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2012年6月中国英雄29: 石勒 (661)
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石勒
- 1 :07/02/03 〜 最終レス :12/06/15
- 五胡十六国時代の最大の英雄。文盲の後趙の創設者。
奴隷から盗賊、盗賊から皇帝になった男
- 2 :
- 失せろ
- 3 :
- 石勒(274〜333)
字は世龍。後趙の初代高祖明帝。在位319〜333。上党郡武郷の人。周曷朱の子。
羯族の部族長の子であったが、窮乏したため漢人に売られ、山東の民家の奴隷となった。
太安年間に飢饉のために山野に逃れて、馬賊の首領となり、諸勢力の下を転々とした。のちに、漢の劉淵
に帰属し、河南・山東の経略を任された。
永嘉三年(309)、鉅鹿・常山を攻め、君子営を作って漢人の知識人を集め、その中から張賓を抜擢した。
劉聡が即位すると、并州刺史となり、汲郡公に封ぜられた。五年(311)、西晋の太尉・王衍を捕らえ殺した。
光初元年(318)、劉曜が即位すると、大司馬・大将軍に上った。翌年、靳準の乱を平定し、趙王を自称した。
趙王の十年(328)、太和と建元し、前趙の軍を破った。
翌太和二年(329)、前趙を滅ぼし、劉曜をと、天王を称し、のちに帝位についた。
羯族を軍事基盤として、華北の大半を平定し、華南の東晋と対峙した。漢人士大夫を登用して、律令・官制
を整えた。『趙書』などの史書を編纂させたといわれる。仏教を崇拝し、仏図澄を信奉したことでも知られる。
- 4 :
- 趙書って現在には残ってないの?
- 5 :
- >>4
『太平御覧』その他の類書に逸文が残っている。
- 6 :
- て、逸文が残ってるのは崔鴻の『後趙録』の方か……。
石勒が編纂させた『趙書』は多分残ってなかったかも。
不確実でスマン……。
- 7 :
- 石虎ってやっぱり駄目君主なのかな
- 8 :
- 石勒配下の将帥としては、トップだろうね>>石虎
何か、後趙政権は養子関係が多いよなあ
唐末五代を彷彿とさせるくらい、養子がらみのトラブルが多い
田堪や冉良(石瞻)みたいに良い拾い物だったりすることもあるが
石生と郭権のコンビも好きだがやっぱ孔萇が一番かな
経歴がよく分からないが、先鋒として幽、冀、并州を荒らしまわった軍事手腕は凄い
石勒配下の将軍達は、結構胡散臭い出身が多いよな
羯族+十八騎+君子営+乞活集団等々、寄せ集めというかイロモノというか
こういう連中が晋正規軍を壊滅させたり、匈奴部族を撃滅させたりと、いやはや痛快だ
- 9 :
- >>6
いえいえ、情報ありがとうございます
趙書が正史として認定されていたら今日まで完全な形で残ってたんでしょうけどねぇ
>>8
なんか後趙政権って面白そうなやつらの集まりですねw
今度図書館にでも行って『晋書』載記でもじっくり読んでみようかな
- 10 :
- 石勒の小説があったらさぞかし面白いだろうな。
- 11 :
- 石勒スレ、いまいち伸びず。
- 12 :
- 彼、劉邦のファンだよね。
- 13 :
- 石勒も文盲だけど、耳学問を身につけた口だね。
- 14 :
- 石勒に負けた所為でかませ犬扱いになっているが、苟晞や祁弘あたりは
時代を代表する名将だったはずなんだがなあ、永嘉の乱さえなければなあ……
石勒に負けて、なお評価を保っているのが、祖逖と劉曜ぐらいだもの
しかし、後趙の崩壊の過程は、映画とか漫画によく出てくる「悪の帝国」の断末魔にそっくりだ
あれだけ残虐非道やってても、少しは延命できるんだものね
- 15 :
- 石勒十番勝負!
一回戦:少数民族に生れ落ちる、部族崩壊の危機との戦い
二回戦:并州大飢饉、飢餓との戦い
三回戦:東エイ公司馬騰による奴隷狩り、生存率30%以下の地獄の生存競争
四回戦:青州刺史苟晞による匪賊討伐、初の官軍との戦い
五回戦:王衍指揮する晋正規軍主力に対しての徹底的殲滅戦、おまけで司馬氏皇族の殆どを屠殺
六回戦:青州の群雄王彌との知略戦、喰うか喰われるかの内ゲバ
七回戦:幽州の実力者王浚に対する詐術の極みを尽くした謀略戦、小が大を喰らう大番狂わせ
八回戦:愛国詩人劉コンの徹底抗戦、華北の晋系軍閥をほぼ壊滅させる
九回戦:祖逖の北伐、河南の大部分の領土を切り取られ、結果として華北統一を大きく遅滞させられた屈辱の一戦
十回戦:劉曜との華北統一をかけた一大決戦、至高の死闘を制して劉曜を滅ぼす
最初から最後までクライマックスだな、この男
- 16 :
- >>15
>最初から最後までクライマックスだな、この男
それこそ陳翁か芳樹かソープ先生が小説化でもすりゃ、
アッー!と言う間に流行りそうな題材なんだけどなぁ……。
極め付けは「曹操・司馬懿などは話にならぬわ!」でしょ。
どんだけエピソードに恵まれてるんだよ!って話ですよ。
- 17 :
- あとは、若い頃に洛陽に行商に行ってて、
王衍とニアミスしてるという伏線まである。
どんだけ小説向きなんだ、この御仁は。
- 18 :
- >>15
ドラマにしたら、すごく盛り上がると思う。
ちょっとアドベンチャーちっくというか、派手な演出で。
- 19 :
- >>16
陳先生はあんまり期待できないんだよねえ
(小説十八史略は正直この時代のヤツは、イマイチ)
ガイエは漢民族至上主義者だし
逆に祖逖や桓温あたりを主人公にすれば、五胡の連中を魅力的な悪役で書いてくれそうな気もするが
ソープ先生の思考が一番あってそうな時代だが、凄い読み疲れしそう
劉曜と羊皇后のシーンに期待したい
- 20 :
- >>19
>小説十八史略は正直この時代のヤツは、イマイチ
確かにこの時代の部分は、あまり印象に残っていないな。
- 21 :
- 三国志あたりからは無名だが石勒の人生はかなり面白い
毎回毎回が赤壁の劉備みたいな戦い
- 22 :
- 石勒は、幼少時代から利発そうなイメージを周囲には与えていたんだろうね
洛陽への行商に付き添っていったり、郭敬から厚遇を受けていたり
ただの弱小部族の族長の倅にしては、結構デキが良かったんじゃないのかしら?
ライバルの劉曜の方が、個人的には好きなんだが
朝鮮に潜伏していた後、ほとぼりが冷めて本土に戻ってきた後も、自分の容貌魁偉なのを
コンプレックスに感じて、プチ引き籠もりしているあたりなんか、ちょっと親近感が沸く
戦は強いし、行政手腕にも優れていて、度量の広い人物なのに
肝心なところで抜けてるあたり、勿体無いけれども、それが魅力になっている
この時代、完璧超人っていないよね
どいつもこいつも、頭のネジが外れているか、歯車ひとつ抜けている
- 23 :
- この人、奴隷狩りを行った司馬騰にも復讐果たしているよね
やはり、ドラマがあるな
(確か、このころ公師藩配下の汲桑のさらに下にいたはず)
ただ、終わりがハッピーエンドといいきれないのが残念
- 24 :
- wikiから
石勒(せきろく 274年 - 333年、在位319年 - 333年)は中国、五胡十六国時代の後趙の創建者。字は世龍。廟号は高祖、諡号は明皇帝。
上党郡武郷(現山西省楡社の西北)の人。周曷朱の子。羯族の小帥の子であった。
当時の羯族は漢族によって迫害を受けて困窮し、并州の飢饉戦乱にあって離散して、
石勒も流浪の旅に出ざるを得ず、その途中で晋の東嬴公司馬騰に捕らえられて山東の師懽に売られて奴隷とされた。
八王の乱の混乱に乗じて群盗となり、公師藩が起兵するとこれに合流した。
ほぼ同時期に匈奴の劉淵が漢(前趙)を興したのでこれに帰順し、輔漢将軍・平晋王として征戦に従事した。
309年、鉅鹿・常山を攻め、君子営を作って漢人の知識人を集め、張賓を謀主とした。
310年に劉淵が死に、劉聡が即位すると并州刺史となり、汲郡公に封ぜられた。
311年、東海王司馬越の葬列を襲って、西晋の太尉王衍を捕らえて殺した。王弥を誘い殺してその部下を併せ、襄国を拠点として幽州・并州の経略にあたった。
王浚を殺し、劉琨(王編に昆)を破った。
318年、前趙の劉曜が即位すると、大司馬・大将軍に上り、次第に劉曜と対立するようになった。
319年、靳準の乱を平定し、趙王を自称した。これが後趙の建国である。
328年、太和と建元し、洛陽で前趙の軍を破った。
329年、前趙を滅ぼし、劉曜をと、天王を称し、翌年に帝位についた。
羯族を軍事基盤として、華北の大半を平定し、華南の東晋と対峙した。
333年に死去するが、死後に後継争いが起き、太子が殺されて史上に殺人鬼の名前が高い石虎が帝位につく。
石勒は自らは字が読めなかったが、他人に書物を読ませて聞かせる事が好きであり、漢人士大夫を登用して、律令・官制を整えた。
『趙書』などの史書を編纂させたといわれる。仏教を崇拝し、仏図澄を信奉したことでも知られる。
また、過去の群雄について、次のように評した。
「(部下に三王や軒轅に匹敵するとおだてられ)卿らは誉めすぎだ。もし朕が高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、
曹孟徳(曹操)や司馬仲達(司馬懿)父子のように、孤児(献帝)や寡婦(郭太后)を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
と、発言した。
- 25 :
- 劉邦より劉秀を下に置いているけど好みの問題かな?
為政者としても武将としても劉秀のほうが劉邦より上だと思えるけど
- 26 :
- >>25
それは色々、解釈が分かれるね
張賓が張良にあこがれていたらしいので、その影響かな?
- 27 :
- ウィキペディア
http://en.wikipedia.org/wiki/Shi_Le
記述が充実している英語版の「石勒」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8B%92
記述量が少なすぎる日本語版の「石勒」
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8B%92
英語や日本語以上に悲惨な中国語版の「石勒」
■英語版に負けているよハズカシー!!(><)
- 28 :
- 感覚的な問題として三国時代が身近だったから
後漢末の悪いイメージが後漢という時代そのものにフィールドバックされてたとか
- 29 :
- >>25
全体的により古い時代を上にみなす風潮があったのと、より低い地位・悪い条件から成り上がったあたりを評価してるんだろう
- 30 :
- 劉邦は「将に将たり」という言葉があるように、能力のある者を内包できる器があるからこそ
劉秀より上に評価してるんじゃないかな。
- 31 :
- >>27中国はwikipediaへのアクセスに規制が引かれていたからな。
最近解除された様だが、香港や台湾からの書き込みだけでは高が知れているだろう。
それに標準語がまだまだなのに、
広東語とかビン南語、呉語、はては漢文のwikipediaまで有る。
- 32 :
- 高祖=俺の方が強いだろうけど好きだから殺したくない。
光武帝=最終的に俺には敵わないだろうが、ゾクゾクするような勝負が出来るのはこいつだけだ。
曹操、司馬懿=女子供を出汁にするなんてマジ許せん。天誅を下してやる!
こんな解釈も可能と言えば可能。
- 33 :
- 光武帝のことは「まさに中原に並駆すべきも、鹿が誰が手に死せんかを知らず」と、
天下を争うが、勝てるかどうかはわからないといっている。
石勒は光武帝を、高祖のような魅力は無いが自分の好敵手たりえる男と考えていたのだろう。
高祖に対しては自分は粛清されない自信があったか、
殺されても良いから臣下になりたいというほど憧れてたんだろう。
- 34 :
- 王衍をのに土壁の下敷きにしたのはなぜだろう?
刃の穢れになると思ったのかな?
- 35 :
- 虚名とはいえ、人望があったからじゃない?
政治家というのは無能でも悪人でなければ人気は高まるし
首を斬ると冥界で困るという考えがあったので、
五体残る形の死刑としては軽いものにしたのだろう
- 36 :
- 劉淵=信長
石勒=秀吉
- 37 :
- 石勒の大虐殺のほとんどは坑殺だからなあ
城壁圧殺と比べても、残酷度はそんなに高くないと思うぞ
司馬懿が遼東でやったような京観の方がずっと残酷だろうよ
中国の黄土平原の土質は縦割れしやすい性質があるから、旱魃が起こるとそこらへんに
巨大なクレバスができると聞いたことがあるんだが、本当なんだろうか?
項羽の秦兵大虐殺も、そういう地隙に坑埋めして実施したとかなんとか
- 38 :
- >>34
たぶん、「貴人に刃を加えてはならない」っていう、北族の風習に由来してるんじゃ。
確か後代のモンゴルにもあったと思う。絨毯で簀巻きにして馬で踏みっていうのが。
- 39 :
- 《晉書》 卷一百四 〈石勒載記上〉
勒重衍清辨,奇範神氣,不能加之兵刃,夜使人排牆填殺之。
《晉書》 卷四十三 〈王衍傳〉
謂其黨孔萇曰:「吾行天下多矣,未嘗見如此人,當可活不?」
萇曰:「彼晉之三公,必不為我盡力,又何足貴乎!」
勒曰:「要不可加以鋒刃也。」 使人夜排牆填殺之。
とあるから、どうにも奇妙で不快な奴だけど、しかし、驚くほど優雅で
明らかに貴人だから、石勒は王衍を斬刑に処せなかったんだと思う。
- 40 :
- >>35
>>38
>>39
成る程ね。
てっきり文官は自るとき体を傷つけてはいけないので、
それに対する嫌がらせとして圧殺したのかと思った。
- 41 :
- 石勒はライバルが豊富だな
晋:王衍、苟晞、王浚、劉琨、祖逖
趙:劉曜
他:王弥、靳準、曹嶷、段文鴦
この中で会ったことのないのは劉琨、祖逖だけというのもすごい
(靳準、曹嶷、段文鴦は微妙だけど)
- 42 :
- 劉越石と祖士稚の関係がウホッにしか思えない俺は相当末期だな……
しかし、明らかに友情以上の熱い関係を感じるものがある
軍事的才能だけで見れば(永嘉の乱〜石勒崩御まで)
A:石勒(魏晋南北朝期で最高峰の将帥)
B:石虎(晩年の耄碌さえなきゃ、間違いなくAクラス)
劉曜(何気に、洛陽と長安の両都を陥落させている功績があるんだよね)
陶侃(劉弘から受け継いだ荊州を堅守し、後の西府軍の礎を築く)
祖逖(逆境野郎、中央政府から足を引っ張られつつの北伐はぶっちゃけありえない)
苟晞(少なくとも、永嘉の乱までは時代を代表する超名将→石勒のかませ)
C:王彌(一時は全斉の主まで登りつめた梟雄、でも石勒のかませ)
祁弘(八王の乱を実質平定させた王浚配下の将軍、この時期までの王浚は間違いなく英雄だった)
孔萇(石勒最強の手駒、彼なくしての河北平定は不可能だっただろう)
段末破(鮮卑段部の猛将その1、世評では鮮卑最強だったらしい)
段文鴦(鮮卑段部の猛将その2、石虎のかませ)
劉聡(匈奴漢二代目、部下は多士済々だが碌なヤツがいねえ)
陳安(関隴の狂犬、一体何がしたいのかよく分からんが、戦争には滅法強い)
D:曹嶷(王彌子飼の将軍、とりあえず斉で細々と生きながらえていたが、所詮は石虎のかませ)
蘇峻(東晋の将軍、内弁慶、婦女暴行犯)
希鑒(北府軍の創始者、地味)
劉昆(捲土重来するその気概は買うが、もうちょっと考えて戦争しましょう)
E:たくさんいると思うが、やっぱ王衍
ヒマだったら誰か適当に訂正してくれ
- 43 :
- 石勒崩御までなのに、石虎が晩年の耄碌でマイナス査定な件
- 44 :
- 温かい目でそっと見守るんだ。
王衍を出すなら、その上司を務めた司馬越を入れてもいいんじゃないの?
あと、宗室諸王の能臣なら司馬虓とか。
漢(前趙)との交戦期に「暴薨」してしまった人だけど。
- 45 :
- 宗室諸王なら、長沙王司馬乂が一番有能だと思うんだが
少なくとも大器の片鱗は見せているし、祖逖を歴史の表舞台に登場させた人物でもある
こういう人物が殺されてる時点で西晋の滅亡は免れ得なかったのだろうけどさ
石勒に宗室諸王がほとんど殺されてるけど、世間にとってはむしろ好影響の方が多かったように思える
- 46 :
- 成都王も結構有能だと思う。
八王のうち後半の四人は、それぞれに大英雄とは行かずとも
小英雄の風格があったと、個人的には考えてるんだけどね。
能力があったからこそ、かえって乱を長引かせてしまったというか。
宗室諸王でアレな人というと、司馬騰かな。
石勒が喰うために奴隷にならざるを得なかったときの皇族。
殺される原因も、吝嗇が過ぎて人望を失ったせいなのが…。
- 47 :
- >>42
軍事的才能でいえば祖逖は石勒を上回るんじゃないか?
- 48 :
- >>46
石勒の勢力の源流は成都王軍閥に繋がっているからな
【業β】で採用した君子営の漢人官僚の中には、結構成都王に仕えていた人間多かったじゃないの?
石勒が劉淵(匈奴)に接近できたのは、成都王派閥の誼があったからなのではと勘繰ってしまう
まあ、石勒自身が成都王に仕えたわけではなく、陪臣の弟分だから大したコネではない
そうすると、どういう基準で劉淵に仕えようと思ったんだかね?
王浚(幽・冀)、王弥(青州)、劉淵(并州)、ここいら辺、誰に与してもあんまり大差ないよね
- 49 :
- 八王全員の雁首そろえて政治させても、賈后の治世の足元にも及びそうに無いのが……
賈后は政治闘争に明け暮れた分だけ、一応政権運営にも真面目だったからね
コネ採用やら何やら言われるが、賈氏政権を安定させるために人材蒐集に努めたわけだし
ところで、羊皇后って歴史上屈指の下げマンだよね
- 50 :
- >石勒は中原をほぼ統一し、当時の中国における最大勢力であり、中原に覇を唱えたといってよい。
>その自負心が現れた発言である。
>また曹操や仲達を嫌っているのがわかる。
>しかし石勒は天下統一した劉秀と比べられる存在なのか、
>あるいはこの発言を劉邦>劉秀と理解するべきなのか。
>一般に中国史の人物評論は、その能力ではなく結果と行動で評価される。人物とはその結果を含めた存在なのである。
>人物の能力を読みとるという考え方はない。
>ここに注意が必要なのである。
>さて、石勒がもし高祖劉邦の時代に生まれたらどうか。
>言葉の通り、劉邦の家臣として活躍することになるだろうと思う。
>はっきりいって能力的には石勒の方が上だが、
>石勒の前半生はほとんどが劉淵や劉聡の家臣であり、自立までが非常に遅い。
>出身の違いがあり、自立する勢力を持ち得ない存在である以上、劉邦の家臣となるのは必然である。
>本人の判断どおり、韓信や彭越のような活躍をするだろう。
>そして粛清を免れるだけの知恵があるかどうかは興味深いところである。
- 51 :
- >次に、石勒が光武帝劉秀の時代に生まれたらどうか。
>劉秀は石勒ほどではないが、自立までがやや遅い。
>だから、その間に石勒は自己勢力を作ることができる。
>すなわち自立して争うことが可能である。
>石勒と劉秀が兵力を持って対決した場合、おそらく決着はつかない。
>これは別に劉秀の能力が低いというわけではなく、
>国というのは守る側が正しい政治と用兵を行えば、
>少々の国力差や能力差では奪うことができないからである。
>おそらく、隗囂よりやや上の活躍ができるだろう。
>隗囂ですら滅んだのはその死後であるし、三国時代の曹操が袁紹や劉表を平定したのもその死後である。
>ただし石勒は劉秀のような治世手腕はないので死後に国が滅びることになるだろう。
- 52 :
- >劉邦の凄さというのは、その自立の速さである。
>他の時代の英雄であんなに早く自立した人物はいない。
>それは秦の崩壊という特殊現象が生み出したものである。
>我々が君主の能力を見る場合に、それが意味を持つのは、最初から10万の兵士と100万の国民を与えて対決するという想定である。
>その場合、劉秀>石勒>劉邦であり、劉邦はおそらく国を維持できない。
>劉秀と対等足り得るのは唐の李世民だけである。
>ただし、劉秀と李世民は対決を避けると思われる。
>どちらも国民生活を見る視点を持っているから、無用に死傷者を出し民衆を苦しめることはしないだろう。
>面白そうなのは、劉秀が劉邦の時代に生まれたならという想定である。
>おそらく劉秀は劉邦の家臣になると思う。
>劉秀は別に皇帝になりたいと思ったことは一度もない。
>誰も皇帝がつとまらないからやってあげただけである。
>劉邦がやるなら別に劉秀がやる必要などないのである。
>劉秀の能力などから考えるとその生涯は曹参のような感じだろう。
>武勇の将軍として活躍するも、不思議に粛清の危険には全くさらされず、最後は宰相にまでなりそのまま没するだろう。
>劉秀なら、劉邦との対決を全く作り出さず誤魔化しきってしまうだろう。
>さらに李世民が劉邦の時代に生まれたらどうか。
>この場合も李世民は劉邦の家臣としてはたらくだろう。
>そして、粛清の時に返り討ちにしてしまう。
>このケースでは、最後に天下を取るのは李世民である。
- 53 :
- >劉秀の時代に李世民が生まれた場合はどうか。
>意外だろうが、劉秀の家臣として活躍すると思う。
>李世民は自立が非常に遅いからだ。
>劉秀の家臣では、騎兵戦の名手にして医術に長じた耿弇の能力や性格が、李世民とかなり似ている。
>おそらく耿弇のような生涯を送るだろう。
>李世民と劉秀の二人は、民衆生活を考えて天下をより近い位置にいる人に譲ってしまうので、基本的に争いにならないのである。
>結局、誰が一番かというのは、そのときの状況次第で逆転してしまう。
>それがまた歴史の面白いところなのである。
- 54 :
- >>50-53は著名な光武帝ファンのblogから転載したもの。
俺は非常に頷く所が大きいが諸君はどうだろうか?
- 55 :
- >>54
「石勒の政治手腕が低い」ってネタだよな?
確かに、実務能力や文化教養は持ち合わせていないが
それなりの識者を見出し、適切な業務を分投げるという意味じゃ十分合格ライン
常に民衆視点で政治を考えている政治姿勢は、さすが奴隷出身と驚嘆させられる程だ
例1:胡漢の民族的対立を融和すべく、統治制度に苦心し続けた
例2:出身地并州が連年飢饉に悩まされるのを、気候の所為だけとは考えずに自分の不徳として政治努力を惜しまなかった
10万の兵士と100万の国民与えた場合
確かに緒戦は劉秀が勝つと思うけど、石勒の復讐達成率と巻き返し能力を考慮すると
2戦目は間違いなく石勒が取るだろうね
そうしたら、お決まりの坑殺うん十万人コースで劉秀側の壊滅は免れ得ないだろう
逆に劉邦の場合は、それでも兵士やら国民やら補充してくれる蕭何がいるからなあ
それより何より「韓信に勝つ」という難関を突破できるかどうかが鍵だ
- 56 :
- 蕭何に匹敵する留守番には寇恂がいる。
耿弇の寡兵で大敵を打ち破る将才は韓信にも引けを取らない。
まあ、その仮定だと緒戦で得たアドバンテージを守り倒す戦略を取るように思われる。
仰るように石勒は逆境になるほど強いからな。
あと石勒自身は極端に優れていても、後継者や幕僚には恵まれていない感があるが。
持久戦に持ち込まれると後趙では持ちこたえられないだろう。
どうにかして石勒の代で会戦に引きずり出さなければ勝てない。
- 57 :
- 自立が遅いのと天下に野心を持っていないのとは別だと思うが。
李世民が誰かの臣下として生涯を終えるとは思えない。
石勒も劉邦ならば臣下になりたい、他の奴の下は嫌だと言ったんだろう。
- 58 :
- 後継者が育たないのは典型的なワンマン社長の会社
- 59 :
- どっちも更始帝や李建成がミスらなければ、造反など考えもしない気がするが。
- 60 :
- どっちも更始帝や李建成がミスらなければ、造反など考えもしない気がするが。
- 61 :
- 連投でスマソ。
人口百万で兵十万は多すぎだと思う。
一戦負けたら再起不能だと思うが。
- 62 :
- 石勒(と言うか後趙)は後継者に人を得なかったというより、民族対立の処方箋を
作れず、結果として胡漢の融和に王朝の体力というか生命力を奪われたことが、短命王朝に
終わった最大の理由だと思ってます…。
個人的に、石虎は暴君であっても暗君ではなかったと思うんですが、どうでしょうね。
政治手腕がなければ、鄴の繁栄を記した「鄴中記」が出るはずはないし…。
- 63 :
- 李建成がいつミスしたよ
- 64 :
- >>63
李世民をキッチリ始末しなかったことがミス
- 65 :
- w
- 66 :
- 石勒、最大の謎
なぜ、祖逖討伐の大将が桃豹なのか。兵力は四万と中途半端なのか
彼より勝る武将は自分自身、石虎、孔萇、虁安、張賓と五人はいる。
この敗北により祖逖と講和せざるを得なかったのだから、失ったものが大きすぎる
現に、石勒は祖逖に負けたと解釈するものが多い。
なぜなのか?誰か教えてくれ
- 67 :
- 支雄、郭敬、石生、石堪あたりでも、桃豹よりは善戦するだろう
俺の中では、桃豹って第一線での後方担当のイメージが強いんだが
河南方面の行政任されていたりと、決して無能ではないと思うけど
祖逖相手には格が落ちるねえ
まあ、舐めきっていたが結論でしょ(初期の北伐軍は内ゲバしてたし)
最終的には河南の大部分を?ぎ取られてるから、石勒にとっては失策だな
石勒本人が出ていくことが出来なかったのは、前趙対策のためだろうね
陳安の乱や前涼との国境紛争の間隙を突いての324年の河南侵攻だから
歴史的に言われてるほど、前趙と後趙の国力差は無かったと思う
孔萇は幽州に置かなきゃならんし、石虎は曹嶷潰しに回していたし
張賓は戦略参謀兼政策プランナーだから、第一線で使うには勿体無さ過ぎる
やはり、武闘派のキ安、支雄あたりで戦うべきだったのでは
- 68 :
- >>62
石勒死後の内紛は、異民族間の対立と言うよりも、純粋に権力闘争的な側面が強い
中央(石勒直系)集権派と各方面軍ごとの分権派の対立が主だったから
後継者に関しては、最期まで石勒は悩み続けていたが、結果としては優柔不断だったことで
最良ではないにしろ、まずまずの選択だったと思う>>石虎簒奪
(内紛の火種を完全に摘み取ったおかげで、以後石虎健在の間は後趙は一枚岩となる)
そもそも、石虎暴君説はかなり怪しい話だからなあ(石勒時代よりも民衆の逃亡や叛乱の記述が少ない)
胡漢融和はその後の五胡政権でさえ完全には達成できなかったことだから
後趙のそれを否定するのは、先駆者として評価するならまだしも、少し酷じゃあないかい?
- 69 :
- 石勒VS朱元璋
- 70 :
- 負け将軍・麻秋
石虎ほどの男が彼を起用しつづけたのは中国五千年のなぞ
- 71 :
- >>70
それは麻秋が勇猛果敢な武将であったから、石虎は生粋の猛将好き、あとロリコン
劉邦vs劉秀vs石勒の続きで
劉邦>劉秀と石勒が評している理由に、三功臣の存在が大きいと思われる
敵の主力は最強クラスに粘り強い劉邦が真正面に拘束しつつ
その間に、韓信が敵の手足、外縁部をガンガン削り取っていく戦略は無敵
外交面では史上最強の縦横家張良による手厚いサポート、
後方兵站面では丞相蕭何が反則なくらいに補給を続けてくれる
結局、劉邦軍団のこの鉄壁の態勢を崩すためには、
劉邦を撃破して、本拠地関中まで長躯怒涛の追撃戦を実行できる将軍
加えて、韓信を撃破、最悪でも足止めできる将軍が必要となる
劉邦を撃破できる将軍はいても、韓信を撃破できるヤツはほとんどいないだろうし
河南から一気に関中まで大進撃できるかどうかは、地形上かなり厳しい
劉邦(及びその一党)最強ってのは、あながちリップサービスでもないんじゃない?
- 72 :
- その戦術は劉邦=劉秀、韓信=呉漢でも成り立つ
劉秀は名将だし、前漢組よりタチ悪い
劉邦>劉秀>曹操、司馬懿は結局劉邦フェチである石勒の好みだよ
成り上がりの劉邦に自己投影、その血を継いで統一した劉秀もエラス
劉漢奪った曹操シネ!しかも統一もできてねーよプゲラ
- 73 :
- 劉秀にとっての項羽って誰?
- 74 :
- 王朗じゃない?
- 75 :
- 麻秋が負けてばかりに見えるのは、勝ち戦についての明確な記述が
ないためだと思うんだけど。
麻秋の関わった戦役を挙げると、
1張駿が死んで張重華が継いだときの侵攻戦
2大夏侵攻戦
3枹罕侵攻戦
4晋興・広武・曲柳侵攻戦
だけど、1〜4の戦績は、晋書に書かれてる分だと
1金城太守の張沖が麻秋に降伏
2大夏護軍の梁式、麻秋に通謀
3張悛らの抵抗に遭い、功績なし
4謝艾・索遐の抵抗に遭う
になる。これだけだと勝ったのかどうか、はっきりとはわからない…でも、
3の時に大夏に軍を返したこと、4の時には枹罕を侵攻の拠点としたことが
書かれてるので、2・3では恐らく最終的には勝利を収めたと思われる
わけで。
だから麻秋は負けっ放しの将軍ではなく、勝ち負けを繰り返していたと
個人的には考えるのですよ。
でないと、「麻胡」と呼ばれて前涼の人々に恐れられていた、という
記録が残るはずもないし…。
- 76 :
- >>72
劉秀軍団の本領は機動力生かした攻勢作戦だから、必ずしも劉邦の戦い方で戦う必要はない
各司令官たちを自己の指揮下でまとめて運用するもよし、複数の径路で攻勢をかけるもよし
あれだけタレント揃いの劉秀軍団なら、小細工なしで戦ったほうが絶対に強い
(劉秀自身、どちらかと言うと項羽に近いタイプ)
遊軍として転出させ、助攻正面を一任できるほど突出したNo.2が存在しないので
劉邦みたいな戦い方は向いていないんだろうが(する必要もなかったわけだし)
最盛期完全編成のガチで正面対決した場合は、やはり、項羽と同じで講和せざるを得ないんだろうな
>>75
麻秋の場合戦った相手が悪すぎる
謝艾はこの板でも無名に近いが、涼州において最盛期の中央勢力による併合戦を撃退した
将軍ってのは、中国史見回しても他におらんぞ(前涼が70年近くも独立していたことが奇跡だが)
- 77 :
- >>75
関羽みたいなもんじゃない?
関羽も正史の戦績だけ見てたら魏や呉に対して重しが効くとは思えないけど、一定の威名があった。
- 78 :
- 返す返すも、趙書がないのが惜しまれますねぇ。
程遐とか石聡の評価がどうなるのか、個人的には気になるところ。
石聡は、後趙後期の河南方面司令官としてどの程度の将才があったのか
解りづらいのがなんとも。晋書だとあんまりいい評価ではないし…。
- 79 :
- 謝艾は将帥として以外にも、政治上の議論(戦争中の秋の郊祭をやるべきか否か)にも
参加してるのを見ると、推薦の言葉通り文武の才を兼ねていたんでしょうね。
涼州の謝氏はどうも寒族らしいので(元和姓纂にも載っていない)、もしかしたら
少年時代は勉学で身を立てようと悪戦苦闘してたのかな、と想像したりしてます。
謝艾が張重華の死後すぐ、張祚に警戒されて殺されたのが惜しまれますが…。
- 80 :
- 石勒の最盛期っていつなんだろうか?
個人的には、河北でグダグダしてたときが純粋に強かった時期だと思う
飛蝗の群れの如く、当たるを幸いに晋軍をことごとく喰らい尽くすような戦い振りには惚れる
幽州刺史を討ち取ったり、一介の盗賊がここまでするかといったくらいの大活躍
後年、襄国に落ち着いてからって小さくまとまりすぎな感じがする
- 81 :
- >>80
やはり、王浚を倒した時じゃない?
15でいうところの七回戦が個人的に、八回戦が組織的に最盛期だと思う。
それからはライバル劉曜を意識し過ぎて、動きに精彩を欠いたんじゃないかな
そういう意味では劉備を意識し過ぎた曹操にも似ているような気がする
- 82 :
- 石勒VS劉裕
- 83 :
- 世界に誇る漢文文化に親子揃って貢献した文明人曹操様に軍閥の親玉程度の石勒が勝てるわけない。
- 84 :
- つ 仏教
- 85 :
- 曹操も究極的には、鄴の軍閥でしかないわけだが。
しかも一臣下。
最近、よく曹操マンセーを目にするけど、曹操だけが特に優れているとは思えないけどな。
- 86 :
- 軍事の能力だけで評価すれば曹操よりも石勒の方が優れているような気がするけどな
- 87 :
- >>85
>最近、よく曹操マンセーを目にするけど
蒼天航路の影響じゃねーの?
つーか曹操の戦下手は有名。
- 88 :
- そんなもん出る前から評価は高かったですが
- 89 :
- >>88
>そんなもん出る前から評価は高かったですが
んなぁことは前提であの本の影響でさらにマンセー度がUPしてんじゃねーのって言ってんの。
- 90 :
- 英雄とか政治家とかは別にして、男として
石勒>>>>>>(超えられない壁)>>>>>>曹操
は同意。司馬懿は論じるにも足らんな
- 91 :
- 蒼天航路なんか読んだら逆に嫌いになっちまうぜ
- 92 :
- >>91
最初の何巻までかは、曹操かっこよくてよかったんだけど
だんだん、読んでてハラたってきた、おれは。
演義バカにしぃの諸葛亮バカにしぃので、そこまで曹操マンセーするか、とか。
あれもひとつの見方だろうけどさ。
- 93 :
- >>85-92
まあまあ、そんな曹操よりも、我らが石勒さまの方がはるかに偉大なのが現実だ。
これには、この板の住民ほとんどが認めている。(三国志しか知らない人以外)
昔の五胡スレには『曹操がいれば、五胡時代はすぐに統一できた』などと言っていた
人がいたが、本人は今頃、自分の発言を恥ずかしいと思っているはずだ。
自分は総合能力的に、曹操=桓温だと思っている。
彼が西晋に生きていても、司馬乂や苟晞より少しましな活躍で終わったのでなかろうか
でも、
>>75
>>77
麻秋=関羽は、関羽を過小評価し過ぎ。
当代最大軍閥の重将・顔良、于禁を倒した関羽と麻秋ではさすがに格が違うでしょう。
麻秋は夏侯淵や楽進に近いんじゃない。
大軍は扱えないが、先鋒や遊軍として使えば結構使える武将。
彼程度しか大軍を預けられる武将がいなかったのが、石勒と石虎の最大の差だよな
- 94 :
- 曹操、司馬一族以上の実力持ってて統一できない石勒しょぼすぎwwwwww
- 95 :
- >>94
部族数100人ほどの小の出身(母体の羯族ですら少数民族)
20代後半に奴隷として売り飛ばされる
地盤(地縁、血縁のコネほぼ皆無)、看板(権威からは程遠い)、鞄(金があったら奴隷にならん)
軍閥(政治家)として立つに必要な条件を持ち合わせていなくて、天下半分までもぎ獲ったんだから
曹馬なんぞ格下扱いして然るべきじゃない?
普通の異民族武将であれば、王世充あたりの成り上がりでも大したものなんだからさ
まあ、劉邦が身分の壁をぶち破っていてくれたおかげで中国においては天下人の間口が広がった
わけだから、尊敬するのも当然の成り行きだわな
- 96 :
- >>94
こういうこと言ってるのは、たまに見かけるが釣りだろうか。
それとも真剣にそう思っているのだろうか。
真剣に思っているとすれば、分析が足りないか、シミュレーションゲームレベルでの受け取り方なんじゃないか。
- 97 :
- 釣りか無知 スルー推奨
- 98 :
- この石勒の比較論。
始皇帝、項羽、劉備、孫権が入っていたらどういう評論になっていたか激しく気になる。
- 99 :
- 石やんに匹敵するのは、
中華史の中でも劉邦、劉秀、劉裕、朱元璋 ぐらいだろう
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