男の妄想で存在しないとすると、waiterは妻と会話したり、やりとりをすることはないはずですが、 a waiterの最初の登場シーンをどう見るか。 >よごれたエプロンをつけた、背が高くて、若いローマの神さまみたいに美男のボーイが2人のあいだに はいってきて、机の上に勘定書とドル紙幣を置いた。女はおつりを出すと、ボーイの方がちらっと見やった。 A waiter, a tall young Roman god in a solid apron, came between them and placed upon the deck a ticket and bill. The woman made the change and gave the waiter a brief glance. あくまでも男の目にローマの神さまのようなwaiterと見えているだけで、実際には、男の狂乱のゆえ、 流行らなくなった店にたまさか訪れた客が、飲食代金の支払いに来ただけではなかったのか。 ここでも骨董品店でのカタストロフのシーン同様、男はwaiterに対するthe other manといった書かれ 方になっている。男にとっては妄想の産物であるwaiterの存在感の方が大きくなり、自分の影が薄く なっていることのあらわれと捉えることができる。 もう1か所、問題になるのは he insisted upon presenting the signora with a parting gift, with such a polite insistence that they sould not rufuse. >彼はシニョーラ(奥様)になにか餞別の品をさしあげたいからといいだし、しかも、きわめて礼儀正しく そのことを主張するので、夫妻としてはその申し出を拒むことができなかった。 ですが、原文だと妻はtheyに漠然と含まれる形でしか出ておらず、また、直接、waiterが妻に話しかける ような表現になっていない。 本当は夫が妻にプレゼントしようとするのを、妻はレストランの経営もおもわしくなく家計の事情から固持 したが、狂った男があまりに執拗に主張するのでやむなく応じたということなのではないか。
49 :
引用の最初 A waiter, a tall young Roman god in a soiled apronですね。 solidと打ち間違えてしまった。
こんな家庭だから、他の家族は将来に希望が持てない。 兄も姉2人も無気力。 兄貴は、嗅ぎ煙草のジャンキー(現代だとしゃぶ中みたいなものだな)。 といっても彼がのちに銀行の頭取に成りあがるフレムなのかなあ。この作品ではその徴候は あまりなさそうだが。父がこれから放火に行くことをド・スペインに告げに行こうとする弟をベッ ドの脚にくくりつけておいた方がいいぜ、と言い放つところなどがそれかな。 "Better tie him to the bedpost," the brother said. 双子の姉貴2人は年頃だというのに、ぶくぶくに太って、身だしなみなどまったくせず 女としての魅力ゼロ(貧しいと小麦等の炭水化物の摂取割合が大きくなったり、安易に 油もので腹を満たそうとするので、今の日本でもそういう傾向はあるなあ。それでも年頃に なると「鬼も一八番茶も出花」でそれなりに色気づくことが多いようには見うけられるが。 スノープス家の場合はよほどひどいんだろう)。 お母さんは、絶望しながらも、そんな父親に絶対逆らえない。典型的な共依存の欠損家庭だな。 夫が放火しようとしていることを地主に告げに行こうとする息子を、夫に言われるがままに両腕で 羽交い絞めにし行かせないようにする(アブは狡猾で息子が母親に暴力をふるってまで逃げ出し たくないであろうことを見込んで叔母でなく妻である母親にわざわざ命じている)。 同居の叔母はあきれて、「放しておやり、それなら自分が告げにいく」(Godの正義に従うかの 言い方をしているが、ずっとこの家族と生活をともにしているのだから、どこまで本気なのか あやしいが)というと、「わたしには放すことなんかできないってことわからいの?」 "Don't you see I can't?" his mother cried. 夫の命令にそれがどんなに理不尽であっても逆らえない習性が身に沁みついてしまっているのだ。
55 :
原文だと官の呼称はすごい。the Justice。ミスター正義。 治安判事とフルで呼ぶと、a Justice of the Peaceと平和という抽象名詞まで冠している。 名前負けせず、ハリスの町の判事も、ド・スペイン少佐の町の判事も、結構温情ある 大岡裁きをしてくれている。 前者は、10歳のサーティー少年が父の有罪の証言をするか、父をかばって嘘の証言をする かの瀬戸際にたたされた際、ハリスに証人申請を撤回させ、少年をジレンマから救う。 アブ親父にはこの町を出て行くよう忠告しアブの「むしろ俺の方からこんな町出て行ってやる」 との言質をとる(アブが放火犯人だという心証自体は持っていた)。ハリスの訴え自体は却下し 閉廷する。 後者は、アブの訴えに対し、あの怠惰で無気力な姉たちに強烈な洗剤であらわせ損壊して しまった絨毯の弁償分を(金がないので小作人であるアブの収穫分で払うことになって いる)、アブが貧乏なことを考慮してやり、半分に落としてあげた。 が、アブは感謝するどころか、いつも被害者意識の固まりだ(こういう人って、いるなあ)。 結局、ド・スペイン少佐の納屋に火をつける(多分、少佐に現場付近で射ちされる)という カタストロフへ。 ハリスの町の法廷はチーズやブリキ缶に入った魚肉の置かれた店(雑貨屋か食糧品店か)にある。 少年はチーズばかりでなく、密封した魚肉の匂いも感じ取る(少年の胃袋が視覚から匂いを感じ とっただけだろう。貧しいスノープス家では買えないし、食卓にのぼらない品々)) 冒頭の一文 The store in which the justice of the Peace's court was sitting smelled of cheese.
56 :
父の教育方針 「家族・身内以外は敵と思え。」頼れるのは身内だけだ。マフィアや日本の不良グループや の世界と同じだなあ。 (も、poor whiteのスノープス家同様、非差別民であるというケースは多い。 「征服されざる人びと」では南北戦争後、プアホワイトの盗賊グループが結成されていた。 マフィアの場合は、マイノリティグループであるイタリヤ系移民だが) 暴力をふるってでも、ファミリーを裏切るなという掟を覚えこませる。これも不良グループや と同じ。 You got to learn to stick to your own blood or you ain't going to have any blood to stick to you. それで経済的地位を確立するならともかく、アブの場合、地主といざこざを起こし、貧乏なままだし、 おそらく最後にはド・スペイン大佐に撃たれ、命を失っている。 30年前、南北戦争中にも、馬泥棒をして逃げる途中撃たれ、びっこになっている。 この後、スノープス家は、息子フレムの代でこの掟のもと成りあがって行き、ジェファソンの政治・ 経済の中枢にまでその人材を送っていく。 ただ、世の中をよくするといった高尚な目的があるわけでなく、権力欲・金銭欲から、既存の権威 ある地位を権謀術数により誇り高き南部の貴族の末裔たちから、奪っていくだけなのだが。 地位につくのは私利私欲のためだ。 残念ながら、現代日本の権力者にも多いタイプだろう。
57 :
このようなタイプが一見頼もしくうつるカラクリについて次のように書かれる。10歳の少年の分析、 いや彼の成長した無学な(多分。彼のその後はどうやらサーガにないらしい)大人の分析ですら ではないな。フォークナー自身が同時代の権力者達の多くをこのようなタイプと分析したのだろう。 There was something about his wolflike independence and even courage when the advantage was at least neutral which impressed strangers, as if they got from his latent ravening ferocity not so much a sense of dependability as a feeling that his ferocious conviction in the rightness of his own actions would be of advantage to all whose interest lay with his. >すくなくとも利益がどっちつかずのばあいに示す彼のオオカミのような独立心や勇気は、たしかに たいしたものだった。人は、彼のなかに潜んでいる飽くなき凶暴性から、たのもしい男だという感じ を受ける。というよりもむしろ、自分自身の行為の正しさにたいする彼の凶暴な確信が、彼と利害を ともにするものにとっては利益になるような感じをうける――かれを知らない人間は、そのような 印象を抱くのであった。
58 :
>なんでもいいから書いてくれw 鈴木におだてられ、ホントに書いてるwwww
59 :
いっぱい出たね♪
60 :
大人になり独自の道徳律を身につけ始めた息子に対し、父は、暴力により、スノープス家の 掟を覚えこませようとするが、20年後の大人としての息子の回想が一瞬織り込まれる。 味方は身内のみでそれ以外は全員敵という歪んだ父の二分法、敵(判事・地主)は自分に やっつけられたものだから、チャンスをうかがい今度は自分をやっつけようとしただけだと いういう歪んだ物の見方に対し、もしあのとき、「彼らはただ、真実と正義(判事の呼称と同じ) を希求しただけだ」などと言い返していたら、父はさらに自分を叩いていただろうなあと回想する。 すぐ子どもの頃のシーンに戻る。父は味方は身内のみ、身内を裏切るなという掟にしたがうか 息子を問い詰め、息子はyesと応じ、ようやく解放される。 Later, twenty years later, he was to tell himself, "If I had said they wanted only truth, justice, he would have hit me again." But now he said nothing. He was not crying. He just stood there. "Answer me," his father said. "Yes," he whispered. His father turned. "Get on to bed. We'll be there to-morrow."
61 :
サーティー少年が、こんな父に育てられたにもかかわらず、正義・真実を求める心を 失わないのは、皮肉にも父親がつけた名前にもよるだろう。 官に名を聞かれて、少年は「カーネル・サートリス・スノープスです」と小声で 答えると、「もっと大きな声で堂々と言いなさい。この土地で南部の英雄の名をもらって ものは、誰でも真実のことを話さざるを得ないね」と言われる。 官は温情ある人格者で、ハリスに少年の証人申請を撤回させ、代わりにアブにはこの 町から出て行くよう言い、閉廷する。 アブはなんとも思わないが、少年はこの官の機微に救われたことを知り、おそらくは 官に憧れる(多分、自分の家にはないうまそうな食材が大量に法廷のある店に置かれ ていることにも。やっぱりまず衣食住だよな。ド・スペイン少佐の屋敷は、法廷のある店など 目じゃないほど、立派で圧倒される)。 "Hey?" the Justice said. "Talk louder. Colonel Sartoris? I reckon anybody named for Colonel Sartoris in this country can't help but tell the truth, can they?"
村上春樹といえば、むしろ、このシーンなんかが気になる。 The tracks of his father's foot were gone. Where they had been were now long, water-cloudy scoriations resembling the sporadic course of a lilliputian mowing machine. >(絨毯the rugにつけられた)父の足の跡はもう消えていた。彼女ら(サーティの 双子の姉たち)の洗ったところは、水煙がたなびいたような、長い溶岩状のただれ が出きていて、まるで小人が草刈機であちらこちらを刈りとったみたいに見えた。 短編集「中国行きのスローボート」には、「午後の最後の芝生」という作品がある。 「庭の芝生を刈りながら思いついた。とにかく芝を刈る話を書こうと思った。僕としては 筋よりむしろ芝を刈るという作業そのものを描きたかった」と「自作を語る」にあります。 小人の方は、「納屋を焼く」の収録された『蛍・納屋を焼く・その他の短編』に「踊る小人」 という作品があります。象工場が出てくる短編です。 「1Q84」でも小人たちが登場しますね。 草を刈るlilliputianは単数形だから、1名と解するしかないのかなあ。
フォークナーとディケンズ 前スレ968で「嫉妬」でのトーノのBahという発声がCharles DickensのA Christmas Carol の主人公Scrooge爺さんのセリフを思い出させると書いた。 姪が明るくメリィ・クリスマスと言ってきても、不機嫌に「ふん、ばかな」と不賛同・不満の発声を二度も漏らす。 http://www.charles-dickens.org/a-christmas-carol/ebook-page-02.asp `Bah!' said Scrooge, `Humbug!' Scrooge having no better answer ready on the spur of the moment, said `Bah!' again; and followed it up with `Humbug.' G大英和 間投詞[しばしばB〜!Humbug!]ふん!ばかな!《軽蔑・嫌悪の発声》 OALDだと used to show a sound that peple make to express disapproval フォークナーはやはりディケンズ好きだった。 松柏社の事典より >「毎年ディケンズの何冊かは読みます」と公言するほど、フォークナーにとってイギリスの 文豪チャールズ・ディケンズは、聖書とシェイクスピアについで、そしてバルザックやドストエ フスキー、あるいは『白鯨』、『ナーシサス号の黒人』、『ドンキ・ホーテ』の作者と並んで、お気 に入りの作家の1人だった。 『ナーシサス号の黒人』はイギリスの小説家ジョゼフ・コンラッドの海洋冒険小説