナル・ファンデーション」の会長。
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100927/plc1009271047005-n1.htm
印軍トップ、広島原爆資料館視察 核保有国で初
ttp://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092901000790.html
インド空軍の実質のトップ、プラディープ・ナイク参謀総長が29日、広島市を訪れ、原爆資料館や原爆ドーム
などを視察した。広島市によると、核保有国の軍トップが公式に原爆資料館などを訪問するのは初めて。
 市によると、ナイク氏は防衛省との交流のため来日、広島訪問はナイク氏の希望で実現した。

47 :
アメリカにおける日本の核武装論、クラウトハマー、カーペンター、マケイン、チェイニー、WSJ社説、デビッド・フラム…
ttp://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4063260.html

48 :
>>44
ノーベル平和賞をめぐって
ノーベル平和賞の受賞は、上記の通り非核三原則の制定などが評価されてのものであった。この受賞には
国連大使だった加瀬俊一のロビー活動が寄与したといわれており、佐藤も日記の中で加瀬への謝意を表している。
しかし、平和賞を選考するノルウェーのノーベル賞委員会は、2001年に刊行した記念誌『ノーベル賞 平和への100年』
の中で、「佐藤氏はベトナム戦争で米政策を全面的に支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。
後に公開された米公文書によると、佐藤氏は日本の非核政策をナンセンスだと言っていた」と記し、
受賞理由と実際の政治姿勢とのギャップを指摘した。この記念誌はノルウェーの歴史家3名による共同執筆で、
同年8月の出版記念会見の際にその一人のオイビン・ステネルセンは「佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会
が犯した最大の誤り」と当時の選考を強く批判し、「佐藤氏は原則的に核武装に反対でなかった」と述べたという[32]。

49 :
ガス田共同開発・支那は中間線海域を日本側のみ対象として決裂・「そうなったら戦争だ。軍艦を出す」と言われ、
日本側海域で開発をしない日本政府の不作為は犯罪だ・櫻井よしこ 福田首相に申す
ttp://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/29322670.html
【櫻井よしこ 福田首相に申す】父子二代、中国に幻惑
2008/01/10, 産経新聞
 そして、東シナ海のガス田開発問題だ。国際司法裁判所の過去30年間の判決は一貫して日本の主張、
つまり中間線で分ける主張が正しいことを示している。
1985年のマルタとリビア、93年のデンマークとノルウェー、99年のエリトリアとイエメン、
すべて中間線を基本に海上境界を画定した。中国の大陸棚説は到底通用しない。
 首相としてその責任を果たさないとしたら、首相は父、赳夫元首相と同じ間違いを犯すことになる。
元首相は78年、尖閣の領有権を主張することもなくやすやすと日中平和友好条約を結び、
中国に空前の大型ODAを与えるきっかけを作った。以来日本は、尖閣諸島と周辺海域の東シナ海で、
中国の跋扈(ばっこ)を許しつつ、ほうけたかのような大型援助を与えてきた。いままた首相が尖閣および
東シナ海問題で中国に譲る一方で、日本の最先端環境技術を与えるとしたら、父子二代、
中国に幻惑され国益を損なうことになる。 

50 :
竹島は吉田の時に盗まれ、佐藤で日韓基本条約
尖閣は田中の時に問題になり、福田で日中平和友好条約
金を援助する側の立場の強い時に、領有権問題にはっきり決着をつけておかないから
今頃になってこんなにこじれてしまった
田中の時には主権侵害の金大中拉致事件も揉み消された
戦後の日本は国家主権を守る意識が希薄すぎた

51 :
ダッカ日航機ハイジャック事件は福田の時だ

52 :
日韓基本条約は池田の時から交渉し、佐藤で批准
日韓も日中も、どちらも外相は大平だった
池田・大平、田中・大平
日韓の時は竹島問題はスルーした上に、
池田首相が上限8000万ドルだと指示してるのに現場で6億ドルまで勝手に上積みしやがるし
李ライン拿捕漁民解放のために在日犯罪者を刑務所から解放する約束までしやがった
厳しい交渉に望むと、最後は浪花節の発想でなあなあ決着させてしまう
日本の政治家の欠点だよ
【日韓】「対日請求権談判」秘話[08/28]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1283039370/
http://mimizun.com/log/2ch/news4plus/1283039370/
日本「竹島問題を国際司法裁判所に提起する」 → 韓国「日本領だという判決が出ても、全てを爆破してでも渡さない」 ・・・1962年のお話
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1282988683/

53 :
尖閣なんてたいした問題じゃない。
それより今どんどん日本の国土を買ってる中国人が問題だ

54 :
神風特攻隊を組織して、中国の大都市に突っ込むしかないよ。
マジでさ〜

55 :
武器輸出三原則は
佐藤栄作の頃は対共産圏輸出規制で、
三木武夫の時に全面禁止
三木は防衛費GNP1%枠も導入、
靖国参拝を「私的参拝」だと言い始めたのも三木で、
これ以来、公的か私的かが問われるようになったし、
戦後の非武装平和憲法9条路線を完成させてしまったのが三木武夫だ
それ以降の日本は国家としては抜け殻であり屍と化した

56 :
>>38
【政治】武器輸出三原則の見直しに意欲 北沢防衛相、ゲーツ氏へ伝達も
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286719889/
仙谷氏、武器輸出三原則見直しの議論否定せず
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101013/plc1010131331009-n1.htm
武器輸出3原則の議論 本格化へ
ttp://www.nhk.or.jp/news/html/20101013/t10014543001000.html
武器輸出三原則、見直されるか-首相は否定的
ttp://jp.ibtimes.com/articles/10860/20101012/61349.htm

57 :
【政治】 憲法9条こそ最強の安全保障政策だ 自衛隊の専守防衛化を急げ…天木 直人★2 
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1285920618/1-4,6-13,15
ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100921/216322/
こんなあほが外交官やってたんだから終わっとる

58 :
講和条約は1951年
主権回復後にただちに自主憲法を制定していれば今みたいなことにはならなかった
天皇機関説の擁護に始まり、敗戦後の立場といい、美濃部達吉は立派な人物だった
それに引き換え、教科書裁判の家永三郎を筆頭に多くの変節漢が続出するなど、敗戦後にはむごい日本人が続出したものだ
関嘉彦と丸山真男、森嶋通夫論争
ttp://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2001/ronbun/01-r3.html
 戦後も四、五年すると「空気」は一変するのだが、しばらくの間は国際常識に近い国際政治論、安全保障論
が展開されていた。憲法案の審議では共産党や社会党の議員までも、第九条で自衛戦争まで放棄したら、
日本はどう安全を保障していくのかと、問い質している。また、メディアは、書物も含め占領軍の厳しい検閲
の下にあったが、戦前派の気骨ある言論人は、厳しい制約の中で国際常識に近い主張をしていた。
例えば美濃部達吉氏だが、憲法第九条は「他日完全な独立を回復し得た後に考慮されるべき問題」
だと書いている。占領下の今は甘受するが、講和の後にきちんと改正しよう、との立場である。
 こういう状況が変化してくるのは、一九五〇年頃からのことである。丸山真男氏に代表される
「戦後民主主義」論者が登場し、その独特の平和論が論壇を席捲していくのだが、当時からその問題点
をついていたのが、関氏である。「戦後民主主義」は、その巧みな呼称のために、
単純に〈戦後の民主主義〉のことと思い込まれているが、そこには独特の意味が込められていた。

59 :
三、関嘉彦・森嶋通夫論争
 一般の人々の間で関氏の国際政治論が注目されたのは、『文藝春秋』での森嶋通夫氏との論争によってである。
関・森嶋論争は読者の反響が大きく、翌年の文藝春秋読者賞を受けた。世間の注目を集めたのは、森嶋氏が、
日本は文化交流、経済協力など「ソフトウェア」で国を守る途を探るべきだとし、「不幸にして最悪の事態が起これば、
白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎えるより他にない」としたことにあった。
 論争がなされたのは、ソ連のアフガニスタン侵攻の数ケ月前だが、一九七六年のミグ事件、一九七八年の
栗栖弘臣・統合幕僚会議議長の「超法規」発言の後で、有事や防衛への関心が高まってきていた時期であった。
 関氏の主張は、「共産主義の国はその思想に基づく支配を拡大するため、機会があれば武力侵略をしないとは
限らない、それで日本も自ら国を守るための武力を整え、足りない所は……アメリカとの同盟により補うべし」
というにあった。これに対して森嶋氏は、核兵器の時代に通常兵器で武装しても、核兵器で攻撃されれば
ひとたまりもなく、「玉砕が無意味というなら降参ということになるが、降参するなら軍備はゼロで充分」とした。
「万が一にもソ連が攻めて来た時には自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない。徹底抗戦して玉砕して、
その後に猛り狂ったソ連軍が殺到して惨憺たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り
政治的自決権を獲得した方が、ずっと賢明だ」とした。「白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎える」というのだ。
 この主張は、社会党の非武装中立論の゛隠された意図″を国民に知らせるためのもので、「対ソ無条件降伏」
ということを暴いたものだなどと、謎解きもなされた。

60 :
 森嶋氏は「人間の行動は状況に非常に影響される」ので、ソ連兵も、日本が毅然たる降伏さえすれば、
かつて満州で見られたような掠奪暴行の限りをつくすようなことはない、とした。それに対して関氏は、
「現在ソ連に占領されて政治的自決権を獲得している国が存在するであろうか」と反論した。
また、日本を「何らの犠牲なしに占領できるだろうと知ったなら」、すぐ占領に出てくる国があるだろうし、
そうなれば「他の国も対抗上」、占領に出てくるだろう。そして「占領国同士の間で、日本国内での戦争が
おこる可能性も多い」とした。この点は数年後、岡崎久彦氏が『戦略的思考とは何か』で、巧みに説明したことである。
「戦略的に重要な場所は、敵が取る前に取ってしまうのが常道で」、「まして、戦略的に重要で、
しかも、中立国で、強力な同盟国もなく、独りで守るに足る防衛力もないところなどは取られないはずがない
といって過言」でないのである。
 戦後日本では外国の占領を軽く見る風潮が消えないが、森嶋氏の発言はそれを象徴していた。
占領体験が一度しかなく、しかもそれがアメリカによる寛大な占領だったため、わが国では外国による占領
の何たるかがよく認識されないでいるのである。
 また、文民統制の問題で森嶋氏は、「増強した軍が暴走して昔の軍人統制の時代に復帰してしまう」
危険を説いた。これに対して関氏は、「私の考える文民統制の基盤というのは、現憲法の規定するような
議会制民主主義の徹底と、社会的公正の拡大」であり、その点、日本は「民主主義の歴史が短い割には、
かなり成功してきたと思う」とした。

61 :
眞悟の時事通信
コミンテルン(続1)
ttp://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?mode=Printview&page=496
 私は、以前、何故、我が国の戦後において「検閲」が完全に成功したのか疑問であった。
第一、誰が、毎日全国津々浦々で出される大量の出版物を検閲をしたのだろうか、と。
アメリカ人には不可能だ。アメリカ兵は日本兵より文盲が多く、もちろん、日本語を自由に読み書きできるアメリカ人
は極めて少ない。
 検閲をしたのは、英語を自由に読み書きできる日本人五千百人である。もちろん、知識人、インテリである。
主に帝国大学が、彼ら検閲要員を提供したと思われる。
 以下、「日本人が知ってはならない歴史(戦後篇)」(若狭和朋著)三十五ページより。
「彼らは日給で千円から千二百円の高給を手にした。二十五日勤務として日給千二百円は月給で三万円である。
これは当時の東條英機の資産(十五万円)が、彼らの月給の五ヶ月分に過ぎないという優遇ぶりだった。
検閲の責任者の一人が高野岩三郎(東京大学教授・戦後初代NHK会長)である。」
 この検閲によって、日本はサダム・フセインと同じような悪い国とされ、憲法を書いたのはアメリカ人であるという
事実は封印され、日本人の言論の自由は奪われ、日本人の心は占領軍と共産主義者によりコントロールされて
現在に至っている。
 では、GHQから高給をもらって、密かにそして見事に検閲を成功させた五千百人のインテリ達は何処に行ったのか。
 多くは、検閲官であったということはおくびにも出さずに大学に戻って、定年に達する昭和五十年代までは大学に
居ったであろう。そして、学生に政治経済、民主主義、人権また「検閲はこれをしてはならない」と規定した憲法を
教えていた。また、その他も、戦後GHQによって官界や経済界や教育界から追放された二十一万人の後釜の要職
に収まっていったのではないか。
 何より、五千百名を率いる検閲のリーダーの一人だった高野岩三郎東京大学教授が、言論と報道の自由の中心
である戦後初代のNHK会長に就任する。これは象徴的である。この影響は、昨年のNHKの「ジャパン・デビュー」
と言う反日的な台湾の歴史を扱った捏造番組を生み出している。
 このようにして、戦後は隠微に今まで続いてきた。

62 :
西尾幹二のインターネット日録
ttp://nishiokanji.com/blog/2006/08/2_4.html
<戦時中の米国の対日行為>
 以下は本で知った話です。戦時中米国のグラフ雑誌の表紙に、少女が前線の兵士に手紙を書く場面が
写されていますが、そこに前線の兵士から送られた、死んだ日本兵の"しゃれこうべ"が置かれていたの
です。これは戦時中日本で報道され、"鬼畜米英"のフローガンの原点になったらしいが、こんなことの
報道は勿論占領期間中は厳禁されています。ですから、今の日本人には戦時中の"鬼畜米英"のスローガン
は、人道的な米軍の実態とはかけ離れた、日本の軍国主義の宣伝に国民が嫌々従ったものと理解されて
いるのです。日本の民間人の集団自決が日本軍の命令によるものであるかのように伝えられ、自決せず
とも"人道的な"米軍に助けられたと言う風に思われているようです。でもグラフ雑誌でアメリカ人の本性
を知っていた戦時中の日本人は本当に"鬼畜米英"と思っていたはずです。
 戦争中には、聯合国による戦争犯罪行為もかなりあったことは、インバール作戦などの戦記にも負傷
した日本軍将兵にガソリンをかけて焼き殺した光景が遠くから見えたとの記述に残されていたと記憶します。
その最大の残虐行為は非戦闘員に対する原子爆弾による無差別殺傷です。
<原爆被害写真>
 検閲、言論統制が厳格に守られたのは広島・長崎の原子爆弾の被害写真でした。小学校時代5年生の時、
サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27年ですが、我々は初めて、アサヒグラフで原子爆弾の凄惨な
写真に戦慄したのです。
 これは占領期間中は絶対に報道されませんでした。仮にポツダム宣言による報道、言論の自由が確保
されていれば、戦後直ぐにこの写真は公表されていた筈です。その場合に果たして、聯合国が極東軍事裁判
が「平和に対する罪」「人道に対する罪」で日本の指導者だけを裁くことが出来たでしょうか。原爆被害写真
が公表されるのは「閉ざされた言語空間」の中で日本人が、占領軍が与える材料と統制、管理の結果、
米国が望むような戦争観、米国観を日本人が抱くように出来上がってからのことなのです。つまり、
原爆被害写真を見ても、日本人は、米国には無害化されていたのです。

63 :
【政治】石原都知事 「日本の平和とは、アメリカの愛人手当のようなものだ!」 「日本人が欲に飲み込まれたのはアメリカのせい!」
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286845862/
ところが戦後、アメリカにこの国は骨抜きにされてしまった。アメリカは自由の国を標榜しているが、
その国が日本にしたことは、例えば、1万冊近い本を発禁処分にすることだった。
彼らは、自分たちの利益に適う国にするために、徹底的に抑圧し、
日本人の考え方そのもの、いわば「価値の基軸」を崩したのです。

64 :
日本人が知ってはならない歴史
若狭和朋 朱鳥社/星雲社
ttp://books.rakuten.co.jp/rb/item/1691170/
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
日韓併合は大失敗だった!朝鮮半島・中国大陸を舞台に、近代日本が犯した国家経略の過ち。
知性の“痴れた”日本人が知らざる、歴史の闇とは何か。今なお漂流し、混迷をつづける日本を刮目させる書。
【目次】(「BOOK」データベースより)
序章 「知ってはならない歴史」とは(だれが、何を知られて困るのか?/言語的存在としての日本人の弱さ ほか)/
第1章 痴れる日本の知力(満洲事変は日本による侵略戦争か?/日本人が「知ってはならない」戦後の追撃戦 ほか)/
第2章 韓国併合で知ってはならない歴史(李朝の王朝主義がとった「衛正斥邪」/日朝修好条規は不平等条約ではない ほか)/
第3章 日韓両国民の過誤―日韓併合(劣情日本人に握られている歴史教科書/「日帝三十六年」は何をもたらしたか? ほか)/
第4章 日露戦争勝利と日本漂流の始まり(日露戦争の勝利と英米の支援/小村外相による桂・ハリマン協定の破棄 ほか)
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
若狭和朋(ワカサカズトモ)
1942(昭和17)年、福岡市生まれ。九州大学法学部卒業。岐阜県下の公立高校の教師となり、平成15年退職。
現在、人間環境大学講師(非常勤)。教育学博士(Ph.D.)。発言集団シューレ代表(本データはこの書籍が
刊行された当時に掲載されていたものです)
骨抜きにされた日本人―検閲、自虐、そして迎合の戦後史 [単行本]
岡本 幸治 (著) 出版社: PHP研究所 (2002/01)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/456961938X
閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫) [文庫]
江藤 淳 (著) 出版社: 文藝春秋 (1994/1/10)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4167366088

65 :
週刊文春 090903号 仏頂面日記 148 宮崎哲弥
◆改めて推奨したい、第一級の正戦論の書
・八月十七日(日)
 六十四回目の敗戦の日に因んで、立て続けにマイケル・ウォルツァーの『正しい戦争と不正な戦争』(風紀社)
を紹介した(産経新聞コラム「断層」欄、読売テレビ系『たかじんのそこまで言って委員会』)。
 本欄では邦訳板行直後の昨年の十二月、詳しく触れたが、いま一つの反響だった。然るに、今回は時節柄もあって
か上々の手応え。
 繰り返しておくと、ウォルツァーのこの本は正戦論(戦争倫理学)の古典とされており、アメリカの士官学校において
教科書として採用されているほどの権威のある書物だ。
 ところがそこにポツダム宣言や原爆投下に対する明確な批判が書き込まれていることはあまり知られていない。
 本書は古今東西の戦争行為の理非を倫理学の視点から分析しているものだが、先の大戦の終結に関し
「日本のケースはドイツは十分に異なり、無条件降伏など要求すべきではなかったのだ。日本の統治者たちはより
一般的な種類の軍事的拡張を行ったのであって、道徳的に必要だったのは、彼らが敗北しなければならない
ということであって、彼らが征服され完全に打倒されるべきであるということではなかった」と指摘され、その不要な
無条件降伏を目的とした原爆投下は、不正な戦争行為に他ならなかったと断じている。
「千九百四十五年の夏において、勝利を目前にしたアメリカには日本国民に交渉を試みる責任があった。こうした
試みすらもなく原子爆弾を使用し民間人を殺害し恐怖せしめることは、二重の犯罪であった」

66 :
 これ以外にもウォルツァーは日本国憲法をアメリカの不当な「押し付け」であるとする一方で、しかし、日本国民には
その押し付けられた憲法の内容を議論し、自らの意思で変更することが可能であり、それこそが日本の民主主義の
可能性であると示唆している。
 またやや専門的な、込み入った内容ながら、“マレーの虎”山下奉文大将の「無過失責任」に関する考察なども
興味深い。
 一般論として私が拳拳服膺しているのは、「武力に及ばない政治は戦争に及ばない武力に依存している」という
一節だ。政治論として、平和論として第一級の洞見だと思う。
 四千二百円と高額だけれども、戦争を道徳的、論理的に考えるための緒として改めて推奨しておく。
正しい戦争と不正な戦争 : 評・岩間陽子(国際政治学者)
ttp://www.yomiuri.co.jp/book/review/20090223bk09.htm
正しい戦争と不正な戦争 (単行本)
マイケル・ウォルツァー (著)
出版社: 風行社 (2008/11)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4938662442
正しい戦争と不正な戦争
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E3%81%97%E3%81%84%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A8%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E3%81%AA%E6%88%A6%E4%BA%89

67 :
ジョージ・F・ケナン
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1067694901/
http://mimizun.com/log/2ch/whis/1067694901/
昭和史の真実
ttp://www.history.gr.jp/~showa/index.html
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」に見る
ttp://www.history.gr.jp/~showa/130.html
Japan On the Globe(206) 国際派日本人養成講座----------
地球史探訪:サンフランシスコ講和条約
■3.アメリカは戦う相手を間違えていた■
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog206.html
ワシントン体制
ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/washinton1.html
「平和はいかに失われたか」ジョン・アントワープ・マクナリー原著
《マクマリーの結論》
 ・人権意識がよみがえった中国人は、故意に自国の法的義務を軽蔑し、目的実現のためには向こう
見ずに暴力に訴え、挑発的なやり方をした。そして力に訴えようとして、力で反撃されそうな見込みが
あるとおどおどするが、敵対者が、何か弱みのきざしを見せるとたちまち威張り散らす。そして自分の
要求に相手が譲歩すると、それは弱みがあるせいだと冷笑的に解釈する。中国人を公正に処遇しょうと
していた人たちですら、中国人から自分の要求をこれ以上かなえてくれない「けち野朗」と罵倒され、
彼らの期待に今まで以上に従わざるを得ないという難しい事態になってしまう。だから米国政府が
とってきたような、ヒステリックなまでに高揚した中国人の民族的自尊心を和らげようとした融和と和解の
政策は、ただ幻滅をもたらしただけだった。(180頁)

68 :
櫻井よしこ ブログ!
「航空自衛隊の前幕僚長の論文は全体像把握に必要な知的努力」
『週刊ダイヤモンド』   2008年11月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 764
1920〜30年代の中国研究における米国の第一人者の一人、ジョン・マクマリーのメモランダム、
『平和はいかに失われたか』(北岡伸一監訳 原書房)が一例だ。同メモランダムは日米開戦時の
グルー駐日大使や、戦略論の大家であるジョージ・ケナンら、米国のアジア問題専門家らに影響を
及ぼし続けてきた。そのメモランダムでは20〜30年代の日中関係はどのように見られていたか。
たとえば21年のワシントン会議では、太平洋地域の緊張緩和のための枠組みがつくられた。
マクマリーは、「日本陸軍の現役士官達と『浪人』といわれる愛国主義の権化のようなあの無責任な
連中」の存在を批判する一方で、日本政府は31年の満州事変までは、同会議の「協約文書ならびに
その精神を守ることに極めて忠実であった」、「中国問題に最も深く関わっていた人々は、日本政府は
申し分なく誠実に約束を守っていると考えた」ことを強調している。
マクマリーはまた、満州事変を起こした日本の路線を「不快」と断じながらも、「日本をそのような行動に
駆り立てた動機をよく理解するならば、その大部分は、中国の国民党政府が仕掛けた結果であり、
(満州事変は)事実上中国が『自ら求めた』災いだ」と分析しているのである。
ttp://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2008/11/15/%e3%80%8c%e8%88%aa%e7%a9%ba%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e3%81%ae%e5%89%8d%e5%b9%95%e5%83%9a%e9%95%b7%e3%81%ae%e8%ab%96%e6%96%87%e3%81%af%e5%85%a8%e4%bd%93%e5%83%8f%e6%8a%8a%e6%8f%a1%e3%81%ab%e5%bf%85/

69 :
日本とインド
〜日本兵の花(ジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワー)と東京裁判〜
ttp://harororo.hp.infoseek.co.jp/japan_indo.html
ニューヨークタイムズは東京裁判の直後、この裁判を無効とし、全員無罪を判決したパール判事の少数意見を
一面トップで大きく取り上げこれを評価した。
ロンドンタイムズは1952年6月から7月にかけて約一ヶ月間にわたって、このニュルンベルク裁判と東京裁判の
二つの裁判に対する論争を連載した。
イギリスの国際法の権威であるハンキー卿や、米の連邦最高裁判所のW・O・ダグラス判事もパール博士を支持した。
米の国際法学者マイニア教授は「東京裁判の判決は、国際法、法手続、史実のいずれから見ても誤りであった。
結局《勝者の裁き》に過ぎない」として『勝者の裁き』という著書を世に問うた。

70 :
★張作霖爆殺事件について
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1133178167/
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2005/11/28(月) 20:42:47 ID:bYl3gJwB0
これは、衝撃的な内容である。最近出版された、ユン・チアン&ジョン・ハリディ=著、
『マオ 誰も知らなかった毛沢東(上)』、土屋京子=訳、
講談社、2005年の301pから引用しよう。
「★張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、
ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、
実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン
(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の
仕業に見せかけたものだという」。
盧溝橋事件を起こしたのは中国共産党
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1117431182/
盧溝橋事件
ttp://www.geocities.jp/vivelejapon1945/rokokyo.html
 では盧溝橋事件の黒幕はだれなのか。それは共産党説がある。産経新聞平成6年9月8日夕刊には盧溝橋事件直後
に中国共産党司令部宛ての「成功せり」という緊急電報が届いていることを日本軍が傍受したという事実がある。
なおかつ「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志の指示によって行われたものである」という内容が共産党の
兵士向けのパンフレットにのっていたともいわれる。なお劉少奇は共産党の人物である。批判として日本軍が
支那大陸に駐留していること事態が侵略であるというものがあるがこれは全く意味をなさない。なぜなら、
日本軍の駐留は条約によるものであって決して侵略ではない。

71 :
(6)盧溝橋事件の原因をつくった中国共産党
ttp://www.history.gr.jp/~showa/227.html
(5) これら劉少奇発言を裏付けるものとして、「7・7事変(盧溝橋事件)は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の
一隊が決死的行動を以(も)って党中央の指令を実行したもので、これによってわが党を滅亡させようと
第6次反共戦を準備していた蒋介石南京反動政府は、世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるを得なくなった。
その結果、滅亡したのは中国共産党ではなく蒋介石南京反動政府と日本帝国主義であった。」
(ポケット版中国人民革命軍総政治部発行「初級事務戦士政治課本」)がある。
 以上の諸点を見れば、盧溝橋事件は、排日事件を頻発(ひんぱつ)させ、西安事件によって抗日戦線を形成してきた
中国共産党が、日本との戦争を行うべく、戦略的な突出を行い、国共一体となって、抗日戦を切り開いて行く状況を
作ろうとして起こした事件と見るべきである。
1.7月7日盧溝橋事件まとめ・なぜ日本軍が居たのか・1937年7月7日から日本軍が銃撃され
7月8日に4回目の銃撃で反撃・毛沢東、周恩来、ケ小平、劉少奇(葛西純一)「共産党が戦争を起こした!」
ttp://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/43659929.html
2.7月7日盧溝橋事件まとめ・なぜ日本軍が居たのか・1937年7月7日から日本軍が銃撃され
7月8日に4回目の銃撃で反撃・毛沢東、周恩来、ケ小平、劉少奇(葛西純一)「共産党が戦争を起こした!」
ttp://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/43659977.html
さらに、戦後も今から40年くらい前まで、支那共産党の幹部たちは、支那事変(盧溝橋事件と戦線拡大と継続)が
共産党の仕業だったことを公然と話していた。
●周恩来
―――――――
1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、
日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光を
もたらしたのだ」と発言したと伝えられている。

72 :
ゾルゲ事件
ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-3.html
(d)尾崎らによる日中和平妨害工作
 尾崎は国内世論を誘導するだけでなく、和平の動きそのものも妨害した。蒋介石以下の国民党首脳部と親しい間柄
にあった茅野長知は、上海派遣軍司令官・松井石根大将の依頼により、昭和12年10月ごろから、
日中和平に乗り出した。昭和13年4月には即時停戦、日本の撤兵声明発表などの合意にいたった。近衛首相も
板垣陸相も承認して、この線で和平実現に努力することになった。茅野は国民党政府と接触し、5人の代表を東京に
派遣することとなった。
 しかし、茅野が再び帰国して、交渉の結果を報告すると、板垣陸相の態度は急変「支那側には全然戦意はない。
このまま押せば漢口陥落と同時に国民政府は無条件で手を挙げる。日本側から停戦声明を出したり撤兵を約束
する必要はなくなった」という。
 茅野が「それはとんでもない話だ。国民政府は長期抗戦の用意ができている。そんな情報はどこから来たのか」
と問いつめると、板垣陸相は、同盟通信の上海支局長をしていた松本重治が連れてきた国民政府の外交部司長・
高宋武から直接聞いたという。松本重治は尾崎の年来の友人であり、共に「朝飯会」のメンバーとして近衛首相の
ブレーンともなった人物である。
高宋武は、日本側に「国民政府はもうすぐ無条件降伏する」と伝え、蒋介石には「中国があくまで抗戦を継続すれば、
日本側は無条件で停戦、撤兵する」という偽りの電報を打っていた。こうした謀略によって、茅野の和平工作は水泡
に帰し、その後、高宋武、松本重治、尾崎らによる汪兆銘政権樹立の動きとなっていく。
 国民党副総裁であった汪兆銘は、蒋介石にコミンテルンの謀略に乗った抗日戦争を止めさせるよう願っていた。
尾崎らは、その汪兆銘を担ぎ出して親日政権を作らせ、それを以て日本と国民政府の戦いを続けさせようという
たくみな謀略をしくんだのである。

73 :
陰謀の海・真珠湾
ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-5.html
 モーゲンソーを支えていた財務次官は、ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)である。
ルーズベルトの周辺には、かなりの数のソ連スパイが暗躍しいていた。ホワイトはそのスパイ・グループの一人で
あったのである。
 ソ連はドイツの猛攻を浴び苦戦を強いられていた。もし、極東において日本軍の攻撃を受ければ、腹背に敵を迎え
二正面作戦を強いられ苦しい事態におかれることになる。ソ連の課題は、日本から侵攻されることを未然に防止
することであった。「ゾルゲ事件」も、対ソ連侵攻の「北進説」から、南方進出の「南進説」へと日本の国策転換に
一定の役割を果たしたと考えられている。こうしたソ連の事情から、ホワイトの役割は日本を挑発し日米戦争を
仕掛けることにあったようである。
■真珠湾攻撃の5ヶ月前に、アメリカも日本本土爆撃を計画していたことを示す公文書が発見された。
その推進者であったロークリン・カリーという大統領補佐官はソ連のスパイだった。
(産経新聞:平成11.7.15)
■真珠湾攻撃の原因となった「ハル・ノート」を作成した当時の米財務次官ハリー・ホワイトはソ連のスパイだった。
ソ連指導部は日本の軍事的脅威を除くため、米国を早急に対日参戦に促す「スノウ作戦」をすすめていた。
(産経新聞:平成11.8.22)

74 :
2・26事件で吉田茂と茂の娘
陸軍に暗殺されれば良かったのに

75 :
スイス
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9
スイスは武力によって永世中立を維持してきた重武装の国家として知られる。正規軍は近代的で高度な装備を有する。
同時に多数の成人男子が予備役もしくは民間防衛隊(民兵)として有事に備えている。軍事基地が高い密度で存在
する上、岩山をくりぬいて建設されるなど高度に要塞化されており、主要な一般道路には戦車侵入防止のための装置
や、小屋に擬装したトーチカが常設してある。
国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用している。20-30歳の男子に兵役の義務があり女子は任意である。
スイスの男性の大多数は予備役軍人であるため、各家庭に自動小銃(将校等は自動拳銃も含む)が支給され、
各自で保管している。かつては弾薬も各自で保管していたが、2007年9月より安全上の理由によって、これらは
回収され軍が管理するようになった[3]。対戦車火器や迫撃砲など、より大型の武器は地区単位で設置されている
武器庫に収められている。これらの支給火器が犯罪に用いられることはごく稀である。
近年、国際貢献を前提とした軍のプロフェッショナル化のため、徴兵制を廃止する法案が3回、国民投票にかけら
れたが、いずれも否決されている。
政府によってスイスの一般家庭に配布された小冊子『民間防衛』の内容からもうかがい知れるようにスイス国民は
あまねく有事に備えている。政府が食糧を数年分貯蔵していたり、学校にも緊急避難用のシェルターが
装備されている。

76 :
スイス国民用国防ハンドブック「民間防衛」 より
「われわれが永久に平和を保障されるものとしたら、軍事的防衛や民間防衛の必要があるだろうか。
すべての人々が平和を望んでいる。
にもかかわらず、戦争に備える義務から解放されていると感じている人は、誰もいない。歴史がわれわれにそれを教えているからである。」
「スイスは、侵略を行うなどという夢想を決して持ってはいない。
しかし生き抜くことを望んでいる。スイスは、どの隣国の権利も尊重する。
しかし、隣国によって踏みにじられることは断じて欲しない。」
「親たちがわれわれのことを心配してくれたように、子供たちのことを考えよう。
自由と独立は、絶えず守らねばならぬ権利であり、ことばや抗議だけでは決して守り得ないものである。
手に武器を持って要求して、初めて得られるものである。」
「共同体全体の自由があって、初めて各個人の自由がある。われわれが守るべきはこのことである」
ttp://blogs.yahoo.co.jp/damegi2/20863021.html
スイス政府「民間防衛」に学ぶ
−日本が敵国から武力以外による攻撃を受け、破滅へと導かれないように−
 スイスが永世中立国なのはわりと有名な話です。しかしスイスが軍隊を持っていることはご存知でしょうか?
スイスは「軍事力の放棄」ではなく、「軍事力を保つ」ことによってその独立と平和を守っているのです。
しかもそれだけではありません。常に独立と平和を守れるように、ここで紹介する「民間防衛」を、
スイス政府自らが編集し、全スイス国民に配布していたのです。
ttp://nokan2000.nobody.jp/switz/
核実験場について・スイスとスウェーデンの核開発とスイスの核実験
ttp://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4074516.html
主要国のGDP比較と小国(スイス)の核武装計画
ttp://blogs.yahoo.co.jp/kanazawa_sanetoki2004/20948505.html

77 :
徴兵制については、
ドイツなどでは良心的兵役忌避が容認されていて、
人をことが思想的・宗教上受け入れられないという人は、
代わりに社会奉仕事業に従事することで免除される道がある
徴兵が1年、社会奉仕が2年だったかな
昔、テレビでイギリスの名門パブリックスクールのイートン校の教育を紹介してるのをテレビで見たことがあるが、
イートン校では学生に軍隊で軍事教練を受けさせている
エリートは国家存亡の時、戦場の最前衛に立って市民を防衛する義務があるという
ノーブレス・オブリージュの思想に基づく考えのようだ
ただ、ここでも良心的兵役忌避制があって、嫌な人は訓練やってる間、
他のことを自由にすることが認められていた
日本でこのようなことをやったらいつもの馬鹿な政治家やメディアから非難殺到だろう
日本にはエリートが社会の貢献する特別の使命を負っているという社会的コンセンサスが何もない
誰もが自由きままに勝手なことしてるメダカ社会で、リーダーがいない
近年は少子高齢化して、老人の介護に人手が足りなくなってるから、
介護福祉方面での若者を社会奉仕させる制度を最初は1年で導入、
それを2年に延ばし、次に3年に延ばす。
その次に徴兵制を導入し、徴兵を選択すれば1年で済むようにする
その後に社会奉仕を3年から2年に短縮する
このような手順でやれば徴兵制導入は可能だろう
しかしドイツでは徴兵制廃止の動きがあるし、
今では軍事技術の発達で、軍隊が専門特化しすぎて、
即席軍人というのは役に立たなくなってる
だから制度上、徴兵制がいつでも導入できる状態にしておくだけで十分で、
社会奉仕義務2年間を導入しておくのでとどめておくのが無難だろう
これなら激増して財政を圧迫してくる福祉費用を抑えることができ、
社会公共意識、目的意識の欠落した日本人だらけ育ってるのを矯正できる

78 :
>>21
【税制】『金持ち争奪戦』戦わずして負ける日本--日本人大リーガーが帰国せず“出稼ぎ”するわけ [04/13]
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1271129166/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20100409/213921/?P=1
民主党政権がはっきりと打ち出した「相続税の増税」。その施策は明らかに他国の
動きと逆流している。
カナダ、イタリア、オーストラリア、シンガポール…、これらの国々では相続税を
課さない。米国でも、ブッシュ政権時代に「相続税ゼロ」を打ち出し相続税減免へと
動いている。各国が“金持ち争奪戦”へ手を打つなか、日本の増税政策はさらなる
国際競争力の低下につながりかねない。

79 :
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1287804422/149
> 「イタリアではボルジア家三十年の血の圧政の下に、ミケランジェロ、ダヴィンチそしてルネッサンスを生んだ。
>  スイスの五百年の同胞愛と平和と民主主義は何を生んだか。鳩時計さ!」
by ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)@映画「第三の男」

80 :
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1287804422/143
どんな国でも、その国の家族法をズタズタにしてしまえば、その国の解体・奴隷化は簡単だ
<国家の「解体・奴隷化」を招いている根本は何か>
 日本の長子相続法は、周知のように戦後、占領軍に分割相続に切り換えられた。三島由紀夫の父親・梓の著書
「倅・三島由紀夫」にこんな記述がある。あるアメリカ人から梓が聞いた彼らの放言だ。
 「どんな国でも、その国の家族法をズタズタにしてしまえば、その国の解体・奴隷化は簡単だ。その点、日本の
家族制度は牢固で、他国に脅威を与える禍の根源になっていた。これをアメリカ製憲法で解決し、最大眼目の一つは
見事に達成された。それなのに日本人は、問題の根本が一国の興亡にもかかわる民族的課題であることに気づかない。全く笑いが止まらない」
 長子相続も分割相続も、それぞれメリットとデメリットを持つ。問題は比較考量だ。長子相続は、長子が全てを相続
する代償に、義務として家族全員の面倒を見る。もって家を社会の核とした。分割相続は、その核をバラバラにした。
家々の集合が村や町であり、これらの集合が群や市であり、さらにこれらが県を構成し、ひいては国を構成する。
つまり家が国家の基礎となる。占領政策はこの核を潰した。
 かくして国民一人一人がデラシネ(根無し草)となった。もろもろの社会不安は、ここから来ている。長子相続を
もってすれば、年金や介護などの社会保障費は、おそらく数分の一で済むだろう。少なくとも今日の如き騒々しい
問題にはならない。
 パール博士はアングロ・サクソンへの対抗手段の核として、この長子相続制度の世界史的・社会的意義を明らか
にしょうとした。(中島岳志著「パール判事」白水社より)(堤尭「WILL-2007年11月号」)
ttp://miko.iza.ne.jp/blog/entry/572009/

81 :
 そもそもパールは、現在のバングラデシュ出身でベンガル人。身分の低いカーストであったため差別され、苦学して
大学をでたが、法律研究の動機は伝統的な長子相続法だった。
 なぜなら「インドでは『政治経済』の領域はイギリス流に、文化宗教の領域はインドの伝統を尊重するという(英国の)
統治」であったがため、”法の分断”が生まれ、商法、契約、訴訟などはイギリス流の法律が裁くが、結婚、相続、
不要、家族はインドの伝統に基づき、ムスリムにはイスラム法典が、ヒンズー教徒にはヒンズー法が用いられた。
 問題は統一されたヒンズー法が存在しなかったため、絶対的な判定をできる法典がなかった。そこで「法学者らが
依拠したのが、サンスクリット語で書かれたヒンズーの古典籍」だった。学者らは、この古典籍を体系化し、
ヒンズーの法律は「古典回帰によって統一され、全インドに施行されて行きました」(中嶋)
 西部遭は「(だからパール判事は)イギリスの植民地であるインドが如何にプライドを取り戻すか、(中略)いかに
インド文化のレジティマシー(正統性)とジャストネス(正当性)を保証するための歴史的拠点を見いだすかという、
インドの思想家としての姿勢がある」。
 つまり東京裁判を通して、「パールは旧宗主国であるイギリスに、思想的な反撃を加える機会として書いた」
わけであって、パールの「親日の前に反英があった」。
ttp://www.melma.com/backnumber_45206_4182545/

82 :
日本政治再生を巡る権力闘争の謎
カレル・ヴァン・ウォルフレン
〜中央公論 2010年4月号掲載
ttp://www.chuokoron.jp/2010/10/post_33.html
 民主党が行おうとしていることに、一体どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように
形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きに
するための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。そして民主党は、山県有朋
(一八三八〜一九二二年、政治家・軍人)によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)という、
この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。
 山県は、慈悲深い天皇を中心とし、その周辺に築かれた調和あふれる清らかな国を、論争好きな政治家が
かき乱すことに我慢ならなかったようだ。互いに当選を目指し争い合う政治家が政治システムを司るならば、
調和など失われてしまうと恐れた山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような
仕組みを導入したのだ。
 山県は、ビスマルク、レーニン、そしてセオドア・ルーズベルトと並んで、一〇〇年前の世界の地政学に
多大な影響を与えた強力な政治家のひとりとして記憶されるべき人物であろう。山県が密かにこのような
仕掛けをしたからこそ、日本の政治システムは、その後、一九三〇年代になって、
軍官僚たちが無分別な目的のために、この国をハイジャックしようとするに至る方向へと進化していった
のである。山県の遺産は、その後もキャリア官僚と、国会議員という、実に奇妙な関係性の中に受け継がれていった。

83 :
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。
しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。
すると議会は、今まで以上の要求をしろという。
無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、
「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話のわからない人だ。
ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
英国はその後マレー半島沖合いで戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、
シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。
日本人は外交を知らない。
ウィンストン・チャーチル「対日世界大戦回顧録」より

84 :
チャーチルが愛した日本 (PHP新書) [新書]
関 榮次 (著)  出版社: PHP研究所 (2008/3/15)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4569693652
ttp://books.google.co.jp/books?id=Gveczs87LnsC&pg=PA117&dq=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%81%97%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC
【週末読む、観る】(3)『チャーチルが愛した日本』大きかった母の存在 (1/4ページ)
ttp://sankei.jp.msn.com/culture/books/080427/bks0804270917004-n1.htm
【著者に聞きたい】『チャーチルが愛した日本』(PHP新書・756円)関榮次さん
《大きかった母の存在》
 外交官だったころ、英国の宰相、チャーチルの文書や発言録を読むたび、「どうしてこんなに日本に対して寛容なの
だろう」と感じたという。
『チャーチルが愛した日本』を読んで
ttp://www.gfj.jp/cgi/m-bbs/contribution_history.php?form%5Bno%5D=654
 ウィンストン・チャーチルといえば、1940年から45年まで英国の首相を務め、ルーズヴェルトやスターリンとともに
連合国を勝利に導いた指導者として有名であるが、私はこの人物に対し、最近まで偏見を抱いていた。
それは、ある対談(『吉田健一対談集成』小沢書店、25頁)のなかで、吉田茂元首相が、チャーチルについて
「あの人は日本が嫌いだというから、わたしは会いにもゆかなかった」と語っているのを読んだことがきっかけ
であった(吉田元首相は1936年から39年まで駐英大使)。

85 :
あたまにスッと入るあらすじ 
チャーチルが愛した日本 関榮次さんの新作チャーチルが愛した日本 (PHP新書 513)
ttp://atamanisutto.livedoor.biz/archives/51019923.html
1941年になってもチャーチルは日本を参戦から思いとどまらせるために、重光と頻繁に会い、ドイツ・ソ連を
訪問した松岡宛にレターを書いたり、レターを松岡が握りつぶさないようにコピーを近衛に届けたりした。
重光は結局1941年6月に離任し、その直後の7月には日本軍が仏印進駐で米英諸国との対立が決定的となった。
それにもかかわらず、チャーチルは1941年11月、まさに太平洋戦争の勃発まで1ヵ月となった時に、
マンションハウス演説と呼ばれる演説で日本へ最後の警告を出している。
「私は日本の最も賢明な政治家がもっており、すでに明らかにされている願望にそって、
太平洋の平和が保存されることを希望する。」
しかし日本は戦争に突入し、1945年に無条件降伏するに至る。
1951年には首相の座に返り咲き、当時皇太子だった今上天皇を英国でエリザベス2世の戴冠式にお迎えする。
戦後すぐでもあり、英国民の反日感情は高かったが、チャーチルは歓迎を陣頭指揮して、皇太子を格別にもてなした。
皇太子歓迎のレセプションでは、慣例を破って女王への乾杯の前に皇太子殿下への乾杯を行い、
母ジェニー・チャーチルが日本から持ち帰り、チャーチルも愛用している青銅の馬の置物を取り上げて、
「日本はこの置物のような美術品を生む文化と美術の長い歴史をもちながら、西欧諸国にまともに扱われず、
軍艦を2,3隻もつようになってはじめて一流国として認められた」というジェニーが日本で聞いた話を
皇太子殿下へのスピーチとした。
また吉田茂首相の訪英も反対論を押し切って受け入れ、吉田首相のレセプションでも皇太子殿下のスピーチで
語った趣旨を繰り返し、第一次世界大戦中に日本の協力で、ドイツ軍艦を拿捕でき、太平洋での作戦が
うまくいったこと、吉田首相が平和愛好家として戦前戦中を通して努力していたことをたたえた。
吉田首相は、チャーチルに10年来の旧友のように行き届いた心遣いをして貰ったことに感服したと回顧録に記している。

86 :
あたまにスッと入るあらすじ 
吉田茂 ポピュリズムに背を向けて 今なぜ吉田茂なのか?
ttp://atamanisutto.livedoor.biz/archives/51211675.html
ソ連が極東委員会を通じて、対日占領政策に口だしする構えをみせたので、マッカーサーは1946年2月に
憲法改正草案の作成を命じ、GHQ関係者25名が7日間で草案を作り上げ、吉田と次郎に手渡す。
改正案を日本側が訳して4月に憲法改正案として公表され、国会決議を経て成立した。
憲法改正案が国家に上程されたときに、多くの議員が無念のあまり嗚咽を漏らしたという。
自国の憲法を批准するのに国会議員が涙を流したというのはおそらく日本だけだろうと北さんは語る。
日本人は彼らが抱いた悔しさを今ではすっかり忘れ果ててしまっていると。

87 :
>>22
旧制高校物語 (文春新書) [新書]
秦 郁彦 (著)
出版社: 文藝春秋 (2003/12/16)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4166603558
文学部をめぐる病い―教養主義・ナチス・旧制高校 (ちくま文庫) [文庫]
高田 里惠子 (著)
出版社: 筑摩書房 (2006/05)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4480422153

88 :
>>61-64
GHQ焚書図書開封 [単行本]
西尾 幹二 (著) 出版社: 徳間書店 (2008/06)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4198625166
GHQ焚書図書開封〈2〉 [単行本]
西尾 幹二 (著) 出版社: 徳間書店 (2008/12)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4198626367
GHQ焚書図書開封3 [単行本]
西尾幹二 (著) 出版社: 徳間書店 (2009/10/31)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4198628319
GHQ焚書図書開封4 「国体」論と現代 [単行本]
西尾 幹二 (著) 出版社: 徳間書店 (2010/7/27)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4198629862
西尾幹二のインターネット日録
ttp://www.nishiokanji.jp/blog/

89 :
歴史通:2010年11月号
ttp://web-wac.co.jp/magazine/rekishi/201011r
緊急総力特集
尖閣列島!ならず者国家の侵略が始まった
■田母神俊雄×恵隆之介
犬のシッポ「沖縄」に振り回されていいのか
(略)
田母神
終戦から昭和五十年頃までは、アジア諸国から「いざとなったら日本は頑張る国」だと
認められてきたと思います。ところが昭和五十年をすぎた頃から、国際政治の場で
日本に起きることといえば、頭を下げてエヘヘと笑って誤魔化すということばかり。
今回の尖閣問題でも東南アジア諸国などでは、「日本はもう期待できない」と思っている。
 思い出すのは、昭和五十二年九月二十八日に起きたダッカ・ハイジャック事件。
パリ発日本行きのJAL機がバングラデシュのダッカに強制着陸させられ、日本赤軍関係
の四人を開放しろと要求された。福田赳夫首相は、六人の日本赤軍を開放して十六億の
金をくれてやりました。「人命は地球より重い」という迷いごとを残したこの事件を、
北朝鮮が見ていた。一ヶ月半後の十一月十五日に横田めぐみさんが拉致された。
そして五十三年から、曽我さん、蓮池さんなど、拉致される人が増えてきた。
結果的に何百もの人が拉致されたと考えられます。つまり、ダッカ事件で人質百七十数名
の命を救った代わりのその倍以上の人が拉致されたわけです。

90 :
 対照的だったのが西ドイツ。ダッカ事件の二週間後の十月十三日に、モロッコから
ドイツに向かうルフトハンザ機がドイツ赤軍にハイジャックされた。ドイツは交渉を
続ける一方で特殊部隊を送り込んで、犯人を射殺した。犠牲者が一人出たが、その代わり
というべきでしょう、北朝鮮による拉致被害者は一人。それも奪還したという。
テロに屈した日本と、テロと闘ったドイツ。差が出たというわけです。

あの頃から、おかしくなってきたんですね。
(略)
田母神
 昭和五十七年には教科書検定において「侵略、進出書き換え事件」というのもありました。
これは朝日新聞などの誤報だったのですが、・・・(略)
昭和六十一年には藤尾文部大臣の・・・(略)
 同じ年の昭和六十一年には、靖国参拝問題でも・・・(略)
慰安婦強制連行問題にしても、事実はなかったけれどもあったことにして政治決着を図った。
(略)

91 :
朝鮮半島が併合30年で一定の水準に達して、いまや、ある種の日本の劣化コピーのような国になってるが、
国家というのはだいたい30年で一定のスタイルが確立されるようだ。
朝鮮戦争(50~53)から韓国が復興したのがソウル五輪(88)と考えても約30年。
戦後の日本が昭和50年(1975年)頃から、戦前とかけ離れた性質になったのは、敗戦の昭和20年から30年経った頃だ。
吉田(46~47、48~54)が軽武装路線を敷いてから30年経った頃にはもう身動きが取れなくなってしまっている。
ドイツが敗戦10年で既にノーマル国家に戻ってるが、
昭和25年(1950年)の朝鮮戦争(50~53)をどう捉えたか、
ドイツ・アデナウワーはノーマル国家に戻せる好機だと考え、徴兵制を復活させ基本法を改正した。
しかし日本の吉田は非武装憲法が派兵拒絶の口実に使え、戦争特需で商売になるとだけ考えた。
その違いが戦後の両国の決定的な差になったと思う。
朝鮮戦争で極東認識が一変したが、占領当初にGHQが狙ったのは、
日本を永久無力国家にすることであって、そのための占領憲法だったのだから、
たとえ便宜的でもその趣旨の憲法の一時的維持を、たとえ政治的便宜であっても狙うなどあってはならない。
30年で国柄が一変するということは、逆に言うと、
日本がまともな国に戻るには、今から始めても30年後になるということだ。
今は戦後65年目にあたるが、すると戦後105年目だ。
チャーチルだったか誰かが言った、徹底的な敗戦で日本は向こう100年は立ち直れないと言った推察通りである。
しかし実際には経済復興に関してだけなら国際情勢に助けられて急激なスピードで回復したわけだから、
吉田が安全保障の面でやるべき判断をきっちりしていればほんとは50年で完全復活できてただろう。
遅くとも佐藤栄作(64・11/9~72・7/7)の頃に路線転換を断行しておくべきだった。
佐藤栄作は長期政権だった割には、中身が乏しかった。

92 :
金嬉老事件(1968 S48)が日本社会の転機になったように思える。
当時は佐藤栄作首相だったが、あの時に部隊を突入させて射るべきだった。
それをしなかったことで、ダッカ事件(71)、北朝鮮の横田めぐみ拉致(71)、あさま山荘(72)と
無法者の行動がエスカレートしていって、それを阻止できずなし崩し的に国が溶解して行った。
当時特殊部隊がなかったとしても、事件を機に、創設する政治的責任があるはずなのに、
それを怠り、その後もダッカ事件に対応できなかった。
佐藤栄作は、中国が東京五輪(64、10/10~10/24)の開催に合わせ、
初の核実験してきた直後の政権発足なんだから、
経済復興から安保路線に舵を切ることを政治的使命にしなければならなかった。
竹島は吉田時代の1953年に侵略されて、日本漁船が拿捕されまくって抑留されたままだったが、
池田勇人(60~64)の頃から始まった日韓交渉で、外務局長が爆破してしまえ発言までしでかすし、
竹島問題未解決のまま佐藤栄作の時に日韓基本条約(65年)を締結し、
佐藤は、非核三原則・武器禁輸政策を導入、
劇場型在日朝鮮人凶悪犯罪に屈してしまい、
吉田ドクトリンを完全に確定させて「ひ弱な花・日本」にしてしまった。
国民が日本政府を無力無能で、米国の庇護の下にある存在だと認識してしまってるから、
その後は政治家がいくら志を持って頑張ったところでもはや無力になった。
田中時代には金大中拉致事件(73)もあった。外国の特殊機関が日本国内から著名政治家を拉致する
という、露骨で悪質な主権侵害事件を、田中は私的に韓国から4億円の裏金を受け取り揉み消してしまった。
田中角栄(72~74)で日中共同声明(72)、福田赳夫(76~78)で日中平和友好条約(78)となったが、
条約の年の78年、交渉中に尖閣付近に大量の中国漁船が終結して威嚇までされたのに、
中国副首相トウ小平が勝手に主張した「棚上げ論」に安心し、領有権確定させずにすませてしまった。
友好を偽装することで金と技術を出させて力をつけ、次には援助してくれた国から領土を奪い取るゴロツキの手口。
竹島や尖閣を見れば、戦後の日本が、領土という最も基本的で重要な国家主権に関する意識が、
希薄になってしまってることが分かる。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1287710710/263,290,296,300,303,312,494,495,496

93 :
閨 閥(けいばつ)日本の政治改革
ttp://www.kyudan.com/column/keibatu.htm
繰り返しになるが、吉田茂の長女・桜子は外交官吉田寛と結婚し、吉田は元外相松岡洋右の甥であり、
岸信介、佐藤栄作兄弟とは従弟である。 吉田茂の3女・和子は九州財閥・麻生産業の麻生多賀吉と結婚。 
麻生太郎自民党政調会長はその長男である。麻生太郎は元首相鈴木善幸の娘千賀子と結婚し、
太郎の妹信子は三笠の寛仁と結婚している。
石橋正二郎の弟、元日本ゴム会長の 石橋進一 の息子 慶一 の妻祥子は 池田勇人 の三女。 
また、石橋正二郎の娘の 安子 の夫は 鳩山一郎 の息子 威一郎 で 鳩山由紀夫 、邦夫 の母。
佐藤栄作 の不出来な息子 信二 の妻は東京ガス社長職を世襲している 安西浩 の娘 和子。 
安西浩 の弟 正夫 の妻 満江 は森コンツェルン創始者で、水俣病公害で悪名高い昭和電工社長の
森矗昶(もりのぶてる)の娘で、 満江 の姉妹の 睦子 は 三木武夫 の妻。
閨閥ではないが、冗談で首相になってしまった日本新党の 細川護煕 は、五摂家筆頭の家柄 近衛篤麿 の長男で
貴族院議長、首相を務めた 近衛文麿 の娘、温子 の息子。 細川護煕 の兄弟の 近衛忠W の妻は
三笠宮寛仁 親王の兄弟である ィ子 である。

94 :
>>21 >>78-79
春秋 2010/11/4付
 正直なところ想(おも)ってもみなかった――19世紀前半の米国を見たフランスの歴史家トクヴィル
を驚かせたのが、ありとあらゆる結社の存在だった。まじめなものふざけたもの、巨大なものちっぽけなもの、
「誰もが絶えず団体をつくる」。
▼主著「アメリカのデモクラシー」には、関税に反対する無名の一市民の訴えが新聞を通じて瞬く間に広がり、
全米を巻き込む大きなうねりになっていった様子が描かれている。「アメリカではこの権利の行使は習慣、習俗
の中に組み込まれている」。そんな見立ては、180年近くたっても色あせていないようだ。
▼「反・大きな政府」を掲げた保守派の草の根運動「茶会党(ティーパーティー)」。現代の結社が米国の
中間選挙の結果を大きく左右した。独立革命期に起きた「ボストン茶会事件」とTaxed Enough Already
(もう課税は十分だ)のスローガンの頭文字とをかけたおやっと思う名も、ヒットだったのだろう。
▼そして何よりインターネットの力だ。ネットで情報を共有する「平等感覚」が茶会党の背を押した。
ただこの感覚、心地よさの裏には危険もはらんでいる。
「境遇が平等になればなるほど、人間個人の力は弱くなり、大衆の流れに身を任せるようになる」。
トクヴィルのこんな指摘だって、今も色あせてはいない。
ttp://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE3E5E7E5E1EBE5E2E2E6E3E3E0E2E3E29F9FEAE2E2E2;n=96948D819A938D96E08D8D8D8D8D

95 :
>>17
【日韓】 「竹島周辺で銃撃戦の可能性」 安倍氏が明かす、平成18年の韓国海洋調査事件 [10/09]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1286625641/
平成18年7月に竹島周辺海域で韓国が海洋調査を強行した事件で、
韓国側が調査船に同行させていた海洋警察庁の警備艇に、
日本の海上保安庁巡視船に対して射撃を許可していたことが9日、分かった。
射撃許可は日本政府にも伝わっており、日韓で銃撃戦となる可能性があったようだ。
 安倍氏は韓国側が海軍の艦艇も周辺海域に派遣していたことを紹介。
「危害射撃命令が(韓国の)盧武鉉大統領からひそかに下った」と明らかにした。
日本政府は、韓国側の海洋調査を阻止すれば銃撃戦になると想定。
安倍氏は竹島周辺での阻止活動をやめたという。

96 :
4年前の「竹島事件」記事に関する補足と政治の責任
2010/10/10 08:49
ttp://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1837194/
 …私が聞くところによれば、このとき、小泉純一郎首相は「この件は安倍君に任せるから」という対応だったそうです。
ただ、事態はかなり緊迫していて、韓国の盧武鉉大統領は部下に「危害射撃」の許可を出したとのインテリジェンス
情報が政府に入っていました。竹島は残念ながら事実上、韓国に「実効支配」されているのて尖閣と事情は異なり
ますが、まさに今回の事例と共通する領土・領海問題にどう対処するかという決断が迫られる場面だったわけです。
 そこで、官邸の官房長官室で外務省、海保の最高幹部と協議した結果、安倍氏が下した判断は「接舷しての
阻止活動はしない」というものでした。判断の背景には、「相手が中国だったら、外交は完全にゲームとしてとらえて
いるから出方は分かる。こちらがこういう手を打てば、相手はこうするという予測が成り立つ。しかし、盧武鉉は
韓国側の政府高官や軍人が当惑しているほどおかしな人物であり、何をするか分からない」という事情がありました。
論理的思考や損得計算ではなく、わけのわからない飛躍した考えでめちゃくちゃしかねないということですね。
 ちなみに、盧武鉉氏は意図してそう振る舞ったのではないでしょうが、外交交渉では相手国にこのように
「何をするか分からない」と思わせることは重要です。北朝鮮なんか、それだけでここまでしのいできた部分
がありますね。そして、官房長官室では、安倍氏と当時の石川裕己海保長官との間で、次のような緊張
あふれる会話が交わされたといいます。
 安倍氏「韓国側から射撃を受けたら、装甲の弱い海保巡視船は炎上、沈没もありある。ここで盧武鉉の『●×△』に
付き合って隊員の生命を危険にさらすわけにはいかない。接舷しての阻止はやめることにする」
 石川氏「官房長官、隊員はもとより領海を守る任務に命をかけています。その隊員の生命保護を理由にしての
接舷とりやめには承伏しかねます」
 安倍氏「分かった。それでは前言は取り消す。今回は、政治的・外交的な理由に基づく政治の判断として
接舷はしないということにする。それならいいか」

97 :
韓国の不法占拠後の1981年に韓国が竹島の東島にヘリポートを建設
この時の鈴木善幸内閣/官房長官 宮澤喜一/外務大臣 伊東正義 
1997年(平成9年)11月:韓国、500トン級船舶が利用できる接岸施設設置。日本政府は抗議。
この時の橋本内閣/官房長官 梶山静六/外務大臣 池田行彦 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC2%E6%AC%A1%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E5%86%85%E9%96%A3
1998年(平成10年)12月:韓国、有人灯台設置。日本政府は抗議。
この時の小渕内閣内閣/官房長官 野中広務/外務大臣 高村正彦 /

98 :
フォークランド・キプロス・ペレヒル島、そして竹島
ttp://blogs.yahoo.co.jp/tero19632001/32377957.html
スペインがモロッコ兵を無人島から排除
ttp://www.worldtimes.co.jp/w/eu/news/020717-210116.html
【海外】モロッコ軍兵士が上陸 スペインが即時撤収を求める・・・無人島
http://news2.2ch.net/newsplus/kako/1026/10264/1026494194.html
【国際】スペイン軍がモロッコ軍をレイラ島から追い払う
http://news2.2ch.net/newsplus/kako/1026/10268/1026894337.html

99 :
>>21
【韓国】橋下大阪府知事がソウル訪問、エリート校など視察[11/05]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1288931542/
【日韓】橋下知事「韓国のエリート教育を参考にしたい」[11/06]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1289015552/
【教育】ハーバード大の日本人留学生数 韓国人の1/8、中国人の1/7 企業経営にも影響が甚大 [10/10/27]
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1288580297/

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