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2012年4月言語学133: そろそろ日本語の文法について話をしようぜ W (119)
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言語学卒論スレ (171)
いじめを適切に伝えるための言葉 (472)
日本語>英語 (357)
生成文法総合スレ<46> (1001)
最近『が』の使い方がおかしい人が多いよね。 (223)
インド・ヨーロッパ語族(印欧語族) (608)
そろそろ日本語の文法について話をしようぜ W
- 1 :11/05/11 〜 最終レス :12/03/25
- 前スレ
そろそろ日本語の文法について話をしようぜ V
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/gengo/1255951101/
前スレ最後の流れ
167 : 名無し象は鼻がウナギだ! : 2010/09/02(木) 19:48:59 0
ないです。は間違いだとされていますが、
ないのです。ないことです。なら良いのですか?
170 : 名無し象は鼻がウナギだ! : : 2010/09/04(土) 12:19:17 P
本来「です」は「だ」が接続できる形でしか使えないはずなので、
「ないだ」と言えないように「ないです」とは言えないはず。
(もっとも前者も方言としてはよく見られる形なので、使えるように変化中なのだろうけど、それはともかく)
形容詞「ない」は動詞「ある」の対義語で、かつ補助語としても使われて複雑なので、
形容詞「白い」で考えてみると、
白いです→本来誤り。「白いのです」「白くあります」とするべき
白くないです→本来誤り。「白くないのです」「白くありません」とするべき
でも、現代語としては「ないです」「白いです」「白くないです」は全部OKで、
「白くあります」は死語だと思う。
175 : 名無し象は鼻がウナギだ! : : 2010/09/05(日) 02:02:14 0
>>170
>>本来「です」は「だ」が接続できる形でしか使えないはずなので、
>>「ないだ」と言えないように「ないです」とは言えないはず。
いや、そんなことないよ。近代に広まった待遇表現で、単純に「だ」に
対して丁寧語ってわけじゃない。
- 2 :
- 176 : 名無し象は鼻がウナギだ! : : 2010/09/05(日) 12:41:34 0
そうそう、そもそも「「です」は「だ」が接続できる形でしか使えない」という前提が間違っている。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%A7%E
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A0&dtype=0&dname=0ss&stype=0&index=111654000000&pagenum=13%81%99&dtype=0
177 : 名無し象は鼻がウナギだ! : : 2010/09/06(月) 00:38:03 0
「です」には 2 種類ある。「だ」の丁寧体としての「です 1」と、丁寧さを添えるだけの「です 2」。
「静かです 1」「学生です 1」「無いです 2」「それを食べたいです 2」
「です 1」には過去形「でした」があるが、「です 2」には過去形がない。
「静かでした」「学生でした」「*無いでした」「*それを食べたいでした」
「無かったです 2」「それを食べたかったです 2」が正しい。
ただし「ありえません」「ありえませんでした」「ありえないです 2」「ありえなかったです 2」はすべて通用している。
「ませんでした」は全体で 1 語ととらえるべきだろう。
寺村秀夫が 20 年以上前に喝破している。
- 3 :
- 過去スレ(ログあり)
そろそろ日本語の文法について話をしようぜ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1230714186/
1 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/31(水) 18:03:06 0
日本語を学習する外国人向けにはRu-VerbとかU-VerbとかIrregular-Verbいう
分類になっているらしい。
まだまだ日本語の文法について話をしようぜ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1250686896/
1 :名無し象は鼻がウナギだ!:2009/08/19(水) 22:01:36 0
「は」と「が」と「を」と「の」の正体について知りたいわけだが。
- 4 :
- すみません。もうスレが立っていたようです。
このスレは落としてください。
続きはこちらで。
またまた日本語の文法について話をしようぜ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1291717138/
- 5 :
- マイルドセブン
- 6 :
- ロマン
- 7 :
- おめでとうございます
- 8 :
- おめでとうございます
- 9 :
- すみません
- 10 :
- ここですか?
- 11 :
- そうかもね
- 12 :
- 前 (別) スレ http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1291717138/ は
不毛な電波論議で終わった。
- 13 :
- ウェーブ仮説
- 14 :
-
584 :名無し象は鼻がウナギだ!:2011/11/06(日) 12:48:39.82 0
質問スレから移動命令を受けて来ました(苦w)
形容動詞の
「嫌い」「新鮮」「まじめ」などは
・この魚は新鮮
・彼は魚が嫌い
・あの人はまじめ
のように活用語尾をつけなくても
意味が通じるのはなぜですか
語幹だけで意味が通じることになるのは
おかしいと思うのですが
↑
この質問に対して
・ 形容動詞の「ーだ」を活用語尾とするのは無理がある
・ 形容動詞(の語幹)は主語になりえないから名詞とするには無理がある
・ 形容名詞
・ 名詞的形容詞
・ 新しい品詞として分類すべき
といった見解がありますが
いかがでしょうか
585 :名無し象は鼻がウナギだ!:2011/11/06(日) 12:52:43.16 0
・ 副詞によって修飾されるという点では形容詞
というのもうなずけます
- 15 :
- >>14
> 語幹だけで意味が通じることになるのは
> おかしいと思うのですが
つまり語幹の独立性が高いということだが、それを「名詞性」「名詞に近い」と解釈するから、話が縺れるんだな。
「独立性」≠「名詞性」
多くの辞書によれば、「嫌い」は名詞用法をもたない「名詞・形容動詞」ということになるw
- 16 :
- 「嫌い」は動詞の連用形で、その用法を考えた方がいいんじゃないの?
わざわざ別の品詞にしないで。
- 17 :
- それは難しそうだ。
「嫌いだ」と言えるのに、「*この/*その/*あの嫌いだ」と言えない。
他の連用形はそうはならない。
- 18 :
- 彼女の「嫌い」は「そんな事言う人キライです」と返事に困った時に言うこの嫌いだ。
- 19 :
- >>18 その最後の「嫌いだ」は、「彼は魚が嫌いだ」の「嫌いだ」と同じ形式か?
- 20 :
- その嫌いだ。 と言ったらどうなるんだ?
- 21 :
- 彼女の「うざい」は「そんな事言う人うざい」と返事に困った時に言うこのうざいだ。
ほぼ何でも入ってしまうパタン
- 22 :
- 「そんな事言う人キライであります」
- 23 :
- 形容動詞の語幹の問題は既存の分類の限界だよね。
- 24 :
- 名詞だと言いたがるからもめるんだよ。従来どおりの 3 分類でもいいし、名詞的形容詞にしても普通の形容詞とは別の品詞だから、結局 3 分類だ。
- 25 :
- っていうか名詞なんてないのでは?
直接ギヤを入れられない言わば無名詞があるみたいな。
- 26 :
- 独立性が高いって孤立語的なんじゃないの?
屈折語で考えるから意味が通じたらおかしいとか妙な考えになるのでは?
- 27 :
- とても東大院生が書いた文には見えない。。読みにくすぎる。。
東大院生ってこんなんなのか・・?
。
12 いん(^-^)いん◆Bgb6nwXU ◆YsS8Bj3I 2008/06/13(Fri) 03:03
>>7
昨日もいったが、おれはあの消えたスレに興味があったからずっとあのスレをガン見していたのだが、
あのスレは消えるだろうと思った低脳がいきなり、おれを煽るレスをしてきたからおれもびっくりw
まさか低脳がレスをしてくるとは、しかも煽りレスをしてくるなんて思ってもみなかったことだったしなw
しかも、ストーカーとかどんだけ被害妄想だよw誰も低脳なんてストーカーしないw
そして次。
これも昨日何度もいってきたことだが、またぶり返してきたかw
おれはメガビで釣りとダンスを楽しんでいる。おれのネタとしてこのメガビを楽しんでいる。
だから、おれは他人にどう思われようがどうでもいい。そんなことには興味が無い。
メガビ内でおれがマナーが悪いとか言われようがどうでもいい、興味のないことだ。
しかし、低脳は一応、良質コテ(笑)で通っているのだろうから、一応、マナー守らないといかんわなw
そんな奴が、悪質コテのおれを煽るレスをするなんて、それこそ、マナーがなっていないんじゃないか?w低脳くんよぉ〜^w^w^
はい、次。
お前がはじめに俺に喧嘩吹っかけてきたんだから、謝るのは低脳だけでいい。おれが謝る必要は無い。
お前がおれを煽ることをしなければ、おまえが煽った当初にお前がレスをしていたなかで
一番上にあったじいさんのスレに、おれだって書き込みをしなかったんだからな。
おまえがじいさんに謝れば済むだけ、身内で処理すればいいだけの話だ。
そして、ティーの件。
むしろティーが謝ってほしいわ。
おれはティーにスティッカムのことを教えてやったのに、
お礼の一言すらおれに言わずに、お礼を言うどころか、おれのストーキングして
2chのスレにおれのIDを晒したりしたのだからな。
したがって、おれが謝る必要は全く無いし、むしろ、ティーが謝まるくらいな状況ってことだ。
- 28 :
- >>27
どの辺が読みにくいの?
そもそも最初から読まずに最後を今北産業するだけで充分なのではないかと?
- 29 :
- >>24
>名詞的形容詞にしても普通の形容詞とは別の品詞だから
3分類で別の品詞なら「名詞的形容詞」という名づけは妥当性を欠く。
- 30 :
- 動詞らしいところがない (現代語では) のに「形容動詞」より、形容詞らしいところもある (程度副詞に修飾される) から「名詞的形容詞」の方が、まだましだろう。
英語の Pronoun は、Noun の一種ではない。別の品詞だ。
妥当な名づけはもともと期待しないほうがいい。
- 31 :
- 静詞は何故ダメなん?
- 32 :
- 名詞も「静詞」に含まれてしまう感じにならないかな。
どうやってもしっくり来ないのはいわゆる形容動詞の呼び方だけであって、「静か」や「さわやか」を名詞に持って行こうとすれば、絶対に紛糾する。
新明解の信者は「いちばん売れている」ということだけが信仰の根拠だから、学問のことは何もわからない。
- 33 :
- >>30
安直に他言語の例を持ち出すのは感心しないな。
pro-という接頭辞と、日本語の「名詞的」は性質が大きく異なる。
日本語で〜的…、といって…の一部でないものを指すことはまずない。
しかし、英語でprodrugといえば「drugになる前のもの」を指す。
「名詞的形容詞」は「名詞的な形容詞」としか解釈されない。
寺村の使った「名容詞」など、「形容詞の一部ではない」ときちんと判断できるような語を使うことに何か問題があるのか?
「名詞的形容詞」などという呼称ももともと一般的ではないのだから、
新たに名前をつけなおすならわざわざ誤解を招くような名をつける必要はない。
- 34 :
- postglacialもglacialではない。
pronounが「名詞に代わるもの」であって名詞の一部でないからといって、
日本語の「名詞的形容詞」が正当化されることはない。
- 35 :
- 「名容詞」はあくまで「名詞的形容詞」の略称であって、寺村にとってもフルネームは「名詞的形容詞」だ。
普及しないまま「ナ形容詞」が優勢になったが、「ナ形容詞」と「イ形容詞」も互いに対等な別の品詞だ。
両方まとめて「形容詞」と呼ぶことは、現代日本語学でも日本語教育でも、無い。
「数学的帰納法」は帰納法ではない。学術用語にはこの種の例外がしばしば見られる。
どう命名したって誤解する人はいるだろうから、皆あきらめている。
「形容動詞」のままでも構わないようなものなんだが、それを避けるのには、国学との訣別という精神的な意義がある。
名前にばかり拘るより、「静か」や「さわやか」は名詞ではないと悟ることが肝要だ。
- 36 :
- >>35
「静か」や「さわやか」が名詞だなどとは一言も言っていないのだが、頭でも打ったのか?
>「数学的帰納法」は帰納法ではない。学術用語にはこの種の例外がしばしば見られる。
「数学的帰納法」の「-的」と「名詞的形容詞」の「-的」は意味が異なるから、同一視することはできない。
「数学的帰納法」は「数学における帰納法」ということであり、
数学の世界では通常の「帰納法」は使われないから、数学の世界における「帰納法」と、
学問一般における「帰納法」の定義がずれている、というだけだよ。
しかし、名詞的形容詞の「名詞的」とは「名詞のような形をした」「名詞のような性質をもった」などの意味だ。
「数学の世界における帰納法」が「(学問一般における)帰納法」に該当しない、ということと、
「名詞のような性質を持った形容詞」が「形容詞」に該当しない、というのは全く異なる事例だよ。
「帰納法」というのは数学の用語ではないが、「形容詞」というのは言語学上の用語だ。
>「名容詞」はあくまで「名詞的形容詞」の略称であって、寺村にとってもフルネームは「名詞的形容詞」だ。
名詞的形容詞の略称ではなく、それ自体を正式な名として「名容詞」を採用すればいいだけだろう。
>どう命名したって誤解する人はいるだろうから、皆あきらめている。
妥当性や誤解を回避する努力を全くしない、などという習慣はないよ。
容易に可能な限りで妥当で誤解を招かない名前をつけるのが普通だ。
名詞的形容詞という名づけによって生じる誤解は容易に避けられる。
- 37 :
- ×妥当性や誤解を回避する努力
○妥当性を求めたり、誤解を回避したりする努力
- 38 :
- なぜ田窪文法の「判定詞」という概念ではだめなの?
「だ」「である」「なり」などを判定詞という新たな品詞にすれば、
形容動詞はことごとく名詞+判定詞になるし、微妙なものすべて
名詞+判定詞になる。明快だと思うんだが。
- 39 :
- 語幹に対して「形容名詞」という名詞とは独立した品詞を与えれば
「-だ」を語尾と考えたときの問題点を解決しつつ、名詞の条件を満たさないという問題もスルーできるじゃん。
「-だ」を語尾だと考えるのと、独立した品詞を与えるのを連動させる必要は微塵もないな。
- 40 :
- >>38
「名詞」の定義を緩めない限り、形容動詞の語幹を名詞と考えるのは難しい
- 41 :
- >>28
日本語でおk
- 42 :
- >>36
> 「静か」や「さわやか」が名詞だなどとは一言も言っていないのだが、頭でも打ったのか?
「ここは静か。」「きょうはさわやか。」なども名詞じゃないってことでいいんだね。
それなら大いに結構。
あとは用語についての文句だから何も生み出さない。スルーが適当。
- 43 :
- >>38-39 「判定詞」はもともと寺村秀夫の用語。
まともな名詞でないものを想定するなら、結局 3 分類になる。
「形容名詞」は名詞じゃないからね。
- 44 :
- >>43
3 分類?
形容名詞は用言じゃないから、動詞や形容詞じゃなくて名詞の横に並ぶでしょ?
「-だ」を語尾じゃなくて断定の助動詞だと考えるんだから、形容動詞や名詞的形容詞とは根本的に違う。
- 45 :
- >>44
> 「-だ」を語尾じゃなくて断定の助動詞だと考えるんだから
それがまた問題だ。「あたたかだ/あたたかい」「やわらかだ/やわらかい」「大きな/大きい」「小さな/小さい」
「-だ (な)」と「-い」とは、実は遠いものではなく、同じ形式の異形態とさえ考えられる。
「形容詞語幹+い」と「形容名詞+だ」と「名詞+だ」とは並んでおり、形容詞語幹と「形容名詞」と名詞とを統語論的に比べると、
補語の基になりうる名詞 VS 程度副詞に修飾される形容詞語幹・「形容名詞」
に分かれることになる。
- 46 :
- >>45
形容詞のうち同様の意味の形容動詞を作れるのってごく少数だろ。暴論じゃん。
形容詞語幹に「-だ」「-です」「-らしい」などをつけることはできないし、
「流行の服は嫌いか?」「嫌いさ(よ)」「この野菜は本当に新鮮ね」と、形容名詞には名詞同様終助詞が接続するけど、
形容詞語幹に終助詞が直接接続したりしない。
コピュラや終助詞が直接接続する名詞/形容名詞 VS 常に語尾を要求する形容詞語幹
とも言えるわけだ。
- 47 :
- >>36
スレチだが、もはや帰納法と言えば数学的帰納法を指すことがほとんどで、
論理学の文脈ですら、 induction up to ε0 などという表現が平気で出てくる。
演繹の反対は、 heuristics とか abduction と呼ばれるようになった。
- 48 :
- 横レスだが、
赤い、青い、白い、黒いなんて「純然たる形容詞」の例もあるからなー。
この「日本語の数少ない本来的な色彩形容詞」とされるものだが、
語幹が、まったくそのまま「体言的【?】に振る舞う。
- 49 :
- >>48
名詞の「赤」と形容詞の「赤い」があるだけでは?
- 50 :
- >>49
A あの人は赤だ。
B 信号が赤になった。
C 看板の赤が目印です。
Aは名詞だろうな(社会主義者、または共産党員の意味)。
BやCは何だろうね?「赤い」とは別の名詞なんですかね?
- 51 :
- >>50
赤い状態ないし赤いものを表す名詞じゃないの?
「本当」に近いかも。
その話は本当だ
嘘が本当になった
本当の話
本当は違う
「赤くなった」と「赤になった」は意味が違うから、別の語だと考えた方がいい。
×空が赤になった
「赤だ」「赤ではない」とはっきりわけられるものについてしか「赤になる」は使えないよね。
「少し赤だ」「とても赤だ」「非常に赤だ」「かなり赤だ」
いずれも不自然な文だと思う。
- 52 :
- 別に信号が色じゃなくて数字で識別するものだったら
「信号が1になった」と言ったろうし、
太郎くんと花子ちゃんのイラストで識別するものだったら
「信号が太郎になった」「信号が花子になった」とか言ったと思うよ。
Cは看板に見える赤という色そのもののことだからそれこそ名詞でしょ?
「看板の美しい赤が目印です。」
「看板の茶色がかった赤が目印です。」
- 53 :
- >>51>>52
でもさ、なんで、純然たる「用言」であるはずの形容詞の、それも明らかに本来的な形容詞が、
まったくの裸の語幹で、一切の語尾マーカー無しに、いきなり名詞に転用されるんだい?
これは、田窪説発想に対する批判の、逆さまからのアプローチなんだよ。
形容詞語幹は、東京方言・共通語だけを、更に共時的に見ても、
案外「用言的ではない」振る舞いをすることがある。
形容詞が、純然たる用言であることが怪しくなると、田窪説は裏側から崩されることになる。
- 54 :
- >>53
>でもさ、なんで、純然たる「用言」であるはずの形容詞の、それも明らかに本来的な形容詞が、
>まったくの裸の語幹で、一切の語尾マーカー無しに、いきなり名詞に転用されるんだい?
色彩形容詞が名詞化したのはずっと前だから、共時的に見る限りは「名詞に転用された」わけではないんじゃない?
>形容詞語幹は、東京方言・共通語だけを、更に共時的に見ても、
>案外「用言的ではない」振る舞いをすることがある。
例えば? 語幹が名詞として定着している少数例以外の、普通の形容詞語幹が用言的ではない振る舞いをしている例をどうぞ。
- 55 :
- >>46
> 形容詞語幹に「-だ」「-です」「-らしい」などをつけることはできないし
・「-い」と「-だ」とが異形態で、形容詞語幹には「-い」が付き、名詞・「形容名詞」には「-だ」が付くと考えればよい (B・ブロック、寺村等)。
・「-です」は本来「-だ」の丁寧体なので、形容詞語幹に付くことはない。
・「静かだったらしい」を考え合わせると、「静からしい」の「-らしい」は「形容名詞」に直接付くのではなく、
「*静かだらしい」の「-だ」が「-らしい」によって義務的に無形化され、「静かφらしい」となるものと解釈される。
「寒いらしい」と並行している。「静かであるらしい」とは言うことができる。
> 「流行の服は嫌いか?」「嫌いさ(よ)」「この野菜は本当に新鮮ね」と、形容名詞には名詞同様終助詞が接続するけど、
> 形容詞語幹に終助詞が直接接続したりしない。
「嫌いだったか」「嫌いだったさ」を考え合わせると、「嫌いか」「嫌いさ」の「-か」「-さ」は「形容名詞」に直接付くのではなく、
「*嫌いだか」「*嫌いださ」の「-だ」が「-か」「-さ」によって義務的に無形化され、「嫌いφか」「嫌いφさ」となるものと解釈される。
「寒いか」「寒いさ」と並行している。「嫌いだよ」「新鮮だね」は問題なく言うことができ、「寒いよ」「寒いね」と並行している。
「嫌いよ」「新鮮ね」となるのは文体の要請による。また、「嫌いであるかどうかわからない」などとは言うことができる。
> コピュラや終助詞が直接接続する名詞/形容名詞 VS 常に語尾を要求する形容詞語幹
>>45 に比べて根拠が弱い。
- 56 :
- >>54
ううん、通じてないなあ。
この例は、「形容詞もいろいろ」という例なんだよ。だから後段に答える必要は無い。
形容動詞もいろいろ、形容詞もいろいろ。この問題を解く鍵はここにあるように見える。
「健康(だ)」と「あざやか(だ)」の語幹の文法的性質はかなり違う。
これまでのスレは、ここばっかり議論している。スポットライトを各々に当てるから、議論がすれ違う。
ところがだ。形容詞にも似たようなことがある、ということが、俺の言いたいこと。
形容詞は造語力が乏しいので、形容動詞のような例をすっと挙げにくいが、
色彩形容詞のような、語幹がそのまま体言として振る舞うようなものから、
シク形容詞のように、驚嘆用法ですら事実上語幹単独で用いることが難しいものまで、いろいろあるわけだ。
- 57 :
- >>55
「だったらしい」「だったか」から、「-だらしい」「-だか」の「-だ」の無形化だと考えるんだすると、
「太郎らしい」「太郎か」なども「太郎だらしい」「太郎だか」の「-だ」の無形化、ということでいいんだね。
それならそれでいいよ。
でも、ここまで形容名詞について言われたことはほぼすべて名詞にも言えるんだから、
「『-だ』を語尾ではなくて断定の助動詞だと考える」ことに何か問題があるの?
名詞と形容名詞には「-だ」がついて、形容詞語幹には「-い」がつくという、
名詞,形容名詞 | 形容詞語幹
この切れ目を考えるのに問題はないよね?
「形容動詞」「名詞的形容詞」で気持ち悪いのは、
「好きだ」で一語であり、「好き」と「だ」の関係は「犬」と「だ」の関係より「暑」と「い」の関係に近い、という部分だからさ。
- 58 :
- >>56
「健康」は元が名詞だから、名詞としての「健康」と形容動詞としての「健康だ」があるだけ。
「健康がすぐれない」の「健康」は形容動詞「健康だ」の語幹ではない。「健康の日」と「健康な日」では意味が異なる。
「あざやか」と文法的な性質が違う、と君が考えているのは、名詞から形容動詞に転用され、名詞の方も残っているものだろう。
そうでない、というなら、実例を挙げてね。名詞からの転用でなくて、語幹の文法的な性質が「あざやか」と違うもの。
>この例は、「形容詞もいろいろ」という例
>形容動詞もいろいろ、形容詞もいろいろ。
形容動詞の形態上の「名詞+だ」との共通性は「形容動詞もいろいろ」ではなくて、形容動詞の"ほとんど"について言えること。
「形容動詞の特徴」と言っていい。
色・形をあらわす形容詞にみられる特徴は色・形を表す形容詞の特徴であって「形容詞の特徴」じゃない。
- 59 :
- >>53
' >>51-52 '
- 60 :
- >>57 ついでに言っとくと、「何だか」「誰だか」「どうだか」のような場合は、「-だ」が「-か」によって無形化されない。
> でも、ここまで形容名詞について言われたことはほぼすべて名詞にも言えるんだから、
> 「『-だ』を語尾ではなくて断定の助動詞だと考える」ことに何か問題があるの?
「語尾」と「断定助動詞」とが違う形式なのかどうかに問題がある。
動詞語幹に付く「-u〜-る」、形容詞語幹に付く「-い」、名詞・「形容名詞」に付く「-だ〜-な〜-の」を、構造主義ではすべて同じ形式と見る。
> 名詞と形容名詞には「-だ」がついて、形容詞語幹には「-い」がつくという、
> 名詞,形容名詞 | 形容詞語幹
> この切れ目を考えるのに問題はないよね?
形態論的には確かにそうなる。
> 「形容動詞」「名詞的形容詞」で気持ち悪いのは、
> 「好きだ」で一語であり、「好き」と「だ」の関係は「犬」と「だ」の関係より「暑」と「い」の関係に近い、という部分だからさ。
「好き-だ」も「犬-だ」も「暑-い」も、何を「語」と考えるかは別として、それぞれ 2 形式から成る。
[とても/もっと好き][とても/もっと暑] | [*とても/もっと犬]
[*この好き][*この暑] | [この犬]
形態論的な区分と統語論的な区分とが一致しないという気持ち悪さが日本語の特徴。
日本語が気持ち悪いのであって、文法論が悪いのではない。
- 61 :
- >>58
そりゃ、歴史的経緯から、漢字語根由来の形容動詞が、数の上で極度に水増しされているだけ。
これは、単なる歴史的沿革であって、日本語の内在的な性質論とは本来は全く関係が無い。
A群 赤い広場 赤の広場
B群 美しい広場 ×美しの広場
C群 健康な日 健康の日
D群 健やかな人 ×健やかの人
A群≒C群、B群≒D群となっている。
ちょっと固有名詞化したような例をあげたのは、不適切だったかもしれない。
だが、和語の形容動詞語幹はかなり「用言的」であり、他方、一部の形容詞語根はかなり「体言的」であることが
こう比べるとよく分かる。
>>60
記述の方向性をそのまま突き詰めると、見事にそうなっちゃうよね…
- 62 :
- 日本語の解釈論って、mskの信号がfskでもpskでもデコードできるのと同じなんじゃないの?
どちらの感性でも解釈できるように両方の成分を持たせたみたいな。
- 63 :
- >>60
「断定の助動詞」でかつ「活用語尾」だとすると、語ではないものに「助動詞」という品詞がつけられていることになるけど、
これはいいの? これがOKだっていうならもう完全におしまい。
>>61
何も話を理解できていないな。
「名詞的形容詞」の『名詞的』にせよ、「形容名詞」の『名』にせよ、
「(語幹が)名詞として振る舞う」と言う意味ではないんだよ。
だから、「一部について語幹(と同じ形のもの)が名詞として振る舞う」という現象が形容詞と形容動詞で並行に存在している例を出しても、
「形容名詞」説の反駁には全くならない。>>60もそれには同意するはずだよ。
「形容名詞」説と「形容動詞・名詞的形容詞」説の決定的な違いと言えば、
「-だ」を語尾として「あざやかだ」で一語だと考えますか、「あざやか」の一語+コピュラで二語だとしますか、というところ。
もっと言ってしまえば、名詞説とか形容名詞説をとる、つまり語幹で一語だと認める立場の主張の中核は
形容動詞の「-だ」と名詞につく「-だ」は同じものだろう。
名詞+「だ」は二語だと定義するのに、形容動詞では「-だ」は語尾で「あざやかだ」で一語だとする。
しかも「-だ」は丁寧体「-です」に置き換わるから、語幹と「-だ」は密接に結びついて切り離せないものというわけでもない。
こんなものが、あっちでは断定の助動詞として一語だと認められ、こっちでは語尾扱いされる、これはどうなのよ。
ということなわけ。「語幹が名詞として振る舞う」ということについての言及じゃないんだよ。
だから
「同じものがあっちで語尾ではこっちでは一語の断定の助動詞であってもいいだろう。形容動詞には二種類の語尾/活用がある、とすればよい」
「どこから一語であるか、『名詞だ』は二語で『あざやかだ』は一語だとかいう考察自体が無意味」
などが反対意見になるんであって、
「一部の形容詞も語幹が名詞になるだろう」とか言われても「ハァ?」としか返せない。
君が言ってる「体言的」「用言的」は議論に関係がない。
- 64 :
- >>63
形態素としては2つ。【ただし形容詞も同様に2つ。】それだけ。
後続形態素がコピュラなのかと言われれば、共時的にもコピュラなんだろう。
(通時的には、形容詞終止形語尾とされてきた「し」は、完全なコピュラであることは言うまでも無い。
名詞文につけられる上代語終助詞「そ」などと同じ機能を果たすもの。)
だから、「あざやか」も「赤」も「形容名詞である」というのなら、あとは用語の問題だけだから俺は承認する。
だが、「じゃあ、日本語の形容詞って何?」ということになる。
- 65 :
- >>64
君は>>48? >>45?
- 66 :
- >>63
> 「断定の助動詞」でかつ「活用語尾」だとすると、語ではないものに「助動詞」という品詞がつけられていることになるけど、
> これはいいの?
結局「活用」という概念がネックになっている。
「助動詞」とでも何とでも呼べばいいと思うが、「語尾」というものは本来無い。
「好き-」「暑-」「-だ」「-い」それぞれ日本語では「語」だ。
- 67 :
- >>65
>>64=>>48だよ。
>>45氏は、記述の王道できちんとした議論をしているから、
俺の議論のあらの濡れ衣をかぶせるのは、よしてほしい。
俺は、記述の方法論を突き詰めるのは、優等生競争であんまり面白くない(笑)ので、
記述だと論じにくい話を、ゲリラ的に横レスして攪乱しているだけ。
田窪支持者は、記述を突き詰められると、おそらく完全に論破されてすねちゃうからねw
- 68 :
- ひやかし
ひやし
にぎやかし
にぎやし?
- 69 :
- 日本語における正しい文法など存在しない。
特に口語において日本語は文法どおり用いられることは稀。
- 70 :
- >>66
「語尾」という概念が問題だということなら確かに納得。
>>67
ゲリラ的に横レスとかなんとか言っちゃって、結局は無関係で的外れなレスをした、ということだよね。
>田窪支持者は、記述を突き詰められると、おそらく完全に論破されてすねちゃうからね
自分がまともな反駁ができないのを誤魔化しているだけ。
「形容動詞が形態的に『名詞+だ』に近接するのは"ほとんど"について言えること」
というのに対しても
歴史的経緯が云々漢語が云々、と見当違いなことを言っているしなあ。
- 71 :
- 結局、
名詞+だ は 必ず 名詞+です に言い換え可能なんだが、なんか反例ある?
なければ、「だ」と「です」は判定詞という、助動詞とはちょっと違う品詞という
ことて゛O.K.?
- 72 :
- >>70
形容動詞の形態の「ほとんど」が、名詞的云々に対して、
漢語が歴史的に増殖しただけ(=数を論じても意味が無い)という反論を、見当違いだと思うんだね…
こりゃ困ったなあww
中国語を大量導入して、辞書を漢字語で埋め尽くしたら、一定比率を超えると形容動詞語幹は名詞になるらしいw
そんな馬鹿なことがあるかいwww
- 73 :
- なんで にぎわし なんだろ?
- 74 :
- 続き。
記述の方法論とはちょっと離れて、通時的なアプローチを少しだけ書く。
もともと、日本語には
A群 コピュラとして「し」、連用形態素として「く」がつく形容詞と
B群 コピュラとして「そ」、連用形態素として「に」(または「と」)がつく形容詞があった。
要するに形容詞と形容動詞の祖先。後者はコピュラの付き方が一見すると名詞と似ているが、
名詞に与格助詞「に」をつけても副詞化しないので、名詞とは違う。(これも現代語の話と同じ)
(A群には「き」という連体形態素もあるが、これはやや後世の二次的なもので、本来連体形は裸で接続(大野説))
また、上述の形容詞は、アクセントが基本的に低平または高平の2型という、際だった特徴があった。これは動詞と同じだ。
だが、新しいコピュラとして存在動詞「あり」が使われるようになると、
これに平行して、「形容詞+連用形態素+あり(コピュラ)」という新しい形が、共通して生まれた。
これが、「カリ活用」と「ナリ活用形容動詞」と「タリ活用形容動詞」の起源。
こう並べれば、この3者は依然として綺麗なトリオになっているのだが、
A群形容詞は「く」に加えて「し」「き」が生き残った。B群形容詞は「に」または「と」のみが生き残った。
それで、A群形容詞だけ別の活用をしているように見えることになった。
中学生でも知っている話の復習ばかりだが、要するに、見かけ上の問題に過ぎないことがよく分かる。
- 75 :
- >>72
>中国語を大量導入して、辞書を漢字語で埋め尽くしたら、一定比率を超えると形容動詞語幹は名詞になるらしいw
君は本当に何もわかっていないんだなあ。
形容名詞というときの「名」も、名詞的形容詞の「名詞的」も、
形容動詞の形態が名詞的というのも、「漢語でも和語でも外来語でも、形容動詞一般に共通する形態」を指して言っているのだから、
歴史的経緯で漢語が大量に増えようがなんだろうが、それはこの議論に関係がない。
形容詞は「し」を持ち、形容動詞・名詞は「なり」「たり」を持つ、ということと、
日本語に漢語が大量に導入されたこととで何か関係があるのか?
「見当違い」で「的外れ」で「無関係」なんだよ。
>>74
>「カリ活用」と「ナリ活用形容動詞」と「タリ活用形容動詞」
>見かけ上の問題に過ぎない
「ナリ」「タリ」は名詞も持っているよ。
形容動詞の「語尾」と、「名詞+断定の助動詞」の共通性は、通時的なもの。
見かけ上の問題、というのが「たまたま見かけ上同じになった」という意味であれば、
「見かけ上の問題にすぎない」とは言えない。
結局、なぜ形容詞語幹は名詞とは異なる「し」「く」を持ち、
形容動詞語幹は名詞と同じく「そ」「に(と)」を持つのかについて説明されていない。
名詞についた「そ・に・と」と、形容動詞についた「そ・に・と」が起源の異なる別物であり、
たまたま音韻的な理由によってそうなっただけだ、というのであれば、「見かけ上の問題に過ぎない」といえる。
- 76 :
- 初めまして。こちらは日本語の文法についてのほぼ唯一のスレということでよろしいでしょうか?
塾講師として中学生などに国語を教えることがあるのですが、口語文法に疑問を感じることがあります。一番は、
分接相互の関係のうち、「接続の関係」です。あれは「修飾・被修飾の関係」や「独立の関係」に含めて考えれば
よく、別の関係と扱う必要はないのではないでしょうか?私が受けた教育では、接続の関係というのはなかったような
気がするんですが。
すなわち、「雨が降ったから私は傘を持って行った」の「降ったから」は修飾と考えればよく、「しかし彼はそうしなかった」
の「しかし」は独立の関係と扱えばいいと思うのです。
皆さんはどう思われますか?
- 77 :
- 文法を知らなくても意思の疎通は出来るけど
文法を知ってると表現力が増すような気がする
- 78 :
- >>76
どちらの問題も、「文」と「文節」の中間に「節」という単位を設定してるために起こったものですね。
より正確には「節」を想定しないと無駄になる「接続」という概念が、「節」を廃止した後も生き残っている
ために起こる矛盾無駄または矛盾でしょう。逆に言えば「節」といういわば「隠しレベル」が存在している
と見てもいいわけで。
- 79 :
- 訂正です。
誤> 矛盾無駄または矛盾
正> 無駄または矛盾
- 80 :
- >>76 「独立の関係」とは、1 語で 1 文に相当するものについて言う。
「ああ。」「はい。」「おい。」「ありがとう。」などがそれで、今の小学校教科書では、後に句点を使うことになっている。
「しかし。」のように句点を使うことはできないだろう。
- 81 :
- >>80
呼びかけも、独立の関係だとされていますが…。だいたい、「ああ」も、句点を付けるべきでなく読点に
すべきだとも言えます。
そもそも、独立の関係は、他の分接と直接密接な関係に立たないものという風に定義を変えればよいかと。
- 82 :
- >>78
「部」ではなく「節」というものがあるんですか?中学文法では「主部」といったものがでてきますが、
曖昧なのでこれもなくした方がいいと思います。
- 83 :
- >>81
>だいたい、「ああ」も、句点を付けるべきでなく読点にすべきだとも言えます。
「ああ」単独で文を構成できるのに、「句点を付けるべきでなく読点にすべきだ」とは言えない。
- 84 :
- >>81 「しかし」も「しなかった」にかかっていると考えれば、「修飾」でよい。
- 85 :
- >>82
「部」は文節よりも大きな単位で、いくつかの文節が組み合わさったものと
考えればよいでしょう。「節」よりは小さいですね。
「節」clauseについては、高校の英文法を参考にするとよいでしょう。
- 86 :
- 学校文法では「節」は使わないし、「部」もあまり活躍しない。
基本的には、言語学で言う主要部 (にあたる「文節」) のみで文を分析しようとするから、構文の実態とかけ離れたことになっている。
- 87 :
- >>86
高校英文法でも「節」って習わないの?参考書でも?だとしたらゆとり化のせいかな。
それと、「接続」だけが生きてるのってなぜ?
- 88 :
- 接続って助詞じゃないの?
- 89 :
- >>87 英語ではもちろん使うよ。国文法で「節」とはふつう言わないということ。
- 90 :
- >>89
それは今の話でしょう。>>78で言ったのは国文法学史の過去において、
かつて英文法を参考に節を設けた時代があって、その名残りではないかということ。
その時代にclauseを節と訳したかどうかは別として。そうでないと接続が説明できない。
>>88
接続は文法機能、接続助詞はその手段の一つ。
- 91 :
- 「接続助詞」はおそらく山田孝雄の命名で、山田は「節」とは言わず「句」と呼んだ。
「句」は概ね clause にあたるが、合わない所もあるようだ。
橋本進吉は山田の「句」を「連文節」とし、実はここまでは学校文法に取り入れられている。
接続詞は先行文の内容を受けて、1 語で連文節相当の働きをする。
だから本来「接続」があっていいのだが、どういうわけか、教育現場では「連文節」もまともに扱われない。
主要部だけで構文を考えるという滅茶苦茶なやり方を誰が始めたのか知らない。
- 92 :
- 連文節変換
っていうか、接続って文法関係なくね?
- 93 :
- 「連用修飾」を何でもアリの掃き溜めにしておくなら、「接続」も連用修飾に掃き込んでおけるだろう。
- 94 :
- なんでみんな形式上の分類にこだわって機能による分類を目の敵にするかなあ。
- 95 :
- 分析しないのを機能主義とは言わない。
「降ったから」という「副詞」を設定するわけにはいかないだろう。
- 96 :
- それは極論。副詞は品詞名だからそこは分けないと。
接続という機能を無視するのもどうかって話。
- 97 :
- まず「接続」とはどういう機能か、「連用修飾」とどう違うのかを定義しなければ、始まるまい。
(「連用修飾」も何種かに分かれるはずだが)
- 98 :
- Kiroroの「長い間」の一節ですが
あなたのその言葉だけを信(しん)じて 今日まで待っていた私
後半部分の「今日まで待っていた私」ですが、これが「私は今日まで待っていた」なら一文ですが
「今日まで待っていた」はそうではないですね。このようなものはどう説明されるのですか?
- 99 :
- あなたのその言葉だけを信(しん)じて 今日まで待っていた私
その→←言葉だけを
あなたの→←その言葉だけを
あなたのその言葉だけを→←信じて
今日まで→←待っていた
あなたのその言葉だけを信じて→←今日まで待っていた
あなたのその言葉だけを信じて今日まで待っていた→←私
学校文法式にやれば本来は上のようになるはず。
ところが現状では、結局全体が「私」という単語と同資格としか見なされない。
「私は今日まで待っていた」なら、「私は」が主語で「待っていた」が述語。ただそれだけ。
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