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2012年3月哲学138: クリシュナムルティ・禅・ヴィパッサナー実践スレ5 (198)
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クリシュナムルティ・禅・ヴィパッサナー実践スレ5
- 1 :
- 気づきだろうが坐禅だろうが瞑想だろうが
実践派来たれ。
- 2 :
- 嵐が丘の精神病院
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1289187008/
- 3 :
- 批評の批評、引用の引用でなにが悪いの?ハイパーリアリティにインターテクスチュアリティー、
表層の戯れ、これがぼくたちの時代の環境です。『郵便本』くらいは目を通してください
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
___ ____
゙=c_ \ /_っ='
く:::\ /:::>'
\::::\ ...-ー、,-─ /::::/
\ ` .-=・=- i、-=・=- /
\.. / ー-' ヽ /
\::.| ト‐=‐ァ' |: / ナメてんのかね〜?
|::| ` `二´' |:|
/ ″ ν. \
(( (( (( /_ ヽ、__炎_,ノ_ \ シャカシャカ
─ =ニ三 (◎ ヽ-─────(◎ ) シャカシャカ
ノ◎、 |\ \ / / | /◎、
(_,rへ `ソ /> ◎) (◎く| レ' ,rへ )
─ = ニ \◎'/ / \ ヽ、◎/
ノ / \ ヽ
─ =ニ三 ( ◎( ) ◎)
─ = ー、_ら ⊂、_,r´
- 4 :
- 前スレ
クリシュナムルティ・禅・ヴィパッサナー実践スレ4
http://www.unkar.org/read/kamome.2ch.net/philo/1249446637
- 5 :
- 今の中国との問題、彼がその場にいたらどうしたかなあ
- 6 :
- 一党独裁愛国主義とチベット宗教のどっちがマシかという単純なことではなく、
クリシュナムルティがヒットラーに多くのことを学んだように、
チベットも中国共産党に多くのことを学んだと言えるだろう。
- 7 :
- こういう共産主義者の妄言にはウンザリする。
- 8 :
- >>6
確かにそうだけど、
人は殴られたら、暴力を学ばせてくれてありがとう!より、
なんだこの野郎という気持ちがわくものだよ。
- 9 :
- その程度の宗教ならレベルの低い宗教だ。
- 10 :
- >>9
オマエは人間失格
- 11 :
- 僕みたいにレベルが高い意識だと、「底レベル人間失格」と低レベル人間から言われるんだよね〜。
ま、レベルの低いカルト宗教でも、伝統文化として保存するならいいんじゃないの。
- 12 :
- >>11
オマエの両親も人間失格
- 13 :
- 低レベル人間を超越した者としての称号を低レベル人間から頂きましたw
- 14 :
- >>13
怒っているのかい?(笑)
- 15 :
- >>11
これだけは確実に言える。
お前のレスは下品で低レベルだ。
- 16 :
- 瞑想で
果てなき最低を目指します
- 17 :
- >>1
実践しようぜ。
- 18 :
- >>15
底レベルのゴミに何を言われても全然気にならないな〜w
- 19 :
- >>18
光明を得るためなら、低レベルのゴミ以下の以下になってもいいという
連中のためのスレだよ。
みんながんばってください。
僕もがんばります。
到達感がある時点で下車してはいけないよ。
エゴちゃんが繁殖して面倒くさい基地外になっちゃうから。
師がなければ死が待ち構えてる・・・。
- 20 :
- クリシュナムルティーの他にお勧めの本や人物ありますか??
- 21 :
- >>20
ありません。
自ら哲学できなければ「哲学者」ではなく「哲学学者」といわれるように、
自ら悟らなければ「悟り」ではなく、「悟り学者」になるだけです。
- 22 :
- アルボムッレスマナサーラ
- 23 :
- >>21
「悟り学者」になるのに、お薦めの本はなんですか?
- 24 :
- >>23
それ関連なら何でもいんじゃないでしょうか。
要するに関連書籍は「取扱説明書」です。
クリシュナムルティだろうがお経だろうが
老子だろうが正法眼蔵だろうが
ヒントが見つかるかも知れないと思ったら
片っ端から読んでみるのがいいです。
ただし悟りに関して、
「悟りは〜だ」とか「〜な意識」「〜状態」、「〜体験」などと
説明している書籍は好ましくありません。
読者に余計な方向性を与えてしまいますし、
そういう体験に達したとしても、永遠の幸福も永遠の不幸もないのと同じで
「行けたと思ったけど、あれ?何か変だぞ???どっかおかしいなあ?」
を繰り返すことになってしまいますから気をつけてください。
- 25 :
- ___ ____
゙=c_ \ /_っ='
く:::\ /:::>'
\::::\ ...-ー、,-─ /::::/
\ ` .-=・=- i、-=・=- /
\.. / ー-' ヽ / つまり、流体理論じゃろ?
{. ト--=--イ }
!.;〉 ,,,,, ,,,,, i.;.;.;.}
彡' """"''' '''"""゙゙ ヽ;.;.j
. (ヽi -=・ニ= =ニ・=- !ィ)
} ;| `'‐‐'´ノ `'‐‐'´ !;.{
ヽ| /( 。 。)ヽ 丿|.ノ
/⌒.\. ヽ: il´トェェェイli. / /⌒\
/ ノつ\.ヽ:!l |,r-r-|! //⊂ \
o0○ノ / 3 \ (::::⌒ヽ / とノ\ ヽ○0o
( /、_ノ\ Y `(_、_) / \´ )゚
\_) `ヽ : : : * : : : | (_ノ
. | `-=ニ=-) ' .:::::::|
\ `ニニ´ .:::::/
/ ー--´ ヽ:::
/ ヽ / /:::
/ /へ ヘ/ /:::
/ \ ヾミ /|:::
(__/| \___ ノ/:::
l ヽ___
/ ,,...---`ニニニ==、,,__
l / ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ l三三三>
| iヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ/三三/''ー- 、
ヽ. ヽ、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ.∠三=‐''´>‐--‐'
〉ヽ、`'''ー‐---‐ヽ:::::::::::i-‐'''´
- 26 :
- >>20
クリシュナムルティをわかりやすくしたかんじだとエックハルト・トールやガンガジ
自他不二だとラマナ・マハルシやプンジャジとかいいんじゃないかな
禅だと原田雪渓とか
ヴィパッサナー関連の本もいいかも
- 27 :
- >>20
『老子』
『荘子』
『臨済録』
エックハルト・トールの著作
森田療法関係書籍
- 28 :
- 実践なんだから、原理の書いた本がいい。
- 29 :
- 荘子も老子も具体的な「やり方」について殆ど書かなかった
その理由は、「やらない」のが奥義だからなのか
「やらない」をどうやって実現するのか?
こんな問いが出てしまう時点で、もう蟻地獄に落ちているのかも知れない
- 30 :
- なぜやるのか、なぜやろうとするのか、なぜやりたいのか、なぜやってしまうのか
その理由が自分の中に見つかったら「やらない」が実現されるかも
- 31 :
- >>26
正しい。
でも具体的な方法論が無い。
- 32 :
- 南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ
- 33 :
-
- 34 :
- >>31
具体的な方法=絶望
- 35 :
- エックハルト・トールってチャネリングとかの本に近い感じですか?
クリシュナムルティは大丈夫なんだけど、チャネリング系は拒否反応が出て読めないw
- 36 :
- >>35
トールは禅や老荘と同じだから、チャネリングとかいうのとは無縁だろうな。
俺もチャネリングには拒絶感がある。トンでも系じゃないか?
- 37 :
- とりあえず瞑想でも何でも、やってみれば良いと思う。
幻想の罠に嵌るかもしれないが、それに気がついて、やり方を少し変える
また幻想に嵌る、変える・・・の繰り返しで、結局は
やらないということの意味が気が付くかも知れない。
気が付かないかもしれないが、何もしないで、やらないことが正しいと
言葉で言ってそのまま一生終えるよりは何かあるような気がする。
- 38 :
- 内外の別がなくなったら、
「動中の工夫」が四六時中できるようになる。
つまり四六時中坐禅になる。
後は、やる気の問題である。
- 39 :
- 『白隠禅師坐禅和讃』が秀逸
- 40 :
- 夜布団に入ったときだけやたらと老荘的な気分になる・・
- 41 :
- >>40
おもしろい感性してるねw
- 42 :
- 「即天去私」
方法も何もあったもんじゃない
- 43 :
- もしあなたが無意識なら
その切れ目は見えない
あなたはひとつの思考から別の思考へと跳んでしまう
決してその切れ目を見ることはない
- 44 :
- だかもしあなたが目を覚ませば
どんどんとたくさんの切れ目がわかるようになるだろう
ましてあなたが完璧に目覚めたら
そのときは何里ものも切れ目があなたの前に姿を現わす
そして、そうした切れ目の中で<さとり>は起こる
そうした切れ目の中で真理があなたの扉を叩く
そうした切れ目の中で訪問者がやってくる
そうした切れ目の中で神が実現される・・・・・
あるいは、あなた次第でほかのどんな表現でもよかろう
- 45 :
- そうして覚醒が絶対的であるとき
そのとき、そこにはただ<無>という巨大な切れ目があるばかりだ
それはちょうど曇り空みたいものだ
雲が動く
雲はそのうしろに隠された空が見えなくなるほど厚くもなれる
空の巨きな青さが失われ
あなたは雲に覆われる
そんなときでも、じっと見守り続けてごらん
ひとつの雲が動く
そしてほかの雲はまだ視界にはいってこない
すると突然
巨大な空の青さがのぞく
- 46 :
- あなたは空のその巨きな青さだ
そして思考はちょうど雲のように
あなたのまわりを徘徊し
あなたをいっぱいにする
だが切れ目は存在する
その空を一瞥することを<さとり>と言う
そしてその空になりきってしまうのが<サマーディ>だ
- 47 :
- 人びととともにいる時、覚えておきなさい。
彼らにとっては、善し悪しがいまだに存在することを。
彼らと、彼らの夢を尊重しなさい。
誰かの夢の邪魔をすべきではない。
それをするあなたは、いったい何様だ。
あなたは余計な口出しをすべきではない。
人びととその愚かさに、礼儀正しくありなさい。
彼らとそのゲームに、礼儀正しくありなさい。
しかしいつも覚えておくように、
深いところでは、何も正しくはないし、何も間違ってはいないことを。
- 48 :
-
花は形を持ち、個としての存在を持つ。香りには形がなく、個としての存在はない。それはそこに
あり、存在してはいるが、定まった形としてあるのではなく、形なしに存在する。そして、それが
神とは何か、神性とは何かということだ。この香りを経験することは、瞑想を通して起こる。それ
以外の方法は存在しない。今まで決して存在しなかったし、これからも決して存在しないだろう。
本当に宗教的な人には、たったひとつのやるべきことがある。それは瞑想的になることだ。しかし
、まさにその『メディテーション―瞑想』という言葉を使うことで、間違った方向に動いて行く可
能性がある。なぜなら、英語には正確に「dhyana」(サンスクリット語で‘瞑想’を意味する言葉)に
あたる言葉がない。「meditation」は、ただ近い意味を持つというだけだ。
英語には、concentration(集中)、contemplation(沈思)、meditation(瞑想)という三つの
言葉がある。 Concentrationは、マインドについての言葉だ。あなたは、マインドを何かの対象に
集中させる。それ以外のすべてを除外し、自分の視野を狭め続ける。その結果、集中においてはあ
らゆることが妨害になり得る。もし犬が吠え始めたら、あなたは邪魔されるだろう。なぜなら、あ
なたはすべてを除外していたのに、今、犬の吠え声が侵入して来たからだ。だから集中する人は、
いつも怒っている。なぜなら一匹の蚊でさえも、彼の集中を邪魔することができるからだ。あなた
は不自然なことをしているから、すべてのことがあなたを邪魔できる。
集中は不自然だ。それは押し付けられること、型にはめられることだ。それは何か軍隊に似ている
。正確にひとつの事を狙ったままでいるよう、マインドに暴力的な強制をすることだ。そしてマイ
ンドの本質とは、常に流れ、動いていることだ。マインドが動くことは自然で、それはダイナミッ
クなプロセスだ。なのに、あなたはこのダイナミックなプロセスを、淀ませようとしている。
- 49 :
- トール先生のいう意識が目覚めた状態が、荘子の坐「忘」と似ているのが面白い
目覚めてると思いこんでドヤ顔であれこれ喋ってる、騒々しい俺ら
でも実は何も分かってない
「無知の知」
「丘と汝、みな夢なり」
目覚めると逆に黙って静寂そのものになる
- 50 :
- いい書き込みが多いけど、誰の言葉なんだろ
Kじゃないみたいだけど
- 51 :
- もし自分が無知だとわかったら、その人は辿り着いた。知識は幻想であり、そもそも何かを
理解することなどできないと了解することが叡智だ。だれも何も知らなかったし、知ること
もないだろう。なぜなら生とは神秘だからだ。それは知ることは出来ない。生きることはで
きる。しかし知ることはできない。
だから知ることはできないと知ることはすばらしい悟りである。
もしあなたが知らないという状態に留まることができたら、もしこの「私は知らない」とい
う状態が結晶化したなら、「私」は消滅する。なぜなら「私」とは知識がある限りにおいて
存在するからだ。もしあたなが知らないのならば、あなたは存在することが出来ない。エゴ
は知識を餌にして生きている。いったん知識が消えれば、エゴは自動的に消える。
だからこの「私は知らない」という状態に留まりなさい。これをあなたの寺院としなさい。
そこにリラックスして、この無知に安らぎなさい。それは純粋で、無邪気だ。。至福だ。も
しあなたがあなたの無知にくつろぐことができたら、あなたは平和を得、至福を得、すべて
の必要なものを得るだろう。
- 52 :
- OSHOっぽいけど。
- 53 :
- 大いなる哉、心や。
天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出づ。
地の厚きは測るべからず、しかるに心は地の下に出づ。
日月の光はこゆべからず、しかるに心は、日月光明の表に出づ。
大千沙界は窮むべからず、しかるに心は大千沙界の外に出づ。
それ太虚か、それ元気か、心はすなはち太虚を包んで、元気を孕むものなり。
天地は我れを待って覆載し、日月は我れを待って運行し、
四時は我れを待って変化し、万物は我れを待って発生す。
大なる哉、心や。
- 54 :
- 世間の人はたいてい、もともと、
人から立派だと言われよう、
思われようと思っている。
その心があるから、
立派になることができないのである。
- 55 :
- 「呼吸を見る。私たちはいま、自分の呼吸を意識しておりません。吐く息、吸う息、吐く息、吸う息を意識して生活をして、
あるいは坐っておられる人は、いらっしゃらないと思います。そこで、禅を修行する---
修行するということは、やむを得ずですね、本当は呼吸を意識するなんていう不自由なことをしなくてもよろしいのですけれども、
修行をするということで、呼吸を意識していただきます。すなわち、吐く息、吸う息、吐く息、吸う息をよく見る、
そういう状態になっていただきたいと思います。油断なく、ひと呼吸、ひと呼吸を親切に、そして丁寧に、
真心をこめて、吐く・吸う、吐く・吸うの動作を繰り返していただきたいと思います。
そういう「呼吸を見る」、つまり意識を集中することによって、だんだんと呼吸三昧、意識三昧に
入ることができると思います。しかし、三昧ということを、まだ自分で意識している間は、
意識している自分だけが三昧の外にいるということになります。本当の三昧になれば、
三昧に入っている状態を自分で意識、あるいは認識することは、不可能なはずです。
呼吸を意識する、あるいは三昧に入っている、三昧に入ろうとする自分の意識というものは、
当然わかる。そのわかっていることが悪いのではありません。
- 56 :
- わかっているその意識を、意識によって擦(す)りつぶすような状態になっていただきたいわけです。
三昧に入る、あるいは意識によって意識を擦りつぶすということは、多少の時間が必要かもわかりませんけれども、
根気よく自分の呼吸を意識することによって、必ず三昧に入ることが可能になると思います。
一所懸命に自分の呼吸を見ていくうちに、三昧に入っていくということは、自分の呼吸を意識していることも
忘れてくるということです。忘れてくるということは、元の、呼吸を意識していない状態に戻ってくるということです。
初めての方は、非常に面倒な、複雑なことのように受け取られるかもしれませんけれども、一度ものを知って、
そして知ったその意識によって擦りつぶしていく、また一回転して元に戻る、そういうことが、禅の修行ということであります。
客観的に見れば、その人が呼吸を意識しているか、していないかなどということはわかりません。
しかし、同じ状態で、同じ生活をしておりながら、一人の人は呼吸を意識することによって道を歩み、
必ず「脱落」という境地が得られる。一方、何もしないでただ坐っている人は、そういう脱落ということがありません。
そこに天と地の相違ができてまいります。」
- 57 :
- 一種の手放し状態にあるときにはいつも、
あなたの内側には大いなる光が感じられる。
手放し状態にあれば、それはひとりでに起こる。
<存在>に明け渡しているなら、
内側にまばゆい光が感じられる。
大いなる光が内側にあり、大いなる喜びが外側にある。
それは自然に起こる、
そして、内側にその明るさを感じていることが
内側を見るということだ。
- 58 :
- >>50
バクワン・シュリ・ラジニーシだな
- 59 :
- 眉間に注意を集め、心を思考の前に置く。頭の天辺(てっぺん)まで形を息のエッセンスで満たし、
そこで光として降らせる。これはピュタゴラスに与えられたテクニックだった。ピュタゴラスはこの
テクニックを携えてギリシアに行き、事実、西洋におけるすべての神秘主義の源泉、源となった。彼
は西洋におけるすべての神秘主義の父だ。 このテクニックはひじょうに深い技法のひとつだ。これを
理解しようとしてごらん。眉間に注意を集め……。現代の生理学、科学研究によると、眉間には腺が
あり、それは身体のもっとも神秘的な部位だと言われている。この腺、松果腺と言われているものは
、チベットで言う第三の眼――シヴァネトラ、シヴァの、タントラの眼だ。両目の間に第三の眼があ
る。だが、それは働いていない。それはそこにあり、いつでも働けるが、そのままでは働かない。そ
れを開くために、あなたは何かしなければならない。それは見えないわけではない。ただ閉じている
だけだ。このテクニックは第三の眼を開くためのものだ。 眉間に注意を集め……。目を閉じ、眉と
眉のちょうど真ん中に両目の焦点を合わせる。目を閉じ、まるで両目で見ているように、まさに真ん
中に焦点を合わせる。すべての注意をそこに向ける。 これは注意を集中するもっともシンプルな技
法のひとつだ。身体の他の部分にこれほど簡単に注意を集中することはできない。この腺はとても注
意を吸収する。それに注意を向けたら、あなたの両目は第三の眼によって催眠術をかけられてしまう。
据わってしまうのだ。動かせなくなる。身体の他の部分に注意を向けようとしても、むずかしい。
この第三の眼が注意を受け止めてしまう。注意を強いる。注意を引き付ける磁力がある。だから、世
界中のあらゆる技法がそれを用いてきた。あなたが注意しようと努力するだけでなく、腺そのものが
あなたを助けるために、注意を向ける訓練としてはもっともやりやすいものだ。それには磁力がある。
- 60 :
- あなたの注意はいやおうなしにそれに向けられる。吸収される。 古いタントラ経典では、第三の眼
にとって注意は食べ物だと言われている。それは腹が減っているのだ。何生にも何生にもわたって
腹をすかせていた。それに注意を向けたら、生き生きとしてくる。生きてくる! 食べ物が与えら
れたのだ。そして、注意が食べ物だということが一度でも分かったら、自分の注意が腺そのものに
よって磁力に引かれるように引き寄せられている、引き付けられている、引っ張られていると一度
でも感じたら、そうなったら、注意することはむずかしくはない。正しいポイントを知ればいいだ
けだ。だから、ただ目を閉じ、両目が真ん中を向くように動かし、そのポイントを感じるがいい。
ポイントの近くに来たら、突然、あなたの目は動かなくなる。動かすのがむずかしくなったら、正
しいポイントをつかんだことが分かる。 眉間に注意を集め、心を思考の前に置く……。もしこの
注意がそこにあったら、あなたは不思議な現象を初めて体験することになる。初めて、あなたは
思考が自分の前を走っているのを見ることになる。あなたは目撃者になる。それはまさに映画の
スクリーンに似ている。思考が走り、あなたはその目撃者だ。一度あなたの注意が第三の眼のセ
ンターに集中したら、あなたはすぐに思考の目撃者になる。 普段、あなたは目撃者ではない。
思考と同化している。怒りがそこにあれば、あなたは怒りになる。思考が動いたら、あなたは目
撃者ではなく、その思考と一体になり、同化し、いっしょに動く。あなたはその思考になってし
まう。思考の形態をとる。がそこにあれば、あなたはになる。怒りがあれば、
あなたは怒りになる。貪欲があれば、あなたは貪欲になる。動いているどの思考もあなたと同化
してしまう。あなたには自分と思考の間に隙間がまったくない。
- 61 :
- だが、第三の眼に焦点を合わせると、突然、あなたは目撃者になる。第三の眼を通じて、あなたは
目撃者になるのだ。第三の眼を通して、思考が空の雲のように、あるいは通りを動いている人びと
のように走っているのを見ることができる。 あなたは空や通りの人びとを見ながら窓のところに
座っている。あなたは同化していない。あなたは離れている。丘の上の見張り――別物なのだ。
今や、もし怒りがそこにあったら、あなたはそれを対象として見ることができる。自分は怒って
いるとはもはや感じない。怒りに囲まれているのを感じる――怒りの雲があなたの周りに来てい
る――だが、あなたはその怒りではない。そして、もしあなたが怒りではなかったら、怒りは
無力になる。あなたに影響を及ぼすことはできない。あなたは手つかずのままだ。怒りは来ては
去り、あなたは自分の中心にとどまる。 この五番目のテクニックは、目撃者を見つけるための
テクニックだ。眉間に注意を集め、心を思考の前に置く。さあ、自分の思考を見てごらん。
さあ、自分の思考に直面してごらん。頭の天辺まで形を息のエッセンスで満たし、光として降
らせる。注意が第三の眼のセンター、眉間に集まると、ふたつのことが起こる。ひとつは、あ
なたは突然、目撃者になるということだ。これはふたつのやり方で起こる。あなたは目撃者に
なり、第三の眼に中心が定まるようになる。目撃者になろうとしてごらん。何が起こっていて
も、目撃者であろうとしてごらん。病気で体が疼き、痛い。惨めで苦しい。なんであろうと―
―その目撃者でいてごらん。何が起こっていようとも、自分とそれを同化させてはいけない。
目撃者、観察者でいることだ。そして、目撃することができるようになったら、あなたは第三
の眼に焦点が合っている。 逆もまた真実だ。第三の眼に焦点が合っていたら、あなたは目撃者
になる。このふたつはひとつのものの一部分だ。だから、まず第一に、第三の眼に中心が定ま
ることで、目撃している自己が現れてくる。そこで、あなたは自分の思考に直面することがで
きる。これが第一番目のこと。
- 62 :
- そして、二番目は、今やあなたは息の微妙で繊細なレーションを感じることができるように
なるということだ。もはやあなたは息の形、息のエッセンスそのものを感じることができる。
まず、「形」とは、「息のエッセンス」とはどういう意味なのか理解しようとしてごらん。息を
しているとき、あなたは空気を呼吸しているだけではない。科学によると、あなたは空気だけを
呼吸していることになる――ただ、酸素、水素、その他の気体で混成された空気という形を。空
気を呼吸しているのだと彼らは言う! だが、タントラは、空気は媒介にすぎず、本体ではない
と言う。あなたはプラーナ――生気を呼吸しているのだ。空気は媒体に過ぎない。プラーナが中
身だ。あなたは空気だけでなく、プラーナも呼吸している。 現代科学はプラーナのようなもの
があるのかどうか、まだ発見できずにいるが、なかには何か神秘的なものを感じ取った研究者た
ちもいる。呼吸は空気だけではない。それは現代の研究者の多くも感じ取ったことだ。とりわけ
、ひとりの名前には触れておくべきだろう――それを「オルゴン・エネルギー」と呼んだドイツ
の心理学者、ウィルヘルム・ライヒだ。それはプラーナと同じものだ。彼は、呼吸をしている
とき、空気はただの入れ物に過ぎず、オルゴンやプラーナやエラン・バイタルとも呼べる神秘
的な中身があるのだと言う。だが、それはひじょうに微妙だ。事実、物質ではない。空気は物
質的なものだ――入れ物は物質だ――だが、微妙な何か、非物質がそれを通じて動いている。
その効果は感じ取ることができる。とても元気な人といると、あなたは自分の中に、ある種の
バイタリティが生じてくるのを感じるだろう。重い病気にかかっている人といると、あなたは
吸い取られるのを感じる。まるで自分から何かが抜かれてしまったように。病院に行くと、
なぜあんなに疲れるのだろう? あらゆるところから吸い取られているのだ。病院全体の雰囲
気が病んでいて、そこにいる誰もが、もっと多くのエラン・バイタル、もっと多くのプラーナ
を必要としている。だから、そこにいると、すぐにあなたのプラーナがあなたから流れ出てい
き始める。人ごみの中にいると、息が詰まることがあるのはなぜだろう?
- 63 :
- あなたのプラーナが吸い取られているからだ。朝、空の下に、木の下に独りでいると、不意にあなた
は自分の中にバイタリティを感じる――プラーナだ。人にはそれぞれ固有のスペースが必要だ。その
スペースが与えられなかったら、あなたのプラーナは吸い取られてしまう。 ウィルヘルム・ライヒは
多くの実験を行なった。だが、彼は狂人だと思われてしまった。科学には独自の迷信があるし、科学
はひじょうに因習的だ。科学はいまだに空気以上の何かがあることを感じ取ることができない。だ
が、インドは何世紀にもわたってそれを実験してきている。 あなた方は誰かがサマーディ、宇宙意
識に――何日間も、空気の通らない地下のサマーディに――入ったと聞いたことがあるだろうし、
見たことすらあるかもしれない。ある人が一八八〇年にエジプトで四〇年間、そういう地下のサマ
ーディに入った。彼を埋めた人たちはみな死んでしまった。というのも、彼は四〇年後の一九二〇
年に自分のサマーディから出てくることになっていたからだ。一九二〇年、生きている彼に会える
とは誰も信じていなかった。だが、彼は生きていた。その後さらに一〇年間、彼は生きた。すっか
り青ざめていたが、生きていた。しかも、彼のところに空気が通う可能性はまるでなかったのだ。
彼は医者やみんなからたずねられた。「秘訣は何ですか?」。彼は言った。「私たちには分から
ない。分かっているのは、プラーナはどこにでも入ってくるし、流れることができるということ
だけだ」。空気は通り抜けられないが、プラーナは通り抜けられる。もしプラーナを直接、入れ物
なしで吸い込むことができることを知っていたら、あなたは何世紀にもわたってサマーディに入る
ことができる。 第三の眼に焦点を合わすことで、突然、あなたは息のエッセンスそのものを観察
できるようになる――息ではなく、息のエッセンスそのもの、プラーナを。そして、息のエッセ
ンス、プラーナを観察できたら、あなたはジャンプ、突破が起こるポイントにいる。 経典は言う
、頭の天辺まで形を息のエッセンスで満たし……。そして、息のエッセンス、プラーナを感じる
ようになったら、自分の頭はそれで満たされているとただ想像してみるがいい――ただ想像する
だけだ。努力する必要はない。想像がどのように働くか、説明しよう。
- 64 :
- 第三の眼のセンターに焦点を合わせているときに想像すると、そのことが起こる――その場で、
直ぐに。今のところ、あなたの想像は無力にすぎない。想像しつづけても、何も起こらない。だ
が、ときには、そうとは知らずに、普段の生活でも物ごとが起こることがある。友人のことを想
像していると、突然、ドアがノックされる。友人が来たのは偶然だとあなたは言う。あなたの想
像がまさに偶然のように働くことがあるのだ。だが、いつでもそれが起こったら、今度は事の全
体を思い出し、分析しようとしてごらん。いつかそれが起こって、自分の想像したことが現実に
なったと感じられたら、必ず内側に入って観察してみるがいい。あなたの注意はどこか第三の眼
の近くにあるはずだ。このような偶然が起こるとき、それはけっして偶然ではない。あなたは隠
された科学を知らないから、そのように思えるのだ。あなたの心が知らない間に第三の眼のセン
ターの近くに動いていたにちがない。もしあなたの注意が第三の眼にあったら、ただ想像するだ
けで、どんな現象でも創り出される。 この経典が言っていることは、眉間に焦点を合わせ、息の
エッセンスそのものを感じることができたら、形を満たしなさいということだ。今度は、このエ
ッセンスが自分の頭全体、とくに頭の天辺、サハスラーラ――もっとも高いサイキック・センタ
ーに満ちていると想像するがいい。すると、想像するやいなや、それは満たされる。そこで――
頭の天辺で――光として降らせる。このプラーナ・エッセンスは、あなたの頭の天辺から光とし
て降っている。すると、それは実際に降ってきて、光のシャワーの下であなたはリフレッシュさ
れ、生まれ変わり、完全に新しくなる。それこそが内なる再誕生の意味するものだ。 だから、ふ
たつのこと。まず、第三の眼に焦点を合わせることで、あなたの想像が効力をもつようになり、
強い力を得る。純粋ということがひじょうに強調されるのはそのためだ。こうした実践を行なう
前に、純粋になりなさい。
- 65 :
- というのも、ここで、人はとても危険な領域を旅することになるからだ。 力があるときは必ず
危険が伴う。そして、もし心が純粋でなかったら、あなたが力を得ると必ず、あなたの不純な
思考が即座にその力を制するからだ。あなたはすことを何度も思い描いてきたが、幸運にも
その想像には効果がない。もし効果があったら、もし即座に実現したら、危険なことになる―
―他の人にとってだけではなく、あなた自身にとっても。あなたは自することを何度も何度
も考えたことがあるからだ。もし心が第三の眼に焦点を合わせていたら、自を考えただけで
自になる。考え直す暇はない。即座にそれは起こる。 催眠術をかけられている人を観察した
ことがあるだろう。催眠術をかけられると、催眠術師がどんなことを言っても、かけられてい
る人は従う。その命令がどんなにばかげていても、どんなに不合理、あるいは不可能であって
すら、催眠術をかけられている人はそれに従う。何が起こっているのだろう? この五番目の
テクニックがすべての催眠術の根底にある。催眠術にかけられる人は必ず目の焦点を特定のポ
イント――何かの光、壁の点か何か、あるいは催眠術師の目に合わせるように言われる。 ある
特定のポイントに目の焦点を合わせると、三分以内にあなたの内側の注意が第三の眼に向かっ
て流れ始める。そして、あなたの内側の注意が第三の眼に向かって流れ始めるやいなや、あな
たの表情が変わり始める。そして、催眠術師にはあなたの表情が変わり始めるのが分かる。突
然、あなたの顔は生気をすっかり失う。死んだように、まるで熟睡しているようになる。催眠
術師にはあなたの顔が輝きを、生気を失ったのがすぐに分かる。もはや注意は第三の眼のセン
ターに吸い取られているということだ。あなたの顔は死んだようになる。全エネルギーが第三
の眼のセンターに向かって流れている。 もう、何でも言ったことが起こるということを催眠術
師はすぐに見分ける。彼は言う。「さあ、あなたは深い眠りに落ちていきます」――あなたは
すぐに眠りに落ちる。彼は言う。「さあ、あなたは無意識になります」――あなたはすぐに無
意識になる。もう何でもできる。
- 66 :
- もし、「さあ、あなたはナポレオンになりました」と彼が言ったら、あなたはなる。ナポレオンの
ように振舞い始める。ナポレオンのように話し始める。あなたの仕草が変わる。あなたの無意識が
命令を受け取り、その通りのことをつくりだす。もし病気にかかっていたら、その病気は消えたと
いう命令を出すことができるし、それで、それは消えてしまう。あるいは、何であれ新しい病気を
生み出すこともできる。 道にあるような普通の石をあなたの手に置き、催眠術師はこう言うことも
できる。「あなたの手にあるのは火です」。すると、あなたはものすごく熱く感じる。あなたの手
が火傷する――気持ちの中だけでなく、実際に。実際にあなたの皮膚が焼けてしまうのだ。火傷を
したように感じるだろう。何が起こっているのだろう? 火などなく、あるのは普通の冷たい石だ
けだ。どうして? この火傷はどのようにして起こるのだろう? あなたは第三の眼のセンターに
焦点が合っていて、あなたの想像力は催眠術師から暗示を与えられ、それが実現する。もし催眠術
師が、「さあ、あなたは死にました」と言ったら、あなたはすぐに死んでしまう。心臓が止まって
しまう。確かに止まる。 これが起こるのは第三の眼のせいだ。第三の眼において、想像と実現は別
のものではない。想像は事実なのだ。想像すれば、その通りになる。夢と現実のギャップはない。
夢と現実のギャップはない! 夢を見れば、それが現実になる。シャンカラが、この世界全体は神
の夢に過ぎないと言ったのはそのためだ――神の夢! これは神が第三の眼に中心を据えているか
らだ――つねに、永遠に――だから、神が夢見たものは何でも現実となる。あなたも第三の眼に
中心が定まっていたら、あなたが夢見るものはすべて現実になる。 シャーリプッタが仏陀のもと
にやって来た。彼は深く瞑想したので、深い瞑想に入っていけば誰にでも起こるように、多くの
こと、多くのヴィジョンが来始めた。彼は天国を見始めた。地獄を見始めた。天使、神、悪魔を
見始めた。しかも、それらは現実的で、あまりにも真実味があったために、これこれこういう
ヴィジョンがやって来たことを仏陀に伝えるために、彼は駆けて来た。
- 67 :
- だが、仏陀は言った。「何でもない――夢に過ぎない。ただの夢だ!」だが、シャーリプッタは
言った。「とても現実味を帯びているのです。それが夢だとは私にはとても言えません。ヴィジ
ョンで花を見ると、世界のどの花よりもリアルなのです。香りがあって、触れることができるの
です。あなたを見ても」彼は仏陀に言った、「あなたが現実だとは見えません。ここで私の目の
前にいるあなたよりも、あの花のほうがリアルなのです。ですから、何が現実で何が夢なのか、
私はどう区別すればよいのでしょうか?」。仏陀は言った。「いま、あなたは第三の眼に中心が
定まっているから、夢と現実が一体なのだ。何を夢見ていてもすべて現実のものになるし、その
逆もまた同じだ」第三の眼に中心が定まっている人にとって、夢は現実になり、現実全体が夢に
過ぎなくなる。自分の夢が現実になり得ると、夢と現実の間に基本的な違いはないことが分かる
からだ。だから、シャンカラが、この世界全体はまさにマーヤ、神の夢だと言うとき、それは理
論的な命題ではない。哲学的な言明ではない。それはむしろ、第三の眼に焦点を合わせた人の内
なる体験だ。 第三の眼に焦点を合わせたら、プラーナのエッセンスが頭の天辺から降っていると
ただ想像してごらん。ちょうど木の下に坐っていて、花が降っているかのように。あるいは空の
下にいて、突然、雲が雨を降らし始めたかのように。あるいは、朝にただ坐っていて太陽が昇り
、光線が降り注ぎ始めるかのように。想像してみるがいい。すると即座に、シャワーがそこにあ
る――自分の頭の天辺から降り注ぐ光のシャワー。このシャワーがあなたをよみがえらせる。あ
なたを新しく誕生させる。あなたは生まれ変わる。
- 68 :
- 文献のコピペ?
著作権とか大丈夫?
引用ってレベルの文量じゃないけど
- 69 :
- ラジネーシかよ
- 70 :
- 私は田母神の顔なんか見ても六十代の醜い顔を想うんだ。
人は六十代七十代八十代になって行くとああいう醜い顔になってくのだろうかと言う気がする。
- 71 :
- さあ坐って瞑想したまえ。
眼を半眼にし、呼吸を整え、景色と音を眺めて。
この無常の現象界の裏側に
漆黒の闇の如く真理の実在界が見えないだろうか?
彼岸への入り口だ。
- 72 :
- 失恋大魔王のアンスは元気か?
- 73 :
- 故郷に帰って地元で働いてるらしい。
あいつは今の自分を作ったのは
自分自身って自覚がまるでない。
全部他人のせいにしてる。
- 74 :
- 今日も空中浮遊するぞ
- 75 :
- >>74
物理的に無理です
- 76 :
- >>40
わかる。
- 77 :
- 老荘思想にハマり過ぎて就活で困った
- 78 :
- 今日から実践してみる
- 79 :
- 福本先生の漫画(カイジとか黒沢とか)を読むと、老荘的(仏教的)な気持ちが失せるwwww
- 80 :
-
Kは悟るという意思を否定した。何かになる、自分を変える。それこそが迷いである。まして悟るための技術など本末転倒。
- 81 :
- >>79
黒沢先生は仏教とは異なる何かを一生懸命学んでおられる御方だからあれでいいの!
- 82 :
- 激しい修行をする仏教家はちょっと福本作品にシンクロするかも
命はもっと粗末に扱うべきなのだ・・・・!
命は 生命は・・・・・・・・・・
丁寧に扱いすぎると澱み腐る・・・・・!
- 83 :
- この…意識が眠っているような感覚…
体を薄い膜で何層となく覆われ…次第に無気力…
何をやるにも大儀で面倒…まるで…薄く死んでいくようなこの感覚
こんな毎日よりましかもしれない……
そう……まだ苦行の方が……!
- 84 :
- クリシュナムルティ・禅・ヴィバッサナー・福本作品実践スレ5
つまり・・・・
困る事に慣れて・・・・・
・・・・
もうたいして困ってないって境地だ・・・・・・・!
- 85 :
- >>82-84
いい境地だなw
それだけ話せるなら、
もっと下に落っこちてもらわなきゃ悟り目指す意味がない。
悟り求める奴どもはそんな苦境は通過済みだろうよ。
さらなる地獄も耐え抜かねばならんと言うのに・・・あっぱれだな
- 86 :
- 出家して40年ほど毎日修行すれば凡人でもまあまあの境地を感じるそうだ。
一喜一憂せず気長に続けよう。
- 87 :
- 嫌いだっ・・・!こういう>>85っ・・・!
立場が上と見ると・・・居丈高っ・・・!
その背景にあるのは、悟りっ・・・・!
警策で叩きのめしたいっ・・・!
オレが・・・・
もしオレが・・・・・
道元
だったら・・・・・・・・!
- 88 :
- なあ、ちょっと聞きたい。
瞑想って
今への気付きとか、瞬間に全てあるから瞬間を生きよ
とか簡単にいうとまあ、そんなとこでしょ?
だとしたら瞑想を日常化したら当然反体制的な行動をとらざるをない。
なぜなら社会は今より将来の目的、幸福の為に今を犠牲にする禁欲的な生き方が美徳になっている資本主義産業構造であるから。
今をおいて他はないのに現在の沸き上がる歓喜を我慢し先送り。
未来のいつかどこかに生活の力点をおいて生きるべしという虚偽の理想に価値があると想わせられて普段我々は生きている。
問題は、今この瞬間の生のリアリティに面前することを拒否してしまうように改造された、ぼくらの実存姿勢である。
これを変容させないとなんの解決にもならない。
と思う。
さあ、皆さんはどう生きるか?
- 89 :
- もう寝ましょうよ。
栗砂無流丁とか全とか美派佐奈とか迷走とか秋田から寝ましょ。
寝るのが最高の修行だろ。
- 90 :
- 原始共産制のコミューンで暮らし瞑想する
- 91 :
- 現司教酸性ですと????
- 92 :
- >>88
いくら瞑想をしても未来を心配し過去を後悔する心は無くなりません。
資本主義だろうが原始共産制だろうが狩猟採取社会、農耕社会だろうが
太古の昔から人間は不安と後悔に苛まされ神様に祈っていました。
心配や後悔する時間が少ないのは、親に保護された子供時代だけです。
心配と後悔を親や親戚などの保護者が背負ってくれたからです。
大昔の大人は、親のかわりに神という観念を発明して神に背負わせました。
自分はもう大人になり、子供の親になったので、親の代わりに神に任せようというフィクションで心配や後悔の負担を減らしました。
しかし、あなたは神を拒否しました。ならば、あなたは自分で自分の心配と後悔を処理すべきです。
- 93 :
- >>92
>しかし、あなたは神を拒否しました。ならば、あなたは自分で自分の心配と後悔を処理すべきです。
もちろん本来人間はそうあるべきだと思っています。
フィクションとしての神というのならいらないですね。
ありもしない存在に依拠するのは空想には違いないし、ありもしない目標のために努力することは徒労です。人間の弱さではあるがあまりに虚無的です。
プラトンもキリスト教もデカルトもあらゆる偉人も必要上呼び名は違うが神というものを発明してきた。
私は神の死を生の中核におくニーチェ流の生の在り方には非常に共鳴できます。
瞑想は自分が神になる作業だとも言えなくはないと思います。
現在の瞬間瞬間に生成消滅し滞りなく流れる刹那滅の無常構造が生の基本形です。
だが社会生活はあらゆる固定的な現実というフィクションを作り出し、流動的に脈打つ快楽原則の生のリアリティを抑制する場所。
剥き出しの生のストレートな発散を、許さないのです。
そんな社会的な生とは別の原理で動く私たちの生の純粋性をフィクションに置き換え幻想に依拠することは本来できないことのはずです。全て虚偽なのです。
虚偽の幻想でできあがった社会でさらに神というフィクションを作り出す愚行。
そうじゃなくて本当の瞑想はフィクションを取り払いリアリティに直面する作業で、自分の中にある神を見いだすことだと思います。
- 94 :
- 他人になんか言う暇あったら、他人になんか言ってしまう自分を見つめたほうがいい
お前もそうしろというレスはいらない
いまそうしますよ、はいはい
- 95 :
- >そうじゃなくて本当の瞑想はフィクションを取り払いリアリティに直面する作業で、自分の中にある神を見いだすことだと思います。
何故坐って静かに呼吸を見つめることが、リアリティに直面する作業になるの?
- 96 :
- >>95
なぜ瞑想イコール「坐って静かに呼吸を見つめること」なの?
瞑想は坐ってやるもんだという偏見ってまだあるんだな
そしてリアリティは特別な現実じゃない。じつにささやかな、ごくあたりまえの、変哲のない、日常の光景である。
たとえばプルーストの文学。
「一口の紅茶が、口蓋に触れた瞬間に、私は身震いした、わたしの中に起こっている異常なことに気が付いて。
・・・一体どこからやってくることができたのか、この力強い悦びは?
それは紅茶とお菓子の味につながっている、しかしそんな味を無限に越えている・・・」
とかね。いつもどこにいてどんな状況でも存在する〈今ここ〉にある現実を我々は知覚できないでいる。
それは我々は、過去の記憶の想起で手一杯で、今のリアリティに覆いをして「別の生」を生きているから。
生や現実がその真相を露見すると、我々は幸福と驚異でみたされた体験をするんだよ。
それは美としか呼べないようなものなんだな。
- 97 :
- >>94
お前もそうしろというレスはひとつもしていない。
問題提起を出して皆で考えることが改善に繋がるんだけどな。
- 98 :
- 考えても実践しないと意味ないやん
このスレのスレタイ的にも
問題提起も皆で考えるのも実践じゃなく実践の手前か、むしろ実践の邪魔だし
実践する人間はつべこべ言う前に実践してる
人前に問題提起したり話し合うのはいまここという実践から逃げる心理でしょ
- 99 :
- ↑分かるよ。喰ったことないやつは喰ってから言えみたいなとこはあるよね。
それは分かる。
だが実践とはなんだろうか?と頭から血が出るほど深く考えないで思考を侮蔑する体験至上主義はいただけないな。
きみはこのスレで今ここの体験だけを書けば満足なのかい?
そうであれば、レス書き込み自体を批判する発言だし、そうなればみんな何も言えなくなるよ。
俺は今ここの実践そのままを書き込みに繋げるつもりではいるが。
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