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2012年3月日本史10: 【つはもの】武士の起源と成立2【もののふ】 (251)
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【つはもの】武士の起源と成立2【もののふ】
- 1 :
- 氏姓制度時代の軍事氏族、国造から
律令時代の軍事官僚、軍団、健児制、
さらには王朝国家時代の軍事貴族の誕生に至るまで、
在地領主的武士論、国衙軍制論、そして職能的武士論などの諸学説を基本に据えながら、
古代〜中世初期(萌芽期〜成立期)までの「武士」について、多角的観点から幅広く語って参りましょう。
前スレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1292733807/
- 2 :
- >>1
乙!
- 3 :
- 武士とは土地の重層的支配構造を包括する封建制の萌芽と共に生まれた自前を前提とする軍事的アイ念。
- 4 :
- >>3 (訂正)
武士とは土地の重層的支配構造を包括する封建制の萌芽と共に生まれた自前を前提とする軍事的概念。
- 5 :
- 源満仲は怪しい。
経基の養子になったんじゃないのか。
義家の3兄弟が新羅系の神社で元服しているのも怪しい。
- 6 :
- 前スレ
>>998
なに埋め逃げしてんだ!
この学力障害児がw!
>そう思い込んでるのはお前だけだろ。
>2ch
だろうが何だろうが、
論拠も出せないクセにお前が北条氏の出自問題に関して俺に粘着してくる前までは、ここのスレ住人はそれなりの論拠を挙げながら持論を展開するということをちゃんとしてきていたよ。
ソースも示せずに読むに耐えない長ったらしい駄文の連投荒らししてくんのはお前だけ。
>こんな所で吠えてる暇があったら早く社会に出て働けよ。
やけに「ニート」とか「働け」とかいう表現が多いようだが、こんなセリフは自分自身に親和性が高くないとまあ出て来んわな。無職君w!
てかお前「あ庄屋」だろ?
散々論破されてよほど俺に対して含むところがあるんだろうが、俺を恨むのは筋違いもいいところだよ。
恨むんなら池沼に生まれてきたテメエ自身を恨めw
そしてウゼーから「庄屋スレ」にでも引っ込んでろ!
- 7 :
- >>3-4
>自前
ってなに?
もしかして「自立救済」のことw?
- 8 :
- >>5
前スレや悪源太スレその他でも多々指摘を受けてきてきたことだよね。
『分脈』によれば、貞純‐経基‐満仲のなんと3代にも渡って年齢(生没年)矛盾がある。
2代だけならまだしも、3代に渡ってというのは確かにおかしいと俺も感じている。
- 9 :
- んなもん、あんまアテにならんぜ。
アテにならんぜ、っちゅのは年齢のこと。
この時代なんて、親王・内親王レベルだって生年未詳なんてザラなんだから。
- 10 :
- だがなあ、『分脈』を著した洞院公定は当代一流の、いや超一流の博学だ。
その公定が不明なら不明と記入すれば良いだけのことを(現にそうしている部分も多い)わざわざ生没年まで記入してるのが気になるんだよ。
ぶっちゃけ知ってて記入している節があるんだよなあ。
- 11 :
- 知ってて記入とかっつーんじゃなくて、
そういう資料があったからそう書いたんじゃねえの?
経基とかいろんな生年説があるしな。
清和源氏にばっかいちいち気ぃ使ってられねーだろ。
- 12 :
- >>11
> 経基とかいろんな生年説があるしな。
『尊卑分脈』でも『勅撰作者部類』でも、いずれの記載でも父経基の方が、息子満仲よりも年下になってしまっている。
幕末編纂で参照史料としては注意を要する『系図簒要』になってはじめて経基‐満仲の年齢逆転現象が解消される。
> 清和源氏にばっかいちいち気ぃ使ってられねーだろ。
『分脈』の編纂は南北朝期から室町初期だから(つまり足利将軍の時代)、むしろ清和源氏に「最も気を使わなければ」ならない時期。
洞院公定はあえてその時期に清和源氏の正当性に疑問符を投げかけられかねないような代物(=『尊卑分脈』)を出しているんだよ。
- 13 :
- おれは、尊卑分脈は貞純親王と経基の享年を差し違えたと思ってるけどね。
たしか、貞純60代、経基40代じゃなかったか?
実は逆だったと。だって貞純親王60代なんてあり得ないもんな。
足利の清和源氏に気ぃ使うんなら、
それこそ年齢関係が疑われる部分なんて享年不詳(生年不詳)にでもするだろさ。
- 14 :
- >>13
いやあ貞純‐経基間はね、別に
>差し違え
たりしなくても『分脈』の記載通りでも、一応は筋を通そうと思えば通るんだよ。
だって貞純は父親だからね。
息子経基の生まれる前年に死んでいるからといって父親の可能性が無くなるわけではないから。
母親だとこうはいかんがw
>貞純親王60代なんてあり得ないもんな。
何故あり得ないの?
- 15 :
- だって貞純親王て916年没だろ?
60代じゃ父・清和天皇がまだ幼児だった時の子供になっちまうぜ?
- 16 :
- つまりこういうことだよ。
尊卑分脈の記述どおりだと(詳しい年齢は今確認できないが)、916年に貞純親王が60代で没したということは850年代の生まれ、
960年頃に経基が40代で没したということは父・貞純親王が没する頃の生まれで、
君の言うとおりなんとか貞純−経基間の親子関係は矛盾無く説明できる。(ただし清和帝は850年の生まれなので清和−貞純間が破綻)
しかし997年に85,6で没した満仲は、経基の子供世代どころか先に生まれたことになってしまうと。
いっぽう差し違えだとすれば、貞純親王は916年に40代で没すなわち870年代の生まれ(父・清和帝は20代)、
960年頃に経基が60代で没してるとすれば生年は890年代で、父・貞純親王は20歳前後、
そして満仲が912ないし913年生まれなら、これまた父・経基との年齢関係もスッキリすると。
- 17 :
- そういえば、桓武平氏とかも怪しいと評判だったよね。
藤原経清とかも国司から「お前はどうせニセモノ」とか言われてたし。
- 18 :
- 名前 生年 没年
清和天皇 850 880
貞純親王 873 916
経基王 917 961
源 満仲 912 997
- 19 :
- >>17
桓武平氏については初代高望の父・高見王の実在を疑う説もあるということですよね?
> 藤原経清とかも国司から「お前はどうせニセモノ」とか言われてたし
これは寡聞にして知りませんでした。
>国司
って誰ですか?
また出典も教えて下さい。
- 20 :
- >>18 『尊卑分脈』による名前・生年・没年
清和天皇 850 880
貞純親王 853 916
経基王 917(921) 961
源 満仲 912(913) 997
- 21 :
- >>19
出典は忘れたが、藤原登任という国司。
- 22 :
- 畠山といえば、秩父氏の子孫て他に誰かいるの?
- 23 :
- >>16
>差し違え
説たしかに面白いね。そして、経基890年代(897年生まれ)生まれと記しているのがまさに>>12で述べた幕末編纂の『系図纂要』であるわけだ。
だが、経基が890年代生まれだとすると皇胤であり、特に2世源氏ともあろう経基が938年に初めて官職(武蔵介)に就いた時の年齢が40〜49歳となってしまい、2世源氏の初任官としてはこれは余りにも遅すぎる。
また、将門との衝突で都に逃げ帰った時に坂東武者たちから「いまだ兵の道に練れず」と嘲笑され、青二才扱いされたのも同938年のこと。
そしてなによりも、「讒言の功」により従五位の栄爵に与ったのが翌939年のこと。従五位以上が貴族階級になるので、「皇胤」経基は40代になるまで貴族階級の末端にも列することが出来ていなかったことになり、これはいくら何でも不自然すぎる。
このように、清和源氏の初期は、
あちらを立てれば(整合性を合わせれば)こちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず
といった具合に、>>5氏の述べたように
>怪しい
部分がちょっと多過ぎると俺も考える。
- 24 :
- 「清和源氏」は、実際には清和帝でなく陽成帝から起こったともいう。陽成帝は奇行・悪評で知られていたので、それを忌避したものらしい
- 25 :
- >>23
解説してあげよう。
清和帝の遺命で皇孫(2世源氏)は蔭位の制での叙位は正六位であり
それを回避する為に陽成帝の皇孫と偽ったが露見してしまい位階を剥奪され
しかも陽成帝の皇孫の系譜がそのまま記録として残ったってこと。
- 26 :
- 名前 生年 没年
陽成天皇 869‐949
元平親王 891(〜895頃?)‐958
経基王 917‐961
源 満仲 912‐997
※元平親王の生年は不詳により、同母兄・元良親王の生年(890年)より推定
- 27 :
- ↑を見ると、陽成天皇やその親王たちの生年から、経基「王」の890年代生年説は成り立たないでしょう。
- 28 :
- もう一度書き込むぞ。
経基王の本来の初叙位は清和帝の遺命で皇孫(2世源氏)は蔭位の制での叙位は正六位であり
それを回避する為に陽成帝の皇孫と偽ったが露見してしまい位階を剥奪され
しかも陽成帝の皇孫の系譜がそのまま記録として残ったってこと。
- 29 :
- そんな説あるの?
- 30 :
- 武士の起源と本質は在村地主
- 31 :
- 武士の起源と本質は異民族傭兵
- 32 :
- 武士の起こり=開発領主の台頭
中央貴族社会との決別=武士の世の幕開け
- 33 :
- >>28
源経忠の王氏爵不正事件ね。
経忠=経基と考えられるとする説。
清和帝以外の皇孫は蔭位で従四位下に直叙されてたので陽成帝の子である元平親王の
子に成りすまして露見した事件。
- 34 :
- >>33
それだと時系列がおかしくなる。
氏爵偽装事件は西暦953年の出来事。
事件の首謀者である源「経忠」が=源「経基」だとすると、経基は西暦940年に恩賞によって従五位に叙爵しているのに、その後になって改めて自身の出自を清和源氏から陽成源氏に偽ったことになってしまい筋が通らない。
それに
>陽成帝の皇孫の系譜
なんて全く存在しないよ。
頼信が岩清水八幡だか誉田八幡宮だかに奉納したという「頼信告文」の写しが唯一の物証。
- 35 :
- なんか事情があったのかね
- 36 :
- >>19
尊卑分脈より早い時代に成立の将門記では将門は桓武天皇の五代孫と
あるし、もしかして改竄か間違いなんじゃないのと思う>高見王
平氏だと忠盛の姉が源義忠に嫁いでいるのに、忠盛の娘とか
間違った表記されているし尊卑分脈って間違いも結構多いから
- 37 :
- ほぼリアルタイム成立の陸奥話記で五代後の子孫と書いてあるならそちらの方が有力かもね。
或いは実在説を取るとしたら、あまり記録に残したくない存在だった(例えば知的障害者だったなど)とかかな?
- 38 :
- 王家だってさ
- 39 :
- 時代考証はあの高橋昌明だからねえ。
- 40 :
- 専用スレが立っているよ
- 41 :
- 武士の本質は封建領主。
- 42 :
- 封建領主はみな武装していた。
当たり前。トートロジー。
後代に使い捨て戦闘員からの成り上がりが武士に昇格したり、それに準ずるようになったけど。
- 43 :
- http://kamome.2ch.net/english/
- 44 :
- 西ヨーロッパと日本でだけ封建制が成立して、だからこの地域が
近代化に成功したんだね。
- 45 :
- 西ヨーロッパと日本でだけ封建制が崩壊して、だからこの地域が
無節操銭ゲバ・エコノミック・アニマルに成功したんだね。
- 46 :
- >>44
封建制の萌芽が芽生えた国なら他にも幾つかあったけど、まともに体制として機能したのは、日本と西ヨーロッパの2地域だけだね。
- 47 :
- 封建制の崩壊が資本主義近代化をもたらしたってのは正解だね。
例えば現代中国で巻き起こってる経済発展は共産党中央と人民解放軍のジュニア世代の
特権と資本を起源にしてるからね。
- 48 :
- 封建制と西洋(特にドイツ)のフェーダリズムと日本の奉公制は全く別物。
ごっっちゃにすんな。
- 49 :
- 主従制と恩貸地制と軍事的奉仕のセットが封建制の本質。
西欧と日本で全く同じ。
- 50 :
- イスラームのイフター制は?インドのザミンダール制は?
- 51 :
- >>48
その通り。
しかも、ドイツから北フランスの一部でしか行われてない。
騎士は何人の王と契約してもOK。日本の封建とは全然違う
- 52 :
- 貴族の用心棒的な郎党が、領地の開拓までやらされてたってのが通説だけど、あんまりイメージ湧かないですよね。
- 53 :
- 中国なら周代が封建時代だが断絶、朝鮮なら高麗の代が封建制になりかかったことがあったがすぐにフェードアウト。
結局成功したのは西欧と日本だけだね。
- 54 :
- >>53
だから、そこらへん名前が一緒なだけで中身が全然違うから。
マルクス史観の歴史の進歩段階としての封建制として解釈するとわけがわからなくなる。
ドイツのフェーダリズムに中国の古代封建制を訳語として当てはめたせいで起きた混乱だが。
- 55 :
- 江戸時代にすでに幕藩体制を封建と呼ぶ学者はいた。
- 56 :
- >>55
それは儒学者にとっては古代シナの封建制が理想だったから、今の徳川幕府はそれと同じだと主張したかったんだよ。
フェーダリズムと何の関係も無い。
- 57 :
- 孔子は周代の聖賢の政治を理想とし、論語の中で周の封建制こそ最良の政治だと何度も称揚している。
後の儒学者たちも同じで、政治を褒め称えるときは常に周の封建制を引き合いに出している。
- 58 :
- 漢語の封建て、全然意味違うのね
ある都市から領民を送り込んで、新しい都市を作らせる。これが封建。建は建設て内容。こうやってできたのが、春秋時代の都市国家らしい。
日本の場合、恩ある相手に尽くすという内容ですな。漢語の場合全くそういう意味あいなし
- 59 :
- 封建制から絶対君主制を経て自由主義国家へ転換したのは日本も西欧も同じ。
- 60 :
- そういうマルクス史観の発展段階説も、いい加減時代遅れ。
- 61 :
- 100歩譲って江戸時代までが封建制だとして、
明治って絶対君主制なのか??
- 62 :
- 古代奴隷制→中世封建制→近代資本主義、このように発展していくのが
人類史の基本法則。
- 63 :
- 封建制→近代の流れで捉えるのはマルクス史観でも何でもないぞ。
マルクス史観は正統派歴史学を曲解した亜流歴史学だ。
- 64 :
- >>63
フェーダリズムを重視するのはドイツ史学。そもそもドイツ固有の精度なんだから当たり前だが。
それを世界全ての法則と言いだしたのがドイツ人のマルクスだよ。
似たようなことを言ってた人間もいるが、世界中に広まったのは明らかにマルクス史観に取り入れられてから。
- 65 :
- イギリスやイタリアの史学ではフェーダリスムは重視されない。元々そんなものは無いから。
- 66 :
- >>63
マルクスを貶しながら無意識にマルクス史観にどっぷりハマってる人間って多いよな。
- 67 :
- >>66
一個の世界観として定着してしまってる
脱却できないのは彼の努力の足りなさからだが、教え込んだのは社会と日教祖だ。あまり悪くいうな
- 68 :
- 公共性の確立のために中世は必要不可欠だとは思うけどな
古代的な村落規模のクニから、意識の広がりとともにさらに上位の広領域の国家が形成され
その領域内で同胞意識、同じ世界観を共有する人たちが生まれ、下からの人的拡大力が
従来の制度でコントロールできなくなるとともに、中央集権的な体制が崩壊し
世界観をくずさないまま、地域独自の自我がめばえてくる
はじめは、地域支配層が、やがて地域の被支配層が自律的な共同体を形成する
そこではじめて、庶民から国家の頂点に至るまでの公の概念が生まれてくるのではないかな
封建制というのは、中央が人別支配をするのではなく、地方統治をある者に委任するが、
統治の権威は中央が保つ。その地方統治を極限まで細分化していくと村という共同体までいきつく。
刀狩まで、村は共同して武装さえしていた。〜衆という職能集団などがそう。
国司から荘園領主、荘園領主から地頭、地頭から守護、守護から戦国大名と
より地域に密接しこれを統御する体制が育まれてきたように思う。
この地域の躍動と、同世界に住む者たちの混乱を避けるため共同体間の争いを極力少なくしようという力が
うまく調和する、自律的な秩序形成過程が、中世と位置づけられるものではないのだろうか。
そして日本においてこの中世の集大成が江戸時代だったのだと思う
- 69 :
- 欧州においても、教会がローマ帝国の遺風を残しつつ、ヨーロッパ世界を形成し、
ゲルマン民族のそれぞれのクランから有力諸侯が形成され、
同種族同士の諸侯の調停者として王が選出され、諸侯は土地を独自に統治した。
また農奴は土地に結びついた存在であり、
土地所有者であり税を自由に取り立てる特権をもつ貴族でさえ、その家族を切り売りする権利は有していなかった。
つまり、農奴は農奴の共同体を形成していたものと思われる。
こういった中から、黒死病の流行による農奴人口の減少と諸侯の没落、商工業都市と契約する王の権力の
増大があり、ばらばらだった共同体と権力が統一へと向かっていくのが絶対王政期。
欧州は日本よりも公の概念が薄い、あるいは多層的かもしれないが
おおむね、他地域とくらべて、末端までが公共概念をもつ高度に文化的な国民をもっているのではないだろうか。
それが近代的なシステムを維持する源泉となっていると思う。
- 70 :
- そもそも歴史学が誕生したのがルネサンス期だからね。
ルネサンス期は古代(ギリシャ・ローマ期)への憧憬が動機になってるから、ゲルマンが支配階層だった中世を不当に低く評価する。
ルネサンス期イタリア人は、
あのゴシック建築(日本人などが欧州に旅行する時、最もこれが見たくて行くという動機の一つなのに)ですら内心ではその景観の美しさに感嘆してる癖に、「野蛮さ」を意味する「ゴート(族)の」様式と名付けて必死でその価値を引き下げようとしている。
- 71 :
- >>68
>そして日本においてこの中世の集大成が江戸時代だったのだと思う
江戸時代は中世にも近代にも分類出来ないから近世という日本独特の歴史区分をしてるんだけどね。
- 72 :
- 業績の上げられない口実に歴史用語の詮索に逃げるな!>アホ院生ども!
- 73 :
- >>21
受領執鞭(受領郎党)として藤原経清を陸奥に同行してきたのは陸奥守・藤原登任だよ。
何故執鞭が必要なのかと言えば、文官官僚である登任が現地での仕事を滞りなく行えるようにするため。
先祖が累代に渡って陸奥で鎮守府将軍職を勤めあげている武官官僚(軍事貴族)の経清だからこそその役目が回ってきた。
また経清自身がかつては陸奥権守を勤めていた可能性を指摘する学者もいる。
そんな陸奥国の政情に精通した経清の機嫌をそこねて、陸奥守としての職務に支障をきたしかねないようなセリフを登任が吐くわけがない。
- 74 :
- >>71
明治時代に江戸時代は"近代"の意味で"近世"と呼ばれたんだよ。
更に時間が経過して江戸時代の後の時代が歴史学の対象になってきたとき
すでに定着していた"近世"と区別するために"近代"と呼ばれた。
- 75 :
- NHKが大河ドラマ『平清盛』天皇家を“王家”と表示2
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1316282169/l50
- 76 :
- 武士起源なんてのは、ハッキリしてんだけどな。
武士言語起源自体は武士がでる前後からあるけど
直接的な武士、イデオロギーは将門公 あと、その末裔の坂東武士団以降だよ。
・武装農民←武士だぞ。
で、将門公鉄器革命以降坂東で鉄器革命がおこって、その前後で鎧あわせて日本刀が作られた。
この時期この年間に日本刀 鎧が出来た。だからそのことの伝承も多く残り。
将門公が日本刀と鎧作った〜といわれる。
で最終的に将門公の末裔が源平天仏全部滅ぼすんだよ。
将門公の末裔の反邪馬人開拓武装集団←が武士だよ。だって歴代の武士がずっと農民なんだもん。
- 77 :
- そもそも
小説の武将 武と
武士は全くの別物だよ。武士ってのはあくまでただの武装農民でしかない。そして将門公の鉄器革命〜
で武装したり開拓する集団だよ。
それが超前提。
で将門公の末裔と在地農民がおもいっきし逆らいまくって、畑を作って、武力拡大させて最終的に源平天仏
全部滅ぼして
土地の所有者は武士ないし、農民、開拓した奴が土地の持ち主〜ってのを作ったんだよ。
だから13?世紀年間が事実上武士の成立
10世紀 将門公その末裔が開拓して源平に最初に逆らったのが事実上の武士起源
だよ。
それこそまともに調べればいくらでも資料、証拠残ってるのにな。
で戦国武将は武将ないしただの戦士〜に近いな。
尚3剣流の一つの一刀流系は事実上将門公の末裔〜の坂東武士が作ってるな。
- 78 :
- 将門公以降
在地住民とまざりまくって権力を拡大して、中央と戦いまくって、畑を拡大して
出来たのが武士の集団。坂東武士団というより坂東が武士 農民が武士
・その集団は親が死んでも、子が死んでも、逆らうのを、やめない。戦う。←これ資料あるね
・畑に最終的にかえる。
・法制〜ルール気にする。←作る〜のが武士
・将門公が最初に神道←天皇 仏教 ほか全部の宗教を否定して、在地になんらかの土地の宗教などがありそれが大事〜みたいな信仰つくって神社たてた。俗に言う八幡神社そこらはくわしく将門公神社関係〜になるんだが。そういうのを引き継いで、きわめて反宗教で開拓的
・開明的それが武士
いわゆる歴史的な言い方だと10世紀中央が菅ーカルトのキチガイ集団なんだよ。ファシストででそれにさからってきわめて開明的な集団〜が武士だな。で最終的に13〜世紀に天皇、仏あれフルボッコするまでやつらのカルトっぷりはやばい
- 79 :
- 農民主義
開拓主義
物理主義
法治主義〜
が武士だな。当時世界一厳しいんじゃないか〜くらいの法ルールつくってしゃかい制度つくったのが武士
- 80 :
- 東国起源説なんて古すぎ。
将門より前に京に武士はいっぱいいる。
源頼光が酒呑童子を退治したのは将門の乱の50年前だ。
- 81 :
- 二行目にはちょっと同意。
三行目は今すぐ削除した方が・・・
- 82 :
- 将門の乱 939年
源頼光 948年〜1021年
って、頼光は50年あとの人物だって。
ただ将門や東国武士団が過大評価され過ぎと言うのは同意。
そもそも将門の乱を平定したのは京からやって来た藤原秀郷だし。
武家の代名詞である源氏と平氏も基本的には京が本拠地だ。
- 83 :
- 草深い関東の農村こそ武士の揺籃の地。古代帝国の辺境から
封建制の担い手が勃興するのが世界史の基本法則。
- 84 :
- >封建制の担い手が勃興するのが世界史の基本法則。
だからそんな法則はマルキストの頭の中にしか存在しないって。
- 85 :
- だから封建制度時代自体の内容と、マルキシズムの唯物史観や階級闘争史観や社会発展段階説とは別のフェイズ(位相)の話なんだって。
そして、
西欧と日本の封建制を
>全くの別物
とはさすがに言い過ぎ。
細かいところでの差異はあっても>>49氏の述べる通り、実際両者はかなり近似している。
・緩やかな主従関係、
・複数の主人と契約を結ぶところ、
・(上の2つから派生する事象として)「家来の家来は家来に非ず」といった同じ意味の言い回しが両地域で存在すること、
・恩貸地制と軍事奉仕(西欧)、ご恩と奉公(日本)と似た概念があり、またそうは言っても両者とも事実上それまでの諸豪族、諸侯の領地の追認が多かったことなど、
本質的なところでは共通点の方がむしろ多い。
マルクスはそんな西欧中世封建制時代を、古代農奴制の時代から「発展」した段階と自説に繋げて説いただけ。
オーソドックスなヨーロッパ史観ではその逆で、そんな中世ヨーロッパの封建制時代を「暗黒時代」とみなして、古代よりもずっと退化した時代とみなしていたのだから。
それを再び古代ギリシャ・ローマの「輝ける」時代に戻したのがルネサンスの幕開けと説く。
今のヨーロッパ史学では(マルクス史観はもちろんのことだが)そんな中世「暗黒史」史観はとっくに見直しされている。
- 86 :
- だから日本の武士は西国から起こったと言ってるんだが。
それを西洋の史観に無理矢理当てはめて東国を主体と言い張るのがおかしいんだよ。
あと、似てるから同じなんていうのは科学ではない。世の中には似て異なるものはいくらでもある。
- 87 :
- 古代帝国の辺境から封建制の担い手は勃興する。
ゲルマン人しかり、ビザンチンの封建化を促進したのも
スラブ人の侵入。アラブ人も征服した古代文明の地に
封建制を導入した。中国でも五胡十六国から北朝そして
唐への進展が辺境の蛮人による封建制推進の実例。
- 88 :
- 日本とゲルマンならまだしも、古代シナの封建制までごっちゃにしたらお話にならないよ。
脳味噌が戦前で止まっているレベル。
- 89 :
- 日本は古代帝国なんかじゃなかった。蝦夷を征伐し、百済王を封じ、新羅に
朝貢を迫り、屋久島種子島まで使節を派遣する等の帝国志向は成果を見
ないまますぐに放棄された。日本自体が東アジア世界の辺境であることを
忘れてはいけない。民族移動期のゲルマン諸国家と比較されるべきものは
鎌倉幕府じゃなくて同時代の倭国だ。
- 90 :
- >>86
俺は武士の起源は西国とも東国とも言ってはいないよ。
最新の研究では初期武士階層のそれも第一世代の出自を求めれば、それは寛平・延喜東国の乱平定者と目される平高望、藤原利仁らであるので、京の中級貴族出身となるのだろう。
だが高望は上総介として関東に下向以降、国香、良持以下多くの男子を赴任地・上総のほか近隣の常陸、下総などに土着させており(在地豪族に婿入りさせており)、
その第三世代に当たる将門や貞盛、公雅などがそれぞれの利害から(藤原秀郷など近隣勢力を巻き込みながら)衝突したのが承平・天慶の乱に当たる。
そしてこの将門の乱が、京の公家層に与えた衝撃は余りに大きく(京の公家にとっては後の世に至るまで何か争乱が起こる度に「すわ将門の乱再来か」と表現されるほどである)、主戦場となった坂東こそが武者の地であるという印象も強くなったのだろう。
だから武士の起こりが西国か東国かなんていうのは、謂わば「生まれ」を取るか、「育ち」を取るかで一概には言えない。
それと「似て非なる」
なんて表現は西欧と日本の封建制の類似を論ずる上では全然的外れだぞ。
比較文化学などという分野があるように異地域の文化を対象に比較研究するのは非科学的な態度でも何でもない。
現にこの両地域の封建制の類似性に着目する専門家(つまり人文「科学」者だ!)は多く存在するのだから。
- 91 :
- だからあ、封建制の比較研究ならビザンチウム、アラブ、トルコ、中国等、日本と西欧の
他の地域まで視野を拡げなければいけないんだよ。
- 92 :
- 電波議論の内容はどうでもいいけど
封建制なんて概念はマルクス主義歴史観の産物に過ぎないだろ
- 93 :
- だから違うっつうの!
上の説明読めねえのかよ池沼!
- 94 :
- 武士の起源と封建制の起源とは切り離すべきだ。
封建制の比較研究は意義があるけどね。
- 95 :
- 国造だってあれは世襲だから封建制だしな。
でも国造の段階ではまだ武士ではない。
のちの律令制時代になると彼らの後裔は郡司となって軍事貴族からさかんに婿入りさせ、王朝国家時代には武士化していくけどな。
- 96 :
- 侍>武士 お侍さんがいいね。
http://www.youtube.com/watch?v=KdZkYrY5DKk
- 97 :
- >>82
藤原秀郷は京からやって来てないぞ
秀郷は生まれも育ちも坂東で、都鄙間を往来する留住貴族だ
頼光は武者としては取るに足らない人物
狩猟経験が浅く弓は下手糞で、実戦経験もない
典型的な中央軍事貴族
- 98 :
- >>96
実際、戦国時代にやって来た西洋人宣教師たちの認識ではそういうものだったらしいね →侍>武士
- 99 :
- >>97
頼光は大江山の鬼や土蜘蛛を退治した剛勇の武者。
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