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2012年6月独身貴族237: 泣ける話おしえて。 (591) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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泣ける話おしえて。


1 :06/02/16 〜 最終レス :12/05/30
この4年間、一度も泣いておらず
ちと泣いてみたいです。
なんか泣ける話、
おしえてください。

2 :
>>1
伝わらなかったかもしれないけど
私は君が思う以上に君のことが好きでした^^
じゃあね

3 :
ウサギをサッカーボール代わりに虐待 容疑の3少年逮捕
2006年02月15日12時10分
 東京都江東区の小学校で飼育されていたウサギをけり殺したとして、
警視庁は15日、同区内の無職少年3人(いずれも18歳)を動物愛
護法違反などの疑いで逮捕した、と発表した。少年らはウサギをボール
代わりにサッカーをしており、「面白半分でやっていてエスカレートした」
などと供述。発覚を免れるため、ウサギの死体を重しと一緒に袋に入れ
て運河に捨てていたという。
 調べでは、少年3人は昨年5月8日早朝、同区立の小学校に侵入。
小屋で飼われていたウサギ1匹を持ち出し、約1キロ離れた公園でける
などして殺した疑い。公園内のすり鉢状になったローラースケート場で
、はい上がってくるウサギを交代でけったという。
 3人のうち2人は同小学校の卒業生。ウサギは生命の大切さを学ぶため飼育されていた。
児童らは「ゆきのすけ」と名付けて可愛がっていた。
行方がわからなくなってからは児童らがポスターを作るなどして捜していた。
出所:ttp://www.asahi.com/national/update/0215/TKY200602150212.html

4 :
父亡き後、母は女で1つで俺と妹を育て、俺は大学院まで卒業できた。
自分で生計を営むようになって、母は苦しい生計であっただろうに、俺たち兄弟に貧乏であることを感じさせない
配慮をしていたと今になって感じる。
これからのんびり自分の人生を楽しんでもらおうと思っていた矢先・・・
母はガンで病院との往復の生活になってしまった・・・。

5 :
それがどうした

6 :
1の性別と年代をオシエロ

7 :
うるせえ・・仕事の帰りに1万7千少し入れた財布を落としてきたさ・・・(;ω;)ウッウッウッウ

8 :
>>7
乙。
まあ、その財布を拾った人が幸せになるということで…
カードは一応止めておけヨ

9 :
フランダースの犬借りてみろ

10 :
竜王「よく来たドクオよ。ワシが王の中の王、竜王だ。
ワシは待っておった。そなたのような若者が現れる事を…
もしワシの味方になれば世界の半分をお前にやろう。」
('A`)「王女に嫌われ、町人から蔑まれ、王からは捨て駒扱いな俺を待っていたのか。」
竜王「そうとも、お前が勇者であるがゆえにワシは待っておった。」
('A`)「期待外れだっただろう?期待してたあんたにも、ローラ姫にも、悪い事をしたよ…」
竜王「ならば、なぜ人のために戦う。王女を助け、我が同胞を倒し同胞に倒され、何故ここまで来た。」
('A`)「勇者だと言われたから。気休めの嘘だって知っていたけど、俺は、勇者だって。」
竜王「世界の半分を手に入れれば、そなたを馬鹿にした者どもは皆かしづくだろう。
あの王や王女さえも、そなたの手の中だ。さあ、ワシと共に世界を手にしようではないか。」
('A`)「いいえ、世界なんかいらないよ。嫌われるだけだし、俺なんかすぐイケメンに倒されるよ…。」
竜王「愚か者め…!」
そうぜつで れきしにのこる たたかいが あった。
しかし それは こどくな たたかいだった。
てんが ふるえ ちが さけ ついに…。
竜王「クッ…さあ、殺せ!ワシを殺して、賞賛され語り継がれる本物の勇者になるがいい!」
('A`)「…世界なんかいらないから、俺の友達になってくれないか。」
竜王「戯言を言うなッ!勝者の余裕か、人間め。」
('A`)「初めて…なんだ…。」
竜王「何?」
('A`)「俺を差別せず、俺を疑わず、俺を認めて、俺を勇者として扱ってくれた奴は、アンタが…初めて…。」
竜王「…馬鹿者。魔王に泣かされる勇者があるか。さあ殺せ。殺して故郷へ帰るがいい。」
('A`)「殺せないよ。それに俺の故郷はもう…。」
竜王「………。」
りゅうおう が なかまに なった。
りゅうおう は みがわり を のこして かれら は はるか とおい ちへ たびだったと いう…。

11 :
フラッシュに泣ける話がたくっさんあるよ

12 :
不思議なのは、泣ける話が好きなくせに、おまえら何でそうなんだろな?

13 :
a

14 :

泣ける話?
ねーよ

15 :
思うんだ・・・。俺、死ぬ前に小学生の頃を
一日でいいから、またやってみたい
わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方までまた遊んだ
空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、家族が「おかえり〜」と迎えてくれて
TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)
お風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、子供なのにさもわかってるように見入ってみたり
でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る
みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって…
そして死にたい

16 :
>15乙
ちときた。

17 :
なんか俺の知らないところで同窓会やってたらしい
そりゃクラスじゃ浮いてたけどやっぱ応えるよなあ
独りは辛い

18 :
 もういきられへん。ここでおわりやで
 そうか。いっしょやで。わしの子や
 京都・認知症母殺人初公判
  ―― 地裁が泣いた ――
 介護疲れ54歳に「情状冒陳」
 認知症の母親(86)の介護で生活苦に陥り、相談の上で殺害したとして承諾殺人などの罪に問われた京都市伏見区の無職、
K被告(54)の初公判が20日、京都地裁=東尾龍一裁判官(54)=であった。
 K被告が起訴事実を認めた後、検察側がK被告が献身的に介護をしながら失職などを経て追いつめられていく過程を詳述。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
 事件は今年2月1日朝、京都市伏見区の桂川河川敷で、車椅子の高齢女性とK被告が倒れているのを通行人が発見。
女性は当時86歳だった母で死亡。K被告は首から血を流していたが、一命を取りとめた。
 検察側の冒頭陳述によると、K被告は両親と3人暮しだったが、95年に父が死亡。そのころからく母に認知症の症状が出始め、1人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。K被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、
9月に退職。生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
 介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。力ードローンの借り出しも限度額に達し、
デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」。K被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区の桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。ここで終わりやで」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。K被告が「すまんな」と謝ると、
母は「こっちに来い」と呼び、K被告が額を母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
 この言葉を聞いて、K被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺害し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。
 冒頭陳述の間、K被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を振るわせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
 自宅近くの理容店経宮、松村和彦さん(44)は、「(K被告は)母親と手をつないでよく散歩し、疲れて座り込むとおぶっていた。
(事件を聞いて)行政で何とかできないものかと思った」と語る。【太田裕之、石川勝義】『毎日新聞』2006/04/20 より

19 :
高卒→DQN。人生の敗北者。折り紙つきのクズ。犯罪者予備軍。自分は一番苦労して不幸だと思い込んでる。
     若い頃何も考えていなかったアホ。何を成し遂げても評価されることはない。人類の恥。 一生高卒という名の十字架を背負って生きる。
     人から愛されることはまずない。カスゴミ。朝鮮人に馬鹿にされる。生きてる価値なし。親も馬鹿。すぐ家庭の事情を持ち出す。
     世界中どこへ行っても、人として扱われない。死んでも誰も悲しまない。サルより知能が低い。嘘つき。
     すべて他人のせい。成人式で暴れる。大卒のワーストレアケースと高卒のベストレアケースを比べる。
     一生苦しみながら死ぬことになる可能性大。世界中の人たちから白い目で見られる。臭い。幸せはない。 専門卒→
________________人間の境界線______________________________________________________________
中卒→「本当に頭の良い人間は人から教えを請う必要はないんだよ。」と言える。アウトローカコイイ。ダークホース。
Fランク大→学歴を聞かれると「大卒です。」としか言えない。 女に馬鹿にされる。生きてて恥ずかしい。怠けていた結果。高卒しか馬鹿にできない。
________________学歴を聞かれることに怯えなければならない境界線_________________________________
日東駒専、田舎地方の駅弁→やはり少し恥ずかしい。不完全な人間。まともな人間まであと一歩。
________________2chで煽られることに常に怯えていなければならない境界線______________________________
マーチ駅弁卒→普通。ここまでくればまぁ良い方。2chじゃ馬鹿にされることがある。
________________エリートの境界線_______________________________________________________________
駅弁上位(神戸、筑波、千葉、金沢)、東京都立、大阪市立、北大、中央法、早稲田社学人科、慶応SFC、同志社→かなり良い方。 合コンで少し自慢できる
早慶地帝→勝ち組。就職、女受け良し。派閥多し。高卒をカス扱いできる。高卒を理由なく殴っても許される。
________________神の境界線____________________________________________________________
東大京大卒→真の勝者。将来は全く明るい。女金すべてが自由。理由なく高卒、Fランク大、中卒を殴っても許される。超エリート。べジータ。

20 :
あれは確か、終電逃して近くのネットカフェで一晩過ごした時だ。
早朝にカフェを出て駅へ向かう途中で、ゴミ収集車に乗ってる親子連れがいたんだよ。
多分、「お父さんの仕事見てみるか?」って感じの流れで運転席に子供と奥さんを
乗せてたんだと思うんだけど、凄く幸せそうに見えたんだよ。
「俺には一生ああいうのはこない。絶対に一生来ないんだ。」
って思ったら涙が止まらなくなってさ。
横断歩道の手前の電柱に寄りかかって大声で泣いたのを覚えてる。
あの時に見た、朝焼けに照らされたゴミ収集車の姿が今でも脳裏に焼きついて離れない。

21 :
>>20
文才ないな

22 :
読んでいて涙が止まりませんですた。
http://chodenshop.com/greeting.htm

23 :
18見て泣いた
ファミレスにいるから横のおばさんに怪しまれてるよ

24 :
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

25 :
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。
先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

26 :
以前、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、そのうちメモリが
いっぱいになったらしくてメカ音痴な母は「ねえ、これ写らなくなっちゃっ
たんだけど…」と遠慮気味に相談してきたけど、漏れは面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ! 忙しいからくだらないこと
で話しかけるなよな!」と罵倒してしまった。
その母が先日亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、なんとはなしに撮ったもの
を見てみた。
漏れの寝顔が写っていた。
涙が出た。

27 :
今日、スロット行こうとしたけど金がなかったので、母親の財布から
金パクろうと思って開けたら、10年前の母の日に俺があげた肩たた
き券が大事そうに入っていた。
俺は泣きながら2千円を抜き取った。

28 :
ジェリーが大人になった頃トムはもうこの世にいませんでした。
トムは自分の命の終わりがすぐ傍まで来ているのを知ったとき、
こっそりジェリーの前から姿を消しました。
ジェリーの前で弱って涙もろくなった自分を見せたくなかったのです。
トムはジェリーの心の中ではずっと喧嘩相手として
生きつづけたかったのです。
トムがいなくなったのに気づいたときジェリーは悲しみは
しませんでしたが、退屈になるなと思いました。
トムとの喧嘩は最高にスリルのあるゲームでしたから。
胸の奥が不思議にチクチクはするのですが、それが何なのか、
ジェリーにはよくはわかりませんでした。トムの願い通り、
ジェリーの心の中でトムはいつまでも仲の悪い喧嘩相手でした。
そんなある日ジェリーの前に一匹の猫が現れました。トムよりのろまで
体も小さい猫です。喧嘩相手のトムがいなくなって寂しかったジェリーは、
今度はこの猫を喧嘩相手にしようと考えました。そこでジェリーは、
穴のあいた三角チーズが仕掛けられたねずみ取りを利用して、
その猫に罠をかけることにしました。いつもトムにしていたように。
ジェリーは物陰に隠れて、ねずみを求めて猫がねずみ取りの近くに来るのを
待っていました。そして思惑通り猫が罠に向かって近づいてきます。
ジェリーはしめしめと思いました。いつものように、
自分がねずみ取りにひっかかるふりをして、逆に猫をねずみ取りにかけてやるんだ。
うふふ。手か尻尾を挟んだ猫の飛び上がる姿が頭に浮かび愉快です。
でも、その猫はトムではありません。猫はチーズの近くまで来たとき、
ジェリーが出てくるより早く美味しそうなねずみの匂いに気づき、
目にもとまらぬ速さで隠れていたジェリーに襲いかかってきました。
ジェリーはいつもトムから逃げていたように逃げましたが、
トムよりのろまなはずの猫にすぐに追いつかれてしまい、
体をガブリと噛まれました。ジェリーも噛みつき返しましたが、
トムより体が小さいはずの猫は平気です。
血まみれのジェリーは薄れ行く意識の中で、本当は鼠が猫と喧嘩して
勝てるわけがないことと、いつもトムはジェリーに「してやられた」ふりをして、
わざとジェリーを捕まえないでいたことを、そのとき始めて知ったのです。
トムの大きな優しさと友情に気づいたのです。
そしてトムがいなくなった時の胸の奥のチクチクの正体にも気づきました。
かけがえのない友を無くした悲しみでした。
ジェリーの魂が体を抜けた時、
空の上には優しく微笑みジェリーを待っているトムがいました。
「また喧嘩ができるね」
「のぞむところさ、今度こそは捕まえてやるぞ」

29 :
自分が消防の頃、親やじいちゃんは農作業のため学校から帰ると家には
ばあちゃんしかいなかった。だから自然とばあちゃんっ子になった。
学校から帰ると丁度おやつの時間だったのでばあちゃんはよくご飯の余りで
塩だけのおにぎりを作ってくれた。それがすごく好きで毎日楽しみに待っていた。
自分でも喜んで食べてたし、ばあちゃんも嬉しそう顔をほころばせていた。
でも中学生になって人並みに反抗期になりいつしかばあちゃんとの会話もまともに
しなかった。当然おにぎりも食べなくなった。親に反抗はしなかったけど代わりに
ばあちゃんに反抗してたんだなぁと今になって思うよ。
それが中3のある日、突然旅立った。誰にもさよならを言うことなく風呂場で
静かに亡くなった。葬式中、もう会えない、謝ることも何かしてあげることも
出来ない・・・そう思った瞬間ボロボロと涙が出てきた。死んだ直後や通夜でも
泣かなかったに人目を考えず大泣きした。多分今までの人生の中であれ以上に
泣いたことは無かったと思う。
あの塩おにぎりが食べられないんだなぁと思うと今でも涙腺が潤んでくる。
あれ以上に美味いおにぎりは今でも食べたことが無いなぁ・・・

30 :
カーチャンネタは反則っつーくらい来るモノがあるな。

31 :
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/car/1163425857/207

32 :
でたぁ

33 :
最近はこれかな?
ttp://keeping.seesaa.net/article/17463707.html
ttp://www.geocities.jp/bikelovestory/kaze.html
とか
ttp://www.geocities.jp/bikelovestory/donkanyarou_1.html
ttp://www.geocities.jp/bikelovestory/donkanyarou_2.html
ttp://www.geocities.jp/bikelovestory/donkanyarou_3.html
とかは同じバイク乗りとしては来るものがある。

34 :
ちょっと前に、おばあちゃんが死にました。
クモ膜下出血でした。
小学生の頃は両親が共働きで、家にはおばあちゃんしか居ませんでした。
私はおばあちゃんが大好きで大好きで、いつもおばあちゃんの部屋にいました。
学校の家庭科の授業で「小物作り」をしたときも、私は葡萄の剪定をする鋏を入れる袋を作っておばあちゃんにあげました。
肩たたきは毎日していました。
それくらいおばあちゃんが大好きでした。
高校に上がって暫くすると、おばあちゃんに認知症の症状が出てきました。
デイサービスに行くようになって、楽しそうにしているのは良かったのですが。
迎えのバスを、7時くらいからずっと外に出て待っていたりするのです、。来るのは9時なのに。
「まだバスは来ないよ」と声をかけても、「草取りをするから…」と言って聞きません。
他にもいろいろなこと。何度言っても聞かないので、段々おばあちゃんがムカついてきました。
あまりおばあちゃんと話す事もなくなりました。
トイレを失敗するような事はありませんが、それえでも介護する母のストレスは物凄かったようです。
大学2年のとき、おばあちゃんはグループホームに入りました。
それから暫くして、おばあちゃんはグループホームで亡くなりました。
私は大学の実習があったので、死に目には会えませんでした。
お葬式も終わって、グループホームの荷物を家族で引き取りに行きました。
服、下着、布団、テレビ。
引き出しを開けると、大きめの茶封筒が入っていました。
中には、私の写真が沢山入っていました。
病院でおばあちゃんにだっこされている写真。
七五三の写真。入園式の写真。入学式の写真、卒業式の写真。
おばあちゃんに送った、鋏入れも入っていました。
それから、私が小学生の頃に描いた、おばあちゃんの絵。
「おばあちゃんだいすき」と書かれた、私の拙い字。
家に帰ってから、母が言いました。
「おばあちゃんにだっこされた孫は、アンタだけだったんよ」
「他にも孫は4人おるけどな、みんなだっこなんかされてなかったよ」
「グループホームの職員さんにもな、アンタの話しかしてなかったみたい」
「『頭の良い自慢の孫』って言っとったらしいよ」
おばあちゃん、ごめんね。
あんなに大好きだったのに、私はそれを忘れていました。
大好きです、おばあちゃん。大好きです。
大好きです。大好きです。

35 :
姉が3歳だった頃のお話です。
私を妊娠していた当時の母は、国立病院に予約を取りに行きました。
病院まで車で20分ほど、連日混んでいる病院は予約を取りに来る人で一杯で
母は朝5時に家を出て予約を取りに行く事にしました。
姉は当時10時くらいまでは全く起きなかったので、無理に起こして連れて行く
のもかわいそうだと思い、そのまま起こさないようにコッソリ出かけました。
ですが、姉は車の出発する音で起きたようで・・・
家に帰ってきた母が見たのは。
暗い部屋でガタガタ震えながら、泣き続けている姉の姿でした。
いつもはトイレも上手に出来ている姉がお漏らしをしており、寒かったから
脱いだのかは階段に脱ぎ捨ててありました。
足は汚れており、両親を一生懸命探した様子が伺えました。
泣き疲れてもなお、泣いている姉がそこにいました。
母は姉を抱きしめ、「連れて行かなくてごめんね。ごめんね。」と何度も
抱きしめたそうです。

36 :
コピペスレからのコピペ
これも。かなりの長編
■早く結婚してくれ
ttp://keeping.seesaa.net/article/17463707.html
ほんと、職場じゃ見ない方がいいよ

37 :
age

38 :
自分は父の顔を知らない。
自分が2歳の頃、交通事故で死んだそうだ。
母に「お父さんの名前、なんて―の?」とか
「お父さんの写真、見して!」とか
「お父さん、メガネかけてたの?」とか聞いても、黙って首を振るだけだった。
父がいない分、母は毎日朝早くから遅くまで仕事をしていた。
酷いときには、1週間母を見ない日だってあったのだ。
そんな時、面倒を見てくれたのが祖父母。
誕生日もクリスマスも、祖父母と一緒。
母とは土日に外出するくらいで、正直何を話したら良いのか全然わからなかった。
小学校のときは「お母さんはカッコよくて、頭が良くて、仕事もすごい出来るんだ」
と、よく自慢していた。
でも、本当はそんな自慢なんていらなかった。
母とちゃんと話がしてみたかった。
そんな時、いつも思うのが死んだ父。
父がいたら、母とも毎日話せた。
父がいたら、母がこんなに仕事をすることもなかった。
父がいたら、父がいたら、父がいたら…
そんな思いがひたすら溢れた。
祖父母は大好きだ。文字の書き方からきゅうりの切り方まで全部教えてくれた。
それでも、やっぱり…
母は父のことを教えてくれないだろう。絶対に。
そんな小学生時代に終止符を打つように、母の再婚が持ち上がった。
小学校の卒業と同時に、県外に引っ越し、新しい父と母との3人で暮らすということだった。
実際、自分は本気で祖父母の所に残ることを考えた。
小学校の友達と離れるのは辛い。でも、それ以上に祖父母と離れるのが嫌だった。
それでも、母の涙に折れて引っ越すことになった。
その時はまだ知らなかった。
母のお腹には新しい父との子供がいた。


39 :
新しい父は妹が産まれるまでは優しかった。
しかし、妹が産まれた途端、がらりと変わってしまった。
理不尽な怒り方ばかりしかしない。
母の前では優しいのだ。なのに、母がいないと口調も変わる。
それは2年経った今でもちっとも変わらない。
どうしようもなく、辛くなっても話せる人がいなかった。
先週、祖父母を訪ねたときに今まで教えてくれなかった父の墓を聞いた。
全てを話すと、祖父母はこっちに引っ越して来いと言ってくれた。
でも、それは出来ない。
母にもその事実を話さなくてはいけない。母はきっと悲しむ。
今まで、母親らしいことをしてくれなかった母でも、母が悲しむのは見たくない。
そして今日。
祖父母から父の命日だと聞いていた日。
学校を休んで亡き父に会いに行きました。
父の墓は綺麗に掃除されていて、花も供えてありました。
「お父さん、自分はもうすぐ高校受験です。
 今まで会いに来れなくてごめんなさい。
 お父さんの顔は分からないけど、辛い時にはここに来ます。」
本当に父に会いたいと思った。

40 :
・・・・昔々 ある所に一人の駄目人間がいました
そいつは大学を中退して社会に出るため職を転々と廻ったんだ
1社
2社
3社・・
ちょうど冬の寒さが身に沁みる時期でしょうか
12社目を受けた時です
「お前を雇う所なんてどこにも無い」
と面接官に言われました・・・・
それから 彼の引きこもり人生が始まったのです
当初はちょっとだけ休みを取って疲れた体を癒せればそれで良かった・・
両親は笑顔で「疲れたんだろ?少し休んでから頑張りなさい」
って言ってくれたんだ
俺はいつか絶対に両親を幸せにしてやろうと決心した・・・
でも そんな思いは長くは読かなかった
一度 ひきこもりにはまってしまうと怖くて動けなくなってしまう
自分が天才哲学者にでもなったかのように世界を決め付ける
・・・・
ーそんなこんなで3年もの月日は流れたある日
彼はもうドア越しに話かけられても
会話できない程 アホ丸出しの引きこもりと化していた
母親「あなたに会いたいってお友達が来てくれたわよ・・」
震える声で言った
ドンドン!っとドアを叩いて 誰かが叫んでる
「おーい!俺ぇ〜森本だよ、ちょっと話しないか〜?!」
聞き覚えのある声・・・・それと同時に寒気が彼を襲った
高校時代彼をイジメていた不良グループの一人だ・・・
1〜2時間くらいたってドアを叩く音が止んだ・・・
スーッとドアの下から手紙が入れられてきた
ソレを見ながら彼は体育座りのまま眠りについた
ーあの事件が起きて4日目
手紙を確認することにした・・
「同窓会のお知らせ」
引きこもりの彼にコレはきつかったのでしょう
物凄い勢いで破り捨てました
ソレと同時に涙と何とも言えない孤独感・・
そして怒りがこみ上げてきました・・・・
壁を殴りつけ 布団を蹴り上げ 
彼は叫び読けました
そこへ 彼の母親がやってきました
母親「どうしたの?!ねぇ、どうしたの??!!」
耳に聞こえてくる母親の声
彼はそれをかき消すように叫び読けた・・・・

41 :
同窓会 前夜 母親がドアを3回叩いた
3回叩く時はご飯を運んできた合図だ
いつも通りにドアを少し開けごはんを取ろうとした時だった  
食器の横に黒い物が置いてあった
クリーニングに出したのだろうか 札が付いたままのスーツだった
このスーツは 大学を辞めた時に母親からプレゼントされたもので
チョット丈が短い 残念なスーツだ・・・
お坊ちゃま君みたいで着るのを嫌がったのを憶えている
それでも母さんはそんな彼を見て
「いいわよ!さすがお父さん、お母さんの子ねっ!!」
って自信満々に彼の就活を応援してくれた・・・・
そんなスーツだ・・・・
母親はこのスーツを着て同窓会に行ってほしかったのだろう・・・
だが彼にはそんなこと関係ない
人に会う? 馬鹿じゃないのか?!
ましてや昔の友達なんかには特にだ・・・・・
ーそれから 5ヶ月たった頃・・・・・
滅多にならない携帯に 電話がきた・・・
この携帯電話は彼が引きこもりになりかけの時に母親が渡したものだった
まあ・・・面倒なので電話にでないのは当たり前だろ・・・・・
気になって留守録を聞いてしまった
しかしそこに残っていたのは父親の声だった・・・
父「・・・・・・母さんが倒れた・・・今すぐ○×病院に来い・・
今夜が峠だ・・・そうだ・・」
全身に鳥肌が立った 怖いなんてものじゃない
だけどその時には何も考えずに走り出していた
彼が病院に着いた時にはもう母親の息はなかった・・・
実は父親が電話した時にはもう息はなかったらしい・・・
寝巻きにサンダル・・・伸びっぱなしのヒゲに壊れた眼鏡姿のままで・・
父親
「母さんはお前が自分の力で外に出てほしかったと言っていたんだ・・
お前が自分の意思でここまで来てくれることが 望みだったんだろうな・・」
彼は泣きながら母親の手を握り締めた
ー母親の葬式の日
彼はあのスーツを着た・・・
胸ポケットから1通の手紙とお守りが入っていた・・・
「国○ 先日お友達が来た時に同窓会があるって母さん聞いたの
   だからスーツ着て、皆に会ってきなさい
    せっかく久しぶりに皆に会えるチャンスなんだから、ね
    丈はね 直しておいてあげたから
    もう恥ずかしくないわね これで外出れるね
    ごめんね。                  」
そしてお守り 母さんも同じ物を持っていた・・・・
あの時 ごめんって言えたら・・・・
母さんは喜んでくれたのかな
彼は今でもそのスーツを着て一生懸命働いているそうです

42 :
>>18
泣けたよ
行政はなんとかできなかったものかね

43 :
母親が脳疾患で植物状態になり、東京で結婚して暮らしていた私は家族とともに故郷へ帰った。
父親と同居して1年半。
もともと、若い頃から父とはケンカばっかだったから、お互い相当我慢したよ。
あの日。父とケンカしたとき。私の口から出た言葉。
「おまえなんか死んじゃえばいいのに!!!!」
その次の日、何のお別れの言葉もないまま父は車の中で心不全で亡くなった。
たった一人で。十三時間も一人で。誰にもみとられることもなく。
発見したのは私だった。すでに死後硬直していた父を必死で助けようとした。
でももう間に合わなかった。
車の後部座席には私の好きな蟹が袋にはいっていた。
私が殺したのだと。
わたしのせいだと。
この3年間そう思いながら私は生きてきた。
知り合いに言われた言葉が私を救ったような気がする。
「あなたの言葉でお父さんは死んじゃったかもだけど・・・
 あなたが殺しちゃったのかもだけど・・・
 でも・・・でもっ!
 お 父 さ ん は あ な た を 愛 し て い た は ず だ よ 」
狂ったように泣いた。子供のようにしゃくりあげ、震えながら泣いた。
そう、私は父に最後にそう言ってもらいたかったのだ。
父が亡くなってから大キライだった父を、ダイスキで尊敬していることも
よくわかった。
だから私、母親の面倒見ながらがんばって生きようと思う。
父さん・・・次ももし生まれ変われることができたなら
また父さんの子に生まれてきていいかな。
明日は父さんの月命日だね。
お花買ってこよう。

44 :
http://www.youtube.com/watch?v=9aeVEzFRGv8

45 :
「はぁ・・年越しもひとりか・・」
そうつぶやきながら
当時ぼろアパートで一人暮らしの私は
一人寂しくカップ焼きそばのお湯を流しに捨てていた
「あっ」
角度が悪かったのだろう
無残に麺が床にぶちまけられていた。
もう金は無い。
私は無言でそれを拾い集めた
それなのに
外はしんしんと雪が降っていて
向かいの家の明かりは暖かそうで
そうしているうちに年が明けたさ

46 :
沁みるなぁ・・・・

47 :
また、毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。
 遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
 「あそこでみんな死んでいったんだ……」
 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
 やがて戦況は日本に不利となり、
 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
 
 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
 
 日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
 船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
 しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
 そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
 その瞬間、彼は悟ったという。
 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
 

48 :
↑サムライだな。

49 :

「ザ・ラストサムライ」

50 :
私の話を書いていいのでしょうか・・・
泣いて」ほしのでは、ないんです。私のわがままで。理解者がほしいだけだと・・
目を通していただけたら・・・ただただ嬉しい限りです。
私が中学3年のころ。高校1年の幼なじみがいたんです。
地元の高校ではなく。部活の推薦で決まった、少し遠くの学校でした。療にいたんです。
久しぶりに帰ってきて・・・色々、昔話したよね。
盛り上がって。夜までたくさん話したよね・・・
そして、療に帰っていきました・・・
その時から・・私の恋は始まりました。
メールをしていて・・・「明日が試合なんだ!」と嬉そうでした。
その時は・・・わかんなくて・・・うち、どんかんだね。。
次の日、突然の電話・・何かと思ったよ・・心配するじゃん。
「俺の高校初レギュラー試合に・・勝った。好きだよ。」
突然すぎるよ・・・最後何いってんの?わかんないよ・・はっきり言ってよ・・
嬉くて嬉しくて・・・初めて涙みせちゃったじゃん・・・
そして・・・彼氏彼女になったね・・
「クリスマス療から帰ってこれない」って言ったよね?
ちょっと寂しかったけど少し我慢したんだよ。。必要なかったけど・・
家に帰ると・・彼が座ってた・・「おかえり」それしか言えないよ。
いつもいつも。突然すぎるよ・・あなたは、びっくりさせるのが好きなんだね・・・
「療生活やめるよ・毎日帰ってくるよ」それも突然すぎるよ・・・
でも・・・うち馬鹿だったね・・あなたの優しさにあまえすぎたよね・・・
本当に・・・・・・
通学時間に時間をとられて・・・全然会えなくなったんだよね・・・
しだいに・・距離ができたんだよね・・・そして・・・
別れ・・・私も突然が好きみたい・・・突然・・別れ話は悪いよね。
反則だよね・・・
彼は「療生活をやめた俺が悪いんだよ・・お前は、悪くない」
それを言って・・また、しばらくして療に帰ってしまった。
そして、家に突然の電話。「お葬式・・あるから来てね・・・」
おばちゃん泣いてたよね・・・。
あなたは、いつも突然です・・・
冗談だよね?
帰って来た時みたいに・・笑ってよ・・・
お葬式・・・最後までいけなかった・・
行ったら全てがなくなる気がして・・・
突然逝くなよ・・馬鹿。。。

51 :
なんで、病気言わないの・・・部活休みなよ。馬鹿・・・
そんなこと思ってたんだ・・・
何ヶ月たってから・・あなたの友達に聞いたよ・・・
部活頑張って「休部前の最後の試合に勝って、告白するって」
あなたは、いつまで突然なんですか?
なかせたいの?
自分が馬鹿で馬鹿で憎いよ・・・・・・
あなたには、ありがとうも・・・ごめんねも・・・
言えてないよ・・・
お墓まで走ったの・・・見てた?
最後の気持ち言いにいったんだよ・・・。
ありがとう・・・ごめんね・・・そして好き・・・
ありがとう・・・ごめんね・・・そして好き・・・
やっぱり、うちら・・・お似合いだったみたい・・・
同じ事考えてたんだよ・・・うちも、部活の試合でタイムが出たら・・・
ってね・・・・でも、なぜ・・・あなたは・・・わたしに突然をさせてくれなかったの?
でもね・・・私は・・・最後に突然をしたんだよ・・・
療に帰る時・・・髪に・・・ありがとう・・・ありがとう・・・って書いたんだよ。
気ずいてくれたかな?
私のくだらない話読んでいただけて嬉しく思います。
読んでいただいた方に言いたいです。
正直になるのは、難しいでも・・・正直になると。笑顔になれますよ・・・

52 :
>>43
鴨だけど鴨だけどってうるせぇよ

53 :
大学中退
自分にできる微かな抵抗
ただ実家を継いで医者になるのに抵抗があった
フリーターをして食いつないでいた四年間
別にいつ死んでもいいとさえ思ってた
四年ぶりの親父との電話
「病院は経営難で畳むことにした。俺の考えを押し付けて悪かったな。母さんが心配してるいつでも帰ってこい」
声が震えていた
5年ぶりの帰郷
久しぶりに会った親父
なんでこんなに痩せてんだよ
あんなにデカかった背中は見る影も無くなってた
患者のいなくなった病院を寂しそうに見ていた
26歳医学部二回生
ただあんたが見てきた風景を見てみたくなっただけ

54 :
17の時、自暴自棄になってた俺を見かねて友達が女を紹介してくれた。その娘と仲良くなった。誰もが俺とその娘が付き合うだろうと思っていた。高校辞めて働いて同棲してもいいとすら思った。そんな時その娘が親と喧嘩して家出。もう音信不通。もっと早く好きって言えば…

55 :
今から7年前、俺の母方の叔母さんがガンで亡くなった。まだ50代前半だった。
40代の始めからガンになり手術しては治りそれを3回繰り返した。俺の母さん
とは姉妹で一番仲が良く、やりとりはまるで漫才だった。俺はその子供である
従兄弟とも、従兄弟連中の中では一番仲が良かった。
大きくなって、遠いこともあって従兄弟とはあまり会わなくなったが、俺の家に母方のばあちゃん
がいたせいかよく遊びに来た。俺の顔を見るたびに、従兄弟の話をうれしそうに
話してくる。従兄弟はひとりっこだったせいもあるが、とても愛情いっぱいに
従兄弟は育てられていた。料理がとてもうまい人で、俺や妹のためにいろいろ
手を込んだ料理を作ってくれた。自分の母さんの次に母さんのような存在
だった。
もう半年もたないかもしれないと言われてから、忙しい叔父さんのかわりに
母さんが付き添った。最後の方は意識もなかったが、あまりの痛みに悶え
苦しんでいたらしい。母さんはそんな叔母さんを見ては毎日のように泣いて
いた。ある日の朝早くに家の電話が鳴り、叔母さんが死んだことを聞かされた。
俺と父さんと妹が葬式に出るため身支度していると、ばあちゃんが起きてきた。
ばあちゃんはかなりの高齢だったので、長距離の移動に耐えられないということで
留守番することになっていた。叔母さんのことを話すと、へたり込み叔母さんの
名前を言いながら泣いていた。娘の最後を看取れず、どれだけ悔しかったこと
だろう。

56 :
叔母さんの家に着き、布団で寝ている叔母さんの顔を見てると、涙がこぼれた。
叔母さんの思い出が頭にたくさんよぎってたまらなくなった。俺と従兄弟は
もう結婚してもおかしくない歳になっていた。俺達が小さい頃、叔母さんは
よく従兄弟が結婚してお嫁さんを連れてきたら・・・っていう話をしていた。
俺のお嫁さんには料理を教えてくれるって。妹が結婚したら同じく料理を
教えてくれるって・・・。
従兄弟は俺達の前では涙を流さなかった。特に俺の前では笑顔を絶やすことは
なかった。強い奴だなぁ〜と思っていた。葬式の最後に叔母さんの写真が
スライドで流れた。まだ小さいころの俺や従兄弟や妹と一緒に笑顔で
写っている写真。ばあちゃんと一緒にピースしている写真・・・。その
スライドが流れている時、俺の隣に座っていた従兄弟が、ヒザの上で拳を
握り、全身をふるわせていた。歯を食いしばって涙を流さないように我慢
していた。でも、目からは涙がたくさんこぼれていた。今まで泣くのを
我慢していたのかと思うと、余計に悲しくなり俺も一緒に泣いた。
きっと、そんな自分を想像していたに違いない。従兄弟が結婚する姿。孫を
抱いている自分。孫が成長していく姿。従兄弟と従兄弟の嫁さんと孫に
囲まれて幸せにしている自分・・・。いろんなことを想像しただろうなぁ〜。
それらを見られないまま死んでいくのは、きっとものすごい悔しかった
だろうなぁ〜。

57 :
>>26
心当たりがあるだけに泣けた

58 :
泣ける半紙ならこれを読んでほしい。俺は死後に少しでもいいことをしたくてこの自伝を広めてあげたい。彼女の家族を思う気持ちに賛同した。失ってから気づくのではなくて「これを広めてあげたい。
http://ip.tosp.co.jp/BK/TosBK100.asp?I=non58482000&BookId=1

59 :
「海夢」という本。友達が書きました。結婚して2週間で旦那さんを事故で亡くした実話。

60 :
NO1
その娘は中学2年生だったが学力が全くなく割り算がまだ出来ない位だった。
義父は彼女が6年生の時にやって来た。
彼が来てからは家の様子が変わった。
今まで母親は母子であることを理由に娘を過保護にしていた。
そのお蔭で娘は我侭のやりたい放題だったが義父は厳しく挨拶から御箸の持ち方や
勉強に至るまで口煩かった。
勉強に至ってはつきっきりで教え休日には一緒に本屋で参考書や問題集を選んだ。
しかし、厳しさに見かね祖父が義父と喧嘩になり娘を引き取った。
祖父母家庭に落ち着いた娘は何も言われない環境に満足した。
娘は成績が更に急降下し模擬試験では偏差値が28まで落ち就職を考えねばならなかった。
祖父母宅に行ってから3ヶ月が過ぎ娘はキセル乗車をして学校から指導を受け母に連絡が来た。
義父は娘を呼び話を聞き翌日、鉄道会社に謝罪しに向かった。
頭を下げまくり何とか問題にしないでくれと懇願し相手も了承した。
学校にその事を報告し担任にも謝罪した義父は担任から更にいじめをしている事実を告げられ
愕然とする。
娘を更に呼び話をして帰ってこいと言った。帰らないなら一生、帰るなとも言い放った。
母はオロオロするばかりで娘にこれ以上、問題を起こさないでと抽象的に言うしかなかった。
娘はただ聞こえているだけだった。

61 :
NO2
母と話し合った娘は年末に帰宅し元の生活に戻ることが怖かった。
案の定、義父から帰宅した途端にこれからの生活も何も変わらないと告げられた。
母はオロオロするばかりだった。
成績が余りにも下がっていたので義父は娘の将来の夢を聞いた。
子供に関する仕事がしたい、保母さんか小児科の看護士になりたいと言った。
義父はその職に就くためのコースを冷静に言った、
そして高校にも行けない成績では何も始まらない。
夢は実現する気がないなら口に出すなとも言い放った。
始めて自分の思いを伝えた娘は涙ぐんだ。
義父は容赦なかった、選択肢が少ない人生を送ろうとしているお前は負け犬にしかならないと言い
安易な娘を怒鳴りつけた、娘は泣いた。
母はオロオロするしかなかった。
翌日、進学塾に向かった父は入塾を頼んだがこの成績では入塾は出来ないと言われた。
しかし、頭を下げまくり何とか頼み込んだ。
娘も高校進学を決意し塾に行く事を喜んだがレベルの差は歴然としていて最初の試験でブッチギリの最下位を取った。

62 :
NO3
結果を見て娘と母、そして祖母達は言葉を失い現実を知った。
義父はただ黙っていた。
冬期講習が終わを告げようとしていた時に義父が娘のテキストと問題集を解き始めた。
それも物凄いペースで・・・
3学期が始まると義父は塾から帰宅しては講義内容の復習問題を解かせ解説を深夜まで行なった。
塾のない日は夕食後、数学を徹底的に教え込んだ。
学校のテストは予想問題を作成し娘は平均点を取るに至った。
それでも義父は終わらなかった。
毎晩、必ず予習し翌日、娘に指導を行なった。
塾の小テストで100点を連発し始めた頃から塾講師も不思議に思った。
ある日、義父は夕食の際に言った。
子供が好きなら小児科医になれ、お前にはその能力がある。
キョトンとする娘に義父は更に言った。
周りがなんと行ってもお前は学区内でトップクラスに行けるそして医師になれると・・・
母は状況が掴めずお茶を入れすぎ義父に怒鳴られた。

63 :
NO4
しかし、娘の成績はまだクラスで平均より少し上くらいだった。
娘は義父の言ってる事が理解できたが信じていなかった。
しかし、義父の勉強は強烈だった。毎晩、単元が終わるまで寝かしてくれなかった。
明け方になる事はしょっちゅうだった。
眠い目を擦りながら学校に行く娘を見て母は心配になった。
義父は仕事から帰っても娘の為に予習を繰り返した。
やがて、3年生の夏休みを迎えた。
毎日のスケジュールを決められて義父が帰宅するまで娘は必死になってそれらをこなした。
気づけばお盆も過ぎる頃、義父が中だるみを起こしている娘に言った。
「止めるのは簡単、いつでも出来る。しかし、続けることで自身を付ける事ができる。
それは自分の力でしか自身はつけれないからだ」
今まで自分で何一つした事がない娘は理解できなかった。それでも続けたのは怖かったからである。
2学期が始まり進路相談の時期になった。
義父は言った。
「就職かトップ校のどちらかだ」
母と娘は凍りついた・・・
既に義父は進路を決めていて担任にも告げていた。
その頃の娘は漸く偏差値が60にのった所だった。
それから義父の指導は続いた。娘は塾が唯一の息抜きとなった。
しかし、義父は娘が寝てから短期カリキュラムを作成し塾とも連携を図った。
進路を聞いた塾講師は呆然とし「無理だ」と言ったが義父は聞かなかった。
その為に塾に「協力しろ」とも言った。
最初の恩も忘れて強行に出た義父に塾側も呆れていた。
自分でHは満足する位勉強した娘は自信満々で中間考査を受けた。
結果はクラスで5番くらいにしかなれなかった。娘はショックで部屋に閉じ篭った。
母はオロオロするしかなかった。
義父はドアを蹴破りに怯える娘に今日の単元分の数学を教えた。
泣きながら深夜まで続いた勉強が終わった時、娘は義父に聞いた。
「パパはなんでこんなに厳しく教えるの?私、アホやから・・・
友達もママもおばあちゃんもみんな私には無理やからって言うし」
義父は言った。
「だからなんだ?」
娘は言った。
「もう中間ランクの公立に行く」
その瞬間に義父の手のひらは凶器と化した。
「母は失神しそうになった。

64 :
NO5
最後の冬休み義父は有給を取り24時間娘に指導した。
クリスマスも単語のテストだった。
お正月は古文のテストだった。
娘は夕食時に聞いた。
「受からんかったらどうしよ?」
義父は言った。
「周りがなんて言おうが俺はお前を信じている、後はお前が自分を信じれば必ず合格する」
母は又、お茶をこぼしテキストを水浸しにして義父に怒鳴られた。
やがて試験に時期になり娘は不安に襲われたまま最後の模試を受けた。
合格率は68%だった。
義父はそれを見て予想問題を作った。それも5教科全て5種類も
作成は義父の友人もあたった。友人のフル動員だった。
娘は最後の1週間でそれを仕上げ本番に挑んだ。
娘と母はこの1年間を思い出したくも無い位、辛かった。

65 :
LAST
早咲きの桜が開花しだした頃、母は支度に追われていた。
娘の就職祝いの写真を撮る為だった。
祖父母、母、そして研修医を終え県立こども病院に決まった娘。
全員が満面の笑みだった。
高校合格後、ガンで死んだ義父の遺影をしっかりと抱いて撮影したのは娘だった。
遺影の義父は笑っていた。

66 :
 話の種提供
 1981から1983の間にK谷市H陽中にてM畑44Xの
7某上野家系泰市の子泰和とその仲間たちは
6弱者にいじめがバレたら親族に危害を与えると脅迫し、
4えたひにんと呼び、遺書や奴隷契約書を書かせ、
0殴る蹴る汚すを繰り返し、金銭も恐喝していた。
2こういう類は親族ともども不幸とは無縁の
6社会的信用を得たお金持ちの生活をしている
永久に評判良し
弱者は給食費さえ取られていた
給食のほとんどを取られ、汚されて
まともに食べたこともない

67 :
宋文洲:捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと
http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz07q1/523557/
 1996年11月の四川省の寒村。若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子の赤ちゃんに気づきました。
赤ちゃんを育てるのは、貧乏な彼にとって重い負担。そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし、立ち去ってはまた戻りました。
最後、彼は命が尽きそうな赤ちゃんに呟きました。
 「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と。
 独身のまま1児の父親になった農夫は、粉ミルクを買うお金もないため、赤ちゃんはお粥で大きく育てられました。
病気がちな体は心配の種でしたが、聡明で近所からとてもかわいがられたのは、お父さんの救いでした。
 女の子は5歳になると、自ら進んで家事を手伝うようになりました。
洗濯、炊飯、草刈りと、小さな体を一生懸命に動かして、お父さんを手伝いました。
ほかの子と違ってお母さんがいない少女は、お父さんと2人で家をきり盛りしました。

68 :

●突然押し寄せた不幸
 小学校に入ってからも、少女はお父さんをがっかりさせたことはありませんでした。
習った歌をお披露目したり、学校での出来事を話したりと、お父さんを楽しませました。
そんな平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました。
 2005年5月。ある日、少女は鼻血がなかなか止まらない状態になりました。
足にも赤い斑点が出たため、お父さんと病院に行くと、医者に告げられた病名は「急性白血病」でした。
 目の前が真っ暗になりながら、お父さんは親戚と友人の元に出向き、借りられるだけのお金を借りました。
しかし、必要な治療費は30万元。日本円にして400万円です。
中国よりずっと裕福な日本でも、庶民にとっては大金になるような治療費を、中国の農民がどうにかできるはずもありません。
集めたお金は焼け石に水でした。
 かわいい我が子の治療費を集められない心労からか、日々痩せていくお父さんを目にして、少女は懇願しました。
「お父さん、私、死にたい。もともと捨てられた時に、そのまま死んでいたのかもしれない。
もういいから、退院させてください」と。

69 :
●自ら治療を放棄すると退院
 お父さんは少女に背を向けて、溢れ出た涙を隠しました。
長い沈黙の後、「父さんは家を売るから、大丈夫だよ」と言いました。それを聞いて、女の子も泣き出しました。
「もう人に聞いたの。お家を売っても1万元しかならないのでしょ。治療費は30万元ですよね」と。
 6月18日、少女が読み書きできないお父さんに代わって病院に「私は娘への治療を放棄する」との書類を提出しました。
彼女はまだ8歳でした。幼い子につらい思いをさせてしまったことを知ったお父さんは、病院の隅で泣き崩れました。
そして娘を救うことのできない自分を恨み、運命の理不尽に怒りを覚えました。
 娘は生まれてまもなく実の父母に捨てられたうえに、貧乏な自分と1日も豊かな生活を経験したことがありません。
8歳になっても靴下さえ履いたことがありません。
それでなくてもつらい人生を歩まなくてはいけなかったのに、さらに追い打ちをかけて病に苦しめられるとは。
 退院して家に戻った少女は、入院する前と同じように家事をし、自分で体を洗います。
お父さんに、自分は勤勉で、かわいく、そして綺麗好きな娘として記憶に残してほしい。
そう願いながら、1つだけお父さんに甘えました。
 新しい服を買ってもらい、お父さんと一緒に写真を撮ってもらったのです。それもお父さんを思ってのこと。
「これで、いつでも私のことを思い出してもらえる」と。

70 :

●70万元の寄付が集まり、治療を再開
 ささいな幸せの日々も、終わりが見え始めてきました。病気は心臓に及び始め、ついに彼女は学校に行くのもままならなくなりました。
苦痛から、学校に向かう小道を、1人カバンを背負って立ち尽くすこともありました。そんな時には、目は涙で溢れていました。
 少女の死が近づいたころ、ある新聞記者が病院側からこの話を聞き、記事にしました。
少女の話はたちまち中国全土に伝わり、人々は彼女のことで悲しみ、わずか10日間に70万元の寄付が集まりました。
女の子の命はもう一度希望の火が灯され、彼女は成都の児童病院に入院し、治療を受け始めました。
 化学治療の苦痛に、少女は一言も弱気を吐いたことがありません。骨髄に針を刺した時さえ、体一つ動かしません。
ほかの子供と違って、少女は自分から甘えることをしないのです。

71 :
●訪れた運命の日
 2カ月の化学治療の間に、何度も生死をさまよいましたが、腕のよい医師の力もあって、一時は完全回復の期待も生まれました。
しかし、…。やはり化学治療は、病が進行し衰弱していた少女の体には、無理を強いていたのです。
 化学治療の合併症が起き、8月20日、女の子は昏睡状態に陥りました。朦朧とした意識の中で彼女は自分の余命を感じます。
翌日、看病に来た新聞記者に女の子が遺書を渡しました。
3枚もの遺書は彼女の死後の願いと人々への感謝の言葉で埋め尽くされています。
8月22日、病魔に苦しめられた女の子は静かに逝きました。
 少女のお父さんは冷たい娘をいつまでも抱きしめ涙を流しました。
インターネット上も涙に溢れかえり、彼女の死のニュースには無数の人々がコメントを寄せました。
8月26日、葬式は小雨の中で執り行われました。少女を見送りに来た人にあふれ、斎場の外まで人で埋まりました。
 女の子の墓標の正面には彼女の微笑んでいる写真があります。写真の下部に「私は生きていました。
お父さんのいい子でした」とあります。
墓標の後ろには女の子の生涯が綴られてありますが、その文面の最後は
「お嬢さん、安らかに眠りなさい。あなたがいれば天国はさらに美しくなる」と結ばれています。

72 :
●殺人は微増にとどまるが…
 紹介した話は、僕が中国で旅している間に偶然に耳にしたものです。
詳細に興味を持つ方はどうぞ僕のブログ(http://bsou.seesaa.net/article/31943569.html)をご覧ください。
 セレブの奥さんが夫を、医師を目指す兄が妹を、バラバラ殺人する事件が相次いで報道されたり、息子が父親のしつけに耐えられなくなり、母親と幼い兄弟を放火殺人してしまったり、とここ最近、家族同士の殺人事件のニュースを聞かない日がないくらい増えています。
 家族同士の殺人事件は、今に始まったことではありませんが、どうも最近はこれまで以上に凄惨になり、数も増えている気がします。
 2006年版の警察白書によれば、刑法犯で警察が被害届を受理した件数(認知件数)は2001年度に273万5000件だったのが、2005年度には226万9000件と減り、殺人事件は同じく1340件が1392件と微増、放火は2006件が1904件と減っています。
検挙件数で見ると、殺人は1261件が1345件と、これも増えてはいますが、目立って増えているわけではありません。
 白書の統計の中で、家族間の殺人がどのようになっているのか分からないので、凄惨な家族殺人が増えているというのは単なる印象論なのですが、どうも現代の日本は、家族の絆や生命の重みを大事にする気持ちが、薄まりつつあるのではないかと感じます。

73 :
●カネや国に頼る前に、必要なこと
 もちろん勘違いだとは思いますが、そう感じるのは「カネ」さえかければ的な議論が先行し、何をするにしても基本である人の気持ちが置き去りにされているようだからです。
例えば、現在、安倍内閣が掲げている教育再生や少子化対策などの是正の議論の中では、必ずといっていいほど、国が対策を講じず、必要な予算をつけなかったから「学校が荒廃した」「子供を産めない夫婦が増えている」というものがあります。
 カネがないからダメになった、という意見に、僕は素直に賛成できません。紹介した中国の少女の家庭は貧乏だったけれども、少女を優しい思いやりのある子供に育てました。
お金はなかったですが、少女には夢があり、家族愛が育まれました。
 この少女が生きた四川省の農村部では、1人当たりの年間現金収入は1000元(約1万4000円)も届かないと聞いています。
ですから治療費の30万元というのは、年間収入が500万円の人が15億円の治療費を負担するようなものです。

74 :
俺が中学1年のときに、いつも通り学校に行った日。
朝8時ごろ家をでて登校。
学校について急いで教室に向かった。
そして席に座ろうとした瞬間強烈の臭い臭いがした・・・
不思議に思い、隣の人に(オイ、なんか匂わないか?)隣の人(お前が学校来る前から、匂ってたぞ)といい休み時間にトイレに行った。
トイレに行くと教室にいるより、トイレの方が匂いはやばかった。
大便の方を、覗いてみると・・・便座の上に大きいウ○コが乗ってて、友達と爆笑しました。
トイレにあったウ○コは面白かったもの、教室に臭いに匂いがあるのは、耐えられなかった。
クラスの女子や男子が気分を失い、先生も不思議に思った。
そうすると、時間もきて一時間目が始まった。
15分後、隣の先生がトイレに集合をかけて集まりました。
事情など話を聞かれ、一時間目の授業に戻った。
それでもまだ教室は臭くて、目をきょろきょろしました。
そうすると・・・前の席の男子の足元を見た・・・白い靴下が茶色に染まり、じ〜とみると・・・(あいつか・・・あいつがウ○コを漏らしたのか・・・)
笑いながら、友達に報告して一時間目を終わりました。
休み時間に、その漏らしにある友達が、(お前臭いよ?)いいそのウ○コ漏らしが、戸惑いながら、足元を隠しました。
その様子を伺った俺は、爆笑しちゃいました。
その次の日その漏らしは学校へこなくなった・・・・・・・・

75 :
「ありがとう、さようなら」
 仕事先の活動に参加。年間に10回の活動を行なう定例活動は、2月で最後の活動をむかえる。また来年度も更新するか、これを機会に退会するか、リーダーにとっても、子どもにとっても、大きな節目になる月である。
 月日が経つのは早いもので、僕がボランティアリーダーとして活動に誘われ、なんだかんだと活動をはじめて4年目が終わろうとしている。毎年、毎年、雑記帳でもつぶやいているけど、年を重ねるごとに、より感慨深くなっていく。
 特に今年度の別れは、格別に深いものがあったのだ。
 ふりかえってみると、ここでリーダーとして活動をはじめた当初は歳も若く血気盛んな頃で、とにかく誰にも負けないと自負していた「おもしろさ」を武器に、常にハイテンションなキャラを前面に押し出し孤軍奮闘していた。
 今、この歳になって「原点回帰」と称し、その当時のハイテンションを心がけて活動してみるとよく分かる・・・。はっきり言って、気色悪い。
 いきなり彗星のごとく出現し、まわりの雰囲気や波長を全く無視した破天荒な立ち振る舞いをすれば、そりゃあ誰だって気色悪がり、近寄りたくもなくなるだろう。まして、これまで何年かその場所で活動を続けていた高学年の子どもならなおさらである。
 かくして、僕のここでのリーダーのスタートは、ごく一部のおバカな(良い意味でいつもテンションが高く、たまたま波長が合った)低学年のみと仲良くなったものの、ベテランの高学年層からは激しいバッシングを浴びながらの活動がしばらく続く。
 私が担当のグループのリーダーになった時には、まるでおみくじで大凶を引き当てたかのような、悲痛な表情を浮かべ、最悪まったく相手にされない日もあった・・・。
 見たままズバリ(?)繊細なハートを持つ僕は、その都度ひどく傷付き、毎月同じ子ども達と活動ができる楽しみやおもしろさは実感できていたものの、同時にまた傷付くことも同じくらい恐れていた。
 好きで始めたはずの活動なのに、いつしか参加するかどうか葛藤するようにさえなっていたのだ。
 しかしそれでも続けようと思いとどまらせてくれた大きな存在は、そんな僕にもついてきてくれる低学年の子ども達であり、中でもこんな僕を一番の「お気に入りリーダー」として認めてくれたある女の子3人組であった・・・。

76 :
当時3年生だったその子達は、他のどのリーダーよりも僕によくなついてくれ、僕と接している時が一番素の自分を出してくれているのが手をとるように分かった。
 それを決定付けた活動がある。
 当然のように同じグループになった高学年の子ども達は、僕の近くに寄ることすらも拒み、低学年の子どもたちも自分達で面倒見るから、お前は入ってくるなと、言われるほどのおそるべしあつかい。
 それでも同じグループになっていた、その3人組の内の1人は、高学年の輪に入ろうとせず、ぴったりと僕のそばに寄り添って離れなかった。
 再三の誘いもかたくなに首を横にふりつづけ、結局最後まで僕のそばから離れなかった。
 今ともなれば、逆にその子がグループに入れるよう配慮し、策をめぐらすのが必要なことなのだろうが、心に傷を負った経験の浅い若造リーダーには、それがとてつもない癒しを与えてくれた。
 たぶん、なにか、すごく、救われた……。
 いつしか、僕をお気に入りリーダーとしてしたってくれていたこの子達を、僕もお気に入りになり、この子達と活動ができることが喜びになり、活動に参加することも苦痛にならなくなっていった。
 だって、そこに救いの手があるのだから……。
 ちなみに、僕が一番はじめに覚えた子どもの名前は、この子達からだった。
 しだいにこんなことを考えるようになっていった。
 いつまでリーダーを続けていけるか分からない。分からないけど、もしできることなら、この子達が小学校を卒業して、ここを卒業していくその日まで、共に活動していけたらな……と。
 まだ専門学校にも通い、親の引いたレールを歩いていた当時の僕には、この子達の卒業の頃には社会に出て働いているはずの年齢だったので、叶わぬ願いだろうと淡く考えていた………………。

77 :
今日は、その子達の最後の活動日。
 3年生だったこの子達は、立派な6年生になった。奇遇なことに最後の活動場所は、あのいつまでも僕のそばに寄り添っていてくれた時と同じ場所……。スタッフの配慮で再び同じグループになれた。心から感謝。
 それとなくあの日のことを話題に出してみたけれど、とうの本人はあまり覚えていない様子だった。でも、それでいい。
 つい最近までまとわりつくように甘えては、おんぶだのだっこだの言っていたのに、今ではご立派に憎まれ口をたたき、そっと距離をとるようになっている。でも、それでいい。
 けど、話をしているうちに自然と盛り上がり、ふと気付くと揃って寄り添って歩いていく。やはり本人達は分かっていないのだろうけれど、僕の心はいっぱいになる。
 あっという間に活動も終わり、解散場所までおくっていくことに。これもまた奇遇なことに、他の参加者はおらず、この子達だけの解散。本当に、最後の、僕達だけの解散。
 けど、僕達に「しめっぽいお別れ」なんて似合わない。道中の電車も普段と変わらないおバカなトーク。そして僕達だけの秘密なこと。それは、あたかもまた4月から共に活動していくような、そんな雰囲気。
 そういう別れが良かったからこそ、あっという間に着いてしまった解散場所での最後のお別れの際に、これまでの言葉にできない感謝の気持ちを手紙にして手渡した。3人と一緒に撮った写真をそえて。最後の僕達だけの秘密なこと。
 保護者の方にも深々とお礼を言い、それぞれ握手を交わして解散した。いつもと変わらず、あっけなかった。でも、それでいい。少し潤んだ目を見てしまい、僕もつられそうになったから……。

78 :
これは、私が中1の時の話です。
中学生に入学して、勉強についていけず、テストの成績を見せるたびに
厳しい親父に2時間くらい怒られていた。
怒るとなにより頑固で怖い親父がその時死ぬほど嫌いだった。
だからパソコンでしょっちゅう親の愚痴かいてた。
それがなによりのストレス発散だった。
チャットで知らない人とメールしたりしてた。本当にいい人達だった。
そしたらある日、夜に起されて、勉強の説教を受けた。
夜に親父の怒鳴り声・・・・。
そしたら親父「お前がチャットしてる奴らはな、えっちな事ばかりしてる奴らなんだよ!」
って怒鳴られた。
チャットの内容を全てチェックされていたのだ。
確かに、チャット仲間には40代の人などいた。
でもチャットのマイク使って、私のためにピアノ弾いてくれたりした。
それが悔しくてな・・・。
勉強のことでストレスが溜まっていて、もう限界だった。
最後には、プラスックバットで殴られ、部屋に貼っていたポスターを破られ
限界がきた私は裸足で外へ出て、チャリで警察に行った。
雨だった。
本当に親父が憎かった。
警察行って、泣き喚いて、オカンが来て・・・・・。すごかったよ。
家に帰ったら
親父が泣いてたんだ
まるで子供のように。
初めて聞いた親父の泣き声。
すごかった。
オカンも泣いていた
私も泣いた
親父のあの泣き声は今でも耳に残っている

79 :
Σ(*゚Д`;)ア…アッハァァ

80 :
僕の家の隣に女の子が越してきたのは小四の夏休みだった。
彼女の家庭にはお父さんがいなかった。
お母さんは僕の目から見てもとても若かったのを覚えている。
違うクラスになったけど僕と彼女は仲良くなった。
彼女はあまり明るいほうではなく、女子の友達も少なかった。
本ばかり読んで親しい友人のいなかった僕と彼女はお互いの家に遊びに行くほど仲良くなった。
そのうち彼女は愚痴を言うようになった。
母親がすぐ殴ること。
同じクラスの女子が意地悪をすること。
すきな男の子ができたけどその子はほかの女子にも人気があること。
最初は僕のほうがよくしゃべっていたけれど、この頃からは一方的に彼女が話し僕が聴くようになっていた。
 
ある日を境に彼女は学校に来なくなった。
好きだった男子の取り巻きたちにいじめられていたのが理由だ。
彼女は僕に会うたびに自分をいじめた女子が憎いといった。
そのいじめを見てみぬ振りしていたクラスの皆も憎いといった。
そして現実味のない復讐やクラスメイトの悪口を延々と話し続けた。
僕はただ黙って相槌を打っていた。
中学に入ってから彼女の素行が荒れ始めた。
夜遅くまで帰ってこないようになり、これ見よがしにタバコをすい始めた。
家庭環境も悪化し、深夜にいきなり親子喧嘩が始まったりもした。
一度は警察が彼女を迎えにやってきた。この頃から近所と折り合いが悪くなり、
中傷ビラや落書きなどの悪質な嫌がらせが彼女の家に行われた。
一度は郵便受けに刻んだ猫が入っていた。
僕も母に彼女と付き合うのをやめるよう言われた。
僕が高校を出たとき、彼女は部屋に引きこもるようになった。
僕も彼女の姿を見ることがめっきり減った。
めっきりふけこんだ彼女のお母さんに話を聞くと
昼は絶対に出てこない。
ご飯は部屋の前においていく。
深夜になるとトイレに行くときだけ出てくる。
そんな生活を送っているようだ。
僕は久しぶりに彼女に会いにいった。
彼女は僕に会うのを拒絶した。
扉越しに帰れと怒鳴った。
何を話しても黙っていた。
一度なんかはドアがあいたと思ったら味噌汁をかけられた。
ちらりと見えた彼女はげっそりと青白くやつれていた。
絞った雑巾のようだった。
僕は毎日彼女に会いに行った。
親とけんかした。
やっとできた友達と疎遠になった。
それでも毎日彼女の部屋まで会いに行った。
そのうち彼女は扉越しに話をするようになった。
悪い仲間と付き合っていたこと
万引きが癖になって警察に捕まったこと
恋人ができたと思ったら避妊に失敗して子供ができたとたんに逃げられたこと
助けてほしくて相談した母親に半狂乱になって殴られたこと
子供をおろしたこと
死のうと思ったこと
手首を切ったこと
昔と同じ様に彼女が一方的にしゃべり続け、僕は相槌を打つ。
意見を求められたときはなるべく無難な意見を言う。

81 :
そのうち彼女は部屋を出た。アルバイトも始めた。
だんだん性格も明るくなり始めた。彼女のお母さんから泣きながらお礼を言われた。
ある日、彼女は近所の団地から飛び降りた。
下が植え込みだったこととたいした高さじゃなかったために一命は取り留めたが
脊髄が傷ついたために今後の人生は車椅子のお世話になるそうだ。
ベッドに横になった彼女はなきながら謝った。
親や僕に迷惑をかけていたのがすごく申し訳なかったから飛び降りたんだそうだ。
泣いている彼女を慰めた。寝転んだまま泣いている人を慰めるのは難しいと思った。
慰めながら彼女にプロポーズした。結婚を前提に付き合ってくれるように頼んだ。
彼女は全身の水分を絞りつくすようにして泣きながら「本気?私でいいの?本当にいいの?」
と何度も聞き返した。訊かれる度にうなづき返した。
君のことがずっと好きだった。
顔をゆがめてクラスメイトの悪口を言っていたときも
悪い友達と付き合って荒れていたときも
一方的に愚痴をしゃべり続けていたときも
君が泣きながらお母さんが自分を殴ることを告白したときも
引きこもって別人のようにやせたときも
小学生の頃に君が好きな男子の名前をその取り巻きたちに教えたときも
君の家のポストに入れる猫を刻んでいたときも
足の感覚を失い白いベッドに飲み込まれそうに小さく横たわっている今も
ずっと君が好きだ。
これで完璧に君は僕だけの「彼女」だ。
僕たち今度結婚します。

82 :
>君の家のポストに入れる猫を刻んでいたときも
ちょっと待て

83 :
小学生の頃に君が好きな男子の名前をその取り巻きたちに教えたときも
この話に核心部分
久しぶりに寒気がした

84 :
泣ける話か・・
三十路超えてるニートがいるらしい・・
これは親が泣く話だったw

85 :
三十路越えてゆうメイトが颯爽と参上
手取り11万円でした

86 :
昔の話だがまぁ暇だったら見てくれ。
俺には幼稚園からの幼馴染の女の子がいた。
いつも彼女とはおしゃべりとか家も近かったかもしれないが
学校が終わると一緒に帰っていた。
ある日こんな話をした。
「ねぇ○○(俺の名前)ってさ、なんか夢とかあるの?」
「ん、なんだいきなりいつものお前らしくないな」
「なんとなくね、聞きたいなと思って」
もうすぐ道が違う所に入る前だった。
俺は、照れくさくって無言のまま家に帰った。
家に帰った俺は、彼女が聞いてた夢の問いかけに答えようとメールを送った。
打ち終わったあと疲れていたので風呂にはいって寝ようと思った。
体を洗い、お湯に入った。
やっぱり疲れていたためか、風呂にはいったまま寝てしまった。
今でもその夢は忘れられない。
彼女が突然煙の中から出てきて、俺にこう言う。
「○○の夢叶わないかもね。ごめんね。」
「でも、ありがとう。」
俺は何か言おうとしたが、そこで夢が覚めた。
なにかモヤモヤしたものが胸につっかかり、風呂を出て
彼女にメールをもう一回送った。
1999年2月4日
19:26
なんか悩み事でもあったら俺に言えよな。
さっきの夢のメールだけどさ、あれ気にしなくていいから
なんかごめんな。
そこで俺は寝た。

87 :
朝起きて学校に行こうと彼女の家に行くと
なにやらいつもの様子とは違っていた。
ここでいつも彼女の部屋の窓から
「ごめん。髪型が決まらなくて、あと5分待って」
と言う。
でも違っていた。
彼女の窓を見るとカーテンで閉まりきっていた。
チャイムを鳴らすと彼女の親が出た。
「○○君・・・。」
「あの、○○(彼女の名前)いますか?」
「あの・・・あのね」
おばさんの言葉がつまっていた。
「○○死んじゃったの・・・。夜・・・に・・・」
おばさんは泣き崩れた。
「え・・・あの・・・ ○○とは昨日一緒に帰って、無事にうちに・・」
「うちには帰ってきたんだけど、そのあとに・・・なにか慌ててうちをでて・・・」
「・・・すいません。どこで亡くなったんですか?教えてください」
俺は彼女が泣くなった場所に行った。
そこは、いつも彼女と俺が話していたコンビニ近くの公園だった。
道路には花束。まだ残っている血の痕跡。
俺は泣いた。
泣いてしまった。
皆が見てる中で泣いた。
恥ずかしいを通り越して彼女の痕跡を見て泣いた。
その時夢の事を思い出した。
夢叶わないね。俺は理解した。

88 :
彼女に送った夢の答え
俺はこう送った。
1999年2月4日
17:54
○○(彼女の名前)が聞いてた俺の夢だけどさ。
笑うなよ。というか笑えないかもな。
俺の夢は
いつもおてんばで、俺が落ち込んでる時励ましてくれるやつで、
なぜかしらないけど、俺がチョコレートもらえなかったって言うと
照れくさそうにくれるやつで、迎えに行くと待たせるやつで、
待ってもなぜかそいつにはイライラしないやつで、
そんなやつと
俺は
一生を共にしたいなと思う。
だから
付き合ってくれ。
○○(彼女の名前)
ごめん。好きなんだわ。
突然メールしてごめん。
答えはいつでもいいから。
迎えに行くときにまた笑いかけてくれ。
あ、でも苦笑はやめてくれよな。
こんな内容だった。

89 :
今では恥ずかしくなる。
なぜ、メールで告ったのかとか泣けてくる。
彼女の葬式に行った。
彼女の遺体はとても見るに耐え難いものだった。
でも、顔はキレイで、泣けてくる。
その日彼女は遺骨となって俺に触れた。
彼女のご両親には感謝してる。
遺骨を触らせることはなかなかしてもらえないから。
いつもの学校いつもの帰り道すべてが変わった。
身近にいる人ほど亡くなった時、大切さを知る。
それが好きな人であればあるこそ。
俺は後悔している。
俺がメールで夢を語ったから。あんなメールを送ったから彼女は・・・
と思う。
彼女は許してくれるだろうか、あの時の夢
あやまるなよ・・・ 俺があやまんなくっちゃな。
ごめんな。でも、もう泣かないぜ?
だっていつもお前は笑ってたから。

90 :
今まで見てくれた人ありがとう。
なんか文ヘタだけどさ。
彼女をネタにして悪いと思う。
でも、身近にいる人の大切さを知ってもらいたいから書いた。
荒らしとかさ、まぁその人の勝手だけど。
その人の気持ちすこしは考えような。
これで終わる。

91 :
ぬこたちカワイソス(´;ω;`)
横浜市内で里親を探す仔猫を詐取しては、数十匹も虐待虐殺を繰り返していた
悪質な猫殺しへの実刑判決を勝ち取るため、
【厳罰嘆願書送付の協力をお願い】しています。↓
猫殺し高柳政男への実刑判決を見届けるスレ(#^ω^)ピキピキ!2
http://wwwww.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1174570709/
ぜひ来てください、そして【葉書でおk、10分で書ける厳罰嘆願書】を
次回は4月9日(月)、その日に判決が出ます。ですのでお早い投函を!
今月末にはどうかお願いします。
あなたの一通が必要なんです!

92 :
どうして私がいつもダイエットしてる時に(・∀・)ニヤニヤと見つめやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
生まれる頃にはあんたはこの世にいないんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月...
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。

93 :
ある日旦那がノーパンで帰宅した。
オナラと同時に敗戦したと言っていた。
スーツは無事だったので問題ない。
旦那がいつノーパン帰宅してもいいようにはたくさん買って予備を鞄に入れておこう。
お腹に優しいご飯作って部屋を暖かくしておこう。
通勤時間長いのにいつも頑張ってくれてありがとう。

94 :
俺ずっと高齢喪だったんだけどさ
半年くらい前にお見合いで結婚したんだよ
うっひょ〜やっと卒業できるうぇwwって思ってたんだけど
やっぱお見合いでいきなり結婚しちゃうとどうしても抵抗があるらしくて
それで俺も奥手だから煮えきらずにずっとお預け食らってたんだけど
こないだ嫁さんが妊娠したって報告があってさスゲー喜んでて俺もスゲー嬉しくて
二人で居られる今のうちに旅行にいこうってことになって
だからか俺もちょっと気が大きくなって迫ったらOKってやっと許しが出たんだよ
なんか自慢みたいになったけどようやく俺も捨てられそうです
今までありがとうお前らもがんばれよ!

95 :
>>94
じゃ、奥さんのお腹の子は誰の子(?_?)

96 :
>>95
それは聞いちゃダメ

97 :
父が食道癌になりました。
ウチは癌血統ではなかったので、この告知は本当に驚きました。
私は父と、この10年ほど腹を割って話したことがなく…
何かあれば衝突ばかりで。。。
大事な話は、母を通して話してました。
喧嘩ばかりというよりは、ロクに話したことがないのです。
だから、
「お父さん、体の調子が悪いんだ」
そんな言葉を耳にしても、気にもとめずに、いつもの様に遊び歩いていたんです。
そんな父が緊急入院した時は、本当に目の前が真っ暗になりました。
食道癌のせいで、食べ物が飲み込めずに痩せ…
無理に飲み込もうとしたせいで、腫瘍から出血を起こし、血液が殆どない状態で、緊急入院となったのです。
私と母は、何とか暗い気持ちにならないように父の検査が終わるのを待ちました。
「癌な訳ないから、きっと大丈夫!」
そう言い合ってました。
が、
下された診断は、癌でした。
父は肝硬変も患っているらしく、肝臓が弱りすぎて手術は不可能らしく、放射線治療となりました。
その告知を家族と一緒に聞いていた父は、主治医に急に怒り出しました。
「何故、こんなことを家族に聞かせるんだ!
俺だけに言えばよかっただろう!?」

お父さん、普通逆だよね?(笑)
“本人に聞かせないように!”って家族が気を使うよね?
何もこんな時にまで、家族を守ろうとしなくていいんだよ。
怖い時には、震えて泣いていいんだよ。
皆の前でわざと強がって、布団に顔を隠して泣かなくていいんだよ。
お父さん、私はあなたのことをわかろうとしなかった。
事業に失敗したり、借金抱えたり…頼りにならない父親だとばかり思ってた。
こんな大人にだけはなりたくないと、思ってた。

でも、今は…
こんな家族思いな父の娘に生まれてきて本当によかった。
こんなに優しくて、思いやりのある父を心から尊敬します。


お父さん、一緒に頑張ろうね。
うまく書けなくてゴメンなさい。。。

98 :
婚約破棄!!

99 :
やっぱりおばあちゃんと母さんは大切にしないといけないね。今度の休みに実家帰ります。竹の子の煮物作っておいてって頼んでおこう。そしてこんな気持にしてくれた>>1に感謝します。

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