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2012年6月戦国時代233: 【暗君】一条兼定【暗君】 (255)
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【暗君】一条兼定【暗君】
- 1 :06/06/21 〜 最終レス :12/06/02
- 彼と天下を目指したい。
- 2 :
- ヨシ!私が2げっとだ!!
,..-‐'''" ̄ ̄ `'丶、
,/ \ 無駄口を叩くな!!今から私のことをハク様と呼べ!!
/ ネ申 ヽ,
./ l .>>3 おにぎりをのどに詰まらせて
/ | ||_|l__li_li__l|__| | >>4 人間のくせに何を言ってんだ
l 「‐二‐-.._ __.-─ | | >>5 も働け
.| | 、_(゚,;) l', '(゚,;)フ.| | .>>6 今からお前を豚にしてやる
| | | /|. | .>>7 ここはお前のような人間の来るところではない!!
.| |、_ `' ト'| | >>8 千と昌夫の金隠し
.| |:::ヽ _ /::::| | >>9 お前が氏ぬようにおまじないを掛けたんだよ
|_ |:::::::::\ ´ - /::::::::| | >>10 人臭くてありゃしない
` - 、|::::::::;;;;:| `丶- '"|;;;;;;;;:::::|__, l >>11 神隠しに遭って
_l. i '''‐-ゝ、___,∠>'`i─ 、 _ >>12 お前はクビ
- 3 :
- 兼定公を慕いつつ参げつと
- 4 :
- 数少ない公家大名
- 5 :
- 暗君説は後の彫塑壁関係者のネガティブキャンペーンらしい
- 6 :
- 三国司のひとりで洗礼名ドン・パウロ
ネタ的に非常においしい人物ですね
>>5
マジで?
- 7 :
- 追放された後、大友の影響を受けてキリシタンに。
更に後援されて土佐に帰還作戦敢行。
なんとも香ばしい。
- 8 :
- そして大失敗
- 9 :
- 北畠卿には勝てない
- 10 :
- 京にしがみ付いていたら三好長慶に殺されてたんだろうか……。
- 11 :
- むしろ長慶が殺されてた
- 12 :
- 公家はしぶといから死なないし、そう簡単には殺されない
- 13 :
- >>10
というか一条家は京でちゃんと関白やってますよ、教房の土佐下向後も
しかし教房はすごい人だね
経済的な理由とはいえ、関白だった人が下向して領国経営始めちゃうんだから
それに国人たちとも上手に接し、彼の死去時には十余人の国人が出家したそうだ
- 14 :
- 土井宗珊を殺したのは、感情的な理由だけなのだろうか?
何か政治的な理由は無いのだろうか。
- 15 :
- 土居宗珊(算とも)ですか
兼定は少しの失敗を理由に家臣を追放したり、切腹させたりしていました
これについて宗珊が意見したのが、手打ちの原因
どうみても感情的なものですね
京の一条家の内基はこの兼定の行状を見兼ね、土佐に下向
兼定を出家させ、内政に家督を譲らせた
兼定は豊後に隠退した
- 16 :
- 戦国期に土佐一条家当主となった兼定は、家督を継いだ当初こそ外交活動や西園寺氏への交戦など軍事行動などがみられるが、
その後、政治に飽きてしまったようで怠慢で堕落な行動をするようになると言われている。
例えば、長宗我部の侵略が徐々に進んできたときも彼は遊蕩にふけっていたとされる。
さらに、忠臣・土居宗珊の諌言にも耳を貸さず、さらには宗珊を殺してしまった。
こうなると人望もなにもなくなり、家臣よりも忌み嫌われて、重臣合議の上兼定は追放されてしまう。
追放された兼定は、妻の実家九州の大友家に身を寄せる。
この時、身を寄せていた大友義鑑が熱心なキリシタンだっため、
兼定は妻(大友義鑑の娘)共々滞在中に洗礼をうけ、「パウロ」という名前をもらっている。
その後、中村奪回を目指し伊予に侵入するも敗北。
その後隠遁し伊予に留まったが、長宗我部方の家臣により就寝中襲撃されて重傷を負い、程なく死去した。
- 17 :
- 一条氏は検討したが
兼定は>>16の言う通りかな
- 18 :
- 誰か兼定を擁護出来る奴はおらんか?
- 19 :
- 擁護はできんが、弁護すると
長宗我部の勢いの前じゃ仕方ないよ、ということと
(房家が国親助けなきゃ良かったんだとも言えるし)
親父殿が早死にするから、より苦境になるんだ、とも言っておく
詮無いことばかりだけど
- 20 :
- 最初はさほど悪くはなかったんだけどなぁ。
長宗我部家の記述を自己擁護だとしても、やっぱり元親の方が一枚
上手だったという事だと思う。
その上で更に上手の信長、秀吉に長宗我部家の重石としていいように
扱われたり、一条本家に公家大名化を問題視されたりしたのがまた
みすぼらしさを助長してしまったような……
いっそ兼定できれいに終わっておけば良かった気がしないでもない。
- 21 :
- 地元だとあがめられてるの?
- 22 :
- 地元は坂本龍馬バンザイです
- 23 :
- 土佐一條公家行列
ttp://www.city.shimanto.lg.jp/top-img/2006/0524/index.html
土佐の祭り歳時記
■一条祭 中村市一条神社 11月23日〜25日
ttp://www.kbiz.or.jp/kumiai/sake/event/matsuri.html
- 24 :
- 一条は土佐にいたの百年ちょっとだから、短いよね
山内藩政の方が長い
力の大小、立場の違いはあっても、承久の乱から入ったとすると、長宗我部の方が長いし
- 25 :
- いっそ元親が十年早ければ良かったな。
やる気のある頃の兼定とぶつかってくれれば勝って公家といえども
軟じゃない所を見せるなり、華々しく散るなりできただろうに。
- 26 :
- 小島政章という人物は兼定追放に反対したようだが
- 27 :
- >>いっそ元親が十年早ければ良かったな。
三好家に滅ぼされるぞ。
- 28 :
- >>26
追放派の重臣を次々ヌッコロした奴だろ
- 29 :
- 為松若狭守 安並和泉守らを攻め討ったんだっけ?
- 30 :
-
- 31 :
- 農民の娘、お雪にうつつをぬかすと書いてある…
- 32 :
- あれは単なる逸話だしなぁ。
宇都宮氏の娘を離縁して大友宗麟の娘を娶った行動が一般の人間には不可解な
行動としてうつり、色好みが激しいという風聞が立ったりした結果じゃないかな?
そういえばキリシタン大名はいろいろいるがキリシタン公家(一応)は珍しいよな。
- 33 :
- つ 清原枝賢
参照:http://www.pauline.or.jp/monogatari/monogatari09.html
- 34 :
- お雪の話は、地元では結構有名なのかな
出展は、土佐物語、江戸期宝永年間に吉田孝世によって書かれた
史料としての価値はどうなんだろ?
- 35 :
- 吉田孝世は長宗我部の臣、吉田備後守重俊の後裔
重俊は結構活躍してる
- 36 :
- 吉田東洋もおるでよ。
- 37 :
- その長宗我部重臣の吉田さんと、土佐藩の山内さんが
藤氏秀郷流 首藤系の同族だったとは、何かの縁だね
- 38 :
- ん
- 39 :
- 天翔記で全国制覇した。
- 40 :
- ( ´∀` )<ほすほす!
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
- 41 :
- こういったマイナー地方大名スレは細かすぎるところまで解るので大好き
だからほっしゅ
- 42 :
- この人の生き様って氏真より凄いと思う。
- 43 :
- 今川より小大名だけど、家柄は良かったから
何しろ関白の玄孫で、本人も権中納言
それなのにそれなりに戦ってるから
- 44 :
- 晩年は気の毒な人だよね
片腕を失っていたとか
- 45 :
- それは初耳
もし良かったらくわしく教えてください
- 46 :
- くわしくは講談社文庫から出ている『フロイス日本史』に書いてあるが
長宗我部元親に破れた兼定は瀬戸内海の戸島という島に逃れる
もはや土佐から追放された兼定に舅の大友宗麟も興味を失ったのか
ふたたび豊後に逃れることはできなかったらしい。
(ちなみに後妻であった宗麟の次女は、その後大友氏の家臣と再婚している)
この戸島で隠棲しているときに「ある刺客」が兼定を暗殺しようとした。
この後遺症で兼定は腕を失ったという。
この「ある刺客」について「一条家が土佐に落ち延びたときに付いてきた京の公家の末裔」とする考察がある。
詳しくは「足摺岬金剛福寺蔵土佐一条氏位牌群」野澤隆一(『國學院雑誌』87−4)を読んでみて。
- 47 :
- >>46
ありがとうございます
ちょっと最後のには手が届きそうにないですが
学術文庫の『フロイス日本史』は本屋にあったので そのうち読んどきます
- 48 :
- うん?
中公かもしれない
確認してきます
- 49 :
- 一条家臣について、名前だけでもかまいません。情報教えてくだされ
- 50 :
- 飛鳥井曽衣 あすかい・そい
土居宗珊 どい・そうさん
小島政章 おじま・まさあき
- 51 :
- 佐竹義直なんかも譜代の家臣、長宗我部に降って臣従しちゅけど
津野定勝・・・兼定の娘を娶る、子の勝興は長宗我部に降り、自身は伊予に追放される
- 52 :
- ここなんかどう?
ttp://f2.aaa.livedoor.jp/~kshine/1ichijo%20clan.htm
- 53 :
- >>52
いいとこ紹介して頂き乙です
- 54 :
- 地元では一条大祭ですね。けど兼定公の名前はあまり知られてないのかな。
- 55 :
- あげ
- 56 :
- 戦国屈指の暗君といえば、氏真や兼定が浮かぶ。
(実際どうだったかは別として)
が、蹴鞠やらのエピソードがあって、
全体としてほのぼのとした印象のある氏真に対して、
兼定はなんと言うか・・・宗柵の手打ちとか姦生活とか
負のイメージが強すぎて、擁護する気になれない。
それが俺の中での二人の差。
- 57 :
- それらのエピソードは長宗我部のねつ造じゃないかという指摘がある件
- 58 :
- 「実際どうだったかは別として」と断り書きしてる書き込みにするツッコミではないような。
- 59 :
- >>56
牛裂きの刑をやった
三好実休さんのお子さんも忘れないで。
- 60 :
- 家臣に源なんたらがいたんだっけか
さすが公家だけあってモノホンの源氏まで手下にしてたんだよなw
- 61 :
- 房基は武勇に優れていたと聞くが本当かな?
- 62 :
- デウスに帰依していたと聞くが。
- 63 :
- 豊後に落ちてからだけどね
土佐時代はまだ洗礼を受けていない
- 64 :
- >>61
従三位なのに津野基高を屈服させたり、それなりに優れていたと思う
死因がよくわからない(自殺とも)のようですが
- 65 :
- >>60
公家の方の源氏(清和源氏じゃなくて村上源氏とか)は
藤原北家(のちの五摂家)の腰巾着だったからな
源氏の末裔が五摂家の一つである一条の手下なのは当然かも
>>61
房家、房基はなかなかのやり手
房冬はすぐ死んだけど凡人かそれ以上
兼定はよくて凡人以上天才以下、風評は最低
- 66 :
- 放蕩を諫めたら、刺客をよこしてくる兼定オソロシス。
それで殺された土居宗珊カワイソス。
- 67 :
- 兼定は、中国に行っても立派に暗君がつとまりそうなスケールの大きさを感じさせる
- 68 :
- 長宗我部は豊臣政権内で毛利や島津に比べるとかなり格下扱いだが
その一因に一条家の下の陪臣という捉え方もあったらしいね。
秀吉は天下盗りの過程で自身の権威と正統性を関白の位に求めたので
皇族・公家を目に見えて解る形でぞんざいにはできなかったとか。
- 69 :
- いっそ内政が長宗我部内部を切り崩す位の器量があれば面白かったろうになぁ。
- 70 :
- >>69
房家だったら可能かもね
- 71 :
- 土佐一条家と長曾我部家の関係は
主従としてとらえる向きの学説のほうが最近では強くなっている。
両者の軍勢が対峙した四万十川の戦いが
以前の土佐領有を巡って衝突した2勢力という見方の根拠になっていた。
しかし、実際は土佐一条家は土佐7雄の上に君臨した権威で
別格の存在であったという視点がいくつもの史料から明らかになってきている。
- 72 :
- ちょっと疑問なんだが、実際それだけ権威があったなら長宗我部家
改易時のごたごたの時、一条政親が無視されてたのは何でだろう?
この時どちらかの陣営が自分達の行動の根拠として担ぎ出しても
おかしくなかったと思うんだが。
この時点ではもう神輿としても意味を失ってたってことかな?
- 73 :
- 土佐一条家の潜在を際立たせる一例。
戦国時代の室町将軍の極位極官が従四位から従三位。
最期の12代、13代、14代、15代が
将軍宣下を受けたときの自身の官位はだいたい従五位。
朝廷もしばらくしてから(つまり統治の実績を見定めてから)
従四位に引き上げているが、当時その程度の官位を持っている
国人や大名はざらにいた。
- 74 :
- そういった国人の極め付きは日向伊東家の三位入道と号した伊東義祐や
大宰大弐を拝命した従二位大内義隆。
このほかにも従四位の地方戦国大名はたくさんいる。
当時の西国でこれらの戦国大名が積極的に外交関係を結び
子女との通婚を求めた相手はもはや室町将軍ではなかった。
これらの西国有力大名らが仰ぎ見た対象は土佐一条氏。
- 75 :
- 太閤(前関白)として下向した初代教房。
太閤と地元国人加久見氏の娘との間に生まれた二代房家。
一条氏三代は津野氏を武力で敗死させ戦国大名としての実力も見せた。
第三者からみた客観的視野にたって当時の最高の武家貴族の教養、文化度、
政治力、財力を判断しうる材料が天正遣欧使節。
4人のうちの1人は伊東氏から選ばれているが、
彼は大友宗麟の甥、土佐一条氏の縁戚という血筋。
- 76 :
- ハプスブルグ家などヨーロッパ皇帝・国王家の帝王教育で名を挙げる
イエズス会は「語学力と容姿端麗度、社交界で恥じない身のこなし」を
天正遣欧使節の選出帰順に挙げている。こうした歴史的史料から見ても
当時の西国の武家社会サロンの頂点に位置したのが
伊東、大友、大内、土佐一条らの諸氏だった。
2台房家の子供は京一条本家を継いで関白に昇っているし、
京本家の下に位置したというより、京本家と土佐一条家は密接な結びつきを
保持したというほうが正確。
- 77 :
- 織田家の記録にも「一条殿の臣でちょうそかべとめずらしき苗字」と
出ているし、豊臣秀吉も一条家の家臣として長曾我部を遇している。
織田信長も右大臣を拝命し、豊臣秀吉も公卿官位に固執した。
豊臣家は明らかに公卿権威にこだわった改姓であるし、
秀吉が意図したところは、公卿権威を制すること。
御所に近隣近国の国人衆を参勤させ、
戦時には甲冑を身につけ、土佐や伊予の諸地域に出陣した
一方で領国経営を成功させと遣明貿易で巨額の財を築く。
こうした土佐の関白家の武名・声望は西国中に伝わった。
これこそが秀吉が求めて止まなかった権威であったといえる。
- 78 :
- 四国の暴君といえば、三好長治もなかなか凄い
- 79 :
- 改易後に政親の消息不明というのが引っかかる
もし国主として改易されても公家身分までは剥奪できないし、京都に帰って
公家として暮らせたと思えるし、土佐に残って阿波公方みたいに過ごせた
かも
- 80 :
- >>79
江戸時代の阿波公方がどれほど冷遇されていたか知らないと見える。
それはさておき。
その当時、京の一条家が代替わりし、先代に男子がいなかったので
後陽成天皇の皇子が次の京一条家当主となり、土佐一条家とは血縁関係が切れてしまった。
このことと関係があるかも知れない。
もっとも政親に関しては史料自体が少ないので
その辺に関しても全く先行研究はない。
- 81 :
- 一条昭良が生まれるのは慶長十年(1605)、
内基の養子になるのは慶長十四年(1609)だから、若干時代がずれる気はしなくもないが
- 82 :
- age
- 83 :
-
- 84 :
- 兼定は豊前じゃなくて、伊予で亡くなったんだね
- 85 :
- >>84
yes
- 86 :
- 土佐の大名と言えばこの人で、長宗我部はかなり後まで家臣扱いだったぽいね。
- 87 :
- >>86
「一条殿の家人で長宗我部とかいう珍しい名字の奴がいるらしい」
という趣旨の記録があるらしいしな
- 88 :
- 一条って、土佐の国司にはなったんかな?
北畠が伊勢の国司になったのは有名だが。
土佐の守護は細川って理解で良いのかな?
- 89 :
- 土佐国司にはなってない、慣用的にそういう風に言われるようになっただけ
戦国三国司で正式に国司に任じられたのは北畠だけ
但し国司に任じたのは南朝なので、北朝を奉じた室町幕府体制下では僭称同様だったと思うのだが…
土佐の中村に昔から荘園を持っていたのは事実だが>一条
- 90 :
- 房家、房冬、房基はなってない?土佐守
- 91 :
- >>90
兼定も含めてなっているな。
まあ、実際にはもっと上の官位にまで上り詰めてもいるが。
- 92 :
- 兼定は権中納言か、房家は大納言だし
- 93 :
- いや土佐国司になってるよ
前関白が次は土佐国司ってのもある意味凄いけど
- 94 :
- つまり初代教房自身も土佐国司をわざわざ朝廷から拝命している
- 95 :
- この初代教房の頃(東国では後北条氏が箱根を越えて駿東から
関東へ本格的に勢力を移植し始めた頃)から
次第に武家の間で官位官職が次第に復権し始める。
土佐守護家の没落と同時に畿内・西国では公家官位のほうが
ハイエンドなブランドとして流通し始める。
信長は部下に羽柴筑前守や維任日向守など
九州の名門旧家の姓や官職を名乗らせた。
徳川時代になって各国の国主は
鎌倉室町武家職制の守護・地頭職ではなく、
平安時代以来の受領国司名や朝廷官職を専ら用いた。
- 96 :
- >>95
「惟」任、だな。
- 97 :
- >>95
室町幕府の守護で江戸時代の領地も、その国全域だったのって、島津ぐらいってのもあるんじゃないか?
今の領地と違う地域の守護なんて名乗ろうものなら、無駄な軋轢生むことになっただろうし。
- 98 :
- 政元までの細川京兆は土佐守護兼ねているね。
- 99 :
- 一条家の通字って何になるの?
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