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2012年3月日本近代史18: 海軍兵学校と陸軍士官学校について (565)
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伊藤之雄 総合スレ パート2 (360)
海軍兵学校と陸軍士官学校について
- 1 :
- エリート教育
- 2 :
- 帝国壊滅しましたがなwwwwwwwwwwwwwww
- 3 :
- 海兵の五省は現代にも通ずる
- 4 :
- 4様
- 5 :
- 5様
- 6 :
- 6様
- 7 :
- 7様
- 8 :
- 今の東大レベルなんだろ?
- 9 :
- 軍的保守
- 10 :
- 軍的保守
- 11 :
- >>8
一高>三高=海兵>陸士だろうね。陸士は大正期まで、幼年学校出身者が
主流で中学卒はスペア的扱いだったと言われている。
海兵は採用数が少ないので、陸士より難しいと評価されたと思う。
質は同じじゃないかな。
- 12 :
- で、陸軍省、海軍省の官僚になると、文官官庁の官僚より偉かった?
- 13 :
- >>8
俺の亡くなった明治生まれの曾爺ちゃんから聞いた話だが、
単純に学力のみの平均値なら東大(一高)の方が上だったそうだが、
海兵合格には当然、屈強な肉体も必要で、勉強のみのモヤシ君では不合格になるから
海兵落ちの一高合格も珍しくなかったそうだよ。
勉強のみなら東大(一高)が上で文武両道のトータルバランスなら海兵が上だろうね。
まあ、国民から羨望(エリート扱い)されてたのは一高よりも圧倒的に海兵だったそうだが。
何でも海兵の生徒さんは女性にモテモテで地元の英雄扱いだから曾爺ちゃんは男ながらに嫉妬してたってさw
- 14 :
- >>12
建前上は同格です。
ただ、原則的に官僚の世界では内務官僚が一番。
昭和前期の一時期は確かに軍の方が強い時期があったけど、それはむしろ例外期。
また、陸軍省や海軍省の中枢で仕事しようと思ったら、陸大や海大を出てるのが原則必須。
ところが、旧制高校はそのまま帝大に上がれるのに対して、陸大や海大は陸士や海兵を出た中のごく一部だけ。
一高に入れる実力があるなら、素直に一高に行っといた方が楽に官僚になれるでしょう。
- 15 :
- 陸士、海兵の教育は天下の俊才を四年間で石頭にする教育だったと酷評された。
それに反し旧制高校の教育は自由自治が尊重された。
秋山真之が正岡子規に、兵学校の生活はイタチのように動きまわっていると
ぼやいていたな(笑)。
- 16 :
- 坂の上の雲の再放送を見たけど、同意。
- 17 :
- >>3
井上成美は海兵校長時、せっかくの有望な人材を
画一的な軍官僚にしてしまうと五省唱和を禁止した
こんなもの誰が作ったんだと怒っていたそうだ
- 18 :
- 防衛大も石頭にする?
折口とかでてるが、、
- 19 :
- つか、秋山真之の時は、
そもそも五省なんてもんなかったわな。
- 20 :
- >>17
艦隊派の末次が作成に関わっていたらしく
末次が嫌いで五省を批判した可能性もあるのかな
と勝手に思ってる
- 21 :
- >>18
防大が折口を石頭に出来てればなw
まあ、洗脳教育も催眠術と同じでかかりやすいのもいれば逆もいるから限度があるが。
- 22 :
- >>14
>ただ、原則的に官僚の世界では内務官僚が一番。
内務省は、文官高等試験の上位合格者だけを採用したわけではない。
たとえば後藤田なんかは、真ん中あたりの合格。
文官高等試験の上位合格者が行ったのは大蔵省。
東条英機が、主計官の福田赳夫に最敬礼したなんていう逸話もある。
- 23 :
- 五省の内容ではなく、一律に押し付けるやり方に井上は反対したのだろう。
海兵の記録映画「勝利の礎」では、一生徒の発声に他の生徒は黙想するのみで
唱和はしてなかった。ちなみに校長は草鹿任一で、平柳育郎生徒の恩賜の短剣を
拝受するシーンは印象深いものがあった。
- 24 :
- >>22
>東条英機が、主計官の福田赳夫に最敬礼したなんていう逸話もある。
へぇー、そうなんですか。
自分が小学生の頃首相だった福田氏は、「ハーホー」しか答弁ができない
老いぼれキャラ(谷岡ヤスジの漫画)としか印象に残っていないので意外です。
いかに大蔵省の俊才とは言え、30歳代の一官僚に宰相・陸軍大将の東条が
最敬礼をしたというのは、にわかに信じ難いので、よろしければ逸話をもう少し
詳しく教えてください。
- 25 :
- >>13
海兵は仮に今いても間違いなくイケてるメンズだな。
頭脳明晰で運動神経抜群であの制服に短剣姿だ。
その上、会話の中にユーモアを交える習慣があったそうだし。
女からモテる要素だらけの最強のイケメン集団だろ。
- 26 :
- >>24
ありえないでしよ、
独裁東條が一高文に、
- 27 :
- >>24
東条が満州の関東軍にいた時のことだよ。飛行場まで出迎えに来た時のことだろう。
まあ、軍の予算を決めるのは主計官だからそのくらいのことはするだろう。
福田の自慢話だな。
- 28 :
- >>24
そうそう。
東条が関東軍参謀長だったときの話だよ。
- 29 :
- 一高と海兵のどちらが難しかったかは、時期によるみたいだね
亡くなった祖父の話だと、海兵受かったっていったら、それこそ村の誇りだったと
田舎だったからかも知らんが
- 30 :
- 旧制一高→東京帝国大学
のコースは、高い学費が必要。
陸士と海兵は授業料がいらない上に、給料までくれる。
- 31 :
- >>30
国立だから安いんじゃないの?
- 32 :
- >>31
戦前のある時期までは、国立の旧制高校→帝国大学のコースより、私立大学
のコースを進んだ方が、学費は安かったそうだ。
今より官尊民卑の傾向が強かったからかね。
- 33 :
- >>30
衣食住保証+給料付。おまけに平時でも上手くいけば大臣や総長。
戦時に手柄を立てれば華族の仲間入りとくれば、貧乏人の希望の星だわな。
もっとも、海兵の食パン+味噌汁なんて朝食にあこがれた奴がいるかどうかは疑問だけどw
- 34 :
- 俺も海兵の食事にびっくりしたわ。あの量で武道、カッタ訓練、棒倒しを
やったんだね。
- 35 :
- 付け合わせは微量の粗目砂糖だけ。
やっぱり、パン頬ばって、味噌汁で流し込んでたのかなあ…オエッ!
- 36 :
- 日露戦争の勝利は、鳥羽伏見、西南の役を経験した司令官と陸士、海兵出身の参謀との
役割分担の成功にあった。太平洋戦争では陸大、海大の学校秀才が司令官として
指揮をした。司馬さんさんはその差を指摘していた。
- 37 :
- >>36
でも、日露は金回りでギリギリの勝利
- 38 :
- その「金回り」の判断で
ギリギリの勝利に持って行くことが出来るかどうかの違いだろう。
- 39 :
- 司馬史観は明治と海軍に寛容で、昭和と陸軍に厳しいからね。
- 40 :
- 司馬遼太郎に限らず、戦後は海軍善玉陸軍悪玉史観が圧倒的に強い。
阿川弘之も米内光政、山本五十六、井上成美などを持ち上げてる。
- 41 :
- 司馬と阿川じゃあ、むしろ司馬の方が海軍マンセー度は高いよ。
隣の芝生は青く見える類だね。
- 42 :
- >>36
エントロピーの法則だな。
旧時代の価値観が残り、新時代の価値観とぶつかる革命後30?年ぐらいが、
最も国力が充実する。旧時代の価値観が消滅すると国力は衰退に向かう。
満州事変を起こし日本が一気に軍国化するのが明治維新から62年目の1931年。
1945年敗戦で戦前戦中派が実権持っていた1975-1990年ぐらいが日本の最盛期。
戦前戦中派がどんどん引退した1990年頃から日本はひたすら衰退している。
- 43 :
- >>42
どんな組織でも肥大すれば、官僚化が進む。官僚制度の悪弊の最たるものが
誰も責任を負わないシステムの存在であろう。司馬さんは昭和の陸軍にそれを
みたのだろう。ノモンハンの辻、服部であり満州事変の板垣、石原の責任は
不問に等しい処分だった。
物理は苦手だったので、そうですか、としか言えません(笑)。
- 44 :
- 責任取らないという意味では海軍もひどかったんだけどねえ。
ま、陸厨みたいに海軍の方がひどかったという気も
海厨みたいに海軍はまだマシだったともいう気はないけど。
- 45 :
- アサヒビール名誉顧問の中條高徳さん(1944年に士官学校入学)の本では、
当時の陸士は現在の東大よりはるかに権威の高い学校だったと記載されている
受かっただけで「家門の誉れ」「郷土の栄誉」だったとさ
- 46 :
- ヘタレな将校のせいで陸士のイメージが…
- 47 :
- >>45
権威それ自体が鴻毛の軽さしかない
現在と当時を比較されてもなあ。
- 48 :
- 戦前の学校制度は八ケ岳型だった。東大はその中の官吏養成の最高峰。
実業界を目指すものは一ツ橋神戸高商に、教育界は東京高師に進学した。
東大卒がこの世界に入っても大きな顔はできなかった。
戦争中に赤紙がくれば、学歴無用の世界が待っていた。インテリの軍部嫌い(特に陸軍)は
この体験にあると思うよ。
- 49 :
- >>48
海軍は、短現制度で、東大卒を上手く味方につけたね。
陸軍の赤紙だと2等兵だが、海軍の短現だと、いきなり主計中尉。
戦後、官界や財界の幹部に短現出身者が多かった。中曽根もそう。
これは、海軍善玉陸軍悪玉史観にも影響を与えているだろうね。
- 50 :
- そもそも東大内務省、富豪議会の失政の受け皿が陸軍だからな
- 51 :
- つっても、陸軍だって結局は入営した大卒の二等兵をすぐに幹部候補生にして初級将校に当ててたんだから、
遠回りしてるだけで結局は学歴を優遇してるんだけどね。
何しろ、幹候の試験を白紙で出したのに合格した、て話もある位なんだから。
本音は陸士出身者の軍内特権意識と高学歴者へのやっかみ、さらに当時の社会主義的風潮から、
軍の平等性を建て前を崩すと下克上が下士官まで普及しかねないのを恐れたんじゃないの。
- 52 :
- >>51
その幹部候補生選抜者がけっこう古兵サンに目をつけられて初年兵期間
虐められたのよ。
- 53 :
- >>52
なまじ平等を建前にすると
かえって陰惨なことになるいい例ですな。
- 54 :
- 板垣と石原のコンビは現地の満州では人気があったんだね。
満州産まれの小沢征爾は二人の名前の一字ずつをとって、親が付けたとか。
- 55 :
- >>54
池田満すお、もね
- 56 :
- 祖母の話だと、海軍の若い将校は、格好いいので女子学生の憧れの的だったが、
陸軍士官は野暮ったいので、そうでもなかったそうだ。
- 57 :
- そういや海軍、特に士官の人は今で云うキムタクとかのジャニーズ系タレントみたいにモテモテだったらしいね。
陸は聞いたことないな。
でも航空隊は陸も海も関係なくモテモテだったみたいだ。
- 58 :
- モテモテといっても、江田島に隔離されていて、どこで女と出会うんだ
- 59 :
- つか、隔離するために
築地から江田島へ移転したわけで。
- 60 :
- 海兵を卒業して、少尉に任官したらの話だろ。
- 61 :
- それもねえ。
勤務地は海の上か横須賀、呉、佐世保、舞鶴…
海軍省や軍令部勤務もそんなに数はいないだろうし…
陸軍に比べると、そもそも見かける機会が限られるのよね。
- 62 :
- 海兵生徒
スタイル〜七つボタンのジャケット、腰に短剣
世間の眼〜中間層の文武両道の青年
旧制高校生
スタイル〜弊衣破帽、腰に手ぬぐい
世間の眼〜富裕層の秀才の坊ちゃん
乙女の心をくすぐるのは前者だな。弊衣破帽がエリート意識の裏返しだと
言うことが透けて見えるからね。
- 63 :
- 今の東大と違うのは
将来が約束された超エリートだということ
小さい頃から塾通いの軟弱者ではなく、精神的にも体力的にも強靭
東大だとアスペとかコミュ力不足でも勉強さえできれば入れるが、そんな人は海兵にはまず入れない
これでモテナイはずがない
- 64 :
- 海兵の入試には面接があったね。陸士はどうだったんだろう。
帝大には面接はなかったはず。学力オンリーだね。
- 65 :
- >>62 >スタイル〜七つボタンのジャケット ×
それは予科練。海兵生徒は今の防衛大学の制服と同じ。ただし明治時代は
ボタンスタイルだった。
当時一般的に文武両道だった。旧制三高が舞鶴の海軍期間学校とスポーツ交流を
していが引けをとらなかった。
- 66 :
- >>64 海兵は旧制高校と同格で、帝大と比較するなら海大が相当する。
帝大は今の大学院入試に似ていて旧制高校卒業者ならほぼ入れた。
学科を選ばなければナンバースクール以外からでも東大にほぼ無試験で入れた。
- 67 :
- 東大も文学部くらいならほぼ無試験で入れたけど、
その代わりこの時代は、たとえ東大であっても、文学部では就職先に困る時代だったので、
単に帝大というだけなら、無難に勤めれば名誉大佐くらいまではなれる軍人の方が安定している。
ただし、やはり東大法学部は別格。
ここを出て高文を受かれば、軍人に例えれば少将クラスまでは鉄板。
軍人の場合も陸大海大を出ればほぼ同格だが、働き盛りの少尉中尉時代にかなり受験勉強しなければならない。
- 68 :
- >>65
制服は第一種と第二種と有ってだな、冬服は今の防衛大学校と同様の型だが、夏用の
第二種は上下白の七つボタンの短ジャケットだよ。
因みに、予科練は兵学校と同様の七つボタンになって以降(昭和17年近辺の記憶)が俄然
人気爆発だった(らしい)。勿論夫れ迄は普通に四等水兵扱いだから、甲飛も乙飛も訓練中
は事業服にお出かけや閲兵は水兵服。
兵学校との差異は、冬服の前立の処理の差で、冬も夏も七つボタン。
- 69 :
- >>67
高文の行政も司法も、昔は私大結構受かった
- 70 :
- 東京帝大以外の帝大から高文受かって官僚になっても、あんまり出世
出来ないがな。旧制高校の寮生活をしていない私大はもっとダメ。
司法官僚は、戦前は二流官僚だから、東京帝大以外でも、そこそこ
出世できた(司法官僚二流論)。
- 71 :
- 陸士の制服は地味だな。一兵卒のそれとほぼ同じ。
肩章は星のない赤タンで襟章は星一つ。違いはこれだけ。
将校生徒といえども兵卒から出発させる意図があったのかな?
- 72 :
- ○○の学校が良いってのは半分本当で半分デマだからな
単純に出世したい奴が集まってるだけって話で
それを真に受けて子供を無理矢理入れたりするとオチこぼれ確定だし
- 73 :
- >>71
確か伍長相当で、兵卒ではないはず。
- 74 :
- 出生したい人間が出世する奴の多い大学、学科に集まりやすいだけ
例えば就職率100%の学科があるとすると
前評判を聞いた就職を第一に考える学生が集まってくるから
結果的にその学生達が就職活動を努力して保たれるだけ
- 75 :
- >>73
予科在学中は階級なしで、卒業時に上等兵。本科に入学後、隊付期間中に
伍長に昇進。隊付を終えると軍曹となって東京の本科に戻ってくる。
- 76 :
- 文官高等試験受かっても、勅任官(少将以上)になれるのは、
半数以下。陸大出れば80%以上が勅任官。海軍は、海大卒
云々より、海兵卒業時の席次がものをいう。陸幼→陸士のま
ま将校になれば陸士だけを出たものよりも進級は早い。大佐
で退役なら、文官高等試験組の大半より、位階勲等は上。
- 77 :
- という制度が敗戦の悲劇をもたらした。
- 78 :
- >>76-77 防衛大学卒は国家U種扱いだけど、陸大、海大相当の過程を経て
将官になる人は国家T種と同格になるよ。
今でも、勉強はそれほどでもないが、体力やリーダーシップとの総合値で優れている人は
自衛隊が公務員としての出世コースだ。
- 79 :
- >>76
東大法学部を出てると同じ高文でも
最初から「本省組」と呼ばれて別扱いになるんだよ。
- 80 :
- >>77
途中までは上手く行ってたシステムも時間と共に問題が出てくるからな。
今の日本と同じだw
- 81 :
- >>79
池田勇人は大蔵官僚だったけど、京大卒だし、病気で休んでたりしたから
エリート官僚ではなかったんだよね。だから公職追放を受けなかった。
- 82 :
- 今の東大を凌ぐエリート校があったのに、ほとんどの人は知らない
一般の人々の記憶から抹された幻の学校
教科書にも載ってないし、テレビでも一切やらない
未だに報道規制が続いてるのかね
- 83 :
- どこだよ、それ。学校名を書いてみろ。
- 84 :
- >>45の本が本屋にあった。
旧軍を全否定する気はないが、帝国陸海軍はどう考えても
大日本帝国を破滅に導いた元凶組織でしょ。
そりゃ今でも通用するいい教育もあっただろうが
基本的には「反面教師」として見るべき組織だと思う。陸士や海兵は。
- 85 :
- >>45,>>84 1944入学なら戦時で定員が水増しされているのでそんなに権威じゃないよ。
大正時代は陸士海兵あわせても今の防大の定員にはるかに及ばなかった。
>>82 もしかして海兵のこと??? 1970年代は「海軍式経営」とかが大ブームで
ものすごく取り上げられていましたけど。
生き残りはコンサルタントとして講演などで稼いでいましたよ。新入社員研修のときの先生が
「五分前」とか「アイアンバーではいけないフレキシブルワイヤーたれ!」とか盛んにぶってました。
- 86 :
- どんな制度も完全無欠なものはありえないのであって、欠点はある。
要は組織を運用する人間にその欠点を最小限に押さえ込む力、能力が
あるか否かが問題であって、組織自体を否定する考えはどうかと思う。
明治の日本が置かれた立場を考えれば、軍は必須の組織だろう。
政党の腐敗が軍部の独走を招いたことが破滅の原因である。
- 87 :
- >>82
釣り
- 88 :
- >>84
>大日本帝国を破滅に導いた元凶組織でしょ。
海兵の卒業席次がモノを言った海軍は海兵だろうけど、陸軍の場合は、陸士
というより陸大というイメージなんだな。
- 89 :
- ここの人達には海兵・陸士は常識かも知らんけど
一般の人は、ほとんど知らないよ
特に最近の若い人
- 90 :
- >>89 自分は1957年生まれで、陸士海兵出身者は教師や会社の上司などそこらじゅうにいた。
海兵出身者だけでもリアルに話した人で20人はあげられる。戦前の話は強制的に耳に入ってきていた。
自分の小学校も日教組の巣窟にみたいに言われていたが、それでも運動会は日の丸に敬礼して軍艦マーチで
行進していたものだ。若い人は今のような戦後社会が敗戦後ずっと続いてきたと思っているようだが、
「制度は戦後で年配者の意識は戦前」という時代がしばらく続いたんだ。年配者が「高等学校、高専」
というとき相手の年齢から旧制か新制か瞬時に判断して話をあわせる能力が要求された。
ところが、10歳下くらいの人くらいから戦前の話がまったく通じなくなった。「君のお祖母様は県立高女ですか?」
と40歳位の人に聞いたら「??????」だったのでこっちも吃驚した。
- 91 :
- 昭和16年以前の陸士や海兵が難関だったのはともかく、
それ以降も定員がそれほど増えず軍国主義の思潮の強い
後押しもあり俊秀が到したのは陸幼。陸幼出身者には
たしかに優秀者が多かったが(作家の加賀乙彦やなだい
なだもそう)、戦後、時流に乗れない者もまた多かった。
13〜14歳からどっぷりと一定の価値観に染められて
しまったからねえ。
- 92 :
- フロッピーディスクを知らないヒトも確実にふえている。
- 93 :
- 戦前50人編成の中学で成績1位2位ぐらいまでが 旧制高校に合格していた。
- 94 :
- 海兵の魅力のひとつに卒業後の遠洋航海が挙げられる。
時代によって訪問国は異なるけど、大正時代はパナマ経由で欧州、地中海
まで往っているね。当時の青年にとって欧州に往けるなんて夢のような
出来事だろう。
- 95 :
- うちの爺さんは昭和13年に地元の中学を卒業。進路を卒業生名簿で見ると
(大学卒は最終学歴になっていて高校名は不明。大学名も新制大学名になってる
のもあり当時の名前のもあり、ややこしい)、学年180人中、陸士5名、
海兵1名、東大6名、他の旧帝大7名、東工大・一橋・東京外大など他の国立大11名、
私立大33名、師範学校7名、国立医大6名、医専11名、歯薬専2名、
高商・高工・高専32名、陸工・予科練など軍学校6名、実務学校19名、
芸術系大2名、高校4名、になってる。
この数は卒業者で、「陸幼に受かった奴は中学2年で行ったし、中学4年で
一高に受かった秀才は名簿に入ってない。卒業してないからOB会も入れず、
彼等のほとんどが音信不通で気の毒だ」と言っていた。
ちなみに戦死者22名。海兵や海軍関係の学校行った3名は全滅。
陸士は5名中戦死は1名。陸工など陸軍関係の学校行った4人中戦死は1名。
ちなみに爺さんも戦争で死にたくないから陸軍主計学校を受けたが落ちて、
仕方なく早稲田の予科に行った。5つ上の兄の世代は「一高突破」が
中学生の最大の目標だったが、軍国色が強まると軍学校の難易度が
ぐっと上がったと言っていた。当時、二等兵で引っ張られる初年兵教育のエグさは
誰でも知ってたから、皆がなんとか軍学校に滑り込んで将校になりたかったらしい。
関東の田舎だがら陸士目指す者が圧倒的に多く、海兵は少なかったみたい。
ちなみに師範学校は全員地元。私大も2名を除き東京の大学。早慶・日大・中大が多い。
(東大除く)旧帝大や国立医大は当たり前だが全国に散ってる。台北大や満州医大のような
外地も多い。時節柄だろうが実務学校も満州が多い。満鉄付属学校や満州の外語学校とか。
- 96 :
- 秀才ぞろいの中学のように思えるんだけど
普通の公立中学ではないよね
- 97 :
- 関東の田舎とあるから、群馬なら前橋高崎、栃木なら宇都宮、茨城なら水戸中学じゃないの。
昭和12年の日中戦争勃発により、13年の陸士の合格者は例年の500前後から1300と
一気に増加してる。
- 98 :
- 中学校にすすめるのは20%程度、
高等学校・帝大というコースを進めるのは1%未満、
というのを読んだ記憶がある。
そこそこ大きなマチの「イイ学校」でしょ。
- 99 :
- >>97
>群馬なら前橋高崎、栃木なら宇都宮、茨城なら水戸中学じゃないの
95だけどそんな一流中学じゃないよ。半分は進学していないしね。
生徒も地元ばっかりの田舎町の小さな中学校。
ただ地元に強力な地場産業があるので旦那衆がいて、カネにモノ言わせて
優秀な教員を関東一円からかき集めて来たり、育英資金を作って貧家でも優秀な子は
進学させていたので、田舎の小さな中学なのに、県トップ高に続くくらいの
一高や陸士合格者を出していたらしい。東京や横浜から先生が来ているから
中学なのに珍しくリベラルで明るい雰囲気だったけど、学期ごとの成績が1位から最下位まで
学期末には廊下にズラリと張り出され、夏休みや冬休みはそれを町の人が見物に来て
キツかったと言ってた。親も通知簿など見ないで、学校に貼られた成績表を見に来るのが
恒例だったらしい。その成績表を見て娘の婿を決める親も多かったらしい。
旦那が娘の婿用に貧家の次男坊を婚約でキープして、進学費を払ってやって
一高在学中に学生結婚するケースも多かったと言ってた。
戦後は学区制や教育標準化でそういう事も出来なくなって
ただの田舎の県立高校になってるけど。
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