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2012年6月既婚女性434: 奥様が語る70年前 (439)
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奥様が語る70年前
- 1 :12/02/08 〜 最終レス :12/06/15
- 昭和50年代生まれ奥なのでもちろん戦争知らないんですが、第二次世界大戦があったあたりの日本の様子や、戦時中の生活に興味があります。
子どもの頃に祖父母や曾祖父母から聞いた戦時中の話など、興味深く聞いてました。同じような方がいらっしゃいましたら書き込みをお待ちしております。
- 2 :
- 【歴史】 「息子2人戦死、面目保てた」…陸軍大将・乃木希典の手紙発見
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1328685480/
- 3 :
- 戦時中、母が国民小学校1年のとき。学年で軍隊の編成地へ慰問に行き、歌とお遊戯を披露したそうです。
兵隊さんは自分の子を思い出していたのか皆泣いていたとか。。。。
- 4 :
- 戦地では食べるものがなく、しかたなく人肉を食べたりしていたと聞いた
渋みがあって美味しくないけど慣れたって
- 5 :
- たぶんララ物資の物だろうと思いますが、小学校1年生の時「におい消しゴム」をプレゼントされて
くんくん匂ったものです。
おしゃれな皮靴や鮮やかな桔梗色のウールのワンピースも頂きました。
- 6 :
- 5 は昭和20年生まれです。
父は教育委員会に勤める公務員でしたが、いま思うとずいぶん貧しい暮らしでした。
メルボルンオリンピックをザーザー音混じりのラジオで聞きました。
どこのお宅もにわとりを飼っていました。卵は貴重なタンパク源でしたから。
暮らしがちょっとよくなったのは朝鮮戦争がはじまってからだと思います。
- 7 :
- 母から聞いた話で印象に残っているのは「今夜から電灯がつけられる。うれしい」という
こと。
南方から骨と皮になって帰ってきた伯父から「とにかく塩を舐めたかった」という
話も印象に残っています。
東京の新宿西口ガード下には戦後しばらく浮浪児と呼ばれた孤児がかなりいましたね。
- 8 :
- 私の母は戦時中、学徒動員で血判状をやらされたって。
刃物で指を傷つけ、その鮮血で。女の子だってそんなだったって。
- 9 :
- それと母の兄は戦死したんだけど、死後に霊体となって
近所の人達や家族の前にその姿を現したそうです。バシバシと
ラップの音もしたって。何名もの人たちが時間をおいて目撃していて、
偶然とか錯覚とは違うと。遠い南方の島で、伯父は戦友が見守るなか
息を引き取る前に(おっかさん・・・)と涙を流しつぶやいたそうです。
- 10 :
- 「電灯がつけられてうれしい」というのは1945年8月15日の玉音放送を聞いて
の母の言葉です。分かりにくかったでしょう。ごめんなさい。
夜、ちょっとでも明かりが漏れると敵に見つかるかもしれないという訳で電灯を黒い
布で覆っていたんだそうです。
- 11 :
- 父は35歳のとき召集されました。
もう戦場に送れる若者が尽きてきたんだと思います。父は肺結核になり病棟
送りでそのまま終戦をむかえ生きて家族のもとに帰って来ました。
「病気になって助かった」とのちに言ってました。
- 12 :
- >>9
魂だけでも帰ってこれたんですね…よかった。
- 13 :
- >>11
祖父が終戦の年に二度目に召集されたときは44歳
若者が尽きたことと元衛生兵だったからかも知れません
入隊したものの国内で終戦を迎えたそうです
- 14 :
- 当時、戦争反対を声に出した人って結構いたのかな?
- 15 :
- 声を出すと特高が飛んできて拷問と聞きました。
共産党の不破さんのおとうさんは、教育の分野で軍国教育を批判し続け、職を離れましたが
平凡社が援助したそうです。間違えていないと思いますが確認よろしく。
生きていれば110さいの伯父に聞いた話です。伯父は不破さんのおとうさんを
「うえしょう」と呼んで尊敬していましたね。
- 16 :
- 戦時中はみな食べ物がなく貧しかったんだと思ってたけど、山本五十六の映画とか本を見てたら結構豊かそうだった。軍人とその家庭だけ豊かだったのかな?
- 17 :
- >>15
ありがとうございました。やはり、結構冷静な人もいたんですね。
- 18 :
- >>8
女子の血判状もすごいですが、桂由美や故 上坂冬子のように「私たち
女子も戦場へ」との意気込みの方もいたようですね。
- 19 :
- >>11
うちの祖父も35で終戦近くに召集されたそうだ。
国内での訓練中、集まったのがもう身のこなしが鈍い中年ばかりで、
日本ヤバイ!と不安だったらしい。
この中年さんたちは結局、戦地には送られなかったと言ってたよ。
その後受けた東京大空襲の中、妊婦だった祖母は「妊婦が逃げんのほんと大変!」と言ってた。
自宅に焼夷弾を落とされた時に、田舎に疎開を決意。親戚の小屋で暮らすように。
田舎はB29が東京を焼き討ちにした後に、燃料?が入っていたドラム缶を落として行く場所だったらしく、ドラム缶が潤沢。
風呂がなかったので、父の産湯はそのドラム缶で沸かしたお湯だったそうだ。
- 20 :
- 日本は8、15は本当は敗戦記念日なのよね。それを終戦記念日を呼ぶのはなんでだろう。
一般市民が多く焼け出されたり餓えたりで、心の中では「早く戦争を終わってくれ!」と
いうのがあったから「終戦」という表記が定着しているのかなあ。
- 21 :
- >>13
44歳で二回も兵隊になんて驚きました。
こういう事実はやっぱり語り継ぐというか 記録としてのこしておかなくては
いけないように思います。
- 22 :
- >>21
わたしが子どものころに聞いたときは年齢はピンと来なかったのですが、昭和天皇と同い年だったことを思い出しました
- 23 :
- 永井隆「この子をのこして」を読むと戦争の爪痕を知ることが出来ると思います。
青空文庫で読むことができます。
- 24 :
- >>23
「長崎の鐘」のモデルとなった永井博士の著書ですか?読んで
みたいです。あの歌を聴くと涙がでてしまう。
- 25 :
- >>24
本当に涙がでますよね。
二人のお子さんは今どうしておられるのでしょうか。
- 26 :
- 父は旧制中学の1年生
田圃の中の道を自転車に乗って学校に向かっているときに
いきなり戦闘機P-51マスタングが飛来、機銃掃射をはじめたため自転車ごと田圃に飛び込んだそうです
学校にいた在郷軍人が一人亡くなり、その校舎にはいまでも被弾のあとが残っています
- 27 :
- 良スレあげ
- 28 :
- 母親、現在85歳だけど
小学校のときのお話です。
この頃の女の子は勉強はしなくてもよいと教えられたのかと
思ってたら、
男の先生が女の子こそこれからは勉強すべきと
非常に熱心に勉強を教えられただそうです。
放課後など課外授業を無料で教えてくれたそうです。
偉い先生だなぁと思いました。
- 29 :
- 空襲をうけなかった、数少ない県の出身なんだけど食糧に困った話は聞いたことがないな。でも、やっぱり戦地にかりだされた若者は沢山いたみたい。
- 30 :
- 浅草ロックス前に今も130cm位の老婆「チェリーさん」がタ{しておられます。
インタビューで「家族全員同時に亡くした」
と言っておられたので東京大空襲の孤児ではないでしょうか。
- 31 :
- 戦争中は農家が威張っていたそうだ。いいところの奥様やお嬢様の
高級な着物などを値踏みし、さつまいもや野菜、米などと交換して
くれるのはいいんだけれど、その値踏みの仕方が賤しくて、持って
いった側は非常に悔しい思いをしたそうだ。
- 32 :
- >>31
当時まだだった母は祖母についていったんだろうが
「偉そうにされた」と思い出しては怒ってました
- 33 :
- 今日も沖縄の高校では250キロの不発弾の処理があった。戦後これだけ見つかるんだから、戦争中は凄まじい荒れようだったんだろうね。
- 34 :
- 戦争中は、配給に頼らずともよい農家が勝ちだったということ
でしょうね。非農家は配給だけでは足りず、そういうことをせ
ざるを得なかった。
- 35 :
- 【国際】オーストラリアで日本軍空爆70周年慰霊式…「1942年は歴史上最も暗い年」と首相
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1329654318/
- 36 :
- >>25
お子さんお二人も、もうお父様の元へ逝かれました。
誠一さんの書かれた本もとても心打たれるものがありました。
- 37 :
- 母方の祖父母は商売をしていて大阪にいて伯母を
産んだんだけど、数年後な空襲が酷くなるとの事で
祖父母の実家の滋賀県に疎開した。
そのまま疎開先の実家で終戦を迎え、そのまま住み着いて
母が生まれる。その後食糧事情の関係で祖父が病気になり
死亡。(母が2歳の時)
- 38 :
- >>37
続き父方の祖父母はその年に伯父が生まれる。
伯父が生まれるとともに軍属として北京へ赴任する。
北京は汚くて大変だったそうだ。うちの祖父は軍隊が
移動するたびに町を作ってた建築士。終戦間際に
父が誕生する。引き上げる船も間もなく終わるとの事で
必死に乗り込み、日本へ戻ってくる。
- 39 :
- >>38
続きその引き上げ船のとき、食糧事情が悪く、生まれて
間もない父がぐったりしていたので一緒に乗ってた人たちが
もう死んでるんじゃない?海に捨てたらと。
でも祖母は日本の土に埋めてやりたいと拒否。
ある時雨が降り始め父の頬を、そして父がぴくっと
動いた。生きていたのだ。
- 40 :
- >>39
続き祖父母は本当に喜んだみたい。
本当に食糧事情が悪くて祖母のが充分に
でなくて、豆を飲ませてたみたいだったから。
牛もなかったし。
父があの時海に放り投げられてたら自分は
生まれてなかったんだと。
- 41 :
- >>31
まさにその典型がうちの姑です。超ど田舎の人で
少女の頃に、B29をはるか遠くに1度きり目撃したそうです。
戦時中は食べ物は特別にひもじいこともなかったそうです。
姑の一家は戦時中、
疎開してきた東京モンには食わさん、ほしけりゃ金目のモンよこせ・・・
と得意げに一家でほざいていたそうです。
チラ裏。
トメは現在も東京モンは好かん、大嫌いとよくいっていて、都民でなくとも
関東の人間はぜんぶ東京モン発言しています。
それで私には米や野菜は送ってこない。報復措置として
びた一文金はだしてやらないことにした。そうしたら高血圧で寝込んでやんのw
はよしね婆
- 42 :
- >>41 チラ裏はチラ裏スレか姑嫌いスレでやってね
- 43 :
- 当時何処にすんでいたかによって違うだろうなあ
- 44 :
- 農家だったうちの実家には戦争当時に米と交換したという立派な桐箪笥があるよ。
今でも使ってる。
- 45 :
- うちの義実家にもある。人に弱みにつけこんだ
涙と恨みの高級な反物や、高級な西洋の食器とかいろいろ。
- 46 :
- 何でも鑑定団にも、
よく出てきますよね。
米と交換した壷とか絵とか。
- 47 :
- 班田収受のこともたまには思い出してあげてください
- 48 :
- >>47
誤爆しました・・・
- 49 :
- 高木美保主演の華の嵐を思い出すわ。
華族のお嬢様が食料を得るために近郊をまわるシーンを。
- 50 :
- 戦時中の農家、豪華な絹の着物を持っていくと、「こんなもの
、普段にここいらで着られると思っているのか。普段にも着ら
れる着物を持ってこい!」と怒鳴ったそうだね。だけど、奥様
やお嬢様は絹の着物っきゃ持っていないわけで…。さつまいも
などを投げるようによこしたらしい。
- 51 :
- おお、こんなスレが。
うちの父は終戦の少し前、大学生の時に招集され、終戦後シベリアに2年間抑留された。
当時、理系の学生は召集は免除され、文科系の学生だけ学徒出陣といって
召集されたという。
父は私の小さい時はよく戦時中の話をしてくれたが、歳を取るにつれてあまり
当時の話はしなくなった。何万人も犠牲になったシベリア生活、言い尽くせないほどの
苦労や酷い経験があったのだと思う。
ハタチそこそこの若者が、そういう体験をしなければいけなかった事を
考えると本当に戦争は恐ろしい、あってはならないものだと思う。
- 52 :
- まあ、絹の着物なんて戦争中にはタンスの肥やしにしかならないものなんだから
仕方ないと思うんだけどなあ。
農家だって食糧余ってる家ばかりじゃなかったんでしょうに。
- 53 :
- >>51
亡き祖父も若い頃に満州からシベリアに行ってた。そうとう過酷だったらしく、祖母にもあんまり語らなかったみたいだが、沢山の死体のうえを歩かなければ通れない道があって辛かったとかは聞いたことある。
祖父には子どもが育たなくて自分は養子の子なんだけど、シベリアに行ってた人は寒さに体無理しすぎてたからか、子どもが出来なかった人は案外多いのかも知れない。前に読んだ本にも、シベリアに精子をおいてきたとか表現してる人がいたから…
- 54 :
- 東京芸大に行ってたじいさんは、戦時中に飛行機練習用に、空中の絵をかかされた。
大きな看板みたいなやつね。
- 55 :
- >>53
>>51のレスした者です。まだお若い方なんですね。
寒さで精子が云々の話は初耳ですが、
そういえば、ウチの両親も結婚してからなかなか子供が出来なかったそうで。
不妊症の検査まではしてないと思うけど、出来にくい体になっていたのかも
知れませんね。
- 56 :
- >>55
祖父は生きてたら今年80くらいですが、20年くらい前になくなりました。
当時シベリアに連れていかれた中でも10代で若かったので、可哀想に思って色々と助けてくれた人がいたみたいです。こっそり懐に食べ物を隠し持って、祖父にだけくれたりとか、日本に戻る時にもうまく逃がしてくれたときいてます。
戦地から無事戻っても、早死にする人って多いみたいなんですよね。無理しすぎたからか。
- 57 :
- >>56
うわ、ウチの父が87で存命ですから、おじいさまはかなり若くして
戦争にいかれたんですね。よくわからないけど特攻隊とか?多分召集ではなく
志願して行かれた方でしょうね。
父は痩せていて、あまりエネルギッシュなタイプではなく、会社から帰って食事
が済むと、すぐ布団に入って横になって体を休めていましたので、体が弱いのか
と思っていましたが、実際には結構長生きしていますね。
数年前までは、戦友会で昔の戦地に旅行したりしていましたが、
その戦友会も、皆さん病気になられたり、中には旅行中に亡くなる方もいて、
もう旅行はできなくなったようです。
- 58 :
- >>57
死んだ日から計算して調べてみたら、祖父が生きてれば今年83才です。最初満州にいて、そこで終戦?シベリアに連行され数年間抑留されていたようなことを祖母から聞いたことあります。
特攻隊ではなかったですが、整備士?とか何か裏方だったのかなと思ってます。何故行ったのか詳しいことはわかりませんが…
祖父も、戦友の集まりの旅行に毎年行ってたらしいんですが祖母は連れずに、必ず1人で行ってたそうです。きっと、まだご健在のかたがいらっしゃると思いますが何という会なのかが全くわからず…
いらっしゃったら祖父のことを聞いて見たい。
- 59 :
- うちは伯父〈故人〉が、シベリア抑留組みでした。
家に帰ってきたときは、数日間ほど土間に寝ていたそうです。
祖母が再三、座敷に敷いた布団で寝なさいといっても
身体と習慣がそれをすぐにうけ付けなかったみたい。
伯父は十数年前に亡くなったけれど、葬儀には苦労をともにした
戦友さんが駆けつけてくれました。西日本から関東までの遠距離を。
杖をつき、家族の介助がないと一人で歩けない人でしたが、
生死をわかちあった戦友の死はそれでも来て下さった。
その人は〈○○よ、貴様!なぜ俺を独りに〉といって号泣していました。
>>56
もし現在80才ぐらいなら、シベリアへいかれたのは一般人として満州からですか?
- 60 :
- >>58
げんざい生きていれば83才ということね。だとしたら、最も若い年齢で
行かされたんでしょうね。
シベリア抑留者たちの戦友会というのがあり、伯父も戦前に足を運んでいた。
多くの人たちがすでに亡くなっている。
- 61 :
- 30年前の勤務先の社長(故人)が、学徒出陣
終戦時はインドネシアの小さな島で単身、諜報活動を命じられていたそうです
しかし敗戦の報を聞いた途端、日本を目指してジャカルタへ向かいました
「当時まだ23才で、母親に会いたくて会いたくて、その一心だった」とか
私が新人OL時代は役員クラスの方の多くが学徒出陣を経験したりや陸軍士官学校、海軍兵学校出身で
よく会社に戦友の方が訪ねて来られていました
- 62 :
- >>60
祖母が昔言ってたんですが、コウナンカイ?とかなんとか名前のついた会みたいなんですが今となってはわからないです…
もしかして一般人として満州へ行ったのかも知れないですが、曾祖父母が満州に行かずに日本にいたことを考えると、子ども1人で満州にいたのはおかしいような気もするんですよね。
先ほども書いたのですが、可愛がってくれた人が食べ物をくれたり逃がしてくれたのは、もしかしたら一番若かったので不憫に思ったからかもしれません。
戦前?の写真をみたことありますが、体格も細身で華奢、しかも近眼で黒ぶちメガネだったので学童で戦地に引き抜かれたとは思えないんですよね。
- 63 :
- >>62
もし一般人だとしたら満蒙開拓青少年義勇軍?
あるいは満州で満鉄等に就職されていたのかも知れませんね。
- 64 :
- 一般人も抑留されたとしたら、酷い話ですね。
しかもまだ少年の身で・・・
大変なご苦労されたのですね。
- 65 :
- >>63
あ!もしかしたら鉄道関係かも…亡くなるまでは鉄道整備の会社にいました。
生きているうちに自分が、もっと詳しく聞いておけば良かった。何しろ祖母がそういう話に本当に興味ない人なのでorz
満州に残った友人や、全国にいる会のメンバーの住所録などもあったけど祖父の死とともに捨てたと言っていました〜
- 66 :
- 平和祈念展示資料館のサイトに「シベリア抑留生活の回想」という資料がありました。
(注:PDF) ttp://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11yokuryu/S_11_397_1.pdf
「コウナンカイ」は、河南省と関係あるのでしょうか?
同館には戦後強制抑留者の生活を再現した展示があるようです。
ttp://www.heiwakinen.jp/taisen/sengo.html
- 67 :
- 小説「人間の條件」を読むと引き揚げやシベリア抑留の様子が胸に迫ります。
仲代主演の映画DVDも観ました。
- 68 :
- 感嘆あげ
- 69 :
- >>66
そこ夏休みに子供と行ったわ
- 70 :
- >>66
平和祈念展示資料館って沖縄?
- 71 :
- >>70
くぐると東京都新宿区って出るよ。
都庁前駅の近くみたい。
- 72 :
- うちは祖父が傷痍軍人(死語ですね)だったので、九段にある
しょうけい館をお勧めしたいわ。
日本での身体障碍者の福祉政策、福祉用具の開発は傷痍軍人さんの
社会復帰のためという側面も強かったから。
>>65
鉄道関係かもですね。
戦前満州にいた私の身内が言うには、鉄道関係者は真っ先に帰って
内地の鉄道の復興に尽力したか、最後まで外地に残って職務を全うしたか
どちらかだったようですよ。
どっちが得だとか逃げたとかそういうことではなくて、皆それぞれ
上司に指示されて残ったりしたようです。
戦前は徴兵に適した年齢の男性は少なかったので、あなたのお爺さんの
ように今の中卒くらいの年齢の子がそういう職場に就職していました。
- 73 :
- 72を書き込んでから、家族といろいろ話してたんだけど、もしかしたら興安会(こうあんかい)だったかもね。
場所的に。そういう地名がありますし、実は日本統治時代に敷設された鉄道があるようです。
いずれにせよ、民間人でしかも少年が抑留されるなんてあんまりですね。
場所をググってもらったらわかると思うのですが、こんな場所にいたら
確かにまとめて抑留されてしまいそうです。自力で単独帰国を目指すとかありえないと思うし。
- 74 :
- ハイラルなどの地名でググっていただいたら、この辺りが戦中に日本軍の
要塞、戦略的な要だったこともわかっていただけるかと。
長々と長文失礼しました。
ただ、お爺さんのあまりのご苦労に胸が痛みますね。
- 75 :
- 戦時中の切手持っています。
わら半紙なんですよ。
- 76 :
- >>73
ありがとうございます。
知らなかった事がだんだん見えてきそうで、何だか嬉しいです…祖父は満州での友達や、生活はよく懐かしんでいました。
でもシベリアでの話しは祖母以外に一切しませんでしたし、写真も全くみたことがありません。なので、抑留の話しは、祖父の死後に祖母から聞くまで知りませんでした。身体的に成長著しい時期にシベリアにいたっていうのは、身体的に負担が大きかったんだろうと思っています…
>>75
ヤフオク見てきましたが、今でも結構出ていますね。思ったより、安い金額で落札されてて意外でした。
- 77 :
- ●引揚者団体:「興安会」来月3日に最後の慰霊祭
太平洋戦争末期、中国大陸からの苦難の引き揚げを経験した人々でつくる「興安会」が11月3日、
最後の慰霊祭を開き解散する。戦争体験者の団体が次々と活動を停止する中、また一つ灯が消える。
会員は、終戦まで満州国興安総省(現・中国内モンゴル自治区)で暮らした人々。1945年8月9日、
ソ連軍が国境を越え侵攻した後、同省からの引き揚げは悲惨を極めた。同14日には、避難民
1000人以上が虐殺された「葛根廟(かっこんびょう)事件」が発生。シベリアに抑留された人や、
帰国をあきらめた残留孤児・婦人も多い。
同会は、帰還者や遺族らが犠牲者を追悼するため57年に結成された。東京・下目黒の五百羅漢寺
に慰霊碑を建て、毎秋慰霊祭を開いてきた。だが会員の高齢化が進み、最盛期の約1000人から
300人程度に減ったこともあり、解散を決めた。
最後の慰霊祭は午前11時から。4代目会長の阿部寛行さん(82)の父親は満州国の官吏だった
が、シベリア抑留を経て帰還した。阿部さんは「会は解散するが、かの地で犠牲になった人々を忘れ
ないでほしい」と話している。なお、葛根廟事件の犠牲者を慰霊する「興安街命日会」は存続する。
【栗原俊雄】
毎日新聞 2011年10月29日 20時01分
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111030k0000m040046000c.html
- 78 :
- >>76
抑留経験者は帰国してからも就職差別を受けることがあって、おそらく奥さんにも黙っているように言ったんだと思う。
思想的に赤化してしまう人が多かったらしくて、社会情勢的に共産主義が忌避されてる時代でもあったからね。
大叔父が抑留経験者だったけど、引き揚げてきてから抑留者とわかると中々仕事が見つからずに苦労したらしい。
で、戦前働いてた職場の関係者に何とか紹介してもらって、元々就いてた経理関係の仕事にやっとありつけたとか。
御祖父さんもおそらくそういう経緯があったのかも。
思い出したくない記憶という理由ももちろんあったと推測されますが。
- 79 :
- シベリア抑留者はソ連で赤化されたと言う偏見があったのでしょうね
- 80 :
- 実際アカになった人もいたらしいけどね。
で、昭和が終わるころまで公安に監視されてた人もいたみたい。
ジャーナリストの斎藤貴男の父親が亡くなるまで監視されてたという話は聞いたことがある。
斎藤さん自身も父親のことを理由に就職が上手くいかなかったらしい。
- 81 :
- 父がシベリア抑留者だったと書いたものですが、
ウチの父はずっとコテコテの自民党派だったなw
でも、戦後大学に戻って(といってもまともな授業がある状態じゃなかったらしい)
卒業した後、親戚のいる田舎で数年働いていたようです。
その後、東京に戻ってある企業に入って、順当に出世して役員になりました。
ドラマの不毛地帯だと、シベリア帰りの主人公が結構エリートコースを歩んでいるし、
「シベリア帰り?お、骨があってよろしい」とむしろ評価されるのかと単純に
思ってたのですが、実際は色々あったんでしょうね。
- 82 :
- >>81
ごめん、そのモデルの瀬島こそが諸悪の根源でしょうに…
お父さんのことなんだから、もう少し認識をもたれた方がいいんじゃ。
あと斎藤さんのお父さんも自民党支持者だったんだよ。
でもずっとマークされてたんだよね。
- 83 :
- >>82
お父さんのことなんだから、もう少し認識をもたれた方がいいんじゃ
なんですか、あなたは。
和やかに話するスレじゃないのですか?ここは?
やたらとアカとか何とか、あんまり政治的なことは荒れる元でしょう。
- 84 :
- 第一、82さんの親御さん、あるいはご親戚は戦争にいってらっしゃったのですか?
実際戦争に行ったものは、言いたくない事だってあるはずですよ。
前に書き込んだように、ウチの父も時が進むにつれて、あまり話さなくなったのです。
- 85 :
- シベリアって、女性もいたのかな?
- 86 :
- 赤だ赤だって、部外者なのにアレコレいってくるなんて嫌ね。
83さんは悪くないわ
- 87 :
- >>86
同感。
>>82って、噂のネトウヨって奴かな?
嫌韓と同じように、抑留経験者を叩こうとしてるなんて鬼畜すぎるわ。
許せない。
- 88 :
- 抑留者って実際そうやって差別されたんだよね。
こういうことを知ってる人も少なくなったんだなあ。
昭和は遠くなりにけり。
- 89 :
- 竹下景子のお父さんの話なんかも有名だよね。
あ、私は82さんじゃないので念のためw
>>83さんは瀬島龍三を知らないのかな。それにはびっくりしたけど。
- 90 :
- >>89
はいはい、もうあんたは来なくていいわ。
- 91 :
- >あ、私は82さんじゃないので念のためw
こういうこと書く奴は大抵本人ww
- 92 :
- 戦争終わりの頃
- 93 :
- >>89
竹下景子のお父さんは満州国の官僚になったのだったかな。
NHKの番組で見たがウロ
- 94 :
- 東京大空襲の時、私は高校生であった。はい。大変な時代であったお。
本所、深川、みんな燃えてしもたお。
- 95 :
- >>94
80代の方、降臨?
- 96 :
- 高校じゃなくて旧制高等学校でしょう
- 97 :
- ネトウヨは定義が広すぎるからあまり使わないほうがよい単語だと思う
なんでもかんでもその言葉に詰め込んで、言った方は思考停止してる感じ…
- 98 :
- >>56祖父も生きていたら90何歳か。
中国戦線。
帰ってきてから・・
市街地に爆弾落とした飛行機が、
残りや、なんか備品を落としてきて、
田舎だからといって、安全でもなかったそう。
- 99 :
- http://www.youtube.com/watch?_detailpage&v=kR9klYS6y9A
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